まっさら。

何にもありません。ただまっさらな、素直な自分がここにいます。

結婚と子ども。

結婚ってしたいと思いますか?子供って欲しいと思いますか?

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お久しぶりです。tofuです。

突然の質問ですみません。

昨日は、高校の同級生が2ヶ月前に産んだお子を拝みに行ってきました。

可愛かった。

この世のいいこともそうでないことも何も知らない。

大きくて真っ直ぐな瞳。

もちもちの肌。

むちむちの手足。

何も踏みしていない足の裏。

泣きたい時に泣くし、嬉しい時に笑う、時々何かを話しているかのようなこともある。

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色々と話す中でその子の母親、つまり私の同級生には産むまでも産んでからもたくさん苦労があるようです。

例えば。

子供は保育園に入れないと決めた。

働かないと保育園に入れれない、でも保育園に入れないと働けません。

だから入れないことにしたと。

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旦那は当てにしないと決めた。

毎朝早く毎晩遅く帰ってくるので子供が寝ている時にしか家にいない。かと思えば全然育児に協力的じゃない。旦那はお金を稼いでくるだけだ。そう言っていました。

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私は正直彼女の話を聞いて少し悲しかったし、

だから将来結婚をしたいと思えなかったし、子どもを欲しいと思えなかったです。

でもこれだけは自信を持って言えます。

彼女は1人の人間として、母として、女として、本当に強くなりました。

高校生の時の彼女とは比にならないくらい頼もしくなりました。

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一緒に行っていた友人2人が”子供が欲しい””結婚したい”と言っていました。

私は本当か?と思いました。

こんなに可愛い子がいるけど、それは素敵なことだけど

それ以上に苦労している話を聞いておいてよく言えるなと。

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結婚には相手に尊敬できる部分があり、尊重できることが大切だなと思います。

誰しも自分が一番大事ですから、自分にとって不都合だったり

自分の尺度ではあり得ないことを相手がすると怒りを生みます。

でもその時にお互いを尊重できれば意味があるぶつかりをできるはず。

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そして子どもには覚悟がいる。

ただ欲しいで望んでいいものじゃない。

その子を一生守る覚悟、何があっても味方でいる覚悟、立派な人間に育てる覚悟、

極端なことを言うのなら、

その子のために死ぬ覚悟。

出産は命懸けだということを友人の話から学びました。

お母さんは痛い思いをして、ではなく、命をかけて子どもを産んでいるのです。

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私にはその覚悟はありません。

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いなくなるということ

こんばんは、tofuです。

今日はなんだか何かを綴りたい気分。

本日2投稿目。失礼します。

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皆さんはこの世からいなくなりたいと考えたことがありますか?

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自分は少しあるかもしれません。

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初めてそう思った時の話をしましょう。

それは大学3、4年の時でした。

その当時自分は卒業研究や就活で何もかもが嫌になっていました。

ある時全てを投げ出して

ベッドに仰向けになってみました。

夕方の薄暗い時間でした。

カーテンの隙間からオレンジの光が入り白い天井が色付きます。

何もない天井を何もせず考えず見上げている時思ったんです。

「いなくなろうかな」って。

今までにない初めての感情でした。

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この経験から学んだことがあります。

それは何もせず、

一生懸命その瞬間を生きることを諦めてしまったらこの世にいる自分の意味がなくなるということ。

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今この瞬間、

なんでもない天井を見上げてみました。

生きることを諦めてしまいそうでした。

だからすぐに顔を下ろしました。

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自分はまだ生きていたいみたいです。

 

 

”感情のバケツ”のはなし。

お久しぶりです、tofuです。

最近生きていて涙を流す頻度が増えています。

以前も書いたでしょうか。

心の中にある”感情のバケツ”のはなし。

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自分には悲しくもないのに涙が止まらない、

そんな時が時々あります。

気持ちがきゅぅーとなって、

呼吸が荒くなって、

声を出しながら泣いてしまいます。

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自分はよくその状態を水の入ったバケツに例えます。

それはまるで表面張力でギリギリ保たれている水の張ったバケツに

たった一滴が入ることで水が溢れ出て、止まらない。

そんな感じだと。

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泣く理由はおそらく一つじゃありません。

1日、1分、1秒の誰かとの時間、将来への不安、理想とのギャップ、後悔、プレッシャーなど。

本当に小さなストレスや悩みの積み重ねだと思います。

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大学生の時はよく泣いていました。

親から離れて、助けてくれるけど助けてと言えない自分。

全てはその行動や性格のせいだと自分を責めていた自分。

何もかもうまくいかないと感じ、何のために生きているのか、何のために生きているのか、わからなくなっていた自分。

 

今、大人になってその自分が戻ってきた気がします。

やっぱ自分は変わっていないんだな。

そう感じています。

2020.11.13.

ご無沙汰してます。そして夜分に失礼します。tofuです。

これから綴ってある文章は2年以上前に書いて、下書きにずっと残っていたものです。就活真っ只中だった自分はこれからの歩みに悩み、悩み、悩んでいました。(転職が当たり前の時代そこまで悩まなくても良かったかもと今は思います。)

時を経て改めて読むと、ありのままな感じがいいなと思ったので投稿させてもらいます。

それではどうぞ。

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彼女は感情を表現することが苦手な人です。でも、人に愛される性格をしています。(周りの人はよく、彼女のことを何考えているか分からない、優しい人だと言いますが。)彼女は人の弱さを知っています。それは彼女が弱いからです。彼女は人の強さを知っています。それは誰よりも人の可能性を信じることができるからです。彼女はいつも人に“大丈夫”という言葉をかけます。それは彼女にとってのおまじないです。人と接する時、その人を否定せず、包み込もうとする彼女のスタンスが、他人に相談しようと思わせるようです。(高校の時は同期や後輩の悩みを聞く相談員のようでした。仲の良かった友達は、両親の離婚による精神的不安がありましたが、彼女の存在のおかげで卒業まで学校へ通うことができたと言っていました。(卒業後の手紙のやり取りで発覚しました。)フィリピンでの日本語講師時代は、パッションがある・いつでも信じてくれると言って、信頼を寄せてくれる学生に恵まれていたように思います。)彼女は自分のこととなると、とても臆病です。自分の弱みは見せません、プライドが高いのかもしれません。しかし、他人のこととなるとそのプライドは全くなくなります。高い協調性・謙虚さを発揮するのです。(例えば、話し合いの場、ボランティア作業などのグループ活動では人の話を肯定的に捉えた上で、自身の意見との共通点を見いだそうとする姿勢がありました【協調性】。例えば、日本語教師として学生のために周りの人にアドバイスを積極的にもらいました。アルバイトの時、お客様に対するおもてなしのために、お客様や店長から注意されたらまず謝り、同じ過ちを2度と起こさなかったです。【謙虚さ】)このように時間はかかりますが、彼女は彼女への信頼を獲得してきました。彼女の心には、自分のために生きたい自分と、他人のために生きる自分がいるような気がします。もちろんどちらも彼女です。今の私は、どちらの彼女も素敵だと思います。でも、将来おばあさんになった時にでも、彼女が“自分の人生を生きることができた”と言える日が来ることを願っています。

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この文章、自分が自分を紹介したもの。彼女は自分。

本当にそうだろうか、と疑いたくなる箇所もある。でも、自分らしさだな、と感じる文章。

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ここで、今考える自分を綴ってみる。

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自分は、周りの人間に恵まれすぎている。

グループや部活、組織の中で、なんだかんだ愛されていた。

それは自分が他人の心の温かさを敏感に察知できるということなのだろうか...。

24年の人生、経験が足りず、まだ自分の考えを見つけられずにいる。

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自分は、負けず嫌いだ。

幼い頃は他人(両親)に失望されるのが嫌で、周りに負けたくないプライドから必死だった。自分で言うのもアレだが、努力していた。

大人になった。今は悪い知恵をつけた。

”他人と張り合おうとしなければ、勝つことはないが負けることもない。”

だから、物心ついてから大きな挫折や失敗をした記憶がないのだ。

自分は他人を意識しすぎて、無意識に挑戦することから逃げたいと思うようになった。

負けていないことは負けているということに気づかなければならない。

あー、幼い頃に戻りたい。

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自分は、人の役に立ちたい人間だ。

他人の役に立つことが自分にとっての幸せ。

就活中に行き着いた、自分の人生観の一つ。

でも、実際他人のための行動なんてしていない。

幸せになるのがいいに決まっているのに、幸せになろうとしていない。

自分は、人の役に立ちたい人間だ。と自信を持って言えるようになりたい。
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スイッチ。

こんばんは。tofuです。

人生にはスイッチがある。

最近、アマプラでドラマの一気見にハマっていて

とある動画で聞いたワードです。

もう一度言います。

「人生にはスイッチがある。」

毎日はそのスイッチの選択で、私たちは良い方向にも悪い方向にもそうでもない方向にも進むことになる。

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これまでの二十数年を振り返れば、いろいろありました。

就職、受験、旅行での出会い、初めての一人暮らし。

人生の分岐点となる場面ではいつも悩み悩んで、そして涙して

無意識に選択を行なっていました。

どの選択も今思えば間違っていなかったと思います。

それらの選択のおかげで今の自分があるから。

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スイッチは日常の中にもあります。

今日一日何をするのか、誰に会うのか、外出するのか。

このブログを書くか否か。

など...。

行動の一つ一つ、感情の一つ一つの選択が自分の人生となっています。

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これからも自分は何かしらスイッチを選びながら生きていくのでしょう。

面白いですね。生きるということは。

話しやすい人って。

こんばんは。tofuです。

珍しく長めの残業をしました。

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今日は話しやすい人に2人も出会いました。

話しながら自分は、どうしてこの人は話しやすいと感じるのだろうと考えていました。

ネットでちょこっと調べてみると、

話しやすい人はポジティブだったり、共通点を見つけることに長けているらしいです。

私が話しやすいと思う人は、他人に興味がある人なんだと思います。

つまり私に興味を持ってくれた人。

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私も話しやすい人になりたいとずっと思っています。

でも、私は他人にあまり興味がありません。

悪く言えば自分のことで精一杯、いつも自分一番です。

何か変えなきゃ。

そうして思いついたことは、

「何事も疑問を持つ習慣をつけること」

でした。

人にも物事にも疑問を持つ。

自ら知る努力をしないと疑問は生まれません。

明日から意識して暮らしてみようと思います。

努力しない自分。

すんごくお久しぶりです。

tofuです。

突然ですが、これから毎晩振り返りも兼ねてこのブログを書こうと思います。

できる人は毎日内省をしていると本で読んだのです。それを実践します。

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今日は2週間に1度のスクールの日でした。実は、仕事とは別に営業スキル向上のため2ヶ月前くらいから通っています。

ここに来る人たちはモチベが高く、勉強熱心な人ばかり。

職場の上司に勧められ、とりあえず応募したらなぜか選考通過した私とは大違いです。(運営はなぜ私を選んだのかわかりません。)

この2ヶ月間、ずっと思っています。

”彼らと私じゃレベルが違いすぎる。”

今日もいつものようにグループで課題を発表し、フィードバックを行いディスカッションを行いました。

特にディスカッションが盛り上がりました。

しかしその時、私は彼らの言っていることの5割も理解できなかった。まるで英語を聴いているかのよう。彼らのディスカッション内容がさっぱりわかりませんでした。

ずっと思っていたレベルの違いを一番痛感したのです。

そして、私は悔しいと思いました。

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帰り道、”私はどうしたらいいんだろう。”と考え続けました。

その結果出た答えは、

「努力したらいいのでは」ということ。

でも、私はしばらく努力していなかった。

努力の仕方を忘れていました。

特に社会人になって全くしていなかった。

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振り返ってみると、私の人生には努力する場面がいくつかありました。

小学生:怒られたくないから受験勉強する

中学生・高校生:自分に負けたくないから部活では毎回他人より1周多く走る

大学生:人と比べるのに疲れ、勉強も就活もなんとなくやるようになる

社会人:リスクを恐れ、失敗を恐れ、チャレンジを恐れ、当たり障りのない毎日。

大学生くらいから私は大切な何かを失っていました。

私は、いつしか自分自身を信じることをやめていたんだと思います。

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ここで改めて自分を信じてみよう。

悔しいと思った自分を変えてやろう。

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毎日内省、始めます。