まったりと

決して無我夢中という訳ではなく、マイペースで頑張りながら、もう半年が経ちました。
数字としては予定の範囲内です。
不景気のなか、まあまあではないでしょうか?

いずれにせよ、時間はかかるものです。
ひとつひとつじっくりと考えて、自分、自分たちのものを決定していくとなると、どうしても時間がかかります。
その過程こそが面白いのかもしれませんが、結構終わりはないな、という気もします。
例えばひとつ実現したものがあれば、また次の対象へ気が移ります。
もとよりよくというか、結構欲張りであらゆるものを望んでいます。

だからこそ、自分にブレーキをかけて、息切れしないように考えたのでした。
そうです。
開設時に、自分で自分に言い聞かせたことは「倒れたら終わり、無理しすぎない」でした。

結局、いまでは自分たちのことを自分たちで考えて決定していくというのが
当たり前になってしまっていてありがたみがないですけど、でもまあストレスなく、本当に必要なことについて
悩んだりできるというのは、心にとってよいものですね。

金銭面ではおおきな違いはないですけど、真っ直ぐな心とゆとりの心を手に入れたきがします。

できるかな

法律はやはり、株主や役員を特別扱いする文化というか、そういうものをひしひしと感じました。しかし、決め事の自由度は高いので、どうにでもなります。どうしたいかを実現することはできます。
会社を作るのは金もそれなりにかかるし、リスクを負うし、目立つし、メリットを感じない人は普通つくろうと思わないでしょう。しかし、この国は、貧乏人より金持ちに、サラリーマンより社長に、働く動くひとより命令するだけの人に、従業員より資本家に、有利にできています。おそらくアメリカンなドリームを持ち込んだものと思いますが*1奴隷制度時代の名残というのでしょうか。昨今、ワーキングプアとか、環境問題とか、自治体...もしかすると国家の破産とか、市場原理至上主義では解決できないと思われる問題が顕著だと感じています。社会はさらに進化して*2次のステップに進まなければ、鬱積した問題がいつか噴火して、改革がなされます。そして現代における改革とはすなわちテロです。
たとえば国が、自国の利益を主張し獲得するのに、実は国際協力・貢献が必要とされることと、おなじような視点が必要に思います。
ひとりよがりは通用しないのです。
知識を持った人間は、いつまでも騙されたり、ガマンしたりしないのです。
だから力ある支配している側からの「みんながそれなりに納得するレベル」へのアプローチが必要なのです。


どうも話が大きくなりましたが、国家と会社と、構造は全く等しく当てはまるように思っています。
みんなが知って、考えて、動くことが必要だと思います。
もっとも、そこまで社会的・政治的になる必要はないのかもしれません。それは人それぞれ、求めるものが異なりますから。
それでも「知ってしまった人間」は、どこまでがまんするものなのか?とても気になります。
もっと身近にあれば、「やっぱりオレそれがいい」と言ってくれるのではないかと思います。

*1:しっかし「じゅんいちろう君」の罪は相当なもんだね

*2:市場原理至上主義が資本主義の原点だとすると、資本主義の限界が指摘されている、と考えられます。

日記をつけるつもりでしたが

結局続かず、もう法人登記は終わってしまいました。
簡単といえば簡単でした。
決断が迫られるケースがいくつかありましたが、
どうしたいのかが決まっていれば、手続きは問題ありません。
みなさん、とっとと会社をつくりましょう。
つくるのは簡単ですから。
継続することだったり、良い会社にすることは難しいですけど。

退職、起業となりました。

経過が書かれていませんが

退職、起業となりました。
今準備中です。今月いっぱいで準備は完了し、11月は開業です。

結論として、
「儲けたものが勝ち」という価値観に迎合できないことと、
「誰のお陰で仕事ができると思ってるんだ」という態度にガマンならないためです。

上の2つは、これから会社の方向性を探る*1上で重要です。
待っても、ガマンしても、可能性はないと判断しました。

単純に、最近の絞りのキツイ窮屈な環境もイヤでした。

勉強になります。

会社設立、経営、税金、社会保険制度など調べています。まだ不明点が多いですが、大変勉強になります。

「こんなこともしらないで、サラリーマン一生やって死んでいくなんで信じられない」

という気がします。
青木雄二のいうように、知らなければなりません。
矛盾、時代遅れ、不都合がたくさんあります。立法、行政の課題はほんとうにおおいです。

政治家にはこういった生活者としての実感も必要です。主婦の価値観も知るべきでしょう。そして国政となると、自治体、国、国際社会と広範囲になります。ひとりの人間ができることは限られています。国政において「完璧な政治家」などあり得ません。どんなに優秀で頑張り続けて経験を積んでも、1人の人間の範囲を遥かに超えます。

そういう意味から、地方分権の考えは正しいとおもいます。国政が階層化されるイメージです。

*1:検討、決定には参加できないため『探る』しかありません。ですから、株に関する問題は決別の大前提です。この理由は今回決心した理由であって、本当の問題は経営参加権の裏切り行為であり、株です

あれから随分

時は流れたか?

あれから随分と経ちます。1年半ですか。

やっぱりガマンなりません。

自分がどうしたいか?は決めかねています。

ぬるぬるしたい気もするし、しかしチャレンジしたい思いはふつふつとあります。

ぬるぬるしたいのであれば、少人数でしょう。雇用なしで、気の知れた人たちとコツコツと。

チャレンジする*1には仲間が必要です。
しかし、同じ目標をもった仲間は殆どいません。
結構みんな、ぬるぬるしたい気があるように思います。

そうこうしている間にも、何も変わらず進歩なく無駄に過ごしたとは思いません。
実績をつんで、ちょっとスキルもアップ(同類のスキルですが)してますね。
仲間を募る気はあったのですが、あくまで合流であって巻き込むような格好は無意味なので。

相違点

なんちゅうか、2人は会社を経営したいのです。
いい会社をつくりたい、というか作っている気持ちはあるのですが、いい会社が何なのか?について自己中心なのです。
自分がいいと思った会社がよい会社であって、社員の評価、周りの本当の評価は入ってこないのです。
しかしそれは、会社というのは公なものだから、やっぱりむなしい、無意味ですよ。

一方僕が技術を求めているとしましょう。
で、技術も活用されたり技術者から客観的な評価されたりして良いものな訳で、その「評価は自分じゃない」というスタンスは全く崩れていないと思います。
ここは決定的に違います。
さらにもっといえば、技術を求めている訳ではない*2のです。
頑張って仕事して、金を稼いで、充実したいのです。
ですから、楽して金は受け取れません。ここも決定的に違います。

どうしていくか  〜定年退職まで〜

結局彼らは、もともと作れないのですから選択の余地はありません。
営業して誰かにやらせる。
やってもらえるよう周りと仲良くする。
しかし作れる人間はそうじゃありません。
というか、コーディング以外でも実作業できない人間は基本的には不要です。
Sは不要。Yは設計作業などでの売上が必要、というわけです。
経営だの採用だの総務だの、結局共同でやっていて依頼作業もおおい訳だから、みんながそうしているように両立させる必要があります。
年収からいっても怠慢と言わざるを得ません。(相当客観的な評価と思いますが)
そこは、「楽して金を受け取れる」人間ですから。


じゃあボクは。
60まで技術者ができるか?
やるしかないでしょう。
食っていかなきゃ。
どこかでコーディングの限界を感じたら、そうでない立ち回りに転身しても、やるしかないでしょう。
しかし、仕事してお金を貰うという部分は変えてはいけません。


結論、ぬるぬるでもチャレンジでもどちらもよいなとおもっています。
いずれにせよ、30台のうちに辞めることになるでしょう。
そして何人で開始するかは、まず少人数でしょう。
しかし途中の方向転換は難しそうなので、もうちょっとはっきりしてからと思っています。
慎重過ぎて、結論がでませんな。

*1:会社をつくる、ということ。雇用して数十人くらいの会社。社員も社長も株主もそれぞれの立場で対等なパートナーとしてあるような

*2:意味を厳密に説明すると、技術面の追及は面白いが基本は仕事をすることであって、面白みのない作業でも仕事であれば頑張る、ということ。技術は興味があり追求したい。しかしあくまで仕事の中で可能であればであって、客が必要とする作業を頑張るという点を強調してます。

法則

収穫逓減(ていげん)の法則

一部の高収入の人間にさらに金を与えても、生産性はあがりません。
ひとりの人間のできることには当然限界があり、その限界から遠い人間ほど生産性向上の可能性があります。
同時に彼等は収入が低いので、収入増の可能性も持たせるべきです。

アムダールの法則

さらに生産の増大には、頭数の増大よりもアルゴリズムの改善が有効です。
人間が仕事をする場合を考えると、各個の仕事のやり方の向上、そして個の連携の改善です。連携アルゴリズムといってしまいましょう。どういう連携が効果的か?を考えるに、縦割り、階層構造な指揮命令には限界があります。じゃあどうすれば、というのを考えましょう。

法則など持ち出さなくとも

「使われる」人間より「使う」人間がエライというのは、自分が「使う」人間であり、その優位的な立場を保護する論理です。
冷静に現実を見ると「使われる」人間は、実務を行う人間であり、その人間の働きは非常に重要です。「使う」人間は、実務を行う人間が有効に機能するようサポートするものです。プロ野球だって、現場の判断は監督ですが、監督より収入の多い選手はたくさんいます。監督と選手は時に一緒に、時には個別に評価されます。これは、連動性の評価と、個々の働きの評価で、この二面性はとても重要と考えます。

「使われる」「使う」の違いは役割、立ち回りの違いであって、それのみで優越はありません。得意な人間が得意な方の立場でいればよいのであって、連動性を全員に要求すればよいのです。

まとめ

  1. 効果的なのは、生産性の低い部分を上げること。上がってしまったものをさらに上げるのは困難。
  2. 同時に連動性の向上。連動性といえばコミュニケーション→個人的に仲良くすること、、、というのは別物です。そっちの連動もありますが、ここでいっているのは仕事です。複数の作業を複数の人間でどう効率よく処理するか?という問題です。人員配置の議論で終わってしまうことが多いと思うのですが、実務をもっと細かく見る必要があります。作業の切り分け、グループ化、依存関係による手順、リスクの事前回避及び対処法の事前確認、進捗状況の確認、スケジュールの柔軟な再構築など、です。これらを一箇所からでなく、フラットにどこからでも提案、決定できる体制。