西田もじのブログ

日々雑記を綴ります

長財布ってー

長財布をもっている人にお金持ちが多いっていう噂がありましたね。

お札を下向きに揃えていれるとかね。黄色がいいとかね。

どうなんでしょうねえ。

 

キャッシュレスになったら財布そのものがなくなっていくのじゃないかしら。アップルウォッチなんかかざして会計する人もちらほらと。使っている人の話だと元には戻れないとか。

 

ずっと二つ折り使っていたけどある時、長財布にしてみた。

嵩張る。ポッケに入らない。収納がいいので便利だけど結局バッグに入れとかなきゃいけない。金運上がらない。

んでやめました。ボロボロだけど気に入っている二つ折に戻した。

今はスーツでも平気なうすーいのとかあるらしいっすけども。

 

以前いた職場にね、社長令嬢だという噂の人がいたの。清潔感はあるけどお金持ちって感じはしなかった。セールが好きだしユニクロでよく買うっていうし、みんなと同じ給料で同じ金銭感覚。ちょっと天然だったかな(人のことは言えないけど)

でもさ、年末に彼女はこう言ったのさ。

「ねえねえ、来年の財布、もう買った?」

 

毎年買うんかい!!

どうも毎年高級ブランド長財布を買っていたらしい。

 

 

ノーサイド同窓会

日経BP社から「同窓会に行けない症候群」という本が出ていると今日の日経新聞でみた。

同窓会、人によってはあるいは年齢によって、「何を今更」な気分だろう。後は劣等感とかあまり好きじゃない人がいるとか。共通の話ももうなかったりするしあの頃とは興味も合わないとか様々だろう。何も無理して行くことはない。

僕は幹事をやった(やらされた)ことが二度あった。小学6年生のと中学3年生。どちらも二十代の頃だった。来たのはどちらも半分以下だったと思う。それなりに楽しかったけどもうみんな別々の道だし、関係ないっちゃあ関係ないよなあ。それに知らないほうがという場合もある。みんな元気でいてくれればいいのだけれど、中学の方はもう一人の幹事が電話をかけたら、実はすでにという方もいた。

 

その後2000年になって、小学生の頃に埋めたタイムカプセルを開けようということになった。担任の先生にも一人会えた。その先生は僕が病気で三度入院した時にお世話になり、大変心配してくれた方なのでお礼が言えてよかった。「もう大丈夫なの?」と言われた。僕は顔色がよくないのだが、それはもともとだった。

幼なじみにも会えた。近所に住んでいたのだが、お互い親が離婚して引っ越したため、地元から離れていた。連絡先を交換し、今は年に1回くらいLINEをしている。

 

LINEといえば始めた頃は何人かと久しぶり〜と盛り上がった。使い始めは楽しいものだ。それが縁で十数人、飲むことになった。

それはただし一応同級生なのだけれど、同じクラスじゃない集まりだった。いわゆるヤンキーだった人たちの集まりに入れてもらったのだ。僕は真面目だったので、話したことのない人ばかりだった。でも酒があるから平気だ。気まずくても喋らなくても全然気にならない。その時はもう二十代でもなく、四十代だ。みんなどこかしら哀愁のようなものが漂っている。疲労感もある。男女共、誰も着飾ってはいないし、半分の人は老眼だ。今何の仕事をしているかを語らない人もいたし、周りも詮索などしなかった。そんな中、僕は何人かに誰だろうコイツはという顔をされた。で実際、

「君は誰だ?」と直で言われた。目立っていなくてすいませんね。hahahaお前こそ誰だと言えなくもないが、そうではないので苦笑いで済ませた。

だって僕は卒業文集、全員の読んだもの。この頃から文章好きだったんだな。

美しい墓地からの眺め

姉と墓参りに行ってきた。

僕自身墓参りは3年ぶり。姉と二人きりなのは小学生以来だ。

場所へは2時間以上かかる。住所もはっきりしないのに、何となくたどり着けるから不思議だ。姉はもう長いこと行っていないはずなのに、ここに山羊がいたここにはもうちょっとレンガがあったあそこはお蚕さん(養蚕業をやっていた)のとこだとよく覚えている。だが墓は同じ名字のものがたくさん並んでいて、さすがの姉も「どれ?」と言っていた。地蔵が並ぶ道を渡ると寺の正面。そこを横切って一番奥の左端だ。それにしても山の上だから、墓地からの眺めはなかなかのものだ。尾崎一雄の小説に「美しい墓地からの眺め」というのがあったけど、内容は覚えていない。本棚にもないでやんの。なぜ処分する私。「虫のいろいろ」なんて名作だったのに。

 

墓石の左側にはアマガエルが、垂直にひっついていた。ご先祖様かもねなんて言ったら姉は「カエルは苦手だ」と柄杓の水をぶっかけた。アマガエルはものともしなかった。

「あと1回くらいは来れるかなー」姉が言った。

お互い祖父母の家の前で写真を撮った。誰も住んでいない家は残されていて、時々叔父が見に来るらしい。姉は僕の写真を見て一言「おっさんだな」

あれから何十年経ってんだよ。

気分を変える

今回の台風は生きた心地がしなかった。

近くの川が氾濫しそうだから避難せよとの市からスマホに通知がきた。

地震の時もそうだけどいきなり音量でくるからもうそれだけで寿命が縮む思い。

なるほど水位がきたらこりゃどうにもならんなオラこれまでかあと布団にくるまりながら寝た。

けっこう先祖信仰みたいのが強い方なので、

「おじいちゃんおばあちゃんが守ってくれる」かダメなら

「おじいちゃんおばあちゃんのところに行ける」のどっちかだ。

 

でも本能かな本音かな、部屋を見回して使えそうなのを考えた。

ストレッチポールがあった。1メートルくらいの円筒形で発砲スチロール製だ。

額縁がある。60センチ×40センチくらいか。

これらを紐かガムテープでくっつけていかだにしてはどうだろう、浮かぶかしらと思った。昔「冒険野郎マクガイバー」というアメリカのテレビドラマシリーズがあって、主人公のマクガイバー扮するリチャード・ディーン・アンダーソンが何でもその場にあるもので爆薬やら様々な仕掛けを作って危機を脱するのがめちゃ面白かった。

 

その後もテレビや新聞、SNSを見続けたが、ずっとはしんどいのでいったん情報を止めた。気分を変えよう。

ラグビーやバレーボールを見て興奮する。

今日は図書館で10冊本を借りてきた。

1冊目「アースダイバー」中沢新一著 講談社

載っている地図をよく見ると洪積層と沖積層の狭間の、洪積層よりに旧石器遺跡や縄文遺跡が多く残っていることが分かる。洪積層は昔からある土地でそこから著者の考察が展開される。

自分の住んでいる場所はどういう所なのか把握しなきゃいけないんだなあと感心した。

他にも東京タワーは潰れた米軍戦車の鉄で作られたとか四谷怪談の成り立ちなどが書かれていて面白い。でも地下鉄に対する著者の趣味にはついていけない。

明日は「反知性主義」を読もうかな。読書できるのがありがたい。

消えた天才たちって終わっちゃった?

あんまり詳しくは知らないけれど、テレビで「消えた天才たち」って終わっちゃったらしいね。編集でわざと球のスピード速くしたりして見せてたとか。すごいスポーツ選手のその後みたいのはちょっと知りたくなるけど、最近はもう何時間もテレビ見る気力?がない。

少年野球のエースピッチャーがいて、ある日校庭で友達とキャッチボールをしていると彼がとことことこってやってきた。

「西田くん、もうちょっと膝を高く上げた方がいい」

それだけ言うと彼は去っていった。あ、そうなんだと思ってそれからは膝を意識して投げるようになったけど。彼との会話はこれが唯一だ。

それから10年以上しただろうか。たまたま同級生数人で会ったら「おい、こないだの新聞読んだか」って。「Aだろ。あいつ捕まったな」「すげえな全国デビューだよ」などという話になった。僕は読んでいなかったのでびっくりした。エースピッチャーの彼だった。

 

中学3年の時に隣の席になったのは、野球が上手くて有名なBくんだった。ポジションはキャッチャー。大柄でジャイアンタイプの彼は、次第に打ち解けると僕を君付けで呼ぶようになった。一番後ろの席の二人はよく喋ったし彼が作った歌を一緒に歌ったりしていた。彼は僕に捕球の基本を教えてくれた。ちょっとやんちゃだったので敵も多かったのだろう。卒業間近になるとBくんとタイマンしてやるという人が現れたらしい。

Bくんは僕にこう言った。

「お願いがある。Cが俺をやるっていうんだ。俺そんなの関わってられない。西田くん、先生にチクッてくれ」

その頃Bくんは、有名高校の監督がウチに来てくれと直々に家に来ちゃうほどだった。本人も将来はプロを目指している。そりゃあそれどこじゃない。僕はソッコーでちくった。

 

それから三年後の夏、大学受験を控えていた僕は何気にテレビをつけて驚いた。Bくんの顔がドアップで映し出されていたのだ。夏の甲子園高校野球だ。出場してたのか!だがその驚きは二重の意味だ。

彼はでっかい太鼓を叩き、必死で応援していた。

レギュラーになれなかったのだ。

どれほどの挫折だったろうか。でもきっと今頃は、苦味走ったいい顔をしているはずだ。

 

もう一人、野球のみならず運動全般得意な親友がいる。彼も少年野球で腕を鳴らしたらしいが、その頃僕は出会っていないので詳しくは知らない。遠くからこっちに引っ越してきた時にはすでに、野球を辞めてしまっていた。家の事情だ。彼は家の仕事を手伝ったり、学校帰りに幼稚園まで妹さんを迎えに行ったりしていた。

そんな彼は今や三児のパパだ。そして日曜日になると野球のユニフォームを着てグラウンドに行くらしい。少年野球の監督をやっているのだ。

 

今夜宇宙の片隅の言葉たち

紙に書き連ねば残らなかった言葉たちが今ではネット空間にあふれている。

誰も読み終えていない世界で最も長い小説はヘンリー・ダーガーという人が書いたものらしい。ずっと書き続けて最後はThrow away(捨ててくれ)と言ったとか。

 

踊り念仏で知られる一遍上人は死ぬ前、それまでに書いたものを焼くように指示したという。書き物が残っていればもっと広く深く知られていたはずだ。

神学者・哲学者であったトマス・アクィナスは「神学大全」執筆中に宗教的洞察を獲得し、以後書くのをやめたという。神学大全は日本語訳で45巻、これでもトマスの全著作の7分の1だそうだ。

 

毎年この時期になると来年の手帳・日記が売り出される。

中には5年・10年日記なるものもあって、人々の書くことへの意志の強さをうかがわせる。

書くことは何も職業人の専売特許ではない。

今じゃネット空間で書き放題。放たれた言葉たちは波間のように終わることがない。

中には読まれることなく綴られている文章もあるだろう。それでも保存され届けられるのだ。宛先不明、今夜も宇宙の片隅で。

 

 

 

外人たちの大喧嘩

あなたは外国人同士の本気の喧嘩を目の前で見たことがあるだろうか。

僕は見た。本気の口喧嘩。しかもお互い日本語で1時間。

異国の人同士が目の前にいる日本人より流暢かつ早口で、めっちゃ大声で怒鳴り合っているのだ。能力高っ。

職場なんですけどね。イメージつけたくないので職業は申しません。

でも最近は特に、様々な国から日本で働く方が増えているので、あまり違和感ない方も多いかもしれません。

口喧嘩なんてものは感情むき出しだし話は飛ぶし支離滅裂だったりするでしょうけども、1時間てすごくないすか。

僕は高校時代、男子校だったから喧嘩風景はままあった。でも大抵はすぐ殴っちゃうからすぐ終わってた。殴るまでいかなくて、お互い胸ぐら掴むだけならまあ、第三者止めてねという暗黙の了解みたいのがあってそばにいた人が止めるのだ。その後どの職場でだって、喧嘩はすぐ終わるものだった。

 

どうしよう今にも暴力沙汰になってもおかしくないテンションだ二人とも。直立不動で話を聞きつつ間に入れず固まっていると、なんだか流れがおかしな方向に傾いてきた。

「西田さんは(僕のことです)仕事が遅いから私が教えていたんだ!」

え?あたし?

「西田さんが仕事遅いのは分かっている!」

え、いやあの…

「西田さんがいつまでも終わらない。毎日これやってる!」

「西田さんは仕事できない!でも一生懸命やっている!」

いや、ちょっと待っ。

「僕は職場では好き嫌い持ち込まない!たとえ西田さんのことがキライでも職場ではそういった感情は全て捨ててきている!外で会ったら無視するけど」

あの〜、本人ここにいるんですけど。喧嘩しながら目の前にいる第三者ディスるという高等テクニックの二人ーー

 

結局、盛り上がった二人を止めることはできなかった。でもそれ以上に、今回ほど陰口の方がいいと思ったことはない。