何者でもない者

それでも俺はここにいる。好きなこと、書きたいことを書きたいように書いています。読んでいただければ幸いです。

それは全て自分が選んだこと

油断していると、いつのまにかかなり日が経っていて、更新が遅れてくるもんですね。色々問題起こったりして、全く書く気にもならなかった時期もあったので。

 

文筆業を仕事としている人も遅れることが多々あるって聞いているし、期限が無いから尚更遅れやすいんだと自分に言い聞かせてます。

 

それでは、今回のテーマ。

 

生まれて、物心ついた時から、みんな選択して生きて来ている。選択の連続です。

 

朝早く起きようか、あと5分寝ようか。朝ごはんはパンかご飯か。どんな服を着ようか。あの決裁を上司のところへいつ持って行くか。子供の習い事を増やそうか。今度の休みはどこに行こうか。ガンの手術を受けようか、それとも…

 

何でもないことの選択から、人生を、今後を決める選択、もしくは決断を強いられて今日を生きている。

 

その選択の連続の結果、今の環境とか自分が形成されているんですが、全く、なんでこんなことになるんだ、なんて思うことがあります。

 

離婚歴があるって前回書きました。

 

大学の時、当時、別の二つ年上の女性と付き合っていたんですが、自然消滅のようになり、その人と同級生の知り合いからのアプローチでその後の長い付き合いになる女性と付き合うようになりました。

 

離婚に至る経緯や思うところはまたの機会で書くとして、そこに至るまでの選択は、相手がいてどう言われたとか、こういう態度で接して来たとか色々あるけど、やっぱり自分の選択でしか無いのだと思います。

 

物事には原因があり結果がある。

 

複雑に絡み合ってしまっているため、何が原因で、何が結果かわからなくなってしまっていることが多いけど、例えば、金持ちの家庭に生まれる人と貧乏のどん底の家庭に生まれる人。天性の才能を持ち社会で成功を収める人と全く何の能力も発揮できず、そればかりか人の道から外れることに才能を発揮する人。何の病気にもかからず、天寿を全うする人と生まれながらに障害やら病気を持って生まれなくてはならなかった人。

 

なんて不公平なんだ。スタートラインからまるで違うわけです。

 

さらには、人間にすらならない、虫や動物という命もあります。

 

この不公平はいったい何が原因なんだと。

 

すると、今の前、俗っぽい言葉で言うと前世みたいなものが関係してくるんではないか。その時の私という何者(何物?)かがその時の様々な選択をして、その繋がりで今のこの状態があるんだと思うんです。

 

何かしらの原因を積み、今のこういう結果がある。

 

それは全て、選択されて来た結果でしかないのです。

 

誰のせいでも無く、前の、今の私という個が選択した結果なら、嘆いてもしょうがない。

 

 

 

それは全て自分が選んだことなんですから。

 

回顧録

そろそろ自分の自己紹介的なものを書こうと思います。

 

何者でもない者、なんてブログにしたので必要無いと言えば無いのだけれど、まだまだ手探り状態で書いてるのと、自分を振り返ることで色々整理されるのではと思うので。

 

生まれも育ちもも神奈川県横浜市。3人兄弟の次男で、ジャイアン的な兄と人たらしの弟に揉まれて育ちました。

 

生まれる前に、父親が睾丸のガンにかかり、放射線治療後の初の子供だったとのことで、当時、両親は堕胎を勧められたようです。

 

そんな中、どのような子に生まれても、我が子だからと生まれたのが俺でした。

幸運にも特に障害もなく生まれました。

 

ただ、4000gオーバーで生まれた以外は。

 

横浜市とはいえ1980年代当時、俺の住んでた海沿いの町はまだまだ自然が多く、あっちの公園やこっちの底なし沼、そっちの廃屋なんてのが散らばっており、兄や近所の子、弟なんかと連れ立って遊び歩いていました。

 

普通に小学生にはなったんですが、小学校3年ぐらいだったかな、両親が離婚しました。その記憶と幼稚園の頃、弁当がご飯と鮭のみという中身で、なんだか恥ずかしくなり、食べずに蓋をした記憶が鮮明に残り、結びついています。

 

それぐらいから両親の関係は崩れ始めていたのかもしれません。

 

今から考えるとそんなことでと思うけど、当時は周りの子が色とりどりの弁当を持ってきてる中で、自分だけが違うことがいたたまれなかったんだと思います。

 

両親が離婚した後、兄弟3人は父親に引き取られました。家には父方の母が一緒に暮らしていたので、その祖母に実質育てられてきました。

 

母親は別の男を作って出て行ったんだと聞かされました。

 

どちらについて行くか子供達にそれぞれ選ばせていましたが、俺はどこへ行くのかも分からないことと、知らない男が一緒ということに嫌悪し、父親側に残りました。

兄弟もそれぞれ思うところがあったようで、そのまま残りました。

 

その後、長い間、母を憎むようになります。

 

写真の母親が写っている部分を全て切り取ったり、母親が置いていった荷物を壊して捨てたり。その頃と時を同じくして小児喘息と不登校気味になって行きました。

 

青い良く晴れた、綿菓子のような雲が浮かぶ空を、漆喰が剥げかけた壁に開けられた窓越しに、布団に横になり、仮病を演じながら眺めていたことを思い出します。

 

そんな休み癖が付いたどうしようもないガキでしたが、小中高となんの変哲もない公立の学校に進学。

 

この頃から、初恋やらの色恋を経験して行くのですが、ここで母親との別離によるとしか考えられない女性との距離を感じるようになります。女性には当時、事欠かなかったのですが。

 

これは、また別の機会があれば掘り下げたいと思います。

 

その後大学進学し、おそらく人生初の挫折を味わいます。

 

精神的にやられて完全な登校拒否(笑)

 

中学生かと思うけど当時は大真面目にキツかった。就職氷河期だし、留年してしまうし。クソ底辺になるしかない。なるなら大学辞めてしまえって思ってました。

 

ところが、立ち直り、留年してもう一年大学行って卒業しました。詳しく書いても面白くないんで書かないですが。簡単に言えば、鬱ですかね?病院に行きましたが、医者に対してお前に俺のことは分からないとか思って通わなかったので、たぶん鬱ではないですね(笑)反抗期?

 

大学在学中に母親に再開。子宮筋腫の手術で万が一があったら会えなくなるとのことから、ずっと繋がりがあった兄の誂えで再開。最初はやはり敬語でしたね。全くの他人って感じ。

今になって思えば子宮筋腫の手術で中々死なないとも思います。

でも、この頃には許してました、俺たちを捨てたこと。少しは大人になったんですかね。

 

それからも寄り道はあったけど、現在の仕事をし始め、大学から計6年付き合った二つ年上の女性と結婚。

しかし、結婚は3年で破綻。離婚は地獄でしたね。そうでない人もいるんだろうけど。ここら辺はまたの機会に詳しく書きます。

 

そしてその3年後、6つ年下の今の妻と出会い、3ヶ月でスピード婚。授かったからではなく順序を踏んで結婚です。俺はまあ年齢的にいつでも結婚は視野に入れてる年齢ですが、妻はこの人しかいないと思って事を急いだようです。バツがあったから義両親には反対されてたんですけどね。

 

前の妻との間には子供は無く、今の妻との間に3人の娘。私が浴びたであろう放射線の影響は、大きな障害もなく、子供も出来たのであまり無かったようです。

 

そして現在ですね。

 

紆余曲折はそれなりにありますが、劇的な程、どん底である家庭環境とか、奇妙な病気にかかっているとか、そんな話のタネになるようなことは無いです。

 

 

そんなブログで良ければ、今後ともどうぞヨロシク。

 

 

難しいことを易しく

例えば、マルクス・レーニン主義をアカデミックな言葉を用いて、さも高尚な論理を展開してみせる。

何かすごいものを聞いているような感覚になってなかなかオツムが良くなったような錯覚に陥る。

 

例えば、難解なレリックを用いて、かの有名な文学などを批評してみて、作者の深淵を覗いてるかのような気分になる。

 

芥川賞作家が以前、インタビューで言っていたことを思い出す。

 

「難しいことを難しく言うのは一流ではなく、難しいことを易しく伝えられて一流である。」

 

細かいニュアンスは違うかもしれないが、概ねこのようなことを言っていた。

 

俺はそんな難しいことを伝えることすらできないが、世の中には、難しいことを難しいまま、または、難しいことを更に難解にして、世に伝えられて、流れのままに何となくわかったような気になってることがたくさんある。

分からないことを分かったように振る舞うことの方がよっぽど恥ずかしいのに、周りに合わせて分かったような態度をとる。

 

何かを書くようなことをするなら、プロでもアマでも、そこを目指すべきなのかなと思う。

難しい言葉を羅列すると、何となくいい事を言っているような錯覚をするけど、やっぱりそれは錯覚なんだ。

 

特に、ブログという形を取るならば、平易な表現を用いて分かりやすくて、読みやすい、そんな文章を書いて、そして望めるならば、ただ一人の読者だけでも、逃れられないような毒のある一文を書き起こすことができれば、物を書くことの本懐を遂げることができるのではと思う。

 

 

うん、難しいままだな。

 

 

 

 

料理をするということ

料理をする人、特に最近は男の人が料理をする場面をよく見ます。テレビで色んな俳優さんが料理を紹介したりしてますね。

 

もちろん、女性もそういった番組をやってるんですが、取り立ててどうって聞かない感じかもしれません。

 

おそらく、男が料理することによるマイノリティへのクローズアップと女性がしないことによる男女平等感を演出するためのメディアの取り上げ方だったり、男はシゴト、女は家庭ような観念が薄らいでいること等色々なんでしょう。

 

 

俺の場合は必要だからやってます。

 

そこそこ小さい頃から料理の基本のようなことはやってました。

 

そのうち、書くと思うけど、生活環境がそんな感じだったので。別に劇的なものでもなんでもなく、そこいらに転がってる話ではあるんですけどね。

 

料理、特に好きではないけどある程度作れます。和洋中、なんでも。 

 

バリエーション出さないと面白くないんで色々と作ります。

一時期オムライスやペペロンチーノに凝ってそればっかり作ってたこともありました。店の味を出すのに試行錯誤してまあまあいいものが作れらようになったり。パーティー用なんかだとローストビーフやらアクアパッツァなんてのも作ります。

なのでパーティー用に作ってくれと頼まれたりします。ユッケジャンスープが好き過ぎてそればかりリクエストする人もいます。

 

仕事とは関係ありません。

 

料理をしていて思うことは、ひとつの企画を成立させるために、企画立案し、予算を組み、必要な資材を集め、加工し、体裁を整え、手際良く、提供する。そのために工程を考え優先順位を付けていく。

 

仕事の基本ですよね。

 

料理が下手、もしくは手際が良くないと仕事や本人の資質がだいたい推し量れてしまいます。もちろん、やらないと最初は誰でもできないですよ。

 

米を洗剤で洗ったりします。

 

しかし、何度やっても手際が悪いやら味が不味いという人はやはり色々とデキない人と思ってしまいますし、実際そういう人が多いような印象です。

忙しくしてる人ほど自炊してるなんて場合も多いですね。

 

料理を作っていて、そういう効率的な工程を組み立てるというところが一番磨かれた気がします。

 

時間が無いとかめんどくさいとか色々あると思うけど、おススメします。料理。

 

そして、自信は無いかもしれないけど、恋人や家族、大切な人に振舞ってあげてください。

 

夫が家族に振る舞えば最高の家庭サービスです。彼氏が彼女に振る舞えばポイントアップですね。

こんな不味いもん食べさせるななんて言う相手とは別れた方がいいでしょう。私も別れたことがあります(笑)

 

料理をすることによって違う世界が広がるかもしれないし、経済的だし、健康にいいし。やって損はないと思います。

仕事に対する意識も変わるかもしれない。

 

 

何より、美味しいって喜ばれると嬉しいじゃないですか。

 

 

 

春はキライ、を書く

 

季節が過ぎてしまうので、早目に書いておこうと思ったのが、題の通り。ネガティブスタートっていう可哀想な感じで始まってしまいました。このblog。毎日は書けそうにありません。

 

どうなんだろう、皆さんは好きですか?春。

 

桜がキレイだったり、寒かった冬がやっと終わって過ごしやすくなるとか、あまりマイナス要素は無いのかもしれません。

 

だけど、俺はキライなんです。春。

 

花粉症は春より秋のブタクサに敏感で、桜はキレイで好きなほう。寒いより過ごしやすい方がいい。

 

それでも春はやっぱりキライなんです。

 

はっきり聞いたことないからわからないんですが周りの人はどう思ってるのか。

 

俺個人の意見は、全てがリセットされて、浮ついた、どことなく所在無いフワフワした感じがとても居心地が悪いんです。

 

春に限らない話ですが季節の変わり目には変なヤツも多くなるし。

 

本当は様々なものが色づいて生命力を感じる季節で、なんかこうヤル気に溢れる季節なんでしょうけど。

 

 全くその気にならない。

 

なぜそう思うのか。掘り下げていくと「別れ」が根底にあるからなんだと気付きました。

 

積み上げてきた仕事や成果のリセットという別れ。くっついたり離れたりしながら深めていった仕事仲間との別れ。その場所で築いてきた信頼との別れ。

 

良い面には目もくれず、マイナスイメージばかりに固執してしまうのは、やっぱり今までの生活環境と浅からぬ因果関係があるようです。

 

ここで掘り下げて行くと、どんどん話が長くなるので、とりあえず上っ面の理由だけ書き連ねておきます。

 

前向きな姿勢を貫いていける人はそれで結構。後ろ向きになってしまう時もあって当然。

 

後ろ向きの姿勢だって考えようによっては何かをプラスにするための予備動作かもしれない。

 

とりあえずこんなもんで。

 

まあ、とにかく春はキライなんです。

 

blogを、書く

社会での地位やら経済的な安定や力、人に対する認識などが確立してくると、こう思っているということを立場上、率直に言えないことが往々にしてありませんか?

 

よくあるんです、こういうこと。

 

この歳までtwitterなんてめんどくさって思って全く見向きもしなかったのに、ふとしたキッカケ(ハッキリ言いますとエロ系)で知るようになり、勝手にフォローさせていただいてるSuburbiaの皆さんが自分の言葉を持つ重要性を説いていて、うーん、市井のイチ素人が書いて誰が読むんだと思うんですが、誰に読まれなくともその時思ったことを書き残す感覚で書いて行こうと決めた41の春です。

 

何かを吐き出す場になるのでお見苦しい内容だったりすることもあると思うけど、まあ見る人も少ないって事で勝手に納得してます。

 

人それぞれに何かを言葉にして発信したいって思う時が来るのかなと思います。それが10代であったり、60代であったり、転職した時だったり、失恋した時だったり。

 

特に今はSNSが発達して、その辺にURLを貼り付ければ、見たくもなかった人が間違って踏んでしまって見てみたらまあ面白かった、くそつまらねえ駄文だったとか反応が返ってくる可能性があるわけで、家で日記帳にシコシコ書いて自分しか読まないという状況だけではない今の時代は、健全にこういったシステムを利用すればなかなかいいもんではないかと思います。

 

独りよがりだろうけど、まあいいんでない。

 

誰に迷惑かけてないし。

 

blogの体裁は全然整えずに見切り発車します。そのうち画像やらを貼っていこうかと。

 

まあ、とにかく書いてみよう。