東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『GW後半』

朝7時50分起床。生活のリズムを休みでも崩さないように、というと大仰で、金曜の缶ゴミの回収が、毎週容赦なく、朝8時ぴったりに持って行ってしまうので、それに間に合わないと一週間分のペットボトルなどが溜まってしまうから。持っていくと、案の定、まだ8時前なのに、虎視眈々と回収することを待っている作業員の方々が。「焦らなくて大丈夫ですよ」と声をかけてくれるが、それはまだ8時前なのにそこにいるそちらのせいでは、と言いたくもなる。ひとまず、無事にゴミ出し終了。

朝食を食べつつ、洗濯。布団を干し、洗濯ものも干す。快晴、心地良い。昨日の教訓を活かそうと、上着を着てでかける。普段と反対方向の電車に乗り、別の場所へ。仕事前に余裕があったので、目的地付近のカフェで仕事。オープンスペースがあったので、そのテラス席へ。道路沿いとはいえ、外にいると気持ちが良い。

いくつかやらねばならぬ細かい作業など。とはいえ、細かい作業ほど、なんだか少し面倒で、集中力を欠いて作業効率が上がらない。で、気持ちは良いのだけど、やや風が強く肌寒さもありつつ。なんやかんやで仕事の時間になり、店を出る。と、日が昇ってくるとやや暑くなってきた。

一つ目の仕事を終えて、夕方まで時間が出来る。どうしようかと考えて、結果、新宿御苑へ。自分の行動する選択肢の少なさに呆れるが、晴れているとどうしても御苑に行きたくなる。JRで移動していたので、千駄木で降りて、千駄木門側から入る。新宿門と違って、ここから入る人はそこまで多くはない印象。晴れた日の木陰を歩くのは気持ちが良い。ただ、ぼんやりするのは日向が良いので、誰も座っていない日向のベンチに座り、小説を読む。が、どうにも本を読むのがのってこず、あまり頭にはいってこない。そんなこんなでうつらうつらしつつ。カラスが多い。きっと餌になるようなものを人間が捨てていくのを狙っているのだと思う。人に物怖じせず、何かを虎視眈々と狙う姿は賢いなぁと思う。

夕方、御苑を出て、3丁目付近のカフェで仕事をしてから、丸ノ内線で銀座方面へ移動。そういえば、新宿からも丸ノ内線を使えば銀座に一本で行けることに改めて気が付いた。赤坂見附で銀座線に乗り換えなければならないかなと思っていたけれど、そういえば、どちらの線でも銀座は通るのか。今更気づく。

とある仕事の飲みの席。自分みたいな立場の人もそこそこいるかとおもったら想像よりも少ない。そして、始まって徐々にその方々が「用事がありまして」と静かに去っていく。ひとり、またひとり。気が付けば僕一人ぽつりと残され、気まずさに耐えられず、予定よりも早く失礼させてもらう。とはいえ、それはそれで仕事先の人とも話ができて有難かったのだけど。食事も食べれず、帰りにラーメンを食べてから電車に。夜になっても心地良い気温で、上着を着てきたことを後悔する。最寄り駅に着いたら無性にアイスが食べたくなり、コンビニでアイスを購入。

帰宅して、ぼんやりしつつ、筋トレ。他に観るものはいろいろあったと思うけれど、なぜか「キャプテンアメリカ」の切り抜き動画を延々流してしまっていた。

 

『街を歩く』

朝7時40分起床。朝食を食べてから燃えるゴミを捨てる。外は快晴だったものの、洗濯をする余裕はなく、歯がゆい気持ちで外へ出る。心地よい陽気に薄着で出かけてしまったら、思ったよりも肌寒い。

とある仕事の要件で、普段は行かない、中野新橋という駅で下車。駅前はお店も多く賑やか。個人経営のカフェとかもあって楽しそうな雰囲気。

一つ仕事を終えて、中野新橋を後にする。次の仕事先が下北沢で、電車で乗り換えると少し遠回りになるのと、時間もまだあったので、少し歩く。なんとなく道を把握していたので適当に甲州街道に出るだろうと思い、歩く。空はほどよく雲があり、新宿方面のビルに良い具合にかかっている。目の前に公園が出てきて、近くの保育園の子たちや、ご年配の方が集まって、楽しそう。で、適当に歩いていたら幡ヶ谷近くの商店街へたどり着く。甲州街道を渡り、幡ヶ谷駅を通り越す。またそこにも商店街があり、楽しそうなお店が続く。定食屋さんが多く、時間に余裕があればこういうところで昼ごはんを食べたいがそうもいかない。ややアップダウンが出てくる。確かに、この新宿区と渋谷区の間あたり、結構、高低差がある。なんやかんやと代々木上原までは歩いてきたが、さすがにちょっと下北沢まで歩くのは心が折れて、小田急線に乗る。電車に乗るとあっという間。下北沢は人が多い。平日の日中とは思えない賑やかさ。

仕事のご縁でとある舞台を観劇させてもらう。スキルのある方のお芝居を観ることはそれだけで刺激を受ける。俳優たるもの、やはりどこかしら特権的なとでもいうか、他にはない何かがあってこそ惹きつけるものがあるのだと思う。

その後、今度は新宿へ戻り、新宿三丁目方面へ。あっちいったりこっちいったり。久しぶりに営業職全開の行動をした気分に。夕方、一通り出先での仕事を終える。腹が減り、ふと見つけたゴーゴーカレーに入る。なんだかボリューミーのものが食べたくなり、調子に乗ってトンカツと海老フライトとウインナーの入った大盛りのカレーを注文。結果、食べ過ぎて後悔する。美味しかったけれど。

お腹いっぱいになりつつ、歩いて、新宿2丁目方面へ。路地を歩いていたら、なんだか雰囲気のあるお店が連なる場所に。昔ながらのアパートのような作りの建物の、一つ一つの部屋の前に看板が出ていて、なんというか昭和の佇まい。ただ、僕にはちょっと場違いなので、速足で移動。そのまま東新宿まで歩き、カフェに入りメール作業など。いろいろなことが終わらない。

21時過ぎ、カフェを出て、買い物をして帰宅。ぼんやりしつつ、筋トレ。

 

『雨の一日』

朝7時40分、起床。天気予報でやや気温が低いというので、長袖を出す。準備をして、車で出社。走り出したら雨が降り出した。

事務作業いろいろ。それから電話もいろいろ。うまくいけばいいのになと思うこともありつつ、申し訳ありませんとお詫びもする。そうかと思えば、支払いの督促をしたりと、忙しない。

午後になり、雨が強くなる。午後は、いくつかある仕事の中で、ちょっと気が重い仕事をしつつ。とはいえ、これも仕事の一つ。夜、コンビニで夕食。カップラーメンと冷凍の高菜ご飯。炭水化物ばかり。

仕事を終えて、職場を出る。まだ雨が降っていて、肌寒い。買い物をして帰宅。筋トレしつつ、ぼんやり。外はまだ雨が降り続いている。

 

『連休明け』

朝7時40分起床。一応、普段通り目覚めることが出来た。朝食を食べて電車に。混雑具合も普通。机の上に、出社してなかった間の諸々がたんまり。たまっていた作業をいろいろする。

打ち合わせや、メールの返信、急な追加作業などをしつつ、夕方、仕事で出先へ。六本木付近。で、一つ、とある仕事上の話。結果、ホッとする。とはいえ、この先もずっと付き合っていかねばならぬ問題。悩ましい。それにしても六本木は賑やかで、車も多い。パーキングに駐車して、出先で仕事。1時間程度で戻ってきて2400円。どんな相場だ。

仕事を終えて、ガソリンが入ってなかったのでガソリンを入れにスタンドへ。手前で給油をしている車から3名ほど若い人たちが出てくる。多摩ナンバー。休みで都内に出てきているのだろうか、それとも仕事か。

給油を終えて、なんだかどっと疲れて、コンビニで夕食を適当に食べる。それでぼんやりしていると、親子が自転車でコンビニから出ていく。子供を後ろに乗せて、いわゆるニケツ。そういえば、娘と自転車に乗る、ということをやったことがなかった。もはや中学2年の娘とニケツすることもないだろうし。先日、古本屋をやった時、客が来なくて暇で、竹馬は一緒にやったものの。

帰宅して、少しだけ筋トレ。連休明け、やや休みボケの一日。就寝。

 

『ガレージで4年ぶりに』

朝7時40分過ぎ、目が覚める。少しぐずぐず寝てて8時過ぎに起きる。朝食を食べてゴミを出し、1日余裕があると思ったので、久しぶりに古本屋をやろうと準備。

100円ショップで本を入れる段ボールを購入。小銭をコンビニである程度用意して帰宅。娘にコルクボードに看板を手書きで作ってもらう。

「ガレージの古本屋 トキトキ」

家の中の本をみつくろって、ガレージの手前に並べる。金額はあまりこだわらず、文庫は100円、単行本は200円。僕の購入した本しかないので、かなり偏っているが、ラインナップは悪くないと思う。

小型のスピーカーも持参して、音楽を流す。harukanakamuraさんの「青い森‐蔦屋書店の音楽‐」。そして、ぼんやりと店主として本を読む。しばらくしたら娘もやってきて横で本を読む。お互い、本を読むのも飽きて、雑談。学校のことや習い事のこと。あと、学校で流行っている性格診断のことや、娘が好きなすとぷりのこと。今年の夏に映画があるらしく、それを観に行くのだとか。

昼を過ぎてもお客さんは一向に訪れず。まぁ、もともと人通りも少ない。昼食を娘に買ってきてもらうのでひとまず財布の1万円を渡して、適当に買い物を頼んだら、総菜パンを一つ買ってきてくれた。あと、パピコガリガリ君。どちらを食べたいか聞かれたのでパピコを選ぶ。久しぶりにパピコを食べた。お釣りが7000円くらいで、やや計算が合わなかったが、まぁそれはよしということで。

その後、娘と竹馬をして遊んだりした。あと、夕方に近所の家常さんの家族が歩いてきたので世間話。息子君がしっかり会話ができるように育っていた。成長、凄い。それでそういえば、以前、古本屋をしたのはいつだったけなと調べたら、2020年の5月だった。4年前。そこまで経っているとは思わなかった。コロナ禍の時だったことは覚えていたものの。4年経っているので、娘の身長も伸びていた。それはそうか。

本は一冊も売れなかったけれど、まぁ、それはそれ。やや肌寒かったけれど、楽しい一日だった。

 

『悪は存在しない』

朝7時40分起床。朝食を食べてでかける準備。外に出ると日差しが気持ちいい。上着を着てきたが、暑いくらい。都電で大塚へ。とある仕事があり。少し余裕があったので、ロータリーで座って時間をつぶす。ご年配の男性がやってきたら、途端に鳩が集まってきた。餌をくれる人なのだろうか、男性はにやにやしていたが、特に餌をやることもしない。では、なぜ鳩は集まってきたのか。不思議が。

とある仕事。自分もあまり詳しく知らない界隈のことだったので、勉強の意味もありつつ、見学。最初はちょっと飲み込みにくい部分もあったけど、それを求める人と、その応援を受け取る人たちがいて、まだ小さいながらもそこに集う空間があれば、コミュニティは成立する。もちろん、一方的に何かを発信したとしてもそれは響かない。そこには、共有される何かがある。全面的にうなずけるものではないにしても、そういった空間があることは肯定されるべきだし、それを楽しんでいる人がいるのも知ることが出来た。

それから渋谷へ。山手線で移動。大塚からはわりとすぐ。渋谷ハチ公口は信じがたい人の数。改札から出るのに一苦労。祝日の渋谷は来るものではない。が、観たい映画があった。

濱口竜介監督『悪は存在しない』。渋谷のル・シネマにて。冒頭の森の中を、真下から見上げるカットの、なんともいえない、畏怖のような感覚。

運転のシーン、車の走行シーン、車中の会話など、いくつかの車移動のシーンがあるけれど、それが印象深い。グランピング施設工事を説得させるため、主人公に相談をする二人が、高速道路を走るシーンは基本的に、後部座席から前方の2名を映す2ショットと、それぞれのの1ショットだけで構成されている。その冒頭にバックミラーを映すシーンが1カットだけ入ったけれど。お互いの表情はある程度しか見えない中で、二人の人となりを感じられるシーン。おそらく高速道路というロケの性質もあり、単純に停まってカメラ設置が出来ないという理由もあるだろうが。

その後、主人公をいれた3名の車中のシーンは、前方から3名それぞれを捉えるシーンと、3名が全員映る画角で撮られている。車の撮影はカメラ設置など狭い車両の中で準備しなければならないので、意外と手間がかかる。さらっとしたシーンではあるけれど、そこにカット割りをかけるということは、監督の意志が強く感じられる。その手前で、昼食を摂る3名のシーンは穏やかな、この映画の中でも観客からも笑い声がでるような場面で、不意に町にやってきた施設開発を企てる2名が町ときちんと向き合おうとしているシーンでもあったけれど、その後に、この車のシーンはある。施設が鹿の通り道であり、その鹿を出入りさせないために3メート近い柵を作らねばならないと主人公の男は語るが、野生の鹿は人を怖がり近寄ってこないならば、その必要はないのではないかと施設を作る2名は疑問を抱く。手負いの鹿はその限りではない、と主人公が語り煙草に火を着けた時、それが木々なのか、何かの影なのか、運転する主人公に深い陰が落ちて、画面が暗くなる。ここに、何かすでに、結末の予兆を感じる。主人公は、疑問を投げかける2名へ、はっきりとした回答をしない。

話は戻り、施設設置の説明会の場面で、町の長を担う先生と呼ばれる人は、上流の土地に住む者の義務を語る。水の流れが上から下に流れる限り、上で起きたことは必ず、下に影響を及ぼす。だから、上に住むものは、下に住む人たちに出来る限り、影響を与えないようにクラス義務があると語る。それは、この説明会に限れば、上流地域での生活排水で水を汚すことが下流に住む人に影響を与えるという意味だが、これはおそらく、もっと大きな自然の摂理の中でも当てはまる。上から下ということではなく、何かをすると、それが何かに影響を及ぼすということ。町の便利屋として、この地域の自然に詳しい主人公はその摂理を理解している者だった。ただ、決して、彼は、神様的な立ち位置にいるわけでもなく、どの登場人物たちとも同じように、一人の生きて暮らす人間に過ぎない。

映画の最後の、少女の失踪に伴う一連の出来事が、何か、運命とか、そういった因果の結果とか、そういうことを言いたいわけではなく。もちろん、鹿狩りをした銃により傷ついた鹿が、興味なのか憐憫なのか、近づこうとした少女を、防衛のつもりで襲ってしまったのかもしれないと、理屈では説明できるかもしれないが、本当にそうなのか。映画は、すでに収められた記録データを再生させるから、決まった脚本に沿って演じられるから、この結果は変更できないが、もし、これが、撮影を関係なく、もう一度、同じ場面を、同じように行ったとして、同じ展開になるのか。傷ついた鹿に向かおうとした少女に鹿がとる行動や、それを背後で見ていた主人公の取った行動は、果たしてどうなるのか。何か、作られたシナリオの、因果の、その果ての行動というよりも、衝動的な、その瞬間の、その場にいた存在全てが、とった咄嗟の行動の集積があの結果になって、それは、本当に、唯一の、説明もできない、何か、でしかないのではないか。だから目撃してしまった僕らは、途方にくれるしかない。安易な回答を用意してくれない作品を目の当たりにして、その幕引きに対して、自分で何か結論を出さねばならず、かといって、明確な解答は無いだろうとどこかで思っていて、だからこそ、苦しい。

映画の本当の最後。息を切らして走る主人公の目線なのかわからないが、映画冒頭のシーンと同じく、森を真下から見上げるショットである。僕ら全員、下にいる。見上げるしかない。何かの影響を受けて、地面の上に立っている。主人公も同様である。降り注ぐ何かを受け入れて、その影響から、行動をするしかない。映画の冒頭、少女が真上を見上げるショットがあったことも監督の意志だろう。

 

『連休の初日』

目が覚めたら朝9時。だいぶ眠ってしまった。昨日の習慣が聞いてあきれる。猫が久しぶりにお腹の上に乗っており、重かった。少し寒い証拠か。もたもたと起きだして、朝食を食べてから、歯を磨きつつ、段ボールをゴミ捨て場に捨てに行く。やや雨が降っている。先日見た天気予報とだいぶ違ってきている。と、近所に住む友人にその姿を見られ「歯磨きしてる」と見たまんまを指摘されて、やや恥ずかしい気持ちに。

でかける前にメール作業をいろいろ済ませる。重いデータをまとめるのにドライブにアップロードをするが、その作業が、先日から行ったり来たりしており、どうにも効率が良くない。あと、昨夜、スマホの充電を忘れており、それを朝になってからするが、こういう時に限って、結構、充電が減っていて時間がかかる。

やや寒いという予報と、曇り空だったこともあり、上着を着て出かけるが、外は結構暑かった。なんなら半袖の人もちらほらいる。ミスった。汗をかきながら出かける。

仕事もしつつ、少し人と会い、話をする。SNSというのはいろいろと悩ましい。仕事関連でも、今朝、びっくりするようなメールがきた。SNSに関する件。無数にいる他者に対して、全員に肯定される内容は難しい。もちろん、全員から好かれる必要はないかもしれないが、ごく一部の意見に左右される必要はない、とは思いつつ、しかし、と、考えは巡る。

その他、仕事部屋に関する話をすると、絶対、盛り上がる。だいたいみんな同じことを考えている。なんなら、今日、その話をした人は、物件探しをして、内覧までしたらしい。ほしいなぁ、仕事部屋。しかし、まだ数年難しいか。

夕方になると、一気に肌寒くなり、上着を持ってきたのが正解になった。変な気温。体調崩してしまう。

西早稲田まで移動して、松屋で昼食兼夕食を食べて、カフェで仕事の続きをしたり。そうこうしているうちに21時くらいになる。

なんだか、あまり落ち着けない。買い物をして帰路。歩いていると汗ばむくらい暑い。夕方の寒さはなんだったのか。