手術、再び・・
さあ、そんな楽しい(?)入院生活も、いよいよ終わりです。
同部屋の人たちとも仲良くなれたし、看護師さんとも仲良くなり、快適な生活を過ごさせてもらいました。
僕の初手術、初入院は今思い出しても楽しいひと時でした。
事実、その後何年かは、実家に帰省するたびに、その病院にもお土産持って遊びに行ってました。
先生や、看護師さんとも良好な関係だったからこそだと思います。
無事に手術もしたので、下肢静脈瘤は完治したのか⁉︎というと、実はそうでも無いのが現実です。
もともと下肢静脈瘤になりやすい体質だからこそ、男性には珍しく中学生の頃からその症状が現れていた僕です。
ましてや立ち仕事でしたので、30歳過ぎた頃にはまたふくらはぎの血管が浮き出して、やはり半ズボンとかオシャレとして履きたかったけど履けませんでした。
何より嫌だっのが、水着になるのがコンプレックスだったことです。
子供が小さい時は、なるべく丈の長い水着を選んで履き、しかも、なるべくプールサイドを歩くのを控え、水の中に入るか、プールサイドでは座ったり寝転んだりするか、極力人前を歩かないで済むようにしてました。
その当時、おかげさまで毎年のように社員旅行でハワイとかグァムとかに行ってましたが、そういうバカンス地ではやはり開放的な服装で過ごしたいものですよね!
そこで、僕は40歳を控えた30歳台後半の時に、再び下肢静脈瘤の手術を受ける決意をしました。
ただ、今回は前回の時とは違い、日帰り手術で執り行います。
昔みたいに一ヶ月も入院しないといけないなら、なかなか一歩踏み出せません。
仕事の責任も増えたし、家族もあるし・・・
しかし医学の進歩は、下肢静脈瘤手術は、容易に日帰りで済む時代になっていました。
なんなら、自分で車に乗って行き、帰りも自分で運転して帰って来れます。
事実、この時僕は両足を手術しました。
右足を手術した2週間後に左足という順番です。
右足をしたときは、さすがに運転は怖かったので嫁についてきてもらいましたが、左足の時は勝手もわかっていたし、オートマの車なら右足が自由に動かせられれば大丈夫だろうということで、一人で行って、術後は自分で運転して帰ってきました。
ほんと、手術も気軽に受けられる時代になりましたね。
意外と楽しい入院生活
人生初手術
病院の壁がちに染まる・・
ベテラン看護師さんと
なに!? 即手術だと!!???
足に異変が・・・
立ち仕事に就いて一年半くらい経った頃だったと記憶していますが、とうとう僕の足に異変が起きた。
それまでも、足がむくみやすかったり、夜中に足を攣ったりした事はよくあったけど、それは立ち仕事だから仕方ないと思っていた。
そして、学生時代と違って、半ズボンになる事は先ず無かったので、自分自身でも下肢静脈瘤がどうとか考えることすらあまり無かったのです。
これが、好んで半ズボンを履くようなタイプの人だったら、下肢静脈瘤がひどくなってたら、他人からも言われてたかと思うし、自分でも気づいていたと思う。
そういう生活を送っていたある日、左足の内側のくるぶしあたりに膿が溜まるような傷跡(?)みたいなものが出来た。
最初はかぶれたりしたのかなぁー?くらいにしか思ってなかった。
痒いのでついついかいてします。
そうするとそこがさらに膿んだように汁が出てきたりする。
市販の薬などを塗ったりもしたが、一向に良くなる気配がない。
痒くてもかくのを我慢したり、薬もマメに塗ったりもしたが、全然良くならない日が長く続いた。
さすがに心配になり、皮膚科を受診した。
その地では割と有名な皮膚科で、かなりの時間待たさせるのが当たり前の皮膚科でした。
でも、後から振り返ると、その傷というか、膿の原因は分からなかったみたいなので、皮膚科としては優秀な先生だったのだろうけど、身体全体の事は気づいてもらえなかったみたいだった。(済んだことなのでこれ以上は自粛しますが・・)
その皮膚科を受診して、触るだけでも痛いのに、膿をほじくり返され、叫びたいくらい痛かったのを思い出す。
そして結果的には専門の塗り薬を貰って、しばらくクスリをマメに塗って様子を見るように!ということでその日は終わった。
そして二週間くらい、ちゃんと先生の指示通りに薬を塗ったが、全く良くならなかった。
そりゃそうだ!
のちにわかったことだが、僕のその足の傷は、皮膚の病気などではなく、下肢静脈瘤が原因だったからだ。
続く・・