東経大ワンゲル監督のブログ

東京経済大学ワンダーフォーゲル部、木俣監督のブログです。

平成30年4月21日 ワンゲル部スタート

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部員諸君へ

今日は大学の指導者説明会があった。大学の依頼に身が引き締まる思いだ。

先日新入生歓迎のコンパにお邪魔してメンバーとは面識を持った。元気あって、活気ある印象を受けた。さあどのような活動をしてくれるか楽しみだ。競技と違い指導者がそばにいることが稀だ。昔も今も自主独立を常とする。上級生を中心に我が部に魂を入れてくれたまえ。自己研鑽、チーム力を向上させ無限のアウトドアに挑戦しよう。ただ、自然を侮るな、己を奢るな。手厳しい返り討ちにあるかもしれない。

多くを知って、多くを吸収せよ。大学生活を大事にしてほしい。

興味のある人もワンゲル部は門戸開放大歓迎です!!

 

 

平成30年4月15日 かすみがうらマラソン日記

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昔の記録には及ばずとも、そろそろ4時間を切りたい。このあたりで記録を出さないとズルズルと行く気配である。何よりフルマラソン通算10回目という金字塔なので少しばかり結果を出したい欲はあった。練習の段階でも1キロ5分30秒というのは頭に隅にあった。しかし、今まで痛めたことがなかった膝痛に襲われ、持病の肉離れも怖かった。準備運動を入念にと言われても、はやる気持ちでついつい走り出してしまう。
本番前日はなんと暴風雨の予報。大会本部の前日15時の発表も実施と決定。意を決して当日に臨むことにした。夜半から暴風が吹き荒れたが、スタート時は風も無く、小雨のコンディションとなった。メダリストの有森裕子選手も駆けつけて声援を受けてスタートを切った。「行ってらっしゃい!無事に帰って来るんだよ!」まさにそれぞれが数時間の旅に出る心境だった。(困難は待ち構えているけどね)
15キロまではいいラップを刻む。脚も痛く無いし、エネルギーも充分満たされている。中盤に差し掛かると微妙なアップダウンにピッチが伸びなくなった。腕を振り、腿を上げを意識するも気持ちの中弛みと、まだ半分来てないなといった先への不安が身体に乗り移った。給水のたびに水を取り気持ちを奮い立たせる。ピッチを上げると背中が痛い。以前もあったがスピードを上げると腎臓の部分がキリキリとする。指で押さえると少し柔らぐ。スタミナ切れを起こした時も同じくなる。今回用意した高カロリーチューブ1つ目をウエストベルトから取り出し、口にする。粘っこい流動食を水とともに流し込む。効果てきめん気持ちも身体も救われた。第一弾ロケットスタートのように20キロからの5キロは楽に走れた。しかし、この効果も長くは続かず25キロからのラップは沈んだ。また背中が痛い。2つ目のエネルギーを投与だ。これで5キロは大丈夫ということだと35キロからのラストをどうにかしなければならない。沿道の給食と声援が後押ししてくれる。「ナイスラン。ゴールまでもう少し。」勇気を与えてくれる。40キロ付近はまさに気持ちを込めた心の走りでしかない。周りのランナーとは、ともに頑張ろうといった団体戦だ。もう手の甲にマジックで書いていたラップタイムは消え失せている。目標タイムは頭から飛んでいる。ただただ、前に進むのみ。ゴールして倒れこんでもいい。力を残さず使い切ろうという気迫が最後のダッシュでを生んだ。ゴールして自身の時計を見ると念願の4時間を切っていた。最後に完走賞を受け取ると間違いなかった。12秒間に合った。
ずっとランナーの後ろ姿に励まされ続けたが、そこには「驕らず!焦らず!諦めず!」
とあった。

 

平成29年7月7日 和歌山高野山女人道記

「仏ってる。」摩訶不思議な登山であった。結果は7時間歩き続けのハードな山歩きとなった。勝手に自分の中で高野山を神格化(本当は仏格化?)して崇めていた。それは女人禁制の厳しい修行を行なった地。心して入山した。山岳列車よろしく南海電車は必死に登る。観光客は「極楽橋駅」を降りると、ケーブルカーに乗って「高野山駅」からバスで高野山に入る。が、私は極楽橋駅で下界を捨て、極楽浄土に向かって歩き出した。そして女人堂に到着。高野山というのは周囲を1000メートル級の山に囲まれた800メートルの盆地に位置し、高野山に入る7つの入口に女人堂があり、女子の参拝はここまでだったらしい。ただ、現存するのがここ極楽橋から入るものだけとなっている。「高野山七口女人道」は一見しっかりとした登山道だが、山に入ったり、村に出たりの繰り返しで道が…?分かれ道が発生するとどちらがメインの道か見極めるのが難しい。思い込みからやってしまった。全然違う方向に1時間もロスしてしまい、体力も消耗。字は違えども「転軸山」で迷う所は仏の罰か。その後は「楊柳山」「魔尼山」と順調に進むも展望が全くない。どこまでも森の山なのである。眼下に広がる高野山を期待したが外れた。平日のせいかすれ違う登山客も2組しかいなかった。このまま女人道を1周してしまうと「金剛峯寺」も「壇上伽藍」も見ずに帰ることになってしまう。考えた末、高野山南側の女人道はカットし、高野山のメインストリートを歩くことにした。「中の橋」に降りてくると、やはり寺町。参道はお寺だらけである。高野山真言宗の総本山の金剛峯寺も華美を排した建物は好ましい。たまに往来する僧侶を見ると俗世を絶った者が住まう地と想像する。高野山の入口に当たる「大門」をくぐると、また女人道に戻る。私にとって山道とどっちが俗世か言い難いが、一応高野山を離れた。最後の山「弁天岳」もあっけなく陥とすと、女人堂に戻り1周してきた。15時いい時間だ。さあて後は下山と安心して歩いていたところ、またも道迷い??地図にない遊歩道に行ってしまった。途中の道標だけが頼りであるが、またも「転軸山」を目指す方角。冷静に冷静に来た道を戻り、分かるところまで帰る。何か「天竺」に迷いこんでしまった不思議な気持ちだ。16時に極楽橋を渡ると本当に俗世に帰ってきた。本数の少ない南海電車が、私を見かけて出発時間を過ぎても待っていてくれた。俗世も捨てたもんじゃないなあ。

平成29年6月18日奥多摩川苔山登山

北岳を目指すこまこま隊、いよいよ始動です。梅雨といっても中休みの状態なので週末出掛けられました。奥多摩の川苔山(かわのりやま)です。立川からコトコト電車を乗り続けること1時間半。青梅から先は単線になり、多摩川に沿ったレールはどんどん山に囲まれていき、谷が深くなっていきます。そんなわずかな平地に集落があるのが奥多摩です。東京都の奥座敷と呼ばれます。相変わらず山ブームなのか、ほぼ満員の車内はリュック、会話も華やかです。終点奥多摩駅で6両編成からのお客さんはバスへと乗り継ぎますが、到底1台では運び切らず、3台の増車で我らを登山口に連れていってくれました。登山口も多くの人が溢れ、思い思いに仕度をしてから出発です。沢に沿った道を歩くこと30分足らずでもう周りに人はいません。山が大きいのか、人がちっぽけなのかあっという間に自然に溶け込まれた感がします。水が豊かイコール森が豊かです。落葉広葉樹林は緑明るく空を覆うように映えています。稜線を境にしばしば杉の針葉樹林と対照的な景色が広がります。杉はほぼ植林なので人工的です。手入れをしないと暗い林はどんどん鬱蒼としていき、下草は生えず森は死んでいきます。人が「飼っている」森なのです。林業は地道に手入れをし、100年、200年先の収穫を目指します。山名の由来にもあるとおり水苔が美しい道が続きます。途中にある落差25メートルもある百尋ノ滝(ひゃくひろのたき)は見事です。滝の上下からミストを浴びると天然クーラーになり、寒いくらいです。英気(冷気?)を養い、いよいよ登りの本番です。いくつかの急登を抜けるとあっという間に少し開けた頂上です。おお、朝の混雑がやってきました。朝の顔触れが全員集合です。目標達成の顔は皆晴れやかです。中には祝杯乾杯するグループも。スポーツですからほどほどが良いですね。
よく言われる事ですが、登山は人生の縮図と。目指す高嶺は違えども目標に向かっていく姿はそれぞれが輝かしく、似てはいても一人一人のコースは違うし、ペースも異なる。大休止、小休止、一気呵成、断念と個性豊かに山も人生も歩みたいですね。

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平成29年4月1日 ワンダーフォーゲル部62年目スタート

直前に栃木県高校山岳部員が雪山訓練中に雪崩に巻き込まれて亡くなるという痛ましい事故があった。冬山は行かないといっても、名のみぞの雪山である。危険は隣り合わせだ。我が部は60数年間死亡事故はない。ただし、未来はわからない。しかしながら山や自然で得られるものは無限大である。そしてそこには無事故という前提がある。部員一同総力を結集して頑張ってほしい。エールを贈る。

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平成29年3月19日 丹沢鍋割山登山

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「鍋割で鍋焼き」を合言葉に高校同窓会の4人組で鍋割山を目指した。大倉尾根からは数度訪れたことはあったが、二俣経由は初めてであった。とにかく最初は林道が続き、全然登らない。標高650メートルで林道終点。さあこれから1200メートルまで一気の登りもランチタイムにはしっかりと到着した。山荘は鍋焼きうどんを待つお客で一杯だ。システムがあるらしく伝票に名前と個数を書いて、小屋内で名前を呼ばれるまでじっと待つ。守らないと店員さんに怒られるが、手にして食べてみるとこんな場所で、この味!感動ものである。ビールとともに満腹満足で下山するが、帰りは王道の大倉バカ尾根を通り暗くなる前の17時過ぎには大倉着。渋沢では絶好の打ち上げ場所見ーつけ。

平成29年2月26日 東京マラソンデビュー

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辛かった。今でも信じられないゴールでした。東京マラソン顛末記にお付き合いください。過去10回のエントリーに敗れ去り、奇跡の当選が10月に決まった。なんと10倍を超す競争率の中、勝ち得た奇跡である。当然ここから猛練習が続くわけだが、年が明けてやっと実感が湧く感じだった。本番前には20〜30キロの距離感を身体に記憶させることが必要となる。速く走ることはないのだ。強く走ることが大事だ。そして不幸やインフルエンザでレース1ヶ月前に2週間ものブランクが生じた。まずいという焦りと不安のもと1週間前についつい走り込みし過ぎた結果がふくらはぎの肉離れ。そこからレース前日までは一走もできない。恐る恐る前日にジョグをすると痛い。これはあかんというのが率直な気持ちであった。
2月26日当日朝に都庁スタート地点に着いたが、諦めの境地もあり、途中どうやってリタイヤしようか、バスで収容されるのもいや、そのまま電車で帰ろうか。結局手荷物を大会本部に預けなかったのもそういう気持ちの表れだったのだろう。小池都知事他の長いセレモニーの後、号砲一発スタートした。青梅街道大ゲートをくぐり新宿の街を過ぎ、防衛省前から市ヶ谷に向かう緩い下り坂で右ふくらはぎに電気が走った。思わず顔を歪めイタタ。飯田橋までも走れないのか。大学の前に居るだろう応援団に何と申し開きすればよいのだろう。頭をよぎったが、騙し騙し走るうちに我慢できる痛みに変わった。理科大前ではつくり笑顔もできたかな、可愛い部下の声援に元気をもらった。神保町、神田と商店街を抜け、いよいよ名所浅草だ。多くのランナーもスマホを掲げてのランだ。雷門を正面に見て右折するとドカンとスカイツリーアサヒビールオブジェが聳え立つ。次は両国の国技館江戸東京博物館を通り過ぎた。清澄、門前仲町と下町を走りやっと半分の折り返しを過ぎた。もともとの痛みは負傷によるが、これからの距離は筋肉疲労による痛みが出てくる筈だ。脚が重くなってきたところで目を上に転じれば銀座の街並みだ。有名ショップ、老舗デパートと銀ブラではないが気が紛れた。数寄屋橋交差点を過ぎ日比谷で30キロ経過。ここに高校同級生が待っているはずだ。しかし、あちらから走り去るランナーを見つけるのは至難の技ではないか。でも交差点曲がってすぐにいたいた。何とかたどり着いたよというメッセージを送って、すぐリスタート。(感謝の言葉も言えなかった。疲れていたんだろうな)あとは品川まで行って折り返して東京駅と道は単純だが、そう甘くはない。スタミナも切れ気味で給水だけでは足りず、給食場ではバナナ、アンパンに手を出した。あっという間に吸収されている感じだ。ボランティアが差し出すチョコやゼリーもありがたい。飲食だけではないのだ。いわゆるエアーサロンパスの類のコールドスプレーの差し出しに多くのランナーがお世話になっている。三田あたりが35キロ。マラソンの正念場に当たる。沿道のプラカードに「これからが楽しい時だ」「10倍の競争率を勝ち抜いたエリートランナー頑張れ」に励まされ、子ども達とのハイタッチに元気をもらう。脚は上には挙がらないが、前に引きずるように歩を進めていく。日比谷公園交差点でまたまた同級生の声が聞こえた。大きく手を振って右折して残り2キロだ。ペニンシュラホテル、帝国劇場と丸の内の石畳の道は狭まり、グッと観衆が近い。ヨボヨボのランナー達はひときわ大きな声援を受け最後の踏ん張りどころだが、レンガのような石畳の路面はダメージが大きい。最後の試練となった。行幸通りはゴールまでの最後の直線だ。右を振り向けばシンボリックな東京駅、そして左に足を向け皇居に向かってゴールイン。長い長い4時間半の道のりだったが、我が東京を心も体も満喫できた。心はゴールをすればあの辛さをケロッと忘れ、次はリベンジだと新たな目標に向かうが、体は正直にも痛みという勲章を今現在も残してくれています。大いなるチャレンジ。皆さんもエントリーしてみては?当たってから悩めばいいんだから。