ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

NHK「100分de名著」パスカル パンセ

昨日紹介した「『パンセ』で極める人間学」よりも、もっと手軽にパスカルとパンセのことを知ることができる1冊。

NHK「100分de名著」ブックス パスカル パンセ (鹿島茂、2013年3月初版、NHK出版)

 

NHK「100分de名著」ブックス パスカル パンセ

 

NHKでの放送は2012年6月。NHKオンデマンドで見る場合は、第45回〜48回の全4回です。

パンセが何であるか、パスカルがどういう人かは、一つ前の記事で紹介しています。


本書は、現代に生きる人たちのお悩み相談に対して応えてくれるパンセの断章を紹介していく、という構成になっていて、より一層読みやすいです。

登場人物たちの悩みは様々で、自分に当てはまるものもきっとあるはず。

よりライトにパスカルやパンセのことを知りたい方には、本書の方がおすすめと感じます。

 

また、本書を読んでもう一つ良かったのは、掲載されている分子生物学者・福岡伸一さんによる、デカルトとパスカルの違いについての寄稿文を読めたこと。

 

「我思う、ゆえに我あり」と言ったデカルト(1596年-1650年)。
「人間は考える葦である」と言ったパスカル(1623年-1662年)。

 

ともに17世紀に名を残した天才数学者であり、哲学者。

この2人について、名前は聞いたことはあるけれどもどういう人なのか、何を言っていたの人なのかはよくわかってない、という状態だった私も、福岡さんのわかりやすい説明で、考え方の違いがよくわかりました。

 

福岡伸一さん寄稿文より。(p.142 - p.152,  改行のみこちらで加えました)

デカルトが「人間の理性は万能である」と言ったのに対して、パスカルは「限界がある」と言っています。
世の中のことについて、デカルトは「すべてに原因と結果がある」と言い、パスカルは「偶然によって左右される」と言いました。
そして何かに迷ったとき、デカルトは「あくまでデータ重視」、パスカルは「時には直感を信じる」という考え方でした。
簡単に言えば、デカルトは理屈を重んじるタイプ、パスカルは偶然や直感を信じるタイプということになります。


もう少し具体的に言うとこういうことになります。

 

デカルトの主張は、「この世界はすべて因果関係で成り立っており、メカニズムとして理解できる」というものでした。
メカニズムを追求して因果関係さえ解き明かせば、生物だろうがこの世界全体だろうが、必ずすべてを理解できる。
私たち生命体についても、精密な機械と同じように完全に解明し、制御できると考えていたのです。
一方、パスカルは「合理的に因果関係を突き詰めるだけでは、必ずしもすべてがわかるとは限らない」と考えていました。
つまり、科学の限界を理解しており、世界というものに対する謙虚さとある種の諦観(ていかん)を持っていたのです。

 

福岡さんは、「現代社会はデカルト的思考に偏重している」と警告していらっしゃいます。

大きくいえば、私たちはデカルトの考え方を採用して、パスカルの考え方を捨ててきたのだと言えます。

 

現場では、こんなことも起きている。

一部の科学者は気づき始めています。実際の生命体は、そしてこの世界というものは、ものすごく複雑かつダイナミックで、デカルト的機械論だけでは解決しないことばかりだ、と。

 

また2人の考え方の違いは、「自分とはどういう存在なのか?」という問いへの答えにも表れます。

 

私たちの体は、細胞レベル、あるいは細胞より小さい分子のレベルでは、ものすごい速度で合成と分解を繰り返しています。(中略)
私たちは、自分のことをいつも同じ「自分」だと思っています。
しかし、私たちがずっと同じだと思い込んでいる「自分」は、実は日々更新しているわけです。そのことを教えてくれる言葉が『パンセ』の中にあります。

「時代は苦しみを癒やし、争いを和らげる。なぜなら人は変わるからである。人はもはや同じ人ではない」(断章122)

この言葉は、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉に対する、実に鮮やかなアンチテーゼだと思います。(中略)
私たちは動的な存在であり、世界も動的です。
「私は私だ」と思い込んでいる私たちに、「その同一性は、常に揺らいでいるのだよ」とパスカルの言葉は教えてくれているように思えます。



パンセの言わんとするところ、コーチングをしていると、とてもよくわかります。

頭ではわかるけれども、心と体がそうは動かないーー私たち人間にはそういうところがたくさんあります。

原因を突き詰めたところで、行動が変わるわけでもない。

行き詰まった人が再び動き始めるのには、因果とは直接関係なさそうなところに糸口があったりします。

また、「自分はこういう自分だから」と頑なな人は、変容への抵抗が大きく、どこか身体に力が入っています。

本来が常に変わりゆく存在なのだから、「変わらない」としているのは、実はとても不自然なことだったりします。


「世界は完全に解明できる」とするデカルト。若干の傲慢さも感じます。

それに対して、「人間は、葦のように弱い存在、だけれども考え続けることだけはできる」とするパスカル。

葦はいつも風に吹かれて揺らいでいます。同じように、私たちも絶え間なく揺らぐ弱い存在です。
そんな私たちがどれほど考えても、この世界、この宇宙のすべてを知り尽くすことはできません。(中略)
それでも、考え続けなくてはいけない。
いろいろな人の手によって世界が書き換え塗り替えられていく、そのプロセスに参加することに意味があるのだ
ーーパスカルはこう訴えているように思います。

 

パスカルの人類への愛情のようなものを感じます。

 

ここまで書いてみたものの、デカルトに関する本はまだ自分で読んでいないので、あーだこーだ言える身でもありません。

同じく鹿島茂さんが書かれた「思考の技術論」では、デカルトについて触れられているようので、そちらも読んでみようと思います。

 

ちなみに、福岡伸一さんも、面白い本を何冊も書いていらっしゃり、こちらも本棚で待機中です。

 

知れば知るほど、自分の無知を知らされる。

これだから読書は終わりがありません。

人生が短すぎて足りません。

 

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