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駆け出しゲームプランナーの日々を綴ります。

知識の価値

「合計で1200円です」

これが、私の知識の値段だった。

ブックオフでこれまで読んだ本を処分したときの話である。

私は本を読むのが好きな方だと自負している。

読むジャンルは様々あるが、特に好きなジャンルはSFと歴史小説である。

好きな作家は安部公房星新一

前者は文章を使って、過去にはない実験を試み、最初は理解できずとも、

読んだ者の現実と、著作を深く結びつける読後感が特徴的。

後者はショーショートという、一話完結の短い話を連続して一冊の本にしている。

しかも、その短編はどれも人間の行いや思想を皮肉るような、ニヒルな内容なのである。そして、そのオチはどれも気持ちのいい着地をしてくれるので、爽快な読後感が特徴的な作家である。

以上の作家の著作も含め、これまで読んだ本が多分に増えてきたので、ここいらでひとつ処分をすることにした。

合わせて10数冊の本と、何枚かの洋楽CDを手提げに詰めて、一路近所のブックオフへと向かった。

金額の査定はものの10分くらいで済んだ。

そして、結果は冒頭のセリフに出てきた金額だった。

1200円。

少なからず今回処分した本やCDを買った合計は1万円ほどとして、

一旦それを消化してしまうと、その価値は1200円へと落ちてしまう事に気づいてしまった。

私は渡されたレシートを見て、そこに載っている自分が処分したコンテンツから差分の8800円分の知識を頂いたことを、ぼんやり考えていた。

与えられた役目を終えたそのコンテンツ達は、与えるべく詰め込まれた知識を私に与え、抜け殻へと還っていった。

そして、次の持ち主に出会うまで、水でもどる乾燥ワカメのように、知識をまた蓄え目覚めの時をまつのである。

私はその抜け殻の1200円をそっと、中身の寂しくなったヴィトンの財布に忍ばせた。

その賢人たちは叡智ばかりか、少しのお小遣いすらも私に与えてくれた。

その帰り、私はラーメンを食べて帰った。

しまいには、腹まで膨らませてくれた。

感謝しかなかった。

アドベンチャーゲームの”ゲーム性”を探して。

 久しぶりに、ゲームの話をしたいと思います。

これまでは、あくまで遊ぶ側として数多くのゲームに触れてきました。

そして、それらのゲームには個々に特徴や面白い思わせる部分がありました。

その個々のゲームの持つ特徴が”ゲーム性”だと考えていました。

それから大分経ち、

縁あって、現在はゲームを作る側にまわっている私ですが、つい最近、

外部のエンジニアさんと話す機会があり、その中で

「最近はどんなゲームを遊んでいるのか」という話になりました。

私はこのところ、『シルバー2425』というアドベンチャーゲームを遊んでいたので

そう答えると、こんな問いかけが返ってきました。

「そのゲームに”ゲーム性”はありますか?」

 思いもよらない質問に私はたじろぎました。

好きなゲームだから遊んでいた私にとって、”ゲーム性”という言葉は、少し捉えづらいものに感じました。

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◆タイトル『シルバー2425』

◆製作・グラスホッパーマニファクチュア

◆販売・日本一ソフトウェア

 

その他にも、

「そのアドベンチャーゲームはテキストタイプか?

 テキストタイプのゲームは普通の読み物でもいいのではないか?」

と立て続けに詰問されました。

その時、私はうまく答えることができず、そこから数日”アドベンチャーゲーム

ゲーム性”について考えました。

 

 私は先ず、この話の主題である”ゲーム性”について解説したいと思います。

これは非常にあいまいな定義で、確実とした説明のない概念で、

しかしながらゲームを評価する中で、

「これは面白いゲームか、それともその逆か」

を判断する軸になっています。

この”ゲーム性”は「リスクとリターン」「オフトレード」の要素で語ることができるとの意見もあります。確かに、ゲームを「駆け引き」として捉えるならば、そういった見方は至極当然で、説得力も十分でしょう。

しかし、その理論を「駆け引き」のないゲームに置き換えると、当然あてはまりません。

それは”ゲーム性”は無い、ということになります。

しかし、”ゲーム性”がなければゲームとは言えないのでしょうか。

私はこの点が妙にひっかかりました。

アドベンチャーゲームの主目的は「探索」と「情報収集」、それに「問題の解決」が挙げられます。

この中に上記の「駆け引き」の要素が私の好きなシルバー2425にもあれば、

”ゲーム性”は「ある」と判断できますが、ゲーム内容は基本一本道で、

駆け引きの要素は皆無です。

しかし、このゲームはゲームとしてしっかり面白い。

確かに駆け引きに基づく”ゲーム性”はありませんが、このゲームの持つ”ゲーム性”は別にあると考えました。

 

 そこで、先ずはこのゲームの魅力を以下の要素に分解。

1.ストーリー

2.テキスト

3.演出

4.システム

5.音楽

6.物語への介入

 次に、分解した要素の中から、このゲームの「遊び」とは関係しないものを抜き出します。

1、2、5はゲームの持つ、世界観や雰囲気を構成するには重要な要素ですが、

直接「遊び」にはつながらないと考えました。

 

 次に残った要素からこのゲームが「遊び」としてどう面白いかを模索します。

このゲームの特徴は何と言っても、「フィルムウィンドウ」という、それまでのゲームには無かった斬新なシステムが魅力的でした。

このフィルムウィンドウはテレビ番組で見るようなワイプだと思ってください。

一つの画面で複数の場面が同時に進行。

これがアドベンチャーゲームにこれまでにない体験を与えてくれます。

そして、「演出」。

前述のシステムにマンガのコマ割りのような画面が重なることで、

テンポのよい、気持ちのいい体験が得られます。

しかし、体験なら前述の省いた要素もキーになるはず。

しかも、それは映画やマンガなど、ほかのコンテンツにも該当します。

これでは説得力に欠けてしまいます。

う~~ん。

 ここで考えたのが「物語への介入」という要素。

今作では「情報収集」「謎解き」「探索」の要素があり、テキストベースとはいえ、

ただ読むだけのゲームにはなっていません。

ゲームがほかのコンテンツと明らかに違う点は、それらの要素を介して、

「物語に介入」することができるところです。

この「物語への介入」を”ゲーム性”と新たに定義するなら、

今作における”ゲーム性”の有無は、”有る”ということになります。

しかし、”ゲーム性”という言葉自体、現在でも曖昧模糊とした概念のため、これが正解ではありませんが、ひとつアドベンチャーゲームにおいて”ゲーム性”の有無を測る際には有用かもしれません。

今回はゲームという解釈の広い、日々進化し続ける分野について考えてみた、

そんな話でした。

 

映画を2本観た話〜後編〜

 さて、後編です。

前編では、遅効毒のあるヨーロッパ映画についての感想でした。

しかし、後編は全く真逆の、痛快娯楽エンターテイメント!!!

映画とは娯楽たるべき!!といった信念と情熱の爆発した作品の感想です。

いま日本全土を巻き込んで、映画界に旋風を巻き起こしているこちらの作品を観てきました。

カメラを止めるな!』です。

 

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◆製作・日本

◆監督・上田慎一郎

◆公開・2018年

 

当初、公開した劇場が2館というところから始まり、SNSや口コミで評判に火がつき、ついには全国180館での公開にまで発展した、話題作です。

私も、公開しているのをSNSで知り、日増しに観た人の感想が多くなっていく事、そして、

多くは語れないという、奥歯に物が詰まったような内容が気になっていました。

しかし、人気の爆発と共にチケットは争奪戦へ。

公開館の拡大と、観客の鎮静化を見計らったこのタイミングでやっと観に行く事が出来ました。

事前にチケットを取ってはいたものの、劇場は相変わらずの超満員。

最近の映画でこの動員はあまり観ないから、さらに驚きが大きかったです。

この中にはもう既に観たリピーターもいるのだろうか?だとしたら、結末を知っててまた来ているという事なのか?それだけ面白い映画なのか?

と疑心暗鬼と大きな期待の入り混じった感情で、私は席につきました。

では、見せてもらおうか、今話題の映画とやらを!

と、赤い彗星のようなセリフを心の中で唱えて映画を鑑賞しました。

 

 感想として、皆んなが言うように多くは言えない、といったところ...。

何故なら、内容を語ればこの作品の魅力は半分か、それ以上削がれてしまうためです。

そこが悔やまれる!

映画として面白いか、どうかで聞かれれば、

普通に面白い、と私は思いました。

でも、飛びっきりに面白い!とは思えなくて、事前の評判から自分の中で、面白いのハードルがとても高くなっていました。

今まで見たこのないエンタメ体験が出来るのでは?と勝手に想像していたのも反省点。

しかし、キャストの方は個性的でキャラクターが立っており、観終わる頃には誰か一人推しが出来るはず。

また、日々モノづくりをしている人達はこの映画を観たら、心の中で情熱の炎が熱く燃え滾るのを感じるのでハズ。

まるで心と体を突き動かす潤滑油のような、

そんな映画でした。

私の中では、面白いとは別に、何か大事なことを気づかせてくれる映画でした。

映画を2本観た話〜前編〜

 映画を2本、友人達と観てきました。

1本目はスウェーデン映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』。

2本目は、いま邦画界を席巻している話題作

カメラを止めるな!』。

上記の2本の感想を語りたいのですが、長くなるので前後編に分けて綴って行きます。

 

 先ずは1本目『ザ・スクエア 思いやりの聖域』の感想です。

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◆製作 スウェーデン

◆監督 リューベン・オストルンド

これは「その四角形の中では、みんなが平等に助け合う義務がある」という現代美術をテーマに、思いやりや信頼といった、現代人には耳の痛い本質を問う内容になっています。

そして、この映画のタイトルになっている「スクエア」という四角形の現代美術は本編でも数える程度しか登場しません。

では、何故、スクエアというタイトルなのか。

これは画面を引いて観ると一目瞭然。

画面の中に散らばる四角、四角、四角。

パソコン、棚、机、携帯に至るまで現代は四角形で作られたもので沢山囲まれている。

それは何故か。機能的だからに他ならないから、であり、シンプルで無駄のないデザインだからだと思うんです。

これが曲面だったら?

パソコンは幅を取るし、机は配置しづらく、棚は物を置きにくいし、携帯は持ちにくい。

四角形はこれの全て逆を表します。

でも、角が取れて丸くなる、という言葉があるように、丸型の方が優しいイメージのような気もします。

この映画、観てるとわかるんですけど、そんな現代人と現代社会を皮肉った毒の強い映画でした。

四角に囲まれた世界で、スクリーンすらも四角形の中で映し出される主人公の受難。

そこで試されるのは冒頭で述べた思いやりや、人を信頼するという事。

果ては美術という文化すらも小馬鹿にする始末。

ポスターからは高尚なイメージすら感じるのに、本編は嫌〜な毒々しさに溢れています。

この嫌な空気も、ヨーロッパ映画の特色と言えば特色なのですが。

こんなどよーんとした視聴感のある今作ですが、一度見ただけでは少々理解しづらい部分がままあります。

その点は映画評論家の町山智浩さんが解説をしているので、そちらを参考にしてください。

http://cinefil.tokyo/_amp/_ct/17166116

テーマが重かったり、皮肉と毒の強い映画でしたが、内容は面白かったです。

さて、次回は『カメラを止めるな!』の話です。

 

Rez Infiniteとクリエイターの苦悩

 近頃、このブログの更新頻度少し上げてみました。どうでしょう?

これからも色んなネタにアンテナを張って、思いのたけを綴っていきます。

文体が安定しないのは、試行錯誤しているからなのでご了承ください。

 

 さて、前置きはこのくらいにして、本日のテーマはタイトルにも挙げた通り、

Rez Infinite』について取り上げたいと思います。

知らない人もいると思うので簡単に解説すると、こちらはゲームソフトです。

簡単な操作で「光と音の世界」を揺蕩い、迫りくる敵を撃ち落としていくシューティングゲームです。

そして、本作は2001年にPS2で初代が発売されており、今回紹介するのは2016年にPS4で配信された最新版です。

詳細は下記を参照してください。

Rez Infinite(レズ:インフィニティ)

■販売:Enhance Games

■プロデューサー:水口哲也

Rez - Wikipedia

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↓関連動画↓

Rez Infinite - Debut Trailer (Direct Feed) | PS VR - YouTube

 

 動画を観てもらえれば分かる通り、ゲーム全体のデザインはいたってシンプル。

キャラクターのモデリングから背景に至るまで全てワイヤーフレームで構成されています。

本来のシューティングであれば、戦闘機の様な自機のデザインと、大空から下界を見下ろすような背景があるものですが、それらが一切ないのがこのゲームの特徴の一つです。

次に「音楽」。BGMもかっこいいでしょう?

頭の中から、丹田に響くような電子音。そこに、敵を倒すとそれがパーカッションとなって、BGMをさらにかっこよく装飾してくれます。

もう何が何だかわからない。

一言でいえば「すごい」。これに尽きるでしょう。

また、本作は「音」にとてもフォーカスしたシステムから、前述したこれまでのシューティングゲームに存在した諸要素を省くことで、そのシステムに全身で浸かることができるのです。まさにセンスの塊といえるこのゲーム。

遊んだほうも何が何だかわからないのですから、開発はとても難航したそうです。

頭の中にぼんやりと浮かんだイメージをはっきりと形にしていくのはとても大変なこと。

そして、それを他社に伝えるのは並大抵のことではありません。

本作のプロデューサーの水口哲也さんのこの時の苦悩はニュース番組でも取り上げられていました。

画像からも漂うオーラ・・・。

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※内容については下記のURLを参照。

俺は絶対諦めない・・・ (sm2788951) - ニコニコ大百科

 

しかし、水口さんは確かな信念と、己のイメージを形にすることをあきらめず、この作品を生み出しました。

きっと、みえないところで数えきれない衝突があったことでしょう・・・。

 さて、最新版となる本作は注目のVRにも対応しており、本作の真骨頂はこのVRモードだったりします。

切り取った画面からだけでは受け取りづらく感じた世界観も、360°の電脳世界となれば話は別。その没入感たるやすさまじいものだそうです。

これは水口さんが望んでいたゲームのデザインだそうで、本作は10年以上経過しついにその真価を発揮したといえるでしょう。

私はつい最近になり本作をプレイしたのですが、もっと早くに遊んでおけばよかったと少し後悔をしました。

はっきりと人を選ぶゲームであることも確かですが、一度遊んだ人の記憶にハッキリと残る作品なのは間違いないと思います。

弾む音に体を揺らしながら、五感でゲームを楽しむのもまた一興。

音楽や芸術に興味のある人なら、このゲームは刺さるはず!

気づけばあなたも『Rez Infinite』の虜になっているでしょう。

それでは僕も、もう少しこの電脳の海に漂いたいと思います。

ドゥクドゥク・・・。

アナログゲーム『モンスターメーカー』を遊びました。

 ゲームといえば、多くの人が想像するであろう「ビデオゲーム」。

テレビとハードを繋いで出力する家庭用ゲームから、持ち運べる携帯ゲーム。

最近はスマホで遊ぶことのできるゲームも、多くの人に認知されていることだろう。

しかし、なにも画面に出力して遊ぶものだけがゲームなわけではない。

オセロや将棋、チェスだってゲームの一種である。

特に、これらデジタルの機器を介さず遊ぶことのでいるゲームを「アナログゲーム」と分類する。

 そんなアナログゲームの中で、私が最近遊んだのがこれ!

モンスターメーカー」である!!

 

モンスターメーカー(最新版)

ゲームデザイン鈴木銀一郎

■販売:アークライト

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このゲームの詳細についてはこちらのリンクを参照してほしい。

モンスターメーカー - Wikipedia

ルールは簡単。

プレイヤーはダンジョンに潜り、そこで手に入れたお宝を持ち帰るというもの。

その持ち帰ったお宝の配点を合計し、勝敗を決める。

時に、モンスターを使役して、相手プレイヤーのゲーム進行を妨害したりもできる。

6個のダイスと、イラストの描かれたかーどを使用する、オーソドックスなアナログゲームである。

ルールも簡単で、一見単純に見えるゲームデザインも、二度三度と繰り返し遊んでいくとそのシステムの絶妙さがわかってくる。

またカードのイラストもかわいらしいのが、ゲームに対するプレイヤーの没入感と高揚感を増長してくれる。

 知人に教えてもらい始めたこのゲームだったが、次第に駆け引きに熱を帯びてくると、これが結構頭を使う。

でも、それは難しい問題を解くような嫌な感覚ではなく、純粋に「どの手を使ったら面白いか」というゲームの面白さに起因する感覚である。

これが30年前に登場したゲームというから驚きで、自分のゲームに対する視野の狭さを思い知らされた次第である。

世界にはまだまだ面白いゲームが存在するのだ。

 これからはビデオゲームに限らず、アナログゲームにもアンテナを向けて、

奥の深い「ゲーム道」を突き進みたいと思う。

とにもかくにも、「モンスターメーカー」はおススメ!!

ファイナルファンタジーの正解とは?

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初めに、私は「ファイナルファンタジー13」が好きである。

多分、シリーズで一番好きなタイトルだと思う。

ファイナルファンタジーは説明不要の国民的RPGである。

しかし、このファイナルファンタジー13は数あるシリーズ作品の中でも、特に好みの分かれる作品として有名だ。

何が本作をそうたらしめるのか。

これは本作の抱える以下の要素が原因である、と私は考える。

■ストーリーに専門用語が多い

■マップが一本道

■RPGの醍醐味の「街」がお店が存在しない

この三つでユーザーの不満お大いに刺激をしてしまったのではないだろうか。

こんなに面白いゲームなのに何がいけないのか、私個人の検知で申し訳ないが、少しまとめてみたいと思う。

 まず、最初に、「専門用語が多い」という点に関して。

日頃からネットやゲームに触れる方はご存知だと思うが、「パルスのルシが~」というユーザーに対し説明不足な単語と世界観で構成された物語が終盤まで続く。

「なんだこれ、ライターの頭の中で完結してて全然わからん」というのも、実際遊んでみると感じる点ではあった。

その点はネットでも強く言われている点でもあって、私以外の多くの人たちも同じことを感じていたに違いない。

しかし、決して説明不足かと言われれば決してそんなことはなく、プレイヤーが後で物語を補完できるように、ゲーム内で辞典が用意されている。

これを参考にすれば、少しづつ物語にも慣れて、深くその世界観にも理解が生まれてくるハズだ。

まあ、テキストでの説明ということもあり、意外とユーザーはテキストを読まずに飛ばしてしまう傾向が強い。故に、「世界観」と「独特な単語」で、このゲームの評価を一蹴に伏してしまうのは非常にもったいない点である。

単語や世界観はゲームを構成する重要な要素にちがいないが、その点で説明の少ないゲームはほかにもあるし、それを売りにしているものもある。

今作が上記の要素でとやかく言われるのは、「ファイナルファンタジー」というある種、ユーザーの「期待」と「ブランド力」が常に大きくなってしまっている事が原因の一つとなっている為だ。

 次に、「マップが一本道」ということに関して。

RPGとは一般的に、ひとつユーザーに世界が提供され、そこを舞台に冒険するイメージがあると思う。

マップ一つにおいても、東西南北に広がっているため、どこになにがあるのか、プレイヤーは町や村で得た情報を頼りに発見するカタルシスがある。

そこまでの道程は全くの自由選択ではないにせよ、プレイヤーは比較的自由に自分の考えを反映させて行動計画を練る楽しみがあるものだ。

しかし、今作はそれが全くと言っていいほど存在しない。

物語は章仕立てで、マップは物語を構成するいち要素にとどまり、プレイヤーは

「この先になにがあるのか」というこれまでのRPGに存在した楽しみを、ゲーム自体に取り上げられているのだ。

「あなたはこの道を行けばいいんです」という、メーカーに敷かれたレールの上を歩くのが今作といえば分かりやすいだろう。

そこに、プレイヤーの思考や計画が介入する余地はない。

広い開かれた世界を冒険できるはずだ、そう思って始めたプレイヤーはここでも面食らったに違いない。

プレイヤーがそこで感じたのは、ゲームに対する「閉鎖感」だったのだろう。

これに関しては私が強く感じたところでもあり、過去のファイナルファンタジーの提供してくれた冒険とはだいぶ違っていた。

挑戦的ではあったが、これまでシリーズを遊んでいた人たちからしたら受け入れがたかっただろう。

これに関して言えば、マップ移動に関する時間を最小限にし、今作の売りの一つである戦闘システムや映像美、音楽に没頭できる時間が増えるとも肯定的にとらえることができる。多分。

 最後に「街やお店の存在が皆無」という点。

厳密にいえば、街やお店は存在する。存在はするのだ。

問題なのは、上記の要素の構成である。

今作の街は、存在はしているが、既存のRPGに多くある、「そこでの自由な行動」が大きく制限されている点にある。

今作の街は物語で立ち寄るだけで、自由にその中を移動したり、そこでの経済活動に介入したりということができない。

前述のとおり、今作のマップと動線は一本道なので、プレイヤーはその場所で展開されるキャラクターの物語をただ傍観する様式に近い。

お店も存在はするが、「武器屋」「宿屋」「道具屋」など過去のシリーズ作品や、他の既存RPGにあった、「お店個々に建物があり、そこで買い物をする」ようなものではなく、要所要所で小さな端末が存在し、それが一括して「お店」の要素を担当している。

現代人なら実店舗に行かず、パソコンやスマホの画面から買い物をする機会が多いだろう。今作はゲームの中で、現代人の買い物スタイルを再現しているに近い。

現実では便利だなぁと、その恵みを享受できるのだが、ゲームではこの要素が「没入感」というプレイヤーが重んじる「非現実の楽しみ」を阻害しているのかもしれない。

電車で一本で移動ができ、遠くの相手ともすぐに話ができたり、実際の世の中は非常に便利に発展はしたが、時にその便利さとはかけ離れた手間が愛おしく感じてしまうこともある。今作でのこの挑戦的な要素は、この感覚に近いだろう。

 以上、私が考えるファイナルファンタジー13の抱える三要素の考察である。

ファイナルファンタジーの背負う重責はとてつもないものがあるし、毎度新作が出るたびにシステムがガラッと変わるのも特徴の一つだ。

似ているようでも、分解すると全く同じシステムを扱っているファイナルファンタジーは、もしかしたら無いのではないだろうか。

故に、各シリーズ作品でもファンの意見は大きく分かれ、それぞれが「ファイナルファンタジーの正解」を持っている。

しかし、今作は指先一つで戦略を切り替える「オプティマ」や相手の防御を崩し、大ダメージを与える「チェーン」と「ブレイク」など、画期的な要素はいくつもあるし、分かってくるとこれがとても面白い。

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↑これが「オプティマ」。

 画像だけではわかりにくいので、詳しくは動画などを参考にしてほしい。

 

爽快感もあり、このシステムは評価されている点だろう。

私はこのシステムのほかに、楽曲や、今作の世界観も好きである。

しりすぼみになったが、私のファイナルファンタジーの正解は、だれが何と言おうと

この13なのだ。

ストーリードリブンなゲームなのは確かに難色を示す箇所もあるが、そこだけでダメというには非常にもったいない。

RPGとしてのユーザーの没入感を廃し、傍観する立場としての見方を強めてしまったのも、また事実。

ビッグタイトルの看板や立場もあるが、次のファイナルファンタジーがどんな挑戦をするのか毎度楽しみになってきた。

13を超える「正解」はあるのだろうか?

それは期待でもあるし、私個人の探求心でもあるのだ。