ママが乳がんになった話
著者の人となりが出るであろう第1回目の記事が、このような話で申し訳ない。
もともと鈍感というか、マイペースな人間なので自己紹介の前振りとして受け取ってもらいたい。
一応自己紹介します、ちくわんこ、19歳女です。リンクは自由に貼ってください。でも、一言貰えるともっと嬉しいです。
以前もブログをやっていたのだが、そっちの記事が余りにも雑多になってきていた。(追記でURL貼ります)
将来ライターになる訳でもなく、何らかの組織の一員として慎ましく暮らすであろう私にとっては社会的な利点も無いかもしれない。けれど、私自身の話を書いてみたいと思ったのだ。
というのが開設の経緯(建前)。
決して、どうしても読者になりたいブロガーさんがいたから会員登録をして、そのついでにブログを書いている訳では無い。
…前置きはここまでにしよう。
うちの母が乳がんであると正式に宣告されたのは、約1週間前のことだ。
昨年末の人間ドックで再検査となり、専門機関で受診したところ、国立病院の紹介状を渡され改めて検査を受けて宣告されたようだ。スーパードライな私としては、人間ドックの段階でマンモグラフィーもエコーも異常ありだったから、こりゃあかんなと既に心の準備は出来ていたのだが。
宣告の日の前の土曜日に行ったコンサートで、隣りに座る母が涙を流していたのが忘れられない。
母としてはやはり、正式に宣告された日の夜が一番ショックで、本当に眠れぬ夜を過ごしたそうだ。
その時はまだ精密検査をしていなかったので、がんの進行状況や乳がんの種類も分からず、漠然とした不安を抱えていたに違いない。
幸いにも転移はしていないようで、今はまだがん細胞は乳管に収まっているようだ。
なのだが。
乳がんというと他のがんと比べて生存率が高いと思われがちである。それは本当なのだが、リンパに近い場所でもあるために全身に転移する危険性がある、ということを皆さんに知ってもらいたい。かの有名な田中好子さんも恐らくこのケースである。
そんな訳で精密検査の結果が出てからの母は、リンパの張りに全神経を集中させて、見えない敵と闘っているようである。
食事をすることでがん細胞にも栄養を与えているんじゃないかと思ってしまい、食欲も無いそうだ。
ある朝、私は早くに目が覚めてしまったので寝室からリビングに移動してごろごろしていた。
物音を出しても誰も起きてこなかったから、みんな寝ているんだろうと思っていた。
しかし、起きてきた母に、今日は早く起きて珍しいね、と言われてしまった。
母によると、最近眠れないそうで、同じ寝室で寝ている父を起こさないように布団で過ごしていたそうだ。
母は強しという言葉があるように、病気も気を病むことも全く無い母である。
そんな母の弱気な姿を見ることが常になっていることが、今では信じられない。
その他に母が変わってしまたことは沢山ある。
日記を書けなくなったり、口の中が乾いて口臭が気になるようになった。
唯一の救いは、母三姉妹の次女である叔母が、昨年ごく初期の乳がんで摘出手術を受けたことである。宣告を受けた際にも、すぐに叔母にそのことを知らせたようで、心の支えになっているようだ。
どうしたらいいか分からない私達には、叔母の、
できることがあれば何でも言って
の一言にとても助けられている。
それなのに それなのに 末っ子の叔母は。
乳がんのことを伝えた時に、だいたい母乳をやらないからがんになるんだ、と言ったのだ。
…そんな話、どこから湧いてきたのか。
叔母(末)は、母を励ますつもりで言ったらしいが、案の定そんな風には受け取らなかった。自明。
冗談でも言って良いことと良くないことがある、と追及したのだが、その発言を訂正することはないそうだ。
さらに、大人の付き合いとはそういうことだとか、兄弟には色々あるんだとか、そのような講釈をされた。
こんな大人にはなりたくないものだ。
多分、このことは母の今後の姉妹関係に影響を与えるに違いない。
そして、叔母(末)がどんなに無かったことにしたくても、この話はこの記事で再び蘇るのだ。(突然の厨二)
皆さんも、大病をしている人に冗談を言う時は気をつけてほしい。できれば言わない方が良いと思う。(そういう話ではない)
今回は長く書いてしまったが、これからも私だけでなく、当事者である母や、家族の視点からこのことへの経過を記していきたいと思う。