ツールに合わせて消耗する不毛さへの忌避感とツールによる世の中の発展に対する感謝とは両立する

どこからが不毛な抽象化であり些末な技能なのか、わからなくなってくる。仕組みがわかっていればだいたい同じじゃんと言ってしまいがちだけど、一方で自分の技術選定のセンスが利益を生みやすいかはわからないし、自分がそうした技能的スキルを高めることに向いていないだけかもしれないので、そこらへんの石のような気持ちで耐え忍んでいる。

純真さの欠如

GPT-3のAPIが公開された。 おそらく丸暗記コード片の出力をチェリーピッキングしたくだらない 生成事例でキャッキャしている人たちを眺めながら、ふと自分にはそうした生産意欲がほとんど無いということを思った。理論を知り、理解するところまでが興味の範疇なんだろう。 GPT-3の面白いところは、この規模でならあらゆるモーダルの情報をちゃんと暗記できることだと思っていた。陽に構造や関係を与えなくても、自然言語のクエリからそれらしい出力が得られるのは発見だな、ということしか思わなかった。本当にすごいが、これを何かに使おうという意欲はそもそも存在しないのだった。 自分のこの性向では、早晩に冷めてしまいそうだな。ひとをくさして上段から説教するみたいな図になってしまうのは心底いやだから、そういう純真さを持たなくてはならないが、出荷時設定が狂った人間に酷なことをいうな、とも思って背筋が凍った。

文房具売り場をうろつく人間だった頃の記憶が蘇る

休日にすらどうしても仕事の内容を考えてしまうようになってきた。前からその辺りは公私混同で、仕事中に自分のことばかり考えてしまうこともあったが。 これをあえて崩すために、強制的にデバイスを変えようということを思い立った。仕事場から持って帰ってきたMacBook Proを使わずに、休日はiPad Proを使って生活してみようということだ。

即わかったのは、結局21世紀になってもキーボード、それもメカニカルキーボードなんていう原理自体は前世紀からあるようなものが手元にないと何もできなくなってしまうということ。これは悔しい。せっかくこれまでよりも自由なデバイスを使って生活しているはずなのに、今こうやって日記の文面をメカニカルキーボードで作成しているなんて(いや、このキーボード自体は、Bluetooth接続でUSB TypeーCにも対応している2020年らしいものではあるが、そういうことではなくて、結局こういうハードウェアに制約されるってことがちょっと悔しい)。

そもそも、キーボードなんて世に出て久しく、キーボードが使えない人たちも出てきているぐらいのもので、ある意味かつての文房具売り場にあったような色々なペンみたいな位置づけのものなんだろう。こだわる人もいれば、大多数の人にとってはどうでもいい、ありものを使うだけのもの。それにしては文房具ほどバリエーションがなくて、自分に合ったものを探すのは結構苦労するもんだな。

非自明なことを思考したいのに......

‪調べて見つけられる、読めば理解できる、既存研究や関連研究の雰囲気から文脈がわかる(ような気がする)ってだけじゃなくて、非自明なこともできる人に強い憧れと輝きを見出してしまう。

ヴィクトリア・ブレイスウェイト『魚は痛みを感じるか』

会社で借りてしばらく放置していたら、Slackbotに滞納を指摘されたので、一気に点検読書をした。

動物の権利運動の高まりの中で、無視されてきた魚類。脊椎動物の始祖に近いのに、意外にも科学的研究においてもそれほど注目されてこなかったらしい。

それでも、魚類がどうなのか、という問いを発する人たちも増えてきた様子で、英国では動物実験の対象として魚類を選ぶ場合も、他の動物を対象とする場合と同じような手続きが必要になるらしい。著者らの場合は、マスを実験に使った。

さて、魚が犬や猫のような動物と同等の権利を有するかもしれないということについては、生命倫理の問題であるため、これを科学的研究で扱えるように3つの問いに分解した。まずは、「魚は痛みを知覚できるか」、「知覚できるとしたらそれが苦痛となりうるか」、そして、「痛みを知覚・認識できるとしたらそれは哺乳類などの他の動物と同様のものなのか」の3つ。本になるぐらいなので結果は明らかだけど。

著者は生物学者であり活動家ではないので、これらの結果から得られた事実である「魚は痛みを感じる」ということのみを伝えている一方、これにより浮かび上がる生命倫理の諸問題にも触れていたのが面白かった。 ベンサム功利主義原則からシンガーの動物の権利運動などの最近の話題に触れて、さらに養殖や釣りについて、魚が痛みを感じることができるという新事実がもたらす倫理的課題に触れている。例えば、よりよい屠殺方法は?スポーツフィッシングにおけるキャッチアンドリリースのような行動指針は、魚の苦痛を減らす上でどれだけ役立つか、などなど。

Doing the right thing

Google が行動規範から “Don’t be Evil” を削除した件のことを思い出した。実際には別にEvilになろうなんて思っていなくて、むしろ “Do the right thing” にフォーカスしようとしていることを知った。 https://www.fastcompany.com/3056389/why-google-was-smart-to-drop-its-dont-be-evil-motto

広告業界はこのあたりどうすんのって感じがする。特に本邦ではこういう思想って全然浸透しないよなと思っているので厳しい。