ここ最近は、モヤモヤすることが続いたから、
久しぶりに走ってきた。
まっすぐに続く道。私の前には誰もいない。
走っている間中、私の頭の中を雑念が飛び交うけれど、心臓が苦しくなると同時に、無心に変わる。
無心の状態がしばらく続くと、自分の体に目を向けることになる。
悲鳴に近い、あらゆるサインを逃すまいと、私の脳は、私の体に集中しだすのだ。
雑念が消えていく。
たかが20分足らずのことだが、この無心になれる時間が今の私には必要なのかもしれない。
「時間がない」
そうやって急かされるように生きているが、それは私の脳が作り出した「まやかし」なのだ。
空いている時間はある。
通勤中もスマホを開いてゲームをしているくらいだ。
「時間がない」ということはない。
それは私が自分に言い聞かせているだけだ。
そして、もしかしたら私自身が「忙しい私」を望んでいるのかもしれない。
自分のことを優秀で、引くて数多な、常に忙しく動いているエリートビジネスマンだと思い込みたいだけなのかもしれない。
「忙しさ」をステータスにしている。
そこに依存している限り、私はこれ以上先に進むことはできないのかもしれない。
どんなに忙しかったとしても、余裕を持ちながら、悠々と自分の時間を謳歌していた方が、よほど優秀だ。
どこか、周りからの評価に流されている。
そういう物は捨てたと思っていたが、そうではなかった。
私の中には、まだ誰かの評価を追い求めている自分がいる。
絶望の淵に立たされて、一度は全てを捨てたと思っても、満たされるにつれて「欲」は復活する。
その「欲」はどんどん大きくなっていき、やがて行動規範そのものを変えてしまう。
バランスが大事なのだ。
「欲」がないと生きる気力は湧いてこない。
しかし、求めるものが「欲」だけでは、他人に左右される人生で終わってしまう。
「生きる」ということはバランスを保つこと。
人生を預ける対象が、どんなに優れたものだとしても、そこに身を預けすぎてしまうと、それを失った時に人生は瓦解する。
破滅を味わうこともまた勉強と言えばそれまでだが、もはや私はそれを積極的に求める年齢ではない。
「周りの評価」を求める方向に偏っていた。
もう一度、私が人生に何を求めているのかを考える必要がある。
確かな実力、確かな人格、目の前の1人に誠実であり続けること。
人類の未来に希望を持ち続けること。
私の求めているものは、そういうものだ。
それは、誰かの評価を追い求めた先に手に入るものではない。
地に足をつけて着実に歩みを進めよう。
価値観をリセットしてゼロからスタートしたあの時のように。