〈合格〉プログラミング未経験者がPython3エンジニア認定基礎試験を受験してみた
Python3 エンジニア認定基礎試験を受験し、無事に合格しました。
受験に際して、色々と情報集めしましたが、情報が少ないなーと感じた筆者です。
①試験の概要
②勉強方法
③実際の試験を受けた感想と注意点
④受験したメリット
この辺をまとめられたらなーと思います。
特に、試験を受けた瞬間、一瞬脳がフリーズしました…w
その辺の内容も盛り込みます^^;
続きを読むサカナの雨!?超常現象ファフロツキーズとは
皆さんは、空から「えっ!?」と思うような物が降ってきた体験はありますか?
空から降ってくるものは、雨や雪、枯れ葉や花びらなどの植物、時期によっては黄砂やごくごく稀に隕石・・・。これらであれば、特に驚くこともありません。
しかし、日本を含めて世界では、奇妙な現象が起こることがあるようです。
もしも、突然頭の上から、大量のカエルが降ってきたらどうしますか?
降るはずのないものが降ってくる怪奇現象、「ファフロツキーズ」の真相に迫ります。
*タイトル画像
出典:
It Rained Fish In Thailand. Must See. Pictures - Foreign Affairs - Nigeria
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ちょっと待て。成功、成功って言うけど、それ一体何だ?
「成功」
よく使う言葉で、よく耳にする言葉だけど、「成功」って一体何だろう。
莫大な資産を手にすること?
絶対的な権力を手に入れること?
家族仲良く1軒屋で暮らすこと?
あるいは、全てを手に入れること?
答えがあるようで、答えのない問いかけ。
「成功」とは何か。
私なりに解釈してみました。
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自分は自分にしか変えられない。心は自分の中にしかないからだ。
変わるために必要なものとは・・・。
衝撃的な音楽を聴くことだろうか。
感動的な映画を観ることだろうか。
情熱的な指導を受けることだろうか。
実は、どれにも意味はなく、どれにも意味がある。
問題は、そこにどのような過程で辿り付いたのか、だ。
訳が分からないと思うが、これが私の結論である。
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諦めは美徳ではない。意地でもしがみついてこその人生である。
本日の内容はタイトル通り、『諦めは美徳ではない』ということについてです。
諦めの天才こと私は、あらゆることをすぐ諦めてしまいがちです。本日の表題はそんな私自身にも向けたメッセージでもあります。
例えばマラソンを走っていたとして、最初の5kmは楽しく走れていて、10kmくらいから差がつき始めて、そうなると走るのも楽しくなくなってきて、12、3km走ったらやめてしまうというような風に。
本当は、勝てても勝てなくても、走りきることで味わえる達成感や爽快感があるはずなのですが、いつからか諦めることが当たり前になってからは、そんな感覚は忘れてしまっているのです。
それは、日常の中にも現れてきます。
例えば締め切り。
定期的に締め切りがくるような仕事であれば、最初はペースを保っているので順調です。
初めのペースを保っている頃というのは、精神的にも非常に余裕があるため、仕事そのものの質も高くなります。『ここはこだわろう』など、自身の仕事にプライドを持って取り組みます。
しかし、ペースが遅れ始めるに連れてやっつけ仕事になってしまいます。
この時の心理状態と言えば、『もうこだわってる場合じゃない』という気持ちですね。
そして、仕事が終わるとこう思います。
初めから無理な仕事だったのかな、とか、こだわりすぎたのかな、とか。
そして、初めのこだわりを持った仕事は諦めて締め切りに合わせるスタイルへと変わっていくのです。
『こだわっていても仕方ない。締め切りを守ることが全てだ』
あるいは、その仕事を今後続けることを諦めてしまうかもしれません。
『自分には無理だったんだな』
しかし、何故か心は清々しくなります。
そして、後日談ではよくありがちな美談に変わっていることがあります。
他にも、欲しいもの、なりたいもの、やりたいこと、あらゆるものを諦めたときに人は、自身のその行動を美徳化しようとします。
あの人には自分はふさわしくない。他の人のほうが幸せにできるのだ。きっとそうだ。
自分には手の届かないものだ。その分、他のことに打ち込もう。そのほうが有意義なはずだ。きっとそうだ。
でも、思い出してみてください。
初めは諦めることは悔しいことなのです。
子どもが、欲しいおもちゃを買ってもらえない時に泣き叫んでいる光景を一度は見たことがあると思います。
どうしても欲しい、でも、手が届かない、手に入らない。
悔しくて、悔しくて、仕方がない。
大人になっても欲しいものをなんでもかんでも欲しがってしまうのはちょっと違うかもしれませんが、あまりにも諦めることが多すぎるせいで、「夢」や「希望」といった、本当は諦めなくても良いものまでも、理由をつけて手放してしまうようになってしまうのです。
ですが、決して忘れてはいけないことがあります。
諦めなければ、手に入ることもあるのです。
やめなければ、いつか届く日がくるかもしれないのです。
あなたが今、手を放そうとしているものは、本当に諦めても良いものですか?
意地でもしがみついて、苦しくなって、手を離そうとして、それでもなお、今の今まで心のどこかに秘めてきた大切な想いではないのですか?
必死にその想いを実現させる、その行為こそが、「人生」と呼べるものではないでしょうか。
一度じっくりと、自分の心と向き合って、もう一度、自分の正しいと想った道を歩んでみてはどうでしょうか。
前向きに生きるというけれども...前だけ見てたら車は運転できない
前向きに生きる
声高に叫ばれる考え方ですよね。
後ろを振り返ってくよくよしながら生きていたら精神的に辛いだけだと。
振り返ることも大切だが、前を向いて生きなければと。いや、前だけ向いて走っていけばいいと。
ところで、人生の進むスピードって徒歩か車かで言ったらどっちだと思います?
僕は車の速度で人生は流れると思います。
なぜか?
飛行機や電車はほとんど一定速度で、さらに目的地がある。特に電車はレールの上までしかいけない。飛行機も確かにどこにでもいけるが、操縦したことはないし、ある人も少ないと思う。
車なら僕も運転できるし、乗ったことある人が多いと思う。つまり、実感が湧きやすい。
車って前だけ見てても運転できない。
後ろはもちろん、横にも気を配らないといけない。
立ち止まろうと思えば必ず後ろを確認することになる。
行き過ぎれば、タイミングによってはバックしてやり直すこともできる。
そんな風に車の運転には柔軟な思考や動きが必要になる。
人生を進むのもこれと同じじゃないだろうか。
間違ったと思ったらバックすることが必要。
例えば高速道路の車や一方通行に入ってしまった車と同じように、過ちを犯してしまったり、前に進むことしか考えずに走っていたら、もう後戻りできなくなるかもしれない。
その時は遠回りでも正しい道に入って、時には前後左右に気を配りながら進んでいかなければならない。
こうやって走っていく道、そのプロセスを人生というのではないか。
僕はそう思います。
それを無理矢理に、前だけ向いてと強制して闇雲に走っていけば事故にあうだけ。
振り返りつつ、周囲を顧みつつ、目的地を定めて走る。ついたら、次の目的地へ。また、次の目的地へ。
人生、後ろを向くことも大切なのではないでしょうか。