日曜日のことですが、ちくま新書の世界哲学史全8巻のうちの4巻まで読み終えて、5巻目に入りました。5巻目でようやく中世が終わりつつあります。世界と言いつつ西洋が多いのですが、まだ超越的な神と理性の折り合いをどうつけるかの格闘が続いています。イスラーム世界もやはりそこの折り合いが大変そうです。まあそれで理屈を捏ねるので、色々と新しい考えが生まれるという側面もあるのだと思います。
またキリスト教の神学哲学への、プラトン、アリストテレスの影響がずいぶん大きいことを改めて認識しました。そちらの系譜だと普遍的な観念や原理みたいなものが先にあって、そこから個別のものができてくると考えがちです。それに対して逆に個別のものから人間の認識として普遍や原理が作られるといった考え方も中世になってぼちぼち出てくる感じです。
インドは仏教があるうちは色々と面白い論争(私にはよく理解できていませんが)があるのですが、仏教衰退後はどうなんですかね。中国は文化の中心だと思っていたところに、仏教がやってきて、外国にも別の枠組みの非常に高度な思考があることを知って衝撃を受け、その受容にしばらくかかったらしいです。宋代の儒教の復興が、科挙制度の復興と強く関連があるというのは、現代の研究費の問題に近いものがあります。
日本の中世の仏教は、宗派間で教義に関する会議みたいなものをやって、お互いの矛盾点を指摘し、指摘された方はそれをなんとかする論陣を張りといったことをやっていたようで、これもなかなか面白いです。自分の宗派の教義だけでなく相手の宗派の教義も熟知していないと議論ができなかったとか。
まだ折り返し地点ですので、まだまだ楽しめます。
赤穂へ
有給休暇を後1日取る必要があったので、因縁浅からぬ地、赤穂を初めて訪問。しかし、かきおこに惹かれて、備前国の日生(ひなせ)へ。牡蠣モダン、焼き牡蠣などを食す。さらに長船の刀剣博物館で鐔(つば)展をやっていると聞き、さらに西へ。刀はよく分かりませんが鍔は好きなのです。細川家の家宝展以来ですが、肥後鐔は良いです。この博物館、毎月第二日曜日には古式日本刀鍛造を公開で行っているので、次は鍛造を見に来たいものです。近くの香登(かがと)駅から電車で播磨国に戻って、野営地へ。真っ暗でしたが、なんとか設営して夕食にありつけました。
翌日は牡蠣の筏を見ながら坂越(さこし)へ。秦氏ゆかりの大避神社に参拝。奥藤酒造でお酒を買ってから、赤穂の町に水道を引くために江戸初期に作られたと言う隧道を見学。井戸を掘っても海水が混じるので早くから水道が切望されていたそうです。その後、お城と博物館を見学。江戸時代に作るにしては、かなり過剰に防御機構で固めてあります。最後に再現された塩田を見学。この場所自体が塩田跡の地域で、公園もその周りもともかく広い。博物館で見た製塩の色々が1/1で確認できました。最後にスーパーで牡蠣を買い、またカキオコを食べて、播州赤穂から新快速野洲行きに乗って帰りました。