うっかり超ミスです!!訂正記事~事代主さまは、田心姫=豊玉姫さまのお子さんだった?!の、巻~
ひいい~~~!!(TДT)
申し訳ございません…っ!!!
じつは私の推す日本の古代王朝の起源仮説では、
事代主さまは、
田心(たごり)姫さまのお子さま、
大山咋さまが、市杵島姫命さまのお子さまだったー!!!!
超、凡ミスをしてしまいました…!!
ああああ…昨日気が付いて、途方に暮れました…
さんざん記事で、てんで違うことを書いてきてしまいました…
本当にごめんなさい~~~!!!(TДT)
単純に、覚え間違いをしておりました…
本当に失礼いたしました…!!(TДT)
せっかく読んでくれていた読者さま、私の浅学&覚えの悪い脳みそのせいで、
ヘンなことを『キリッ(`・ω・´)』と書いててスミマセン…(´;ω;`)トホホ…
いつも私が推している説は、じつは古代、九州に王朝が存在していたのでは??
という仮説をもとにした、百嶋先生という方の百嶋神社考古学、
という歴史学をもとに勉強されている方々のブログをはじめ、
市販の歴史考古学本、南方熊楠先生の本などを参考にして、神社探検をしております。
なので、じつは日本のスタンダード古代歴史書の、
古事記・日本書紀とはちょっと、ていうか、かなり違う解釈をしています。
なので、じつは、
宗像大社の宗像3女神はじつは本当の祭神ではなく、
田心姫(=豊玉姫)さま)ではないか?
というのも、
今回訂正する
市杵島姫命さまの連れ子が大山咋さまで、
田心姫(=豊玉姫)さまの
連れ子が事代主さまではないか?
というのも、百嶋先生の、百嶋神社考古学の考えをもとにして、
その仮説を裏付けるべく実際に近隣の神社を回って探検をしている次第です…
なのに覚え間違いという超アホな
凡ミスしてしまって、
恥ずかしいったらないです~~!!!
びえ~~ん!!!(TДT)
もしかしてこんなブログでも何かの参考にされているという奇特な方が
いらっしゃいましたら、本当に申し訳ないです、ごめんなさい~~(TДT)
あと、あくまで百嶋先生の歴史学も日本中にいらっしゃる歴史家の一つの仮説です。
もしご自身の歴史探訪の参考にされる場合も、
すべての学説はあくまで仮説、
というスタンスで、コレが絶対歴史の正解!!!ということではないので、
ご理解いただければ幸いです~m(_ _"m)
※ちなみにスタンダードな記紀神話では、
事代主さまは大国主さまの直接のお子さまになってます。
古事記では、
超・普通ですね…
宗像3女神は、アマテラスとスサノオの誓約
(スサノオ、もう悪いことしませんの誓い、みたいな)
の際、剣?を3等分?して誕生した女神たち、という、
ロボット合体アニメみたいな超絶なお生まれだったはず…
なんだかなぁ…
ワタツミノカミさま)の娘さんで、
有名な海幸彦山幸彦の物語で、
お兄さん(海幸)の釣り針を失くした山幸彦に協力して、
釣り針を探してやったり、お嫁さんになったり、
陸に上がるときは山幸がお兄さんに仕返しできるように
スゴイ玉をあげたり、
なにかと尽くす嫁さんになってます。
お産のときにでっかいワニ=サメ?になった姿を
山幸に見られたため、
お子さま(ウガヤフキアエズノミコトさま)を陸に残して去っていく、という悲しいお話…
あんなに尽くしてくれたのに…なにも実家に帰ることないじゃないか…
じつは豊玉姫さま(百嶋神社考古学では、宗像3女神の一人・田心姫さま)の
この海幸山幸神話の元ネタ…てゆうか原型は、東南アジア方面や、
中国の浙江・江蘇地方の民間伝承にも似たようなお話があります。
人間でないモノが人間の姿になって、すったもんだの末、
人間と恋に落ちて、素敵な赤ちゃんを授かるけど、
お産の時(またはしばらくたってから)
お嫁さんの正体がヒトでないことが分かって、哀れ、
お子ちゃんを残して去っていく…
というお話ですね。あと、どうも世界的にみるとこれは、
山の民=狩猟民族(または騎馬民族)VS海の民
=漁労・交易・航海の民族
という対立構造を寓話的に伝える傾向のひとつ、という向きもあります。
豊玉姫がお兄さん(海幸)をやっつけるために山幸にくれたスゴイ玉は、
どんどん潮が満ちてお兄さんを溺れさせて懲らしめるという恐怖のグッズで、
この『どんどん潮が満ちて困る』のが何故か海で仕事をしてた海幸、という
『おいおい仕事で慣れてるんだから、なんとかしろよ…』、な展開。
また、イスラム圏では
陸の王が海の覇権を狙うために、兵隊たちに命令して
毎日ちょっとずつバケツですくって
海の水を減らしてる…
これを見た海の民が海の神さまに連絡、神さまは
『やばい、干上がるやん!降参!』となって、
海の民も陸の王に従うようになった…
という、『海の神さま、ちょっと落ち着いて、
皆のためにもう少し良く考えましょうよ…!』な、
『潮が満ちて困る』ならぬ『潮が減って困る』バージョンもあります。
どちらにしろ何故か、先進文物が入って有利なはずの海側の民族よりも、
山側で文化的には不利にも思える山の民=狩猟民族の方が、
どこからかの協力を得たり知恵を使ったりで、海側を従わせています。
宗像に痕跡の残る大国主さま、その二人のお后さま、
その連れ子の事代主さま、大山咋さま…
皆さん、どこかしら海の民の面影のある方々
ばかりなんですよねぃ…
だから、山の民=狩猟民族(=騎馬民族)に征服されて消されちゃったんでしょうか?
でもやっぱり、すべての説はあくまで仮説!
なのです~~。だからこそ調べて想像して楽しいのですけどねぃ。
しかし今回は、今までうっかりミスで間違ってしまっていた私の推し仮説を
(なんでも『推し』といえば済むと思って…)訂正しにあがりました…!!(T▽T)
あらためまして私の推し仮説では、
市杵島姫命さまのお子さまが大山咋さま
(松尾大社の松尾さまは、
母子で祀られているということになりますね)、
田心姫(=豊玉姫)のお子さまが事代主さま、
という次第です~。
ちなみに、お后のおふたりは『いとこ同士』じゃないのか?
という仮説もあります。
今後もきっと私の思いっきりの覚え間違いや、アホみたいな勘違いや、
トンデモ古代史を引っ張ってきたりで『おまえってやつはもう…😨』
という気分になられるかもですが、そんなときは生あたたかく
笑ってやってくださいませ…!!
この度は凡ミスでお騒がせ致しました…!!
もうすぐ夏越しの大祓(おおはらえ)ですねぃ…
茅の輪をくぐって、半年のうちにたまった日々のアレやコレやをポイっと捨てて、
また半年、頑張っていきたいですねぃ~(^ω^)
私はもうちょっとオツムを賢くしよう…(TωT)
皆さまにまで失礼をおかけしないよう、頑張ってまいります!
こんなのでも大丈夫な奇特な方がいらっしゃいましたら、
お茶うけにでも読んでいただければ…と思います。
ではでは、次は訂正記事でないことを祈念しつつ、またお会い出来たら幸いです~♡♡
宗像・知る人ぞ知る神社に冒険!! ⑤~シリーズ完結!!宗像に隠されてる神さまたちを、八所宮周辺からも発見?!の、巻~
またしても更新に間があいてまいました~~(T▽T)
毎日更新されている方は、本当にすごい!!気付けば6月も5日目…
カビが生える前に更新せねば…!!
なんだかんだでなんと、『八所宮(はっしょぐう)』シリーズが、
うっかり⑤に突入してしまいました。いよいよ完結編です(笑)!!
2回目の八所宮参拝の道中、のんきに自転車こいで進んでたら、
『もっと中の道を走らんか~!!』と、いきなり自動車のおじさんに怒鳴られる…
『ヒィ~~なんでじゃ~~普通に道の端っこでこいでるのに…(TДT)』と思いつつも、
仕方ないので道を曲がって住宅側の道に入ったところ…
『今井神社』という、お宮を発見…!!
なんと鳥居入ってすぐ目の前、お社の正面にドーンと、大木が…!!(@Д@)
えーッ?!!こんなのアリなのか?!と思いつつ、こちらは後で参拝しようと思って、
八所宮を目指しました。しかし気になる、今井神社…今井…誰の事じゃろ…??
人の名前のようだし、昔の武将とか、お金持ちとかの氏神さまかな…???
と、思って八所宮に到着。本殿にお参りして、ぐるっと時計回りに裏の摂社も
お参り…あ!!ここは…!!!?
今井神社の小さいバージョンではないですかい…!!!
須賀神社といっしょにお祀りされてて、かつ今井祇園社、となってるから、
そーか、今井神社とは祭神がスサノオノミコトさまなのだね、と思いました。
…その時は。
八所宮2回目のお参り探検がすんで、再び先ほど自転車で通りかかった
今井神社に向かいました。
素朴な木製の鳥居です。でもキリッとして美しいですねぃ。
、
お社もいたって素朴。そんなに古いというわけではなさそう。
祭神は本当にスサノオさまなのかな?と、境内のあちこちを探してみましたが、
手がかりは見つからず。
帰っていろいろ調べても、各地の今井神社はほとんどその土地の名前が由来だったり、
今井=新しい井戸、水場、などの、水の近くの場所由来だったり。
唯一どこかの今井神社が『祭神:大山咋(おおやまくい)さま=日吉神社の神さま』、
とありました。大山咋さまといえば、酒の神:松尾大社の祭神、松尾さまでもあり、
私が調べた説では、
大国主さまの義理のお子さんです。
でも、八所宮では今井祇園社として小さな摂社が須賀神社ともに祀られてる…
調べたら、やはり今井神社はこの地区・赤間宿(あかまじゅく)の、西の鬼門を
スサノオさまをお祀りしているのだとか。
…でもなんか腑に落ちない…なぜならこの今井神社を調べてる途中、
どこかの今井神社の祭神が大山咋さま、と分かった途端、へびっちが、
と、言ってたから。
(真相は何も教えてくれないのに、唐突に真偽不明な答えを持ってくるストロングスタイル…!!
白蛇へびっちは気も身も長いへびの子です。)
でも今井神社=大山咋さまに全然つながらないよ~ビエ~ン!!(TДT)
…となってたのですが、
徹底的に調べたら出てきましたよ!!!
それは『正見行脚』というブログでした。書かれているのは、
宗像市内から宗像近郊のほぼすべての寺社仏閣を回りつくし研究を重ねている猛者!!
(そのうちどこかでお会いするんじゃと…と淡い期待(笑)素晴らしい探究心と行動力の方のブログです)
今までもお宮参りの時はこちらのブログをいろいろ参考にさせて頂いたんですが、
やはり今井神社の記事もありました!
お話によりますとなんとこの今井神社、
昭和23年ごろ赤間宿の『大黒屋』・松尾家の当時のご当主が、
ご厚意で提供されたお屋敷の一部・お庭だったそうです!
神社の元は、松尾家のお庭にあったお家の神さまでした!!
なぜあの大きな木が鳥居の前にいきなり生えてるのか?!というのも、
お庭に生えていた木をそのまま残したから、だそうです!!
スサノオさまを勧請したのは、戦後からなんですねぃ。
このお話をきちんと探してくる『正見行脚』の管理人さまの探求心に感服です…!!
(少し離れたとこにもう一つ今井神社がありました。本当はそっちが正真正銘の今井祇園社で、
地区の夏祭り・赤間祇園祭の都合、おみこしの中継地点にするためにこちらを新しい『今井神社』に
変えたのでは、と推測。街の中心の近くにあった方が都合がよかったんかな。)
さらにさらに、今井神社が西の鬼門封じのスサノオさまなら、東の鬼門封じの
赤間須賀神社のスサノオさまは何処から…といいますと、八所宮の少し手前に
なんと、七社神社という、『コレ絶対八所宮に名前寄せてきてるだろ…?』な
お宮がありまして(笑)、こちらの祭神の1柱・スサノオさまを勧請している、
とのこと。
なんですが、これがなんと、えびすさま=事代主さま、
なのです。
ムムムムム…?!!(@Д@)
東の鬼門封じ・スサノオさまは近くの七社神社から勧請していて、
もといらっしゃった祭神は、えびすさま=事代主さま。
西の鬼門封じのスサノオさまは昭和23年ごろに赤間須賀神社から勧請していて、
もといらっしゃった祭神は、『大黒屋』松尾家のお家を守る神さま。
この『大黒屋』さんは、もとは酒造業。お名前そのままですが、そもそも
松尾、というのは、日本の3大お酒の神さまの名前。酒造家の守り神は、おそらく
日本一有名な酒造の神さま、松尾大社の大山咋さまです。
ということは、今井神社にもともといらっしゃった祭神は、大山咋さま。
あああああ!!!!へびっちの言ってることが
当たってしまったー!!!(@Д@)
…でもせっせと調べて真相にいたって初めて『ウンウン☆』とうなずく子で、
なかなか厳しい家庭教師へびの子です。
じつは八所宮にいたる道中の赤間宿という地区は、唐津街道(からつかいどう)
という江戸時代の街道に沿った街です。
宗像市の町おこしの一環で、素敵な古い町並みが保存されています。
現在は『勝屋酒造』さん1軒だけとなりましたが、
江戸時代は14件軒もの酒造がありました。お醤油屋さんも多かったそう。
『海賊と呼ばれた男』(←読んでない)のモデル・出光佐三さんの生家もあります。
さらに先ほどの『大黒屋』さんのほか、出光家の『えびす屋』さんも酒造家でした。
さらにさらに、じつは八所宮の手前にも…
『伊豆酒造』さんという、宗像大社にお神酒を納めている、
立派な酒屋さんがあります。八所宮の1の鳥居を入ってすぐ側です。
ということは、『赤間庄(あかまのしょう)』と呼ばれたこのあたり一帯は、
お酒が造れるような綺麗なお水が豊富に流れていたから、
酒造家・醤油屋さんなどがたくさんあったということなのですかねぃ。
ここでちょっとお酒の神さまについて…
先ほども書きましたが、日本3大お酒の神さま!!神社がありまして、
それは奈良の大神神社、京都の梅宮神社、同じく京都の松尾大社です。
このうち奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)が、
日本で一番最初にお酒造りをした神さま、ということになっております。
あの酒屋さんの前に吊るしてある丸い、スーモみたいなのもの…
酒林(さかばやし)と呼ばれております。
始まりは大神神社のご神体・三輪山の杉の葉を使ったものだった、と言われています。
また、お神酒(みき)、といいますが、古代は『ミキ』ではなく『ミワ』と呼んだ、
とも。それくらいお酒と結びつきが強い神社です。
そして、祭神は大物主さまです。
通説では、大国主さまのもう一つの魂、だそうです。
(ちなみにこの大神神社がへびっちの実家の本社で、へびっちはこちらの神さまのお使いです。
神さまは人間由来ではなく、大蛇の神さまです。なので、ここでは大神神社のご祭神=元・人間の神さま、
ご神体の三輪山の神さま=大蛇の神さま、と区別しております。神さまの世界って複雑ですねぃ)
そして、現在の今井神社、前身は『大黒屋』松尾家のお庭にあったと推測される
お酒の神さま、こちらは松尾さまと呼ばれる神さま。
京都の松尾大社のご祭神です。
調べたところ、『松尾さま』という神さまは『2神同体』の神さまで、
大山咋さま+市杵島姫命さまなのだとか。
なので、松尾さまは女神さまという見方もあるんだそうです。
(酒造の蔵に女性が入ると神さまが嫉妬するとかいう、ちょっとなんだかな~な、小話も…)
なぜお酒の神さまとして親しまれるようになったかというと、
その名もまんまな大酒神社から自分たちの氏神
(大辟神=秦河勝という、聖徳太子の元で活躍した秦氏の祖)を勧請したからだそう。
じつはその秦氏の皆さんが、現在の米麹のお酒を造る技術をもたらしたのです。
それまで日本で作られていたのは、『口噛み酒』といって、ご飯を口でよく噛んで
唾液に含まれる酵素で糖化し、野生の酵母の力で発酵させたものでした。
(縄文の頃からお酒はあったようですが、これはこれで果実酒のような自然発酵のお酒ではと。)
大神神社発祥と言われるお酒も、口噛み酒と言われています。
そもそも松尾大社は松尾山で行われていた磐座祭祀を麓に降ろしたのが始まりです。
文武天皇の命令で麓に降ろしたのも秦氏の方。なので、松尾大社自体が、
しかし!!!!
もともとこの場所は、葛城氏(かつらぎし)と呼ばれる
氏族の土地でした…ジャジャーン!!また登場!!葛城氏の皆さん!!(笑)
どうやら葛城氏がヤマト朝廷にコテンパにつぶされた後、場所を引き継いだのが
秦氏と呼ばれる方々で、祭祀もそのまま引き継いだようです。
滅び去った葛城氏が奉じていたのは事代主さま(=えびすさま)
系列の神さま。私の推す仮説では、
市杵島姫命さまは事代主さまのお母さまです。
(※すみません!!↑は、私の資料にしている歴史仮説では、
市杵島姫命さまは、大山咋さまのお母さまでした!!!大変失礼しました…!!
2020年6月20日更新の訂正記事をご覧いただければ幸いです…!!)
現在の松尾大社の大山咋さまは、義理の兄弟。
お父様は、大国主さまです。
さらに平安京遷都後、東は『賀茂神社』、西は『松尾大社』というふうに、
鬼門封じ的にお宮が位置付けられております。
賀茂神社…滅び去った葛城一族と同じく、事代主さまをお祀りしている
鴨一族の神社です。賀茂神社のご祭神は、事代主さまのご親族。
…くしくも遠く離れた九州・宗像の小さな宿場町の鬼門封じが、京都と
そっくりそのまま同じ祭神に…(@Д@)
そして、最初に書いた奈良の大神神社の大物主さま、こちらは私が推す仮説では、
大山咋さま=大物主さま、です。
ということは、日本の有名なお酒の神さまは、どちらも大山咋さまかもしれず、
関連する神社には事代主さまや市杵島姫命さま、
彼らを信奉していた鴨・葛城氏の姿が…(@Д@)
そして九州の小さな宿場町・赤間には彼らを祀った痕跡…
ここでまとめとこう!!(笑)
⑤シリーズでいろいろ考察してきましたが、
シリーズ①では、八所宮のちょっと先の豊日社(とよひしゃ)をご紹介しました。
②では、八所宮のお宮の彫刻やご神紋、おみこしの飾りなどを調べて、
『八所宮のご祭神は由来不明の8柱の神さまではなく、
宗像大社と同じく、大国主さまと二人のお后さま(田心姫さまと市杵島姫命さま)
と、お子さまの大山咋さま、あと、誰か(笑)ではないか?』
という仮説を立てました。
③では、八所宮に隣接する小さな観音堂・長福寺が、八所宮の神さまの本地仏である、
という点から、『八所宮の本地仏っていうけど、対応してる神さまがいない!!
という変な発見をしてしまいました(笑)。
④では、赤間=赤い馬、とかいうダジャレみたいなネーミングに納得できず、
大昔の地図や古語の成り立ちを調べたら、
『『アカ・マ=水が沢山あるところ・湿地』だったのでは?
赤馬に乗った神さま登場ではなく、赤馬に乗った渡来人を地元の神さまを祀る人たちが
迎えたのでは???』という仮説に至りました。
ついに迎えた最終話⑤!!
ここでは赤間宿がじつは酒造家がいっぱいで、ナゾの神社かと思った小さな
西の鬼門封じの神社が、じつはお酒の神さま=松尾さま=大山咋さまで、
東の鬼門封じの神社が、じつはえびすさま=事代主さまだった!!
しかも京都の神社の配置と同じになってるんやけど…
という事実にあたりました。
ここまで積んどいてなんですが、
『じゃあ、実は宗像3女神は表向きのご祭神で、
宗像に最初に祀られていたのは、
大国主さまとそのご家族なんやね!!!?』
…と言えるような、決定的な何かが見つかったわけじゃありません…(TДT)
あくまで状況証拠や妄想で(←ヒ~)、仮説の域を出ません…
こないだ開始したばっかりの素人が古代史の山に埋もれているばかり…(TωT)
でも!!
私は宗像に大国主さまご家族の影を感じて
おります(笑)!!
出雲でも奈良でもなく、宗像に!!(笑)
なんでかは分かりませんが、自分の行くとこ行くとこに影を感じております。
なので、いろんな痕跡や歴史的事実を積んで行って、彼らがここにいたことある!
みたいな証拠を探してまいります(笑)!!
だからって何がどーとかは無いんですが、単純に探検が楽しいな~と思ってます(笑)
タイムマシンがないので、古代にまかれた道しるべのパンくずを
拾っていくようなものです。研究者の方々は本当にすごいですねぃ…
そうそう、事代主さまや市杵島姫命さまの痕跡はよく見かけるんですが、
なかなか大国主さまに繋がる痕跡がみあたらない…と、思ってたら、
超!!有名な国宝に見つけたかもしれない(笑)!!
画像をお借りしました。
福岡の糸島で見つかった、
『漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)』の、金印!!
笑ってはいけない!!私も自分で笑いそうだが、
西暦57年に後漢の光武帝が倭の奴国王に授けた金印と言われています。
このハンコ、上のつまむ部分の形が、授ける相手によって変わります。
皇帝や皇后は、伝説上の動物を。
皇太子や大将軍には、『亀』。
諸侯王や北方異民族は『ラクダ』。
南方の諸民族は、『ヘビ』。…へびっちがいるじゃないですか…
笑ってはいけない!!ここで読み止めるのもちょっと待って欲しい!!
後漢の人たちが日本を南方の島だと勘違いして、つまみを蛇にした、
とも言われてますが、
じつは中国・雲南省の古墳から見つかった同時代の金印が、
これとそっくりそのまま同じなのです。滇国(てんこく)の王さまに贈ったものです。
この雲南省の古代人は漢人によって追い立てられ、江南地方へ移動、さらに
朝鮮南部に移動、そして日本へ渡ってきたのでは…と言われています。
彼らが日本に稲をもたらしたのではないか?と。
日本と同じようなうるち米食・発酵食品の数々があり、
鳥居の原型のようなものがあり、精霊信仰の人々が暮らしています。
後漢のヒトは間違えたのではなく、日本に来た時、
『あ、南の方と同じ風習してるアルね。
滇国の人たちと同じ民族アルね。』
…と、思ったのかもしれない!!!アル!!!
そして響く、前に言われたへびっちの言葉…
『大国主さまは、
東南アジアから来た人だよ☆』
…大国主さまのトーテムは、ヘビ、なのです…(@ω@)
…えーと、でも、糸島の金印ですが、毎度『ニセモノ?!!ホンモノ?!!』
論争が湧いてる、いわくつきの国宝です(笑)
ホンモノだったら嬉しいけど、ニセモノだったら…でも、もしかして、
ホンモノはどこかにあって、それが出てしまうと歴史が変わるくらい大変な
秘密を抱えたものと一緒に納められてるのでは…と、妄想古代脳が…
そして、『アカ・マ』の語源がもしかして古代新羅語で、この言語は
南方の影響を受けていて、と、考えると…
福岡の沿岸地帯から、いや、九州の沿岸一帯、出雲地方、
彼らが船でたどりつく限界まで進出し、稲作や鉄器製造、口噛みのお酒作り、
発酵食品、鳥居、注連縄など、いろんなものを伝えてくれたのかもしれません。
でも彼らが先にたどりついた証は、表立ててはならないのかもしれないです。
とくに、彼らのリーダー、彼らの神となった人たちは、
穏便に国譲りをしたことになっているから…
…と、妄想古代脳は語る…いや、金印はニセモノかもだから…ねぇ…
さて!!
猛烈に長くなってるのですが、ここでもう一か所お参りした神社をご紹介!!
なんと、御来光を背負った神さまが写っています…!!!
お分かりいただけただろうか…
『よく来た…ヒトの子よ…』
『何にも望みは叶えないが、お参りしていきなさい…』
いや~~~可愛い神さまでした!!!
なんという可愛いお顔!!つるつるの毛並み!!これはさぞかし名のある大神!!!
…と、このように、お参りするとありがたい出会いが待っています。
ネコ様が遊ばれている自由なご神域なんですが、道真公の小さな天満宮なんですねぃ。
でも、おそらくここは天満宮ではなかったんじゃ…と、
思ってまいました。たぶん、古墳の上に立ってる気が…気が…(@ω@)
小高い丘みたいな立地で、大昔はすれすれに川岸だったんじゃないかな~と。
福岡は大宰府があるせいか、分からない祠とか後付けで天満宮にしちゃったり
神功皇后や応神天皇、神武天皇を被せてくる力業が多い気がする(笑)。
今回いろいろ調べてる途中、ずいぶん前に行った神社や場所が
唐突に関係してきたりで、
どんどんそのすべてが繋がっていることに気付いて、
いったいどこから書いていっていいのやら…と楽しいパニックになりました(笑)。
何のご縁でそうなってるかは分かりませんが、いや、分かるんだけども(笑)、
それは確認しようがない不思議の世界のお話なので、
もっと目の前に出てくるものを確実に調べてみます。
安易にスピリチュアルに頼ってはいけない!間違ったスピはヒトを力いっぱいダメにするぞ…!!!(笑)
これを読んでいただいてる方々とも、古代のどこかで袖触れ合うようなご縁が
あったかもしれないから、こんな長い文章でもお付き合いいただけるのかもです…♡
ありがたいことに沢山の真面目な古代の研究家たちが日夜努力して
私のような浅学のモノにも分かりやすく古代史をひも解いてくださっています。
そのありがたい資料を手元に手繰り寄せ、でもそれに溺れず、
出来る限り自分で足を運んで、目で見て頭で考え五感をフル回転させ
最後に第6感に頼り(笑)、へびっちと遊び時にヒントをもらいながら、
本当はそこになにがあってなにが私をそこまで呼んだのかを、探っていきます。
ということで、シリーズ⑤はここで完結です!!
ありがとうございました!!(^▽^)
ただ問題が…!!
遊びすぎて仕事が思いっきりおろそかになって大ごとになってまった…(TДT)
なので、これからしばらくはまた、ゆるゆる更新にもどります~~!!
すでにお参りした神社があと少し残ってるんで、これもゆっくりUPしますね~!
お参り探検は、秋になって涼しくなるまでおあずけ、と、へびっちと約束しました。
ああ~~(TДT)さ、さみしい~~(TДT)
でも、仕事がんばります~~!!
皆さまも、梅雨時期を元気に乗り越えてくださいませね~~!!
また次回お会いできたら幸いです~~♡♡(^▽^)
宗像・知る人ぞ知る神社に冒険!! ④~古代のムナカタの真ん中は海だった?!地名から八所宮のナゾに迫る!!の、巻~
すばやく更新するはずが、うっかり間があいてしまいました~~!!
アワアワしてたらツチノコ型ペーパーウェイト(←東京デザインフェスタで購入)が
落下、可哀そうに、ツチノコのお目めを破損してしまいました。゚(゚´Д`゚)゚。
急いで100均手芸コーナーで6mmのお目めを探してくる途中、
素敵な水色の、小さなナゾの卵の殻を発見!
お家に帰って調べてみたら、ムクドリの卵でした。
そういえば、街路樹にムクドリがたくさん遊んでました。無事に孵化して良かった。
ツチノコにもお目めが戻ったし、一件落着!!
…じゃなくて!!
今回は、宗像のナゾ多き神社、『八所宮(はっしょうぐう)』を、
周辺の地名や古い地形図から探っていきたいと思います!どんどんパフパフ~(古)
JR赤間駅という市内の駅の周辺から八所宮のあたりまで、
昔は赤馬庄(あかまのしょう)と言いました。
なんでも日本の一番最初の天皇・神武天皇が日向(宮崎県)から東に
進んでいく時この地区を通りまして、
それを西海守護の神さまが赤馬(あかうま)に乗って導いてくれたそうです。
その神さまを祀っているのが『八所宮』で、神さまが赤馬に乗ってたから
土地の名前が赤馬=赤間(あかま)になり、神さまたちが(または神武天皇が)
『吉き(よき)所に留まりたもうた』から八所宮周辺が吉留(よしどめ)
になった…、というご由緒があります…が、
不届きモノ・ツチネコは思った!
『そんなダジャレみたいな地名、ちょっとなんか怪しいんでは…???』
なんか前から『アカウマから赤間!』というのが地元民なのに、
全然ピンとこないのです。
何故かと言いますと、件の『馬』に関するような他の地名、神社、地元民の苗字、
郷土玩具など、『赤間』の地名以外には、何にも見当たらないからです。
『神さまが乗ってきたありがたいアカ馬ちゃんだよ~~♡♡』
という伝承があるのに、どこにもウマっぽさがない謎…
どっちかというと、最近になって道の駅のようなとこに
『赤馬館(あかまかん)』というのが出来たり、
赤間駅周辺の立体交差点の模様に、昔の馬の玩具が描いてあったりです。
なので、ツチネコは調べた!!(@Д@)
まずはこちらをご覧いただこう!!
6000年前の、宗像と北九州付近です!
6000年前と言えば、我々の祖先が縄文生活を元気に送っていらっしゃった頃!
じつは、九州は7300年前に鬼界(きかい)カルデラ噴火という
途方もない破局噴火を経験しました。残念なことに当時、九州(四国・本州も
被害は甚大だったはず)の縄文人の皆さんはほとんど絶滅。
(鹿児島周辺には超高度に発達した縄文文化が栄えていたそうですが、こちらも火山灰に埋まりました…)
それから1000年くらい九州は無人だったのでは、と言われております。
(じつは2万9000年前も姶良カルデラ噴火で、旧石器時代の皆さんが絶滅してます…災難…(TωT))
噴火から1000年もたてば草木も蘇り、それに加えて世界的な温暖化は
各地の縄文人の海洋進出を後押し!九州にもいろんなとこから来たご先祖さまが、
縄文フロンティア精神で快適な土地を開いていたわけですね~。
(鬼界カルデラ噴火の時に生き延びた日本の縄文の方々が南北アメリカや太平洋の島々に渡り、
ネイティブアメリカン、インカ帝国の人々になった?!…というすごい説も…!)
ということで、今では考えられませんが、
宗像市内のど真ん中は古宗像湾(こ・むなかたわん)という、
素敵な内陸の海でした(笑)!宗像大社予定地も、海すれすれに…!!(@Д@)
この頃すでに八所宮は陸地ですが、八所宮の周りも含め、市内に河川は縦横無尽に
たくさん広がっていたようです。
ただ、山などの地形はほぼ現在と変わってないとのこと。海面は広がったけど、
陸地が隆起したり陥没したりはなかったんですねぃ。
しかし世界的な温暖化は紀元前1世紀ごろに終わり、それから紀元3世紀までは、
世界的な寒冷化が…!徐々に海は小さくなっていく…(´・ω・`)
こちらは弥生時代後期の地形図。まだまだ海は残ってます。書いてないけど、
宗像の隣町から北九州まで広がった古遠賀湾(こ・おんがわん)も、まだまだ
のびのび広がってます。4月にお参りした楯崎神社も、島にありますね…
え?!!し、島だったんか~~?!(今は岬の突端です)
紀元2、3世紀といえば、すでに古墳時代の足音が…!コフン…コフン…
(ヒミコが魏に使いを送った、と言われるのが西暦239年頃。)
コフンの前に、2300年前稲作を伝えてくれた弥生人の皆さんは、
宗像周辺にもしっかりお住まいでした!おそらくは彼らが、
宗像を最初にがっつり快適に稲作万歳!!な土地に変え、縄文の皆さんとの
違いを乗り越え、頑張って仲良く共存・繁栄した、輝くべき宗像市民です。
『ムナカタ』という言葉を最初に持ち込んだ方々だったはずです。
いわゆる、海の民・ムナカタ氏です。
私は、この方々の神さま、というか、
最初の最初は自分たちのリーダーであった方々が、現在の宗像の神さまだと思います。
その神さまたちが、なぜか現在、
別の神さまの名前になって
いるんでは…?!!
という仮定の下、妄想古代脳をフルに回転させております。
具体的に言いますと、
宗像大社の本当の神さまは、宗像3女神ではなく、
大国主さまとその二人のお后
(市杵島姫さま、田心姫さま)ではないか??
また、
八所宮の神さまは由緒不明の8柱の神さまではなく、
大国主さま、お后さま二人、
そのお子さま:事代主さま・松尾さま、
お二人のお后さま、と、あと、誰か(笑)
ではないか???
…という、妄想古代ミステリー仮説です!
あくまで仮説ですよ!!素人の仮説ですよ!!覚えてもテストに出ませんよ!!
今までもあれこれ考察してるので、良かったら前の記事もどうぞ~~♡♡
そこでまぁ、地名です(前置きが長い)。ツチネコは調べた…!!
今回の八所宮周辺地域の赤間が、『神さまの乗ってきた赤い馬』というのを
徹底的に疑いまくった!
古地図を見ると、どうも宗像は真ん中に海が広がり、それが縄文から古墳時代まで
確実に残っています。以前お正月にUPした生目神社周辺(地図参照)、
あのあたりも入り江になってます(JR赤間駅にほど近いです)。
生目神社のご由緒に『このあたりまで入り江だった』とあり、その時は
てっきり近くの釣川(つりかわ)の川岸が今より広かったんかな~、
ぐらいに思ってたんですが、どうやら本気で宗像中心まで海が入り込んでたんですね。
八所宮周辺には、この古宗像湾に注ぐ川が流れ、おそらく土地は湿地帯では
なかったのかと。神社のご神紋のオモダカは、シイ・カシといった西日本に多い
樹木のある湿地、池や沼に生息する植物です。
図鑑からスキャンしてくる力業。
たしかに葉先が矢じりにそっくり。武家に好まれた家紋というのも分かります。が、
生えてもない親しみないモノをご神紋にするとも思えないので、やはり八所宮周辺は
湿地であったはず。また、天武天皇が飛鳥時代にこちらを遷座する前は、すぐ側の
御手洗池(みたらいいけ)という池のほとりにお宮がたっていたそうだし、
現在もこの場所は釣川上流で、周辺は田畑が広がっております。
湿地なのに赤い馬がパカラってるのはどうなのよ???
と、どんどん疑うツチネコ。コナン君もビックリです。
そこで、古語を調べてみました。『アカ』を赤色と決めず、
『アカ』という単語で考えます。すると、出てきましたよ!!
『アカ』…水を意味する。
いろいろ説がありましたが、古代新羅語が語源の、『アカ』=『水』
が、一番近い気がしました。仏教でも閼伽水(あかみず)といって、
神仏に備える水=『アカ』と呼ぶそうですが、語源がサンスクリット語なので、
ちょと違うかも、と。もっと辿って行ったらつながるかもですが(笑)
この古・新羅語というのは、南の地方(中国江南・雲南省方面、タイ、
インドネシア等々)の影響を色濃く受けた言語だそうです。
新羅というのは、現在の韓国・釜山周辺も含むよう。
去年私が10日間も取材旅行した、とにかく食べ物がおいしい愉快なパラダイスです(笑)。
海雲台(ヘウンデ)という超!南国リゾート地気分満載な観光地がありまして、
(でも昔は閑散とした漁村だったらしい…)、韓国全土からビーチを楽しみに人々が集まります。
では、『アカ』に続く『マ』といえば、古語でもずばり、空間を表すよう。
これとは別に『袋状の湿地』(山地に囲まれた湿地の意?)という
のもありました。
どちらにせよ、ピンとくるのは古・新羅語の『アカ』=『水』。
『アカ・マ』=水のたくさんあるところ、水浸しの湿地、
だったのでは…??と、思ったわけであります。
南方系の新羅のヒトが宗像に来ていたのかは分かりません。
全く別のルートから来た南方系の人たちが伝えた言葉かもしれません。
(ちなみに地名に『アカ』とつく場所は、現在でも実際に洪水や土砂災害の多い土地にあてはまる…
という説があります。)
アカマの語源に続き、神さまが『ヨシ☆とめ!』(らき☆すた、みたいに…)
…と言ったから吉留(よしどめ)になったと言われることについても調べました!
古語で『ヨシ』というのはもちろん『良し♡』の意もあるんですが、
植物の『葦(あし)』(シイ・カシ帯の池や沼、湿地・
河原・干潟に生える草)を、良くないことを意味する
『悪し(あし)』に繋がるのを避けるため、代わりに『ヨシ』と言い出したのが
始まりだそう(なんとアシもヨシも、その漢字は一緒!)。
続く『留め』は、古語でもそのまま『とどめる』の意です。
そこでツチネコは考えた!
『ヨシ・ドメ』
というのは、植物のアシ=ヨシ(葦)がたくさん生えていて、丁度このあたりで
古宗像湾、それに注ぐ川をさかのぼって入港した船を留め置いたり、
船を留めて湿地を歩いて陸地に渡らなければならなかったから、ではないか?と。
もしこの仮説が元の地名の語源としたら、アカマは南の方の言葉から、
ヨシドメは湿地の植物と船着き場の意味から、
となります。
では、『オイオイ、赤い馬の話はそれじゃ
どっから来たんだよ…???』なんですが…(笑)
これも調べましたよ!!
宗像のお隣は、八所宮のすぐ先、以前記事にした猿田峠の『豊日社(とよひしゃ)』
の向こうに、鞍手町。(前記事の十一面観音様、じつはこちらにも同じのがありました(笑))
宗像との共通点は、すべての街に流れる川のほとんどが、最終的に
遠賀川(おんががわ)という、
大きな大きな川と一つになる、という事です。
この遠賀川、6000年前~古墳時代まで、あるいはもうちょっと先まで、
古遠賀湾(こ・おんがわん)という海でした(古地図参照!)。
古遠賀湾周辺には広大な干潟が広がり、弥生文化が大発展していたそうです。
そして地球規模の寒冷化の時代の後、古墳時代まっさかりになりますと、
大陸から馬の飼育の技術がもたらされました。
だいぶ小さくなった古遠賀湾は現在の遠賀川に姿が近くなっていくわけですが、
その上流では、なんと、馬の牧場が出来ていたそうです。
遠賀川上流域は馬の生産地となり、古遠賀湾から、当時国交のあった百済などに馬を
輸出していたそう。もちろん、ヤマト朝廷にも持っていったでしょうねぃ。
(そーいえば遠賀川上流の田川市に本家がある友達の名前が、馬原くんだな…)
じつは現在の遠賀川は、江戸時代初期まで『御牧川(おまきがわ)』
と呼ばれていました。馬の牧場の名残ですねぃ。
馬の痕跡はその周辺にそこかしこ残っていて、
鞍手・遠賀・岡垣にまたがる馬頭岳というお山があったり、
鞍手町などはまんま、町名に馬の『鞍(くら)』がついています。
有名どころでは、宮若市に『竹原古墳』というところがありまして、
なんともロマンを感じる彩色古墳が残っております。
(画像をお借りしました)
大きな日よけ用うちわ『さしば』、うずを描く波、とがった靴を履く大陸風のヒト、
彼の連れている馬、その下に船、彼らの上にでっかい怪獣…?!!
個人的には怪獣で良いんですが(笑)、どうやらこれは
竜媒信仰(りゅうばいしんこう)
という、竜と雌の馬を掛け合わせて、素晴らしく足の速い馬を作る!という
中国の信仰の影響を受けているそうです。中東にも広がっていた信仰の
ようだと、明治の知の大巨人・南方熊楠先生も『十二支考』に
書かれていました。ずいぶん前に神保町で買った古本が役に立ちます!南方先生最高!!
古墳に描かれているのは、馬の牧場で大成功した、この地域の有力豪族の方です。
ちなみにこの彩色古墳自体の建造は7世紀後半で、飛鳥時代に入っています。
ただ彩色の影響は、5世紀の高句麗の彩色古墳からと見られています。
…ん?高句麗??…たしか、まえ~~の記事で、高句麗ネタを書いたような…
気になる人は、ずいぶん前の記事から読んでね~~(笑)!!
あと、竹原古墳のある場所は、諏訪神社(すわじんじゃ)となっております…
諏訪神社…宗像大社と同じ、熊襲物部(くまそもののべ)系列の神社であり、
また安曇族という、長野県に入植した海人族の神社であり、
災害前にUFOを飛ばしてツチネコとへびっちに危険を知らせてくれた神さまのいる、
あの、すごい神社の分社ですねぃ…(笑)
あと、じつはツチネコ家の近くに相原古墳(そうばるこふん)
というところがありまして、こちらは現在宗像牛を育てる牧場の敷地内にあります。
(ススキ牧場さんです。宗像エール飯記事で手羽先がおいしかった肉屋さんの、牧場です(笑))
相原古墳には、武人らしき方が眠っていらっしゃる、とのこと。
豪華な副葬品には、新羅製の土器や、新羅製の馬具一式が納められていました。
こちらは竹原古墳より早く、6世紀後半に出来ています。
あと、うちの家のすぐ近いとこから、短足な可愛いウマの土器が出てました(笑)。
ここで現在の宗像市と、周辺の街の地図です。
6000年前から比べると、すっかり陸地ばっかりになりましたね~~(笑)。
ここで私の妄想古代ミステリー仮説!!
をまとめたいと思います。まとめてもテストに出ないよ!
①赤間は『赤い馬』が語源ではなく、
南方からやってきた海人族の方々の言葉:
『アカ(=水)』と
『マ(=空間、あるいは湿地)』、
すなわち『水の多い湿地帯』のことではなかったのか?
②吉留は神さまが『吉きところに留め』と
言ったからではなく、
『植物のヨシ(葦)』の生い茂る、
船を『留め』たりする場所のことではなかったのか?
③馬に乗った神さまがやってきたのではなく、
古宗像湾や古遠賀湾を経て、
馬に乗った、馬の飼育の技術がある渡来人がやってきた
のではなかったのか?
④宗像に先住していた南方系の人々の神さま
(=古代人のリーダー)を祀るひとたちが、
争わずに土地の利用や交易・往来の規制の協議しあった
のが、八所宮ではないか?
⑤ヤマト朝廷が台頭したことで南方系の神さまを祀る
風習は表に表すことが出来なくなり、本来は
『地元の神さまを信仰する人たちが、
馬に乗った渡来系の人たちを迎えた場所』であった
八所宮が、
『馬に乗った神さまたちが、天孫である神武天皇を
ご案内した場所』に変化したのではないか?
…とゆー、素人推理なんですがね…(笑)!!!
馬に乗った人たちが渡来するのが、早いか遅いかの違いかも~とか。
定説よりずっと早く、馬に乗った人々が古宗像湾・遠賀湾をさかのぼっていた
としたら、馬の大規模牧場を運営する技術の輸入前に、
半農・半漁の、南方系弥生人(もちろん縄文人ミックス)と協議し、
山間部の方に入植することにした渡来系の騎馬民族の人たちは、
先住の海側の人々の農作物や魚介と、自分たちの製鉄技術や、山で獲れる動物を
交換していたのかもです。
物部氏(もののべし)、なのかな~と。
もしかしてその後、アマテラスの孫がやってきて、
大国主さまに葦原の中つ国を譲らせる、
一般に言われる『国譲り神話』があったのでは…と。
…あれ、アシ=葦=ヨシ…葦原の中つ国…???
アシが茂っていて船を留め…葦はヨシで……き、気のせいか…
あまりにも長くなってしまったので、一緒に書こうと思っていた、
八所宮周辺にも見つけた!!
大国主さま、事代主さま、松尾さま
がいた痕跡!!
が、書けなくなってしまいました~~(TωT)
では次回こそシリーズ最終話にしたいと思います!!
まさかの⑤話めに突入!!(笑)
良かったら、また読んでくださいまし~~♡♡♡
宗像・知る人ぞ知る神社に冒険!! ③~八所宮の藤の花の満開の先に、小さなお堂を発見!!の、巻~
宗像の街境にある謎多き神社・『八所宮(はっしょぐう)』の探検、第2話です!!
初めての参拝の日、帰り際に可愛い小鳥ちゃんを見つけましたよ~♡(^ω^)
手水で水浴び中でした。かわいいな~(*´ω`)
ヤマガラという種類です。神さまのとこでのびのび安心してすごしてますね。
『神社で動物ちゃんや虫さんに出会うと、良いことある』
ってどっかで聞いたよ…!フフフ…!!(@ω@)
初参拝から1か月近くたって、2回目の八所宮の参拝に向かいました!
道すがら見た青々としていた麦畑も、収穫の時期を終えていましたよ~。
そしてやってまいりました、八所宮。一回自転車でここまで来ちゃうと、
割と距離も気にならなくなる不思議…(お家からはかなり遠いのですが…)
この日も清々しく晴れておりました~!ありがたや~!(^ω^)
ちょうど藤の花が盛りでした。境内に誰もいなかったので
ありがたく鑑賞させていただきました。とってもきれいでウットリ(*´ω`)
(八所宮、あんまり人に知られてない気がする…宗像大社は世界遺産で有名になったんですがねぃ…)
白い藤・紫の藤、どっちもきれいですねぃ~。
夢のよう~~(*´ω`)
おぉ~~天から御光が~~~(*´ω`)
へびっちと『夢のよう~~☆(*´ω`)』を繰り返しながら鑑賞してると、
藤棚の向かって左に、細い山道が続いてるのが見えました。
何かあるんかな~と近付くと、白ネコちゃんが、ひなたぼっこをしておりました。
キャワワ~~♡となって触りに行ったんですが、ざんねん!起き上がって、
どんどん細い山道を下っていきます。
素早いので写真も撮れず、そのまま白ネコちゃんの後をついていくと…
なんと!小さなお堂が見えてきました…!!
ネコちゃんは見えなくなったので、こちらのお堂にお参りさせていただくことに。
『長福寺(ちょうふくじ) 観音堂』という、
仏様の像をお祀りしたお堂です。
県指定文化財になっている十一面観音さまや、宗像市指定文化財の仏さまなど、
ありがたい仏さまを拝ませていただきます…
…と、いっても、毎月17日・18日にしか開帳されないと後で知りました。
普段はお堂の前でお参りするのみです。
でも清々しい、素敵なお堂です。新緑も映えますねぃ。
こちらはもともと八所宮の境内にあった、神さま=仏さまな、神宮寺。
元のお寺の名前は『長宝寺』といったそうですが、いつのまにか『長福寺』に
変わっていたそうです(笑)。
なぜ神社にお寺が…?なのですが、日本に古墳時代中頃に仏教が伝来し、
『こりゃご利益もはっきりしてるし、良い感じなんじゃないですか?』みたいに
時の政権はどんどん広めていく政策をとることにします。
(広めていく前には蘇我氏(仏派)VS物部氏(日本の神派)の熾烈な争いアリ)
仏教というのは布教していく最中、
『本地(ほんじ)』という考えをとってまして、
それはその地域にもともといる土着の神さまを、
仏教の仏さま関係に組み込んでいくやり方なんだそーです。
とはいっても日本では土着の神さまが根強い。なにせ八百万いる(笑)。
天皇にも氏神・アマテラスがいるわけで、それなら、ということで、
‟本来は仏さまなんだけど、迷える人間のために
日本の神々の姿になってたんだよ~~ッ!”
…というよーなノリで我々日本人の民族の神々(いわゆる祖先ですねぃ)は、
『ナントカの仏さま』という別名を、ほとんど皆、持つことになります。
明治時代の神仏分離とは、まったく逆のことをやってるわけですね。
じつはこの天武天皇が、八所宮を1300年前に現在の地
(鶺鴒山(せきれいやま)の山頂。でも山というより、小高い森な気も…)に
遷座されています。神さまからそうするよう、おススメされたそーです。
元はふもとの御手洗池(みたらいいけ)のほとりに八所宮はあったそーな。
なんで奈良にいる天武天皇が宗像の八所宮をアレコレして下さるのかというと、
天武天皇の奥さん・尼子娘(あまこいらつめ)さんは、
宗像大社を祀る海人族・宗像氏の流れの方なのです。
アマコ、という名前も、『海人(アマ)の子』という意味だそう。
古代の宗像は地方都市というより、お隣の国・韓国との外交や交易で大変重要な
ポイントだったので、天皇にお嫁さんを出したり出来たんですねぃ。
…話は戻りまして、仏教の仏さまa.k.a日本の古代の神さま、
のお話なんですが、やっぱりこちらの八所宮でも行われてました!
すなわち、今は山道の下の小さなお堂『長福寺』に祀られていますが、
こちらにお祀りされている十一面観音さまは、八所宮の神さまの、
仏教の仏さまとしてのお姿なのです。
それを『本地仏(ほんじぶつ)』といいます。
そして十一面観音は、だいたい『宗像3女神』か、
…あれ????
八所宮の神さまには当てはまる方、
どなたもいないんだけど…?!!(@Д@)
さらに、長福寺の十一面観音さまは、
宗像の隣町・鞍手(くらて)にある真言宗の『長谷寺(はせでら)』の観音さまと、
同じ作り方が見られるそう。同じ方が作ったんですかね?
どちらも平安時代初期に作られています。
真言宗の長谷寺といえば、奈良県の長谷寺。鞍手の長谷寺もその流れです。
奈良の方は四季折々のお花で有名ですね。私も去年、奈良県桜井市の
大神神社(おおみわじんじゃ)にお参りしたその足で、
長谷寺にお参りに行きました。山深くて、緑のきれいな素敵なお寺でした。
(大神神社はへびっちの実家の、福岡にある上和白大神神社の本社ですよ~♡)
長谷寺の『ハセ』の語源は、『豊初瀬(とよはつせ)』『初瀬(はつせ)』から
きているそうです。近くには初瀬川(はつせがわ)が流れてます。
もちろん、奈良の長谷寺にも大変立派な、
大きな大きな十一面観音さまがいらっしゃいます。
こちらが作られたのは宗像の観音さまより早く、奈良時代です。
もちろん、その頃はすでに『本地仏』の考えも根付いていたでしょうねぃ。
この奈良県の長谷寺を氏寺(うじでら)にしていた、古代豪族の末裔がいます。
あまりに勢いがあってヤマト政権に煙たがられ、
あらゆる手でコテンパにぶっ潰されたという(ヒドイ)、
ナゾばっかりの一族、
鴨・葛城氏(かも・かつらぎし)です…!!!
ついに言うときがくるとは…(笑)!!(げろさま、ついに書いてしまったですよ~~(笑))
時の政権にぶっ潰されたとはいえ、名を変え目立たずしかし脈々と血を絶やさず、
ちゃんと氏寺も持ってて喜ばしいことです(*´ω`)
彼らの本拠地が長谷寺の近くだったそーです(笑)。1年たって知るとは…(;´д`)
この鴨・葛城氏の氏神は、
『葛城一言主神(かつらぎひとことぬしのかみ)』さま。
この神さまは、事代主さま=えびすさまと、
同一なんだそう。
事代主さまのお母さまは、市杵島姫命さま。
(※スミマセン~!!!↑は、私が参考にしている歴史仮説の私の覚え間違いです。
事代主さまのお母さまは、田心姫(=豊玉姫)さまが、参考の仮説です…!!
2020年6月20日の訂正記事をご覧いただければ幸いです~!!)
む、ムムム…!!(@ω@)
こっからは妄想古代ミステリー…!!!
奈良の長谷寺を氏寺にしていた鴨・葛城氏は、
本尊の十一面観音さまを、
葛城一言主神(=事代主さま=えびすさま)のお母さま・
として見ていたのでは…???!!
(上にも書きましたが、これは仮説の覚え間違いでした…(TДT)
市杵島姫命さまのお子さまは、松尾大社の大山咋さまです。松尾大社のある地域は、
元々は葛城族が居住していたところです。なので、
葛城族は事代主さまも大山咋さまも、大国主さまの流れとしてお祀りしていた、
という可能性があります。←2020年6月20日訂正の文章です。
のち、もっと考察して新しく記事を書きますね~!)
市杵島姫命=十一面観音という流れは
そのまま宗像の八所宮でもあてはまって、
八所宮の長福寺にある十一面観音も
(広島県の宮島も同じように本地仏が十一面観音です。宮島の女神さまはもちろん市杵島姫命。
観音さまのいる大聖院は空海さまが開きました。それがちょうど平安時代初期!)
さらに言うと八所宮は、じつは市杵島姫命をはじめ、
そのご主人である大国主さま、
義理のお子様である事代主さまや松尾さま、
彼らのお嫁さん、
大国主さまのもう一人の奥さんの田心媛
(たごりひめ)さまもいらっしゃったのでは?
だから大所帯の『八所宮』、
なのでは…?!!!
…そして残るギモン。
いや、『八所』だから。一人足りてないよ…(笑)
足りない一人がもしかしてサルタヒコさまかもだし、
大歳神さまなのかも、とか思うんですが…ゴニョゴニョ…ゴニョゴニョ…
宗像で祭神のすげ替えがあってる気がする…!!というのは、『宗像大社』の記事から
書いております。良かったら見てみてね~♡
あくまで妄想の古代ミステリ~!!
なんですけどね(笑)
ただ、大国主さま関係の方々が宗像はじめ、
熊本~北部九州かけての土地にいられては、
ヤマト朝廷から続くその後の日本政府にとっても、
現在の歴史の観点から何かひじょ~~~に、
困ることがあるのでは…、と思っております。
だから『消せるとこは消しとけ!』みたいになってるのかな~?と。
本地仏の関係でもう一つ…
こちらは、八所宮のほんのちょっと先にある猿田峠近くの、
ほのぼのとしたお地蔵さまたち。なんとも心和む風景です。
吉留高六薬師堂といいます。病気を治してくれるお薬師さんですねぃ…
とも言われてますよぅ…(笑)
では次回は、今までの記事をまとめつつ、
全然ピンとこないこの周辺の地名の由来:
『赤間=赤馬(あかま=あかうま)』、
『吉留=吉きところに留め
(よしどめ=よきところにとどめ)』
を、真面目に探っていきたいと思います!ついに、
大国主さまも事代主さまも松尾さまも、
ちゃんとこの土地に関係しているのを発見か…?!!
です(笑)。
最後に…!!白ネコちゃんを追ってお堂を発見した山道で、
こんな素敵なお花を見つけましたよぅ…!
銀竜草(ぎんりゅうそう)
というそうです。虫に種を運んでもらって、
土の中のキノコの菌糸に寄生して大きくなる不思議なお花。
名前も神秘的ですねぃ。
やっぱり、神社で出会う生き物は、幸福を運んできてくれます…!!(^ω^)
そいでは、また次回、読んでいただければ幸いです~~♡♡
宗像・知る人ぞ知る神社に冒険!! ②~八所宮は聞いたことない神さまの名前がいっぱい?!!の、巻~
前回に続きまして、宗像の知る人ぞ知るお宮の探検でございます!!
まずはこちら、見てるだけで元気が出てくる看板を発見しましたので、
UPさせていただきました!!(笑)
『愉之里』さんというJR赤間駅近くの居酒屋さんです。
この時は緊急事態宣言の最中だったので営業自粛されていたのですが、
まさに今だからこそ心に響く良い言葉ですねぃ(*´ω`)
店主さんの頑張りが目に見えるようです。
また仲良し皆で集まって、ワイワイガヤガヤご飯を食べる日が
戻ってきますように…!!!
さて私ツチネコ、宗像に長年住んでいるのに
何故か一度もお参りしたことがなかった、歴史ある神社があります。
それが宗像市吉留(よしどめ)にある、
『八所宮(はっしょぐう)』です。
ある日唐突に『行こう!!』という気になって、やってまいりました!
先に猿田峠の『豊日社(とよひしゃ)』(前回の記事に載ってますよ~♡)に
お参りに行って、それから引き返してこちらに向かいました。
道路沿いにある立派な鳥居をくぐって、さらにどんどん進みます。
自転車には坂道がキビシーです。
しばらくすると、お宮に続く素敵な鳥居が…!
なんでこんなに立派なとこ、長年気付かなかったんだか…(@Д@)
この感じ…ここは…ここは『ミニ奈良』だ…!!!(@Д@)
と、激しく奈良の風を感じるツチネコ&へびっち。しかし奈良は1回しか行ったことない…
大きな樹木に囲まれた、非常に清々しい参道です。
そしてやはり、ここにもあるじゃないか!猿田彦さまの塚!!大人気!!(笑)
猿田彦さまの信仰というのは、一般の方に親しみやすくて広まったんでしょうねぃ。
さらにどんどん参道の階段を上っていくと向かって左に…
『現人神社(あらひとじんじゃ)』が鎮座しております。
こちらは八所宮のお宮自体を守護されている神さまだそうで、
ご祭神は『神直日(かんなおひ)』さま、『大直日(おおなおひ)』さまを
祀っておられます。病気平癒に霊験あらたかで、
その祈願の方法として自分の治したいところを紙に齢の数だけ書いて奉納する、
というのがあるそうです。
なので、お社には『目目目目目…』『鼻鼻鼻鼻…』『足足足…』と書いて奉納された
紙が、貼り付けられてあります。
それを見てつげ義春先生が思い浮かぶ昭和の子・ツチネコ…
こちらの狛犬さんが可愛かったので、2回目の参拝の時に撮らせていただきました。
右側はスタンダードスタイルの狛犬さん。お手々を上げてて愛嬌がありますねぃ。
江戸時代に作られたもののようです。
左側はアクロバティック狛犬さん。参拝の方を元気づけてくれますねぃ(*´ω`)
可愛い狛犬さんに見送られ、ついに本殿が見えてきました…!!
あああ!!!やっぱり、ミニ奈良的なものを感じる…!!!(@Д@)
スカッとした、素敵なお宮です。こちらにご縁を頂いたことを感謝して、
お参りさせていただきます。
彫刻が見事な本殿。気になったので、
2回目に来た時に彫刻をupで撮らせていただきました。
龍神様は、おそらくは火災除けのお守りではないかと思います。
(その上に逆さになってる生き物は…どの神社にもいるけど、なんていう生き物なのか
いまだに判然としません。なんなんでしょう?ご存じの方、いらっしゃいますか?)
こちらは『波乗りうさぎ』。
『竹生島』という謡曲からとられた、縁起の良いモチーフだそう。
琵琶湖の竹生島にお参りに行かれた人が琵琶湖畔で、船に乗った老人と海女さんに
出会い、その船に乗せてもらいます。
じつはその老人と海女さんは竹生島の龍神さまと弁財天さまだった!という
素敵なオチです。これにちなんで『月とうさぎ』もあります。
…謡曲の中身まではしらんけど、まさか、
うさぎといえば月!=琵琶湖に浮かぶ月影もとってもきれい!=縁起良い!
…ていうよーな、昔のヒトのインスタ映えみたいなノリだったんでしょうかねぃ…
こちらは『竹に虎』。虎に見えず、シッポのあるお猿さんかと思ったんですが、
へびっちに聞いたら『トラさん☆(・ω・)』といってたんで、虎です。…たぶん。
虎は男子性・勇猛さなどの象徴、竹は気品や冷静さの象徴で、陰陽二つ合わさって
バランスが取れてる=縁起が良い!!なんだそーです。
虎に比べると、なんだか彫刻の造形が素晴らしい。作ったのが別のヒトなのかな?
単に好みの問題かな?
麒麟さんは素晴らしい天下人の象徴だそーです。ちなみに大変大人しい生き物で、
足元の虫さんや植物も踏まないように除けて歩くそーな…
こちらは鯉。
中国では、鯉が滝に上って龍になる!という縁起の良いお話があるそーです。
波も彫られてるし、火災除けなのかもな~と思いつつ…
何故か私はちょびっと気になる。なぜなら…!!!
宗像では、
『大国主さま・事代主さま・大山咋さま』
という神さまから、まったく別の神さまに
変更するという、『祭神のすげ替え』と思しき事例が
あるから…!!(@Д@)
(良かったら以前の記事を見てみてね~♡)
調べてみると『波乗りうさぎ』をはじめ、数々の縁起の良いモチーフが
溢れてる神社が、まったく違う地域にありました。
栃木県真岡市にある、『大前神社(おおさきじんじゃ)』です。
(良かったら検索してみてね~♡)
大前神社にある縁起物彫刻、象さん・獏さん、これらも八所宮にもありました。
中でも、『波乗りうさぎ』が御朱印にあしらわれてたり、大前神社のご祭神の
お使いが『鯉』。ご祭神はなんと…!!
大国主さま、えびすさま(=事代主さま)なのです。
波乗りうさぎのモチーフ・謡曲『竹生島』で、船に乗っていたのは弁財天さま。
広島県にある宮島のご祭神・市杵島姫(いちきしまひめ)さまと一緒です。
私が調べた説では、市杵島姫さまは、事代主さまのお母さま。
(※スミマセン~!!↑は、参考にしている歴史学の仮説を私が覚え違いしてまして、
事代主さまは田心姫さまのお子さんで、
市杵島姫命さまのお子さんは、大山咋さまでした!
2020年6月20日の訂正記事をご覧いただけたら幸いです~(TωT))
こ、これはもしや…もしや、八所宮でも…
祭神のすげ替えが…っ?!!!(@Д@)
…となったんですが、栃木の大前神社の建立は、桃山時代末期・1590年頃。
絢爛豪華な装飾の時代です。
対して八所宮の現在のお社は、18世紀中頃に建てられたそう。
単純に宮大工さんが、『昔からの縁起の良いモチーフ集めましたよ!!』
ってだけかもなんで、ここでの祭神のすげ替え説は、私の妄想かな~…
でもものすごくものすごく気になる、それが、妄想古代脳だ!!(笑)
本殿の後ろにも、摂社がたくさんあります。
大歳神さま。じつは、前回の記事に書いた『豊日社』の、もう1柱のご祭神・
豊日別命(トヨヒワケノミコト)さまと同じ説、あり。
海幸彦・山幸彦で有名な、海幸彦=豊玉彦さま、という説もあり。
さらにいうと、市杵島姫さまの元・旦那さんで、
お子さんは事代主さま、という説もあり。
(すみません~~~!!!↑これ、ものすごいごっちゃに仮説の覚え間違い&
単純に整理できなくて大間違いしております。ひい~~(TωT)
海幸山幸神話で出てくる竜宮城の王・豊玉彦さま(=ワタツミノカミさま)は
海幸ではなく、豊玉姫(=田心姫)のお父さんです。
海幸彦は豊玉姫の元・だんなさんというのが私の参考にしている歴史仮説です。
そして海幸彦=天忍穂耳命さまが事代主さまの実父、ということになります。
すると海幸彦=大歳神さま=天忍穂耳命さま=豊日別命(トヨヒワケノミコト)さま、
という仮説になります。
記紀神話では山幸彦が豊玉姫と結婚したことになってるので、すさまじい違い…
←2020年6月20日の訂正文章です。)
む?!むむむむむ…?!!!(@ω@)
きわめつけ。大黒さま=大国主さま&、
えびすさま=事代主さま。ムムムムムムム~~~?!!!(@ω@)
でも他にもあります、稲荷社とか、祇園社とか、八幡社とか。
だから、祭神のすげ替えがあったとは、一概には言えないのです。ぬぬぅ…(TωT)
こちらは八所宮の、ご神紋。
『抱き沢瀉(おもだか)』紋といって、湿地に生えるオモダカという植物の葉と花を
モチーフにしています。奈良時代から牛車などに使われた文様ですが、
葉先がとがって矢じりに似ていることから、別名:勝ち草とも呼ばれ、
武家に好まれたそうです。
八所宮のすぐ側には弓道場もあります。お宮自体が武家の崇敬厚かったんですね~。
300年続く八所宮の秋祭りの『古式大名行列』などにも、弓矢が並んでいきます。
ちなみに真夜中に行われます…(PM10~AM2時頃まで)。
以前、偶然に夜中に見かけたんですが、ほんとに神さまが通ってるのかと思いました(笑)
これがその秋のお祭りに使われる弓矢。
大名行列と、白装束の方々が神さまの御神輿を持って地域を回られる御幸があります。
疫病が流行ったときに地域の方々が願い出て、このお祭りは始まったそうです。
こちらはそのおみこし…む、待てよ、このモチーフ…!!!
お分かりいただけるだろうか、おみこしの飾りの平行四辺形の連続、これは、
花菱紋…!!出雲大社のご神紋と一緒やないか…?!!!
お屋根についてる梅の紋、こちらは菅原の道真公の紋…
さらにツチネコは調べた…!!!!
出雲大社の現在のご神紋は、この花菱紋です。これは大国主さまを守ってきた、
出雲国造家の家紋なのだそう。
(大国主さまの紋は『亀甲に大』、なのですが、私はどーもこれは新しい紋な気が…気が…)
さらにこの出雲国造家の祖先は、天穂日命さま。(←いまだになんて読むか分からない)
彼は、通説では天津神・アマテラスの子息なのに
(製鉄の神さまでもあります。)
さらに…!!菅原道真公の、祖先でもあります…!!
だとしたら、お神輿の屋根の梅紋と、飾りの花菱が、何の違和感もないやないの…!!
(※以前、おとーちゃんのふるさと・福岡県の旧・矢部村で老松天神社というとこに
お参りしたんですが、(前の前の前の記事くらいです~♡)
そのすぐ側には、3柱神社として大国主さま、事代主さま、スサノオさまが祀られていました。
矢部の方は祭神のすげ替えではなく、老松神社の付近がすべて、
製鉄の民の代表者&それを守る方々の空間だったのかもですねぃ…!!(@Д@))
いやいやでも、花菱紋は古来から素敵な文様として
いろんな装飾に使うし、
梅紋があるのは、摂社に天神社があるからだろうし…
ぬぬぅ…(TωT)
でも、3つあるおみこしで八所宮の『抱き沢瀉』紋以外のは、この梅紋しかなかったのですよぅ…
それは何故なのか…?(´・ω・`)
そう!一番の基本!!そもそも八所宮のご祭神を紹介してないじゃないか!!(笑)
お屋根は男神仕様ですねぃ。
この素敵な神社のご祭神は…じつは、ものすご~~くめずらしいのです。
八柱の神さまがいらっしゃって、それぞれがカップルで、4組です。
ここまではなんとかまあ、理解できる。そのあとがスゴイ。
泥土煮尊(ういじにのみこと)&沙土煮尊(すいじにのみこと)。
大戸道尊(おおとのじのみこと)&大戸邊尊(おおとなべのみこと)。
面足尊(おもたるのみこと)&綾カシコ根尊(あやかしこねのみこと)。…『かしこ』が変換できん…
…日本国をこしらえるときに誕生された自然創造の神さまだそうです。
皆さん、泥や砂、あとなんだか分からないモノの化身のよーで、
記・紀もこの神さまたちについてまともな由緒を述べません。
あくまで推測ですが、外国から輸入した天地創造神話のようなものを記・紀編纂者が
コピペしてこしらえたんではと思っております。
ただ、『高良玉垂宮神秘書』というのには、これらの神さまがナニモノなのか書いてるそう。
でもその神秘書が偽書の可能性もあるので、ここでは参考にしません。気になる方は検索を~!
しかし由来のよく分からない神さまたちなのに、なぜか八所宮では
『西海守護の神』さまたちになってて、
『神武天皇が東征の折、赤馬(あかうま)に乗って現れ、
皇軍を先導した』ことになっています。
なのでこのあたり一帯は赤馬(あかうま)→赤間(あかま)
と呼ばれ、八所宮の周辺は神さまが
『吉き(よき)ところに留まった』
とおっしゃったので、『吉留(よしどめ)』というそーな…
ここでツチネコの、妄想古代脳が
さく裂する…!!!!
『なんかあやしい、なんかおかしい、そんな、
ダジャレみたいな地名の付け方、いくら古代でも
おかしいんじゃないか…???!(@Д@)』
『てゆーか、神武天皇の東征って、日向(宮崎県)から
瀬戸内海あたりを船で通って、
灘波(大阪)に渡ってたんじゃ…???!』
写真を撮り、2回参拝に行って、いろんなものを調べて、なんだかこの八所宮、
何かを隠してるんじゃないのか……????!!!
という気持ちでいっぱいになった、ツチネコ。
次回は、2回目の参拝で偶然、ひなたぼっこ中の白ネコちゃんによって導かれた、
八所宮のすぐ側の、不思議なお堂から始まりますよぅ…!!(@▽@)
ちなみに八所宮は参拝の後、ものすごーーーく、
スッキリします!!温泉の後みたいです(笑)!!
だから、神さまはここに必ずいます。
ご祭神の名前とか関係なく、穏やかにこの土地にいらっしゃいます。
お近くにいらっしゃる際は、ぜひお参りを~~っ(笑)!
八所宮の参道沿いの森。神さまはいつも我々を見守っていらっしゃいますねぃ(*´ω`)
ほいでは、次回も素早く更新します!!良かったら、見てみてね~~!!(^▽^)
宗像・知る人ぞ知る神社に冒険!!!~猿田峠のサルタヒコさま?!え?!それとも…?!の、巻~
緊急事態宣言、ようやく全国で解除されましたねぃ。
まだまだ生活に不自由が残り、とくにお客さん商売の方、本当に難しい選択を
日々迫られていると思います…(´・ω・`)
なんとかコロナ菌が大人しくなるよう願いつつ、
世界中の皆で助け合っていきたいですねぃ…!!
そして、描こうと思って全然描けてなかった、今人気の
『アマビエちゃん』と、うちの子・へびっちちゃん接近遭遇!!(笑)
皆さまにたくさん良いことがありますように~!!♡♡(^ω^)
(ちなみにアマビエちゃん、へびっちは見たことないそーです(笑))
さてさて先月、緊急事態宣言が福岡に出された直後、
私は自転車を駆使して、宗像にあるのに一度も行ったことなかった
『八所宮(はっしょぐう)』という大変古い歴史のあるお宮と、
八所宮を地図で見ててみつけた『豊日社(とよひしゃ)』
という、猿田彦さまを祀っているお宮にお参りすることにしました!!
ちょうど麦畑が青々と茂っている頃です。左手に見えるのは宗像で一番高い山・
城山(じょうやま)。山頂からは運がいいと、はるか海上に沖ノ島が見えるそーです。
(沖ノ島は古代の祭祀場のある、絶海の孤島です。)
このスカッとした道をま~すぐ行った後、曲がったり上ったり下ったりすると、
宗像の隣町・鞍手(くらて)という町へ抜ける峠があります。
その峠というのが、猿田峠(さるたとうげ)。
お山の向こうは宗像の隣町です。お宮はその手前。
この峠の道をまっすぐ自転車で走って、『豊日社』を目指します。
じつはツチネコ家から自転車で行くにはやや無理がある遠さです。でも行っちゃうぞ~(笑)
無事到着…!!!なんだかスゴイとこだぞ…!!(@Д@)
ドライブなどで猿田峠を何度も通ってるのに、すぐ側にこんな神社があったなんて…
こちらは数年前に心ある方々が発起して、荒廃したお社を再建されたそうです。
『猿田彦さまや、豊日別命(トヨヒワケノミコト)さま』
の、お導きがあったそーです…(@Д@)
そう、じつは宗像のスピリチュアルな方々が大注目しているお宮なのですよ!
エライコッチャ!エライコッチャ!ヨイヨイ!ヨイヨイ!
サルタヒコさまは日本神話でとっても有名ですよねぃ。
天孫降臨の際、アマテラスご一行を導いた神さまです、通説では。←強調
導きの神、道の神として、道祖神(どうそしん)になっていらっしゃいます。
鳥居の手前にも猿田彦さま。庚申信仰も被ってるのでしょうかね~。
(庚申信仰については、『氏八満神社』の回にありますよ~良かったらみてね~!)
歴史ありげな鳥居です。
急な階段をどんどん上ります。
お宮です。本殿はなくなっていて、新しい小さなお社が鎮座しております。
この何にもない空間にものすごくはりつめるご神気は…そう、
宗像大社の、高宮に似てる…!!!(@Д@)
(宗像大社・高宮も記事にしております~良かったらどうぞ~♡)
そしてへびの子・へびっちがやっぱり、『ピャ~~ッ!!(@Д@)』となって、
後ずさりしてる…!!!
あとずさりするへびっちをなだめて、お参りさせていただきます。
神さまはこちらを見てるのか、見てないのか、分かりません…
『サルタヒコさま、いるの?』とへびっちに聞いたんですが、
『んん~~~???😕』という、ビミョーな返事が…(笑)
でもやっぱり、どなたか神さまがいるのは確かなよう。
鬱蒼とした森の中です。ご神気が充満しております。
ちなみに私に霊感はない(笑)。私でさえちゃんと神聖だ!と分かるから、
いろいろ見える人はギャー!!となるのかな~。
こちらはおそらくは、土台が岩のお山です。そこに森が出来てる感じ。
大昔は森ではなくて、見晴らしの良い岩山の上、という感じだったんでは…と。
磐座祭祀(巨石を神さまの依り代とする古代の信仰)を彷彿とさせます。
お宮が向いているのは、『八所宮』の方向です。
木々が何もなければ、前後に隣町の鞍手・宗像の遠くまでが見渡せるはず。
もしかして祭祀場にして、砦の役割もあったんでは…?!
と思いました。
去年韓国に行ったとき、北朝鮮のお話をしてると韓国の通訳さんが
『今は平和でいいよ~。だって古代は隣の国に行くには、
必ず武力で突破するしかなかったんだから。』とおっしゃってたのを思い出しました。
宗像と鞍手、似てるようでも古代はおそらく違うクニで、仲良くするためにも
関所のようなところは必ず必要だったのかもな~と思います。
秋からはこちら方面の神社にも挑戦したいです。うふふふ…!!(@ω@)
こんな感じに岩がむき出しになってる箇所があります。
この写真見たら、へびっちがまた『ピャ~~(@Д@)』となって、あんまり目を
合わさないんで、だ、誰かいるんかな…?!(@Д@)
※下の丸いのよりも、右上の細長い光にピャーってなってます。単にふざけてるだけかもしれんですが。
こちらの豊日社で、不思議体験をされた方々も多いようです。
『サルタヒコさまらしき人が写真に…!!』
とか、
『白いひげの神さまを見た…!!』
とか、
『物部の兵士たちの霊に取り囲まれた…!!』
とか。
ちなみに私は、
『急に脳裏に現れた古代のナゾの可愛いお姫さまが、
なぜか脳内で一緒にお参りしてる…!!』
です…(笑)
こちらに向かう前日いろいろ調べて、さて明日に備えて寝よう!
としたところ、まぶたを閉じると唐突に見えてくる~…♪
古代の乙姫さまみたいな恰好の、お姫さま。
誰ですかい…(@Д@)
消えないお姫さま映像に被って、森の中の神社を
豪華な衣装を着た人たちがお参りする様子…
なんなんですかい…(@Д@)
それからいざ豊日社に着くと、お姫さまはお宮で一緒にお参りしてる様子でした。
何が何だか…(@Д@)
いまだに何だったのかよくわかりません。
ただ、お姫さまの方は事代主さまに関係する方じゃないかと思ってます。
(たぶん私の知人の前世のヒトなんだと思うけど、『それで私にどーしろちゅうんじゃ~』と言ったら、
すっかり大人しくなって、以来何もないです(笑)ごめんよお姫さま…)
ちなみにこちらのお宮まで自転車こぎまくって進んでる途中、赤間宿というところに、
『猿田彦神社』がありました。
…ということは、だいたい私が自転車をこいで走り回ってきたお宮までのルートを、
サルタヒコさまなのか真実はナニモノなのかは分かりませんが、
足でテクテクか、馬でパカパカか、
船でスイスイか、お神輿でドンドンかしながら、
なんとかして猿田峠を越して、それからまたどこかへ向かわれたんだと思います。
はるか東を目指した古代のヒトたちはたくさんいます。
豊日社から次に向かう『八所宮』、
こちらは日本の最初の天皇・神武天皇の東征の言い伝えがあるところです。
豊日社を後ろに、八所宮を目指します…!!
…いや、でも、神武天皇って、たしか船で宮崎から
瀬戸内、それから大阪・灘波へ向かったはずでは…?
そう、『通説がおかしなことになってるぞ?!
言い伝えがなんかちょっと変だぞ?!』
…というのを、八所宮を調べてみていろいろ発見している次第です(笑)。
ということで次回!!
『宗像・知る人ぞ知る神社に冒険!!
~八所宮は聞いたことない神さまの名前がいっぱい?!!の、巻~』
とっととUPします~(笑)!!よかったら見てみてね~!!(^▽^)
ツチネコとへびっち、おとーちゃんのふるさとへ…!!②~ おじーちゃんが再建した、深山幽谷のお宮を見に行く、の巻~
ゴールデンウィークも蒸し暑く過ぎてゆき、
まーたるさま(楽しい日常と素敵な小説を書かれてるブロガーさまですよ~♡)の
可愛い『こいのぼりカステラ記事』で子供の日の柏餅を思い出し、
へびっちが『へびっち男の子なのにお祝いしてもらってない!(#^ω^)』となって、
今日は柏餅を買いにいくはずがヨモギモチを買ってくるという事態の、ツチネコです。
さて!!今回もツチネコのおとーちゃんの故郷・
良かったら前の記事もどうぞ~~♡♡
※夜中に書いたら文章が変だったんで、ちょこっと加筆&修正しました~(笑)
鎌倉時代末期~南北朝時代を生きた悲劇の皇族・良成親王のお墓の、
向かってすぐ右側に細い道があります。
それをどんどん上って行き、お山の方に入って行くと、
小さなお宮にたどり着きます。
こちらが、『金刀比羅宮(ことひらぐう)』。
けっこうな高さの場所に鎮座しております。
すばらしく見晴らしの良いとこです。
こちらは江戸時代の天明の大飢饉(1780年代頃)に、この地方でも
飢饉と流行病がおこったので、村の人たちが金毘羅さま(こんぴらさま)を
四国から勧請し、お祀りした神社です。
神さまのお陰でなんとか大変な事態を乗り越えたそうですが、
現代になってからはすっかりお宮も老朽化していたので、
ツチネコのおじーちゃんが再建に乗り出したようです。おじーちゃんエライ!
しかし、おじいちゃんが亡くなってからはすっかり足が遠のいていたので、
ほんとに十数年ぶりにお参りにきました。ごめんよぅおじいちゃんと、神さま~。
四国の金刀比羅宮は大変有名な神社ですよねぃ。
ご神体は金毘羅(こんぴら)さまというんですが、これはサンスクリット語で
『ワニ』を指す『クンビーラー』の日本語化でして、
クンビーラーは水の神さまだそうです。
そして日本の『大国主さま』=『大物主さま』とミックスされ、
神仏習合の独特な金毘羅さま信仰が生まれました。
船や漁の守り神であり、病気平癒の神さまでもあります。
なぜ大国主(=大物主)さまとミックスされてしまうのかというと、
もともと大国主(=大物主)さまがお宮を持っており、
そこを『琴平神社』としたそうで、元の元はやっぱり大国主(=大物主)さま、
なのですねぃ。
(お宮はおそらくご本人・ご子息ではなく、一族のどなたかが管理してたのかと。)
ただ、『コトヒラ』という言葉、これが何よりも先!!だとしたら、
そもそも『コトヒラ』=『クンビーラー(ワニ)』という言葉は、
後の仏教からじゃなく、四国に渡来した何者かが伝えた言葉、なのかもです。
この『コト』という語感も、大国主さまの一族・事代主さまの『コト』につながるし、
いったいどれがコトの始まりなのやら…ナゾがナゾを呼びますねぃ…!
(ちなみに、事代主さまの後裔・役小角(えんのおづぬ)という、
モノ凄い超能力を持った行者さんが大昔にいたのですが、
彼は『象頭山で金毘羅さまに会った!!』そーです。…ホントか…?)
こちらはお宮の中。ここに来るとおじーちゃんはまんじゅうをつまみに、
湯飲みに冷や酒を注いで飲んでました。なんちゅうことを…
おじーちゃんは若い時、大日本帝国海軍におりまして、船の写真も奉納しております。
帝国海軍さんは金刀比羅宮の神さまを軍艦の守り神として祀っていたそうです。
機関銃に肩をぶち抜かれても生きて帰ってきたおじーちゃんは、
金毘羅さまにお礼がしたくて、神社の再建をしたのかな~…と。
ツチネコのおじーちゃんは、明治生まれなのに背がものすごく高く、
(亡くなった時も背が高すぎて入らず、お棺を特注した)
顔がビックリするほどバタ臭い、洋風な超ハンサムさんでした(若い時)。
その超ハンサムが災いしたのか、家族はあえなく崩壊…((´;ω;`)
おかげでツチネコのおとーちゃんは悲しい幼少期を過ごし、
超ハードモードな人生を送ってきました。…が、現在は猫好きのただの後期高齢者です。
困ったさんなおじーちゃんのため、父やその兄姉弟・ツチネコのおばーちゃんは
非常につらい思いをしましたが、何故か私はおじーちゃんとよくお話しました。
戦争の話を聞いたり、メロンを一緒に食べたり(笑)。
今になって思えば、なぜこんな山奥に住んでたのに、
帝国海軍に志願したのか…とか、もっと聞いとけばよかった。
そして不思議なのは…
なぜ、江戸時代の矢部村の人たちは、この山奥に
わざわざ四国の金毘羅さまを勧請したのか?
病気平癒や五穀豊穣の神さまなら金毘羅さまじゃなくても、同じ福岡だって
応えてくれそうな神さまはいたはずなのに、なぜ、四国の金毘羅さまなのか???
江戸時代はお伊勢参りとともに、四国の金毘羅さんに参るのが一大ブーム!!
…だったそうですが、やっぱり腑に落ちないとこがある…
そもそもこの土地が、大国主さま一族と
何かしら関りがあるのではないか???
…などと考えてしまいます。
何故なら、昨日upした『老松天満宮』、こちらも時に
大国主さまをもともと祀っていたのに、祭神の鞍替えが行われた可能性がある
神社だからです…!!(@ω@)
(老松天満宮のすぐ横に、何故か『三柱神社』(祭神:大国主さま・事代主さま・
スサノオさま)が、ありましたもんねぃ…)
あ、あくまで妄想古代史・歴史ミステリ~
ですからねーッ!!!
…さて、じつは今回、おじーちゃんが遭遇したこちらの神さま&、
同じ神さまにツチネコが遭遇した時のことを書こう!
と思ってたんですが、
同じ神さまが今ここにきて『書いちゃダメ』な圧をかけるため、
…か、書けなくなりました(焦)。スイマセン!!!
どうやら、元・人間の神霊とは違うみたいですねぃ。
(すいません、神さま、別にふざけてるわけじゃないのですよぅ…(´;ω;`))
矢部にお越しの際は、こちらにぜひ、お参りにいらしてくださいませ!
矢部の人たちを救った、霊験あらたかな神さまです。
決してコワい神さまでないです、姿かたちをあんまり書かれたくないようです~。
※そう、いっつも注釈してるとおり、
神社にいるのは、必ずしもそこに名前のあるご祭神ではなく、
その神さまのお使いだったり、その土地の神さまだったり、古代人だったり、
まったく違うモノだったり、いろいろです。
(…役小角さん、まさか私の会った神さまと同じ方に出会ったのか…?!)
…ということで、矢部からホームグラウンド・宗像に舞台は変わりまして…!
上の写真は、ツチネコのお家のすぐ目の前にある桜並木です。ありがたいことに、
家にいながらお花見ができます!今年も最高にきれいでした~♡(^ω^)
それにしても今年に入ってなぜか『おばーちゃん神さまが脳内に出現したり』、
昼寝してたら『猿田彦さまらしきヒトが脳内にやって来たり』、
ぶっ飛んだ不思議なことがあってからというもの(笑)
昼夜問わずあれやこれやと歴史資料を調べているんですが、
不思議と次々、点と点がつながっていきます。
ただ、どうしても良く分からなかったりすることもあり…
それはへびっちに教えてもらった、
『大国主さまは、東南アジアから来たヒト☆』
という説…!
私が現在、たぶんこれはアリなんじゃないか、と考えてるのは、
イワナガ姫(おばーちゃん神さま。もちろん元・人間!)、
猿田彦さま(こちらも元・人間の神霊)は、高句麗方面からいらっしゃった
古代ヘブライが出自の方々、ということ。
(あくまで素人推理と、へびっちからの言い伝えですからねぃ!)
しかし、私が頻繁にご縁を感じる大国主さまがいったいどこから来たのかは、
まったく判然とせず。へびっちから東南アジア☆と聞いても、???となるばかり。
ところがある日、それは突然NHKからやってきた!!!
受信料徴収の話ではないです(笑)
なんとなく付けたテレビのNHKのドキュメンタリー番組で、
中国・雲南省のお茶の来た道、みたいなのがあってました。
少数民族の方々の文化・お茶の歴史の紹介だったんですが、
なぜか妙に気になる少数民族が一組。それが、ジノー族。
日本人と同じく自然を神と崇拝し、農耕儀礼があり、祖先を祀り、
村には指導者的存在の、男女の長老がいて、巫師(男性シャーマン)がいて、
何より、太陽を最高神として崇拝している、とのこと。
民族衣装にも太陽があしらわれています。
太陽の崇拝というのは南洋諸島からエジプト、
南米大陸に至るまで世界の各地に数多く盛んにあるんですが、
高句麗経由の古代ヘブライ族も、『日輪に八咫烏(やたががらす)』マークや、
『日の巫女』とされる太陽崇拝がありますねぃ…
さらに、
ジノー族には不思議な洪水伝説に基づく、
一族の創生神話があるのです。
『創造主で女神のアモヤオベイは大きな太鼓を作り、
マヘイとマニウという1組の男女を太鼓の中に入れ、
大洪水から救った。太鼓はジノー山にたどり着いた。
それがジノー族の始まりである。』
…という内容なんですが、これ、旧約聖書のノアの箱舟と似てますよねぃ…(@Д@)
旧約聖書の原点はシュメール文明にさかのぼるそうで…
もしや、出どころが同じ方面なのではないか…?!!
そして、じつはジノー族は、同じ系列の少数民族とともに2000年前くらいから、
北方のチベット方面から何らかの事情で、民族大移動をしているのです。
チベット方面の方々は特徴的なDNA型を持っていて、
それは中国や韓国ではあまり見られない型だそうですが、
日本人や東南アジアには共通の型が見られるそうです。
さらに!!ジノー族には『トモーク祭』というのがあるんですが、その由来が
『ジノー族の女性が妊娠したが9年9か月たっても出産しなかった。
ある日、赤ちゃんが母親の7本の肋骨をかみ切って飛び出して来た。
この男の子は1つの手に火ばさみ、もう一方に金づちを持っていて、
生まれたばかりなのに鉄の鍛錬をした。
ジノー族はそれから鉄器を使うようになった。』
というもので、トモークとは、『大きな鉄を打つ』という意味だそうです。
お祭りの日は『太陽太鼓』を叩いて夜中まで盛り上がるそうですが、
この日、なぜか鋳物師に竹で作ったネズミを、プレゼントするそう。
…お分かりいただけただろうか…?!!
じつは日本神話に登場する神さまで、鍛冶の神(鉄を作る神)
というのは、たいてい蛇がトーテムとなっております。
おそらく世界各地でも、鉄器に関わる神さまはトーテムが蛇です。
諸説ありますが、ヘビの体はまっすぐで1つしかない=
片足をこいで溶鉄に風を起こす様子(一本足)、
(1つ目1本足の妖怪;『1本ダタラ』なども、
タタラ民=鉄器製造民族を表していると言われております)
溶けた鉄で損傷する体(片目・片足・片手を失うなど)などなど、
その特徴として『1つしかない』を表す最たるものが蛇であるため、世界各地で
蛇は鋳物・溶鉄の神のトーテム、とされています。
(もしかして、鉄器という技術をもたらす知恵そのものが、知恵の伝道者・
蛇を表してるのかもですねぃ…)
ジノー族のお祭りの風習・鋳物師に『竹のネズミ』を贈る、というのは、
鉄器製造神のトーテム・蛇の好物だから、だと私は思うのです。
そして…大国主さまのトーテム、白ウサギとかネズミとかではなく(笑)、
大国主さまそのものが、
蛇として表されることがあります。
三輪山の大物主さま=大国主さまとされてますが、こちらは大国主さまのご子息・
松尾社の大山咋さまと私は考えてます。
こちらもトーテムは完全にヘビですねぃ。
(※実際、三輪山の神さまは人間由来ではなく、ほんとにへびの神さまです。
大物主さま(大山咋さま)は、三輪さま(蛇神)をお祀りした方だと思ってます。)
大国主さま系列の方々は、すべて蛇が神さま、だと私は思います。
大国主さまで有名な出雲は、古代の鉄の産出国です。川砂も砂鉄でちょっと赤いです。
また、その出雲よりも産出量が多かったのが、矢部に近い熊本県。山鹿市。
もしも大国主さまが最初九州にいて、
なおかつ、蛇をトーテムとする製鉄集団の長、
だとしたら…?!!!
その製鉄技術が、ジノー族のものだとしたら…?!!
ここで思い出す、へびっちの言葉…
『大国主さまは、
東南アジアから来たヒト☆』
そう…妄想の古代史にしかすぎませんが、
大国主さまは現在の雲南省・シーサンパンナと呼ばれる一帯の少数民族・
ジノー族の出自で、
そのジノー族は2000年くらい前から北方から移動してきたチベット系民族…
しかしその神話には『旧約聖書』の影…
製鉄技術を持ち、蛇をトーテムとし、太陽をあがめる信仰…
大国主さまの影響下にあるご神紋は、古代ヘブライ族の『ろうそくの燭台』を
表す、葉脈のある葉っぱや樹木だという説…
これは…もしや…もしや…
失われた10支族の末裔』は、高句麗経由のヘブライ族、東南アジア経由のヘブライ族などに分かれ、
日本列島に渡来していたのでは…?!!
…ほんとはいろいろうちのへびの子から聞いてるんですが、
まだアレコレ確証が持てず、書くほどまとまりません(TωT)
ジノー族の南下も2000年前くらいと言われてますが、
すでに2000年前は日本に稲作が入ってきており、
本当はもっと前からいろんなルートでいろんな民族が来ていたかもですねぃ。
また、日本人のDNAベースは意外にも縄文系だそうで、弥生系が多いかと思ったら
そーでもない、みたいな(笑)。
謎は深まるばかりですが、これがまた、面白いんですよねぃ(笑)
まだまだ探っていくことがいっぱいなので、次回もお会い出来たら幸いです~♡♡
オマケ!
こちらは『ご来福』というサイトからお借りした画像です。
今回の矢部の旅、へびっちが『ピャ~~!!(@Д@)』
となるような神社はなかったんですが、
唯一、矢部に入った途端、へびっちが『ピャ~!!(@Д@)』化した場所、
それは日向神ダム周辺の、大きな大きな岩山!!でした。
(画像の岩とは違うと思うけど、こんな感じです)
はっきり言わないのでわかりませんが、たぶん、
デッカイ龍が巻き付いてるんだと思います。
へびっちがびびるのは人間由来の神さまより、自然由来の強力な方々のようです。
おまけ2!
ほんとおいしいので、矢部にいくことがあったら、ぜひご賞味ください、
宇宙最強のヨモギモチです(笑)!!
というわけで、次回も良かったらステイホームの暇つぶしにでも、
読んでいただければ幸いです~~♡♡(^▽^)