仮住まいの人生だった 2
19歳のとき、
外国で暮らすための資金を貯めるためにスキー場へシーズンバイトへ行った。
親元を離れ、地元を離れ、自分を知らない人ばかりのところで暮らして、
自分が行きたかったのは『監視されない自由なところ』であって、外国ではなくても良かったんだと思った。
それから数年、冬はスキー場、夏は東京を行ったり来たりする生活で、寮生活や事情があって伯母の家へ下宿させてもらったりする暮らしで、文字通り仮住まいだった。
荷物は衣装ケース3つ分くらい。それが東京や冬の雪山を行ったり来たりしていた。
24歳で完全に東京へ戻って、アパートを借りた。
人生で初めての一人暮らし。
本当に自分だけの空間を持って、すごくすごくほっとしたのを覚えている。寂しさは感じなかった。
なんともいえない安堵感があった。
狭いワンルームだったこともあるけれど、荷物は増やさなかった。
仮住まい生活に慣れていたせいもあるし、美容業界の仕事に憧れて、アルバイトをしながら自分で学費を払ってスクールに通っていたので、物を買う余裕はなかった。
ほんの少しの食器と調理器具と食材、少しの洋服、残ったお金は化粧道具を買った。
その後、美容関係の仕事に就いてからも、化粧品以外のものはあまり増えなかった。
結婚するまでの仮暮らしとも考えていた。
実家のオシャレさのかけらもないインテリアや食器やリネンなどが本当に嫌だったので、自分なりに買うものは厳選した。
シンプルで質の良いタオルや食器をほんの少しだけ揃えて大事に使った。
仕事は楽しくて、寝る時間も惜しんで働いた。
一人暮らしが長くなってくると、一人の家に帰るのは寂しかったのだろう、
ほぼ毎晩、お酒を飲みに出かけ、食べて飲んで、踊りに行って、、、
お給料の半分以上が化粧品と飲食、交友費に消えた。
給料日の前日には口座は空っぽ。
お財布に残っているお金は小銭までコンビニで全部使った。
ほろ酔いなのに、さらにビールとポテトチップとアイスを買って帰って、テレビを見ながらまた飲んで食べた。
新宿、渋谷、六本木辺りを飲み歩いた。
チェーン店じゃない、ちょっとこじゃれた店を開拓するのが好きだった。
髪を巻いてピンヒールを履いて、記憶を無くすまで飲むのも日常だった。
朝方まで踊って、ネットカフェでシャワーを浴びて仮眠して仕事へ行くこともよくあった。
20代後半になると、付き合う人とは結婚を意識した。
具体的な話にならなくても、やっぱりいつも意識はしていた。
そうなると、やっぱり住まいは仮住まいという意識があって、ますます物を増やすことは憚られた。
そんな生活でも料理は好きだったので、休日は自炊もしていた。
小さな一口だけのコンロで工夫して一食でも3~4品は作った。
飲み屋で食べた美味しかったメニューを再現したり、彼氏が来れば「飲み屋に来たみたい」と言われるくらい振舞った。
美容の仕事をしていたので、多少、体重やスタイルのために流行のダイエットを取り入れたりはしていたけれど、あんなに飲み歩いていたのに太らなかったし、この頃が一番痩せていたから、今思うと、若いってすごいと思う。
仮住まいの人生だった
結婚するまで、わたしの住まいはずっと仮住まいだった気がする。
子供の頃はいつも寂しかった。
両親共にしつけに厳しく、幼い頃からあまり甘えた記憶がない。
兄もいたがあまり仲も良くなく、兄が小学6年生くらいになった頃から口を利くこともほとんどなくなった。
両親はいつも怒っているイメージだったし、褒められることがなかったので、自分はそんなに悪い子なのかと、自分のことも嫌いだった。
あまり笑いのない家族だった。
小学生の頃、放課後は友達と遊ぶこともあったけれど、だいたい自室で本か漫画を読んでいた。
本や漫画が大好きだった。
読んでいる間は主人公になりきって、理想の自分になれたから。
理想の家族に囲まれて理想の家に住めたから。
本を読みながら寝ていないか、指しゃぶりしていないか、
いつも母に監視されていた。
監視されていたという言葉は大げさは気がするが、どう考えてもその言葉がしっくりとくるので、実際そうだったのだと思う。
自室のドアは少し開けておかなければならず、
閉めてもこっそりと2階へあがってきて、ノックもせずにドアを開けて、
「なにやってんの!?」と怒られた。
いつも階段からの足音を気にしながら、本を読んでいた。
つい最近まで、家にいるとき、音楽をかけたりして他の音が聞こえなくなる状況が苦手だった。
自分の部屋が好きだったけれど、家は嫌いだった。
ちょっと買い食いしながら歩いてたらすぐに親や学校に通報する近所の人も嫌いだった。
そして、中学生か高校生の頃には将来は外国に行って暮らしたい、と思うようになった。
今思うと、ただ単に、心休まる居場所が欲しかったのだと思う。
そこではないどこか、どこか自由になれる場所に行きたかったのだと思う。
迷走タイトル
こっそりとひっそりと書いているブログだけれど、
迷走しているタイトル、また変更しました。
たぶん、これで変えない、、、と思う。
内容も変更。
これまでのまとまりのない記事は過去ログとしてまとめて
新しく、わたしの大きな転機となってきているここ数年のことを時系列で書いていきたいと思います。
なんていうか、自分を自分で整理したいための記録なのでマイペースに。
今日の息子のおやつは
先日、お友達がもってきてくれた味付けなしのポン菓子。
味がないため、園児たちには不評だったけど、息子だけは食べたのでびっくり。
我が家で一番濃い味好きで、ちょっとでも味が薄いお菓子なんて全く食べなくなっていたのに、、、
ここ1ヶ月ほど、市販のお菓子を食べていないせいかもしれない。
そういえば、ご飯もよく食べるし、以前よりも薄い味でも食べるようになった。
子供は当たり前といえば当たり前だけれど、
それにしても、神経質で偏食な子なので、他の子は食べるようなものも食べない、
どうすれば食べてくれるのか試行錯誤してきた4年間、
ただのおにぎりさえ、むしゃむしゃ食べてくれる姿を見るだけで涙が出るほど嬉しい。
そうそう、味のないポン菓子、大量にいただいたのだけど、
さすがに2日目3日目は食べてくれないので、今日はカラメルがけにしてみた。
フライパンで、きび糖とバターとちょっとの牛乳を煮詰めてからめる。
「ポップコーンの味~!!」と大喜び。
最近、甘いおやつはほとんど出てこないからね。
「おかあさん、あしたもこのおやつにして!」
そうかそうか、やっぱり甘いものはいいよね~、、
少しずつ、食べようね。
お皿いっぱいのキャラメルポン菓子をあっという間に食べて
「まだおなか空いてる~!」
はいはい、お次はお好み焼き。
お好み焼きが献立の日には、残った生地で小さめのものを焼いて、ラップして冷凍しておく。
凍ったままグリルで数分焼いて、おやつに重宝。
レンチンはなるべくしない。
まずくなるし、栄養素も壊されるらしいから。
市販のお菓子をばくばぐ食べてた頃だったら、カラメル味でも食べなかったんじゃないかと思う。。
布ナプキンで体調管理
布ナプキンを使い始めてちょうど1年ほど。
続けられるか少なめで試してすっかり定着したので、3枚買い足した。
布ナプキンてなんでこうファンシーな柄物が多いのかな。。
もっとモダンでスタイリッシュな大人っぽいものができればいいのに。
わたし、経血の量がかなり多い方で、使い初めの頃、洗濯が大変で続けるのは無理かなぁ、と思ったときもあった。
セスキ酸ソーダと酸素系漂白剤に浸け置きして、なんども水を変えて押し洗いして、
なかなか綺麗にならないので再度浸け置きしたり、ゴシゴシこすってみたり、、、
それが、1日2食(小食)を実行してすぐ、経血の質の違いを実感。
色もそれまでより薄く鮮やかになって、粘り気も少なく、
洗ってみると、2~3回水を変えるだけでサーっと流れて綺麗になった。
ダラダラと7日~8日続いていた期間も5日ほどですっきり終わるようになって、生理痛もずいぶん楽になった。
血が変わった!!
小食の効果を実感する大きなできごとだった。
その後、色々な食事法を試しているので、そのたびに経血の状態を確認しながら自分に合っているかどうかなど判断できる。
わたしの中で布ナプキンにして一番良かったのは、長年悩まされていた痔が治ったこと。使い捨てナプキンだと蒸れるせいか擦れるせいか、生理のたびに痔になって、治まってきたころにまたなって、、、って困っていたのだけど。
痔については、食生活でも違いを感じる。小食や断食でも改善できる。
先日、お酒を飲みすぎてしまい、一晩中吐き続け、しばらくその影響で大変だった数日、また痔が再発して「あぁ、体中が炎症を起こしているな、、」と実感した。
やっと、ここ数日でまた体調が整ってきたところ。