繪日記帳

折りにふれて描き上げた絵画に言葉を添えて少しずつアップしていこうと思っています

迷いの中に道が見えず

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F4  水彩  Deneb紙 

まさに暗中模索です。

上手く描けないどころか、絵にもならない絵を描いている感じです。

依頼を受けて、私の教室があるコミセンを描きましたが…どうも思ったように描けず

小手先の仕事になってしまいました。

油画の方も背景の処理で失敗。亀裂が入ってしまいどうリカバリーすればいいか

悩み切っています。

コロナ禍の今、絵画制作で落ち込むことすら幸せなんだろうな、そう思うようにしています。

5年という隔たりにあるもの

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自画像01

2015年の春に描いた自画像。入学した芸大の1年次課題として描いた。確かメディウムを使わずに描くというもので油絵具の特性を理解させるためだったと記憶している。

油画制作は初めてではもちろんなかったが、数十年の空白期間を経ていたので最初は戸惑いがあった。それは透明水彩の制作では影を描くことが基本になるが油彩では光を描くという真逆の進め方に起因するものだった。また対象の捉え方も稚拙な甘さが出ている。これは今も変わらずまだまだであるが、対象を見つめ続ける努力が足りず打算的になってしまった。白状すると根気が足りなかったのである。

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自画像02

同じ号数15号で今年2020年に、大学卒業後に描いた自画像。シミやしわ、たるみも出てきた我が顔面。何より髭の白化が進んだ。5年の隔たりとは斯くも残酷なものである。だがそれを詰めの甘さは相変わらずだがかなり追い込んで描いた。在学中にモチーフとしての自分に興味が湧き、デッサンを含め沢山の自画像を描いた果てにパーツを丹念に拾い、嘘をつかない、曖昧なままにしないというスタイルが僕が求めているものだと確信するようになった。それを実現できる技法を探すことが以後在学中の課題となったが古典技法と言われるものに答えがあることはわかっていた。その技法を体得することに専念したが調べていくうちに古典技法という言い方に強い違和感を覚えるようになった。古い時代の偉大な画家達が作り上げた技法はむしろ油彩の正統技法と呼ばれるべきではないのか。きちんとした理論に裏打ちされた技法を印象派以降の人達はヤニ臭い古典技法だと揶揄したが、しかしてその人達が残した作品が今どんな状態になってしまったか。たった100年で表面に無数の致命的な亀裂が走る作品のいかに多い事か。僕は印象派以降の絵画を否定するつもりはないが明治になって真っ先に印象派以降の絵画をお手本にしてしまった我が国の西洋美術教育の矛盾ともいうべき問題点が今も解消されないまま続いている悲惨さに気付いた。塗りたくりのキャンバス に価値を見出す阿呆らしさに気付いた。正当な油画を描こう。

ちなみに5年で7キロ肥った。