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都内の女子大生の想像。

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わたしという人間は一人しかいない。
わたしは誰でもない「わたし」の行きたい方向に進み成長していきます。

それを、遠くに行ってしまうだとか言われても、それはわたしの知ったことではないのです。

それならばついてこいよ と。

わたしの足を引っ張って折って
同じ場所に留めることで
あなたはそんなにも嬉しいのでしょうか。

わたしは、成長したいのです。

恋人と私のこと

わたしはことばにするのが怖くて(それだけじゃない、適当な言葉が見つからないから、いちばん近いことばで表現したところでそれがわたしの感情のすべてになってしまうとしたら悲しい、、)
いつだってウソのことばに色をのせて、間をとって、必死にホントウの気持ちを伝えようとする。
恋人にはそれが一切通じない。つらい。もちろん、わたしのしていることが甘えだということは分かっているよ。

彼にとってはきっと言葉が全てだ。なのにわたしはいつも同じことをして悲しくなる。

彼は自分のことを発達障害なのだと言う。きっと本当にそうなのだろう。詳しいことはよくわからない。
わたしは「彼」を知りたいの。
彼はわたしのことに限らず人の気持ちを察するということが苦手だ。驚くほどに、苦手。
わたしだってできている自信はないけれど。
しかし恋人にはそれを期待してしまう。だって、いちばん心を開いていて、いちばん親しい存在なのだから。

「空気を読む」ということをわたしたちはわたしたちが思っている以上にしているということに気づく。
そしてわたしは他人に何と言われようとそれを心地よく思うの。

こんなにも相性が悪く思えるわたしたち、どうして一緒にいるのだろうね。

劇団チョコレートケーキ『60'sエレジー』を観た

 

劇団チョコレートケーキの『60'sエレジー』を観た。

わたしの生きていない1960年代、その時代に日本で生きていた人々、2017年に生きる私。

観客は老若男女様々だった。わたしが見た舞台と、同じ時間わたしの隣に座っていた男性が見た舞台は、きっと別物。

私たちの見ている世界は本当に実在しているのでしょうか。

こんなことを言うと厨二だとかそんな言葉でバカにされるかもしれません。それでもいいんです。