野菜のピザ
いつものように土曜日に実家に帰って母親とヨガに行き、日曜に送ってもらう。
3日は自宅近くまでわたしが運転して、お昼にイタリアンのお店に入る。
店長ぽい人1人でまわしていて忙しいのか接客に棘があった。
ピザを頼む。母はパスタ。
スープとサラダとドリンクが付いたランチセット。
おばあちゃんとおじいちゃんのことを聞く。
「おばあちゃんたちってお母さんが子供の頃から仲悪かったの?」
『そうねー、おじいちゃんが好き勝手しておばあちゃんが何も言わずにずっと耐えてる感じだった。お母さんはおばあちゃんのこと、可哀想だなーっていう目で見てた。』
「ふぅん…」
わたしが知っているおじいちゃんのイメージ通り、昔からそうだったらしい。
自分1人だけ好き勝手遊んで家族はぞんざいに扱う。
自分が家の中で一番偉いという態度。
おばあちゃんは(少なくとも自分の子供の前では)文句を言わずひたすら耐え続ける。
おじいちゃんの愛人のような人から無言電話がかかってきたこともあるという。
話を聞きながらこれは前にも聞いたかもとなんとなく思った。
お父さんは養子なのでもともと肩身がせまい上に、おじいちゃんにはいろいろ文句を言われてきて、精神的苦痛から朝起きられなくなったり忘れ物を頻発させたり、あげく酒によって事故を起こして、(お母さんはそのとき初めてお父さんと喧嘩したらしい)
そんなこと言ったって
台風がどうやら本格的に直撃しそうで怖い。にも関わらず休みにならなかった明日に備えて早く寝支度しないといけないのに、日記書いてる。
やっぱり仕事中、そんなに忙しくないときは本当にいろんな考え事をしてしまう。締め日やらで多少することの多い日は、比較的淡々と過ごせる。
考え事の際、何かにつけて浮かんでくる映画の台詞がある。アフタースクールの「お前がつまらないのはお前のせいだ」というのと、図書館戦争の「正論は正しい。だが正論を武器にする奴は正しくない」というもの。楽しく生きられていないことを思う時、理不尽について考えている時、最近必ず出てきて自分のなかに居る"立派さ"の仮面をつけた人が、斜め上からその言葉をふりかけてくる。その度にうあああとなってまたぐるぐる苦しくなっていく。
そんなこと言ったってしょうがないじゃないかとそのまんま発音したくなる。情けない。
もうひとつ、最近思い出してよく分かるなあと感じた台詞が、メゾンドヒミコの「欲望が欲しいんだよ、何でもいいんだよ」。
わたしはこのシーンの前後の言葉からも、"愛する人の死が迫っている恐怖をとにかく搔き消したい衝動"によるものだと受け取っていて、今自分が、動画や映画や本や音楽やと、とにかく何かしらの情報を常に入れ込もうとしているような状況の要因が、何か自分のなかの不穏なものを誤魔化したいからなんだろうなと、ああきっとこういう感覚か、と最近ふと気付いた。
そうやってずっと頭にこびりつく言葉には、今は苦しめられたりすることが多い。
そういう時期だろ、ぐらいでいるけど。
うまいもの
眼鏡をかけるのは嫌いだけど、ブルーライトカットの眼鏡を買った。デスクワークに加えて、自宅でもひたすらスマホ画面を眺める日々なので、何となく目の健康に気を遣ってみた。何となく、疲れにくいような気がする。
もう似合う似合わないなんて気にするか、好きなものを身につけるんだ、と開き直っておそらく似合っていない深緑の丸め・大きめの眼鏡にした。
わたしの不調を気にしてくれる友達と、ご飯に出かけた。ちょうど不調がひどいときに約束をしていたのを一度キャンセルしてもらっていた。
しんどい日々を改善しようと、とにかく楽しいことをしまくって自分を癒すことだけ考えるために、一人ではわりと出かけたりしていたので、キャンセルしたのを申し訳ない気持ちで過ごしていた。ご飯の約束を果たして解放されて少し楽になった。
それとは関係なく、昔から"約束"した人に会いに向かっている時間中になぜか憂鬱な気分になってしまう。
今回ご飯に行った友達から「鉄は体で作ることのできない成分だから、摂取しないとだめだよ。野菜とかよりも肉をもっと食べた方がいいんじゃない?」というアドバイスを受けて、個人的に本当に目から鱗だった。
健康=野菜だと思っていた。もちろんバランスの良い食事として肉も必要なのは分かっていたけど、とにかく今のわたしには野菜なんだとばかり思っていた。肉を食べて精をつけるという発想がなぜかなかった。それも偏見の塊であるわたしならではの思考だ。
人に会うのに結構な労力が必要で、最近は特に仲の良い人にも会いたくなかったけれど、こんな何気ない人との会話が自分の偏見を打ち砕いてくれるんだよと、思い知らされた気分だった。
頭でぐるぐる考えていることの大抵は"結局、人生は人との関わりだ"に落ち着くので、きちんと目を向けようと思った。
ずっと出来るだけ広い世界を見ていたい。
何にしたって、いつ何時もうまいものはうまくて、それだけでいくらか元気になれる。
夏果て
色々な災害のニュース、さすがにずっと見ているのはこたえた。
自分のご機嫌は自分で取っている人が多いようなのでわたしも出来るもんと、平日に映画を思いたちで観に行く。
万引き家族を観たのだが話題の作品なのにレディースデーで1100円で観られて、しかも席に着いた時わたし1人で、初貸切状態なのでは?とタナボタを噛み締めて予告を観てると(やけに長かった)、後から数人入ってきてやや残念。
ともあれ、やはり作品はどこでも言われているようにとても良かった。監督は子供の演出がほんとに上手なんだなと思った。
エンドロールでの3人組のお客さんのおしゃべりが気になった以外は、ここ最近でベストなアフターファイブだった。
最近好きになったすてきなふたりぐみの曲を聴いて、心の棘みたいなもんが少し取れたりもしててこのままいい流れでいこうぜ〜と身体の中心辺りをうまいことなだめにかかったりしてると7月が半分過ぎていた。
止まない雨はほんとにないのだし。
美味しいものと好きな音楽と惹かれる映画と素敵な文章と知らない自然とかわいいもろもろに癒されまくって果てる前に乗り切ろう夏、2018。
メモ書き
>今一生分怒っておけばこれから先怒らずに済むんではないかなというような1ヶ月
>自分が何言っても嘘くさい
>理不尽、ただそこ 筋が通ってない
>運動をすると痺れる
>関係性としての在り方以前に、人に対する当然の思いやり、の欠如
>みっともないところを出しきり損ねた いろいろな人のこんな風に生きられたらいいなあというところと、絶対にあの人みたいにはならないと強く思うところとで、なんとかやりくりする。