「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

Mrs.GREEN APPLE『ライラック』

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アニメ『忘却バッテリー』のオープニングソング。

『青と夏』のような青春ソングかと思いきや、そこから先の未来も肯定しようという曲だった。

最後のシーンには鳥肌がたった。

まさにミセス節炸裂である。

 

ふとした時に思い出す。

うまくいかない時ほど突き刺さる。

昔を懐かしんで、一番輝いていた時期を栄光として、大事にアルバムの一番見やすいところに飾っている。

人はそれをどこか心の支えにして生きているのだ。

 

常に今が一番若い。

そんな大事なことを忘れてしまってさ。

一番輝いていた時にばかり思いを馳せる。

 

それは無駄な時間の使い方だ。

今を肯定して生きていこう!

そんな力強いメッセージ。

 

今の自分に責任を持たなければならない。

どんなに大変だったとしても。

ミセスはいつもリスナーの「今」を肯定してくれるのだ。

 

 

Mrs.GREEN APPLEライラック

如何に「利他」に身を委ねられるかで人生は決まる

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結局、信頼される人というのは、私利私欲よりも人のために行動できる人なのだ。

だから、そこに自分の理想を置くことで、結果として自分のためになる。

 

「利他」に身を委ねる。

それは何も他人に媚び諂うことを指すわけではない。

全体を俯瞰して最適だと思える選択を、私利私欲を度外視して選び取ることができるのか。

そこが試されているのだろう。

 

「こうしたら自分が損をする」

「こうした方がいいけれども、自分よりも別の誰かが得をする」

そう思った時に人はその選択を躊躇する。

そこに「弱さ」があるのかもしれない。

 

確かな価値判断基準があり、それに身を委ねて生きている人は選択を迷わない。

臨機応変」という言葉は便利なようで根無草なのかもしれない。

 

ここしばらくの私は、あまり深いことは考えずに、出たとこ勝負を経験しないと「ぶっつけ本番力」が身につかないと考えていた。

だから、その時その時で最適と思える選択をしてきたつもりだが、どうも方向性が定まっていないように思う。

 

生きていれば、選択に迷うことなど山ほどある。

その時のために、あらかじめ、選択に迷った時の行動規範を決めておくべきなのか。

それとも「ぶっつけ本番力」を養うために、臨機応変に舵を切ったままにするべきなのか。

すぐに答えは出ない。

 

「人のために行動する」

 

それは歳をとるにつれて難しくなる。

体力が衰えて、環境が固定化されていくうちに、どこか人生に対する甘えが生じるのだろう。

だから体の動くうちが大事。

 

人の意思など揺らぎやすいものだから、

自然と人のために行動できるよう、自身の価値観をそちらの方向に誘導してあげなければならない。

 

ゆらゆらと揺らいでいる。

生活が大きく変わる今は、私の価値観を方向付けるための大事な時期なのかもしれない。

 

果たして私は、私利私欲に負けることなく、人のために行動できるのか、自らの行動を振り返る必要があるのだろう。

 

今は大事な時期だ。

久しぶりに走った

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ここ最近は、モヤモヤすることが続いたから、

久しぶりに走ってきた。

 

まっすぐに続く道。私の前には誰もいない。

走っている間中、私の頭の中を雑念が飛び交うけれど、心臓が苦しくなると同時に、無心に変わる。

 

無心の状態がしばらく続くと、自分の体に目を向けることになる。

悲鳴に近い、あらゆるサインを逃すまいと、私の脳は、私の体に集中しだすのだ。

 

雑念が消えていく。

たかが20分足らずのことだが、この無心になれる時間が今の私には必要なのかもしれない。

 

「時間がない」

そうやって急かされるように生きているが、それは私の脳が作り出した「まやかし」なのだ。

 

空いている時間はある。

通勤中もスマホを開いてゲームをしているくらいだ。

「時間がない」ということはない。

それは私が自分に言い聞かせているだけだ。

 

そして、もしかしたら私自身が「忙しい私」を望んでいるのかもしれない。

自分のことを優秀で、引くて数多な、常に忙しく動いているエリートビジネスマンだと思い込みたいだけなのかもしれない。

 

「忙しさ」をステータスにしている。

そこに依存している限り、私はこれ以上先に進むことはできないのかもしれない。

どんなに忙しかったとしても、余裕を持ちながら、悠々と自分の時間を謳歌していた方が、よほど優秀だ。

 

どこか、周りからの評価に流されている。

そういう物は捨てたと思っていたが、そうではなかった。

私の中には、まだ誰かの評価を追い求めている自分がいる。

 

絶望の淵に立たされて、一度は全てを捨てたと思っても、満たされるにつれて「欲」は復活する。

その「欲」はどんどん大きくなっていき、やがて行動規範そのものを変えてしまう。

 

バランスが大事なのだ。

「欲」がないと生きる気力は湧いてこない。

しかし、求めるものが「欲」だけでは、他人に左右される人生で終わってしまう。

 

「生きる」ということはバランスを保つこと。

 

人生を預ける対象が、どんなに優れたものだとしても、そこに身を預けすぎてしまうと、それを失った時に人生は瓦解する。

破滅を味わうこともまた勉強と言えばそれまでだが、もはや私はそれを積極的に求める年齢ではない。

 

「周りの評価」を求める方向に偏っていた。

もう一度、私が人生に何を求めているのかを考える必要がある。

 

確かな実力、確かな人格、目の前の1人に誠実であり続けること。

人類の未来に希望を持ち続けること。

私の求めているものは、そういうものだ。

 

それは、誰かの評価を追い求めた先に手に入るものではない。

地に足をつけて着実に歩みを進めよう。

価値観をリセットしてゼロからスタートしたあの時のように。

人には「主役でいられる場所」が必要

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だれしも、どこかで主役になることを夢見ている。

仕事、家庭、趣味のコミュニティ。

そのどこにも主役になれる場所がなければ、オンラインのコミュニティにまで、人は主役になることのできる場所を求めているのだ。

 

人は他者との関わりの中でしか、自分の存在価値を見出すことはできない。

誰かに必要とされて、誰かを必要とする中で「自分はここにいても良いんだ」と安堵する。

 

ある場所では脇役でも、ある場所では主役でいたい。

どの場面でも脇役だと、自分は本当にこの世に存在して良いのかなんて、ネガティブな感情に囚われてしまう。

 

どこかで主役になりたい。

主役になれる場所がないと不安になる。

だから、主役になれる場所を持たない人は、それを追い求めてオンラインの辺境地まで辿り着くのだ。

 

自分の人生の主役は自分自身。

その運命から逃れることはできない。

不甲斐なさも、至らなさも、自分が一番よく知っているはずなのに、それでも自分の人生だけは自分が主役であり続けなければならない。

 

どれだけストーリーライターに恨み節を重ねても、状況が変わることはない。

どんなに気に入らないストーリーだとしても、それを受け入れるしかない。

そのストーリーを自ら書き換える作業は、並大抵のことではない。

 

そんな高難度のクソゲーみたいな人生だとしても、主役を降りることなどできないのだ。

 

だから、人との関わりの中で、どこかで主役でいられることができれば、それだけで安心できる。

そうやって安心を切り売りしながら、コミュニティは成り立っているのだ。

 

自分で自分のことを認めてあげたい。

みんな、いつだってそう願っている。

手塩にかけて育てた「自分の人生」が、報われることを信じて生きている。

たとえ、どんなに理不尽な間に合い続けていたとしても、自分のことを本当の意味で諦めることなどできないのだ。

 

心の奥底では、輝かしい未来が来ることを信じて、それを原動力として前に進み続けている。

 

諦めなければいい。

諦めなければ卑屈になることはない。

諦めたくなる時があってもいい。

それでも最後に諦めなければそれでいいのだ。

 

途中でやめることのできない、

簡単にリセットすることもできない、

そんな理不尽なゲームを、

私たちは死ぬまでプレーしなければならない。

 

それならば、できる限り楽しみながら生きたい。

報われない努力はたくさんある。

理不尽な仕打ちを受けることもたくさんある。

 

仕方がないさ。

それを攻略するところに楽しみを見出そう。

伝えたいこと、伝えたくないこと

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自分が感動した経験は人に伝えたくなる。

逆に自分の弱さや失敗は、あまり人には伝えたく無いと思う。

 

方や、他人からすれば、シャーデンフロイデという言葉がある通り、人の不幸話を聞きたいという傾向があるのだろう。

 

お年寄りの話す、昔の武勇伝。

話している本人はとても楽しそうだ。

聞いている側はどうだろう。

「そんな昔の話をされても」と思ってしまうことが多いのではないだろうか。

 

伝えたいことと聞きたいことの間にギャップがある。

それをうまく調整しなければ、話の面白くない人、とレッテルを貼られてしまう。

 

時間は限られている。

今の時代は特にタイムパフォーマンスという言葉に象徴される通り、自分の時間を如何に自分のために使うか、という価値観が蔓延っている。

 

面白く、ためになる話。

動画であれば、つまらないと判断した時に見ることをやめられる。

その価値観が対人にまで及んでいるのだろう。

人が話していると、それを途中で遮ることはできない。

どんなにつまらない話でも、区切りがつくまでは聞き続けなければならないのだ。

 

だから、話をする側は、相手にとって聞くメリットのある話をしなければならないのだ。

なんとも世知辛いが、時代がそっちに進んでいるのだから仕方がない。

 

そういう時代を生きるにあたり、聞き手の興味を引くためには、自分しか持っていない体験談を話すことが手っ取り早い。

その人しか持っていない情報には価値がある。

だから、芸能人もテレビでプライベートを切り売りするような機会が増えた。

 

伝えたくないこと。

多くの人にとって、プライベートを切り売りすることには抵抗がある。

しかし、それをしないと聞き手の興味を引くことはできない。

 

ギリギリのところで、話しても良いこと。

話したくないことを取捨選択して会話を構築しなければならない。

自分のことが好きすぎると、セルフイメージの崩壊を恐れるあまりプライベートを晒すことができなくなる。

 

そうやって、プライベートを切り売りできない人は、話のつまらない人とレッテルを貼られて孤立していく。

会話にバランスを求められる時代。

なんとも難しい時代になったものだ。

「伝える力」を強化したい

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言葉然り、文章然り、

自分の思っていることを相手に的確に伝えることは難しい。

 

今の会社に転職するにあたり、私の強みは「人と人との間に入り調整する力」だと考えていた。

だから、それを高めるための転職にしたいと考え、今の会社に入った。

 

実際に、今の会社ではそういう役割を任される機会が多い。

多過ぎて嫌になる程だ。

そうなると力不足を痛感する。

そして、その「力不足」の根底にあるのは「伝える力」であると感じる。

 

6年もブログを書き続けているのに、私にはまだビジネスで求められる「伝える力」が不足しているようだ。

 

足りない力を認識することは大事なことなのだろう。

その点では、まだ私には見込みがあるのかもしれない。

ミッドナイトクライシスを感じる年齢に差し掛かったこの時に、スキル不足を痛感することは正直堪える。

 

もはやポテンシャルを加味して評価される年齢ではなくなった。

あらゆる場面でリーダーとしての役割が求められる。

これまで自分ではスキルを培ってきたつもりだったけれど、私の努力が足りなかったのだろうか。

 

30を越えたあたりで、一度メンタルをやってしまい、無理の効かない体になった。

それが私の限界だったのだろう。

そこからの私は、自分の心と体に忖度をしながら、できる範囲での努力を続けてきた。

 

しかし、忖度をしないで限界まだ努力をしてきた人には敵わなかった。

だから、スキルが不足している。

そういうことなのかもしれない。

 

今はただ地道にコツコツとやっていくしかない。

スキルが足りないものは仕方がないのだ。

それを受け止めつつ、自分のことを諦めないで、地道にやっていくしかない。

 

人生を恨んでも仕方がない。

誰かのせいにすることは愚かなことだ。

私は私の人生を生きるしかない。

 

大変なことが重なる。

それでも私は、私の望んだこの道を前に進み続けるしかないのだ。

きっと、私にしかできないことがあるはずだから。

のび太と出来杉くん

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のび太結婚前夜

ジャイアンスネ夫と一緒に出来杉くんが登場する。

のび太が恋敵と決めつけて、しずかちゃんと出来杉くんが仲良くしているところに嫉妬をしていたけれど、大人になるまで深い付き合いが続いているくらいだから、案外、のび太出来杉くんは相性が良いのかもしれない。

 

スポーツ万能で勉強ができ、おまけに性格まで申し分のない出来杉くんと、スポーツも勉強もできないけれど、射撃と昼寝の天才で、時折抜群の発想力を発揮するのび太

対照的な2人だからこそ、相性が良いということは少なくない。

 

しずかちゃんの心のうちは、小学生の頃から決まっていたのかもしれない。

それは出来杉くんの発言からもわかる。

「しずかさんのことでは、昔からのびくんに勝てる気がしなかった」

 

これも、のび太としずかちゃんの相性の問題なのだろう。

理屈ではなく引かれ合う相手。

そして、案外その直感は間違っていないことが多い。

無意識のうちに遺伝子同士が惹かれ合うのかもしれない。

 

恋敵としての側面を持ちながらも、お互いを認め合っていたのび太出来杉くん。

だからこそ、大人になってからも良い関係を続けているのだろう。

 

幼馴染。

環境の変化とともに関係は薄れていく。

自分に置き換えてみても、昔から続いている関係は、ごく少なくなった。

 

その生存競争を乗り越えて、繋がり続ける関係は、時の洗礼を受けたものなのかもしれない。

だから、のび太出来杉くん、ジャイアンスネ夫の関係は羨ましく思う。

 

子供は時には残酷だ。

感情のままに人を傷つけることもある。

幼少期ののび太に対するジャイアンスネ夫の仕打ちは酷いものがある。

それでも大人になるまで、時の洗礼に耐えた関係は本物なのだろう。

 

友情というものは難しい。

あまり深い関係だと思わなくても、長い期間を一緒に過ごすこともあるし、どれだけ仲が良かったとしても、些細な環境の変化で途切れることもある。

友情の招待は、当の本人にもわからないのかもしれない。

 

だけれども、相性は大事なのだろう。

一緒にいたいと思わなければ、自然と離れていく。

そうならないということは、お互いに居心地が悪くないということ。

のび太出来杉くんも、そういう関係を続けていたのかもしれない。