美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

や、もうね、城の中でしか生きられないから、素直に勉強しましょう

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多分、尊厳に対する意識が人一倍強くて、外界に出るとバグってしまう。そして修正しようとする。多分本人がかわいそうだと思ってない人に、「エラーです」と言って暴れ回るのはおかしい。でも、見ててつらいため、なるべく遠ざかることにした。それはドキュメンタリーや、映画ではなく、目の前で起こっている現実で、何の編集も経ないまま、また、何かしらのアウトプットもないまま、無秩序に私の世界に飛び込んでくるにはあまりにも恐ろしかった。

 

大学院を出た後、知人に「あなたはこれから、フィールドワークのような視点でしか外界と接することができないと思うよ。」と言われたことをよく思い出す。

 

渋谷のヒカリエでやってた催しに行ったら、以前、別件でディベートしたおじさんから「美人ちゃんは、お姫様だから初めて城下町に降りてきたんだよね」と言われて、「あ、そうそう!」って思った。死について考える、という催しだったんだけど、「今まで死について考えたことがありません」という人がいてびっくりした。それで、その人の話が面白ければいいんだけど、私にとっては特段面白くなかった。

 

あと全然別で哲学対話の催しに行った時も、期待ほど面白くなかった。「人と深く話すのが好きで、それをやりにきた!」と私が言ったら「深い話とかわからない、もう来ない」と勝手にショックを受けられるし、だるすぎる。

 

例えば以前、結構ソーシャルな感じのカフェで働いてたんだけど、終業後同僚の女の子が「〇〇さん絶対童貞〜。あのキョドり方やばいっしょ」みたいなことを言っており、「えっ、このご時世にそんな人が!?」と思い慌てふためいて私が、男性トイレで掃除をしていたので、そのまま流せるトイレクイックルを男性小便器につっこんで(もちろん流れない)、めっちゃ嘲笑われた。私こんなに性格悪くて刺々しい人初めて見たんだよな。シンプルに今まで見てきたものがよくないんだろうなと思う。

 

「外界にいいことなし!」

 

多分これにいちいち怒るのなら、物書きが、院に戻るかした方が良くて、あと、私がエラーを算出してしまわない場所に行くしかないんだろうな、と思った。

 

私には嫌なことが多すぎる。絶対に尊厳を損なわれたくない。子どもの頃の写真を見たら、非常に聡明そうな顔をしており、例え私の外装がメスであったとしても、立ち飲み屋で話しかけられたくなさそうな顔をしているし、飲み会で推しメンを言わされたくなさそうな顔をしているし、リベンジポルノを見たくなさそうな顔をしているし、誰からも尊厳を損なわれたり消費されない顔をしている。この顔に恥じないように生きていきたいと思う次第。

 

凛とするぞ!

It's my style!!

今日、地元のスーパーで、ふとレジに並ぶ前ねるねるねるねを見かけて、何の前触れもなく

「あ、これまずいんだよな」と思った。

私は、ねるねるねるね、もういいんだよな。

 

これ7年前か

ねるねるねるねがねだれないからいつセックスしていいかわからない - 美人ブログ

 

 

私、チョコパイと、ルマンドと、ミルキーと、カントリーマアム、サクマのいちごみるくと、ヴェルタース・オリジナルと、特濃ミルク8.2(塩ミルク)が特に好き。

 

 

 

 

あと、輸入菓子のアンデスが好き。ミントチョコレート。

 

 

 

 

もっと選んでいいなら、ウエストのリーフパイが好き。アトリエうかいの吹き寄せが好き。ワインに合うしょっぱいクッキーもおいしい。甘いクッキーも好き。あと、ノワ・ドゥ・ブールのフィナンシェ。

 

 

 

私は辻希美杉浦太陽の生活や、ミキティと庄司の生活には興味がなく、安井かずみ加藤和彦の話と、松任谷由実夫妻がアップする冷製パスタに興味がある。

 

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▲ディルとイタパセが載ってる。

てかアスパラも横たわってるね。私アスパラお取り寄せしたのがすごく楽しかったって言ってたけど、結局そう。

引用元:力作!!魚介冷製パスタ。 | Instagram

 

高校の頃の同級生で、親が金持ちの子とかが20代前半の頃に、ものすごい高級店に行って大将と握手してる写真とかアップしていた。だけどそれは、非洗練だと思う。何というか、分不相応。馴染んでないものって、格好良くない。

 

それから、また別の高校の同級生が、就職してから、見た目派手系のグルメ系のインスタ「〇〇(店名)さんありがとうございます。」的なの、やってるのも、舌バカっぽくて、オヤジクセー。と思って、明確にバカにしている。人がやることは自由だけどね。

 

私は、ホリエモン的なグルメは格下だと思っている。文化の香りがしないし、あと、自分で手を動かす人、再現できる人の文化度が高いと思っている。そういう同級生たちはもう、フォローしてないけど。

 

なんか、私の友達って、ロシア料理のスンガリーとか行ってるから…。あと、神保町のガヴィアルとか…。あと、エリックサウスとか…。文化的ってそういうことじゃん…。

 

私は先輩たちと、ピーコックで買い物をするのが好きだし、「向田邦子がやってた柑橘を入れた常夜鍋をしましょう」という先輩の声でみんなで買い物すること、今日の日本酒を選んで、「浦霞!」を同時に指差して盛り上がることが好きだ。

 

あまり親しくない、おじさんに誘われて、銀座の寿司屋に行ったことがある。別にそれほどの下心もなく、バースデーの花束をもらって、嬉しかったけど、ずっとモヤモヤしている。私、"そういう子"だと、周りの人に思われたのが嫌だったんだ。なんかなー、店、変な匂いした。金髪の寿司屋は嫌い。本人が無理をしている感じがした。本筋から外れるし、私にとっては、非洗練!なのだ。似合ってない、違和感がある。それは違和感があるということだ。

 

それで言えば、私、大学生の頃、一度もロータリーで飲んでないんだよ。それを少し悩んでたけど、それはロータリーで飲みたくなかったんだよな。そういうのが私の大学的にはアドバンテージになるような、せっかく入ったんだから、と思ったんだけど、私、別にそれをやりたくなかったからやってないんだ。 

 

後居酒屋のわっしょいっていうのが有名で、うすめのわっしょいビールが有名だったんだけど私多分1〜2回しか飲んでない。カフェGOTOの手作りケーキは何度も食べて、美味しい紅茶を飲んでいる。つまり、そういうことだ。私は、ワーワー大勢で飲むより、喫茶店が好きなのだ。

 

立ち飲み屋で女の子同士で飲んでるとおじさんが話しかけてくるのが嫌だ。偶然隣の男の子が同じ歳みたいな感じになると連絡先交換しろと言ってくる店主が嫌い。私はこれ以上別に親しくなりたくない。多分話し合わんし。これ以上人間関係を抱えたくない。そういうことを言ってくる店とは、合わないのだ。

 

風俗で働いてるコとも、ホストとも、地下アイドルとも、コンカフェ嬢とも、そんなに気が合わない。夜歌舞伎町歩いてると、声かけられて嫌だなぁ。新宿のtohoシネマズより、六本木がいい。それか地元。

 

私は、金髪も似合うけど、毛量の多いロングヘアで、太めの三つ編みができるのが好き。保守的でもいいじゃん。それが私の生きてきた人生だし、それを誇りに思っている。修羅ったものが得意ではないんだよ。

 

高校の時に好きだった人もいたけど、みんなでカラオケに行った時に、クラスメイトの男の子の携帯から勝手に送信したリベンジポルノ(その無関係の男の子の彼女のもの)をみんなで見ようというから、私はどうしていいかわからないし、悲しい。私は見ない。人間の尊厳が大事だから。

 

学費払ったのに下品な学校に行ってしまったなぁ。こんなのはどこの学校でもあると言われても、私は凄く嫌。成績が上がるのも大事だけど、人の尊厳が重視される学校って、もっとあっていいと思う。

 

その、好きだった男の子、付き合った女の子がいたんだけど、「◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️」(伏せ字にしておくわ)と、全員に言われるのが私だったら、それは嫌だったから。それは、諦めるしかない。いただけないなぁ。◾️◾️◾️◾️の◾️◾️で(ラブホとかじゃなくてカラオケでもない)ヤったといわれても、迷惑だから滾るなよ。と思う。私そこでしたくないもんなー。あー下品。きらい。だから、結局私は彼の幻影が好きだっただけでその人のことが好きじゃなかったんだろうなー。10年経って気がついたよ!

 

でもなんか、多分先方も病んでたんだよな。心にどデカい穴は空いていたね。しばらく経って、高校の頃にお母さん精神疾患自死で亡くしてたと聞いたんだけど、私はいつか会って話す日が来るんだろうか?とか思ってたけど、どうでもいいわ。グループの写真を全て消し、SNSも総じてブロックした。この先の人生でいらんもんだ。

 

やっぱり根がどうであれ、そういうことを言いふらしたり、リベンジポルノを見ようと言ってくる人やコミュニティは、言ってくるなりの人権意識なのだ。ていうか、卒業式の時にLINEが来て、「お前何カップ?」と言われたので、「教えない」と言ったら「死ねブス」と言われたこと。

 

だから、この世界がどんなに実際他のところもゴミまみれでも、そうじゃない場所で生きたいと思う。私が悪かったのか、世の中こんなもんなのかと考えると割れそうに痛くなる記憶がある。

 

同じグループだった男の子たちに、無言電話をたくさんかけられたり、ブラウンとコニーがベッドでイチャイチャしてるスタンプをめちゃくちゃ送られたりしてて、なんかすごく明確に悪意があったと思う。10年経っても嫌なことを嫌だと言いたいなぁ。自分が何を嫌かと思っていることは、遡って起こることで尊厳が回復するし、自分自身の価値を高めると思うのだ。

 

その◾️◾️の話言いふらされてた女の子、私の好きだった古典の先生のことも大好きでいつも擦り寄ってた。クラスでも公式カップルみたいに冷やかされてたけど、でも、全然古典の成績良くなかったんだよな〜。頭悪すぎ。バカだなと思う。

 

私は、好きだなと思っていたからただ古典をやっていた。先生が昔専攻していたという古事記の授業を大学で受けて、面白いと思った。私は気位が高いのだ。地味でインキャなんじゃないんだよ。高級なものが好き。

 

早くここではないどこかに行きたい。ひとりひとりが大事にされる場所に行きたいなぁ。

 

結局その子は別に、私が目標とする学校とは全然違うところに行った。最近Facebookで申請きたけど、厳密に言えばその子は被害者なんだけど、なんか私はめちゃくちゃその子のことをバカにしている。人をジャッジしないって無理じゃない?人は自分が選ばなかった選択肢のことをいいというと自分を否定することにつながらない?私は彼女の生き様が好きじゃない。人の生き様を好きじゃないっていう権限は誰にもないが、否定しないと嫌なものが寄ってきそう。私はそんな生き方嫌だから。

 

それでいうと、私は神田沙也加が嫌いだな。キューティー・ブロンドの主演もやっておいて、マイ・フェア・レディの主演もやっておいて、自殺をするというのは、これはこちらのエゴだけど、少し大事にしたかった私の宝物を壊されたような気分になる。神田沙也加が亡くなった後の松田聖子のever since(神田沙也加の曲)の歌唱は圧倒的で、まぁ、そうだよね。って気持ちになる。それでも私は、比べてしまうし、松田聖子が好きだし、死んでしまった神田沙也加が嫌いだ。

 

いい子でいなくていいなら、交際相手に軽んじられる女の子も、聡明で快活な女性の役を演じながらも自分の悲壮感に耐えきれず死んでしまうような女の子も嫌いだと言いたい。

 

あと、その場が盛り上がるためにされる派手な飲み会やコールはコミュニケーションが下手で安っぽい人がするものだと私は思うから多分気が合わない。存在はしているのは知ってるけど、私の人生には、いらない。それに入らない、入れないことは、私は何ひとつ削られる必要なく、私はもっと一人一人が大事にされる食事が好き!

 

家にずっといて、本を読んで、料理の練習をしよう。周りの人に流されなくて大丈夫!いつか湘南に住みたい。

 

それと、東京タワーが見える範囲が私のラッキースポット。子どもの時に連れて行ってもらって一番うれしかったのは、池袋のジュンク堂と、神田古本まつり。なお、子どもの時に早稲田の近くを車で通ったことがあり、将来絶対にここに行くと決めた。ガウディを真似た建築を何度か車のドアからジーと見て、怖がっていた。

 

いまだに、池袋のジュンク堂に自由に行けるということだけで、私は、びっくりする。大人ってすごい。極上の幸せだと思っている。

 

有楽町から日比谷、東京駅までのあたりが好き。銀座も好き。 明治神宮前から表参道、青山までのあたりも好き。代官山のブライスショップが好き。わたしがこのあたりが好きなことは、他の土地に興味がないとか見下してるとか解釈されても、しらんよ。わたしはわたしの好きなものが好き。

 

ユーミンの歌に出てくるものが好き!!!

なんか、怖い恋愛してる人関わらんでほしい。見る目がない人もその人の責任だろ。

 

二村ヒトシと戸田真琴と雨宮まみで私のAV世界は完結している。紗倉まなとMINAMOもかわいいと思うけど。

 

これが私だ、と思う。私、大勢のそういう会に馴染めないから、凹んでたけど、普通に趣味がいいだけだわ。もういいや。私はずっと趣味が良いのだ。めちゃくちゃ潔癖で箱入りだと思うんだけど、仕方ないんだよなー。これが私。

 

私はキラキラしてて崇高なものしか受け付けないの。それが私のスタイル!

メジャーじゃなくても、メインストリームでなくてもいい。尊厳でキラキラしたいの。

 

今まで嫌だったこと、全部嫌って言う。好きなことを好きと言う。自分が大事にされてない感覚に素直でいたい。

 

"和気あいあい"が好き…

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▲わが家の和気あいあいチームのみなさん

 

最近気がついたんだけど、私は結局"和気あいあい"がすきです。あと、牧歌的。

 

イノッチが好きだということに気がついてからV6の動画をよく見ている。森田剛が、おばあちゃんが焼いてくれたベビーカステラを食べていた話が良すぎる。

 

 

それと、私がイノッチ好きなの知ってる友達から送られてきたけど、妻の瀬戸朝香と流血したおじいちゃんを助けているの素敵すぎる。

 

 

和気あいあいとしたいなー。なんだこの牧歌的なブログ…。

 

近所の美しい青少年情報?

 

V6、和気あいあいな感じがするなぁ。

最近V6の動画ばっか見てるよ。

人が仲良しなのいっぱい見たい!

感性に忠実でいると結果的にイイから。

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ドヤァ!という顔をしてるのは、ぞうのぐるんぱである。ぐるんぱというのは、端的にいえば無職のゾウである。わが家では、ネックレス(本当はメガネチェーンなんだけど)の番をする係としての任務を与えたため、ものすごいほこらしげに、職務を全うしてくれている。「どうですかー」って感じでこちらをみてくるので、「おぉー」って目線で返している。いいねぇ、ぐるんぱ。

 

ぐるんぱは、『ぐるんぱのようちえん』という、絵本の主人公で、もしかしたら子どもの時にこれを読んだことがある人もいるかもしれないね。

 

大江戸線の優先席のこどもコーナーは、ぐるんぱのラッピングになっていることがあるよ〜。君もチェックだ!

 

『ぐるんぱのようちえん』は、職を求めてさまざまな場所に行くも、ビスケットも、皿も、靴も、ピアノも、車も、ゾウのサイズで製作してしまうため、大きすぎて行く先々で「もうけっこう!」と言われて、落ち込み、最終的にようちえんを開業するというぞうの話だ。年々自分がぐるんぱに近づいている確信があり、「まさか!私がぐるんぱになるなんて!」と思っている。

 

正直、昔やよい軒でバイトした時、かなり自分がぐるんぱである可能性に気が付き始めたが、その後もかなりぐるんぱしている。

 

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▲職を追われるゾウ

 

ぐるんぱのかなしみ、ぐるんぱのくるしみ、昔より、せつじつにつたわる。人は皆ぐるんぱする時がある。ぐるんぱー!!休職した友達に「ぐるんぱ?」と聞いた。ぐるんぱばっかりいる。

 

ぐるんぱのぬいぐるみは愛されるために生まれてきた存在だ。

 

こんな紹介のされ方をしているからな。

「ぼくも、ぐるんぱと一緒にあそびたいな」そんな子のために…! | 絵本ナビスタイル

 

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すごすぎる。「もう、たまらなくかわいいぐるんぱのぬいぐるみができました!」←こんな売り文句ある?自信がありすぎる。美しい経済の象徴。おやすみのおともにぴったりかなぁ、そうだよねぇ。

 

私は幼い頃から『ぐるんぱのようちえん』が好きだった。断捨離の時もなぜか残した。内容が好きというのもあるんだけど、数年前に絵を描いてる堀内誠一が、デザイナーとして、平凡出版(のちのマガジンハウス)の雑誌のロゴを手掛けていたことを知った。『an・an』『BRUTUS』『Olive』『POPEYE』今でも使われてるんだよ!すごくない?

 

全部ロゴ浮かぶよね!?!?特に、初期の『an・an』には、パンダの絵がついてるのよ。

 

 

 

やっぱり、無職のゾウじゃないんだよだてに。

私の感性が、ぐるんぱが大好きだと言っているのだ。おしゃれだもん。ぐるんぱ。堀内誠一のクリエイティブは、普遍的で、格好が良くて、鮮やか。まぶしい。ぐるんぱはわが家で燦然と輝いてもらうしかない。

 

それから、この前ブログにV6のイノッチがめっちゃ好きって投稿書いたんだけど、イノッチがつくった喫茶店のスツール片割れを、偶然友人が持っていることが発覚した。

 

 

東中野にあったルーブルという純喫茶のもので、それを譲り受けたのだという。元店主の人もここで再会できて嬉しいんだって。イノッチ大好き!

 

で、友達は、喫茶店リユース品を売っている西荻窪のお店で、東中野ルーブルのスツールをゲットしたのだという。そんな偶然ある!?

 

今度その子の家行く予定だったんだけど!笑笑

イノッチが選んだのと同じスツールに座っちゃおー!!

 

なんかさこの世に多分10脚もないものなんだよ。何を趣味がいいと思ったり、何を守りたいと思うかって、本当に感性なんだよ。

 

イノッチ、看板を譲り受けて自分たちの喫茶店の中にルーブルの世界を遺してるの。本当に好きなの。

 

 

なんか…10歳くらいの時に『学校へ行こう!』で、ブルーベリー狩りの最中にクワガタを発見したイノッチを見てからというもの、ずっとザワザワするくらい好きになった。

 

昔、小学生か中学生の時に母親に「芸能人で1人会わせてもらえるなら誰?」って言われて、考えたあと「うーん…イノッチ」って言ったら、「本当にイノッチでいいの?」って言われたけど、イノッチなんだよなぁ。だって、他の芸能人は、その芸能人を「見る」ってことと同義だと思うんだよ。多分キムタクと会えるとしたら、遠くで見るか、近くで見るかの違いでしかないと思うんだよ。キムタクと、キムタクと遭遇した人でしかないと思うの。だけど、イノッチは、なんか私に会ったら、「私に会った」ということとして、対応してくれると思った。私に興味を持ってくれるし、私の話を聞いて、それに合わせてイノッチは話してくれるから、「芸能人に会わせてもらうなら、イノッチ」なのである。

 

ちなみに母親はティーンの頃マッチが好きだったらしい。(中森明菜を自殺未遂に追い込んでるが…)その後、時代はバブルの喧騒の中でパーティーで、ちょっと落ちぶれたりマッチとチークダンスを踊る機会があったらしいんだけど、「全然格好良くなかったのよ」という話をよくしていた。

 

それに比べて、イノッチは、後半戦から強いからなーー。『あさイチ』もいい感じですてきだったし、社長にもなったもんなーー。私見る目があるんだよ。

 

大学の時に家に来た友達に「私がかっこいい芸能人とかいうと、いつもそうだねって相槌打ってくるけどさ!結局、美人ちゃんは本当は芸能人で言うと誰が好きなわけ!?」と謎の詰めをされたことがあり、その時に「うーん…イノッチ?」とまた人生で2度目のイノッチに至った。多分2回出た答えって本質なんだよな。

 

そしたらその友達に「じゃあもう、美人ちゃんは、イノッチ以外好きって言わないで!」ってめちゃくちゃ理不尽なことを言われたのを思い出すのだが、これをきっかけに私は「自分はイノッチが好きなんだ!」ということに気がついた。

 

ていうか、単に、自分と遠い対象を好きになるということに向いておらず、身近な友人知人関係の方が私にとっては楽しくて、それは私が存在していることが関係性に影響を与えるってことだからだ。なんか、偶像性低くて、イノッチってイノッチだから…。普通に好き。てか言葉選ばずにいえば、自分と関係ない芸能人に興味持ったこと人生でもほとんどないのよ。

 

で、でよ。

 

 

これは私じゃん。ナイアガラトライアングルと、YMOと、はっぴいえんどを飾ってるじゃん。そしてレコードを置く喫茶店を作って、人が集まれるようにして、「二十世紀」って名前つけるのはさ、さすがに私なのよ。10歳の時に好きになったけど、13歳で母親に「えっ?」て言われたけど、やっぱ、間違ってないんだよな。このゴール以外ないでしょ。なんか、感性に響いてくるものには理由があるんだよな。

 

で、さ!この「喫茶二十世紀」ロゴがステンドグラスっぽくなってて可愛いなぁって思ったら、手掛けたのが、アートデザイナーの森本 千絵なんだよ!

 

調べたら、私が人生No.1で印象に残ってて繰り返し見てる2012年の組曲のCM作ってたわけよ。石原さとみが出てるやつ。

 

 

私、オレンジ色のコート持ってて、本当に大事に着ていた。多分3万円くらい?当時、自分が人生で買ってもらった服の中では信じられないくらい高く思えたんだけど、試着したらどうにもこうにも素敵で。母が買ってくれたんだけど、お気に入りでずっと着ていた。

 

この、塔の上に立ってる石原さとみの格好いいこと!流れてる音楽も格好良くて、めーっちゃ好き!で、その世界観作った人がイノッチの喫茶店作ってるんでしょ?それと、イノッチが選んだスツールの、片割れはさ、私の友達が持ってるわけよ。

ぐるんぱは『an・an』『BRUTUS』『Olive』『POPEYE』なんだよ!

こども向けのぬいぐるみを部屋に飾ってるのは幼さではなくて、センスと、クリエイティブにはその息吹の源泉が宿ってるから。うちのぐるんぱは堂々たる働きぶりをしています。

 

やっぱり、結局感性ベースにした方が、自分と合うものに出会えるんじゃないかと思い始めた。好きなもの、絶対ブレない方がいい。センスにはセンスの源泉がある。

 

シンプルに世界の暗いものと触れ合いたくないんだよな

 

イノッチが好きだ……。牧歌的なものが好きだ……。文化村で映画を見た後ワインを飲む有閑マダムにもなりたいけど、2LDKでイノッチと金麦をあけたい…。そう、私は2LDKでイノッチと金麦を開けることを望んでいます…。手に届く幸せ、LIFE IS BEAUTIFUL

 

やっぱ、基本的に私は平和を好んでいるんだよ。

 

ダメだ、望みは1つにしなさいと、友人に言われたのに…。2つになってしまった…。文化村で映画を見た後ワインを飲む有閑マダムに愛されて、イノッチと金麦を開けられる私でいよう…。いい目標だ…。それは私だ…。

 

文化村で映画を見た後ワインを飲む有閑マダムの家に伺う時に持っていくスイーツも覚えておきたいし、イノッチと金麦を開ける時に買っておきたい商店街の肉屋のコロッケも欠かせない。ちなみに私は実家から最寄りの肉屋と顔馴染み(人生初のおつかい場所)で、よくお昼にメンチとコロッケを買いに行く。有閑マダムとはoisixだし、イノッチとは生協を眺めたい。

 

以前、付き合ってた人、調理師免許を持っていて、料理がうまくて手先が器用で、超楽しかった。夕方にテレビ番組で見た、むちゃくちゃ美味しいアスパラを実際にお取り寄せしたの本当に楽しかった…。さぬきのめざめってやつです。おいしいよ。

 

今まで、歴代好きになった人のことを考えたんだけど、たぶん共通点が、「楽しいところを見つけるのが上手い」と、「悪口を言わない」なんだよな。その、以前付き合ってた人、どんな場所に行っても、絶対にネガティブなことを言わなかったんだよ。人のことも絶対に悪く言わなくて、そこがすごく好きで、一緒にいると安心したんだよな。子供の頃、あまりにいろんな人にフレンドリーに話しかけるため、親が「誘拐される」と思って心配した話も好き。母親が買い物中スーパーの中の八百屋に託児されており(別にサービスとかではない)、八百屋の人が必ずお菓子を持って待っててくれたらしいんだけど、「プロ野球チップスに変えてほしい」と堂々と主張をし、毎日プロ野球チップスをもらっていた話が面白かった。人から愛されることを疑わず、愛らしいところがとても好きだった。人間に対する信頼性が高いんだよな。

 

1年くらい前、久々に電話をして、なぜか、すごい完成されたエピソードトークを聞いた。終電を乗り過ごして、家まで歩いて帰ることにしたらしく、その際、24時間営業の無人冷凍食品店が3つあって、スポットごとにそれぞれ買って帰って、楽しかったよー、という話だった。軽妙な語り口が、とても面白かった。アンラッキーに対して、ラッキーに変える力があるところが相変わらずいいよな、と思う。

 

やっぱり、結局、私がどんなに「結婚してる人が好きかも〜」とか、「不倫が〜」とか言いながら、手を染めてないのよ。選んでるのよな。だから、いらないものはちゃんと、ピッ!と跳ね除けたほうがいい。私は明るさを好むんだけど、すごく他人の、ネガティビティに引きつけられやすいのだ。あと、仄暗さがないことや、事件がないことは別に、幼さではないからな。本当に普通に大切なことを大切にしたいだけだから。

 

それでも、寂しそうな「気」みたいなのもに引きずられやすくて。自分の世界にないものに付き合い続けてしまうんだけど、それって慈悲であって、別に愛じゃないんだよな。そして私はそういうもののいなしかたを知らなかった。あと、私が愛の貯金が溢れてそうだから、その気が欲しい人が寄ってくるんだよな。そしてよくわからずに奪われている。男女問わず。

 

私は暖かそうな人が好きなのだ。例えるなら、ハリポタのスタジオツアーにあった、グリフィンドールの談話室のような…。慈愛は、憐れみであって、好意ではないな。

 

私は憐れみによる愛情で接している人と、心からの愛情で接してる人がいる。暖かさのグルーヴが合うから一緒にいる人と、情けでの愛がある。情けの愛は、好意ではない。たぶん。引きずられている。

 

やっぱり、世界の暗さとわざわざふれあいに行って傷つく必要がないのではないかと思う。牧歌的なものが好きだ。慈しみが好きだ。生活が好きだ。裏切らなくて安心するものが好きだ。健康が好きだ。ちゃんと育まれたものが好き。裏表がなくて優しいものが好きだ。愛情深いものが好きだ。

 

明るさをちゃんと選び取れるからなぁ。明るくて牧歌的なことがめちゃくちゃ好きなんだよな。ウチおばあちゃんちが、別府にあるんだけど温泉地でみんなめっちゃ牧歌的なんだよ。みんな近くの温泉行ったりしてさぁ。ゆるやかで暖かい中にいたいんだよ。

 

ある程度社会的な階層が"高い"(私はそれを高いと思わないが)、ような人と触れ合うとものすごいリアルでショッキングなことと出くわしたり、すごく有名な人に限ってズルしてたり、見栄張ったりしてて、世界が嘘だらけのように感じたり、ものすごいひどいありようを目の当たりにして、悲しくなったりするんだけど、本当に私は牧歌的に日々を生きていきたいんだよなと思っている。

 

なんか、"気がいい"ということはすべてを解決するんじゃないかと思う。ロックスターだった志磨遼平がアクスタになって私はがっかりしたけど、結局のところ、なんかそういう起伏もなく、"なんとなく気がいい"ものや人が好きなんだと思う。いや、志磨遼平を初めて見た時に私が言い残した「砕け散るくらいカッコいい…」は名言なんだけど…。

 

私、つかまり立ちして最初に踊ってた曲、V6の『WAになって踊ろう』だからな。ずっとイノッチとV6が好きなんだよなー。

 

イノッチが定年後の母親にカフェ開業のプレゼントをしたというニュースを見て、本当に「ありがとう」という気持ちになった。(私がプレゼントされたわけではない)。イノッチも、イノッチママも、銀座にある壹眞珈琲店(かづまこーひーてん、と読むらしい)のグラスを使うことにこだわったらしく、これはもはや、文化村映画鑑賞有閑マダムの世界線とも通じるものがある。ありがとう。今、私は寸分違わず私の世界に欲しいものを目指しています。大丈夫、どちらにも好かれます。世界中を敵に回しても、文化村映画鑑賞有閑マダムとイノッチに愛されたい。そして、文化村映画鑑賞有閑マダムとイノッチに愛される場合は大概他のものにも愛される可能性が高い。春にはガーベラを、そして秋にはポピーを持って伺います。大丈夫、きっと愛されるでしょう。

 

 

V6はトニセンという年齢上のグループと、カミセンという年齢下のグループに分かれているが、イノッチはその橋渡しに一役買ったことでも有名である。トニセンをイメージした喫茶店「喫茶20世紀」も作っており、私とざっくり近い感じがしている。ありがとう、いのっち。

 

あと、V6じゃないけど、SMAPの『SHAKE』が好き。天才の歌詞。 

 

マジで、牧歌的なものはダサくないんだよ。私の幸せはアスパラのお取り寄せにあるんだよ。

牧歌的であれよ…。人、変なことをしないでくれ…。ちゃんと大事にされてくれ、顔を整形で切り刻むな、血を吐くな、病気になるな、陰謀論にハマるな、謎のスピリチュアルをやるな、腕を切るな…愛されてくれ…。でもこういうこと自体が、私が自分のテリトリー外のものをわざわざ見に行っていることなんだろうな。なんかさ、そういうの見たくないの、現実を直視してないって言われるの嫌だな。私にとっての現実ってハッピー側だから…。てかハッピーって現実から何を抽出するかなんだよな、人のいいところ見つけるのが上手いほうがいいに決まってるし、「気がいい」に越したことはないんだよ。

 

もう見ない、もう見ないです。イライラしない場所にいます。dancyu、定期購読しようかな…。

 

有閑マダムとイノッチに幸あれ…。

てか、有閑マダムとイノッチに恥じない私でいたいよ…。

半径2メートルくらいをそういう感じにするのは出来そうだから、半径2メートルくらいの不幸に対処しながら、幸福を紡いで生きたすぎる。

 

やっぱイノッチってローカルの香りがするんだよなーーー。ミスiDの香りしないなーーー。歌舞伎町の香りもしない。アウトローな感じもしない。パワハラな感じも、セクハラな感じもしない。団地の感じはする。商店街の感じもする。あと、私がイノッチについて話した時に、友達が言ってたが、イノッチは地方国公立大にいるらしい(いないよ)。でも、わかる。

 

私は3年くらい前から、よく「ハイソなこち亀になりたい」という言葉を突然発して人を困惑させているが、有閑マダムとイノッチを愛する私にピッタリすぎる、 愛情が好きということなんだよな、つまり。

 

ケアって言っても、いきなり全部を包もうとすると、網目がガバガバなザルアミになるからな。細やかにやるのはサボってるとか無力とかじゃなくて、丁寧にやろうとすることなんだと思うわ。雑に編まれたものじゃ使い物にならないからなーーー。イノッチも頑張ってるし私も頑張ろーーーー。いやーーーイノッチがあのジャニーズ性加害問題のの矢面に立ちながら、なんか頑張ってるのすごいよ…。プロレスとアロマセラピーを愛し、弱った観葉植物を復活させるのが得意なイノッチを私は愛してるよ…。バトルアンドヒーリングだよ、実質プリキュアだよ…。

 

イノッチが本当は石原軍団に入りたかったけど食が細くて、諦めて、ジャニーズに入ってくれて本当に良かった…。

 

元気でいてくれ……

 

 

万物にかわいさを見出してくれ…。

 

 

シンプルな欲望に素直になろう

 

 

欲望はシンプルな方がいい、と、友人に言われた。それで、なるべく直球の自分の欲望ってなんなのかを考え始めた。

 

世間のルールみたいなものが特によくわかっておらず(わかった上で無視してるやつもある)、たぶん、外界のルールに合わせるよりも、シンプルに自分の中に他人を引き摺り込んだ方がいいという結論に至った。マイワールドを拡充させる、私がホストの場所にいる、もしくは、私とバイブスの合う人がホストの場所にいる、などである。

 

だって、相対的に倫理観高い方だと思うもん。何かをアップデートする必要もなく、すでにこれがまあまあ最新の人権意識かなーってものが適応される空間を再現する方が、戦うより楽なんだよ。気楽。知ってるものをやればいいだけだから。未知の領域と接して絶叫している間に人生終わっちゃうのやだなーーーーーー。

 

なるたけ、胎内をつくることに注ぎたいんだけど、それって、本当に『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と、『ONE PIECE FILM RED』なんだよな〜〜。

 

なんとなく、女の子が、楽しく日常を暮らしたいっていう願いは、昏睡中、夢の中の出来事として処理され続けるんだよな…なんでだろうな…愛が夢であるとき…暴力もまた夢だから…。

 

愛の箱庭は、他者の自立と自我を損う要素と鏡合わせだかんねー。でも、私、自分の母親専業主婦だったからわかんないんだよ。私のおばあちゃんも専業主婦だったもん。パン教室の先生やっててさぁ。それになりたかった。『西の魔女が死んだ』の世界観だもんな。魔女になりたいって最初から言っているだろう。大人になったらハーブティー沸かしてババロアつくって生きていくと思ってたもん。

 

まじで、ジブリの中で、『コクリコ坂から』が好きで。いつも旗あげて、朝ごはんつくって、の繰り返しでいいのに、と思う。いつも、私が揚げたら、旗が絡まりそうだなぁ、と思うんだけどね。『コクリコ坂』は序盤が好きなだけで、後半を覚えていない。

 

なんかめちゃくちゃきちんとした気持ちで、場づくりやってたのに、最近、よれている。持ち直してきたけど。

 

たとえば、「膣トレでスピリチュアル開花」インフルエンサーをガチでやってる女性に、私はどう対応していいかわからない。当然のように、「膣トレでスピリチュアル開花」の女性は、『コクリコ坂』ではない。

 

途中までいいブログだったのに全部をかっさらっていく「膣トレでスピリチュアル開花」という言葉。絶対に『コクリコ坂』ではないんだよ。欲望をシンプルにするといいな。なんで嫌いなのかとか、理由をつけなくて済むし、嫌いだってジャッジするのも疲れるから。

 

だって、サードプレイスとケアの話を考えてて、そんな人が来るって、一度だって考えたことがある!?「膣トレでスピリチュアル開花」の女性の対処法、東大のケアの講義では出てこなかったな…。いつだって、現実の方が想像を絶してくるのだから。いや、嘘やん。

 

陰謀論に毒されてたり、戦争した方がいいみたいな話をする人とかもいる。あえて極論を言える俺、みたいなやつだ。びっくりするよ、私そういう人のために場所開けてたんだっけ?って思うようになってきて、困ってきた。

 

なんかさ、私は場に対して当初もうちょい気丈な気持ちでやってたんだけど。はっきりと、言葉を選ばずに言えば、居場所を求める人は、ほかに居場所のない人である。見えやすい旗はいろんなものを連れてくる。たぶん自分が立ってる場もそうなんだけど、私自身がそういう隙を持ってるんだと思う。 

 

先輩の50代女子から、数年前に、「美人ちゃん、あなたは今すべての負のエネルギーが襲いかかってきている。もう少しガードを学んで巫女力を高めなさい!」と言われた。

 

 

なんかさ、"正気"なんて人の数だけあるんだけど、私はもう、"正気"のチューニングがわからなくなっていたんだよ。慌てたよ。

 

幼なじみの実家でうどんを食べた。

 

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三つ葉とネギが入ってて嬉しかった。

 

デパートやホテルのラウンジで人と会うのが好きだ。アラウンド還暦女性がやる営みの全てが好きだ。

 

シンプルな欲望に素直になろう、という話を別の友人とした際、「美人さんは他人の目を気にしてゴニョゴニョ考えているから、道のりは長い。」と言われた。そうなのだ、他人にどう思われるか考えなくていいと、言われて、人にちょっと眉を顰められてもいい、私のシンプルな目標を考えたんだけど。

 

マジで制限を取り外して最もシンプルで他人の目を気にしないで言っていい目標なら、

「昼間から文化村で映画を見る有閑マダムになりたい」が出て来た。そうなのだ、私は「昼間から文化村で映画を見る有閑マダムになりたい」のだ。だから、もうそれ以外のことは考えなくていい気がしてきた。

 

有閑マダムとは、娯楽と社交にふける夫人のことである。私は文化村で映画を見る有閑マダムに愛されたい。私は気がついたのだ、まっすぐ一生懸命生きていても、他人を傷つけたり、嫌われたりすることに。そして、私も他者を嫌いになってしまうことに。それなら…文化村で映画を見る有閑マダムには愛されるような自分でいよう…。モテ?キャリア?どうでもいいです…文化村で昼間から映画を見る有閑マダムな愛されることは中長期的な目標であり、後続の育成にも取り組みたい。

 

いいことか、悪いことかなんかどうでもいい。

自分のエゴを100出した場合、マジでそうだ。文化村で映画を見る有閑マダムに愛されたい…。

 

オリーブでコラム書いてた山崎まどかが、母親と文化村で映画見まくってたららしいんだよな。(山崎まどかは帰国子女でセンスが良くてコラムを書いたりしているのでクラスでハブられる)

 

 

 

文化村で有閑マダムと映画見て、ランチして、ちょっとワインとか一緒に飲んで、「あら、あなたそんな昔の作品も見てるの?」「これがミニシアターで公開していた時は〜」とか言われたり、「ここは昔、安井かずみ加藤和彦がね」とか話しかけられたり、したい。(今もほぼそんな感じだが) 帰りに「チョコレートを買って帰りましょう!」「そのあと編み物をいたしましょう!」なんてのも良い。刺繍もしたいなぁ♪♪

 

なんかいろんな人が集まっている催しで、なんとなく私だけ奥の席に呼ばれて、東急の関係者だったりする方と、そばには品の良さそうなおばあちゃんがいたりして、結局そうなる。私と地元が同じと言って、缶詰バーに誘ってくる、和服を着た不穏なお爺さんの相手はできない。人には違いがあると学んだ27歳。その辺の塩梅がわからず私はパニックになっていたが、最近うまく、いなせるようになってきた。私の人生の中で私にとって無意味すぎるものに声をかけてくる人ってそんなにいなかったから…。

 

だから、人に嫌われてもいい、良い人でなくてもいいのなら…私は…文化村で映画を見る有閑マダムになりたいのだ…。それならそのためにエネルギーを向けた方がいい。それ以外のものはシャットアウト!社会のため?ケア?私は私のために生きていいなら…やはり…有閑マダムに愛されることを第一にしたい…。

 

ていうかぁ、ルール守れないんじゃなくてぇ、女の子のルールなら結構守れるんだよなぁ。

規律が嫌いなんだよ、愛とモラルが好きなんだよ。人に優しくするとかさ、嘘はよくないよっていうとかさ、裏切らないとかさ、ひとを大事にするとかさ、そういうのが好きなんよなぁ。

 

まーじで、ほんと、シンプルにするぞ。

アクキーになるなや

マジで我慢してたんだけど、書きたい、書く。

 

2年くらい前に志磨遼平が購入特典でアクキーになってから、ちょっとずつ聞かなくなった。

 

手のひらの中におさまるなや、と思ってしまって、アクキー、マジか、と思っているうちに年月が経った。マジで自分の心の内側に留めておきたかったが、この前耐えきれずに、志磨遼平好きの友達とLINEしたときにモヤつきを共有してしまった。共有すると現実になりすぎて悲しい。

 

ここ最近はがっつりアクスタになっているようだった。なんか、ちゃうやん、と思うのだ。

 

アクリル板に存在をコピーされて、ファンの欲望の対象として消費されるのは、違う気がする。いや、ライブで客席にダイブした後「離せゴラ」と言ってたアンビバレンツな感じはどこいったつってんの。

 

尖り続けるのも大変だとは思うけど、それなら、ダサいことすんなつってんの、楽するなつってんの。別に売らなきゃいいじゃん、「最高以外は最低なんだ」とか歌っておいてクソダサい。

 

私たちの世界に、都合よく欲望を投影できるアクリル板に印刷された志磨遼平がいるんじゃなくて、志磨遼平が現実を突き破る世界に私たちが連れてってもらってたのに。主従ちゃんとしてないと嫌すぎ。アーティストの世界観至上主義がいい。

 

いやー「口紅から機関車まであいつと僕が手に入れる」って歌ってたけど、アクキーは、いらんよ。手に入れる側でしょうが、こちらの手に入ってどうするんですか?

 

アイドルじゃないんだから、概念になって拝まれるなよ。拒否しろ、拒否!

 

マジで思っちゃいけないかと思ったんだけど、耐えがたすぎる。ていうかだいたい、本当にアクキーもアクスタも売りたくて売ってるわけじゃないじゃん、流行ってるからとか収益が必要だからとかでしょ?舐められてんだよなー。

 

舐めないでください。マジで志磨遼平のアクスタもアクキーもいらねーーーーーー。

これで、「本当に素敵!志磨遼平が出したものはなんでも好き🫶」というのは、それはそれで志磨遼平好きじゃない気もするし、解釈違いというのもなんかよくないらしいし。

 

でも、まーーーーじで、アクスタとかアクキーになるロックスターってくっそダセェなと思っている。私がくっそダセェなと思っていることは思ってることなんだよ。

 

友達が、それはそれとしてダサいものをダサいって言わないと、それが集まってきちゃうってこの前言ってたけどさ。まじで、アーティストとしての好きな男(自我あり)のアクスタもアクキーも全力拒否。

 

概念になって喜ばせようと思うな。手のひらに収まるな、私の机にいるな。

 

数年前に、ライブ会場でTシャツ買ったら、『毛皮のマリーズ』時代の楽曲をリリースしてた自主?レーベルのJESUS RECORDSの袋に入れてくれたのが嬉しかった。自主レーベルの!袋!志磨遼平の国だったのに。

 

志磨遼平のライブT、私は、自分がちょっと緊張することやる時とか、やったことないことやる時に、お守りみたいに、後生大事に着てた。

 

人間だからしょうがないとか、盲信するなとかじゃねーの。美学語っといて手抜きすんなつってんの。ファンも自分も舐めプするなつってんの。まじでか?

 

自分の本心書くとめちゃくちゃ逆に気が引き締まるな。なんか、優しさとか責めちゃいけないことにして、私もいろんなこと手抜きしてたんだろうな。

 

ダサいかダサくないかってめっちゃ大事かもしれん。自分にとってのイケてるって何なのか、考えなきゃな。