「できるまでやる」
塾で働いていたときによく子どもたちに話していたことです。
生徒「先生、数学できひん」
私「できるまでやってないから当たり前やん」
この「できるまでやる」って、本当に大切だと思います。
たとえ小さなことであっても、まずは「できるまでやる」。
あきらめずに、「できるまでやる」。
何とかして「できるまでやる」。
当たり前だけど、なんでもこの「できるまでやる」の積み重ね。
「できるまでやる」にとことん付き合っていくことも、周りの大人の大切な使命だと思います。
一緒に、できる方法を考えることも大切。
一緒に同じ課題に向き合って、同じ時間を過ごして、できたときは喜んで・・・という繰り返しが、信頼関係も育てるのだと思います。
ときには一緒に向き合いながら、ときには少し離れて見守りながら。
どんなときも子どもの味方で応援する。
これからも、人と向き合うときに大切にしたい姿勢です。
「良い」「悪い」は思い込み。
自分が思う「良い」「悪い」に縛られている人が多いように思います。
子どもはもちろん、大人もです。
大人も、というよりは、大人の方が縛られているかもしれませんね。
以前、こんなことがありました。
将来カウンセラーになりたいという中学生の女の子。
多感な時期だということもあり、友人関係で悩み、涙することが多くありました。
周囲が気になり、情緒不安定になり、そこから自己嫌悪に陥ることがよくあったのです。
普段は勉強も良くできる、いわゆる「優等生」です。
「明るく元気でまじめな優等生」。
でも内心は、いろんなプレッシャーと戦っていたのでしょうね。
「良い成績とらないといけない」
「みんなに好かれないといけない」
「いつも明るく前向きでなければいけない…」
まじめすぎるあまり、家ではふさぎこむこともあったようです。
保護者の方はおっしゃいました。
「気にしなくても良いような些細なことでも気にして、
勝手に落ち込んで、情緒不安定になるんです・・・
カウンセラーとか目指すなら、もっと自分をしっかりもって、人を励ますような明るい人にならないといけないのに」と。
些細なことで悩んで、
くよくよして・・・というのは、その保護者の方には、
「直すべきこと」「良くないところ」と映ったのでしょう。
一般的にもそう思われることが多いかもしれませんね。
でも、よく考えてみてください。
それは本当に、「悪いところ」なのでしょうか?
些細なことにも気がついて、
人の気持ちを推し量ることができ、
周囲に気配りができるというのは、立派な長所です。
また、同じように悩んでいる子はきっとたくさんいます。
そんな子の気持ちを分かってあげられるのは、同じように悩んだ子だと思うのです。
そう思えば、今その女の子が感じていることや、経験していることは、
その子にしかない立派な財産ですよね。
思い悩むことは、行き過ぎると確かに精神衛生上でも良くはないかもしれませんが、
そのこと自体が「直すべき悪いところ」ではないと思うのです。
ものごとに「良い」「悪い」はなく、(そりゃ法律とか絡んだらあれですけど!)
それは勝手に人が決めているだけだ、と私は考えています。
子どもたちには、いろんな長所があります。
一見短所と思えるところも、捉えようによっては長所になりえます。
いったん、自分の思い込みを外して、向き合ってみること。
このことはとても大切だと思います。
今日はここまで。また書きます!
maryyoi
子どもの叱り方
2018年、始まりましたね。
皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年はこちらのブログももう少し定期的に更新していきたいなと思います。
さて、今年最初の記事は「叱り方」について。
先日、友人知人と集まる機会がありまして(お正月なのでね)、
まぁその中の一人がクソガキやんちゃ過ぎて(笑)、
いろいろと思うことがありました。
まだ2、3歳という頃ですが、将来が心配になる要素がいくつか…。
物を投げる、人(といってもその子の母親なのですが)をたたく、という行動を繰り返しているのです。
そのたびにお父さん、お母さんも「ダメ!」「そうゆう子はお仕置きや!」などと注意するのですが、なかなかその行動がおさまる気配もなく…。
ご両親いわく、保育園とか、祖父母に預けているとかいうときは、そういった行動はしないそうです。
親がいると、そうゆう行動をしてしまうそう。
いくら2、3歳の子どもとは言え、やってはいけないことはやってはいけませんし、
それは周りの大人がしっかり教えなければいけません。
しかし、ただ叱れば良いというわけではないのです。
まずは、頭ごなしに「ダメ!」と叱るのではなく、なぜいけないかの理由も添えて話してあげること。
「投げる」という行為だけを見ると、そうすることで褒められることもあるわけです。(お外でボールがうまく投げられるとほめられますよね)
「投げる」という行為自体が悪いわけではありません。
どういった場所ではして良いか、いけないかを、伝える必要があると思います。
それがまだ自分で判断できる年齢ではないからこそ、です。
もう一つ大切なのは、なぜその行動に至ったのかを親が理解しようとすること。
まだ言葉もろくに話せないので、完全に理解するのは難しいかもしれません。
でも、理解しようとする姿勢を見せることは大切です。
私が見ていて思ったのは、きっとその子は、寂しかったんだと思います。
普段、ママは仕事。
会えるのは保育園が終わってからの一日数時間です。
きっと、親に思いっきり甘えたいんだと思います。
その気持ちを汲んだうえで、注意できると少し変わるんじゃないかなと思いました。
「まだ小さいからそんなに話してもわからない」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
子どもは小さいながらも、驚くほどに大人の言葉を理解しています。
正確に言うと、言葉だけを聞いて理解するのではなく、
五感をすべて使って、周囲の空気を感じ取っているのです。
だから大人が「怒らなければいけない」という形式的なものにとらわれて注意しているのか、
本当に自分のことを見て注意しているのか、
敏感に感じ取ります。
子どもには「自分は愛されている」という実感を得させながら、
一人の人間として、向き合っていくべきだと思います。
教育熱心でない家庭こそ、早くから塾に通わせるべき?
先日、ふと思ったこと。
「教育熱心でない家庭の子こそ、早くから塾に通わせるべき・・・?」
「うちは別に良いとこ目指してないから、塾はいいわ~」
という方も多いのも事実。
私も勉強!勉強!!!という方ではないので、
(できないよりできた方が良いよ、いろんな道理がわかって楽しいし、というスタンス)
それこそ小学校低学年のうちは、
勉強よりもいっぱい遊んだり、
しっかり基礎体力つけたり、
お家の人といっぱい一緒に過ごしたり、
そしてしっかり躾をしたり。(人の話はちゃんと聞く、とか)
そちらの方がとっっっっても!!!大事だと思います。
最近ではIQに対してEQ、などといいますね。
EQが高い子ほど、成績も伸びやすくなる。
EQは心の知能指数だ、と以前本で読んだりしました。
幼児期の教育が大きく影響してくるそうで、忍耐力などと相関関係があるよう。
(因果関係まで証明されてたかは・・・忘れました。すみません。
もっかい本読みます。)
これには私もこれまでの経験から同意。
なので早期から塾に通わせるのが一般的に良いか、というと
塾に勤めていたときから「今じゃなくても・・・」と思うことはありました。
(子どもが喜んで通っているうちは良いのですが)
しかし、よくよく振り返ってみると。
「うちは別に良い高校行きたいとかないんで、
本人が行きたいところ行けたらいいですわ~そんな熱心にちっこい頃から塾行かなくても。
親の僕らも勉強できひんかったんで」
と、おっしゃるご家庭も多いのですが、
そういったご家庭のお子さん・・・
やはり、語彙力が圧倒的に乏しいことが多い。
そして中学生になってあわてて塾に来て、
「なぜか国語が全然できなくて・・・国語なんて日本語なのに!」という事態に。
あるあるです、これ。
語彙力を培う場所って、最初はやはり家庭だと思います。
となると、やっぱり「そんなに勉強できなくて良い、そりゃできるにこしたことはないけど」という環境で育った子は、
やっぱり語彙力が乏しくなってしまうんですね。
年齢が上がるにつれて、語彙を増やすのは大変です。
増やせるんですが、それに時間を割けるほど、
中学生は暇ではないからです。
結局、受験間際になって、幼少期培われなかった語彙力のしわ寄せがくるんですね。
結果、これまで培った語彙力を使って思考の訓練(勉強)をしたい時期に、
それができない。
そうして国語に苦戦する子どもたちをたくさん見てきました。
なんだか気の毒でした。
語彙力は子どもの精神年齢も高めます。
そして、将来絶対に必要になってくる力です。
すぐ目に見えて伸びがわかる力ではないけれど、
今後、大きく影響してきます。
なので、家庭で語彙力を高める自信、余裕がない場合は、
塾でなくても良いと思いますが、習い事などで大人に触れる機会を増やすべき。
結局、周りの大人が大事、ってことですね。
とはいえ、塾もいろいろ。
選び方などは、また別の機会に書きたいと思います。
それでは。
なぜ、“教育”か。
私が教育業界に身を投じた理由。
「子どもが好きだから」ではありません。
というか、むしろ、
「子どもキライ」でした。
キライというか、「こわい」と言った方が近いかな。
だって子どもって加減ができないし、
まっすぐがゆえに、子どもに嫌われたときにショックってなんかすごいし、
大人の論理なんて通じないし・・・
こわくて、苦手でした。
じゃあなぜ大学で教育学部を選んだかというと、
教育が、社会をつくる根本だと思ったから。
「教育が」というより、「思想が」といった方が
元の考えには近いかな。
中学のときに世界史とか勉強しますよね。
その中でまぁいろいろ知って(教科書レベルでも)カルチャーショックを受け、
思想って社会の根本をつくっているんだ・・・こわい!!
なんて思いました。
当時から私は、
「見えるもの」<「見えないもの」
という価値観を持っていて、
(だって火事が起こったら家も財産もなくなるし、
でも自分の頭の中にある考えとか、知識とか、理想とか、
いわゆる目に見えないものは誰にも邪魔されない!と思っていた)
思想による社会の在り方にすごく関心があったんです。
でもその思想によって社会を形づくる過程に絶対あるものって?って思ったときに、
教育の影響ってすごい・・・と思ったんですよね、単純に。
(常識とかもつくってしまうから)
そんなわけで、教育について学びたいなと思い、大学は教育学部を選びました。
(あとはまぁ、興味ある音楽、英語、哲学についても教育学部なら学部そろってるし、
家から近いし、確実に受かるレベルにあるし、、、、
など、そのほか条件がそろったのです。)
そんなわけで、私は
「子ども好き!」だから教育関係に進んだのではなく、
「教育って大事!!!!」と思ったので、教育関係に一歩、足を踏み入れたのでした。
(教育実習は本当につらかった)
あ、ひとつ誤解のないように言っておくと。
いまでも「子ども好き!!」とはいうわけではないですが、(キライではないが)
教え子はめちゃめちゃかわいいです。無条件といってもいいくらいに。
あと、上述のとおり、哲学ラブです。
ソクラテス、デカルト、キルケゴールあたりに非常に感銘を受けました。
この話もそのうち・・・。
はじめに
皆さん、はじめまして。
元進学塾勤務(講師、営業、校舎運営してました)のmaryといいます。
まずはじめに、このブログは、
教育業界に10年以上身を置き、塾という場での教育現場を経験した私maryが、
教育について、社会について、個人的に思ったことを記すブログです。
あくまで個人の見解として綴っていきますので、
その点をご了承いただいた上で、お付き合い頂けますと幸いです。
進学塾で、毎日授業を受け持ち、営業活動も行い、
クラス運営、校運営も担いながら
感じたこと、考えたことを、整理していきます。
※当人は現在は教育業界に身を置いておりません。
悪しからず。
それでは皆様、これからどうぞよろしくお願いいたします。^^