tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ビブリア古書堂の事件手帖IV ~扉子たちと継がれる道~』三上延


まだ梅雨の始まらない五月の終わりの鎌倉駅。よく似た顔立ちだが世代の異なる三人の女性が一堂に会した。
戦中、鎌倉の文士達が立ち上げた貸本屋鎌倉文庫」。千冊あったといわれる貸出本も発見されたのはわずか数冊。では残りはどこへ――夏目漱石の初版本も含まれているというその行方を捜す依頼は、昭和から始まり、平成、令和のビブリア古書堂の娘たちに受け継がれていく。
十七歳の「本の虫」三者三様の古書に纏わる物語と、時を超えて紐解かれる人の想い。

古書にまつわる人気ミステリ「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズも、早くも11作目となりました。
栞子さんが主人公の第一シリーズが全7作で完結した後、栞子さんと大輔の娘である扉子が主人公の第二シリーズが始まってから4作目。
今回は篠川家の3世代の女性たち、すなわち智恵子、栞子、扉子がそれぞれ17歳の時点の物語が語られます。


取り上げられる作家は、夏目漱石
国語の教科書にも作品が採用されているため、誰もが一度は読んだことがあるだろう、まさに国民的作家ということで、あまり近代文学になじみがない人でもとっつきやすいのではないでしょうか。
篠川家の3世代の女性たちは、それぞれ夏目漱石の貴重な初版本にまつわる謎に挑むことになります。
まずは扉子と『鶉籠 (うずらかご)』の話から始まり、栞子と『道草』、智恵子と『吾輩ハ猫デアル』と、令和から平成、昭和へ時がさかのぼって描かれます。
それぞれの時代背景もちゃんと描写されているのが非常によかったです。
私が世代的に一番近い栞子の話はやはり懐かしく感じられる部分がありましたし、智恵子の時代はわからないながらもなんとなくノスタルジーを感じました。
そして、同じ篠川家の女性たちの17歳の頃の話といっても、共通点もあれば異なる点もあるというのが当たり前ですが興味深いです。
3人とも無類の読書好き、そして全員自分の知識量については同じような自己評価を語っているというのが微笑ましい。
その一方で、他人の気持ちを考えることが苦手で自分の思いだけで突っ走ってしまう扉子、普段はおとなしい……というよりほとんどコミュ障レベルでうまくしゃべれないのに本に関することだと人が変わったように饒舌になる栞子、本のためなら、そして自分の目的を達成するためなら手段を問わず何でもやりかねない智恵子と、欠点は三者三様です。
それぞれの個性をそれぞれの17歳時の物語でじっくり味わうことができました。


もうひとつ彼女たち3人が似ている点といえば、17歳とは思えない洞察力と推理力の持ち主であるということでしょう。
その類まれなる能力を用いて夏目漱石の初版本に関する謎を解く話が3人分、3話収録されているのですが、本作には3話を通して共通するひとつの大きな謎が存在します。
それは、「鎌倉文庫」に関する謎。
鎌倉文庫とは、太平洋戦争中に鎌倉に住んでいた文士たちが共同で立ち上げた貸本屋です。
戦時中だからこそ、読書で人心を明るくする必要があるという考えから作られたのだそうで、その趣旨に共感を覚えるどころか、軽く感動しました。
もちろん文士たちの経済的な事情もあったのでしょうが、娯楽の少ない戦時中に、なんとかして人を楽しませようというのはとても重要で、日本の文化を守り維持する一助にもなっていたのではないかと思います。
しかし鎌倉文庫は1945年に開店し、貸本業だけではなく出版事業を始めた後、1949年には倒産しています。
その後、鎌倉文庫保有していた本のゆくえは明らかになっていない、というのは現実に今でも謎となっているのだそうです。
本作ではその実在する謎を取り上げ、篠川家の3世代の女性たちにその謎を解かせています。
もちろん謎の答えは作者の創作であり、実際の真相は全く異なるのかもしれませんが、少なくとも「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズで扱う謎としては非常に説得力のある、おさまりのいい解答を導き出していました。
現実の謎と創作がうまく絡み合って、ひとつの物語として高い完成度を見せている点はさすがです。


扉子、栞子、智恵子、それぞれの夏目漱石作品への評価も興味深く読みました。
漱石の功績を挙げながらも、妻のことを悪く書く一方で自分は妻子に暴力を振るっていたことなど、漱石の良くない部分も書いているところは作者のフェアな姿勢が感じられます。
シリーズの読者としては、栞子と智恵子、それぞれの過去の話を読めたことで、また少し作品世界の広がりを感じることができました。
今回は智恵子の何を考えているかわからない不気味さは鳴りを潜めていましたが、さてこの先はどうでしょうね。
次作も楽しみにしています。
☆4つ。




●関連過去記事●
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2024年5月の注目文庫化情報

  • 5/14:『キッチンつれづれ』 アミの会 (光文社文庫)
  • 5/15:『新!店長がバカすぎて』 早見和真 (ハルキ文庫)


4月がやけに忙しく、慌ただしくしているうちにあっという間に5月になってしまいました。
今月は少し落ち着いて読書の時間を取れるようにしたいです。


けれど5月の注目文庫新刊は少なめ。
4月が豊作でしたし、6月は夏の文庫フェアで話題作が多く文庫化されるはずですから、5月はちょっと一休みというところなのかもしれません。
ですがアミの会の新刊も、『店長がバカすぎて』の続編も、どちらも楽しみです。
積読も少しずつ解消していきます。

『燕は戻ってこない』桐野夏生


北海道での介護職を辞し、憧れの東京で病院事務の仕事に就くも、非正規雇用ゆえに困窮を極める29歳女性・リキ。「いい副収入になる」と同僚のテルに卵子提供を勧められ、ためらいながらもアメリカの生殖医療専門クリニック「プランテ」の日本支部に赴くと、国内では認められていない〈代理母出産〉を持ち掛けられ……。

めちゃくちゃ久しぶりに桐野夏生さんの作品を読みました。
どれぐらい久しぶりかって、前回読んだのは『顔に降りかかる雨』で軽く20年は前ですね。
本作『燕は戻ってこない』はこの4月30日からドラマ化されるとのことで非常にタイムリーではあるのですが、私が読もうと思ったのはドラマ化は関係なく、純粋にテーマとあらすじに惹かれたからでした。
そのテーマとはずばり「代理母出産」。
近年はLGBTQと関連付けて語られることもあり、個人的に気になっていた話題だったのです。


主人公のリキこと大石理紀は北海道の田舎から東京へ出てきて、病院事務の派遣社員として働く29歳の女性です。
体格には恵まれているものの学歴はなく、貧困に苦しむあまり同じ派遣仲間のテルに誘われて卵子提供をしようとクリニックに赴いたところ、思いがけず代理母にならないかという話を持ちかけられます。
国際的にも有名なバレエダンサーである草桶基 (くさおけもとい) とその妻である悠子は妊娠が望めないということが明らかになり、代理母を探していたのですが、リキが悠子に似ているということからリキに白羽の矢が立ったのでした。
リキは戸惑い悩みながらも代理母を引き受け、基の精子と自らの卵子を使った体外受精に挑むことになるのですが、個人的にはどうしても代理出産に対する生理的な嫌悪感が最後までつきまといました。
卵子はリキのものを使うので、リキが妊娠する子どもの遺伝子の半分はもちろんリキのもので、生物学上の母は間違いなくリキであるにもかかわらず、あくまでもリキは「代理」でしかなく自分の子とは呼べないというその前提がどうにも受け入れがたく、頭が混乱してきます。
そういう契約で、多額の報酬ももらうのだから、と言われても、理屈では理解できても心が受け付けない。
何かが根本的に間違っている気がする。
もちろん子どもを熱望しているのに授かることができない不妊夫婦の苦しみも理解できます。
それでも、何が何でも自分の遺伝子を受け継いだ子どもが欲しいという基の強い思いは、同情を覚えるよりはむしろ気持ち悪く感じられました。
妻以外の女性に妊娠出産してもらってまで子どもが欲しいという、その強すぎる願望が不気味に思えるのは、私が女性だからなのでしょうか。


本作は代理出産について肯定的な方へ傾くでもなく否定的な方へ傾くでもなく、ただメリットデメリットを描くというフェアな姿勢に徹しています。
それでも個人的には最後まで代理出産に対する否定的な思いを払拭することはできませんでした。
本作に登場する人物に関していえば、リキは貧困に苦しむ非正規労働者で、どこからどう見ても弱者の立場で描かれていますが、代理母になると決断し実際に体外受精が始まった後になって契約内容に反する行動を彼女が取ったことは、1千万円もの報酬を草桶夫妻に要求しておきながら身勝手だとも取れます。
しかし一方で、身勝手と言えばそもそも基の「どうしても自分の遺伝子を受け継いだ子どもが欲しい」という願望も十分に身勝手なのです。
そう、人間は強者とか弱者とかの立場に関係なく、根本的に身勝手な生き物なのかもしれません。
身勝手だからこそ、踏み込んではいけない領域がある。
それが代理出産なのではないでしょうか。
考えてみれば、代理出産というのは代理母を務める若い女性の身体を1年近くも拘束するに等しい状況を生むものです。
若いから遊びたいという気持ちだって、性欲だってある。
そういう視点が本当は大事なのに、代理出産にまつわる議論の中ではそれほど重要視されていないような気がします。
貧しい女性の生殖機能をお金で買うというのは倫理的、道徳的に問題があるとか、生まれてきた子どもに障害や病気があったらどうするのかとか、そういった議論だけではなく、実際に妊娠・出産に臨む女性の人生に与える影響ももっと考慮されるべきである。
それが本作を読んで私が新たに得た視点でした。


賛否両論の難しい話題を扱っていながら、ストーリー自体はそれほど重さは感じられず、どこかユーモアがありコミカルな部分さえありました。
ラストシーンにはすがすがしさや痛快さすら感じられ、読後感も悪くなかったです。
気軽に読めて、大事なテーマについてじっくり考えることができる良作でした。
☆4つ。