vol.2社長インタビュー 石塚社長編
こんにちは!まおです。
記念すべき2回目の記事!(笑)
今回は、有限会社アクティブ 石塚 直美 社長にインタビューしてきました!!
静岡県内に20店舗近くのローソンオーナーをされています。
”めちゃくちゃかっこいいキャリアウーマン”という印象。
とても優しくて、憧れてしまうオーラを持っている方でした。
今回は、あの〇〇〇しゃちょーのお話もちょっとだけ聞けます。(笑)
・コンビニの多店舗オーナーって?
・コンビニって大変なんじゃ?
etc...
そんな疑問を一挙に解決できました!
それでは、さっそくインタビュー記事に移ります!
目次
波乱万丈な社長の人生
さっそく、質問に入らせていただきます!(名刺の裏を見て)これ全部石塚社長が経営してるんですか?!
そうそう。
私は、美容師をしながら静岡駅の南でコンビニ第1号ローソン静岡大谷店をオープンしまして。それが1994年です。
生まれてない。(笑)というか、美容師??
そーかーちょっとショックだ(笑)
そうそう。私は高校卒業して美容師を目指して働いていたんです。
ローソンを始めたきっかけは何だったんですか?
きっかけは土地活用。母がそこで飲食店をやっていたんだけど、6店舗くらいの飲食店をやっていた急に母たちが全部店をたたんで、母の実家のお寺を継ぐためお坊さんの修行しに行っちゃったんです。
で、一店舗だけ余ったところがどうしても売れなくて....。母が「ここの土地買わない?」って。(石塚社長が)「まあじゃあ...」って言ってそこの土地を買ってね。テナントとして貸していたんだけど、半年したら借り手が出ていってしまって。
「困ったな~ここどうしようかな~」ってなってね。
美容師をしているだけでは銀行に(土地を買った借金の)返済が出来ないなと思って。そのころ「ビジネスを自分でしようかな」と思って。
街道立地なんできっとこれだとコンビニだといいのかなと思ったの。コンビニだと(経営していく)知識がないけど、お金を出して店長を雇えば色々ノウハウを教えてもらえてうまくいくんだろうな!って。そんな軽い気持ちでローソンを始めたのが一件目。
すごい行動力ですね。
で、それから半年したらすぐ隣に...っていっても300メートルなんだけど。サークルKが出来てしまって。そしたら売り上げが激減してしまって。当時それこそ商売の素人だった私は、
「そうか、じゃあもう一軒やって今までと売り上げを一緒にしよう」って。(笑)
え!?そんな簡単にお店を!?
何にも深く考えてないから。
そうこうしているうちに、お金を持ち逃げされて。(雇った)店長さんにお任せしてたんで、3500万くらい持ち逃げされてしまったんです。
そんなことあるんですか!?1日の売り上げとかじゃないですよね?
コンビニ仕組みって、1日の売り上げを24時間やっているんでどこかで締めて本部に毎日送金するんです。だから手元に売り上げは残ってないはずなんだけど、もうずーっと溜められて溜められて。
店長が送金してなかったんです。それで結局美容師をやめてコンビニに専念することになったんです。
そうなんですね...!(こんな波乱万丈な人生生で初めて聞いた・・・。)
さらに、その当時(勤めていた)美容室チーフスタイリストだったので私がいないとカットする人がいないみたいな状態だったんですね。
自分の予約も何か月先まで入ってるけど、明日からコンビニの店長もいないしね。
しょうがないんで、先生(美容院のオーナー)のところにいって、「今日でやめさせてください」って話をして。事情を説明したら先生に、
「そうか。それなら仕方ない。今までここで1から積み上げてきたから周りに若い美容師さんがたくさんついたんだ。”1からやってきたから”ついたんだ。今回はなんにもないところでいきなり店長ですオーナーですってなるから、周りの人が申し訳なくなると思う程働いて初めて人が付いてくるんだ。俺の言うことはそれだけだ。」
っていわれたの。そのときはそれをしみじみ感じることはなかったけど、こうやって思い出して今まで残ってるんだなって。(笑)
最初美容師さんだったんですね。しかも、オーナーのセリフかっこいい!
美容師って例えば、私が一人カットすると1万円ってもらえるでしょ?でも違う美容師さんがカットしたら3000円ですよとか、そういう感じなんだよね。だから美容師さんってクリエイティブな仕事なんだなって。自分にもそういう自負はあったんだよね。
ところがコンビニって、コーヒーは誰が淹れて味も値段も変わらないじゃん?誰がやっても同じ仕事だなって。成果が変わらないことにあんまり最初面白いなって思わなかったんだよね。
ところがこのコンビニの仕事をしていく中で、例えば商品の陳列だったり、商品を仕入れるってことだったり....。コンビニって今でこそサービスサービスって言われてたんだけど、私たちがコンビニ始めたころは本当に無機質で、とにかく早い。ぱっと買える。値段も定価。これがコンビニだったんだよね。でもそこが私としてはまだまだこの業界っていうのはやりようによってよっては全然うまくいく、ものすごいビジネスの宝の山だなと思ったのね。
なぜ、彼女はうまくいっているのか。
先見の明というか、チャンスをつかむのがうまかったんですね・・・!
美容師さんっていうのは一人一人にすごく向き合って技術とサービスが両輪じゃなかったら指名って取れないんだよね。やっぱり技術だけとかだとダメなんだよね。お客様の心をつかまないとまた来るよってならないじゃない?
ところが、コンビニっていうのは当時そういうところがなかったので、これはこういうことをしていけば!って思って。
何か具体的にやったことってありますか?
DVDがあって、私のお店を密着したものを題材にして作ってるんですけど。
あとは、普通のユニホームって青と白のしましまの制服なんですが、うちの子は着せていなくって、黒いシャツに...(実際にスタッフを呼んで)(※制服は上の写真のお名刺に書いてある店舗なら見れるかも!?)これをユニホームにしちゃってるの。(笑)
これ、私服じゃないんですか?
私服じゃないの。ホントはダメなんだけどローソン本部にオッケーさせてしまったの(笑)まずは身だしなみをこだわって。私たちが一流のサービスをするんだったら一流のホテルのサービスのようなものを提供したいなって。あの青い制服よりもオシャレでかわいいでしょ?
あと、今、女性が人材不足ってすごい言われているでしょ?けどうち全然困ってないの。社員が一人も深夜勤務していないし残業はやっても一時間までって私から言われているんで。(笑)休みもきちっと取れて有休もきちっととる。
めちゃくちゃホワイト!コンビニのイメージと違う・・・!
うちはアルバイトさんが「もっと入れてくれ」って言ってくるんですよ。たくさん抱えているんでね。でもやっぱそれには色んなコツがあって。結局、蛇口から水を入れて出ていくのが多ければ...つまり退職者が多ければ、いくら入れてもきりがないので離職をいかにさせないかっていうことであったりそっちの方にも尽力しています。みんなが色んな役割をもって、そしてやりがいを感じているんです。そこが一番のことじゃないかな~!
面白いですね!考えてみれば当たり前だけど出来ていない店が多い!
自分が子育てをしていたでしょ。今でこそ女性の社会進出って認められて、そういう風にしやすい環境の整備を色んな所でしてくれているんだけど。やっぱり私の時って20年以上前なんだけど全然男社会で。男性のルールのように作られていたから、「仕事休む?だったらお前はいらないよ」っていうようなね。
でもそれは自分の代わりになる人がいないんだから当たり前なんだよね。わたしはそれを子供を育てながらやって来たんだけど、熱が出ている子供に薬を与えて保育園に預けるとかね。そうしなかったら自分がいかないことによってそこで迷惑をかけるから。そうしながら働いてきたんだけど。
そうやって言われながら子供を育てながらやってきたっていうのがあるから、私は経営者になったら絶対に女性が子供を育てながらでも働きやすい環境を作るんだっていうのを決めていたんで。
衝撃の事実、そして立ち直り。
話は変わりますが、人生の中で苦労とか挫折した瞬間ってありますか?
挫折しかないよね。今もそうだし。ステージステージで違った悩みが出てくるのね。例えば、会社が小さいときだったら小さいときなりの悩みがあるし大きくなったらまた違う悩みが出てくるよね。でもそれを、「今こうできないなあ。じゃあどうしたらできるかな」をいくつも考える。で、突破するまでそれをやり続ける。っていうのが一番だよね。
じゃあ、ここで挫折したから今頑張ることが出来てる、ではなくて常に?
さっき言ったお金の話はそうだよね。最初持ち逃げされた話もそうだし。あとは、昨日まではさみを持っていた私が、レジ打ちもわからないけど今日からそこに立つ。発注の仕方もわからなかったんです。おにぎりどうやって発注するのかな?って(笑)やっぱりそれは苦労でした。”今”やらなくちゃいけないことをわかりませんてことが言えないっていうね。
・・・先ほど店長に持ち逃げされたっていう話なんですが、それ旦那だったんです。
えっ...!?(言葉が出ない)
旦那に持ち逃げされたんです。小学校に入ったくらいの子供がいたのに持ち逃げしてそのまま蒸発していなくなっちゃったんで、サラ金は来るはで。(笑)
元々商売始めたときの借り入れが7000万くらいあってね。その借金と持ち逃げしたお金とでしょ。(笑)
で、ローソンはすぐやめろって言われてね。まずはその対ローソンの問題を解決しなきゃいけなくて。このまま(ローソンを)続けさせてくれなきゃ困るし!あとはお金の問題ですよね。その時は、あんまり記憶にないくらい忙しかったんですよね。でもそこは、ダメだと思ったらダメなんだよね。
そうなんですね!記憶にないくらいって...。
でもね、人生グラフを書く機会があったときに....過去と未来を書くんだけどね?私描いていったらずーっと天井だったんだよね。
え?え?ずっと天井?
10代20代....とか良いとき悪いときの波を書かなきゃいけないんだけどね。私悪いときないなって。これから先も。
そう思えたのはなんでだろうって考えたら、すごい困ったなーとか孤立したなーっていうのは全くなかったんだなーって。いつも誰かが助けてくれていたんだなーって。
後はお店の、最初にね美容室の店長に言われた、「周りの人に申し訳ないと思わせるほど働いて初めて人はついてくる」ってのを私がやってくわけだよね。トイレ掃除をしたりごみの片付けをしたり。そしたら、周りの人たちが「手伝いますよ」って言ってきてくれるのね。
そうして一緒にやってきてくれた仲間がすごくたくさんいたからこういうグラフをかけたんだなーって。やっぱり人は周りの人間に支えられてそうしてやっていけるんだなっていうのをすごく感じたね。
母が、静岡県就労支援ネットワークっていう労働局から委託されてるの。それこそ県大の国関の津富先生が立ち上げたNPO法人で母は副理事をやっていたんです。
そうだったんですね!
そこで(母から)ニートの就労支援をやってくれって言われててね。私工場の経営者だったらニートの子たち預かってあげられるけどうちサービス業だから無理だよって。
でも、私これだけ周りの人に助けてもらったから社会に恩返ししないといけないなって思って!そこから、50人くらい受け入れを始めて。
今度うちで社員になった子がいるんですよ。ほとんどの子はアルバイトから始めて外に行くんだけど。私はローソンを通じて社会のためになることをやりたいなっていうのが私の夢かな?
じゃあ、どんな静岡になったらいいなっていうのはありますか?
今いろんな問題があって...でもこれって私たち、国とか県と市とかじゃなくてその中に居る私たち、コミュニティの中の一人なんだよね。それは私たち一人一人が考えなきゃいけない問題だし、みんな自分事のようにどうやったら考えていくようになるのかなっていうのを考えていくのが私たちの役割なんじゃないかな?
その就労支援っていうのも最初は市民ボランティアから始まったんだよね。そこでやっている人たちっていうのは、みんな「私たちはお節介おじさん/おばさんになろうよ」ってのがコンセプトで就労支援っていうのを始めたんだよね。今ある問題を一緒に考えていってみんなが自分事だと思うからこそ解決できていくんだろうなっていうのがすごくあるんだよね。
そうですよね!静岡ってくくりでは語れないですね。
だから私がダイレクトに出来ることっていうのは、きっとここにいる私のところで関わっている人たちにそれを自分の事として考えてもらうっていうのが、一番私が出来ることなんだろうなあって。ただ単に静岡がどうっていうわけじゃなく今この時代を生きている私たちが何をすべきかっていう。そういう問題提起をずっとしていきたいな~っていう。
社長の二十歳のころと、これからの展望
社長がハタチの頃ってどんなことをしていました?
私がハタチの頃は美容師をしていましたね。まだ見習いかな。高校3年で美容師になろうと思って。
最初はお客様も触らせてもらえないからそこからシャンプーをしたりシャンプーが出来たら何十人もシャンプーするわけよ。そしたらシャンプーは卒業して、次はパーマをやりたいなとか思うでしょ。パーマもワインディングっていう巻くってことを20分でやらないといけないんだけど、最初やり始めたころっていうのは2時間くらいかかるのよ(笑)だけどそれを何十回も練習していかないと20分までにはいかないしキレイに巻けないんだよね。
で、技術職っていうのはとにかく回数こなすしかないじゃん。家に帰っても人形の頭があって、これをやらないと寝れないって言って。見習いの時ってのは朝から晩まで13、14時間は当たり前に働く。そして帰ったらまた練習するっていう。ホントに技術の習得にかけてたハタチっていう感じ。
なるほど。そこで磨かれたんですね。
ここがほかの会社と違うよってのありますか?
えっとうちはねー。北朝鮮体制かもしれません。(笑)
私”ナオジョンイル”とか言われるんだけど。(石塚直美社長の”直”から)
ナオジョンイル?詳しくお願いします。(笑)
私は企業の命題っていうのは継続かなって思っているのね。一瞬儲けてそのあとなんにも無いんじゃだめだからね(笑)
継続していくために何が大事なのかなっていうと私みたいなベンチャーみたいなところっていうのは、一個の”何をするんだぞ!”っていう指針みたいなのがあって強烈に引っ張っていくんじゃないとダメかなって。だから、私はナオジョンイルに徹するぞっていうね。そういう意味でね。(笑)
いくぞ!ってときに(みんなが)来てくれるからこそ、楽しいこともみんな一緒。だから社員旅行とかいくんですよね。年に2回くらい。毎回社員のみんなで、「何をするぞ」って決めてから行先とかも決めていくんだけどね。
例えば、私はみんなに一流ホテルのような接客をしなさいっていうんだけど、よーく聞いてた誰も一流ホテルに行ったことがなかったの。行ったことがないのにマネしろってのは無理な話だなと思って、今年はホテルオークラに泊まろうって行ったりね。(笑)
かっこいい!
これから石塚社長がやりたいこととか展望ってなんですか?
私は一番はローソンなんですね。ローソンをナンバーワンチェーンにすることが夢なんです。だから、ナンバーワンチェーンにするには私が何が出来るかいつも考えています。私が広告塔で歩くっていうのが目標です(笑)
若者へのメッセージ
今の若い人へのメッセージお願いします。
『『我慢が足らん!!』』
うんうん、言いたいことわかります。具体的に思う場面はありますか?
たくさんのアルバイトさんが年に何千人とうちに来ます。その子たちは、何でもすぐやめてしまう。
私は、やめるよって言ってくる子こそわざわざ会いに行くの。そこで話をするんだけど、そこでうちをやめて他のところへ行ったとしても、あんときこういうこと言われたなって思ってくれればそれでいいんだけど。世の中のお節介おばさんになろうとして接するの。
人ってやめ癖が簡単に付いちゃうの。何事もやめるってしてると、やめることのハードルが下がっていってしまうの。けどそれって結局は何事もなしえないってことになっちゃう。
やめるっていうのをやめるっていうのを積み重ねていってほしいなーって。それが一番じゃないかな?
あの、はじめ社長がうちにアルバイトに来ていたんですよね。
彼はうちでしかアルバイトしたことがないんですよね。彼の動画でアルバイト時代すごい怒られたって言ってるんだけど。
挨拶とか陳列棚とか厳しくしていたんだけど、そのなかでも極めるってことをしたって言っているんだけど。何度も辞めようとしたけど続けたって言ってるんです。そういうのがあるからここまで来たっていうのも彼にはあるんだろうね。
彼はアルバイトの中で”ファンタジスタ”ていうのに選ばれてローソンの何万人っていうクルーの中から選ばれてディズニーで研修を受けたりしたのね。そのくらいの子なのね。アルバイトでそういう接客をしたの。
結局、何か一つのこともうまくいかない人間がほかのこともうまくいくわけないと思うのね。イチローはプロだけどきっとほかのことをやってもトップになっただろうし。一つのことをこだわってこだわってそこまでやれた人間がなんでもきちっとやれて行くんだろうなって。私も、他の仕事に就いても成功する自信がある。
本当にかっこいいし、説得力があります。
インタビューは以上です。ありがとうございました。
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社長:有限会社アクティブ 石塚社長
インタビュー・編集:田中
インタビューサポート:山崎・新村
Vol.1 株式会社ラジカルラボ 石田社長編
こんにちは!まおです。
今回は、株式会社ラジカルラボ 石田昌治社長にインタビューしてきました!!
ホームページ↓
”次亜塩素酸水溶液”を用いた除菌用のスプレー「キエルキン」を作っている会社です。
静岡県給食協会で採用されたり、エボラ出血熱対策のため、リベリア共和国大使館に招聘されたり・・・!
その効果を誰もが認め、広まっている。そんな商品を作っている会社です!
それではさっそく、インタビュー記事に移ります!
【目次】
社長の意外な過去
さっそく、質問に入らせていただきます!まず、会社の立ち上げの経緯やきっかけはなんですか?
震災がきっかけです。10年以上続けていた前職も慣れてきて、このままでいいのか?と思っていた矢先に、東北大震災が起こりました。「日本人である限り、何か力になれれば」と思いました。今の吉武専務とはこの時に出会いました。持って行った物資の中に、今のキエルキンに使われている「次亜塩素酸」が入っており、今後アルコールに代わっていくものだという現専務にあおられ、会社を立ち上げることにしました。
もともと、社長ご自身は理系出身なんですか?
理系文系ないですけどね、大学行っていないので。
そうなんですね!社長の生い立ちを教えてください!
私は九州出身で、もともと実家が漁師でした。だから父から「漁師になれ」と言われていました。漁師になるなら、エンジンを学んでおかなくてはならないと思って工業高校に進んだんですね。
でも、ある時父が「漁師はもうこの先がない」と言ってきたんです。それが高校2年のとき。急にはしごを外されたんです。
当時、アルバイトをしていた旅館で布団を敷く仕事をしていました。そのとき日給制で働いていたのでその日の仕事を早く終わらせれば効率が良かったんですね。(仕事の効率を上げて)10分で1500円稼ぐとかしていました。そのおかげで布団を敷くのが早くなりました。
そんな時あるお客さんに「君たちの布団を敷く仕事はすごい。面白い子たちだ。うちの会社に来なさい」と言って呼ばれたのが、静岡の食品会社でした。
静岡との接点はそこだったんですね。その後は?
その会社に就職したんですが、そこで機械系の仕事で地味な作業が続いたんで嫌になっちゃって、「面白いことしたいな」と思ったんです。
静岡に一人で来ていたので、彼女もいない、どうやったら彼女出来るかな~と考えたら、車ぐらい持っていなきゃなと思いました。だから、先輩に頭を下げてお金を「1年で返しますから」といって借りました。
そういった手前、収入を増やさなきゃいけなくなるので夜の仕事をするようになりました。そしたらそっちの方が面白くなって、だんだん夜の世界に入っていったんですね。中洲、銀座と修行に行って、自分のクラブを持ったんです。高級クラブまでになりました。静岡で色々な企業の社長たちと面識があるのはその時のお客様だったからなんです。(笑)
夜のお仕事をされていたんですね。
夜のお仕事を辞められたきっかけはありますか?
当時、自粛ムードっていうのがあって(お店には)お客様がほとんど見えないだろうなって思ってたんです。でも御高齢の方だけ来てくださいました。
あんまり普段飲まないのにものすごい良いボトルを入れてくれてました。気を遣ってくれているんだろうなと思って、「なぜここまでやってもらえるんですか?」と聞いたら、
「私たちはこれだけ生きてきているからいろんな災害を見てきている。もうこの歳だから私たちの役目はお金を使うこと。経済を止めちゃいけないんだ。」
とおっしゃったんです。「かっこいいな~。」と思って!そして、
「私たちはこういうことをする、だからお前はお前にしかできないことをやれ」
と言ってくださったんです。それを受けて、私は経営者のお客様一軒一軒当たって、「社員さんのお子さんの古着でいいので古着だけ集めてもらっていいですか。」と電話を掛けました。そしたら二日くらいでお店の中一杯に古着が集まったんです!それを実際に被災地に持って行きました。それで夜の仕事は完全にやめましたね。
なるほど。そこから、最初に伺った会社立ち上げに至るわけですね!つながりました。
社長の考えていること
話は変わりますが、人生で一番苦労したことはなんですか?
ないかな?離婚したときくらいじゃないですか?(笑)
私の離婚の仕方って仲悪くなったからじゃなくて、自分の人生の中でのターニングポイントでしかないんですけど。起業のタイミングで、今離婚すればこの仕事こういう風にうまくいくなとか、今のタイミングで離婚するのがベストだなと思ったんです。
でも実際男性ってすごい引きずるんですよ~。(笑)
だから自分で引きずる期間がわかっていると、計算してそのタイミングが私にとって一番よかったんです。その時じゃないとたぶん奥さんがついて来られなくなっちゃってたんです。
計算してのことだったんですね!
今、社長が会社を経営していて悩んでいることはありますか?
ないです。
わからないことがあったら人に聞けばいいと思っています。専務が”研究員”っていう立場で、私と全くスキルが違うのでわかんなかったら全部投げます。(笑)
私しかできないことは私がやればいいんです。
そうですね、役割分担をきちんとしていらっしゃる。
社長が今の私と同じハタチの時や就職の時、どんなことを考えていましたか?
結構な野心があったと思うんです。当時、夜の仕事をやっていてまあまあの月収でした。大学なんか行くことすら考えていませんでしたしね。もともと漁師になるはずだったから。
「自分でやっていきたい」と思ってやっていて、がつがつしていました。
いわゆる”社長”って、良い大学行って...っていうルートが普通だと思っていたけど、石田社長のようなキャリアで成功していくっていうイメージがあまりありませんでした!
私が夜の仕事をやって、”人”を見ていて思うんですが、人の幸せってみんな平等だと思うんです。上限が100なら100って決まっているんです。それを人生の中でどうやってどのタイミングで使うかなんです。ずーっと絶好調の人っていないんですよ。
よく陥りがちなのは、いい大学行って万全の準備をしてから”起業する”人っていますよね。そういう人たちは大体失敗しますから。「失敗しないと成功しない」と分かっている人は失敗しないと思うんです。私は今ちょっと仕事が楽になったな、くらい。
どのくらいになったら社長自身、「成功した」って言えると思いますか?
成功って周りが、「あの人もう頑張らなくて良いんじゃない?」て言ってくれたらそれが成功なんじゃないですか?自分でも「精一杯やったなー」って思えたら。私は経験から学んできました。
「こういう人になりたいな」って思う人とずっと一緒にいればいいんですよ。そういう人とずっと一緒にいて「この人に気に入ってもらいたいな~」と思って一緒にいればいるほどそういう人にすぐ近づけるんです。
確かにそうですね!なれそうな気がする!
うちの社員は、社内では基本的にフランクなんだけど、「これクソなんとかだな」とか「バカなんとかだよね」って言っていると、私が「なにがクソなんだよ」って言っちゃうんですね。(笑)「私の前ではそういうこと言わないで。移るから。」っていうんです。そういう(汚い)言葉を使わないと、そういう(言葉を使わない)人たちとの会話がスムーズに出来るんです。そしたらその人たちに気に入られる確率が高くなる。その人たちから良い情報ももらえるんです。だから私は、言葉遣いと立ち振る舞い、身なり、これだけは大事にします。
これから静岡でやっていきたいことはありますか?
今は、静岡で、こんな小さな会社なんですけど、”絶対に静岡の会社が出来なかったであろうこと”をやりたいです。
今実は40%くらいは出来ているんです。もうちょっとで、年内で炸裂できるんじゃないかな?
それは気になりますね!!
ラジカルラボさんの、ここがほかの会社とは違うところってありますか?
うちは、”研究する人を主体に会社を動かしている”かなと思います。
例えば、レストランでシェフとギャルソンっていますよね。あれってシェフの方が関係性は上ですよね。でも、サービスするときは、ギャルソンがしっかりと料理の説明とかしますよね。私がそのギャルソンの立場だと思っています。
なるほど。わかりやすいです!
本来、経営者=研究者だと会社がうまくいかないんです。
研究者って自分の作ったものに愛情が深くなりすぎちゃって営業がうまくいかないケースが多いんです。そうすると私みたいな社長が専務である研究者に「もうちょっと売りやすい物をつくれよ」とかって言ってしまう立場になったりするんです。そうするとまたこれもうまくいかないんです。だから私はいつも研究者には敬意を払っています。
ちゃんと正直にやるっていうのが大事なんです。社員に関しては、仕事を分けているので責任を持たせている。私は出来ないことを社員や専務がやってくれているので、ちゃんとやってもらわないと会社が潰れちゃう。(笑)
この業種だから、こういう風にしているってわけじゃないですか?
仮に、私が前職でやっていたら見えなかったかもしれないですね。今まで全く違う業種でやってきて今の事業に対して何もスキルがない。ちょっと人付き合いがあってお酒も多少飲める。それぐらいしかないので彼(専務)の能力を信頼するしかないわけですよね。
最初はやはりぶつかりますよ。「営業で売りずらいんだよ。」と(笑)
どう乗り切りましたか?
ですから、私は「売りずらいんですよこれ~」ってあえて言って営業をかけてました。隠しながらじゃなくて。売り方を変えていくんです。商品じゃなく自分が変える。そういうのを彼との間で見出すようになりました
静岡県で会社を経営することのやりずらさってありますか?
東京にも出さない人はいます。母数が多いだけで。その想定を超せばいいんでしょ?そういう問題点があるときに視野が狭く見る人が多いんです。私はそういう壁があるとき、「いいよ、そういう問題は後に置いとけ」っていうんですよ。もうちょっと大きいとこ見ようよって。そのほうが精神衛生上良いです。(笑)
県民性とかを気にしていたら、ちっちゃいところしか見えないんです。
若者へのメッセージ
学生って静岡に就職するってなったときに、躊躇してる部分があって。何があればビジネスをしようってなるんですかね?
ちょっと回答とはそれるんですけど、大学生で一生懸命勉強して準備して起業して失敗する人っていますよね。志が高いのは結構なんですけど、私は思うんです。「じゃあ会社では何が出来るの?」って。「私のやりたいことをやらせてくれない」じゃないよね。
大学で勉強してきてすぐに即戦力になるわけじゃない。そこから社会に出たらまた別なんです。そこを見ていない。だからみんなやりたいことが静岡にないとかいうんですよ。決めるのは自分なんです。「会社が私をどう使うんだろう」っていう視点で見てる学生が多いんじゃないですか?その価値観を変えてあげることによって、学生にとって仕事をしたいと思える企業が増えるんじゃないですか?
この企業でスキルを磨きたい、働きたい、そういう感覚を企業がどう伝えるかですよね。グサッとくるな。
社会って大学に入っていてアルバイトしてちょっと覗いているくらいが社会じゃないよ。もうちょっと深いところまで勉強して自分が何をやりたいのかっていう話になってくると思うんですよね。
私が今までの経験上思うのは、大成功してる人は幼少期めちゃくちゃつらい思いしてると思います。私の友達のITの会社やってる人もそうなんですが、めちゃすごい仕事してます。でも彼は小さいとき小児病棟で生活していて大部屋で生き残ったのは自分だけだったんです。そういう経験があったからこそ、生きる意味とか仕事っていうのは何が一番大事なのかとか、そういうのちゃんと見出してるんです。
私はそういったどん底の経験がないので先不安なんです・・・。自分がやりたいことだけが先行してって空回りするんじゃないか・・・って。
そのやりたいことっていうのをあまりにも大きく作りすぎてるんじゃないですかね。逆に20歳そこそこでやりたいことが見つかるのってものすごい幸せ何じゃないかな?もうちょっとゆっくり構えていいんじゃないかな?
結局どうしたらいいんですかね・・・
いま、私って不安そんなにないんですよ。その不安って一番根底にあるのって「生きていけるのかな将来どうなるのかな」ってとこにあると思うんですよね。
二回り違う私から言えることといえば、自分が何をしたいかじゃなくて”どこまで自分がやれるのかを25、6くらいまでやったほうがいい”と思いますよ。「どこまでがむしゃらに出来るか」。
で、どうして不安じゃなくなるかというと、25,6くらいまで必死で仕事とかやりますよね?やると評価されますよね?そうするとある程度お給料とかがあがりますよね。そうすると人間ってここから下に落ちることはなくなるんです。さがってもまた戻るんです。そうするとだんだん楽になるんです。だから不安がない。
そういう風にして不安を消していけばいい。今は不安があって当たり前なんです。色んな世の中のルールを理解していけばいくほど楽になっていきます。
貴重なお話ありがとうございました。
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社長:株式会社ラジカルラボ 石田昌治社長
インタビュー・編集:田中
インタビューサポート:山崎、新村
社長インタビューリレー
はじめまして。
静岡県内の大学に通っている大学生3年生のたなかまおと申します。
大学一年生から、コミュニティCOCOAの立ち上げメンバーとして静岡県内でイベントや講演会を開いたり、インドネシアに絵本を届けに行ったり、シェアハウスを構想して動き回ったり・・・していました。
このたび、静岡県内の中小企業を中心に面白い社長さんをインタビューさせていただく企画を始めました!
この記事では、私がこのインタビューを始めようと思った経緯を書いていきます!
①インタビュー企画を思いついた経緯
きっかけは・・・
『静岡にいたい』
という思いからでした。
私は静岡に住んでいたいです。
(生まれも育ちも夏は暑すぎず冬は寒すぎない静岡県だからかも。)
なんなら一生この住みやすい静岡で....!でも、私は大学3年生。就活が始まっていました。
そこで、こう感じました。
「静岡で働きたい企業がない。」
正直すぎるけど、これが本音でした。(正直すぎるし上から過ぎて申し訳ありません)
だけどこれって、
「静岡の企業を知らないだけじゃない?!」
ということに気付きました。
たぶん、学生で単に、大手しか知らない人って多いんじゃないかな。
「静岡の大手だけじゃなく中小企業も知ろう!」
これがざっっっっくりとしたきっかけです。
②今まで出会ってきた社長さんに共通すること
企業を経営するのは社長です。
今まで、静岡で活動している中で出会った社長さんたちに面白くない人がいなかった。
※面白いというのは、クリエイティブでハングリー精神をもっているという意味で今回は使っています。
じゃあ、
社長さんをインタビューすれば面白い企業をたくさん見つけられるじゃん!
っていうのがインタビューをするに至った経緯です。
自己満足ではありますが、記事にして他の学生にも読んで人生のヒントにしてもらえたらな、と思いました。なので記事にして発信します。
働き方改革、就活ルールの変化
これは、日本国民の働き方に対する心持や姿勢の変化によるものではありますが、違和感があります。
副業解禁も、「複業だ~」といいながらいろんな制度は追いつけていないしまだまだ課題は山積み。
「働き方改革」はつまり効率をよくしようねってものだけど、私たちの意識の変化はほんとに効率を良くしたら働きやすくなるのですか?
「安定」「終身雇用」「大企業正義」
から
「不安定」「3年後には転職を考えながら就活」「生き残る業界はどこなのか」
って変化しているし、
「好きなことで生きていこう」「お金よりやりがい」
って思ってる人が増えてきた。
これらの今の風潮的なものって、効率化すればいいものではないと思うんです。
・・・・少し偉そうにってしまいました。すみません。
とにかく、就活を控えて疑問・不安がいっぱい。
だからこそ、社長さんへのインタビューを通じてその解決のヒントが少しでも見付けられたらいいなと思いました。
マイペースの更新になってしまうかもしれませんが、お付き合いください。
宜しくお願いします。
まお