ダンゴムシカット

この前手の甲に熱湯をかけてしまい、火傷をした。すぐに水で流してワセリンを塗って、プラスモイストを貼った。

もう3日ぐらい過ぎたのだが、プラスモイストのカッティング技術が向上したので、ここに記す。

一番最初は、2枚に分けて関節を避ける手法を取った。これはこれで生活に全く問題のない方法だった。鱗2枚が干渉し合わないように貼るこれは、アルマジロカットと名付けた。しかし、2枚を動かないよう固定するので必然的にテープの貼り付け枚数が多くなってしまうという課題があった。複雑なので、自分では貼りきれず他人に手伝ってもらう必要があった。

そこで今日は、折り曲げ部分に切れ込みを入れ大判1枚で貼る手法をとった。成功した。

グーの形にすると手の側面に沿って折り曲がるプラスモイストを見て誇らしい気持ちになった。これは全部つながった鱗なので、ダンゴムシカットと名付けた。

明日は関節部分に、丸い穴を空けてより肌にフィットさせようと思う。これは明日名付ける。

 

テリーヌ

追われているときに限って、いろいろなものが目に入るのである。積読とか資格とか新しいことをしたくなる。どう考えても逃げの一つの手段なのだが、なくしたくないパッションッです。

例えば、国道がビルを割ってくだる月のひかりとか、夜のほうが考えつくものが多いのはほんとうなのかとか、刻みこまれたと自覚できる今日とか、

そのときにしか思いつかないように思えるけどずんずん堆積したきもちがテリーヌになって出てきたんだとその度にわかる。

なんでかというと

本を読んだり、何かしたくなったり、いい曲聞いたりしたとき、感じたことを忘れないようにするためにはじめる。

 

詳しい人あるいは愛がある人が、事物について狂ったように語った文章が好きだ。

Twitterも盛んになってはきたけれど、あまりにも文字数が足らない。遡れない。延々に読めない。最近は、キュレーションされたものを簡単に収集できる。が狂気が足りない。商業的なかをりがする。

長文は失礼ではない。愛である。

有象無象のサイトから、ファンサイトを引き当てたときの喜びは、新しい作家を発掘したときに近しい。いままで楽しませてくれた、もう検索で探せないサイト主さんありがとう。

 

願わくば私も誰かの目を喜ばすことができるといい。