裏ブログ
裏側に隠された、人生のヒントを掴み取る。
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「このブログは何?」
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この裏ブログは、哲学者「相良章智」(さがら ゆきと)が書く、
世の中の人物・できごとを
オンリーワンの視点で読み解いていこうとするブログです。
私は、哲学・心理学・人相や科学的視点から、
ものごとの「裏側」を見ていきたいと思います。
☑ 出来事を見、その本質を知ろうとすること。
☑ 人物を見、その心理を理解すること。
裏ブログは、出来事の裏側に興味がある方、
人の「本音」を知りたい方に、
楽しんでいただける内容にしたいと思います。
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「このブログのテーマは?」
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裏ブログのテーマは三つです。
・人がどういうタイプに分類できるのか
・人がどういう流れで行動するのか
・どのように人生を生きていく道があるのか
どれも、自分の人生にとって、大切なことではないでしょうか?
私はそう思って、このブログを書いています。
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「どんな人が書いてるの?」
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私「相良章智」は、職業柄、今まで1000人以上の人と対面してきました。
そして、その人たちの生き方を解析するのが私の仕事でした。
人によっては、その人の目を覚ますようなアドバイスを提供してきました。
その過程で手に入った、「人の心」における膨大な量のデータと統計があります。
裏ブログを通じ、そのデータを大きな世の中に当てはめて、
より磨きをかけてみたいと思います。
そこから、人生のヒントをつかみ取り、
このブログに書いていきたいと思います。
おもしろそうだと思った方は、
これから裏ブログに、読むだけでメリットになる記事を書いていきますので、
ぜひご期待ください。
それでは、裏ブログの記事のほうでお会いしましょう。
よろしくお願いします。
私が生まれ変わった体験談「自分を変えること」
⭕️私が生まれ変わった時の話をしましょう。
私はかつて、自分は肯定的でポジティブで、活動的な人間であると思い込んでいました。
人よりも、活発だし、生産的な能力に比較的長けていたからです。
何かの組織で仕事していても、人より比較的活躍できることが多い人間でした。
にもかかわらず、あがいても、動いても、理想に近づいている実感がなかったのです。
動いてるけど、これで良いのか?という、不安に常に苛まれてきました。
その時期、大いに私は「焦り」に苦しめられました。
今回話す「否定的想念」とは、他ならぬ私自身が、その時に気付かされた内容です。
かつての私は、
世の中で、「新しい何かを作る人」「現実的な結果を出せる人」と、「自分」の間に、超えられない一線のような、何かを大きな壁を自分の中に感じていました。
世の中で新しいことができる人、
何かを生み出せる人というのは、すなわち、
誰もやらないこと、やろうとしないことを始められる最初の一人、ということに他なりません。
言い方を変えれば、
誰からも評価されなくても、
己のやるべきことに確信を持ち、
実行できる人間のことです。
組織に依存せず、
己の信念を貫ける人。
それが、最初の何かを貫ける人物であることは間違いありません。
私がなりたかったのは、そういう人でした。
今の世の中にある様々な矛盾に対して、「何かができる人」になりたかったのです。
でも「なれなかった」のが、私の現実でした。
私の求めている理想は、心の中にある「壁」を「超えた先」にあるということもわかってはいました。
どうすればその「壁」を破れるのか、
わからないなりにあがいてはいました。
人と話しし、経験を積み、本を読み、
その過程で、
哲学、格闘技、音楽、絵などの表現など、
自分が思いつく限りの「能力」を、思いつくがままに身につけていきました。
しかし、そのどんな「能力」をもってしても、その壁は破れませんでした。
なぜか?
その答えは簡単です。
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あるドライバーがいたとします。
性格に問題があり、事故をしてしまうので、目的地にたどり着けないドライバーでした。
乗っている車を改造して、どれだけ性能をあげてたとしても、
運転手が変わらなければ、目的地には正確にたどり着けないことになります。
結局、ドライバー=自分の心の形(行動原理)が変わらない限り、仕事でも、人間関係でも、自分の目的達成においても、何をしても同じ結果にしかならないと言えます。
「今の自分」がいる限り、「理想の自分」には永遠になれない。
それが、私のたどり着いた絶望でした。
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(ここから本題です)
当時の私にとっての「自分の壁」それは、
「プライド」…できている自分を守りたい、維持したい
という心の働きを背景にした、「自己保全」と「否定的想念」でした。
その心こそが、私の可能性を潰し、行動を制約する最大の悪魔でした。
できていない自分を認められない。
できている自分でないと、価値を感じられない。
そんな、本質的な「自信のなさ」。
潜在意識にうごめく、劣等感の渦。
それに飲み込まれたくないが故に、私はがむしゃらにあがいていたのです。
気付いてみれば、1日24時間そうして生きていました。
だから、できること、やりたいこと、見栄えのいいことしか「出来ない」。
それが私の苦しみでした。
それこそが、私が「新しいことを始められる最初の一人」になれない根本的な原因でした。
「認められる」ために「動く」
「認められない」なら、「動けない」
この自分の本質に気付いた時、
私は、一切の能力向上的な活動をやめました。
なぜなら、今後私がいかなる能力や環境を得たとしても、今の自分である限りは、「自分の人生」を生きることはできない。
その真実を悟ったからでした。
それ以降、私は小手先の努力や達成に目もくれず、ただ一分一秒を自己の内側の悪魔と戦い抜く覚悟を決めたのでした。
なぜなら、私には、その「方法」が(幸運にも)示されていたからです。
そして、その選択があるからこそ、今の私がいると考えています。
あの選択、気づきは、私の人生において絶対に必要不可欠なものであったと断言できます。
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そして、今の私には、以前の私にあった、重い鎖のような不自由さはありません。
どこにいても、誰といても、「自由」です。
周りが何と言おうと、やるべきことを貫ける人間になっていると思います。
それは、昔とは比べ物にならないほどに、幸福であり、自由です。
文字通り、
世界が開け、人生が変わりました。
そして、今私は、
自分が最上の誇りと意義を感じられる仕事に対して、全力を捧げてそれを全うしています。
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あなたがどういう選択をされるかはわかりません。
ただ、私が探し続けてついに見つけた、「真の自信」の条件をお伝えしておこうと思います。
(※非常に大切なことですが、「自信」と「プライド」は、似ているようで全く異なります。「自信」がない人ほど、「プライド」
にとらわれ、そして動けなくなるのです。この辺の理論は、もしもまた話す機会があれば詳しく話します)
そして、この三つの条件こそが、「何かを変えられる人」の条件であると私は考えています。
①自分の目的に対して、揺るぎない価値を確信していること
▶️目的に対する確信
②自分の目的を達成する方法論に対して、結果が出ると確信していること
▶️方法論をに対する確信
③自分の目的のために、今までどれだけ努力し、どれだけのものを犠牲にしてきたか
▶️自己の努力に対する確信
この三つです。
この三つを備えている人間は、私が最も尊敬する対象であり、また、私がそうありたいと願う人間像です。
この私のたどり着いた答えが、あなたにとって何かを示すきっかけになればと思っています。
手帳・記録の本質 ~情報のタイムカプセル~
手帳の本質。記録とは何か
「記録」の意味。手記をとるとは何か。
私は、「記録」するという行為に対して、一つの定義を当てて理解しています。
それは、
「未来の自分に向けて、情報を送信するという行為」であるということです。
メモ帳に書いた予定にせよ、
忘れたくないアイデア張にせよ、
その行為自体は、「未来の自分に向けて送信すべき情報」と判断したものを送っている。
それが、記録という行為の原義であるといえます。
その記録の本質を踏まえるならば
手帳に物事を記す、
あるいは日記を記すという行為の価値もおのずと見えてきます。
未来の自分が使える情報を発信する。
それが、記録の定義である以上……
私は、今こうしてキーボードに向けて己の考えを「記録」するということは、
いわば、未来の自分のに向けた資産を提供しているようなものであるということです。
今の世界は、情報化社会であり、情報そのものが資産となる時代であるともいえます。
情報だけでは人は変わらない。
しかし、情報がなければ人は変えられない。
私はこのブログを通じて、
未来の自分に向けてヒントを発信していきたいと思います。
そんなブログですが、
少なくとも、私にとって価値があると感じた情報を、
ほかならぬ自分のために発信するつもりで行いますので、
価値を感じた方はぜひお付き合いください。
### 追伸 ###
さらに展開させると、
「書いたメモを見返さない」という行為。
これは、時間の流れを認識できるという、
人間の脳の優位性をどぶに捨てているような行為であるともいえるでしょう。
つまるところそれは、
「過去の自分」が、送信してきている信号を無視しているようなものだからです。
もともと、人間が、他の生物に比べてこれだけ抜きんでた発展を成し遂げたのは、
「言語」によって、世代間を超えた情報の蓄積があったから、という説があるくらいです。
言葉を操ってこそ、人間の本領であり、
言葉を通じて、経験や発想を記録・伝達することは、
叡智を蓄積していくことにほかなりません。
というわけで、このブログ自体、私も折に触れて見返しやすいようにしようと思います。
(となると、必然的にもっとレイアウト綺麗にしなくてはなりません……)