1日チャリ旅!各鉄道会社の「大和川橋梁」を巡る!!(その1.5:堺の街に残るC11を訪ねて...+α)
お待たせしました。(たぶん誰も待ってないけど)
↑の記事の続きとなっております。
前回はとりあえず自転車を借りるまでを記事にしましたね。
今回の記事は前回に引き続き大和川橋梁巡り、その第1.5回(?!)となります。
タイトルのとおり...まだ「その2」ではないんですよ。
そう。まだ本題に入らないんです、実は。
ただでさえ時間がないのに、
あろうことか道草を食っていたんです、私。
馬鹿です_(:3」∠)_
ということで、今回は観光案内所~大和川河川敷、つまり旅のスタート地点までの道中にあった様々なことをタラタラ書いていきます。
最初の道草は観光案内所を出てすぐ、阪和線の線路に沿って北上していた時。
看板に103系っぽい電車が鎮座しているではありませんか。
看板に旧形式が残るのはよくある話ですが、この時は何故かそれがイヤに目に留まり...
つい225系5100番台と絡めて撮影しちゃいました。
この踏切を往く列車はラッシュ時以外はそれなりの速度で通過するので、SONY α77の秒間12連写がなければ収めるのに余計に時間がかかるところでした。
ちなみに撮影中...
このお方も登場。そう、
ハローキティはるかさんです。
構図を決めるための練習電のつもりでしたが、まさか来てくれるとはびっくり。
...とはいえ、このまま踏切に長時間居座るわけにもいかないので...
と胸に誓い、大和川へと急ぎます。
私が小さい頃はここはシンプルな地上駅舎で、JR↔南海を行き来できる乗り換え改札も備えた機能重視な構造でしたが、現在は南海の改札だけが橋上駅舎へ移動しました。
JRと南海の改札が上下に分離し乗り換え改札が消えてしまったので、私としては少し不満もあります。
とはいえ、この橋上駅舎は商業施設を備える立派なもの。屋上には緑化された広場もあります。
南海高野線の踏切を渡ってさらに北上します。
高野線には今(2019年2月現在)も、コルゲートを備えた車齢30年を超える重厚なステンレス車両が200両程度在籍しており、写真のような重々しい車両同士の離合は日常茶飯事。
LCDモニタを備えた駅設備と、そこに鎮座する古参車両...というギャップの大きさ。
これは関西の私鉄全般に言えることですね。
その下をくぐるように阪和線の駅舎があります。
こちらは快速も止まる主要駅。各停と準急行しか止まらない南海とは対照的です。
南海が橋上駅舎化されたあともJR側の駅設備は基本的に変化がなく、ごく一般的な阪和線の駅の趣を残しています。
しばらく県道沿いを進むと、今回の記事のメインが見えてきます。
焼肉屋「はや」さんにて保存されている...
C11型機関車218号機
です。
こちらの機関車、同所にあった解説文によると...
昭和48年12月24日 釧路鉄道管理局機関区へ配車
昭和50年 1月30日 廃車
最終路線 北海道 標津(しべつ)線
最終走行距離 148,3872.9km(地球の約37周分)
とのこと。
そもそもC11型蒸気機関車というのは、第一次世界大戦後支線区に転出した古い蒸気機関車たちを置き換えるべく島秀雄らにより設計、製造された小型のC10型蒸気機関車を、線路の貧弱なローカル線により適するようにさらに軽く改良した形式です。ゆえに使い勝手がとても良く、400両近く同設計の車両が製造されたと言います。
今回のC11-218はどうやら日本車輛で製造されたようで、この車番は3次形にあたります。
敷地外から見られる範囲、時間が許す限り(許すとは言っていない)じっくり観察。
車番。
18-55で引き目の記録。
85mm単で切り取る。
屋根もない環境下での静態保存ですが、比較的綺麗な状態を維持しています。火を入れれば今にも動き出すのではないかというくらい...
木に隠れているのでうまく観察できませんが側面も。
時間もなかったので簡単な取材でしたが、状態は比較的良好で一見の価値はあります。またあらためて訪れてみたいところです。ついでに焼き肉も頂いてみたいところ。
C11に別れを告げ自転車を進めます。
自転車用信号機を発見。なんだか普通の信号機をそのまま横倒しにしたような感じ。
ゲオの前の交差点にて。
...いやいや、ガス管どこだよ。
周囲に作業員が居そうな雰囲気もなく、歩道の端に置いてある状態。ここは市街で人通りも多い道なので、夜中に誰かにいたずらで引っこ抜かれたのかも?
堺市にはほかに鉄道主要駅として、南海本線の「堺駅」、阪和線の「堺市駅」があり、名前からすると、
「堺東駅は市街のうち東のはずれにある小規模な駅ではないか?」
と感じてしまいますが、実際この駅は市街のど真ん中に位置しており、ご覧の通り巨大な駅ビルを構え、堺市の中で最も乗降客人数が多い駅です。また「泉北ライナー」以外の優等列車の全列車が停車します。
堺市役所はこの駅が最寄りであり、また地域で随一の進学校である三国ヶ丘高校へも、この駅からのアクセスが一般的となっています。
駅前には「暴力排除宣言都市 堺市」との文字。奥には今にも駅に入線せんとする泉北高速鉄道の車両が見えます。
(泉北高速鉄道は、高野線と相互直通運転する南海のグループ会社)
駅前には大きなバスロータリーがあり、堺東を拠点として様々なバスが行き交います。
市街を貫くように、堺東駅ー堺駅を結ぶ金色のシャトルバスも運行中。
さらに大和川に差し掛かるまでひたすら北上します。県道12号線をくぐり市街を抜けると景色は一変。住宅街、店と町工場が同居する、大阪らしい町並みが現れます。
さらに北上していくと...
軽い上り坂が現れます。まもなくこの道路は大和川を越えようというところです。
そして...
到着です。
いや~、長かった。無駄に。
次回こそは...本格的に橋梁を見て行こうと思います。
お楽しみ...にはせずに、白い目でお待ちください。
1日チャリ旅!各鉄道会社の「大和川橋梁」を巡る!!(その1)
どうも。Twitterにて、怠惰な生活を打破するために何をすればいいか募ったところ
「鉄道橋を見てみないか」
とそそのかされたプリズムです。
近場で橋がたくさん見られる場所はないか..ということで、私の家から一番近い(と言ってもそれなりに距離はありますが...)一級河川である
を自転車ひとつで巡ってまいりました。
・大和川とは?
(Googleマップより抜粋、大和川の流路外形を青色で示す)
大阪府内を流れる現大和川のうち、大部分は江戸時代(1700年代初頭)に治水事業により付け替えられたもの。
このとき、水害が起こらぬよう大阪平野を一直線に貫くように川が敷かれました。
(かつての大和川は、上の画像の「柏原市」の文字のあたりから北へ向きを変えるルートをとっていたようで、この大きな蛇行の影響で水害が非常に多かったようです。)
それから時が経つこと200年。大阪府にも鉄道が芽生えます。
地図を見てもわかる通り、大和川は大阪を南北に隔てる大きな河川であり、ゆえにここを乗り越えようとする鉄道会社も数多く存在しました。
現存最古の純民間資本由来の私鉄である南海電鉄が、そのもととなる「阪堺鉄道」を開業させ、大和川に橋梁を架橋して以降、現関西本線、現南海高野線、現近鉄道明寺線、現阪堺電鉄阪堺線、現近鉄大阪線...と鉄道橋の架橋が続いていきます。
前提知識おわり。
今回の旅は、この「大和川」の下流側から遡り、それぞれの会社の
「大和川橋梁」
をひとつずつ見ていこうという企画です。
(後述の通り鉄道以外にもいろいろな出会いがあり、サイクリングという意味合いでも十分楽しめたのですが。)
ということで、まずは今回の旅の概要です。
・百舌鳥にある堺観光案内所のレンタサイクル(電動でない)を用いること。
・ゆえに、貸出期限の16:30までに同所に帰還すること。
・橋梁では「全体像」「銘板」「橋を渡る列車」「自転車との2ショット」の四枚の写真を収めること
・目標は関西本線の第四大和川橋梁(特殊な構造で有名な橋です)
・使用するレンズは
1.SONY DT 18-55mm F3.5-5.6 SAM II
2.MINOLTA AF 85mm f1.4 G
の二本のみとする。
このルールに則り橋梁を巡っていきます。
この中で最もネックとなるのがレンタサイクルの返却時間。
往復距離は50kmを超える中、取材を交えつつ16:30までに帰還するのは容易ではありません。
そのため、観光案内所からの出発はできるだけ早い方がいいなという結論に至り...
結局出発は観光案内所が開いてから30分後の9:30となりました。((9時から行けよ
と、いうことで今日一日お世話になるレンタルチャリとご対面。
...
圧 倒 的 マ マ チ ャ リ
レンタル料金もたかだか300円。軽くて漕ぎやすいスポーティな自転車が欲しかった~!!なんてことはさすがに言いませんけど...
前かごに覆いかぶさる灰色カバー、でかでかと鎮座する「堺」の文字。
なんというか色々な意味で大阪らしい風貌。
これ使って奈良県に突撃しようとするバカが私以外にいるのでしょうか...(反語)
案内所のおじいちゃんに見送られながら、ママチャリで行く大和川橋梁巡りはスタートしたのでした...
キリが良いのでいったん区切ります。次回記事をお楽しみに。
(特別待ってる人はいないと思うけど)
(追記:2019/03/04) 次回記事が完成しました。
まだ本題には入っていないのでその2ではなくその1.5としています。
はやく大和川橋梁を見せろと言う方はもう少しお待ちください...
MINOLTA 50mm f1.4について
近頃父親の所有するMINOLTA製単焦点レンズで様々な撮影を行うようになった。
そこで、それらのレンズをα77にて使用した感想を暇つぶし程度に適当な記事にまとめていきたいと思う。今回は AF 50mm f1.4について。
MINOLTAからかつて発売されていた単焦点レンズ。
のちにNewと題される後期モデルが登場し型落ちとなり、さらに現在では同等のレンズがSONYからもラインアップされているためにF1.4の明るさを持ちながら比較的安価で入手できる。
初期のMINOLTAのAFレンズの例に漏れず端子は5極になっている。
手のひらに収まるサイズであり大変コンパクトである。
PENTAXの同時期のレンズ(smc PENTAX-FA 50mm F1.4)が寸法が近い。
(少し前に発売された後継レンズ『HD PENTAX-DFA★50mm F1.4 SDM AW』はかなり大きくなっているようだが...そのぶん性能は折り紙付きのようだ。)
描写について。
基本的には柔らかなボケ味と描写が得られる。逆に言うと柔らかすぎて解放付近では甘さを感じるので少し絞るとキリっとした解像が得られる。
特にF1.4では露出高めの状況で線が滲んでしまうため、特段描写が良いとは言い難い。
どうしても明るさが欲しいとき、周りに明るい物体がないときなどでなければ、(デジタルカメラで使用する際は特に)f1.4の使用を避けるべきである。
(作例では鉄道模型の車両ケースを写したが、白いスレ周辺に滲みが出ていることが分かる)
普段は最低でも1,2段は絞って撮影することを勧める。f2.8あたりまで絞ると滲みは完全に消える。
注意すべきなのが、このレンズは設計が古く円形絞りが採用されていないということ。
点光源があるとボケが多角形に化けてしまう。ゆえに絞り過ぎも禁物である。
(Newではきちんと円形絞りになったようである。)
また、この手のオールドレンズとしては当然だが基本的に逆光耐性はないものと考えてよい。
ちなみに死ぬほど存在感がないが、実は鏡胴に内蔵フードを有している。
しかしほとんど効果を感じなかった。
f1.4ということで口径食も気になる頃。むしろ使わぬ方が良いかもしれない。
福知山の個性的な113系、115系を訪ねて...後編
お待たせしました、後編です!(誰も待ってはいないと思いますが...)
私の超マイペースな性格上更新速度はお察しです...
その気になるまで一切更新しません((ブロガーに向いてまへんなぁ
まあまずは、みんな忘れてる前回のおさらいを軽~く。
天文部の合宿に来たけど曇ってるから電車撮ってたよ!!!!!!!!!
おさらい終わり。
では本題へ。
さて、ここを通過する223系もそろそろ新鮮味がなくなってきたところで色々と撮影方法を思案し始めます。
なんだかんだ暇なんですね。(だって一時間に数本しかないんだもん!!)
これで本数が少ないとか言ってたら、今夏大井川鐡道へ寄り道するときどうなるのやら...
大井川鐡道はこれですよ...
出典(えきから時刻表 駅時刻表)※画像は2018/08/17現在
ああ、少ない...
あ、ついでに予告いたしますと。
私プリズムは8/29~8/31にかけて...
人生初の関東上陸を予定しています。(岐阜より東を知らない大学生とはいったい...)
私としては非常に楽しみです。
しかし...ブログ化するまで果たして何年経つやら。
期待せずにお待ちください。今回は常磐線をメインに取材する予定。
話を戻しましょう。
暇つぶしに生まれた構図がこれ。
少し右にずらして日の丸を回避してみました。
短編成は日の丸に陥りやすく困ります...
しかしその分活かし方を思案する手ごたえや面白さがあるというもの。
そうこうしているうちに
今度の列車はダブルパンタですから115系の可能性もあります...
福フチでは異色な115系平たい顔は現れるのか....?!
ごくり...
ズコーーーーーー!!!!!_(:3」∠)_
嗚呼、嗚呼...チャンスが残り一回になってしまった...
これが京都側先頭車ならまだワンチャンあるんですけどね...
さて。豊岡側先頭車がこのお顔ということは...
はい。
113系5300番台 40N(もどき)更新車ですね。
車番曰く、彼はS4編成というらしい。
5300番台の最大の特徴であった連続した戸袋窓が消滅しています。
どうやら戸袋窓の枠のHゴムから車体が腐食することが戸袋消滅の原因のようで。
じゃあほかの戸袋も埋めろよ...
しかし、車端部の二枚連続した窓は健在。
(この窓が1枚なら115系、と前回紹介しましたね。)
そこがまだかろうじて彼が113系であることを物語っています。
あ、ちなみに彼...
車内は未更新なんです。(ボソッ)
40N「もどき」最大の所以。
とまあ、ここでいったん宿に戻って部活として飯を食い、レクをやり...
(そういえばこれ天文部の合宿だったなあ...)
やってまいりました。
夜、これが最後のチャンス!!!
今度こそ115系...彼の平たい顔を収めてやるのです!!
昨日はこのスジだったので正直同じ車両が来る可能性は少ないと思いましたが最後の一回に望みをかけて...
いざ!!!
は~い。お疲れ様~。
どこからどう見ても113系5300番台ちゃん
です。ありがとうございました。
しかし...
自動ワイパー位置に怪しい痕、手動ワイパーの根元がギチギチ...
これまでお話してきたネタを詰め込んだようなヤツ
が登場してくれました。
まあ、いいか。
そんなこんなで福フチの113系に翻弄されながら、
結局三日間天体観測は一切できず天文部の活動は終了。
残念なのかいい思い出なのか...。
まあ、何もしないよりはきっと良い思い出になりました。
ではでは。
私が次に書く気が出るまでさよ~なら。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
やあ。カッツカツのS7編成だよ。
ちなみに前回言い忘れたのですが、S7編成の手羽止めは38000番台のものを流用しているらしいです
サンパチの数少ない遺品のようなので、5300番台がいなくならないうちにぜひ一度ご覧ください...。
福知山の個性的な113系、115系を訪ねて...前編(ちょっとした南海ネタも...)
どうも。
大分前の話になりますが3月17日にダイヤ改正が実施されましたね。
なんといっても、スカイブルーの205系が奈良線を行く光景がとても印象的です...。
で、そんな中私も変わりゆく景色をずっと張り付き取材
したかったのですが...
実は3月15日から17日まで、私の所属している「天文研究部」(鉄研と兼部中)の合宿が行われまして、これがダイヤ改正の日を見事に跨いでしまったのです。
そのため、合宿の宿の立地的にB快速,205系,103系に続きまして今回狙うのは...
山陰本線ということになりました。
そこまでダイヤ改正と関係ねぇ...
今回の合宿の宿泊地からほど近いところに山陰本線の線路があるのです。
なにしろ天文の部活ですから昼間はさして忙しくありません。
ならば、ダラダラする時間がもったいない...ということで。
末期色地帯岡山周辺、
はたまた紀勢線などを思い浮かべる人が多いかなあ、と思います。
ちなみに虫の息ではありますが、末期色地帯では現在も湘南色の115系も2本だけ残っているとのこと。
福知山周辺の113系といえば、どうしても3800番台ことサンパチを思い出してしまいます...
(残念ながら写真は保有していないので貼れませんが...)
現在113系3800番台は全車廃車になっており現存しませんが、それでも現在福知山周辺で113系,そしてわずか一編成ながら115系も活躍中とのことです。
そしてその車両たちも実はなかなか個性的。そんな彼らの記録を簡単な紹介を交えてお伝えしたいと思います。
...と、その前に。
行き道でちょっとした事件がありまして...
なんということでしょう...
しぶとく生き残っていた天下茶屋の反転フラップ式(パタパタ)の行き先表示器が...
LCDモニタに更新されていました。(この記事が完成したころには過ぎた話題になっていますけど...w)
これを撮影した当時は3番のりばのみの設置だったので、隣の高野線2番のりばのパタパタとの共演が見られました。
天下茶屋駅の利用者は皆、見慣れないLCDモニタを物珍しい目で見ていました。
(皆がLCDを見て顔を上げていたため掲載にあたり利用客の顔を隠す修正が大変でした...笑)
そして、これを観察するために天下茶屋駅に降り立った私は本来の目的地に出向くために...
本線の準急行を利用しました笑
これは意図していませんでした。ラッキー。
南海の小ネタはこれくらいにしておきまして、本題に戻りましょう。
まず113系と115系を狙うにあたって考えておくべきこと。そう、車両のやってくる時刻です。
合宿は3日間あるのですが、3日目は朝早くに宿を出発せねばならないので実質チャンスは2日。
そして調査によると、宿のある豊岡ー福知山を113系が通るチャンスは1日4回(うち115系の可能性があるスジは2本)。
その中でフリータイムと被っているのは1日目は2本,二日目は3本でした。
115系が狙えるのは両日一回のみなので、かなり練習回数は限られます。
ということで...
宿に近い場所で、撮影地になりそうなところを探索した結果、この場所になりました。
もう30分くらい頑張って足を伸ばせばもっときれいな田園風景と113系、115系を捉えられる場所はあったのでしょうが、本数が少ない分今回大切なのは確実に捉えること。
撮影地に向かう途中に列車が来た...なんてことになったら泣くに泣けません。確実性と宿近を重視しました。
ファインダーをのぞくとこんな感じ。典型的なカーブ構図です。
しかし、右手に背の高い雑草がかぶさっており、長編成を流れるように記録することは無理そう。
2両編成でやってくる113系や115系を捉える分には問題ありませんが、比較的長編成の287系や289系を記録する方法の模索には苦労しそうです。
反対側はこんな感じ...といえど、これは遮断機が開いているときに撮影したものであって、福知山方面への列車をこの方向で撮影するのは難しそう...
関係ありませんが、なんかすごく上下に揺らされそうな線路ですね...
そうこうしているうちに、1本目の通過を予告する警報器が鳴りだしました!まず1本目は113系のみがくるスジのはず...!緊張のまなざしでファインダーをのぞくと...
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
これはお見事。全体に緑色だけをまとった、デザインを諦めたド単色。
京都には必ずしもミスマッチではありませんけど。
某アニメの主人公に「一面のクソミドリ」とか言われてしまいそう...。
すかさずケツ打ち。単線を2両で、ゆったりと過ぎ去る113系というのは、東海道線を長編成で爆走している姿とはまた違った趣を感じさせます。実に良い。
とまあ、今回は写真の枚数が少なくなるのが必然なので個々の編成についても簡単にご紹介。
今回やってきたのは113系5300番台、S9編成と呼ばれる車両です。
この5300番台グループ...なかなか面白い特徴を持っています。
まず側面をご覧ください。
...どこか違和感を感じませんか?
注目すべきは窓配置。
この車両の戸袋窓...
一番前のものだけ、二つ連続しています。
なんでやねん。
...といいますのも、この車両ワンマン運転に最適な改造が施されているのです。
こいつら、もとは113系0´番台として新製されたモハユニットだったのですが...
1996年の山陰本線の福知山~園部間の電化に伴って、1995年から1996年にかけて2両編成のクモハに改造され、福知山にやってきたのです。
その際...(お古の111系等から取ってつけた)運転台側のドアを前方に移設(運賃収受の効率化のため)、それに伴って戸袋窓も前方に移動...
せず。
なんと新しい戸袋窓作っちゃいました。
もう窓作らなくていいから埋めちゃえよ。
その後高速化改造を受け、5300番台に改番したりして現在に至ります。
※ちなみに、のちに40N更新(のような何か)を行われた113系5300番台についてはこの戸袋窓が埋められたようです。妥当なような、残念なような。
ちなみにこのS9編成なんですが...
緑色の棒のようなもの...
これは、この辺りの113系や115系でしか現存しない貴重な手動ワイパー。
...なんですが、鉄仮面が何やらアヤシイ。
手動ワイパーの付け根、無理やり取り付けたのかかなり窮屈なご様子。本来であればこの部分には四角い切れ込みが入っているはず。↓↓↓
まあ、取り付けることさえできればどうということはないのでしょう。もう、根性です。
(S7編成については後程。)
そんなこんなで一本目を見送った私。
しかしどうせ来たのだから113系や115系以外も撮影しようじゃないかと。
こちら、223系5500番台さん。113系5300番台と同じく福知山にやってきた113系5800番台とサンパチ(3800番台)の置き換えに登場した車両です。
12両編成、130km/hで普段からぶっ飛ばしてる223系1000番台や2000番台、あと3000番台などと同じ形式には見えないほどののんびり感を漂わせながら、谷間へ消えていきました。
223系はバリエーションが多くて面白いですね。U@techも含めて。
...しかし、223系の増備が終了した今、113系5300番台を置き換える車両は227系になるのでしょうか...?さすがにもう223系は作らないでしょう...
線路挟んで反対側からの撮影。
いったん宿に戻り再び訪れましたので、時間が遅くなり周囲も暗くなっていました。
(ちなみに曇天。天体観測はできませんでした。)
夕暮れの鉄道というものは、焼け空でも曇りでもなにか惹き付けられる魅力があります。
さて、次にやってくるのは運用情報によるとダブルパンタ113系か、115系のどちらか。
次にここを訪れるのがいつになるかがわからない私としては、バリエーションが豊富な方がうれしいので115系であってほしいなあ...と思いながら最寄り駅にお邪魔します。
利用客や車両の通行の邪魔にならないことだけは十分に確認し、車両停止位置より手前の点字ブロックの内側に三脚を立てさせていただき構えますと...
...さて問題です。
(スカートに書かれてる編成名は見ちゃダメ!笑)
しんきんぐたいむ。
これだけではどうにも見分けがつきにくいですよね...笑
分からない人のために解説します。
まず、福知山電車区に現存する113系は現在5300番台のみです。
そして、40N更新のような何かを行われていない113系5300番台は全員「鉄仮面」(前面窓枠が金属でできている車両の総称。昼に撮った113系の写真を参照)。
すなわち、この写真に写っている車両は113系5300番台の40N更新車もどきか、115系6500番台(R1編成)のいずれかです。
では、そこからどう見分けるのか...。
ここです!!
...わかるかな?
113系5300番台もとい300番台のもう一つの特徴として、
↑拡大図↑
「車端部の窓が複数枚連続している」
ことが挙げられるのですが...
上の写真では、車端部には一枚しか窓がありません。
...ということは...
このお方...115系です!!!
(スカート見たら一目瞭然とか言わないの!!)
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
なんとまあ、狙ったように来てくれました、115系!!
福知山の115系は現在R1編成のみが在籍しているので、かなりの少数派。
いやあ、運が良かった。
...余談ですが、このお顔は世を忍ぶ仮の姿...反対側の先頭車は...
左のように空気抵抗を完全に無視した顔をしています...
(あくまでイメージで運転台の高さ等実物とは異なります)
本当は実車の写真を用意したかったのですが、どうにもあたりが暗く反対側先頭車を収めることができませんでした。残念。
その後しばらくしてやってきた223系もファインダーに収めてみますが堂々の
ハイビーーーーム!!!
いやあ、素晴らしいお光をありがとうございます(白目)
とまあ、これ以上いて一時間ぐらい後の223系なんか待ってても仕方が無いので今日は撤収。
...ちなみに、天体観測に向いている土地にやってきたのですから、そのぶん夜になると真っ暗になります。本当に明かりが何もありません。スマホのライトのみが頼りです。おまけに撮影の途中から小雨まで降りだすありさま。ああ心細い。
舗装された道でさえこの暗さなのに。
これから私は山道を往かねばならないのです。辛すぎるぞ...
なんとか帰れたんですけどね。
正直大型の野生動物が出てきてもおかしくない環境でしたので本当に怖かったです...。
気を取り直しまして時間帯は二日目の昼に移行します。
天気は引き続き小雨。天体観測なんてできたもんじゃあない。
普通列車こそ2両編成が主ですが、特急列車に関してはなかなかの長編成で通過していきます。
大阪にいるときにもよく見る289系ですが、こうして旅先で見ると不思議な気持ちになります。普段何食わぬ顔で身近を通るけれども、その前後に毎日こんな辺境まで来ているんだなあ...と。くろしお289系なども同じなのでしょう。
さて、そうこうしているうちに本日最初の113系がやってきました。先日最初の撮影と同じスジです。
カツい!!!!!!!!!
がっちり構えて待っていたのですがここで未熟さが露呈してしまい、シャッターが遅れてしまいました。
まあ、カツカツでもなんとか車体は収まったのでまだ良しとしましょう。
この車両はS7編成。一日目のS9編成の手動ワイパーの付け根を突っ込むときに引き合いに出した編成です。
こいつの手動ワイパーの付け根は特に窮屈さを感じません。
しかし...よく見てほしいのはそのすぐ横です。
な ん だ こ の 怪 し い 痕 は 。
S9編成にはなかった謎の痕があります。
答えは単純明快。この部分には本来...
上の写真のように自動ワイパーがあるんです。
鉄仮面を取り付けるときに在庫がなかったのでしょうか、手動ワイパーの車両なのに自動ワイパー用の鉄仮面を流用して手動ワイパー用に変更したのでしょう。
5300番台の誕生も元々は工費を抑えたうえでの車両運用の効率化のためであったことを考えると、担当した作業員の方々の苦労が見て取れます...
113系や115系は低予算の改造による短編成化を施工された事例が多く、特に外見に苦労の痕が現れやすい傾向にあると感じます。
あまりに長いとダレてしまい、ここらで更新が止まってしまっていました(;^ω^)
後編はまた後日に執筆させていただきます!
リベンジマッチ!!B快速と[W]快速|湯浅行を狙って...&南海本線の準急行もいるよ
西暦2018年3月10日朝6時20分...
私は「メモリー残量不足」の表示の前にあえなく敗北を喫した。
だが...今の私はあのころ(つい二日前)とは違う...
「___LINEのトーク履歴をバックアップの上全削除し、1GBの余裕を得たのだ」
そうして磨きのかかった新たなる武器(一般的なスマホ)と勝利への確信を心に携えた私は再び新大阪へ出向くのであった...
...てなわけで、どうでもいい前座は早々に打ち切りまして本日はリベンジマッチです。
前回ぶった切られた撮影。それを今回は湯浅行の先頭に乗車することで回収したいと思います。
といいますのも本日は平日でございますんで、私の最寄り駅からもギリギリ先回りすることが可能なわけで...二度目の始発芸をかまして行ってまいりました。
今回は前回の乗車ルートではなく
先回りルートですので、新今宮からJR線へ出撃。
...と、何やら料金表がアヤシイぞ...こんな紙張りだっけ...?
じーっと目を凝らしてみてみると、納得。
ダイヤ改正後にJR総持寺と衣摺加美北の駅名が記された料金表が下から覗くのでしょう。
にしても、元の板を部分的に直接隠さずに紙を用意するのは何故...?まだしっかりしたものが用意できていないから、とりあえずデータから印刷したのでしょうか...。
いざ出向いてみると...なんかありました。
やはり利用客が多かったのでしょう、各駅で告知されているようで...。
とまあ、ホーム到着。
平日にしか運行されない普通電車が来るのをじっと待機します。すると...
なんと201系がやってきました。
これは嬉しい。
彼は2018年度末に大阪環状線からの撤退が明言されている車両です。
おおさか東線や関西本線では現在も主に普通電車として幅を利かせていますが、じきに新車に置き換えられることでしょう。
奈良はまだ103系が残っているくらいですし...ね。形式消滅はもう少し先のこと。
しかし記録を怠ってはなりません...
221系や223系、225系だっていつしか引退するのです。
今の時期の記録も大事...というのが日常鉄を名乗る私の持論です。
まあそれは本題ではないので置いといて。
大阪駅に到着です。すると正面に関空・紀州路快速を見つけました...が
なんと紀州路快速は海南行でした。
始発で大阪駅にやってくる機会なんて滅多に無いわけですから、大阪駅でこれを見ることができるのもあまりないのでは...と、珍しさも理解せずにあわただしく記録。
撮ったときには列車はもう動き出していました。
...と、寄り道している暇はないのです。
急がねば接続している普通が出発してしまう!
良い子はマネしないでね。
そして...
因縁の地、到着。
と、ここで今回のB快速が225系5100番台であることが判明。
意気揚々と待ち構えます。
225系5100番台登場ーB快速新大阪行廃止は数年の間の貴重なシーンであるという認識です。
そのうえこの車両はLEDの幕を持っていて終点での幕回しという行為も存在しないので、ダイヤ改正直前が実質最後のB快速|新大阪幕になります...
そして...まもなく入線!!
_(┐「ε:)_ズコッ。
B快速新大阪行き幕ちゃうんかい!!!!!!!
どうやら、西九条ー梅田貨物線のどこかを走行している間に、車掌がさっさと幕を変更してしまっていたようです。
早すぎる...野田か...もう野田か天王寺か、梅田貨物線の踏切に行くべきなのか...
...まあ、225系5100番台が新大阪駅に入線する姿もダイヤ改正で天王寺発になって見られなくなりますし、ね(白目)
苦肉の策として、車内LEDに写るLCDを撮影...
新大阪の文字と駅ナンバリング入りの画面のコラボは半年にも満たないのではないでしょうか...?まあこれはこれでいっか。
そして忘れてはなりません...
今回ここに来た一番の理由。
そう、前面展望の録画です。
緊張の一瞬。
先回りしてそそくさと清算して、到着と同時につけた良位置...撮影開始!!
録画ボタンを押し...
東海道線と別れ...
踏切を渡り...
環状線と合流し...ドキドキ。
運命の....
西九条!!!
到着!!!!!!!!
成し遂げました!!!!4K録画!!!!!!!!!
放送や電光掲示板表示の記録を行わなかったために容量の消費は抑えられ、問題なく全区間を記録することに成功しました。
B快速幕こそ記録できなかったものの、ついに梅田貨物線を走行する阪和快速の前面展望を記録することに成功しました!!!
...ということで、今回は新今宮で湯浅行きから下車。先日阪和線は張り付き撮影をしたので、今回は南海電鉄の今宮戎へ出向きます。
...とここで、朝しか見られなさそうな香りのする列車を発見。
奈良方面京都行き...?
...なんともはや。221系の京都行きではありませんか。
一見東海道線を思わせる行先と車両ですが、種別を見ると[D]普通。
...なるほど、こんな列車があったのですね。JR民ではない私はこんな朝早くにこの駅を利用したことがなく、ちょっと感動。何でもない日常なんでしょうけど。
続いて、普通奈良行がやってくるのを記録するため反対ホームへ。
朝日がまぶしいですね。さわやかな朝を思わせる美しい陽光、嫌いじゃないです。
より車両を記録しようとする人に言わせれば「ゴースト出てる」とか言われるんでしょうけど、私は乗務員さんに迷惑のかからないように、それでも好きなように撮ります。
ということで、RAW現像してみました。
私は、撮影のとき必ずRAWファイルも保存することにしています。
SONYのαマウントカメラは連写スピードが一つのウリですので、いざ連写の時にRAW写真に掛ける時間がそこまで問題にならないからです。(そのぶん大量のデータが発生するということになり、結果連写できる時間は短くなるんですが...)
なので、撮影後に自由に操作することができます。
自分の好みの焼けた色合いに...ぐっへっへ。
(RAW現像は障害物除去などの加工とはまた別の操作だと考えます。)
さて、今宮戎へ移動します。
まず出迎えてくれたのは新旧並びのこの二形式。
それも、新が普通で旧が優等という組み合わせ。老いてもなお優等を譲らないその姿が実に不死鳥、6000系らしい。
...しかし置き換えが発表されましたね。悲しい限りです。
せめてみさき公園に保存してくれたらいいのですが、カットモデル不可避...。
さて、ここに来た目的は単なる日常鉄ということもあるのですが...
来ました来ました...
準急ではありませんよ、準急行、ですw((ここが、南海電鉄アナウンスのこだわりポイント。
車両は最新鋭、8300系!!
この車両、南海電鉄の車両で初めて車内LCDを搭載したんですよね。デビューは2015年。
ちなみに南海グループの傘下に入った泉北高速鉄道ですが、こちらは初LCD搭載車7020系を2007年に導入。同年に南海は8000系を製造していますがこちらの車内はまだLEDでした。
競合路線のJR阪和線も2010年に車内LCD搭載車225系の5000番台をデビューさせています。
...いや...いくらなんでも南海、LCDデビュー遅すぎ。
...さて、準急行は朝三本上りのみ。そのうち一両はもう出発しており二本目も今記録したので、最後の準急行を記録して帰宅します。
7100系だといいなあ。
そんなこんなで待ち時間に問題の8000系がやってきました。外観は嫌いじゃないですが内装はこれまでの南海車より全力でコストダウンに走った感じ。当時の南海電鉄の経営状況を考えるとやむを得ませんが...車内更新後の1000系くらいが私は好きです。
11000系泉北ライナーがやってきました。
朝の上りなので多くの客を乗せていることでしょう。よく不調だといわれる泉北ライナーですが実情はそうでもなく、聞くところによるとこの便は6割ほど乗客を乗せていたようです。
ちなみにこの塗装は、泉北ライナー11000系としては四代目です。...デビューから四年で四パターンの塗装を持つことになった車両...他に類を見ないのではないでしょうか。
次にこんなものも見かけました。50000系ラピートの台湾桃園メトロラッピングです。最近よくラピートを塗装してますね、南海。これと同時に万博誘致ラッピングも施されていますし。...シャア専用ラピートで味を占めたのでしょうか。
お次にやってきましたのは泉北5000系。三大学のラッピング広告が施されています。
泉北車両のラッピングといえば...
こう、でかでか、ベッタリ貼り付ける(しかもパチンコ屋の広告の編成を真昼間に複数本走らせるという...)印象があったのですが。
今回のラッピングはそうではなく、種車の塗装ラインを意識した、広告という感じのしない爽やかなデザインに仕上がっていて美しく感じます。
さすがは文系大学、そこはオシャレに決めてきますね。
お次はこのお方。
そう、7100系!!しかも8両編成でやってきまして歓喜!!!
7100系8連急行なんてもう見られないと思っていました!!
今でも一応やってるんですね。
ちなみに、高野線の優等種別は準急行と急行がメインですが南海本線ではどちらもラッシュ時にしか運行されず、日中は空港急行やサザン、区間急行しかありません。
朝らしい光景を捉えることができて満足。
...と。そうこうしているうちに最後の準急行がやってきました!!
1000系の更新車が新今宮に見えます。
待ってましたと言わんばかりにカメラを構え、最大ズームから徐々に引k....
ってぉおおおおおおおおい!!!!!!
幕変えるの早い!!!
早いよ車掌さん!!!
まだ新今宮出たばっかりじゃないか!!!!
本日二度目。LED幕の「切り替え」の速さに泣かされる。
もうLEDの幕も時間かけて回っちゃえよ。そのほうが楽しいじゃん。(適当)
まあ、7100系でなくとも準急幕でなくとも一応は8300系の準急を捉えられたんだし、いいや。帰宅します。
お、おお...
なんと、よりにもよって平日の朝一本しかない、難波発各停橋本行きがご来場。
当該列車は6553f。
ちなみに始発列車はこいつの弟の6551fでした。今日はやたらと6200系50番台に縁のある日です。
そんな6200系50番台が各停橋本行になっているというのですから見逃す手はありません。堺東で急行に乗り換えて狭山駅へ先回りします。
ということでばっちり記録。
この駅、朝方は架線の影が大胆にかぶることもなくて良いですね。また足を伸ばしていつか来ようかな...
とまあ、こんな感じで本日の撮影は終了。
JRはもちろんのこと、朝方の南海電鉄へ繰り出したことがほとんどなかったのでいい刺激になりました。
ではでは、また次回の記事でお会いしましょう。
ご視聴ありがとうございました。
2018年春ダイヤ改正で消える光景を追って...(阪和線)
2018/03/17 内容差し替え
ダイヤ改正によってB快速自体が消滅したことが確認出来ました。
調査不足につきB快速は廃止にならないとの誤りを掲載したことをこの場でお詫び致します。
↓ここから本文です。↓
朝が弱い私が、今朝はAM4:00に起床して、30分で外出の支度を整えた...
本来ならありえない話なのですが、今日はそうしてまで見たいものがあって早起きを。
この記事の表題の通り、ダイヤ改正で消える阪和線の光景を追うためです。
ということで、最寄り駅から始発乗車芸をして、三国ヶ丘駅へと移動...
まず、私がわざわざ早起きした理由...
こちらB快速です!!!!!!!!
新大阪行き、とあります。
ご存知の方も多いと思われますが、このB快速は現在、
「和歌山方面から新大阪へ直通する唯一の快速」
なんです!
そして特筆すべきはその経路。
通常、関空・紀州路快速や直通快速は大阪方面へ乗り入れるときに大阪環状線行の幕を掲出します。そして京橋や、一周回って天王寺へと向かうわけですが...
このB快速、新大阪へ行くということで、「はるか」や「くろしお」の経路である...
"梅田貨物線"を経由するのです!
そして、前述の通りこの線を通る快速は一本のみ...あとの旅客列車はすべて特急です。
つまり、このB快速は、「特急料金なしで梅田貨物線を通れる貴重な列車」なんです!
しかし...2018年3月16日の来るダイヤ改正にてこの列車の新大阪乗り入れはB快速もろともあえなく廃止されてしまいます。
このB快速は新大阪到着後、快速湯浅行きとなって再び梅田貨物線を行くのですが、もちろんこの運用も廃止。代替としてこの快速は天王寺発に変更となります...。
それを知っていて、この廃止を見逃す手はない!!!そう思った私は、18きっぷ旅を楽しむ時よりもずっと早起きして、今回の行動に出たのです...。
さて、三国ヶ丘から新大阪への切符を手にして、初めての早朝B快速の乗車を楽しみに改札からホームへと闊歩するわけですが...
ホームで列車を待っている間に放送を記録していたのですが、三国ヶ丘駅で駅員の肉声と思われる放送が入りました。(何度か同じ内容が放送されたが毎回言い回しが微妙に異なったため録音ではないと判断)
放送内容を記述すると、
「お客様にご案内致します。JR西日本では3月17日土曜日に実施するダイヤ改正に伴い、当駅5:49発 B快速 新大阪行きを、3月16日金曜日をもって運転終了致します。ダイヤ改正以降、朝の5時台に新大阪駅までご利用お客様は、天王寺駅、大阪駅にてお乗り換えいただきますよう、ご理解とご協力をお願い致します。本日も、JR西日本をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。」
毎回細かい言い回しは違えど、だいたいこんな感じでした。
こんな放送、入るんですね...このB快速を毎日利用している一般客向けの放送でしょう。仕事なんだから当然だ、と言われる方もいらっしゃるのでしょうが、たかが一本の廃止にわざわざ丁寧...という感想を持ちました。
そして待つこと10分程度...(始発じゃなくても間に合ったかも...?笑)
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
この時、Xperiaカメラにて4K録画していたのでその画面からのトリミングになります。
ゆえに、一眼写真より少し画質が悪いのはご勘弁ください。
(それでも行き先が分かるレベルで鮮明に記録されてますからさすがは4Kといったところ。)
そうしてやってきた223系2500番台、クモハ2503に乗車。
5:49ということもありそこまで混まないだろとタカをくくっていましたが甘かった。
普通に日中の快速くらいの過密度合いでした。これが5時とは思えない...
わざわざ放送で廃止案内されていた理由も納得です。それだけ需要があったんですね。
そんなこんな思いを馳せながら天王寺到着。撮り鉄がグッと増えました。それまでは5人程度だったのが天王寺から急に10人以上にはなった気がします。
そして皆が皆前面に張り付くのなんの...三国ヶ丘から乗ってなきゃ動画を録るのは困難でした。前面窓のうち運転席後ろと非常ドアのカーテンが閉め切られていたためです。
そんな中で十人超。...倍率が高すぎるぞB快速前面展望。
余談ですが、すこし興味深かったのが駅の電光掲示板。
阪和線内では写真の通り「B快速」と表記されていたわけですが、
大阪環状線内において、この列車は「快速」扱いでした。
B快速は阪和線内だけの呼称だったのか...これには少し驚きました。
確かに、車内の停車駅案内図にもB快速の名前はないくらい影の薄い種別だとは思っていましたが...
↓停車駅案内図(JR西日本のページへ移動します)
https://www.jr-odekake.net/eki/pdf/teisya_02.pdf
(これ、幕はどうなっているのでしょう...天王寺の数分の停車時間でB快速から快速に変更されているのでしょうか...?)
↓ ↓ ↓
<2018/03/11 追記>-----------------
コメント欄、9513 さんからの情報によると、大正駅ではB快速表示のままであった...とのこと。
その幕のまま新大阪まで走っている可能性が高いようです。
また、知人に113系時代の新大阪駅に入るB快速の写真を見せていただいたのですが、そこでもまだB快速新大阪行きの幕のままでした。
なるほど...新大阪まで先回り(私の最寄駅からは平日のみそれが可能)して、入線してくるB快速をカメラ構えて待ち受けるのも手ですねー。
みなさん、情報ありがとうございます。
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三国ヶ丘から守り抜いたポジションを奪われたくなかったので確かめることはできませんでしたが、これは非常に気になります。
また写真をよく見ると、三国ヶ丘でされていた案内が天王寺の電光掲示板でも行われているように見えます。
さて、天王寺を出てから新今宮、大正、弁天町と停車するわけですが各駅に撮り鉄がちらほら。空も徐々に明るくなりはじめて皆記録に走っているわけですね。
そんなこんなで西九条到着。ここまでは関空紀州路快速などと何ら変わりないわけですが、ここからが新大阪行きの醍醐味です。4Kスマホカメラを始動させます。
西九条をゆっくりと発車した快速は直後右にぐわんと車体を揺らしポイント左方向へ進入。環状線の脇に並行する単線に入ります。ここからが梅田貨物線です。
大阪環状線へ訪れるときに、ここを利用する特急車両や貨物列車などをほぼ毎回目にしたわけですが、実際に乗って上を行くのはこれが人生初。胸が高鳴ります。
しばらくはそのまま並走していますが、やがて野田を過ぎ福島に接近したあたりから線路がゆっくり高架から降り、福島駅の脇で地上へと降ります。
降りた直後に太い道路二本と交差しており、数台の自動車が踏切が開くのを待っている様子が伺えました...。(動画を録ったおかげで景色が克明に思い出せます。特等席でよかった。)
これらの踏切には何度か訪れたことがあるのですが、日中は遮断機が降りるとなかなか大変なことになります。列車の本数こそ多くないものの、道路の交通量はさすがは大阪都心、と言いたくなるほど多いです。今は朝なので待ち車両が数台で済んでいますが...。
余談ですが、実はこの梅田貨物線は地下化される計画が進行中。
その理由は今述べた踏切のうち一本の解消と、大阪駅北側に新設される駅「北梅田(仮称、以下北梅田)駅」の新設。さすがに特急が大阪の中心部をすっ飛ばすのはまずかったか...
ちなみにこの北梅田駅...しばらく梅田貨物線単独の途中駅として稼働しますが、2031年(予定)より「なにわ筋線」と呼ばれる新線が難波方面から伸びてきて、乗り入れ。
阪和線の各列車や、南海電鉄の列車もなんばから新線に乗り入れます。
梅田に南海電鉄念願の進出。...うーん、熱盛!!!
そんなこんなで踏切を渡った列車は、右手に広大な空き地、北梅田駅の建設される梅田貨物駅跡を見据えながらぐんぐんと北進。
映像右手へなにやら途側線が分岐していますが...
空き地を過ぎるとまた合流。ここで貨物列車とかが交換するんでしょうか...?
そして側線が合流して国道をくぐってすぐ、線路が複線になります。うーん...もう側線までまとめて複線にしちゃえばいいのに...無理なんでしょうか?
まもなく民営化され大阪メトロへと変わる大阪市営地下鉄御堂筋線をまたぎ、複線の線路はさらに北へ。
まもなく前方に東海道本線が見えてきました。前には快速らしき車両が。
東海道線の225系と阪和線の223系が離合。...なんだか不思議な感じがします。
対向のはるか1号とすれ違います。はるかは地下線を走行することも事前に配慮された設計がなされており、なにわ筋線にも引き続き投入される予定なのでこの光景はきっと車両置き換えまで変わらぬことでしょう。
普段は右手に見える複々線を利用して新大阪へ行くので、この視点から見るのは初めてです。
阪急ばりの三複線を高速で通過します。そして...
見えてまいりました...新大阪駅!!
三国ヶ丘から乗り換えなしでここまで来る、不思議な体験ができました。
...が、ここで私を唐突に悲劇が襲います。
「メモリーがいっぱいです。SDカードにデータを移してください。」
無慈悲なスマホから宣告と同時に、よりによって新大阪駅手前で動画がブチ切られてしまいました。
(4K画質の動画は、microSDHCカードへ直接書き込むと書き込みスピードが全く追い付かないので、UHS-3規格の高いmicroSDカードを手に入れるほかにはなけなしの32GBの内部ストレージに書き込むほかないのです...ちなみに、システム容量があるので仮にすべてのアプリを削除しても使えるのは21GB...iPhoneに大きく差をつけられています。)
梅田貨物線の、やがて地下走行区間となる部分は記録できたのでよかったのですが...あまりにも残酷な宣告でした。近くリベンジ必至...
ということで、気を取り直して新大阪到着、です。
近く写真の奥のホームもおおさか東線のホームとして運用開始されますね。コンコースから漏れる光が独特の雰囲気を醸しています。
そして、快速湯浅行きの表示。これも新大阪発着でなくなるのですからきっちり、新大阪駅の駅名板と記録せねばならんのです...
この写真を撮った後いったん改札を出て、今度は三国ヶ丘...ではなく、「鳳」までの切符を購入。
...理由はもう、言わずもがなお察しいただけるかと思います。
私は2018年春ダイヤ改正で消える光景を追っているのですから...
...ということで次の目的地へ、さっそく湯浅行きで向かいます。
目的地まで乗り換えなしで行ける、って便利です。大阪駅での乗り換え、朝の眠気の残る体には少しきついですよね...
というわけで...レッツ、美章園ッ!!!!
...って
なんでやねん!!!!鳳の103系見るんちゃうんかい!!!
...という大阪ツッコミが聞こえてきそうですが...笑
もちろん行きますよ?103系の見物にも。
しかし、忘れてはなりません。春のダイヤ改正では日根野ー天王寺での205系による列車がなくなってしまうのです。
ということで、現在残る205系による3運用をすべてこの美章園で記録します。
天王寺で湯浅行きから降り、天王寺から普通に乗り換えると...
図ったかのようにそこにおります205系!!!!
その佇まいは、阪和線の櫛型ホームになじんでいるように思います。
これは私の勝手な固定概念なのですが...未だに、205系が阪和線からいなくなるという話が信じられません...
私の脳内での阪和線のイメージは103系、103系、たまに205系というもののまま固まってしまっていますので...
数週間前、天王寺の8,9番のりばに223系0番台が滑り込む光景を見たときに、物凄いショックを受けました。
そのショックは、残念...というより「違和感」でした。
私の頭の中のイメージでは阪和線にいる223系の、特に0番台は「関空快速」のイメージが強かったように思います。2500番台以降の普通は見慣れたのですが、0番台についてはなぜか、いつまでも、どうしても関空快速のイメージが抜けないのです...。
現在私は大学生ですので、生まれる前にはもう走っていたはずの0番台...直接デビューを見届けたわけでもないのに、こんな思いを抱いているのは我ながら不思議なことです。
という私のお話は置いといて...美章園に到着。
なぜ今更、こんなありったけな有名撮影地を選ぶのか?
...というのも、私、一眼カメラで美章園に来たことが一度もないんですよね...大昔にコンデジでは来たことがあるのですが...
そうこうしているうちに205系が美章園から消える、これはまずい...と、205系はもちろん、これまで撮っていなかった他形式の記録も行いました。
というわけで、乗ってきた205系を含めるとすべての運用を撮影したことになります。
全て載せてはキリがないので大部分はカットしましたが、たくさんの写真を撮影できました。
中には205系×225系5100番台という、置き換え対象と置き換え車両のコラボも...
また、281系はるか×205系×近鉄(形式不明)も激熱でした。
そして、ふたたびやってきた205系に乗り、鳳を目指してれっつごー。
津久野にて快速の通過待ちの時間があったので、ちょこっとスナップの撮影。
コンデジ時代の私は、とにかくやってくるあふれんばかりの103系と205系の記録に必死で、スナップという発想がなかっただけにこのような写真を全く撮れていませんでした...。
とまあ、あえて快速に乗り継がずに鳳まで鈍行でチンタラ、205系なひと時を楽しんで...
やってまいりました、鳳駅!!!
この日は原型に近い姿をとどめているHL102編成でした。
非ユニット窓、鉄仮面でなくHゴムむき出しの前面窓を有し、さらに...
反対側先頭車はデカ目改め豚鼻!!
どうやら、豚鼻先頭車と中間車は現在の京都線や神戸線で使われていた車両のようです。そして先ほどのHゴム側先頭車は中間電動車を片町線での増解結のために先頭車化改造したものとのこと。
いやあ、今日は激熱な場面によく出会いますねェ!!
...私がここに来たということは、この光景もあと数日で消えてしまうということ...
先ほど、私が写真を撮った側のホームは...
途中からのりばのタイルが変わっていることからも察せるように、実はこの先のホームは最近延伸されたのです。なぜか...
それはダイヤ改正後に来る新車たちがこのように皆4両だからです...。
そうです、103系が羽衣線から消えるということは同時に、「羽衣線から三両運転の車両が消える」ということを意味しているのです...。
かつてここを123系の重連が走っていた時代、ラッシュ時用に103系のクハをつなげて三両で運行させていた...という話を聞いたことがあります。
元は二連、ラッシュで三連だったということです。
その車両の代替として三連の103系を一定本数捻出して、現在の運用に落ち着いたそうな。
そのとき使われた123系は現在山口県で(末期になって)姿を変えて走っているとか...それはまた別のお話。
昔であれば、先ほどの写真のように余裕を持って羽衣線ホームから鳳側先頭車の撮影をすることは不可能だったでしょう。
しかし、延伸工事によってそれが可能になった...。103系の運用離脱と引き換えに、綺麗に撮影可能になった、と。
...とても皮肉な話です。
色々と経験してもいない時代の羽衣線を思い感傷に浸る私でした。
まもなく役目を終える、足元〇印の乗車位置と、3両の目印。
ということで、すでに出発してしまっていた103系の帰り道をスパッと駅撮り。
鳳を出て撮影地まで歩く元気はもうありません...なにせ始発出発からずっと立ちっぱなしで飯も食わずファインダー覗き続けてましたから...
とはいえとりあえず、久々に103系を補充できましたから満足です。
次は播但線でも目指そうかなあ...。
と、ここで何気なく帰ってきた103系の車内に入って、そろそろ帰るかぁ..と思った私。すると...
な、なんじゃこりゃ!!
本来ないはずの中吊り広告受けに挟まっていたメッセージ。そして...
うおおおおおおおおお!!!!!!
なんという粋な計らい!!
スカイブルー103系が阪和線からいなくなることを惜しんだ乗務員の方々の精いっぱいの思いの結晶が今ここに!!!!
全編成の中吊り広告の表裏に写真を挟むのに、いったいどれだけの写真を撮ってきたんでしょう...撮ったすべての写真が成功するわけではありませんから、少なくともきっとこの三倍はシャッターを切っているはず...。
乗務員の方々の愛を、感じることができました...うう...泣かせる...。
愛が、多すぎる。((それはお隣の会社だっちゅーの。
というわけで...私は今日の午前中、阪和線からなくなるものを取材して参りました。
一部映像面で悔いの残る結果になったとはいえ、乗務員の方々の愛に触れることができて、とても良い気持ちで旅を終えることができました!!
何かが失われるということは、その部分だけ切り取ればとても悲しいことです。
しかし、その部分だけをかいつまんで見るのではなく、歴史的にもっと大きな視点を持って改めて向き合ってみると、そこには車両の一両一両が刻んできた確かな歴史があります。
確かに目の前からは消えてしまうのかもしれないけれど、これまで彼らが作った歴史、刻まれてきた記憶を我々が忘れることはきっと、ありません。さらに未来へと語り継がれるでしょう。そして、これから223系や225系の紡ぐ新たな羽衣線、阪和線の歴史が始まります。
今日のことは忘れません。
奈良線で、元気な姿を見せてくれるその時を待っています。
ありがとう、乗務員の皆様方。
以上、大学生の書いたクサい記事でした。最後まで見ていただきありがとうございました。
(ブログ再開直後に分割なしの7500文字程度の文章。疲れた...)