ホースをくわえてガスを吸い込む

日々の備忘録。音楽とか本とか映画とか愚痴とか。

ジュリアン

フィルマークスにも投稿したがジュリアンという映画を観た。物語の起伏があるようでないが、フランス映画はそういうものだと知ったのはもう少し先の事である。

最初の法廷?のシーンで親権を争っており、ジュリアンの証言という言葉が何度が出てくる。父親と母親の意見は食い違っておりこの時点でだと話の筋、つまりジュリアンが何を思いどちらの両親を慕っているかは不明だ。ミスリードを少し誘う。あくまで少しだ。この後すぐ父親がヤバイと分かるからだ。

この映画には回収されない伏線がある。例えば姉の妊娠、母親の恋人らしき知人。ネタバレすると最終的に父親は夜中に母親の新居に乗り込み大暴れするのだが、最後まで姉の妊娠の件は本筋には絡まない。まぁジュリアンが題名だからね。。。原題は親権を意味するフランス語だから、話が前後すると姉はもう18歳とかで大人扱いで両親どっち選んでも自由。彼氏はバンドマン。ジュリアンは中1位?。なので父親に会う権利も教育上必要と裁判所が判断したのが物語の始まりなわけです。

何が言いたいかというと母親と父親がジュリアンの親権を争う。父親はDV気質で子供よりかは妻に執着する捨てられた夫。この相関で物語が進んで解決に向かう。向かうけれどもそれはハッピーエンドではなくて、姉の妊娠(勿論家族の誰も知らない)はまた火種として家族の未来に何らからの問題を引き起こすという余韻で話が終わる。人生って難しい…

母親の恋人云々は恐らく父親がDVが表面化した原因なのかなと解釈も出来る。それがまだ離婚調停の前ならDV男と可哀想な妻という見え方も多少変わるよね。

フランスではこの手の話、DVは社会問題らしく大変話題になったようです。

 

ブログを書く

朝いつもより遅く起床。自転車を買った為。徒歩30分だったが15分程度になる。嬉しい。

仕事は若干落ち着いた。ファミリーマート無印良品を扱わないというニュース。悲しい。バームクーヘンが食べたくなった。

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先日、動物園に行った。ハシビロコウは聡明に見える。喋らない動じないのは得かもしれない。ハシビロコウは実は何も考えていないかもしれない。もしくは、朝マックの事とか考えてるかもしれない。

#平成最後の夏

#平成最後の夏

 

1年半振りの更新。この短くもない期間で色々と環境も変わった。もっというと変わり過ぎてどこから書いていいか分からないのだ。誰が見ている訳でもないブログなので好きに書けばいいのだが後から(次は何年後?)見返した時に何が何だかだと困るかもしれない。精神を病んでいたのかと思うのかもしれない。ひとまず目についたお題で書きたいことを書く。

 

私が生まれたのは平成元年の夏だ。平成元年が過ごす平成最後の夏は20代最後の夏でもあり元号という国民的なイベント?という事を除いても特別と感じるのかもしれない。しれない。というと他人事のように思えるが、正直そんな感じだ。私は今年に転職した。幼少期や何年かの社会人時代を過ごした地元を離れ某関東県で働いた。仕事は前よりも忙しい。給料は増えたが物欲は減った気がする。長く付き合いのある友達は擦り切れていき何となくこの先20年30年と偶に会うんだろうなという人も分かってきた。恋人も出来た。充実しているようと思う人は思うかもしれない。実際に人生に悩むことは減ってきたがする。でも何だか先が見えたような気もする。

 

子供の頃、夏は母方の祖父母の家で過ごした。夏休みに大体2週間程度過ごし従妹と夜通しゲームをしたり花火をしたり祖父母の軽トラックの荷台に乗って田舎道を走ったりした。今思うと親もよく乗せたなと思うけど。蝉がなく見渡す限り田んぼが広がる道を近くのコンビニまで徒歩30分という近くもないし遠くもない距離を深夜こっそり布団から抜け出して歩いたり。妹がいなくなったと大騒ぎになったら祖父が畑仕事に連れて行っただけだったり。そういえば携帯も普及していない時代だから何かと情報は少なかった。それは楽しかったしとても長い夏だった。

 

今は2週間はあっという間で1年間もあっという間でこの平成最後の夏もあっという間に過ぎてしまった。夏に出来た恋人と映画に観に行った。水族館に行った。展望台で夜景を観に行った。思い出は少ないけど出来たのかもしれない。

 

何を言いたいかというと平成最後の夏といっても私は何も意識はしていなかった。無関心なのかもしれない。もしかしたらかこつけて遊びまわった方が後々良かったと思うのかもしれない。でも子供の頃の思い出が美化されるように私の平成最後の夏も遠い遠い未来から振り返った時、私が思ったよりもほんの少しだけ素敵に思えるのかなと少し考えたりした。

五十嵐隆復活騒動について

五十嵐隆復活騒動について>

ふとSyrup16gが解散した後に某無名バンドのライブに五十嵐さんが出演するみたいにな話、騒動があったことを思い出した。当時(2012年)、あくまでネットの片隅レベルだけれどそれは話題になっていて、大半は五十嵐さんがそんな無名なバンドのライブにゲストとして出るわけないという風潮だったけれど、某無名バンドのボーカルが普段からツイッターで五十嵐さんのとの交友関係を匂わせていたせいで、結果として騙されたファンの方も多かったみたい。ライブハウスは新宿で地方からわざわざ遠征してきたファンもいたみたいだった。冷静に考えれば、武道館というある意味で立派な花道で解散したバンドのボーカルが、ファンなら知っていると思うけど、ぎりぎりの精神状態で身を削るように音楽を続けてその果てで解散してしまったSyrup16gが五十嵐さんが個人的な交友関係が仮にあったとしてもギター一つでライブに出るってことはあり得ないと思う。でもどこかで期待している気持ちも分かるし、私は当時信じていなかったけど、それだけSyrup16gの存在は大きいんだなと再認識した。その一年後、無事?五十嵐さんは生還した訳で、生還後のインタビューを見ると事務所の社長しかその手の話で連絡は取ってなかったみたいだから、あーやっぱり某バンドの人の話は嘘っだんだなと思ったわけです。(知ってたけど。)。大きい意味合いだとこれは五十嵐さんの復活詐欺だなと思うけれど、もうちょっと粒度を細かくすると、某無名バンドの動員稼ぎ詐欺だったんだなと思った。今でもネット上で上記の騒動のまとめは残っていて、当時のライブハウスのスタッフさんが返金応じてくれた事が救いなのかなと思いました。

togetter.com

 

 

貯金とかAmazonのレビューとか備忘録

<貯金の方法>

学生時代の後半から社会人の実家にいた期間にかけて500円玉貯金をしていた。というよりも今もしている。していたしているというのは、ちょうど社会人3年目に一人暮らしを始めてから急激に貯金ペースが落ちたからだ。ただ貯金箱はMAXで10万円分程入るもので中身は8~9割は埋まっている。何を買おうかと貯金を始めた時には思っていたかもしれないが、元来、物欲があるのかないのか自分でも分からない性質なので、今更、貯金箱を開けて大きい買い物をしようとゆう気はまるで起こらない。というよりかは500円玉貯金という性質上、それを元に大きい買い物をするには銀行で換金しないといけない。私にはそのプロセスがとても面倒くさいのだ。もっと言えば、銀行員の方に面倒くさいと思われるのが嫌なのだ。自意識過剰も甚だしい。今なら(おそらく)機械のようなもので一瞬なのだろう。ただ私にはその手間すら面倒くさいのだ。そのくせ、せっかく貯めた10万円近くの500円玉を換金せずにちまちまお菓子代や外食代にする根性すらないのだ。嫌になってきた自分が。後ろを振り返ると銅色の500円玉貯金箱がひっそりと本棚の隅に佇んでいる。使いたい気持ちもあるけど、特に使う理由は未だに思いつかない。

 

Amazonのレビューについて>

好きなバンドがCDをリリースした際に、やはりレビューというものは気になる。評価が低いとやっぱり悲しいしどれどれと中身を見たくなる。で、気になるのは実は評価が低いものではなくて、それなりに評価はしてるけどあまり内容がピンと来ないときだったりする。バンドというのは長く活動するほど、音楽性や歌詞、演奏等それぞれマイナーチェンジしてその度にあの時期が私は好きだとか昔と変わってしまったとか不毛というには野暮なくらい様々な意見がでる。それはそれでいいのだけれど。たまにレビューを見てると、これはこの時期の流れでというのような地続きで繋がる音楽性の比較で語るものもある。それはそれなりに聴きこんだであろうリスナーでしか書けないレビューの形だと思うのだが、如何せん的外れなものもあり、もやっとする。いや違うんだよとそれはその作品ではなくこの作品とメンタリティーが近いんだよ。インタビューで言ってたあの事は以前のインタビュー内容を見ればこういうことなんだよ、ととても言いたくなる。私はSyrup16gというバンドが大好きである。もう10年以上ファンだったりする。インタビューはほぼ全て目を通したし、ちょろっとギターも弾くので機材やコードとかの観点からも微妙に分かったりすることもある。もちろん典型的な古参ファンとしての面倒くささは自覚している。でも気になるものは気になるのだ。同時に私はこういう古参的で説教臭い人があまり好きではない。音楽の聴き方なんて人それぞれでいいのだ。誤りは誤解も好みの内なのである。私の中で説教臭い古参ファンの思想と相反する自由に音楽を聴こうという思想がただただ揺れている。

 

darc

darc

 

 

 

<2016/11/17備忘録>

仕事は落ち着いてきた。ただ暇になる色々な雑務を押し付けられそうになる。それは避けなければいけない。何としても。最近、家に帰るとご飯を食べて、すぐに寝て0時過ぎに一度起きて3時位に寝るという生活になっている。せっかく早く帰れるようになたのだからそこら辺のリズムはちゃんとしたい。

 

 

 

 

 

darcと日常の備忘録

 

Syrup16gのdarcについて>

Syrup16gのdarcの発売日(店着日)。早速購入した。新譜は去年のKranke以来なのか。1年なんてあっというまなのだとしみじみと感じる。曲をざっと一通り聞いた感じだとインタビューでも宣伝でも言ってたけど出来たばかりの曲達をそのまま録音して発表したんだなと。一発取りという事もあって音質も生々しいし基本的にダビングも少ないから、スタジオライブというかリハーサルの音源をそのまま聴いている感じすらする。

で、特筆すべきはやっぱり歌詞だと思う。多分、曲を作ってから録音するまで間がないからブラッシュアップのような事はほぼしていないようでとても生々しい。再結成してからなりを潜めてたヒリヒリする感じが前面に出ている。ただ、現時点の五十嵐さんの考えや立ち位置を示す様な少し前向きというかミュージシャンとしての表現者としての業を引き受けた覚悟や諦めの前向きさがやっぱり出ていて、それが以前(解散前)と決定的に異なる部分だし再結成後に一貫している部分なのだと思っている。やっぱりこれもインタビューで言っていたけど今は出したい時に割とCDを出せる状況みたい。Syrup16gの空白期間である2005年ぐらいから2008年に掛けてライブでは発表されてた曲達も当時も今みたいな環境だったら発表されていたんだろうな・・・。それが今でも残念。個人的には曲の空気感というか五十嵐さんが曲を書き殴る時に出る手癖みたいなものがdarcではとても出ていて、それは上記の空白期間で未発表だった曲達に共通すると思う。やっぱり人間だから歌詞を書く時の人間関係とか距離感とかがリアルに出ていて、その時の曲達と今の曲達を比べると勝手に感慨深い気持ちにもなる。今は人と関わろうという気持ちがあるかはちょっと分からないけど、そういう迷いみたいのを俯瞰で見ている感じがする。ストレスが少ない状況で曲は書けているのだなと。

もう始まるツアーが楽しみ。今回はライブハウスだからホールツアーとは違ってたセットリストになると思うし。

<日常の備忘録>

仕事柄勉強が必要で色々将来を迷ったりしたり、上手く行かない別の事柄が同時進行であってサボりがちたっだけど最近覚悟がちょっと決まってまた勉強を再開している。ひいては転職までしないとな考えている。

基本的に落ち込むことは少ない性格なのだけど、たまに落ち込むこともあって、何でだろうな?と考えた時はそれは劣等感だと最近気づいた。人生っていうのがある程度レールに乗ってきて年代で軌道修正というのがしにくくなってきた中で、その分同世代の他人との環境であったり幸福度であったりの差というのが割とはっきり出始めきたのかもなと。

ただ本来、幸せなんて相対的じゃなくて絶対的なものだし自分がこれでいいと思っているなら落ち込む必要なないのだから、突き詰めると自分が今の生活に満足していないって事になるし自信がないのだという事になると思った。今、ちょうどdarcのRookie Yankeeがipodから流れてて、ちょっと頑張ろうと思った次第。

 

時間の経過よ

自分がブログを始めたのが2009年でそこから当然だけど色々と環境は変わったりした。自身のことを言うと学生から社会人になった。それぐらいか。

で、その間にSyrup16gは一回解散して再結成した。

 

個人的にはしっかりと文章を書けるブログは好きなのだけれど、SNSの発達と共に役割が変わってきたのかと思う。自分もツイッターの方やってるし。

 

纏まりは全くないけどまたつらつらと備忘録代わりにしたい。Web系の記事も書けたらなとちょっと思ったり。また、大人になっても悩みは尽きないのだなと感じる。