人が育つのを待つ

河合隼雄先生は、著書のなかでいいます
何年、何十年とかしまわれていた、植物の種があります
これに、適度な土、水、太陽の光を与えてやると
芽をだし、育って花を咲かせることができるんです


この種のように、人間についてもどこか足りないところがある
として、適度にその育たなかったところに、育つためのものを
与えることによって、育ってくる
育ちそこなったところ、育てることができる
そういう気持ちで、人と会っていくということ


人を育てるということ、植物に例えて、教えてくれます
あなたは、育つということに待つということを
していますか?


人材育成、これをずっとやりたいと思っています
そうしたとき、どうも「教える」という点に、力をいれるという
感覚をもつ人が多いのだろうと思います
教えるのが大事なのを、否定はもちろんしません
一方、育てるのには、教えるだけでは足らなくて、育てる
河合先生のいうところの、待つということが大事という
点を忘れないようにしたいと思います


若い人が育つ、それには、あるステージを用意して
そこで思い切り活躍してもらう。このこと、確か電車のなかで
誰かが話してること、ふいっと耳にはいって、本当にそうだなと
思ったのです
この話からすれば、そのステージを用意するのが、自分の仕事では
ないかと思いました


学生のとき、英語劇をやっていました
ドラマ、あるステージをみんなで作っていく
演劇の、たとえば、演技についてのノウハウといったことも
魅かれたことはあるのですが、それより思い出すと
おおぜいの人が集まって、ひとつのステージをつくる
アンサンブルのいろいろに魅かれたということが、大きいのだと
振り返ります


照明、衣装、音響、大道具いろいろ
それぞれが工夫して舞台を盛り上げます


思い出すと、演劇をやっていてよかったなと思います
なぜ?人と人が協力する難しさ、そして難しいながら
進んでいくときの、大事なもの、達成感、いろいろ


舞台を作るということが、つまりは人生の縮図みたいな
そんなふうに思えてくる、時間


仕事でプロジェクトをやります
ときには、誰かのプロジェクトに参加して活躍する
また、ときには、まったくゼロからのスタートで
プロジェクトをはじめていくということ


プロジェクトは、ステージだともいえます
また、正解のない状態ではじめて、自分でゴール設定を
するのが、プロジェクトといってもいいでしょう


できれば、プロジェクトをやって、振り返ったとき
やってよかった、と、自分、そして関わった人の多くが
そう思う、仕事、プロジェクトをやってほしいなと思います

 

木桶の話

木が生きてるから、その桶で作られる
酒、醤油、味噌といった発酵系のものはおいしくなる
「感覚的」にそうだろうと、思います
これ、実際どうなのかは、おそらくは一軒ずつ
たずねて、自分の舌で、確認するしかないだろうと思います


あるとき、お酒の話だったと思います
金属系の桶を使ってるのが、95%という数字をみました
これ、ぱっとみると、ああもう、木がいいといいながら
実際は、金属に変わってしまってるよね・・・
とも思ったのです


自分が見学したことある、酒蔵で特に大手だったりすると
金属だったとも思います
そうなのですが、まだまだ木を使ってるところもあるのではと
ふと思うこと
仮に、95%というのが、量の話でいえば、おそらくは大量生産してるのが
80%とかはあるのですから、残りのなかの1/4は木を使ってる
そういうふうにも見えるのですよね


もうひとつ、最近手にした、おつけものの本
おつけものも、発酵するのだから、というつながりで書きます
おつけもの、かりに同じ材料で、同じ調味料の量で作ったとしても
家々で、味が変わるといいます
これはとっても自然なことで、その家にある、発酵のもとの菌が
ちがうからだといいます


こうなると、発酵のうつわである、桶って大きいと思うほうが
自然ともいえます


食べるものが好きだし、やっぱり生まれ育ったからが一番大きいですが
日本食が好きです。日本食は発酵をとてもうまく使ってきたと
言っていいでしょう


魚を煮るのに、お酒と醤油、さとうを使います
これがなかったら、魚を煮るなんてやめたほうがいいと
思います


小説、天の瞳 灰谷健次郎 を、読んで
「かえし」という調味料を覚えました
酒、しょうゆ、みりんを、一定の割合であわせておいて
それを「ねかした」ものですね
3か月ねかせてほしいと、小説のなかの師匠はいいます


発酵した、調味料だから、ねかすという、ところもでてくるのだと
感じます。そうです発酵するというのは保存するということと
同じ、重なる効果があるということを、思い出します


木桶。職人が減ってしまって、作るのがかなりぎりぎり
という話を聞きました
一方、この木桶作りを残すということで、若い人が集まって
プロジェクトがはじまってるとも聞きました
ぜひ、残ってほしいと思います


なにかものづくりを、続けていくというのは
エネルギーがいる話だと、気が付きます

小説とSNS

最近読んだ小説のなかで、インスタでフォロワーとなっていた
そういう、接点があったという人と人が、偶然(に見える)
出会いがあり、仲良くなり、あるときインスタでつながっていた
ということをみつけて、もっともっと仲良くなれた、そういう
ストーリィをみつけました


数年前、本のタイトルとかは忘れてしまったのですが
ある朗読会、にでかけました。そのなかで披露されていたのが
主人公、と、その親友、また主人公と、その親友と同じ女性を
愛した青春時代があったという設定でした。その親友は若くして
亡くなり、その墓参りで、かつて愛した女性に偶然会う
という流れでした


この朗読会のあと、思ったのは、SNSの時代はこうした、宝物と
いっていい、偶然の再会という機会をなくすほうに存在する
そういう、ことがあって、残念ともいえるなということでした


ツィッターで、いつも、なにかしてることを、知ってる
なんてグループがあるといいます
これなんか、「ひとりになる」という貴重な、タイミングをなくしてる
とも言えて、どうなのかと思います


ごく最近、若い社員から聞いた話。休日はディスコードで友人とずっと
しゃべります・・・これなんかも、ひとりになるということを
せっかくのそうした時間をなくしてるといえないでしょうかね


ひとりであること、ひとりの時間を楽しめる
そういうことがあって、親しい人と過ごす時間も充実する
そういうことがあるように思うのは、私だけではないように
思います


SNSは、交流のありかたはもちろん、こうした、時間の感覚
ひとりでいるということの、感覚を変えてるということがありそうです
また、冒頭のように、出会いということの在り方、といったらいいか
バリエーションを増やしてるということもあるかもしれません


SNSは、自分としては、利用できるものは利用してしまえ
といった、関わり方なのですね
でも、やっぱりどこまでもSNSはありえなくて、仲良くなり、また
なにかしら、実際のなにかということを、やるなら、アナログですが
やっぱりリアルにあって、感覚として、どうなのかということを
知って、進めるが自分はほしいと思っています


SNSはきっかけ、ですね


ただ、こうしてオンラインの世界がどんどんひろがっていると
きっかけだけでない、なにかということにも、つながりそう
ということも、ありそうです
実際、軽い取引であれば、オンラインと電話で、確認して
進めてるもちょっとはあります


小説は、今を切り取ってる
そんな感覚もあって、特にコロナがあったりして、このごろは
ごく最近出版されたものを、見たいと思っています
小説こそ、アナログなメディアといえるかもしれないですが
やっぱりプロ、人の心の動きの描写は、うまいし参考になりますね

日本の魅力

3月、海外からの日本旅行者、300万人突破とのこと
ちょっと前まで、一番旅行者が来そうな、銀座が
確かに混んでることは、そうなのですが、いっときほどではない?
これはどうも、旅行の目的が、おそらく買い物が圧倒的だったのが
多様化してるということの現れ?かなとも思います


日本の食べ物、風景、歴史などなど
私がまさにいいなというところが、旅行者にもいいなに
なってると、思うのですね
ひとつの、象徴的な場所は、野沢温泉かなと思います
先日テレビをみていると、野沢温泉の土地の値上がりが、報じられ
外国人で、野沢の場所の魅力を語る人の映像が流れました


野沢温泉は、スキー、温泉のほかに、古くからの温泉、地方の村の
もつ温かみといったことがあると、思います
地方の村って、こんなにあたたかいの?みたいなことを
感じます
どうやら、この地方のよさといったことが、外国人にも
いいとなってると、見えます


新潟の冬はとっても雪深い場所、竹所には、カールさんならではの
再生古民家があるのですね。その様子を紹介する番組をみていると
確かに、おそらく建築として魅力あふれる、そうした要素があるのと
雪深いところだから、そのよさがあるという、古民家の暮らしが
映し出されます


日本の地方の魅力
都会にはない、地方にだけある、今も残るという言い方が正確かは
どうなのかはありますが、地方に確かにある、いい感じのところ


実際のところ、多くの日本人が都会で働きながら、地方のそうした
癒しの感じというか、いいところももらいながら、生活してる
そういうことがあるのではないでしょうか


私たちは、どっぷり都会に生まれて都会に住んでいますが
旅行者として、地方にいって、その空気を吸って、食べ物にもふれて
バランスをとってるということもあるのだと、気が付きます


地方に、実家とか、縁を持つ人はその縁を守りながら
都会にもつながって、仕事したりしてる、そんな人も多いのだと
感じます


外国人が感じる日本の良さ
どうも、買い物といった、表面のものでない、日本の日本らしさといった
ことを、求めてるのかなと、思います
それは素晴らしいことで、私たちも日本の再発見につながるということも
あるかもしれないし、息の長い、ブームとして、日本が観光でいいところだと
人が集まるということが、わくわくもします


一方、交通機関は混雑、そうした窮屈さをもうちょっとなにかしないと
困っちゃうかな

ビジョンの話

会社はビジョンがないと、駄目になる
これはくりかえし、いろんな本でも読むし、人からも
聞く話です
素晴らしいビジョンと計画があって、そのビジョンに共感する人が
集まって、計画通りに物事が進む
これは理想の話です


そして、会社をやろうということなら、理想に近づくように
なにかをするのは、「約束」といっていいこと、になりますね


みんなを幸せにする、システムを作る
これが、当社の存在理由と言っています
そして、ビジョンはなにか?システマーズという場に
おいて、社員が活躍し、育っていってること
こうした現在進行形の、人材育成がある場、ということを
くりかえし言っています
それ、「ビジョン」ですか?


会社において、人が動く、行動する、そのためには
3つのことが、いい状態でまわることが必要といいます
健全な身体、働く能力、そして、会社のビジョンへの共感
とのことです
これ、車に例えれば、身体:シャーシ、能力:エンジン
ビジョンの共感:カーナビととらえている本がありました
メンタルヘルス経営学:山崎友丈)


ビジョンへの共感が、カーナビとします
カーナビにこういう設定をしようということにも
なろうかと思います


「人材育成をやろう」これが進む方向のビジョンとしたら
ちょっと、大きすぎませんか?
そういう気持ちも少しあるのですが、やっぱり、人材育成でいきたい
それが、ちょうどよいといっていいと思います


なぜ、そうなのか
まず、生きていて「教える」といった行為を行う機会が
少ない、減ってるということ
ともすれば、やることがあいまい、範囲が広すぎる人材育成なのですが
そうだから、自分が定義する部分がある、自分が工夫して、自分らしさを
盛り込む、そういう意味があると思います


具体的、抽象的ということに、ここ数年、考える方向がいきます
具体的はわかりやすい、と見える。ところが、具体的にだしてしまうと
その点以外は、やらなくなりますね
抽象的なことは、解釈で、自分の考えをいれることができる
自分なりの、考えをいれるって、いいと思いませんか?


生きていれば、素晴らしいことも起こるし、もちろん、いやになること
悲しいことも起こります
ひとつ、自分のなかの軸として、やりたいことを、いれられれば
素晴らしいことは、その軸を活かすのに、さらに考えて、利用しよう
悲しいこと、その軸をもって、一定のところの悲しさは残るにせよ
ある部分に耐える、こうだから自分は平気なんだと、思える、筋力をつけられる
そんなふうにも思います


すごーく、楽観的な、都合のいい、シナリオを言えば
たとえば、悲しいこと、人生には人と別れるという悲しいことを
経験することがあります。この悲しさは、自分が今後、いろんな人と
出会って、別れていく、そうしたとき、いかにその出会いを輝かせて
別れについて、やることをやって、別れていく、そのためのレッスンだと
思いましょう


そんなふうに生きる、そんな生き方に近づくことができれば
もうあなたは大丈夫、素晴らしい人生を送る、その準備が相当な割合できた
そう思えてきます

 

原田ひ香

原田ひ香の、小説の魅力は、おそらく自分でかなり
試食したりして、味、作り方も吟味してる、食べ物の
話だろう


神田、古本屋街のボンディのカレーの
もう、そのカレーのにおいがしそうな描写
その近くの中華屋に、ひまなときにしか
作ってくれない、ウラメニューの存在


ちょっと、この原田ひ香の、食べ物の描写に
ひっぱられて、なにか店をさがしたりが、このところ
多いのに、気が付きます


ビリヤニは、インドの炊き込みご飯ということで
はじめて食べたのは銀座でした
結構辛い、だけどあと引くおいしさ
最近は、自宅近くにある、ときどきいってる
インドカレーの店に、ビリヤニがあるのに気づいて
何回か食べました


私はときどき、自分のことを、食いしん坊で
だから、なにか食べたいとなると、自分で作ったりするんですよと
人に説明したりします


おそらく、原田ひ香は相当な食いしん坊
そうでなければ、食べ物の小説なんて書かないでしょう
いつだか、確か新聞のコラムに、老舗喫茶店の魅力に
気づいた・・・だったら、これを仕事にしてしまおう
取材して、その食べ物を知るということ
これは公開の取材なのかどうかはわからないです
きっと、原田は公開もやるかもしれないけど、非公開で
つまり、自分でお店には取材ですとは言わないで、店を
まわってるのだと、想像します


その理由?は、そのお店が、普段どうなのか知りたいから
なんだと、これまた、想像します


一番最近読んだ(途中ですが)「定食屋 雑」では
たとえば、鶏のから揚げ。メキシコの鶏を使ってるだとか
おいしさの秘密は、その粉のつけかただとか(たぶん、次回
自分で試すと思う)いちいち、でてくる内容が、あれれ?
そんなことあるんだと、以外に思わせるところもあるし
もしかしたらそうなのかもしれない(これ、小説に書くということは
別においしさを保証するわけではないけど、おいしくなかったら
読者としてはやっぱり残念)


以外性のある、リアリティというところを
狙ってるともとれる、感じでしょうかね


食いしん坊としては、おいしいなにかのネタ
それも庶民が手が届くところで、面白い
これは、小説にしちゃっていい、というか、こんな面白い
ネタって、そんなめったにないだろうとも
想像します


作家さんは、自分のまわりで仕事してくれる、編集者だとか
(原田ひ香さんは、そのほかにも漫画家さんとかいるようです)
そういう人と、きっと、食事をしたりがあるのだろうと
想像します
そのときの、食事の内容だとか、その食事に関わる会話とか
覗いてみたい、そういうことを、真剣に思ったりします

パーティの楽しみ方

パーティの楽しさ
人と人が知り合う
そういうだけで、楽しいなと思います
知り合うというのは、実際すでに顔は知ってるということでも
その人の、持ってる何かを知るこれは楽しいこと
といっていいと思っています


なにを知るのか?
それは楽しみ方を知るといっていいいですね
ときどき、まだよく知らない人にする質問
「休日はなにをしていますか?」
好きなことをしてることを、いきいきと語ってくれると
それだけで、うれしくなります


先日、社員が集まって自宅に来てくれた時に
休日なにしていますか?という質問に、複数の人がyoutube
時間使いますということを言っていて、「やっぱり」だとか
「ああ、ありがち」みたいな印象になりました


youtubeを全部否定するわけではないし
特にちょっといいなだったらそれも、利用すればいいねは
思ってることです
だけど、やりたいことの一番がそれ、みたいなことになると
それでいいのかな?みたいにも思ってしまいます


パーティの楽しみ方
おいしいものを、わいわいいいながら食べるということ
おいしいものを、仲のいい人としゃべりながら食べれば
これは楽しいこと、いい時間になること、間違いないですね


今年、我が家でやったパーティのメニューのいくつかの例

鶏のから揚げ コロッケ サラダ

ピザ (サラミ、玉ねぎ トマトソース)(高菜)(キノコ2種類)
和風ポトフ

オープンサンド(ハム3種類)(スモークサーモン)(ディップ(スモークサーモンと
クリームチーズ))(ポテトサラダ)

どれも、若い人は好きかなと選んだメニューです


から揚げやコロッケは、こうしたときの定番と思いますし
ピザは、ほぼ、誰に聞いても嫌いというのは聞いたことが
ないですね


パーティの楽しみ方
話す、ですね
いろんな話ができたら、うれしいですね
できれば、オープンなこと、自分のことも相手のことも
くったくなくしゃべれたら、いい感じです


自宅でパーティをすると、だいたい、7,8人までが限界と
思っています
5人、6人くらいが、ちょうどにぎやかだしいいなはあります


いい季節になってきました
こういう季節が近づくと、外でBBQなんて連想が
すぐ浮かびます
外で食事ができたりしたら、すっごく楽しく、リラックスした
ものになるんじゃないかって、思いますね