ザリガニはさきいかに寄るべきか

子供の詩が紹介されていた。

「ざりがに」

ざりがにになったら

川とかで

さきいかがあっても

よらないようにする

しかけかもしれないから

この小学2年生の詩を読んで、はたと考えさせられた。

今まで自分は、さきいかに寄っていかない人生を歩んでいた気がする。そのおかげで、多くのトラブルから逃れられたのも事実だろう。でも、美味しいさきいかを見逃してしまったことも多々あっただろう。

 

餌のさきいかに寄らない慎重さと、

ご馳走のさきいかに飛びつく勇気と、

餌のさきいかとご馳走のさきいかを見分ける知恵と、

を我に与え給え。

 

togetter.com

 

2016参院選・記録

特に支持政党のない自分にとって、誰に投票するのかは選挙のたびに難しい問題である。特に近年は、どの候補者・政党も魅力を感じないので選択に困る。今回もどの党にも積極的に投票する理由は見いだせなかったが、消去法的に公明党を選択した。

まず、現在の自公連立内閣はいろいろと問題を抱えてみるようにも思えるが、経済重視の姿勢を打ち出している点で評価できる。経済的に貧しくなれば、争い・暴力が避けられず、平和のためには経済力の維持が欠かせないと考える。

格差の拡大の問題もあるのは分かるが、では野党に経済運営を任せられるかといえば、それは恐ろしすぎる。したがって、基本的に現状維持を目指したい。

ところが、自民党憲法改正に対するスタンスには同調ができない。個人的には、憲法改正に反対ではなく改正すればよいと思っているし、9条を変えることもタブーではないと思う。しかし、自民党の改正案では、人権を制限する方向をめざし、憲法が国家を制限するのではなく国民を制限する方向を目指している点は許すわけにはいかない。

今回自民党が圧勝したとしても、即座に憲法改正につながるわけではないが、このような改正案が支持されたと思われたくはない。

そこで、消去法的に公明党を選択する。政策自体バランスが取れていて特に悪く話さそうに見える。憲法改正に対するスタンスも頷けるものである。最大の懸念は、政教関係であるが、近年は創価学会の影響も薄れているように思える。もっとも、怖さを感じないかといえば嘘になる。そこだけがネックであるが、一番ましな政党として今回は公明党を選ぶことにした。

その他の政党についても少し。

共産党は主張していることはまともなことが多いと思う。過去にも、政権党への反対意思を表明するために投票したこともある。しかし、今回は基本的に現政権支持と思っているので、共産党には入れない。

「支持政党なし」党は、法案採決の際に国民のネット投票の結果にしたがって投票するという画期的な方針を掲げている。このアイディアに魅力を感じないわけではないが、実施できそうには思えないことと、代表者が胡散臭すぎる。また、政治イコール投票という考え方は、議論を通じた意思決定の重要性を放棄している点でも評価できない。

以上のように消極的な理由ではあるが投票先を選択した。将来のために、今回の選択とその理由を書き残す。将来の自分が後悔していないことを祈って。

特許制度のない世界

特許制度は発明を保護し一定期間の独占を許すことで発明を奨励するとともに、発明内容の公開を促し、最終的に社会全体の発展を目的とするものだという。この考え方には一理ある。

しかし特許制度のせいでパテントトロールによる訴訟や多くの侵害予防調査、膨大な特許出願など社会が払っているコストが多いのも事実だろう。

特許制度がある世界とない世界のメリットデメリットを実証実験で比較することは不可能だと思うが、デメリットの方が大きいということはないだろうか。もしそうだとすると特許制度は廃止の方向に進んでいくべきだ。

もしそうなったときに、社会はどう変わるだろうか。

その変化は個々人にどのような影響を与えるだろうか。

ドルチェグスト

少し前にネスカフェのドルチェグストというコーヒーマシンを買った。 

 カプセル式で手軽に飲めて、しかも美味しい。カプセルもたくさん種類があって、気分に合わせて好きなものが選べる。いろいろ試したが、お気に入りの1番はレギュラーコーヒーで、2番目はチョコチーノというもの。

レギュラーコーヒーは 1箱16杯入り900円くらいなので、1杯55円くらい。チョコチーノは1杯にカプセルを2つ使うのでその倍で1杯110円とか。

決して安いわけではないけど、かといって高いわけでもない。

 正直ここまで美味しいとは思っていなかった。ここのところ毎日2,3杯は飲んでいる。

 

 

物理学の本を読む

最近、物理と歴史の本を集中的に読んでいる。まずは物理の方について書いてみたいと思う。

私はもともと理学部出身であるが、大学卒業後に就いた仕事は大学で学んだこととはほとんど関係なく物理からも遠ざかってしまった。たまにブルーバックスや読み物系に手を出すだけで、きちんとした本を読むようなことはなくなっていた。

それがここ最近は物理学の教科書を少しずつ読むようになった。ブログ「とね日記」を読んだのがきっかけだ。この方は物理・数学の本を大量に読まれてそれを記事にしており、最近は「300冊の理数系書籍を読んで得られたこと」という記事を書いている。

私がこのブログを初めて知ったときにはまだ300冊にはなっていなかったが、それでも200冊以上は読まれていた。そして私はこの数に衝撃を受けた。

研究者ではない人がそんなに読めるのか。それまでなぜか私は、物理や数学の教科書は時間をかけて読むようなものだと思い込んでいた。1ヶ月あるいは数ヶ月。いやきちんと理解するためにはもっとかかるかもしれない。そう思い込んでいた。

しかし、数年で200冊も読むということはそのような読み方はしていないはずだ、流し読みのように物理の本を読んでも良いんだと、その時の私は失礼にも思った。考えてみれば、私は物理以外の分野、たとえば歴史・科学哲学・社会学などでは専門書に近いような本を、分かった気になって、いや分からないままに読み進んだりしてきた。だったら物理や数学であろうと全て理解できなくても、どんどん読んでいっても良いだろう。読書は自由だ。そう思ってから気が楽になって物理の教科書も読むようになった。

なお、「とね日記」さんのブログ記事をきちんと読んで、この方はすごい人で、上に書いた第一印象は私の失礼な勘違いだったと今では思っている。でも勘違いのおかげで、物理のおもしろさを再び楽しめているので、このブログとの出会いそして自分の勘違いに今ではとても感謝している。

ごめんなさい、そしてありがとうございまず。