若者の車離れが止まらないが、お金があっても同じだろうか?

若者の車離れが言われるようになって久しいです。本当に車離れがすすんでいるのでしょうか?現実の世界では、欲しいものが世の中に沢山あり、昔のように車にお金を費やして、自慢する人も非常に少なくなりました。車は一昔前より高くなっていると思います。しかし、貰う給料はどうでしょう。10年前とほとんど変わらないのが現実ではないでしょうか。ボーナスも無し、給料アップも見込めず、ほとんど横ばいの生活環境で、車にお金をかけられるはずもありません。世の中にはスマホの登場で劇的に変化しました。どこでもスマホ片手にどんな遊びも出来る。だから車という高額商品を手に入れなくても人間の欲求が満たされるようになったのではないでしょうか。人は何か趣味を必ず持ってます。無い人を探す方が難しいと思います。趣味というから言いにくいですが、好きなものは何ですか?と聞くと、スマホ片手に過ごす時間 と答える人が多いと思います。もし今より車を買える予算に都合がつけばどうでしょう。きっと皆車を買うと思います。だって今の生活レベルを落とさずに新しいものが手に入るわけですから。そしてもっと言うなら、お金持ちというか、富裕層予備軍あたりが高級車に乗りたがります。お金を使い始めて、損もお金で自分のステータスを表現したいからでしょうか。高級外車を買いあさります。もし自分にお金がなくいつもいつ壊れてもおかしくない中古の軽自動車に乗っている人が、大金を手にいれたらどうなるか。きっと高級車を真っ先に買う事でしょう。それは今乗っている車が自分の負い目になっている事が間違いないですから。だから今の日本経済があまりにも停滞し過ぎ、そこに新しい先進技術の投入で、安くて自分の世界観を表現できる物が登場したことにより、経済的余裕がない人でも気軽に自分の世界観に没頭できる世の中の構図が出来てしまった。車なんて高級で、維持費もかかり安月給では、その給料の半分以上がその車の維持費となるようでは、日本の若者に区r魔離れの拍車を止める手立てはないと思います。究極は車の価格が安くなるか、給料が高くなるか。このどちらかでしょう。

お金が無限にあるとあなたは幸せですか?

好きな時に寝て好きな時に起きる、そして好きな物を好きな時に食べる。こんな生活を皆さん羨ましくもそうなりたと思っていませんか。実際、好きな時間と好きなだけ使えるお金があればどれだけ幸せなのか、考えてみました。まずお金があれば仕事は殆どの人がしないでしょう。そして時間があるから好きな時に何でも買えるわけです。美味しい物を食べて、高級車に乗り、高級住宅に住み、高級な製品に囲まれる。きっと最初は非常に優越感と至福なひと時を過ごすことが出来るでしょう。しかし、人間は欲の塊の生き物です。今あるものに満足してしまうとさらにもっと良い物が欲しくなる。いわゆるわがままになっていくわけですね。お金があるから何でも買えると勘違いが始まります。相手、そう人を相手に生きていかなければならない世界ですから、上を望んで満足できるものが見つからないと、その相手を罵り、他を当たるようになる。人間として非常に嫌な性格と変わっていくことと思います。今ある財産、仕事をステップアップして徐々にお金が増えてくれば、そのお金に対するありがたみもわかり人に対する態度も変えずに常に謙虚に生きていけるものと思います。しかし、いきなり大金使い放題になると人間の性格が崩壊するでしょう。宝くじで高額当選した方の話なんかも聞きますが、1年足らずで億というお金を使い切った人もいるそうです。お金は魔物。欲しいものがある時には我慢をして、目標を立てて購入して初めて欲しい物を手に入れた喜びを感じます。お金は苦労せずに手に入れるとろくなことにはなりません。

YouTubeは昔より面白くなりました。

最近めっきりテレビを見なくなった。インターネットの普及がやはり原因と思う。特に最近のyoutubeは非常にクオリティーが高くなっており、テレビ番組もその動画を引用しているのも見られることからもわかります。ユーチューバーと言われる人たちが騒がれ始めて久しいが、そういった人たちが生まれてくる背景には何があるか。それはやはり収入になるからというのが本音ではないだろうか。YouTubeとグーグルアドセンスを紐付けして、その広告収入で生計を立てようとひび動画をアップしている人たちが非常に多くなり、そのおかげか動画の質がだいぶ上がったように感じます。面白い動画でなければアクセス数が上がらないので必死ですね。しかし、中には他の動画をコピペしてそれで広告収入をしている人も見かけます。いわゆる他人のふんどしで相撲を取る。というやつですね。YouTubeの運営もその辺は昔より厳しくなり直ぐにコピーしてうっぷしても収益につながらないようになってきていますが、そこはいたちごっこ。色んな手法を使い、再生数がある動画をコピペしている人が一向に減りません。これも収益につながるYouTubeの宿命なのかもしれませんね。しかし、YouTubeを再生するときに最初に強制で流れるCMは何とかやめてほしいと思うのは私だけではないと思いますが、皆さんはどう思いますか。

なぜ運転には色んな癖がでるのだろう

最近車を運転していて非常に思う事があります。それは信号待ちの時。誰しも信号が赤ならば車のタイヤ4つが止まっているように、ブレーキペダルを踏んでいます。しかし最近というか、ATの車が世の中をほぼ席巻し始めたころに変な行動をするドライバーが多くみられるようになりました。それは信号が赤になり前の車よりかなり車間距離を置いて止まる。(この辺のレベルならまだ許せます。)しかし、まだこちらが赤信号にもかかわらず、前の車と車間距離が開いているので、ブレーキペダルを放してスルスルと動くドライバーが増えてきた。私が運転免許を取った時分はATよりMTのほうが多くそのような事例は見かけられなかった。しかし最近はATなので少し右足の力を緩めると車はスルスルと前進してしまう。後ろに着いたドライバーは、何事かと感じる訳である。当の運転手は、何も考えていないのであろう。自分勝手な行動がそのような運転を引き起こしている訳である。交通法規ではどうなのか。赤信号はとまれであるが、停止線より前に出なければ違反として成り立たない。だからそのようなドライバーの後ろに着くと、自分も車間距離を詰めなくてはいけない。当然後ろの車も動けば詰めてくる。その後ろも・・・・だから絶対数とすれば、信号待ちでスルスル動く運転をするドライバーは少ないのだが、出くわす機会は昔より多くなってきたように思う。私などは、赤で止まった後前の車が何のためらいもなく動くのは非常に不愉快である。それはそのドライバーが何のために車間距離を取り、何のために動き出すのか理解できないからです。

お金の切れ目は縁の切れ目?

世の中には色んな人がいます。特にお金が絡むと人間の本性が見えてくると感じますが、どう思いますか?私個人的には生活の中で一番お金が絡むと本性が見えると思います。いかにも人がいい人でも、そして人アタリも良く他人の事を考える人でも、良い事を言っている人でもそれは同じだと思います。例えば目の前に10円が置かれています。これを上げると言われれば、直ぐに貰う人が殆どではないでしょうか。それは10円という金額があまりにも小さいので罪悪感が無いからと考えられます。しかし目の前に10万円が置かれていて、それを何の理由もなくあげると言われたらどうでしょう。

ここから人間の本性が見えてきます。そのお金をすんなり受け取る人、受け取りたいけど、断る人、断固として断る人。様々だと思います。ではお金の貸し借りではどうでしょう。お金を借りたい人は、本当に困っているので、藁をもつかむ気持ちでお願いしてくる人が殆どです。これは誰でも借りるときは同じだと思います。しかし、お金を返す時はどうでしょう。きちんと毎月決まった期日までに返す人もいれば、期日に返さないとてもルーズな人、そして期日に返さないルーズな人にはパターンがあります。催促して直ぐに謝り返す人、何も言わずに返す人、そして最後に逆切れしてくる人。これらは人の生活環境で変わってきます。逆切れするタイプの人は、本当に返すお金がなく自分の感情をコントロールできなくなり、貸した人に当たり散らす人ではないかと考えます。このように、自分の置かれた立場によってその後の対応が変わってくるのですが、相手の事を考えて行動する人は少ないように思います。このようにお金を貸すと人は本性が出てきて、返す時になるとその時にお金に余裕がないと、自分を正当化し開き直り貸してくれた相手に対し嫌悪感を持ち始めます。だから人間の本性はお金が絡むとよくわかると思うお話でした。