二人の家

息子と2人暮らし。
今、とてもストレスを感じている。
気持ちが通じない。
無職の自分とアルバイトの息子。
協力して心地よく暮らしていきたいと切に思う。けれど2人はマイペースすぎて上手くいかない。

kに対する要望がたくさんあるけれどまずは自分がかわり環境を変えたいと思う。
閉ざされた心は急には開かない。

まずお家を清潔に保ちたい。
ミニマムな暮らしにしたい。
今日から始めた。
筆子さんのプログを読んでいると気持ちが落ち着いてくる。
今日はシンクを綺麗にした。
ソファーの上を占領していた洗濯物を畳んでしまった。
たまっていたレシートを家計簿に書き込んだ。

今までより焦らずにできた。
自分を認める。

息子3

息子はkという。
ニートもどきである。
もどきというのは、少しだけアルバイトしているから。
私は家事が嫌い。
生きてるだけで大変なのに嫌いなことをしていたらもっと人生いやになると思って嫌なことはなるだけしないで生きようと思っている。けれど汚ない部屋はこころを傷つける、ダメージをあたえる。
どうしようもなくなって漸く重い腰をあげる。
kの部屋はゴミ箱のように汚ない。
ここ何日か掃除をしようといっても拒否される。
今日は無理やり掃除をはじめる。その際に自分を食べさせるようにならなくてはいけない、これからのことをどう思っているのかなど問いただす。kは椅子の上にあぐらをかき足をぶるぶるさせながらゲームをしそれがおわると将棋をはじめる 。絶対、口を開こうとしない。そしてでかける用意をする。
そして私が泣く。すると彼は言う。
自分がどうしようと思っても結局あなたは自分の好きにするでしょう と 。
kがでかけたあと私は一人でkの部屋の掃除をする。
たくさんの履歴書とそれ用の写真がでてくる。
強く迫ったことを後悔する。
激しい後悔と不安におそわれる。

kの心は彼の口のように固くとざされたままだ。

息子2

息子の名前はkという。
今年国家公務員試験国税専門官の試験を受けた。
学科である一次は上位であったのに
二次の面接でおちた。
年齢、調査書の汚ない字、ビジネスバッグでなくリュックだったこと?
国家一般は面接eで国税はd以下で学科がどんなに良くても受からない 。
まるで絶対とりませんよというかのようにそれぞれeとdだった。
kは結果がでるまで楽観視していた。国税は発表当日の面接に備えて築地までいって待機した。結果不合格、そして国家一般も。待ってる私に連絡をくれた。
kはそんなに落ち込んでないように感じた。
精一杯強がっていたのだろうか。
私はその後2、3日は明るくふるまえたがだんだん
自分のへやにいる時間が長くなり不機嫌になっていった。
不機嫌は隣人をきづつける。

息子

朝、キッチンからガタンと物音がして目覚める。
めんどくさい気持ちとたたかっているとさらにガタンと音がしてほおっておくこともできずベッドからぬけだした。何事だろうと寝室のドアを開けると冷蔵庫とゴミ箱のあいだの狭いスペースに息子が麦茶びたしになって倒れていた。
いっきに目が覚める。小さな子ではない。
もうすぐ30歳。倒れた手に麦茶のピッチャーを握っている。意識はあるが顔は真っ白。更にかなり痩せたような気もする。
本人は貧血と言ったけれど本当だろうか?
麦茶の水溜まりから立ちあがりキッチンとつづいているリビングのソファにうつ伏せになり少したってベッドにもどっていった。
ベッドで調べたらしく様子をうかがうと迷走神経なんとかだと思うといった。
その後いつもようにバイトに間合う時間に起きて
食事をとった。
妙に顔がほそくなった、そういえば最近食が細い。
気になってご飯を食べるかきくも「後で」
病院に行った方が良いといっても、「大丈夫」と
こたえて結局いつもの時間まで寝ているということになった。
バイトは休んだ。

こんなことがあると
自分にとって息子は本当に大切な人なのだと
ひしひしと感じる。
なんだか胸騒ぎがする。
もっとコミュニケーションをとって協調しながら生活していきたいと思っている。
ずっとほっぽらかしだった。

いつも一番気にかけていきたい。

今週のお題「お弁当」

昔、結婚して間もない頃の話。
夫は毎晩クラブ活動をしている飲んべいだった 。
その為朝は遅く特にお休みの日はなかなか起きてこなかった
時は春、桜が満開。
出不精の夫からやっと取り付けた約束。
明日はお花見に行こう。

新婚の私は約束通り花見弁当をつくって夫のおきるのを待つ。
なのにいつまでたっても起きてこず、やっと起きてきたと思ったら「お腹すいた」といってなんとお弁当を食べ始めてしまった。
せっかく重箱にいれて桜吹雪舞う中で一緒に食べるのを楽しみにしていたのに。
初めて夫のことがちょっと嫌いになった瞬間だった 。
そんな夫は結婚生活10年で亡くなった。
癌がみつかって6カ月後のことだった。

私は32歳で未亡人になった。
あれから20年以上も過ぎてしまった。
無くなった時、丁度一回り年のはなれた夫の年齢を自分が越えるなんて思えなかったのにあっさりと越えてしまった。


今思う。私を一番愛してくれたのは夫だ。
とても大切にされ愛されたことはどんなに月日がたとうとあせることはない。
今もとても感謝している。
そしてどんどん好きになってゆく。