プログラミングの立場からからみる人生観

 時おり、インターネットのオセロゲームソフトで暇潰しをしています。難易度の低いものはほぼ100%勝てますし、逆に難易度の高いものはほぼ100%勝てません。相手はコンピューターなので、こちらが対戦方法を変えない限りは結果もまた変わらないのです。

 人間関係や社会に対しても似たようなことが言えます。世の中は目まぐるしく変化し続ける部分がある一方で、人間性に根ざした部分は不変、または極めて緩慢にしか変化しません。したがって社会や周囲の人間に対してどれだけ不満をいだこうとも、自分の側から対応方法を変えていかない限り、従来と同様の結果が常に返ってくるだけです。

 しかし、自分の対応方法を変えようとはしないまま、いたずらにストレスを溜め込む人が多いのも事実です。社会との接点が希薄なまま独善的な価値観を構築してしまった人にそういう傾向があるように感じます。プログラミングに例えて言えば、システムで稼働している他のプログラムやデータベースのとインターフェースを十分に考慮せずプログラムを作成してしまったためにバグを多発させてしまっているような状況といったところでしょうか。自分の作成したプログラムの不具合を棚に上げて「入力データ(他人や社会)が間違っている」と決めつけてしまうほど愚かな行為はありません。

 人生観や社会観に「良い・悪い」「正しい・間違っている」などという評価を一般論的に下すべきだはないと私は思っています。けれども、周囲の人間関係や世の中に常に不満を抱き、そんな状況を不幸だと感じているのならば、自分自身の価値観のほうをメンテナンスする必要があるとも思っています。

 ちなみに、ネットのオセロゲームは難易度強の設定だと相変わらず負け続けています。相手のアルゴリズムを解析してこちらの対応を変えるのって言うほど簡単じゃないですね。

 コンピューターのプログラミングを例にとって語りましたが、血の通った人間や社会に関する事柄も、血の通わぬ冷酷な機械を比喩に用いたほうが理解しやすい場合もあるんじゃないかなと思い、この一文を書いてみました。

 

 ブログを書くのは久しぶりです。今回の文章、凡庸な意見を上から目線で論じる典型みたいな感じになってしまいましたが、文章でもイラストでも書き続けなければ上達しないのでこれからも書き続けたいです。なので、来年も1回くらいは投稿する決意でいます。