誰が自分達を守るのか。

  • 徴兵制に繋がるのか、繋がらないのか。 
    強制的に徴兵することは、まず暫くはないだろう。自衛隊の数が少なくなってきたら、あるかもしれないと考えるのが普通ではないか。 
    たまに聞く意見で、「あくまで戦地に派遣されるのは自衛隊」だから一般市民は関係ないというが、少子化も叫ばれる中、その自衛官はどこから湧き出てくるのか。それは、国内の日本人の中から選ばれるのであって、外国の誰かがやってくれるのではない。 
    日本は確かに平和ボケしているのかもしれない。それは、他の大陸にある国と違い、国境を意識したことがあまりないからだろう。 
    ここから日本とか、ここからどこの国だとかを差し迫って考えたことがない島国だから。 
    憲法9条は、世界に誇るべき憲法だと思う。 
    がしかし、それならば、何かの有事の際、誰が国を守るのか。それは、自分達しかいない。故に有事の際は、徴兵されるしか選択肢がなくなるだろう。もしくは、黙って占領されるか。 
    今までは、アメリカとの日米安保条約で、日本のあちこちに米軍基地があるので、何かの際は米軍さん、あとは自衛隊が守ってくれるでしょうという考えがあったと思う。その考えもなく、軍隊は持ちません、戦争しません、というならば、一体、あの中国の船や飛行機、北朝鮮のミサイルなどからどうやって自分達を守るのか。もう少し考えてほしい。 
    本当の世界の理想の姿は、どこの国も軍隊も武器も核兵器も持たない世界だ。 
    しかし、どこかの国が持っている。 
    それから身を守らなければならない。 
    ならば、普段からそれなりの準備は必要だ。 
    名称は、自衛隊でいいと思う。 
    守るための隊であり、攻撃するための軍隊ではないと。 
    だから、集団的自衛権の容認であって、行使ではない。行使することは外交でなんとか避けなければならない。日本を守るための抑止力だ。 
    そのために今回、自衛官を辞める人が増えたら、それは自ずと徴兵制になるだろう。 
    国を守るとはどういうことなのか、考えるの必要がある。 
    はたまた、守らずに占領されても仕方ないと考えるのか。 
    戦争は、誰もしたくないから、過激な戦争は恐らくないだろう。誰の利益にもならないからだ。今あるような部分的な威嚇だ。あとは、テロなどはあるだろう。 
    あくまで自衛権ということを世界に示さないとならないこともある。身を守る権利はあるだろう。
    最近、20歳くらいの若者の所とその保護者の所に「自衛隊に就職しませんか?」という手紙が男女問わずきているようで、若者達は「これが噂の赤紙か?」と冗談めいて言っているようだ。あと、テレビCMでもAKBの島崎遥香が「自衛官募集!」と自衛隊募集のコマーシャルをやり始めた。このことから、柔らかく徐々に一般市民から自衛官へ引っ張り込もうとしている感じはする。あくまで任意で義務ではないから、柔らかいが、AKBの島崎遥香を起用する辺りがなんとも言えない。 
    ということで、集団的自衛権についても自衛隊についても徴兵制についても国防を考えるきっかけになるのだから、私には関係ないとは言わず、一緒に考えてみようではないか。 


    集団的自衛権徴兵制につながるのか? 
    (THE PAGE - 07月07日 18:40) 

労働の平等性

  • アリの法則を見ればいい。 
    必ず2割がサボっている。 
    その2割のアリを取り除いても、また2割がサボりはじめる。 
    絶対の平等や絶対の少数精鋭などあり得ない。 
    皆が同じ能力などあり得ないからだ。 
    やるとしたら、適材適所に人を置くことだ。 
    それでも、 
    「あの部署楽そうだよなぁ。」 
    と自分が割に合わないと思うのが人間だ。 
    では、どうすればいいか。 
    自分のために働いているという意識を持つしかないのだ。自分の能力を上げるため、自分が楽しいから、そういう気持ちで仕事をやらないで、やらされてる感でいる限り、奴隷的思考からは抜けだけない。やらされてる者同士で、見張り合って、
    「あいつよりも仕事量が多い」 
    「あいつの方が楽そうだ」 
    という思考からは一生抜け出せないだろう。 
    「自分しかこの仕事はできない」 
    と誇りを持つのもいいが、それも結局はそれも小さなこと。その人がいなくなれば、必ず誰かがやるか、その仕事はなくなるだけだ。 
    人は生きるために無駄な仕事を無限に作り上げてるだけだ。今の仕事を見ればわかるだろう。 
    本当にその仕事がなくなって、誰が困る? 
    それは、仕事がなくなる自分だけだろう。 
    医者や農業などの命に関わる仕事を除いては。 
    でも、その医者や農業も自ら色々工夫して、仕事を増やして、収入を増やそうとする。 
    医者のこの専門分野の細かさには最近困る。 
    昔は内科と外科だけだったのが…。 
    人は仕事を増やすのが好きなのだろう。 
    特に日本人は。 
    資本主義は、自分が持っているパンを人の口に入れてやり、また誰かに自分の口にパンを入れてもらう、その繰り返し。誰かが、それを滞らせると途端に流れは止まる。 
    だから、永遠にパンを作り続ける。 

    ■仕事が遅くて「ダラダラ残業」そんな社員が「残業代」もらうのはオカシクないか? 
    (弁護士ドットコム - 07月06日 11:11) 

教育と暴力の形

  • 毒親に纏わり、虐待の話をしますが、身体的虐待より精神的虐待を経験している子供は多いのでは?しかも、それを子供も親も自覚してない。僕自身がそうだから、書くのですが。 

    自分自身、身体的暴力は振るわれたことはなかったのですが、大人になり、社会で働くようになってから、色々な書物を読むようになり、世の中には、精神的虐待というものがあるとわかりました。 

    僕の場合は、朝起きてすぐから「早くしなさい!」というもの。頭がまだ起きないのに、すぐに朝食を食べさせられ、何が何だかわからぬうたに胃に物を入れる状態。頭はボーッとしてます。そうすると「ボーッとしない!」というようなものです。子供のペースに合わせてくれない。 

    小学生時代には、風邪をひくと「体調管理がなっていないからだ!」と怒られました。 
    高校生になってからは、「部活は、遊びみたいなもんで、あなたが選んだこと。帰ってきたら、勉強しなさい!予習復習するまで、寝てはいけない!」というもの。 

    こっちは、高校野球という人生に一度しかない青春の足跡を残そうと真剣なのに、遊びと怒られる。勉強が学生の本分なので、テスト前は勉強し、点数だってよくて、指定校推薦を取れる程の成績だった。それは、僕が電車の中や授業と授業の間の休み時間に勉強していたからだ。 
    しかし、親という生き物は、目の前で勉強してないと安心しないらしい。ということで、電車で勉強しようが、見てないから知らない。だから、今、この私の目の前で勉強しなさいというものだ。それを夜中の2時くらいにケンカしたりで、言われるので、結局、不眠症になった。 
    神経は過敏になり、絶えず動悸やめまいがするようになった。でも、私は、親に自分の人生を狂わされてたまるものかと精一杯の反骨精神で、耐えた。いつか見てろよと。そして、大学に入った時には体はボロボロになっていた。 
    会社にも新卒ですんなり入社できたが、体がもう、持たなかった。 
    頭は回転するが、体がダメになっていたのだ。 
    当時は、就職超氷河期と言われていた時期だったので、希望の会社に入れたのはとても運がいいことだと思った。しかし、体力的な問題で、退職。退職する時に社長から「話してみると自己分析もできてるし、頭が悪いとは思えない。なんでだろう?でも、仕方ない。」と言われたのを今でも覚えている。 

    しかし、僕は、根っからの諦めの悪い性格だったので、また、すぐに就職活動をし、就職。頭は回転するから、入社試験には一応合格する。 
    結局、その繰り返しだった。 
    そして、一昨年、母親は自ら命を断ち、父親も心臓の病気をし、手術に立ち会った。 
    人生ってのは、どんな小説よりも想像を超えて、こちらの心構えとは関係なく、ある日突然その時はやってくるものだと体感した。 
    そして、今に至る。 
    僕は、ロンバケ宣言した。 
    もう、既存の世の中のいいとされる物には惑わされないぞと。今まで色々なものと戦ってきて、その戦いに夢中で、周りの景色を見ているようで見ていなかった。 

    私は一人っ子長男。 
    頼るあては自分以外にない。 

    人の生きる道は、親でも他人が決めるものではない。 
    自分の信念によって決まるものだ。 

    世の中は、親は良かれと思って、子供を教育する。しかし、15歳頃からそれに反発するというのは、自立への大事な一歩。自分と他人は違うのだという自我が生まれてきて、親とケンカするのだ。
    その目を摘み取り続けると子供は自立への機会を失う。 
    思春期のパワーというのは、素晴らしいものだ。生きるパワーである。 

    それを頼もしいと親が思えないと、後々、死ぬまで、親は子供と共依存関係になり、不健康な関係を続けなくてはならなくなる。 

    親が本当に子供の幸せを望むのであれば、やはり、1人の人間としてある時期から対等に扱うべきだ。そして、少し距離を置き、どうにかなるさと見守る。 

    今思うのは、そんな私の教育論だ。 

    毒親にならないための子育てアドバイス 

人口問題

  • 人口問題は、増加の一途を辿るにしても、減少傾向の一途を辿るにしても一時は深刻な問題に陥る。 
    今回は、人口減少がまずはどのようにして起き始めるかがより具体的に描かれたものであるが、なぜ、1970年代にあれだけ人口爆発が起きて食料不足になると騒いでいたのに、今は人口減少傾向だと言うのか。 
    ということは、状況改善によっては、今からでも人口を増加傾向にさせることも可能なはずだ。 
    しかし、この現在の晩婚化と未婚化、日本では特に結婚しないと子供を産まないという文化、事実婚が圧倒的に少なく、さらに結婚にはお金がいると言うメディアからの刷り込み、待機児童問題などなど、問題山積みである限り、やはり子供は愚か、カップルもなかなか誕生しないだろう。 
    さらに高度情報化社会で、異性と付き合う前の情報も多過ぎて、頭でっかちになる。人と付き合うのは面倒なことは多いのは当たり前なのだが、それを避けて、手軽いスマホの恋愛アプリゲームやアイドルの追っかけで、欲求を代償で解消したりなんてことも。(あのスマホの恋愛ゲームのテレビCMなんとかならんかね。気持ち悪いんだよね^^;周りでやってるの聞いたことないし) 

    成熟した社会とはそんなものなのか。 
    人類を救えるのは愛のみではないのか。 
    宗教っぽいが。 

    この見出しには、地方の若年女性半減としか書かれていないが、東京はしばらくは増える。 
    そして、女性の人口が男性の人口を上回る。 
    新宿区においては、20代〜30代の53%程の女性が単身世帯の独身であるという。半分以上が独身だというのだ。大都会ならば、異性との出会いもチャンスも多いと思いきやである。新宿の区長は、早急にこの問題を解決すべく、対策を考えているらしい。 
    考察するに、この未婚化は、人間の一種の防衛反応だと思う。ゆえになかなか一筋縄ではいかんと思う。結婚しないことがリスク回避なのだ。後々を考えれば、それは子供が2人以上いた方がいいのは皆わかっている。 
    しかし、一人しか産めないならとか、経済的に困難だからとか、年齢の問題もあるのでとか、現状難しいということがある。 
    映画マトリックスの世界みたいに人間は機械により培養されるものとなれば、また状況は変わってくるだろうが(笑) 
    この世には男と女しかいない。 
    それなのに、互いに余っている状態というのは、嘆かわしいものだ。 
    しかし、恋愛上級者の方では、パズルの入れ替えが絶えずあり、こっちがダメならこの人とという感じで、恋愛格差も生まれている。 
    結婚が一度もできない人が大勢いる中で、結婚を何度もする人もいる。 
    これがまた特にお金持ちではないというから 
    凄い。何か秘訣を教えて貰いたいものである。 
    経済格差と恋愛格差は連動はしているだろうが、動物的に生きて、恋愛格差をカバーしている人達も中にはいる。ビッグダディのように(笑) 
    35歳くらいで一度も結婚してない人よりバツイチくらいの方がいいというのは、常識という定説になりつつありますな。 
    その理屈にあやかって、一度は妥協して、近くの異性ととりあえず結婚してみるのもいいのでは?なんて、考えも最近の僕にはある。これは、いい意味での妥協だと思う。 
    今の社会は、特に一か100か、白か黒か、勝ちか負けかの二者択一のようになり、さらにそれに拍車がかかり始めてる様な気がする。 
    グレーゾーンとか、まあ、なんとなく?とか、嫌いではないし、とかそういうのが少ないというか。 
    恋愛に関しては、男はまだ昔の形を重んじる傾向があるらしく、デート代は男持ちというのがあるらしい。僕もその一人だが。 
    だから、デート代が払えないなら、異性と付き合わないという男もいるようだ。 
    さらに雑誌やテレビで、お金持ちと結婚するのが夢!結婚と恋愛は別!とかいう女性の意見を聞かされたら、男はげんなりする。 
    割と男の方が結婚は恋愛の延長であるというロマンを描きがちだ。 
    企業と人材のミスマッチもあるが、男女のミスマッチも甚だしい感じ。 
    日本の女性は綺麗になり、進化したが、男はどうだろうか?そして、綺麗になる女性は、何を求めて綺麗になり、美を追求していくのか。 

    やっぱり、結婚は恋愛の延長で、子供もその延長上にある方がいいよなぁというお話でした(笑)
    あ、僕の周りのいい男は大概、大学生時代に頭のいい嗅覚の鋭いいい女に青田買いされてた感じです。 

    2040年に896自治体で若年女性半減、消滅の可能性=有識者会議推計 

魔女狩り

猪瀬知事が辞任した。

極楽の山本さんや次長課長の河本さんも未だに社会的に許されていない。

「悪いことは、悪い」のはわかるが、最近、ネット社会が定着してからと言うものの、まるで「魔女狩り」のごとくボコボコに叩きすぎる風潮にあるように感じるのは私だけだろうか。この日本の陰鬱とした空気は道徳的に少しでも悪いことをした人を絶対に許さないというところから来ているのではないか?と数年前から感じている。人と人との関係は許しから始まる。もちろん、絶対に許せない事柄もある。しかし、寛容な社会こそが生きやすい社会を作ると思う。「まあ、いいじゃん!」というのは、甘いような響きに感じるかもしれないが、大概のことを「まあ、いいんじゃない?」という寛容な社会にしていけば、伸び伸びとした空気になり、例えば起業についてもチャレンジもしやすくなると思う。

そういった意味では、安倍晋三さんが再び首相に返り咲いた時は、日本も少しは変わったのか?と思ったが、どうも違ったようだ。

不謹慎ではあるかもしれないが、猪瀬知事に関しては、本当に辞める必要があったのだろうか?猪瀬さんも萎縮してしまい、嘘の上塗りみたいになった感じは確かにある。しかし、嘘をつかないと知事を続けられないと思ったから、あのような発言が続いたのだろう。外国では、責任を取る形で、辞職することはないという。仕事を全うする形で責任を取ると聞いた。

いつ自分もミスをするかわからない世の中。不用意な発言をしてしまうのは、いつか自分かもしれないと思うと、人殺しでもない限り、相手が再起不能になるまで、完膚なきまで、ボコボコに叩く気持ちにはなれない。基本的には、相手の気持ちになって、行動・発言するというのがある。

日本には、今だに村八分社会が蔓延しているのだろうか。村人達がお互いを監視し、何かはみ出すことをすると弾く。

個性に関しても、失敗にしても。

もちろん、不正をして自分だけ利益を得ようとした者を叩くのもわかる。

鍵は、「寛容」

どれだけ想像力を深めていくかだと思う。自問自答し、相手の立場や気持ちを想像すること。

そうすれば、自然と寛容な社会になっていくと思う。

何か窮屈で、人の目が厳しくなってきて、生きづらい思うのは、私だけなのだろうか?