がらくた置き場

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スタートアップに一桁メンバーとしてジョインするのは良いことづくめだよ!

今日はスタートアップの功罪的な、良い点と悪い点を書いていきたい。
個人的なメモのつもりでしかないものの、このブログで変に影響を受けて人生の意志決定をする人がいると良くないので、一応軽く自分の経歴を載せておく。

まず、東京大学の工学部を卒業して国内の某ITメガベンチャー(たぶん数社思い浮かぶと思うのですが、たぶんその中に正解があります。)
3年間働いた後、独立するか迷った挙句にITスタートアップに1桁メンバーとしてジョイン。
そして約1年経って今に至ります。

さて、前置きはここまでにして良い点と悪い点を書いていこうと思います。
(ちなみに、僕自身はこのキャリアになんの後悔もありません!)

■良い点
1. 人脈が作れる
2. 社長がどんな仕事なのか具体性を持って感じることができる。
3. サービス, 会社を作るということの重みや意味を身を持って知れる
4. 概念レイヤーで、どんな風に事業を選定し、撤退すべきか身を持って知れる

上記が良い点です。
ひとつずついきましょう。

1. 人脈が作れる
僕はあまり好きではないのですが、正直スタートアップは「村社会」です。
スタートアップの住民は基本的に、自分の村の仲間を内輪で褒め讃え合います。
しかも、それをTwitterFacebookなど村の外にも見えるように褒め合います。

そして、基本的に起業しようと思ったら自己資本でやるのでない限り、エンジェル投資家かVCに投資してもらう必要がありますが、残念なことにそうした人たちはあまり表に出てきません。
ただ、一部の人は「スタートアップ村」の中にいれば会えたりするので、村出身の創業者がいるスタートアップに入って人脈が作れれば、自分で起業する時のとっかかりにはなります。

2. 社長がどんな仕事なのか具体性を持って感じることができる。
これは、まぁそうだよなぁという感じです。
みなさんは、普段自分の会社の社長が何を考えて何をやっているのか、知っていますか?要はそういうことです。
一桁メンバーになると、社長との密なやりとりも増えるため社長が普段どんなことをしているのか分かるようになります。
「なんだ、俺でも社長やれそうじゃん。」or「僕が社長になるには〇〇が足りない。」この具体性を伴った感覚は一桁メンバーでないと味わえないものだと思います。
そして、この感覚を持っているかどうかは起業するかどうかの意志決定において、結構重要だったりすると思います。

まぁ、前者の「やれそうじゃん。」を根拠なく感じて起業して上手くいってる人もいるのでアレですが、僕にとっては重要でした。
社長がどんな仕事をしてどう成功or失敗しているのか、というのを疑似体験できるのもとても良いと思っています。

3. サービス, 会社を作るということの重みや意味を身を持って知れる
基本、スタートアップではほぼ毎日上手くいかないことだらけです。
そもそもスタートアップなんて生き残れる確率はとても低いわけです。
そんな中、挑戦するのはとても楽しいのですが、やはりシビアに厳しい局面もまぁ何回か出くわします。
そこで逃げ出すのはとても簡単なのですが、1. 投資してくれている株主, 2. バイト含め手伝ってくれている全てのスタッフ, 3. サービスを使ってくれているユーザー この3者それぞれに全力で謝罪が必要になります。
当然、そんな局面に陥りたくないので、必死に事業を考えたり計画を作ったりするわけですが、やっぱりこのシビアな感覚を肌で感じているかいないかはとても大きいです。
心が折れそうになっても、こういうプレッシャーがあればやりきれる、というタイプであれば得るものはきっと多い。

4. 概念レイヤーで、どんな風に事業を選定し、撤退すべきか身を持って知れる
これは、一桁社員の特権ですね。事業選定後のスタートアップは基本的につまらないです。
サービスの伸びを、イケてる感に変換したブランディングでできる限り能力高い人を採用し、その人たちに大企業以下の研修システムとクソオペレーションでとにかく回している、という会社が多いのではないでしょうか?
ただ、一桁社員だったり第二創業期にジョインして、事業選定から関わることができればそれだけで圧倒的な経験値になります。
失敗しても成功しても、一つの事例を肌で感じながら1から100まで知ることができるので、再度何かを立ち上げるコストが大幅に下がります。

なんか、悪い点も書こうと思ったけども、ちょっとめんどくさくなったので良い点にとどめておきます。
総じて、「将来独立したい、起業したい」と思っている人の準備としては、社員番号一桁台で給料落としてでもスタートアップに入る、というのは合理的ではないでしょうか?
一方で、「実力を身に付けたい、成長したい」と思っている人には大企業(できれば人間関係がめんどくさくないカラッとしたメガベンチャーがよい)をオススメします。

スタートアップ vs 大企業 という構図の論争を最近よく目にするが、結構平行線の水掛け論や基本的には個々人の向き不向き、という結論で終わっているのでちょっと書いてみました。
結局は、どっちにも良い側面があるものの、「企業に属して得られる経験の期待値と現実」の乖離が大きいだけだと思うので。

今日は以上です!
お疲れっした!

打算をすると、自分の視野が拡がらないから嫌!!

最近、打算的な自分がいて嫌だ。
そう思うことはないだろうか?

例えば、トイレに行きたくなった時。
「立ちションすると、マナーが悪いと思われるな...」と思ってトイレに行っているとか。
大盛り無料のつけ麺屋で、「大盛りの方がコスパはいいけど、ここで大盛りにすることで自分の胃袋が拡張されて、明日以降の食生活は結局コスパ悪くなるな…」とグルグル8時間くらい考えて、結局「インドで長年修行中の僧侶の気持ちになれば、大盛りが食える時に食うが正解のはず。だって徳が高いもん。」みたいな結論になったりとか。

とにかく、打算的な自分が嫌だ。
若さとは不思議なもので、自分も周囲の人も可能性に満ちているので、直感的に面白いところに身を置けば大体面白くなる。
しかし、歳を取ると可能性が既に狭まっていたり、狭めてくる人がいるので打算がないと「しょうもない付き合い」が増える。

なんて、「しょうもない付き合い」と思ってる時点で自分の可能性を狭めてるんじゃ!!!みたいな気持ちになって、「とにかく人と会おう!」ってなってもそれは「可能性を拡げたい自分」のための打算で…!!ジーザス!!!!

もう、夜眠れない!!!どうしてくれるんだ!!!
結論: つけ麺だけじゃなくてラーメンも大盛り無料にしてください。

スマブラっていつまで続くのだろう

みなさん大好きスマブラ
少なくとも僕は大好きです。ありがとう任天堂

さて、そんなスマブラですが、毎回どのキャラが新規参戦するのか気になる訳で。
正直ゲームに〇〇が参戦!だけでこんなに盛り上がれるゲームは本当に数少ないからめちゃくちゃすごいな任天堂!やっぱり僕たちの味方!!

というバケモノみたいなIP力。
ただ、最近のスマブラを見ていると、
1. 同じシリーズの中での新キャラ
2. 他社のキャラ(これはマジですごい)
というパターンが多くて、今回のスマブラSPはそれに加えて過去参戦キャラ全員参戦!というので盛り上がってる印象です。

www.youtube.com


本当に、任天堂の中で新規のキャラってイカ娘くらいじゃないだろうか…
で、そうなると気になるのが次のスマブラです。

毎回ゲームの作りは最強レベルで面白いし、僕としてはずっと続いて欲しいシリーズではありつつ、やっぱり参戦キャラで盛り上げて、それでユーザーが増えてる側面はあるはずで。
過去キャラ全員集合!という荒技をやってのけた以上、次作どうするのかなというのがファンとしては気になるところ。

可能性としては、
1. 参戦キャラを減らす代わりにめちゃゲームモード的なものを増やしてくる
2. なんか強引にめちゃくちゃ参戦させる(他社キャラも含め)
3. (これは厳しいか)任天堂が新作IPをガンガン出してきてそれが採用される
のどれかかな、と思うわけです。

なんか、毎回「予想の斜め上のクオリティにするぞ!」という意気込みを感じるシリーズなので個人的には1かなと思っている。
きっと面白いゲームにしてくれるんだろうなぁ。。

なんやこの記事、結論ないやんけ!!
ではまた。

なんでも目標とゴールを設定することの危うさについて

よく、キャリアや仕事場で「目標/ゴールのイメージを作れ」とか「理想はないの?」とか言われている人は多いと思う。
で、実際に動けば分かるのだが「理想, 現実, ギャップ」のこの3つの考え方がセットでないとたしかに動けないし、動いた後に実際どうだったのか評価できない。

なんて、全部嘘。


もうちょい離れた視点から物事をみると、仕事は確かに8割その通りだけど趣味とかはそんなことはない。
周りにいる、多趣味で幸せに生きている人を思い返して欲しい。
基本的にみんな、「毎日やってます。」とか「数字がなってくのが嬉しくて、毎日チェックしてます。」とか「日課ですね。」という回答が返ってくるはず。

僕個人の仮説としては、「最初から目標を掲げても、その精度が悪くて簡単すぎたり難しすぎたりして大半の人は潰れてしまう。」ということだ。
ある程度やってみて、肌感をつかめた上でのめり込めてから初めて目標を掲げるくらいの意識が一番ちょうどいい。

ちなみに、仕事に関しては自分自身は初めて担当する業務だったとしても他の人はそんなことなかったりするから、適切な目標は周りの力を借りたりすれば立てられるはず。という考え方です。

アンテナ感度が高い人は、「とりあえずやってみる」のハードルが異様に低くて、目標とか損得勘定への感度が麻痺している人が多い気がしてます。
絶対にうまくいくし意味のある目標というのも実はあって、たとえば「とりあえず○日間はXXをしてみる。」みたいなそういうやつ。

よし、3日間はブログ続けてみるぞ!!!(何度目だよ)

ロンドンは、綺麗だった

最近、積みゲー消化期間ということでアサシンクリード シンジゲートをやっている。
いわゆるステルスアクションと呼ばれるゲームで、こっそり後ろから近づけば一撃で敵を倒せて脳汁が溢れるゲームとのこと。

まぁ、普通に4Kのテレビでロンドン楽しめるのが一番デカい!!
そんな感じのゲームです。

ちょっと単調かなと思う部分もあるけど、ロンドンの街並みが本当に綺麗なので楽しい。
早く制圧して街を何も考えずに歩き回りたい。ていうか、ぶっちゃけもう敵いらない。
そんなゲームです。

 

ビッグベンでけーなー。
ビッグベンにシュッて登れるとかめっちゃ楽しいなー!
みたいな気持ちに戻れるゲーム。

実は先週からゼルダの伝説BotWも消化し始めてて、こっちは第二弾DLCの英傑たちの詩までクリアしたところ。

なんていうか、せっかくブログあるんだし、ブログのテーマとかネタとか考えずに毎日投稿してみて自分の好きなモノを少しずつ絞っていこうと思った。

なんか、ちゃんとした紹介も書いていきたいけどまずはブログ書くことの習慣化からやろ。
そんでは。

敢えて部屋を散らかす、という片付け術。

隠すまでもなく僕はADHDなのだが、そのせいか「部屋の片付け」というモノが猛烈に苦手な人種である。
片付けそのものはそこまで苦ではなく、一度始めてしまえば無限に片付けしてしまい、結果時間をかけてめちゃ綺麗に整理してしまう。
でも、その部屋を綺麗に保つのがめちゃくちゃ難しい。ついでに言うと、忘れ物もめちゃ多い。

そんな僕が、最近は部屋を綺麗に保ち、忘れ物の数を減らすことに成功した方法がある。

それが、「絶対にここにあったら嫌だな〜」と思う物を嫌な場所に敢えて放置してから何かを始める、ということ。

つまり、何か作業に入ったり、急ぎで外出する前に、敢えて部屋を一部猛烈に汚くしておく。
そうすると、プライベートに戻ってきたときに猛烈に片付けたくなって結局部屋が綺麗になる。

「部屋を常に綺麗にする」というのは自分にとっては難しいので、定期的に綺麗になるように片付けモードを強制起動できるように汚くする、という逆説的な解決策。
結局、いつも部屋を片付けられない原因は「別に綺麗にしなくたって不自由しないから」という理由なので、不自由するように汚くしておくと絶対に自分は片付ける。

その場しのぎで何ヶ月も保たれた部屋を掃除するよりも、局地的に汚い部屋の方が片付けるコストも低くつくし、結果部屋が綺麗になった。

今回だと、「部屋を常に綺麗に保つ」→「部屋が1日1回は超綺麗になっている」という風に目標を変更したわけだ。
今後もそのように適宜目標を適切に修正する、という行為を続けていきたいと思った。

目的と目標と計画

社会人になって最初にぶち当たる壁が「目標設定」。

今思えば、自分が間違っていたのだが、よく「目標を設定してくれ」とか「結局数字でいうと目標はどこなの?」とか言われていた。
そして、いざ数字で目標を設定すると「低すぎる」とか「この数字で結局何をしたいんだ?」と言われることが多かった。

たぶん似たような指摘をしたことがある人も、されてる人もそこそこ社会に多いと思うのだが、個人的にこのあたりの認識は「日本語のシソーラスを揃えること」で解決できる気がする。

具体的には、

トップダウン的に「あるべき姿・なりたい姿」を定義したのが目的
トップダウンの目的をブレイクダウンして、「あるべき姿・なりたい姿をいつまでにどういうペースで達成するのか」を定義したのが目標
ボトムアップから「目標達成のためのアクションプラン・KPI」を定義したのが計画

という認識で、常に3つをセットで準備するようにすれば間違いない気がしている。

単に、「目標設定しておいて!」と言われた時の自分の認識が、「真ん中のものを用意すれば良い」と思っていたのが間違いで、本来は目標はそれ単品では意味がないので3つ出せばよかっただけの話だと思っている。

自分としては、「目標設定とか結局どうすればいいんだ!」と思いながら新卒時代から漫然と過ごしていたが、気づけば最近そのようなことを言われなくなった。

そして、自分も他のメンバーに対して似たようなことを指摘せねばならない段になって、ようやく言語化できて腑に落ちた。

未だに「目標を立てる」という行為は難しく、よく悩むので整理用のメモ。
(目標、というワードを広い意味で使いすぎなのかもしれないという反省も含む。)