心の底から

25歳が日々思うことを書き連ねます

沈む気持ち

絵を描いている場合ではないのかもしれないと思った。
今日は会社を休んで、ソシャゲしたり買い物に行ったりアニメ見たり高木さん西方を書き写したりしていた。そして夜になるとひどく落ち込んでしまった。絵を描くことに意味はあるのか、本を読むことに意味はあるのか。それを考えてしまったから、非常に気持ちが不安定になってしまったのだと思う。意味があることしか価値がないように思って、考えてしまうのは、優先順位を決めて行動しなければいけないという職業的な思考が邪魔をしているように思う。なぜそれをするのか、理由は明確か、長期的に見てプラスになるか。ひとには言うくせに自分に問うたら麻痺してしまった。なぜか、次の行動の結果を予期してテンションを下げることばかりしてしまう。
テンションが上がることは何かと思ったら、良い結果が出ることである。でも絵を描いてもひと様にお見せできるような絵は描けないし、実用書系の本は読んでも中身がちんぷんかんぷんで時間を無駄にするかもしれない。前に進んでいる気がしないのが問題だ。やり方を変える必要がある。
良い結果を想像するのがわかりやすい。日本語教師も、勉強することによって、合唱で活かせるものがあるし、単純に将来に繋げることができる。小説は息抜き(漢字の読み方調べたりとか、漫画にストーリとか生かせないか)だけど、実用書は新しい世の中の仕組みや思考を知れる。
お絵描きは、正直わからないのが悲しい。これはどこに結びつくのか、いまはまだわからないけど、なんか描きたいなと思ったときに描ければ、それでいいのかもしれない。いますぐ漫画を~とかいいねもらえる一枚絵を~とかは考えるだけ無駄のような気がする。いまの技術で周りに評価を求めたりしようとするのはやめたほうがいい。なら将来は~と高い目標を掲げるのも、そっちの道に進むわけでもないので、考えない方が精神的に安定する。なにか描いて、間違ってたら直すを繰り返すのが楽しければ、それでいいのだ。

前向きな姿勢

こんばんは。

 

今朝仕事中、ヨッピーさんの記事を思い出して「そうだ生産的な趣味を作って前に進んだような気持ちになろう」と思い、いまブログにログインしてます。

 

読書の記録をつけようと思いました。

今日通勤電車の中で、江國香織『号泣する準備はできていた』の文庫をなんとなく読んでいたのですが、これがまた良かったのです。中学生のときに気取って色んな話題の作家の本を読み漁っていました。そのころ読んだ作品のなかにそれもありましたが、正直「江國香織ってあんまり面白くない、意味わからない」という感想をもった覚えがあり、長い間「江國香織は自分には合わないんだな」と思って過ごしてきました。それがここ最近覆ったことに衝撃を感じたのです。

私は小学3年生のころから現代小説を読んで育ちました。宮部みゆきの『クロスファイア』を空港の小さな本屋で見かけて、何か暇つぶしになるからと親からお金をもらっていたので、それで買った記憶があります。表紙の炎と超能力を使う主人公がまあ魅力的に見えたからだと思います。

上下巻読み終えるのに2年くらいかかったのではないでしょうか。何度も挫折して、何度も最初の戦うシーンを読み返した覚えがあります。信用していた男に裏切られたシーンも何か覚えがあります。物語の流れは正直よくわかってなかったですが、子供ながらにショックを受けていたような気がします。

文章として書いてあることもそんなに読めていないのに、文章にしてあえて書かれていないことまで考えて読むことも知らなかったので、仕方ないでしょう。

そんな期間がずっと続き、私はなんとなく小説を読み、ラノベを読み、漫画を読み、本棚を増設して自室のフリーなスペースを着々と埋めていきました。(引っ越しの際にほとんどBOOKOFFに売ってしまうのですが)

 

なんのことを書こうとしたのか忘れていました。

江國香織についてです。

嫁さんがご友人に本を貸してもらっていて、そのなかに江國香織のデビュー作『つめたいよるに』の文庫がありました。めったに小説を読まない嫁さんが「面白かった」と言ったので、そうかそうかと私も又貸しで読ませていただきました。

とてもよかった。もっと男女のぐちゃっとした関係をワンシーン切り取った胸糞わるいものかと予想してましたが(ほんと印象が悪かった)、瑞々しくも切れのある文章でわりと爽やかな、展開が分かりやすい短編集で、よかった。

お気に入りは「ねぎを刻む」です。たった5ページで私は救われてしまった。よかった、ここにも私と同じようなことを思う人がいたのかと、安心した。

 

そんなわけで江國香織の株は急上昇、本屋に行ったときはえ行を見る日々が続きます。

そこで「昔読んだ本を読み返してみよう」と思い、『号泣』を再度買って読んでみたという感じです。

まだ4編しか読んでいませんが、「――」「ッ!?」が好きだったころに比べたら、とても楽しく読めるようになっていて、自分の読み方が変化していることに安堵しました。江國香織を読めるぞと、いまとても楽しいです。

 

物語に想像の余地を与えるためにあえて文章化されていないエピソードが山のようにあるということを考えつつ読める。これは今じゃなきゃできないことなんだと知りました。

(夫が猫を捨てたとか、楽しくない一日を結婚したあとも覚えているとか、小学生が読んでも何もわかるはずがない――ッ!?)

励まし

こんばんは

 

いまの現場は、定時を過ぎてからの作業の場合、何かあったときのための有識者と、職場の締めをするために元請けの方に残ってもらわなければいけません。昨日は元請けかつ有識者の方に残ってもらい、作業をしました。

作業前に有識者の方が私の作業手順のミスに気付き、急ぎ対応するということがありました。私はただただ疲れて、口では申し訳ないと言っても、思う余裕はありませんでした。

 

いま現場では、私と同い年かつ同期の元請けの方が案件のリーダー役をしています。人とコミュニケーションをとるのがうまく、また何事もそつなくこなすので納得なのですが、いつもとても忙しそうにしています。

その方と私は全く違うシステムの案件を担当しています。私は資料だけでは理解が出来ず、案件リーダーに一度二度と質問して初めてわかった気になります。SEなのに、細かいギミックにそこまで興味がなく、ストイックとも言えない性格のためあまり深堀出来ないのです。致命的な気がします。

 

昨日の作業の合間に、元請け有識者の方に元請け同期って何でもできてすごいですよねという話を振ったのです。はたから見て私より明らかに技術的にも人間的にも優れていると、素直に思ってました。

そしたら元請け有識者の方は、こんなことを言ってました。

 

ほんとは背中さんみたいにじっくりしっかり成長していって欲しいから、いきなり案件リーダーとかじゃなくて背中さんと同じように業務をすすめて欲しいな。

背中さんがしたミスは誰からも教えてもらってないし、見る人がしっかり見てなかったから起こったことだから、それはまあ背中さんが悪いことじゃないよ。

 

私は記憶力がなく、メモをとらないと何でも曖昧に覚えてしまうのですが、おおよそ合っている気がします。

他の人より遅いけど、私の成長も少しはあって、それを見ていいねしてくれる人も世の中にいるんだなということを発見しました。

 

励まされたい人生だった。

午後シフト

こんばんは。

 

仕事が忙しいので、とてもじゃないですが辞めることを考える方向に頭がいきません。目の前のことを一つずつ片付けることに集中してしまいます。

これって良いことなんですけど、自分に一貫性ってないのかなとか思ってしまいます。

まあそういうものなのかなと思いますが、辞めようと思うほど自分が苦しんでいたことも忘れてしまいそうで怖いですね。今後どのように生きていくか悩んでいた自分が過去にならないように書き留めておきたいです。

 

まあ私は忘れっぽいので、書き留めても意味はないかもしれませんが。

 

うしろ向きなことを考えてもメリットはないですし、やり得な人生だと思って前向きに考えたいですね。

とりあえず今日の仕事をやっつけなければ。

いまの会社

こんばんは

 

SEだけでなくIT業界は残業が多いイメージがありましたが、私の今の現場はほぼほぼ定時で帰れます。今日は3時間ほど残業しました。今月は忙しい方ですが、就業時間が200時間を越えることはなさそうです。

 

思ったのですが、体力勝負なんですよね、仕事って。

仕事するのもそうですが、仕事を覚えるにも体力がいります。人と話すことで消耗する人もいると思います。

身体は元気だけど精神が辛かったり、その逆の人もいませんよね。忘れがちですが、身体が疲れると頭も同じレベルで疲れますし、その逆もあります。

SEは椅子に座ってパソコンと向かい合っていればいいから体力的に大丈夫だ!

って就活時に思ってた気がします。

 

まあでも、いまの会社に入った理由は、ようするに入れたからなんですよね。

年間休暇日数とか、月給とか、福利厚生とか入社後の研修で何やるかとか、そんなのを見てオーケーぽいと判断して面談に行きました。人事部の方に面接して頂いたのですが、物腰が柔らかく話しやすい雰囲気がありましたので、前の会社のひどさを一通り喋って笑ってたらすぐ内定が出ました。選考はその面接と、面接してすぐにやった筆記試験だけでした。

一週間もしないうちに内定通知が届いて、その選考の早さに警戒しつつも、まあ人事部の方も面白かったし決まってよかったと内定受諾の連絡をしました。

 

そこで研修2カ月していまの現場に配属され早2年と数ヶ月経ちました。

後悔はないと言いたいですが、転職の機会を食い潰していまの会社にいるという苦い気持ちがあります。

 

自分に合ってる仕事ってなんでしょうね。

 

まとまらず

こんばんは。

 

会社を辞めた後のことを考えると腹の底が重くなりますね。

転職活動、収入のない生活、孤立感。考えるほど不安は増す一方です。

辞めない方が楽なんじゃないかって思ったりもします。

 

「SE 転職」で検索をかけると、転職支援サイトやブログ、ヤフー知恵袋等が出てきます。気になったサイトを読んでいくと、ざっくりとですが、漠然とした不安の正体がわかってる人向けとそうでない人向けとに別れてました。私は後者なので、そもそも自分が何を思っていまの会社に入ったかを考える必要がありそうです。

まあ確かに、漠然とした不安を解消するには自分のこれまでの行動と向き合うことが必要ですね。理念というか、方向性と。

 

小学生からいままで上を目指すような挑戦的な行動をしてこなかったので、私は元々上を向いて生きるのが得意ではないのかもしれません。

小中と公立校に通いましたが、中学一年生の最初のテスト後に不登校になり、頭空っぽのまま高校は私立のヤンキー校へと。幸い、勉強しなくてもクラス一位になれたので大学は指定校推薦で自宅近くの大学へ。

そこで入ったサークルでそこそこ頑張りましたが、勉強や将来のことはそっちのけでしたので、頭は相変わらず空っぽでした。卒論は内容スカスカで提出しましたが、まあ卒業できました。先生にはごめんなさいと感謝の気持ちが絶妙に入り交じるので、あんまり思い出したくないですね。

 

今までの自分の行動に後悔がないかと言われたら、なんか後悔はないんですよね。

なんというか、なるべくしてここにいる、なんて達観したような、どうせ自分なんてこれ以上は無理だという諦めのような気持ちがあります。

今までの人生で死ぬような思いをしなかったけど、嫌なことからは遠ざかるように行動するようになった、という感じでしょうか。

なんというか、面白くない努力が嫌いなんですよね。参考書で勉強するのが一番無理です。

 

そんな性格の私がなんでSEになろうとしたかというと、それは内定が出たからなんですよね。

大学卒業後しばらくしてブラック詐欺会社に入社。やることが詐欺電話なのに体育会系で精神的にも体力的にも辛くすぐに退職。

 退職後一カ月なにもせず、二ヶ月目に就活をはじめ、すぐに決まったのがいまの会社。

前の会社よりよければどこでもよかったんですよね。

 

よくわかんないですね。また考えます。

おもむろにブログ

こんばんは。

 

仕事が辞めたくて仕方のない気持ちの落としどころとして、突然ブログを始めてみました。

文章の要約を就活時代に培ったのでそこそこできる気でいましたが、この文章を書くのに結構な時間を使っています。発信するって難しいですね。一つ発見しました。

 

仕事を辞めたい心情

 

仕事ですが、別に残業が凄い多いわけでも有給がとれないわけでもなく、かといって人間関係とか職場の雰囲気が悪いというわけでもありません。給料は人並みにはもらえますし、資格手当も充実しています。

 

ただ、私はこの仕事を今後十年も続けていけない予感がありました。

業界的には、基本的に勉強を続けて自分の技術を高めていかなければならないという風潮が辛いです。SEですから、日々IT技術は進化していき新しいシステムがどんどん生みだされていきます。数多くの言語、DBを使いこなせる人材にならなければならないという圧力を感じます。

好きでもない仕事からかかる圧力に何故、日々耐えなければならないのでしょうか。

 

脳みその差

 

職場内の地頭の強い人と張り合わなければならない辛さというのもあります。私は人に自慢できるような学歴はありません。平均以下の偏差値の学校に通い、友だちとゲーセンやサークルで日々遊んで暮らしてきました。そんな私と、早稲田大学卒業生や開成高校卒業生と一緒に働くとどうなるか。

正直、会話に頭の回転が追いつきません。私の理解が遅く会話になりません。

また彼らは、知識の吸収力、理解が半端なく早いです。私が一カ月使って覚えた知識を一週間かからずマスターし、私が基幹部分について分からないことを相談したら即座に答えてくれるほどです。

頼もしい気持ちも有りますが、自分の存在価値について考えさせられました。私がやるより彼に任せた方が早いと、自分より彼らのような人材を増やした方が仕事が回ると。そして彼らの評価は高く、私は低いのだと。

 

何のために生きるのか

 

ネガティブが強い性格なのは承知していますが、ストレスの溜まる職場に居続けるのに抵抗あるのは、人として普通でしょう。

今後、好きでもない仕事を我慢を続けていっても、それによって得るものがあるとは、思えなくなってしましました。

二年と八カ月ほど働いてきましたが、怒られたり自分の不甲斐なさに落ち込んだりした記憶の方が楽しかった思い出より強く、思い返したくありません。

すると、その期間中に私はいったい何をやってきたのかと、考えざるを得ません。

 

給料のためだったんでしょう。それ以上は考えつきませんでした。

 

これからどうやって生きていくのか。

文章に吐き出しながら考えていけたらいいと思っています。