第7週 意地の上にも三年 第42回

初見のときは仕事前なのに号泣してしまって、焦ったことを思い出します。


落語会当日、というテロップが冒頭に出て、開演前の様子が描かれ、「お楽しみゲスト」が「愛宕山」を演じ始めるところで終わる、時間にしたら14分足らずの本編。

ここに至るまでのそれぞれのキャラクターの描写の膨らみがストーリーの展開を豊かなものにしています。

謎解きや出来事が進むことのおもしろさで楽しむだけでなく、登場人物の思いに共感できる丁寧なつくりだから、見る者の心を動かすのでしょう。


ほんの数時間の落語会のうちの、ごく一部の様子を見るだけで、あの空間に集う数十人の背負っているものが伝わってくる。

草原さんの奥さんである緑さんが草若師匠に会釈するだけで泣ける。


小草若ちゃんの背負うものは重過ぎる。

父親のことが大好きで、師匠のような芸人になりたくて。

でも、落語が上手くない自分は息子としても愛されず、弟子としても認められないのでは、と不安で一杯。


あの涙の高座は、お客さんのことを無視した、芸人としては失格の内容だった。

でも、息子として語る強い(おそらく初めての)父親への思慕の告白が、結局は草若さんを動かした。



その他、糸子さんの師匠を誘い出した一喝、草原さんの「なに、ええ話しとんねん」というツッコミ、うなずいているだけの柳眉(よね吉さん、細い!)、どこを見ても楽しいです。


ここまで盛り上がってしまったら、あとの4ヶ月は何をするんだろう?とリアルタイムで見ていたときは心配しました。

(その心配は当たったのかどうか…)

第7週 意地の上にも三年 第41回

物語はクライマックスに向け、静かに動いている。

草若さんなんて、ただ散歩に行って帰ってくるだけで、一言も話さないしナレーションも入らない。

でも、草々の稽古する「愛宕山」を聞いて、いつの間にか思い出している3年前の一門会の日のこと…、というのが草若の意識の流れとして直接的に語られてはいないけれども、同時進行で菊枝さんの告白があって、上手くシンクロさせているのです。

散歩から帰ると、「小草若」の名を書き足したポスターに目を凝らす草若。

ドラマとして分かりやすいアクション(行動、演技)が無くても、草若の心の揺れが小さなカットの積み重ねで丁寧に伝わってくる。


さて、はっきり動いている場面はというと…。


妻の病という理由で舞台に穴を開けた父の真実に、「芸人は身内の不幸を笑いにかえなあかん」と啖呵をきる息子。

母を悲しませるような理由ではなかったと知ったとたん、安心して息子という立場から、同じ仕事に生きるプロという立場に小草若ちゃんはシフトするんですよね。

そして、小草若ちゃんは劇的な一門復帰をするのですが、草原さんに「愛宕山」をやれ、と難題をふっかけられる。

自分の出来なさ加減を知っている小草若ちゃんのうなだれた様子を見ると、草原さんが「鬼」に見えましたw

やる気さえだせば出来る子や、と草原さんは信じて、厳しく接しているのでしょうが、草原さん、あなたの師匠とその息子は親子揃ってプレッシャーに弱いことを忘れていませんか?

第7週 意地の上にも三年 第40回

この回も、すごく好き。

小草若ちゃんの赤いダウンジャケット、12月初旬の設定だったら、暑すぎないか?
草々さんはTシャツ一枚なのに。

小草若ちゃんの繊細な心は大げさな鎧がないと守れないし、草々の熱はTシャツ一枚じゃないとオーバーヒートしてしまう。

着るもの一つでキャラクターを表現しているのですね。

お母さんの写真に、ちょっと帰ってきたで、と小さく「底抜け」をやるところ、テープの声を師匠の稽古の声と勘違いして襖をつい開けてしまうところ、ほんの数十秒流れるラジオ番組の放送場面、ラジオ局玄関での草々との対面シーン。

小草若メインで総集編作ったら、上にあげたシーンは全部、必須です。

第7週 意地の上にも三年 第39回

小草若の算段で一度は「寝床」使用を熊さんに断られるが、お咲さんの説得で無事に使用できることになる。
喜代美は小草若から三年前の一門会の当日のことを聞き出し、小草若の母親の死は草若のせいだと彼が思い込んでいることを知った。


あの日、草若は息子に恨まれることを承知で芸人としてのプライドを守るためにうそをついたはずだし、実際に芸人としての生き方を息子に見せたはずだった。
計算違いは息子が父親の「芸人として尊敬されたい」という強がりを理解するには、まだまだ精神的に未成熟だったこと。
父は芸の師匠であり、乗り越えられない壁と思うからこそ、息子は激しい感情をぶつける。
自分だけが傷ついたと思い込み、父を責め続ける。
いくら罵っても父はなんとも思わないはずだからと、どうにかして父を傷つけようとしていた。
父が苦しむのを見ても、母の方が、そして自分の法が傷が深いと信じ続けていた。


そんな重い展開の中、小浜組が到着。

煮詰まり感のあった徒然亭の雰囲気を風通しよくしてくれた。
糸子さんたちにそんな気配りがあったはずはないのだが…。
15分のドラマとは思えない、中身の濃さだ。

第7週 意地の上にも三年 第38回

四草の算段で「寝床」が使えることになり、落語会開催の目処がたった。

草々が「愛宕山」の稽古をしている様子に聞き耳をたてる師匠。

小草若も皆の様子が気になっている。


あの弟子たちが集まってワアワア言っているところは、いつ見てもいいものです。

さんざん喜代美に手助けしてもらって、草原さんと四草が帰ってくると喜代美のアシストなんてなかったような調子になってしまう草々も、微笑ましいですよ。

ビートルズの前座のドリフターズ」「赤穂浪士の討ち入りの日」「アマテラスオオミカミ」といった、うまいこというやん、的な台詞はみんな四草なんですね。

それに対して、小草若ちゃんはアホ丸出しなんだけど〜、家の前まで来ても中に入れない姿がいじらしい。

草若師匠も障子の後ろから稽古の様子を窺っているところが、やっぱりこの人たちは親子だな、という描写です。

第7週 意地の上にも三年 第37回

縁側で草若師匠が皆にタックルされるシーンは前週の「寝床」のシーンから続いていたのですね。

逃げられると追うなんて、上手くできたもので、結局は草若さんを追いかける勢いで草原さんと四草は敷居を越えちゃった。

小草若ちゃんだけがまだ弟子という立場では敷居を越えられない。

久しぶりに15分通して見ると、「寝床」のお約束のくだりで私は笑ってしまった。

常連さんの無理やりな言い訳(どこの学校が劇で108本もローソクを使うねん?)とか、熊さんの仕返しとか知っていても笑う。


落語会の会場に「寝床」を借りることを思いついた。

と一言のナレーションですむところを散々いちびりたおしてしまう。
ストーリーを追うだけのダイジェストならカットされてしまうような、こんな箇所が私は好きなんです。

第6週 蛙の子は帰る 第36回

今日もぐる関の録画を見ていて思ったのですが、最近は茂山宗彦から桂よね吉に興味がシフトしています。
もちろん、ぐる関においてのみ、ね。
なんだか次々と私の萌えポイント(普段はホワホワしているれど、本業になると男前)をついてこられるので、目が離せません。

火曜日の放送では、いけばなで鋏の扱いが手馴れていて、何気ない器用さにうならせられたりして。

それと、「ちりとてちん」の映像で柳眉役の姿で出てきたとき、今とのあまりのギャップに笑いましたよ。
細いのは着物のせいかもしれませんが、顔の大きさの違いは何なんだろう。
もともと体だけでなく目も細かったから、あのくらいの顔の肉付きのほうがイケズな感じがして、あれはあれでよかったかな。
もしも染雀さんが演じてたら、、、それも見たかったです。



さて、第6週の土曜日は四草がオチた回です。

草原さんの、全部わかってるねんで、という態度が包容力に満ちていて、大人だなと思わせるのですが。

でも、草若邸の前で躊躇って入れず、「寝床」に入ってしまうところが、とても草原さんらしくていいと思うし、そのことで師匠の存在がどれほど大きなものなのか伝わるのです。

この回で、師匠の元を去ったときの弟子たちの思いがどんどんあふれてきます。

四草は、他の師匠のところに行けと言われて、師匠に捨てられた、裏切られたと怒りを抱えていた。

草原は、自分のことで精一杯で、師匠の窮状を思いやることができなかった。

小草若は、
「あんな奴、親とは思てへん」
と叫んだところで、草若師匠が「寝床」に入ってきて、次週へ続く。。。

ものすごいヒキの後、次週は小草若ちゃんを中心に展開するんだけど、あれ、ヒロインはどこへ行った?