俺物語っておもしろいよね!!!そんな俺物語に1mmも関係ない俺の去年の就活物語

 いきなりですが、去年の就活の話をします。ええ、します。問答無用に。

 

 発泡酒を飲みながらグダグダしつつ、去年の就活について書きますよ。書かせてください。 

 

 まぁ、今年も就活なので去年の反省をまとめるという意味で、去年の就活を総括したいと思います。

 

 去年は、1社しか受けませんでした自分は。もうここで、他の学生よりも努力の痕跡はゼロですね。大学院に行こうかなと学部2年生の後半から漠然と思っていましたが、そこんとこを鑑みても、こんなにも自分が就活をしないとは露にも思いませんでした。

 

 何でこうも就活をしなかったのかなと考えてみました。その中で、特に自分が行き詰っていたのは、「何で働くのか?」という疑問に答えられなかったという点でした。今、冷静に考えると究極に甘えた考えだなと思います、多分。

 

 それでも、1社だけ今流行りのエントリーシートを書き提出しました。自分が今までやってきたサッカーに少し関係するM社という企業でした。

 

 エントリーシートが通り、一次面接に運よくすすめました。学歴による恐怖の足切りがなかったこと、それだけで、その企業への印象は上昇しました。ただ、上昇したからと言って、その企業の商品を購入するわけではなかったのですが。

 

 一次面接はあの大都会東京で行われました。田舎出身の、さらには田舎の大学に通う自分からしてみれば、魔の都市「東京」です。未開の地並みの恐怖心しか抱けない東京での面接です。おこがましい注文で、恐縮なんですが、東北の田舎に住む学生としてはせめて仙台にしてくれよと、思います。

 

 慣れない大都会東京に夜行バスで行き、朝6時半に東京駅に着き、そこから試験会場のある場所まで電車で移動し、時間がかなり空いていたのでマックで暇を持て余しました。

 

 周囲には、朝早くから出勤する人々の姿があり、朝マックで食事を済ませる人、マックで新聞を読む人、マックで勉強する人、マックでビジネスの話をする人(マンションがうん千万円だと商談していましたこの時は)、マックで失恋話をする人など、マックにしかいなかったのでマックに居た人の話しか書けないのですが、明朝のマックでこんなにも多種多様な人が、カオスな話をしているのは東京ならではだと感じました。

 

 色んな人がいるなと思っていたら、面接の時間が近づいてきたので、面接会場に行きました。田舎から出てきた身としては、面接会場を探すことだけでも重労働でした。なんたって、同じようなビルしかないんですもん、東京は!!!

 

 迷いながら面接会場に無事着き、同じ企業の面接を受けるであろう学生が一挙に集められた控室に案内されました。周りは敵だと自分に何回も言い聞かせ、まるで、反抗期の中学生のように敵意をむき出しにして辺りを見渡し、勝手にこいつは「これこれこういうやつだな」と決めつけて、心の安定を保ち、面接の順番が来るまで待っていました。

 

 自分の名前が呼ばれ、「うわー、一人でおっさんの相手できるかなー」と思いつつ、面接室に赴いたら、普通に集団面接で、さらにおっさんではなく綺麗なお姉さんが面接官でした。

 

 面接はおっさんという偏った常識を持っていた自分は、いい意味で期待を裏切られ、逆におっさんを想定したシュミレーションで何度も脳内面接を行ていた自分は、綺麗なお姉さんに戸惑いを覚えつつも面接に臨みました。自分を含む「ゆとり世代」の真の恐さを知ることになろうとは知る由もなく………!!!!

 

 ということで、続きは明日か、明後日に書きます。発泡酒飲んでしまって眠いんで。

 

 後、少女マンガの「俺物語」が面白いって最近つくづく感じました。蛇足ですが。猛男と大和ちゃんの関係は、今の時代には珍しい、天然記念物的な関係だと思ますが、そこに妙に惹かれる自分!!!気持ち悪!!!

 

 

 

 

イブラヒモ・ビッチって正直規格外のプレーヤーですよね

 今年もあと3か月で終わるという衝撃の事実に、こんな夜中に、いやむしろこんな夜中だからこそ身震いしています。

 

 いやー、こんな時間に冷静になって考えるというのはかなり危ない行為ですね。嫌なことばかり頭の中を駆け巡ってしまいます。

 

 こんな体たらくな自分にも越えられなければならない、絶対に負けられない戦いがそこにあります。

 

 どこにだよって?そりゃー就職活動ですよ!!!今風の言い方にすると就活ですかね?

 

 もう後3か月もしないうちに始まっちゃいますよ。地獄の就活と言われているものが!!!

 

 去年は勿論ほとんど就活をしなかった自分。1社しか面接を受けていません。なので、今年から就活を体験する学部3年生とほぼ同じ立ち位置、スタートライン。さらには、院生ということでより就活が厳しく(ネットで観た感じなので実際は分かりませんが)なるのではという不安感が、終わらないジェットコースターの様にぐるぐる頭の中を巡っています。

 

 まぁ、悩んでもしょうがないんで、就活関連の本を読んだりしているんですが、いまいちピンとこないのが現状です。

 

 去年もだったのですが、自分が何になりたいのか、何をしたいのかがまったくもって明確になりません。濃霧です、頭の中が濃霧です。視界不良です。

 

 視界不良の中でも、負けられない戦いであるということは認識できているので、昨日の日本代表のグアテマラ戦のように(観てないのですが)、勝てることを祈りつつ、今後も考えていきたいということにしておきます。

 

 そのうち去年面接を受けた時のエピソードを乗っけたいと思います。去年の1回限りの面接が非常に愉快だったので色んな意味で!!!

 

 読み返してみて非常につまらん内容で、時間も相まってか吐き気をもようしました。

 

 あー、イブラヒモ・ビッチになって、テコンドーシュートを決めてみたいと思いながら寝ます。

 

 

最近始めたサッ、サッ、サッの話

いやー久しぶりにブログを書こうと思ったのですが、書くことないですね。

 

常日頃から何かをやっているわけでもなく、ハプニングが生じるわけでもなく、ダラダラと一日一日を過ごしている今現在。

 

まずいです、この状況は!!非常にまずいです!!!!!

 

朝起きて、研究室に行き、ダラダラ自分のやりたいことを勉強し、時に調査地に赴いて、調査を行っているだけで、日常に大きな変化が起こるわけもなく、終いにはお盆の気分が抜けずここ2週間余り、勉強もしないという体たらくっぷりでは、人生に色が付かないというかなんというか。

 

大学4年前半までは、否が応でも部活があり、2時間くらい汗を流し、その後、ご飯やお酒を飲みに行ったりして、お金ないとか言ってましたが、今の暇な状況よりも何十倍もマシだとひしひしと感じています。

 

こんな日々を送るのは、生きながらにして死んでいる(チャンピオンでやっているバチバチって漫画にこんなセリフあったな)と同じなので、ついに始めました。ええ、ついに、自分は始めることにしたんですよ。それは、サッ、サッ、サッ

 

         水泳

 

を始めることにしました。高校以来ということで、約5年ぶりくらい、本格的にやっていた小学校から数えると、約10年ぶりくらいになります水泳やるの。

 

歩いて10分かからないくらいのとこにある市営プールに今現在、週2、3で通おうと思い、こないだ初めて行ってきました。

 

いやー、本格的な練習を行っている小中学生をしり目に、一番端っこで約10年ぶりくらいに本気で泳ぎました。最初にどのくらいのタイムで25m泳げるかやってみたんですよ、そしたら、20秒かかりました。遅いッ、非常に遅いッ!!!!!!!!!!!!

 

高校のときは大体15秒くらいなので、5秒も遅くなってました。隣の中学生なんて、50mを30秒かからないくらいで泳いでるんですよ。もうね、ぶよぶよになった腹をつまんで、ただただ浮かぶしかなかったですね。

 

自分の水泳力が低下したことに落ち込みつつも、460円の元を取るために、約1時間泳ぎました。50mも泳げなくなっていて、途中から、腕が上がらなくなって溺れそうになって、小中学生が平然と泳いでる中顔を真っ赤にしながらやりました。

 

今後も、小中学生が平然と泳ぐ中を必死こいて顔を真っ赤にしながら泳ぎ、いつの日か小中学生から茹でダコってあだ名を付けられ、都市伝説化することを願いつつ、今後も足しげく通おうと思います。

 

 

 

 

コンフェデレーションズ杯はネイマルーによるネイマールのための大会だった

 昨日、やることが山積みなのに早めに帰って、コンフェデの決勝を観ました。

 決勝戦は生放送ではなかったのでブラジルが3対0でスペインに勝ったということは知っていたのですが、どうしても無敵艦隊がどのように撃沈されたのかをみたくて、ゼミの資料作成そっちのけで帰って観ました。ええ、観ましたとも。

 というか、なぜに3位決定戦は生放送で、決勝が録画なのかという?そんな疑問はさておき、ブラジルが3対0で勝ったのもうなづけるゲーム内容でした。

 ブラジルは中3日、スペインは中2日、そしてブラジルのホーム、長距離移動や暑さなど、スペインにとっては不利な状況という感じらしいのですが、それにしてもブラジルの強さは際だっていたと思います。

 特に、あの守備が自分は賞賛に値するのではないかと思います。ブラジルと言えば、その攻撃力が注目されますが、この決勝では守備の硬さが際立ったのではないかと。

 前線から中盤にかけてのハイプレッシャーは脅威そのもので、しかも非常にバランスが取れた守備だったと思います。常に、ブラジルの選手がスペインの2選手をみれる位置に立ち、どちらにパスが出てもプレスを掛けられる立ち位置にいたのが印象に残っています。そして、徹底的にスペインの中盤に入ったらシャビ、イニエスタをつぶしにかかり、なおかつボールを奪取する。奪取した後は、素早く攻撃に転じるという一連の流れがもの凄くハイスピードで、思わず「あぁ~、これは勝てないはー」って呟いていました。

 この守備における徹底が試合終盤まで維持されていたのは、ブラジルに守備のイメージがない自分からしたら「おいおい、どうしたブラジル、別の国か」という感想を持たざる得なかったです。

 まあ、攻撃に関しても個人の能力が高くて魅力的なサッカーだったと思います。そんなブラジルの中でも、ネイマールは別格だと思いました。もう何なんでしょうかねあのブラジル人。止めるの無理でしょ。ノンストッパブルだろと。ピケが足出して止めざる得なかったのも、そのことを物語っているような気がします。

 元気いっぱいのブラジルに対してスペインは、コンディションが悪いせいか、グダグダ感が否めませんでした。いつもなら、選手間の距離がもっと近い印象だったんですが、シャビやイニエスタに入っても、距離が遠く、スペインの強みの小気味良いパスが繋げず、ブラジル選手に群がられ、ボールを失う場面が多かったように思われます。

 統率がとれたなかでの派手なショートカウンターを、意図も簡単にゴールに繋げられる今のブラジルを、倒せる国はあるんでしょうか?

 というよりも、キレキレのネイマールを止めることができる国があるのでしょうか?

 観終わった後に、どう戦ったら勝てるのかなとか、ネイマールどう止めたらいいのかなとか考えてたんですけど、全く思いつきません。もうね、世の名監督がどう攻略するのかが楽しみです。

 

 一日でいいからネイマールになって、サッカーしてみてーと節に思った、コンフェデ決勝でした。

 

 ネイマールにもし会えたら、

 

   「一日でいいから、その体交換してくれない?」

 

と流暢な日本語で拝み倒し、もし仮に交換することができたなら、かわいい子をはべらせたいと思います。

 

 

 

 

サッカーを始めたおかげで、乳輪がデカくなった中学時代に向けて

 新年あけましておめでとうございます。ええ、かなり遅いご挨拶ですとも、ええ。

 

 1月は卒論に追われ(今もですが)、2月は卒論発表の準備に追われる毎日です。

 

 正直、卒業できるのか不安で仕方がないので、自分が中学に入学し、サッカー部に入ったときのことについて書きたいと思います。

 

 かなり前のブログにも書いたのですが、自分は小学6年の時に、160cm、60㎏とかなり体の大きい、つまりはデブな小学生でした(*髪型は2002年に流行ったベッカムヘアー)。

 

 160cm、60㎏でベッカムヘアーですから、もうね、北斗の拳の「あべしっ、ひでぶ」といった奇声を発しながら絶命する雑魚キャラみたいな風貌でした。

 

 そんな彼が、中学に入学することになり、部活をやることになります。

 

 もちろん、バティストゥータに憧れていたので、サッカー部に入部することになります。

 

 サッカー初心者であった彼は、部活というものがどのようなものなのか、全く分からなかっただろうと思います。

 

 なぜなら、休日の部活にサッカーソックスを履いて、さらにはスパイクを履いて学校に向かうという暴挙をやってのけ、部活の人たちをドン引かせたくらいですから。(*スパイクの底が削れるので、コンクリートの上では履かないのが恐らく常識です)

 

 思春期まっただ中だった彼は、かなりの恥をかき、恐らくプライドがズタズタだったでしょう。

 

 恐らく私も、160cm、60㎏のベッカムヘアーの男の子がそのような格好で街を歩いていたら、鼻で笑って、「コンクリートの上でスパイクは履かない方がいいよ」と言うと思うので、同級生たちの反応はごく自然であったと思います。

 

 彼が入部したときに、サッカー経験者が10人おり(うち一人は女子でした)、初心者は彼を含め2人でした。

 

 彼は、初心者ということから、練習に参加させてもらえず、フェンスに向かって寂しくボールを蹴る日々が続きます。

 

 毎日3km走り、ボールをフェンスに向かい蹴り、シュート練習のボール拾いをし、同級生が練習に参加している姿を悔し気持ちで眺める毎日は、さぞかし辛かったことでしょう。

 

 160cm、60㎏の恨めしい気持ちで練習を見ていたとしても、「お腹が減っているんだな」としか思ってもらえなかったんだと思います。

 

 そんな彼には仲間がいました。もう一人の初心者です。もう一人の初心者に、彼は強い同族意識があったと思ます。

 

 なぜならもう一人の初心者もかなりの巨漢で、彼よりも太っていたのですから。

 

 恐らく、もう一人の初心者も、彼に同族意識を持っていたのでしょう。

 

 二人は気付かぬうちに、一緒に帰る仲になっていました。

 

 しかし、そんな同族意識も音を立てて崩れ始めます。なぜなら、ベッカムヘアーのデブが見る見るうちに痩せていき、160cm、48㎏になってしまったのです。

 

 ベッカムヘアーのデブは、毎日走り、ボールを蹴るだけで、たった2が月余りで、12㎏も痩せたのです。

 

 もう一人の初心者は、ほとんど変化していなかったので、元ベッカムヘアーのデブの中からデブという共通意識が、同族意識が消えていきました。

 

 デブだったベッカムヘアーは痩せたことで、もう一人の初心者を、仲間であったもう一人の初心者を、知らず知らずのうちに裏切ってしまいました。

 

 この事実に彼が気付くのはそこまで遅くなかったと思われます。彼は人生において初めて裏切り行為をしてしまったのです。

 

 この裏切りはとても深い罪であり、彼の身体にその代償を負わせました。それは、急激に痩せたことで、人よりも乳輪が2.5倍ほど大きくなるという何とも恥ずかしい身体になるとう代償です。

 

 この人よりも2.5倍ほど大きい乳輪を胸に刻みながら彼は、後の人生を歩むこととなり、人前で着替える時には、女子みたいにタオルを巻くという宿命を背負うこととなりました。

 

 そんな彼ですが、中学時代から9年余りが経ち、今では乳輪のデカさをネタにし、笑いを取り、人々を幸せにしています。

 

 そんな人を幸せにする乳輪に送りたい言葉があります。

 

        乳輪本当にありがと

 

 まぁ、神様に「君の身体の一部を理想の形にしてあげるよ」と言われたのならば、速攻で「乳輪小さめで」とお願いしますが。

 


 

最高の男ロナウジーニョは歯が出ていた

 卒論ゼミが終わり一段落着いたのですが、プレゼンテーションって難しいなってつくづく思わされる一日でした。

 

 何を言いたいのか、何を強調したいのか、落ちは何なのかなど色々考えながら話すって不器用な自分にとっては困難そのものでしかありません。

 

 なので、サッカーチームのFCバルセロナについて語りたいと思います。ええ、語ります。

 

 自分がFCバルセロナの試合を始めてみたのは、サッカーを本格的に始めた中学1年の時でした。

 

 実家ではWOWOWと契約しており、そのWOWOWではリーガエスパニョーラを定期的に放送していました。

 

 サッカーを始めたばかりだったので、夢中になって観ていたのを覚えています。

 

 Jリーグよりも試合展開にスピード感があり、かつ魅せるプレーがリーガエスパニョーラにあると当時は感じていました。

 

 中学時代のリーガエスパニョーラは、レアルマドリードジダンベッカム、ロナウド、フィーゴ、ロべカルという名だたるスパースターが在籍しており銀河系軍団と呼ばれ、FCバルセロナにもロナウジーニョ、デコ、エトーと一時代を築いたスーパースターが在籍し、その他のクラブにも、バレンシアアイマールなど有名なプレーヤーがおり、今思えば本当に豪華なリーグでした。

 

 そんな中で一番のお気に入りのチームはFCバルセロナでした。アルゼンチン以外のチームを、しかも国ではないクラブチームを応援しだしたのはFCバルセロナが初めてでした。

 

 FCバルセロナで印象に残っているのは、やはりロナウジーニョです。

 

 写真の人物がロナウジーニョです。魅せるプレーをさせたらサッカー界でも超トップクラスの選手です。

 

 最初、ロナウジーニョをみた時は、「この出っ歯上手いのかよ」とかなり失礼なことを思っていました。

 

 しかし、そんな失礼な考えをすぐに払しょくするようなプレーをロナウジーニョがやってのけ、愛犬に「あいつはただの出っ歯じゃない、すごい出っ歯だ」といつの間にか呟いていたのを覚えています。

 

 特に印象に残っているプレーが、2005年のエル・クラシコで、現スペイン代表DFセルヒオ・ラモスをあっさり抜き去り、ゴールを決めたプレーです。今でも容易に思い出せます。

 

 そんな凄いプレーを連発する、ロナウジーニョに夢中になった自分は、彼のプレーをよく真似していました。

 

 恐らくこの当時のサッカー少年ならば誰もが、エラシコやあからさまなノールックパス、背中パスなどのロナウジーニョのスーパープレーを真似していたと思います。

 

 練習しても全く上手くいかなかったのですが、それでもロナウジーニョを真似して練習したという過程は無駄ではなかったと今では思えます。

 

 スーパープレー以外にも真似していたものがあります。それは彼のサッカーに対する態度です。

 

 ロナウジーニョは試合の際に、どの選手よりも楽しそうに、心からサッカーを楽しんでいるのが伝わるような、そんな態度でプレーしていました。

 

 常に笑顔でプレーし、厳しいタックルにあっても、上手くいかなくてもロナウジーニョはほとんど笑顔でプレーしていました。

 こんな感じの陽気な笑顔でプレーしていました。サッカー界の「微笑みの貴公子」ですよ、言うならば。

 

 そんなロナウジーニョのプレー態度を見習わねばなという、本当に単純で新鮮な気持ちになったのを今でも心なしか覚えています。純粋だった自分はそう感じていたに違いありません、違いないではずです。

 

 笑顔を意識しすぎて、監督やチームメイトから「へらへらすんな、気持ち悪い」という辛辣な言葉や、他のチームからも「あいつやばいぞ」と心にもない言葉を浴びせられたのは決してロナウジーニョのせいではないです。

 

 そんな、ロナウジーニョも現世界最高峰プレーヤーのメッシの台頭とともに、バルセロナを追われるように退団していきました(確か、練習をサボる常習犯だったから、グラウディオラに首にされたとか言われたいた気がしますが、メッシに追われ退団したことにしときましょう)。

Lionel Messi at Bernabeu.jpg

 写真の人物がメッシです。

 

 今現在最高のプレーヤーのメッシが初々しくプレーし、ロナウジーニョが活躍していた時代のFCバルセロナが、観ていて一番楽しかったなと今では思います。今のFCバルセロナも完璧に近いサッカーで楽しませてくれるのですが、ワクワク感がちょっと薄いです。かなり主観的ですが。

 

 そんな、凄い時代のFCバルセロナを中学時代に観れたのは、本当に幸運だったと思います。

 

 もし、ロナウジーニョに逢えたら、「俺の中では、あんたが一番最高のサッカープレーヤーだ」と恥ずかしげもなく、日本語で言いたいと思います。

 

 やっぱり、ロナウジーニョは最高のプレーヤーですよ。出っ歯だけど!!

 

 

 

 

 

カルロス・テべスと自分の相違点

 今日もこんな時間まで、ダラダラとゼミの資料作りおよび卒論に関して、うだうだと作業をしております。ええ、しております。

 

 こんな時間になるまでやる気が出ない自分に腹が立つので無性に、カルロス・テベスについて書きたくなりました。なので問答無用で書くことに決めました。

 

 tevez13tkと書いてある通り、tevezの部分はマンチェスターシティに所属するアルゼンチン代表のカルロス・テベスから拝借しています。

 

 

 上記の写真がカルロス・テべスです。身長173cm、体重75㎏と小柄でがっちりとした体系の、いわゆるずんぐりむっくりな選手です。

 

 彼は、確か2004年のアテネオリンピックでUー23アルゼンチン代表として出場し、大会を通して8得点を挙げ、アルゼンチンを優勝に導くとともに、得点王に輝くという成績を残しています。

 

 彼がアテネオリンピックで活躍していた当初自分は中学2年生でした。

 

 当時の自分は相も変わらず、アルゼンチンを応援しており、この天才カルロス・テベスがアルゼンチンを優勝へと導いた時には「このおっかない顔した奴、半端じゃないな」と失礼な感心をしていたのを覚えています。

 

 このアテネオリンピックの活躍から自分はカルロス・テベスにはまりました。彼が載っている雑誌は立ち読みか、買って熟読するほど彼について調べていました。

 

 しかし、直ぐにユーロ2004が始まり、当時17歳だったかのクリスティアーノ・ロナウドの活躍に心移りし、背番号を17番にするなど、カルロス・テベスとは何だったのかという状況になっていました。

 

 そんな薄情な自分が再び、カルロス・テベスのもの凄さに気付いたのは、高校に入ってからでした。

 

 テベスがマンチェスターユナイテッドに在籍していた時の試合をたまたまTVで観ており、「相変わらずおっかない顔してるなテベス」とまた、失礼なことを感じながら観ていたのを覚えています。

 

 ぼーっと観ていると、テベスがもの凄い形相で、前線からDFに対してプレッシャーをかけており、「おいおい、マジかテベス、マジか」と多分呟いていました。

 

 当時、DFからFWにポジションを変更していた自分は、必死にボールを追うテベスの姿に、自分の考えが間違っているということをまざまざと見せつけられたような気持でした。

 

 長距離を走ることが大嫌いというサッカー選手らしからぬ性格の自分は、試合の時は全く前線からのプレスを掛けず、省力プレーを心掛けていました。今となっては恥ずべき行為だったと2割くらい反省しています。

 

 そんなさなか、かつてアルゼンチンを優勝へ導いた天才がかの名門チームで必死こいてボールを追いかけ、奪う姿を観た時にはもうね、近くにいた飼い犬に思わず謝っていました。なんでだよ!!

 

 犬には謝ってないですが、その次の日からボールを必死に追いかけるようになりました。大学に入ってまた、プレースタイルが変わるのですが、それまで必死に追うカルロス・テベススタイルを体力がある時はずっとやってました。

 

 そんなこんなでカルロス・テベスを自分は尊敬し、敬愛しています。そんな自分とカルロス・テベスの共通点を挙げたいと思います、勝手に!!

 

カルロス・テベスの特徴(自分の考える)

1. 小柄ながら体が強く、力強いシュートを打つ。

2. ドリブルやパスのテクニック、独創性が半端ない。

3. 前線からでも必死にボールを追う、泥臭い。

4. 悪童と言われるほど、素行が悪かった(娘がおり、今は良いパパ)。

5. 顔がおっかない(小さいころの火傷、この火傷に関する話は泣ける)。

 

*tevez13tkの特徴

1. 比較的体が大きいがそこまで体は強くない、力強いシュートは打てない。

2. ドリブル下手、パスは言わずもがな、独創性は皆無。

3. 前線から必死でボールを追う時期もあったが、今は追わないし、泥臭いの嫌い。

4. 悪童とは無縁の素行、態度(娘もいないし)。

5. 顔はNHKアナウンサー似。おっかなさとは無縁。

 

 いやーまったくもってテベスとの共通点はないですね。やっぱ、カルロス・テベスは偉大だということが、今回書いてみて分かりました。ええ、分かりました。

 

 

でも、

   やっぱり顔はおっかないよ、テベス

 

 

 

 

*参考

 今回、写真や身長体重は

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9

 と

http://www.weys.net/php/viewtopic.php?f=63&t=115

 から参考、掲載させていただきました。勝手なことしてすいません。