152.壺算

 唐突ではあるが、計算のルールを適当に決めてみよう。

 2つの自然数を考え、次のような演算を定義しよう。まず、2つのそれぞれの数を素因数分解し、両方の素因数の和を取ることにする。すべての素因数を足した数が元の数より大きければ、その数を演算の答えとする。元の数より小さければ、もとの数の大きい方から素因数を足したものを引くことにする。2つの数が両方素数だったら、素因数分解が面白くないので、2つの数を掛けてから1を足し、10 で割ったものを演算の答えとする。

 例えば。

 演算を矢印、→で書くことにして、

    4→6

の場合。

     4=2×2

     6=2×3

なので、右辺の素因数をすべて足すと

     2+2+2+3=9

もとの4,6より大きいので、よって

    4→6=9

みたいな。

 1は素数に入れないので、1がでたら、0としてしまおう。

    1→1=0   ・・・(1)

    1→2=2   ・・・(2)

2は素数だから、下の式は、0+2=2となる。

 この調子で、

    6→9=?

     6=2×3

     9=3×3

 よって

    6→9=2+3+3+3=11   ・・・(3)

 両方素数だったら、

    2→5=?

掛けて1たして10で割って

     (2×5+1)/ 10=1.1

こうして

    2→5=1.1    ・・・(4)

 2023年の漫才コンテスト「M1」で、さや香のネタの「見せ算」の結果と一致するではないか。

 では

    1→100=?

     1は素数でないので0

     100=2×2×5×5

よって

     2+2+5+5=14

これは元の100より小さいので、100から引いて

    1→100=100-14=86

ん? 漫才では100から17倒すから、83だそうだ。さては、舞台で緊張して上がってしまって、さや香のお二人、計算間違えたのかな、と思ったが、そんなことは無い。その後も話があって、1増えたりするようだ。最終的な答えは言わなかった。84? 85? 86? 大学院レベルだそうなので、もうひとひねりありそうだ。

 

 と、計算ルールを勝手に作ってみたが、演算は数学的には「群」を為さないといけないので、上の話はただのお遊びでしかない。

 群とは、群Gに属する要素 { a }に演算「・」が定義されていて、次を満たさないといけない:

    (1)a・b は、またGの要素

    (2)単位元「1」の存在

        a・1=1・a = a

    (3)逆元a―1の存在

        a・a―1=a―1・a = 1

    (4)結合則の成立

        (a・b)・c=a・(b・c)

 

 たとえば、整数の足し算。演算「・」を「+」、単位元を「0」として、(1)は明らか。(2)からは

    (2)a + 0 = 0 + a = a

    (3)a + (-a) = (-a) + a = 0

    (4)( a + b ) + c = a + (b + c )

だから、足し算は群を為しており、数学的にうまく行っているというわけだ。

 残念ながら私の開発した「見せ算もどき」は群を為さないからアウト。

 

 さや香の「見せ算」の漫才を聞いて、数字つながりで、落語の「壺算」という噺を思い出した。

 引っ越してきた家で、猫のせいで棚の布袋さんが落っこちて、水をためておく水壺が割れてしまう。そこで、買い物上手の徳さんに頼んで、一緒に水壺を瀬戸物町に買いに行く。今までは一荷入り((いっか=60 リットルくらい)の水壺だったので、倍の二荷入りの水壺を買いに行く。しかし、まず一荷入りの水壺の値段を店の番頭に聞くと、ドーンと負けて 3 円 50 銭。ドーンと負けなかったら幾らかと聞くも 3 円 50 銭。徳さん、頼まれて買いに来たので言い値では買って帰れない、2 人で持って帰るので 3 円に負けろ、あとあと、親戚、友達、長屋中に、瀬戸物町で瀬戸物買うならこの店一点張りと言うから負けろ、ということで、3 円に負けさせる。で、2 人で担いで帰るふりをして、そこらを 1 周回って、もとの店に戻る。一荷入りでは無くて二荷入りがいるそうだ、二荷入りはいくらだと尋ねると、番頭さん、一荷入りの2倍だから、3 円 50 銭の倍の 7 円、いやいや、3 円で売ったから 6 円かぁ、あんさん買い物上手やな。ということで、徳さん、一荷入りの水壺は要らなくなったから下取ってくれるか、と言うと番頭さん、さっき持って行ったところなので傷も無ければ元の 3 円で取るという。そこで、徳さん、「さっき 3 円渡したな。」番頭、「ここにまだ置いてあります。」徳さん「で、一荷入りの水壺 3 円で取ってもらうから、そこの 3 円と併せて 6 円やな。」そのまま二荷入りの水壺を持って帰る。番頭さん、何かおかしいと思い、何度も呼び止めるも、混乱してラチが明かない。番頭さん「ここの金の 3 円は分かるが、壺の 3 円が・・・」徳さん「それがこちらの思う壺」で下げ。

 落語ならではの計算が出てくる噺だ。

151.2で割り、2で掛け、2数の掛け算

 第20回で、2桁同士の自然数の掛け算を簡単に行う方法を備忘しておいた。暗算でできるのはいいのだが、でも、九九を知っていないといけない。

 そこで、2で割ることと2で掛けることと足し算を知っていれば、2つの自然数の掛け算ができることを見ておこう。ただし、暗算で行うのはちょっときついので、紙と鉛筆が必要だ。

 

 具体例で行こう。例えば、321 × 28。数字に意味はない。

 2 つ並べて、片方は 2 で割っていき、もう片方は 2 倍していく。2 で割っていって 0か 1 まで行けば終わるので、小さい数字を割っていこう。大きい数字を割っていってもいいが。今、割っていく方の数 28 は偶数なので、忘れないように記しておこう。

 

      321   28 (偶数)            (1)

 

左は 2 倍、右は 2 で割ると

 

    321 × 2 = 642   28 ÷ 2 = 14 (偶数)   (2)

 

28 を 2 で割ったら答えは偶数だ。続いて

 

   642 × 2 = 1284  14 ÷ 2 = 7 (奇数)余り1 (3)

 

割り算した方の余りは無視して、答えの 7 が奇数だ。続いて

 

   1284 × 2 = 2568  7 ÷ 2 = 3 (奇数)余り1  (4)

 

割った方はまた奇数が出た。続いて

 

   2568 × 2 = 5136   3 ÷ 2 = 1(奇数)余り1   (5)

 

また奇数だ。割った答えが 1 なので、ここまで。

 ここで、割るほうの数の割った答えが奇数の部分だけ取り出す。今だと、(3)(4)(5)だ。割った方が奇数になったときの、2倍されてきた数を足していく。今だと(3)は 1284、(4)から 2568、(5)から 5136 なので、

 

     1284 + 2568 + 5136 = 8988

 

これが 321 × 28 の答え。

 

     321 × 28 = 8988

 

電卓で確かめればよい。

 

 もう一つやってみよう。531×27 。もう解説無しで、2 で掛け、2 で割ろう。

 

     531       27 (奇数)           (6)

   531 × 2 = 1062    27 ÷ 2 = 13 (奇数)余り1   (7)

   1062 × 2 = 2124   13 ÷ 2 = 6 (偶数)余り1    (8)

   2124 × 2 = 4248   6 ÷ 2 = 3 (奇数)       (9)

   4248 × 2 = 8496   3 ÷ 2 = 1 (奇数)余り1    (10)

 

割っていった方の余りを除く答えが奇数のものは、出発の 27 を含めて(6)、(7)、(9)、(10)だ。対応する左の数字を足していこう。

 

    531 + 1062 + 4248 + 8496 = 14337

 

これが 531 × 27 の答え。

 

    531 × 27 = 14337

 

 この計算法は、中世ヨーロッパの修道院で行われていたらしい。中世なので、数字はローマ数字。ローマ数字の足し算は簡単で、大きな数字から並べ直すだけだ。ただ、4 とか、5-1 となっている IV は、注意が必要。さっきの

 

     321 × 28 = 8988  

          = 1284 + 2568 + 5136

 

のときは、

    1284 ・・・ MCCLXXXIV

    2568 ・・・ MMDLXVIII

    5136 ・・・ VCXXXVI

 

と書ける。

     V ・・・ 五千

     M ・・・ 千

     D ・・・ 五百

     C ・・・ 百

     L ・・・ 五十

     X ・・・ 十

     V ・・・ 五

     I ・・・ 一

であり、小さいものが大きいものの左にあると、小さい方を引いた値になる。例えば

     IV ・・・ 4(= 5-1)

     XL ・・・ 40 ( = 50 -10 )

こうして、

 

    1284 + 2568 + 5136 = MCCLXXXIV + MMDLXVIII + VCXXXVI

             = VMMMDCCCLLXXXXXXXIVVVIIII

 

のように、右辺は大きい順に並べ替えた。ただし、IV だけはそのままにした。V の左の I はマイナス 1 だから、V の右の I 一つと打ち消して

 

     VMMMDCCCLLXXXXXXXVVVIII

 

左から読んでいくと、VMMM(八千)DCCC(八百)LL(50+50=百=C)XXXXXXX(七十=LXX)VVV(5+5+5 = 十五=XV)III(三)なので、8988となる。

 

     VMMMDCCCCLXXXVIII = VMMMCMLXXXVIII = 8988

 

ローマ数字は位取りが無いが、足し算は容易だったのだろう。あとは、2 を掛けると割るで掛け算ができた。

 

 では、なぜ、この方法で掛け算の答えが出るのだろう。2 で割って、答えが奇数のときの相棒をとるというのが曲者だ。2 倍する方の数を x、2 で割っていく方の数を y としよう。今、y は 2 のべき乗の和で表せているとしよう。つまり

 

    y = bn×2n + bn1×2n1 + ・・・ + b1×2 + b0

 

と書けたとする。ただし、

 

    bp = 1 または 0

 

だ。まず、y を 2 で割ろう。

 

    y / 2 = ( bn×2n1 + bn1×2n2 + ・・・+ b2 ×2 + b1 ) + b0 / 2

      = y1 + b0 / 2

 

となる。右辺 1 行目の括弧の中を y1 と書いた。ここで、b0 は 1 か 0 なので、0 だったら無いし、1 だったら、1/2 になってしまい、この部分は「余り」になる。また、

 

    y1 =  bn×2n1 + bn1×2n2 + ・・・+ b2 ×2 + b1

       =  2×( bn×2n2 + bn1×2n3 + ・・・+ b2 ) + b1

 

となるので、b1 の部分以外は 2 で括っているので偶数、したがって、b1 が 0 ならば、余りを除いて 2 で割った y / 2 は偶数、b1 が 1 ならば、2 で割った y / 2 は奇数というわけだ。

 

     y / 2 = (余りを除いて偶数)⇔  b1 = 0

     y / 2 = (余りを除いて奇数)⇔  b1 = 1

 

こうして、2で割って奇数ならば、b1 = 1 が取り出せる。偶数だったら 0 なので、無視しておこう。

 続いて、y1 を 2 で割ると、

 

     y1 / 2 = bn×2n2 + bn1×2n3 + ・・・+b2 + b1 / 2

         = y2 + b1 / 2

     y2 =  bn×2n2 + bn1×2n3 + ・・・b3×2 + b2

       =  2×( bn×2n3 + bn1×2n4 + ・・・+ b3) + b2

 

こうして、b2 の部分以外は 2 で括っているので偶数、したがって、b2 が 0 ならば、余りを除いて 2 で割った y1 / 2 は偶数、b2 が 1 ならば、2 で割った y1 / 2 は奇数というわけだ。

 

     y1 / 2 = (余りを除いて偶数)⇔  b2 = 0

     y1 / 2  = (余りを除いて奇数)⇔  b2 = 1

 

こうして、y から、余りを除いて 2 で 2 回割って奇数ならば、b2 = 1 が取り出せる。偶数だったら b2 =0 なので、無視しておこう。

 これを繰り返していくと、y を、余りを無視しながら 2 で割っていって答えが奇数になったところを取り出していくと、

 

    y = bn×2n + bn1×2n1 + ・・・ + b1×2 + b0

 

の展開係数の bp = 1 の部分が取り出せて、2 のべき乗展開が完成するわけだ。こうして、x との掛け算は

 

    x      y (奇数なら b0 = 1、偶数ならb0 = 0)

    2x      y / 2 (余りを除いて奇数ならb1 = 1、偶数ならb1 = 0)

    22 x     y1 / 2 = y / 4 (余りを除いて奇数ならb2 = 1、偶数ならb2 = 0)

     ・・・・・・・・・

     2n x     y / 2n (余りを除いて奇数ならbn = 1、偶数ならbn = 0)

 

となるので、2で割って奇数の部分のみ取り出すと、例えば y が奇数なら、b0=1、またy/2 も奇数なら b1=1 なので

 

    x + 2x + 22 x・・・+ 2n x

   = x( 1 + 2 +・・・+ 0 +・・・ + 2p + ・・・+ 0 + ・・・+ 2n )

   = xy

 

となるというわけだ。

 

  yの 2 進数表記を見つけることにもなった。

例えば、最初の 28 だと、(偶数)(偶数)(奇数)(奇数)(奇数)となった。偶数に 0、奇数に 1 を割り振って、右から左に並べると

 

     28 (10進数)= 11100(2進数)

 

27 のときは、(奇数)(奇数)(偶数)(奇数)(奇数)だったので、右から左へ

 

     27 (10進数)= 11011 2進数)

 

150.鎮魂 ~安息を(Requiem)~

 半信半疑である。

 大学院の1年先輩の京都大学基礎物理学研究所教授の訃報を受けた。2023 年 5 月 16日。誕生日前のまだ58歳。

 ウェブで検索するも、そんな記事は見つからず、フェークかと思った。

 が、報せを受けた数日後、京都新聞に訃報が掲載され、どうも本当らしかった。

 

 先輩には大学院時代から今まで、本当に色々教えてもらった。原子核素粒子の院生が集う「原子核三者若手」のセンター校に所属研究室がなっていたとき、夏に信州長野で開催する「夏の学校」のため、彼の車で 2 人で、開催前日から前乗りで長野の会場まで行ったこともあった。感染症の流行で対面の学会や研究会に行けなくなったので、最後にお会いできたのがいつかは思い出せない。いつでも会える、とどこかで思っていたのだろう。2016 年にオーストラリアのアデレードの国際会議では、当時中学 1 年生だった息子に話をしてくれた。親が言うより一流の研究者の話の方が耳に馴染んだのだと思う。

 

 今はお付き合いが無いが、知り合いだった医師が大きな病院に勤務していた時、当直は緊張するといったような話をしてくれたことがある。急患が来た時、気管挿入に失敗したら確実にこの患者は死ぬ、という緊張感はすさまじいものが有ると話してくれた。人の命に真摯に向き合っている方の言葉だ。他方、間違った診断名を付け、真の病気の発見を遅らせる。セカンドオピニオンを知るために大病院に行っても紹介状が無いからと診て貰えない。医師が間違えないことを前提とした制度設計をした国の責任はどうなんだ。命を預かる者たちは真摯に患者に向き合っていたのか。

 怒りに震えてくる。

 

 大学院生時代、共に玉垣良三先生の原子核理論研究室に所属していた。玉垣先生は私の博士論文の主査だ。玉垣先生が 1973 年から 1995 年まで率いて来られた京都大学原子核理論研究室は、もともとは京都帝国大学理学部物理学教室第 2 講座として 1921 年に玉城嘉十郎教授が担当していたものだ。玉木教授を引き継いで 1939 年に湯川秀樹が講座の担任となるが、湯川は 1943 年に第 5 講座が新設された際にそちらに移り、現在の素粒子論研究室となる。もとの第 2 講座は 1944 年から小林稔先生が担任し、1973 年に玉垣先生が引き継がれたという経緯を持っている。湯川-小林-玉垣という系譜の中に自分もいるのかもしれないと思うと身が引き締まる。玉垣先生からは色々薫陶を受けた。正確な言い回しでは無いかもしれないが、「手を動かさないと頭は動きませんよ」と仰っられたことがある。自分で紙と鉛筆で手計算をしないと、頭は働いてこない、考えも出て来ない、今でも実践している。私が High Intelligence 大学に就職する際には、大学で行わないといけない授業の相談にも乗って頂いた。就職してから何年目かに玉垣先生を集中講義でお呼びしたときには、「就職祝いを送って無かったね」と仰っられてお祝いを頂いたりもした。玉垣先生は 2015 年 1 月 11 日、82 歳でお亡くなりになられている。人に任せられない仕事の合間に慌てて駆け付けたが、お通夜が終わった直後だった。

 

 1998 年から 1999 年にフランスのパリで研究を行っていた。その時の共同研究者であるDominique Vautherin(ドミニク・ボートラン)教授は、1941 年 10 月 30 日生まれで、59 歳の誕生日の少し後、2000 年 12 月 7 日に亡くなった。今回、大学院の先輩は誕生日の少し前に亡くなり 58 歳だったが、奇しくもほぼ同じだ。1999 年 7 月に私が日本に帰ってから 2000 年に病気が発覚し、2000 年 5 月と 9 月の 2 回、パリを再訪した。9 月に会った時、「次はいつ来れるか?」と Dominique に聞かれ、正直に「 3 月には」と答えたら、「遅いな」と言われた。嘘でも年末にはまた来ると言えばよかったと、ずっと後悔している。11 月だったか、Dominique から自宅に国際電話があり、それが会話した最後となった。Dominique は Marcel Vénéroni 先生のもとで博士号を取っている。私が Dominique と知り合うずっと前の大学院生のとき、自分が書いた論文のプレプリントを、Dominique や Balian-Vénéroni という論文で有名なフランスの Roger Balian 先生などに送っていた。当時はインターネットなんてなかったので、論文を作り学術誌に投稿すると、なるべく早く世界に知らせるためにプレプリントを作って、各地の研究室に郵送していたのだった。それらのプレプリントで Dominique は私のことを早くから知ってくれていたようだ。Balian 先生からは一連の Balian-Vénéroni の論文を、自筆の手紙とともに送ってくださった。一介の大学院生に向けて、当時すでに大家であった研究者から手紙を貰って感激したことを覚えている。Dominique の体調が悪かった時、Vénéroni 先生がメールで状況を知らせて下さったこともあった。

 

 Dominique Vautherin を紹介し、かつ私をフランスに送り込もうとされたのは当時京都大学基礎物理学研究所教授の M 先生である。先輩の 2 代前の基礎物理学研究所教授である。で、M 先生の助言もあり、仁科記念財団の海外派遣研究者に申請して、1 年間、Dominique Vautherin のところ、パリに滞在して研究に専念することを目論んだ。申請に際し、丸森寿夫先生に相談した。丸森先生とは大学院時代には面識はなかったが、就職してから厚かましくも当時筑波大学におられた先生に直接お電話し、集中講義で講義して頂くようお願いしたことがあった。丸森先生の講義はいつも名講義で、多くの学生が感化されて原子核理論に進むと言われていた。Marumorize されると呼ばれていた。丸森先生は若い時分に原子核の集団運動の理論で、研究を引退間際の朝永振一郎先生と同じ内容の論文を独立して出されていることでも知られている。私は丸森先生が書かれた原子核理論の教科書を大学院生時代に読んで、原子核の集団運動論に魅せられていた。丸森先生は仁科記念財団の理事を長らくされていたので、私のような研究分野で採択があるかどうかなど、相談にのって頂いた。「必要だったらいつでも推薦書を書くよ」と言って頂き、心強い限りであった。推薦書をお願いすることは無かったが。

 で、仁科記念財団の海外派遣研究者に応募し、東京まで面接を受けに行った。英語の面接があり、その後、当時理事長をされていた西島和彦先生の面接を受けた。Nakano-Nishijima-Gell-Mann の法則で有名な方だ。素粒子物理に「ストレンジネス」という自由度を入れた方。面接と言ってもざっくばらんな話をしただけだったように記憶している。西島先生は 2009 年 2 月 15 日、82 歳で亡くなられた。丁度、東京に出ていたときに葬儀式があったので、参列した。

 

 丸森先生の有名な研究の一つに、原子核の集団運動を記述する「自己無撞着集団座標法」と言うのがある。Marumori-Maskawa-Sakata-Kuriyama の論文が中心的なものになっている。私も、研究室の別の1級上の先輩と論文を作ったときに勉強して使ったことがある。その先輩は原子核理論から物性理論に早くに研究分野を変えられたので、学会や研究会で会う機会が少なく、今回の葬儀で十何年、いやひょっとしたら何十年ぶりかでお会いできた。

 その「自己無撞着集団座標法」の論文の著者の 2 番目が、2008 年にノーベル物理学賞を取られた益川敏英先生である。益川先生は私の博士論文の副査の一人だ。益川さんは大学院の素粒子物理学の授業担当だったので、少人数で近くで講義を受けることができた。ある時の基礎物理学研究所での研究会の休憩時に、私に向かって「原子核の人は10 年も同じことをやっている。研究分野は変えていかないと」みたいなことを仰っられた。また「銅鉄主義になってはいけない」ということも仰っておられた。「銅でうまく行ったから鉄でもやってみるか」といった安直な研究だ。実際、益川さんはバリバリの素粒子論の方であるが、素粒子論の中でも研究領域を変えて来られ、丸森さんとは原子核理論の研究、そのほか物性理論の論文とか、仰っられていることを地で行っておられた。丸森さんとの論文の他に、gluon 場を入れて対称性の破れを扱った Maskawa-Nakajima の論文や、拘束系の量子論を展開している Maskawa-Nakajima の論文など、院生の頃読んでいた。益川さんは 2021 年 7 月 23 日に 81 歳で亡くなられた。

 その後、飲み会でご一緒したりして、気に掛けていただいていた丸森先生は 2012 年 8 月 11 日に 82 歳で亡くなられている。

 

 丸森先生のもとで博士号を取られた Y 先生とは、私が玉垣先生の研究室の院生時代の1990 年頃、集中講義で来られた際に知り合った。その時に研究で悩んでいた問題を Y 先生に聞いて頂いた。すぐに研究ノートが送られてきて、共同研究が始まった。以来、30 年余り、共同研究が続いている。その Y 先生の紹介で、ポルトガルの João da Providência(ジョアン・ダ・プロビデンシア)教授と知り合いになれた。João の娘さんの Constança Providêçncia(コンスタンサ・プロビデンシア)教授ともその後知り合い、今も共同研究が続いている。Constança はイギリスの David Maurice Brink 教授のもとで博士号を取っている。Dominique Vautherin は博士号を取ったのち、1972 年のVautherin-Brink の論文で世界的に有名になったようだ。その論文は 3222 回も引用されている。玉垣先生の研究室で院生をしていた修士の 2 年の頃だったか、研究室に来られた Brink 先生に、自分がその時していた研究の話を聞いて頂いたことがある。Brink 先生は、2021 年 3 月 8 日に 90 歳で亡くなられた。

 Joãoとは共同研究が 30 年近く続いた。2000 年以降は、年に一度、João のいるポルトガルコインブラ大学に行き、落ち着いて研究していた。コインブラで 1-2 週間議論をしてざっくりしているが大部のノートを作ってから帰国し、その後の 1 年間はそのノートを基に日本で理論研究を仕上げるという生活がしばらく続いていた。コインブラを訪問すると必ず食事に連れて行ってくれ、楽しい研究生活が送れた。João はイギリスの Rudolf Peierls (ルドルフ・パイエルス、1907 年 6 月 5 日―1995 年 9 月 19 日)のもとで博士号を取っている。Peierls は核分裂が発見された直後、イギリス政府に働きかけて原爆を検討する「モード委員会」を立ち上げた人だ。その後、アメリカのマンハッタン計画と合流することになる。Peierls の自伝「渡り鳥」(Bird of Passage ) にも João が登場する。Peierls は Wolfgang Pauli(ヴォルフガング・パウリ、1900 年 4 月 25 日―1958 年 12 月 15 日)の最初の助手だ。Pauli-Peierls-Providência の流れに居るのかもしれないと思うと光栄だ。João da Providência は 2021 年 11 月 9 日に 88 歳で亡くなった。Constança から翌 10 日、日本時間 17 時 30 分にメールを貰った。

 

 優しくて、これまで優れた研究をされてきた亡くなられた先輩の、これから彼が示す指針や彼の研究成果が見られなくなろうとは。若くして彼を奪うとは、まさに、神も仏も無い。慈悲深く、万能の神や仏がいるなら、私たちに直接、その慈悲を及ぼしてくれたに違いない。

 ・・・sûrement Dieu n'existait pas, puisque, dans le cas contraire, les curés seraient inutiles.

(確かに神は存在しない、なぜなら、そうでない場合、司祭は不必要だろうから)【Albert CAMUS「La Peste」(カミュ「ペスト」)】

 

149.アインシュタインと光量子論

 第 148 回で、アインシュタインエントロピー  s の表式を導いていたことを備忘した。どんな式だったかと言うと

 

    s = kB ln w(u)                    ・・・(1)

     ( w(u) =  ∫dq1dqndp1…dpn )

 

だった。また、エントロピー絶対温度 T には、エネルギー E を通じて

 

    1 / T = dS(E) / dE       ・・・(2)  

 

 さて。

 

 黒体輻射の話を第 12 回で備忘した。その時には、振動数 ν の光が空洞から出てくるとき、温度 T のもとで出てくる単位体積当たりの光の強度は

 

     U dν= 8πν2 / c3 ×( hν/ ( ehν/ ( kBT) -1)) dν   ・・・(3)

 

プランク分布を示しておいた。

 歴史的には、空洞輻射の光の振動数と強度の関係を求めることは、プランクが出るまでは近似的な表式のみで、理解に苦労していた。古典電磁気学に基づけば、エネルギー等分配則も使って、レーリー・ジーンズの分布則

 

     U dν= 8πν2 / c3 ×kB T dν   

 

になるのだが、この分布則を信じて全振動数の光の寄与を足せば、光の強度が無限大になるという無意味な結果を与えてしまい、結局のところ低振動数のところでのみ実験データを再現する近似式であった。

 一方、ウィーンは、断熱不変量の考えを適用し、分布則として

 

     Udν= 8πν3 / c3 × F(ν/ T) dν     ・・・(4)

 

を導く。ウィーンの変位則と呼ばれる。ここで、F は、断熱不変量 ν/ T の関数。導出は結構大変なので、朝永先生の「量子力学 I 」を見てもらうことにしよう。大学時代に量子力学が良く判らず、今でも良く判っていないが、とにもかくにも朝永さんの教科書を読んで、なぜに量子力学が必要なのかは判った(気がした)。

 ウィーンは関数 F として

 

     F(x) = kB αe-αx        ・・・(5)

 

を仮定し、α を適当に、実際は α = h / kB と置けば、大きな振動数のところで輻射の実験値を良く再現することを見つける。後知恵ではあるが、α = h / kB と置くことは、”正しい”輻射式であるプランクの式(3)で ehν/ ( kBT) -1 ≒ ehν/ ( kBT) のように、ehν/ ( kBT) に比べて 1 を無視した近似に対応している。

 今は、歴史をたどるために、プランク分布を知らずして、ウィーンの変位則のみ手にしているとしよう。(4)に(5)を代入し、α = h / kB とし、U を u に戻すと

 

      u dν= 8πhν3 / c3 × ehν/ ( kBT)  dν 

        = Aν3 ehν/ ( kBT)  dν   

 

ここでいらん定数を A と纏めた。これは単位体積当たりの放射光のエネルギー密度なので、体積 v を掛けて

 

      u = v Aν3 ehν/ ( kBT)  

 

となるが、逆に、温度の逆数 1 / T を引っ張り出すと

 

     1 / T = -kB / (hν)×ln ( u / Avν3 )

 

(2)を思い出すと

 

     ds / du = 1 / T = -kB / (hν)×ln ( u / Avν3 )

 

と 1/ T を仲立ちに、u に関する微分微分方程式が得られるので、これは解けて

 

     s = -∫kB / (hν)×ln ( u / Avν3 ) du

      = -kB u / (hν) × ( ln ( u / Avν3 )- 1 ) + (積分定数

 

が得られる。体積 v の部分系では無く体積 V の全体を考えると、エントロピー S は

 

     S =-kB u / (hν) × ( ln ( u / AVν3 )- 1 ) + (積分定数

 

となるので、部分系と熱浴の差をとって

 

     s-S = kB u / (hν) ×  ln ( v / V )     ・・・(6)

 

が得られる。

 

 一方、理想気体を考えよう。第 10 回では理想気体の状態方程式を備忘した。熱力学第 1 法則によれば、気体の内部エネルギーの増分 du は、気体にした仕事 -pdV と熱の移動 dQ とから

 

    du = dQ -pdV      ・・・(7)

 

であることが知られている。dV は体積の変化で、p は圧力。圧力は単位面積あたりに働く力なので、圧力の加わる面積を S とすると、力 F は pS。これで気体が押されて移動距離 dr 動くと、力×移動距離が仕事 dW なので、pS×dr = pdV だ。ここで、dV=S×dr で体積変化。体積変化が負ならば気体は押し込まれて仕事をされているので、気体がされた仕事は -pdV と負号が付く。この仕事が気体のエネルギーとして蓄えられるので、(7)が得られる。理想気体では内部エネルギー u は温度Tのみの関数である。また理想気体の状態方程式は、気体分子数を N として

 

     pV = N kB T

 

であった。こうして、エントロピー変化は

 

     S = ∫dQ / T = ∫( pdV / T -du / T )

           = ∫( NkB / V )dV -∫du(T) / T

           = NkB ln V -f(T)

 

が得られる。最後の f(T) は ∫du / T が温度 T のみの関数であるので、こう書いた。体積が v の部分系ではエントロピー s は

 

     s =  NkB ln v - f(T)

 

となるので、差をとると

 

     s-S = NkB × ln (v / V )      ・・・(8)

 

が得られる。

 こうして、理想気体で得られた(8)式と、黒体輻射で得られた(7)式を見比べると、

 

     NkB = kB u / (hν)

 

すなわち

 

     N = u / ( hν)

 

が得られる。こうして、黒体放射のエネルギー密度 u を、hν で割ったものは、整数値である粒子数と対応することから、放射された光はエネルギー hν を持つ“粒子”の理想気体であると解釈できる。逆に言えば

 

     u = Nhν

 

なので、エネルギー hν の光の粒子が N 個集まって、黒体輻射のエネルギー強度を与えていると言える。

 

 光の粒子性、光量子説の誕生だ。

 アインシュタインは熱・統計力学を駆使して、量子論の扉を開いたようだ。

148.アインシュタインとエントロピー

 第 143 回で、恒星の形成は無秩序に思える星間ガスから秩序だった恒星が生まれる際にエントロピー増大の法則に反しないことを備忘した。エントロピー S は、系の物質が取り得ることが可能な状態の数 W と

 

    S = kB ln W    ・・・(1)

 

であることを用いた。これは「統計力学」を習うと出てくる。

 一方、「熱力学」を習うと、ある絶対温度 T で、「熱量」の変化 dQ があれば、エントロピー変化 dS は

 

    dS = dQ / T     ・・・(2)

 

と書かれている。(1)で書かれたエントロピーと、(2)の変化から得られるエントロピーが同じものであることを、モデルを使って備忘したのが第 27 回だった。

 今回は、物体の合計のエネルギーが E である多粒子系での粒子の存在確率として、第11 回で“ボルツマン因子”も導いた。これを使って、(1)と(2)が同じものであることを、もう一度見ておこう。

 

 たくさんの粒子があり、それを2つの部分に分けて置こう。注目している部分の粒子の位置が qi と qi + dqi の間に居る。ここで、i は粒子の番号と x、y、z 成分の両方を示しているとする。その運動量は pi と pi + dpi の中にある。2つに分けた別の方、こちらは注目しない部分だが、注目する部分に比べて大きいとしておく。“熱浴”と呼ばれる。こちらは大文字で、位置が Qj と Qj + dQj 、運動量は Pj と Pj + dPj の間にあるとしよう。すべての粒子のエネルギーの総和がEのとき、粒子をこれらの位置・運動量の中に見出す確率は

 

    dNG = A e-E / (kB T) dq1dqn dp1…dpn dQ1dQNdP1…dPN

 

となることになる。A は確率が 1 になるように決めよう。注目していない方は、すべての粒子をカウントすべく積分しておこう。また注目している方のエネルギーを u としておくと

 

    dN = e-u / (kB T) dq1dqn dp1…dpn ×A∫e-(E-u) / (kB T) dQ1dQNdP1…dPN

 

注目している部分のエネルギー u は、全体のエネルギー E に比べて小さいので、ここで、

 

    χ(E) =∫ e-E / (kB T) dQ1dQNdP1…dPN

        = e-E / (kB T) W(E)

 

と、χ と W を定義しておく。W は熱浴が“取り得る状態の個数”である。

 

    W(E) = ∫ dQ1dQNdP1…dPN

 

今、u は E に比べて小さく、u での変化は無視できるので、

 

    χ(E) = χ(E-u)

 

すなわち

 

    dχ(E) / dE = 0 、すなわち、 ( -1 / (kB T ) W(E) + dW(E) / dE ) e-E / (kB T) = 0

 

なので、

 

    1 / T = kB W’(E) / W(E) = kB d ln W(E) / dE     ・・・(3)

 

となる。

 注目している系でも同様で、

 

    dNu = B e-u / (kB T) dq1dqndp1…dpn

        =  eC-u / (kB T) w(u)

 

となる。w(u) は以下の(5)式で定義している。ここで、全確率が 1 となるように決める定数を B=eC と取り直した。つまり

 

  1 = ∫eC-u / (kB T) dq1dqndp1…dpn 

 

よって、 

 

  C = -ln ∫e-u / (kB T) dq1dqndp1…dpn     ・・・(4)

 

また、

 

    w(u) = ∫ dq1dqndp1…dpn    ・・・(5)

 

だ。

 注目している系が熱浴から仕事をされてエネルギーをやり取りし、変化したとすると、

 

    C → C + dC

    1 / ( kB T ) → 1 / ( kB T ) + dβ = β + dβ  (β=1 / ( kB T ))

    u → u +du

 

とする。変化後も全確率は 1 なので、er = exp ( r ) と書いて

 

    1 = ∫ exp ( (C+dC)-( u+δF)×( 1 / (kB T) +dβ)) dq1dqndp1…dpn 

 

変化の 1 次まで考える。部分系でも粒子はたくさんあるので、エネルギー u は平均のエネルギー〈u〉に置き換えて、また β=1 / ( kB T ) に注意して

 

    dC -〈u〉dβ-βδF  = 0     ・・・(6)

 

でなければならない。ここで、熱浴からされた仕事 δF は、熱力学第 1 法則から、エネルギーの変化 du、熱の移動 δQ と

 

    du = δQ + δF

 

の関係があるので、(6)は、〈u〉が面倒なので平均エネルギーであることを覚えておいて再度 u と書いておくと

 

    δQ / T =- kB dC + kB u dβ+ kB βdu

        = d ( kB ( -C + uβ) )

        = d ( u / T -kB C )

       =ds           ・・・(7)

 

と変形できる。3 行目で全微分となったので、s を定義した。

 

 こうして、“エントロピー” s が導入されて

 

     s = u / T + kB  ln ∫e-u / (kB T) dq1dqndp1…dpn + (定数)   ・・・(8)

 

が得られる。ここで、規格化の C に(4)を戻した。(7)の右辺の u は平均のエネルギーだから積分の外に出すと、

 

     s = u / T + kB  ln (e-u / (kB T)  ∫dq1dqndp1…dpn )+ (定数) 

      = u / T + kB ( ln (e-u / (kB T) ) + ln ( ∫dq1dqndp1…dpn ) ) + (定数) 

               = u / T + kB (-u / (kB T) ) + kB ln ( ∫dq1dqndp1…dpn )  +  (定数) 

      = kB ln w(u)                    ・・・(9)

       ( w(u) =  ∫dq1dqndp1…dpn )

 

が得られる。こうして(7)と(9)から

 

      δQ / T =ds

         = kB ln w(u)終わり - kB ln w(u)始め      ・・・(10)

 

となり、左辺の熱力学でのエントロピー(変化)の定義と、右辺2行目の統計力学の表式の対応が得られた。

 

 もうひとつ。(3)式では熱浴について考えたが、注目している部分と熱浴の温度は同じなので、注目している部分系でも(3)と同じ関係が成り立って、

 

       1 / T = kB d ln w(u) / du  

 

が成り立っているはずだ。こうして、(9)式と組み合わせると、ただちに

 

       1 / T = d ( kB ln w(u) )/ du  

         = ds / du

 

が得られる。一般に、エネルギー u を E と書くと

 

        1 / T = dS(E) / dE       ・・・(11)         

 

となる。

 

 以上はアインシュタインによる議論だ。

 さすが。

147.電磁放射と水素原子

 力学の授業でラザフォード散乱の話をする。

 

 金の原子にアルファ線を照射させて、アルファ線の散乱を測定するという話。1911 年の話だ。アルファ線の正体は当時、知られていなかったが、2 価の正電荷を持った粒子であることは判っていた。

 実験は 1909 年頃、ラザフォードの指導の下で、彼のお弟子筋、研究員のガイガーと院生のマースデンが行っている。ガイガーが、院生のマースデンに簡単な実験を行わせることについてラザフォードに相談したらしい。

 実験当時、原子模型と言うのは“トムソンの原子模型”が有力であった。これは大きさ、半径にして 10-9 m から 10-10 m 程度の球体に一様に正電荷が分布し、その中に負電荷を持つ電子が「ぶどうパンの干しブドウ」のように埋め込まれているという原子模型だ。そうすると、大体電気的に中性なので、アルファ粒子は 2 価の正電荷を持っていたとしても相手の原子が殆ど電気的に中性だから、電気的な相互作用は小さく、アルファ粒子は殆ど曲げられず、ほぼまっすぐ進むだろうと予想されていた。

 こうした予想があったので、ラザフォードは簡単な実験として院生教育用に実験をさせたのだろう。

 

 ところが。

 

 案に相違して、殆ど跳ね返ってくるかのように大きく進路を曲げられるアルファ粒子が少数ながら観測された。

 ラザフォードは、「薄紙に大砲を打ち込んだら、大砲の弾が跳ね返ってきた」ようだといった旨の発言を残しているようだ。それだけ予想外で驚いたのだろう

 

 トムソンの原子模型ではこの実験事実が理解できないので、ラザフォードは理論的に考え、新たな原子模型に到達する。それが 1911 年のことだ。

 アルファ粒子を大きく反跳させるために、原子の中心部に正の電荷を持つ“原子核”があり、その周りに電子が存在するとしたラザフォードの原子模型に到達する。中心部の原子核の大きさは 10-14 mから 10-15 m程度であり、原子自身の大きさと比べて 5 桁ほど小さい。要するに、原子はスカスカだ。

 

 これは長岡半太郎の原子模型、“土星型原子模型”に似ている。長岡模型では、原子核に対応する正電荷を持つ部分が中心にあり、その周りを同一平面上に多数の電子が周回しており、土星の環が安定に存在できているのと同様に電子は安定に存在しうるという議論に基づく模型であった。しかし、土星の輪を構成する微粒子同士の万有引力と違って、電子同士には斥力が働くので、原子が安定に存在できるかは、土星の輪の安定性からの類推でOKというほどには自明ではない。こうして長岡模型は懐疑的に捉えられていたようだ。

 

 ところが、ラザフォードの実験により、原子の有核模型が登場して実験事実を説明するので、ラザフォードの原子模型を真剣に捉える必要が出てきた。しかし、今度は正電荷原子核の周りを電子が周回していると考えてしまうと、電子には中心へ向かう加速度が存在することになるので、荷電粒子が加速度運動すると電磁波を放射してエネルギーを失っていくという古典電磁気学の知識から、周回する電子はやがて中心の原子核に落ち込んでしまい、やはり原子は安定に存在できないということになってしまう。

 そこで、原子核の周りに存在するはずの電子から電磁放射はせず、原子が安定に存在し、かつ原子から放射される電磁波のスペクトルを説明するという難しい課題が生じた。

 

 こうして、ボーアの原子模型、前期量子論量子力学の成立へと時代は流れていく。

 

 それはさておき。

 

 原子核の周りを電子が周っていれば電磁波を放射して、電子はやがて原子核に落ち込むので原子は安定では無くなるということであったが、もし、電子が原子核に落ち込むまでの時間が宇宙年齢より十分に長ければ、問題は生じないのではなかろうか。

 というわけで、最も簡単な水素原子で、電子が原子核に落ち込むまでの時間を、古典力学・古典電磁気学で見積ってみよう。

 

 水素原子核、すなわち陽子の周りを電子が周っているとしよう。陽子の電荷は e、電子は-e。ここで、e は素電荷。陽子の質量は電子の 1860 倍程度なので、陽子は動かず、そこから距離 r のところを電子は円運動しているとしよう。このとき、電子のエネルギーは

 

     E = ( 1 / 2 ) m v2 -e2 / ( 4πε0 )・( 1 / r )      ・・・(1)

 

となる。陽子と電子の間に働く力は距離の 2 乗に反比例するクーロン力なので、

 

     F = -e2 / ( 4πε0 )・( 1 / r2 )     ・・・(2)

 

だ。この位置エネルギーが(1)式第 2 項になっている。第1項は運動エネルギー。ここで、m は電子の質量、v は電子の円運動の速さ、ε0 は真空の誘電率

 さて、円運動の加速度 a は第 5 回で導いている。第 5 回の(2)式だ。

 

     a = -v2 / r        ・・・(3)

 

また、ニュートン運動方程式は、(質量)×(加速度)= (力)なので、(2)式を使って

 

     m a = F

       = -e2 / ( 4πε0 )・( 1 / r2 )    ・・・(4)

 

となる。よって、(3)、(4)から

 

     a = -e2 / ( 4πm ε0 )・( 1 / r2 )    ・・・(5)

      = -v2 / r

 

なので、電子の速さもわかって

 

     v2 = e2 / ( 4πm ε0 )・( 1 / r )     ・・・(6)

 

と得られる。(6)を(1)に代入すると

 

     E = -e2 / ( 8πε0 )・( 1 / r )    ・・・(7)

 

となっている。

 

 電子が円運動をすると、陽子の方向を向いた加速度(3)式が生じている。電荷を持った粒子が加速度運動をすると、電磁波を放出する。単位時間あたりに放出する電磁波のエネルギーは、導出は省略するが

 

     P =  ( 2 / 3 )・e2 / ( 4πε0 )・( a2 / c3 )    ・・・(8)

 

となっている。ラーモアの式と言われている。この式に、(5)式を代入すると

 

     P = ( 2 / 3 )・( e2 / ( 4πε0 ))3 ・( 1 / (m2 c3 ))・( 1 / r4 )    ・・・(9)

 

となる。電子のエネルギー、(7)式の E が時間変化して(9)式のエネルギーを放出する。(7)式で変化できるのは陽子と電子の距離、すなわち原子の大きさ r なので、単位時間当たりの変化として

 

     P = -dE / dr

      = -e2 / ( 8πε0 r2 )・dr / dt      ・・・(10)

 

と結び付けられる。右辺のマイナスは、電子の持つエネルギーが減っていくことを表していて、それが電磁波の放射のエネルギー P になるということ。P に(9)式を使うと

 

    dr / dt = -( 4 / 3 )・( e2 / ( 4πε0 ))2 ・( 1 / (m2 c3 ))・( 1 / r2 )  ・・(11)

 

が得られるので、r は r で、t は t で纏めて積分することにしよう。時刻 0 で原子の半径を R、時刻 Tで 半径が r になったとすると、

 

     ∫R r r2 dr =  -( 4 / 3 )・( e2 / ( 4πε0 ))2 ・( 1 / (m2 c3 )) ∫0T dt  ・・(12)

 

なので、実際に積分すれば

 

     R3 - r3 = 4 ( e2 / ( 4πε0 ))2 ・( 1 / (m2 c3 ))・T    ・・・(13)

 

が得られる。

 

 こうして、例えば原子の大きさが零、r = 0 になるまでの時間を計算してみよう。ちょっとクッキング。プランク定数 h を 2π で割ったものを ℏ と書く。光速 c を入れよう。また、最初の原子の大きさ R はボーア半径 R = aB。私が覚えている数値は

     

      e2 / ( 4πε0 ℏc) = 1 / 137    (微細構造定数)

      mc2 = 0.51 MeV        (1 MeV = 106 eV = 1.6×1013 J)

     ℏc = 197 MeV・fm        (1 fm = 1015 m)

     c = 3.0×108  m / s = 3.0×1023  fm / s

     aB = 0.529×1010  m = 0.529×105  fm  (これは覚えていない)

 

(13)をクッキングしてから、上の値を代入 ( R = aB 、r = 0 ) して、

 

      T = ( 1 / 4 )・1 / ( e2 / ( 4πε0 ℏc))2 ・( mc2 )2 / (ℏc)2・R3 / c

      = ( 1 / 4 )・1 / ( 1 / 137 )2 ・( 0.51 MeV)2 / ( 197 MeV・fm)2

       ×( 0.529×105 fm )3 / ( 3.0×1023  fm / s)

      = 1.550 ×1011  s                  ・・・(14)

 

が得られる。

 

 要するに。

 

 水素原子核(陽子)の周りを電子が円運動しているとすると、古典力学・古典電磁気学の考えでは電磁波を放射して、1011 秒程度の短時間で電子は原子核に落ち込み、原子は壊れる、つまり安定に存在できないということになる。宇宙の年齢より長寿命という夢は壊れた。

 こうして、ラザフォードの原子模型を真摯に採ると、なぜ原子が安定に存在するのかということが新たに問題になってくる。

 黒体放射の問題、低温でのデュロン・プチの法則からの熱容量のずれ、原子から放射される光(電磁波)の離散スペクトルの問題、それから今の原子の安定性の問題などから、ミクロの世界で成り立つ量子力学の構築に結び付いていく。

 

 マックス・プランクアルバート・アインシュタインを始め、量子論の構築に多くの人が取り組んでいく。中でも、デンマーク生まれのニールス・ボーアが、1911 年にラザフォードのもとで、原子模型の研究をはじめ、1913 年に、電子から電磁波が放射されないとしたボーアの原子模型に到達する。ラザフォードは元素の変換ですでに 1908年にノーベル賞を受けている。なぜか化学賞だが。1922 年にニールス・ボーアが原子物理学への貢献でノーベル物理学賞を受ける。

 ちなみにニールス・ボーアの息子、オーゲ・ボーアは原子核物理学への貢献で 1975年にノーベル物理学賞を受けている。

 ちなみに、ニールス・ボーアのお孫さんであり、オーゲ・ボーアの甥っ子さんと共著の論文が私には 5 編ある。

 不思議な縁だ。

146.太陽黒点

 最近、ある教科書を読んでいたら、おもしろいことが書かれていたので、少し専門的になるが、忘れないうちに備忘しておく(目からウロコの物理学1(牧島一夫著)東京大学出版会)。

 ただ、完全に数式を追えなかった。が、数係数が正しく出なかったくらいなので、定性的な理解にとどめておいて良しとしよう。

 

 軸対称な場合の電磁気学を考える。要するに、筒状、つまり円柱状に電離した水素ガスがあり、円柱の長い方、z 方向に磁場があるとしよう。

 

          

 

 円柱座標 ( r, φ, z ) をとる。x、y、z とは、x = r cosφ、y = r sinφ の関係がある。磁場は z - 方向に一様に存在しているので、すなわち磁場は z 成分のみ存在する。その磁場は z 軸周りに軸対称である。また、電場は考えない。このとき、 z 軸周りの成分のアンペールの法則は、微分型で

 

     ( rot B )φ = μ0 jφ      ・・・(1)

 

となる。ここで、j は電流密度で、z 軸周りの方向である φ 成分のみがあり、すなわち z 軸周りに流れている。また μ0 は真空の透磁率と呼ばれる定数。左辺の磁場の“回転”を円柱座標で書くと

 

     ( rot B )φ = ∂Br / ∂z - ∂Bz / ∂r    ・・・(2)

 

と表されるが、磁場は z 成分のみ ( Br = 0 ) かつ、z 方向に一様で軸対称なので Bz は座標 z と φ には依存せず、r にのみ依存している。さらに、r ≦ a には電離した水素ガス、すなわち陽子と電子からなるプラズマがあるとしたので、r > a では何も無いとして、

 

   

     -dBz(r) / dr = μ0 jφ =  0         ( r < a ) 

     -dBz(r) / dr = μ0 jφ = -γB0 r / a2    ( r ≦ a )    ・・・(3) 

 

とする。2 番目の等式が、ここでの電流密度を仮定としておいてみた形だ。ここで、γ ある定数で、B0 は(3)式を解いた際の積分定数、すなわち、r > a では z 方向にある磁場の大きさは一定で、r に依らず B0 とした。この時、r ≦ a では Bz の r での一階微分が r に比例しているので簡単に積分できる。r = a では r > a での磁場 B0 と接続するように境界条件を置くと、r ≦ a では

 

      Bz(r) = B0 [ 1-γ/ 2 ×( 1- r2 / a2 ) ]    ・・・・(4)

 

と解ける。

 

 

 

 さて、磁場が生じたので、この磁場からプラズマを構成している陽子や電子は力、ローレンツ力を受ける。ローレンツF は、ベクトルの外積を使って

 

     F = q v × B     ・・・(5)

 

となる。ここで、q は入射粒子の持つ電荷v は入射粒子の速度、B は磁場である。z 方向に磁場 B があるとき、磁場に垂直に速さ v で入射してきた電荷 q の荷電粒子には、

 

     F = q v B       ・・・(6)

 

の大きさのローレンツ力が働く。向きも考えよう。

 

  

 

 まずは陽子。質量を mp と書こう。電荷は正なので、q = e。ここで e は素電荷。z 方向の磁場の下、時計回りの円運動をする様な方向に、ローレンツ力が働く。図の左側の状況。速さ vp で入射してきて、結果的に半径 dp の円運動をしているとすると、円運動の遠心力 mp vp2 / dp と磁場によるローレンツ力が釣り合っているとして

 

     mp vp2 / dp = e vp B     ・・・(7)

 

となるので、円運動の半径 dp

 

     dp = mp vp / ( eB )       ・・・(8)

 

と得られる。

 

 続いて、陽子数密度 np

 

     np (r) = np0 ( 1- r2 / a2 )    ( r ≦ a )

     np (r) = 0            ( r > a ) 1    ・・・(9)

 

と置いてみよう。中心 z 軸上では密度 np0 だが、外へ行くにつれ減少し、r =  a では無くなる。r > a ではプラズマは存在しないのでこれは妥当だろう。

 

 下図左のように、磁場の中心から距離 r + dp の点を中心とした陽子の円運動と、r-dp を中心とした陽子の円運動に起因して、半径 r のところで流れる電流密度を考える。

 

   

 

 r -dp を円運動の中心とした所の陽子の運動では半径 r のところでは時計回り方向の運動になっている。一方、r + dp を中心に円運動している陽子は、半径 r の所では反時計回り方向の運動となっている。しかし、r-dp を中心として円運動する陽子の密度の方が、r + dp のそれよりも式 (9) から大きいので、密度に電荷と速度を掛けて得られる電流密度は、r-dp を中心とした円運動する陽子の個数の方が多いので、結局、半径 r のところでは時計回り方向の電流密度が得られる。反時計回りの方向を正の方向に取るのが一般的なので、半径 r での電流密度 jp (r) は、r-dp と r + dp を中心として円運動する陽子の寄与から

 

     jp(r) = np(r+dp) e vp -np(r-dp) e vp

       = ( np(r+dp)-np(r-dp) ) / ( 2dp ) ×2 e vp dp

       = ( dnp / dr )×2 e vp dp

       = -( np0 r / a2 ) ×4 e vp dp           ・・・(10)

 

が得られる。括弧が多くてややこしいが、 np(r+dp) は場所  r+dp での陽子数密度 np ということ。ここで2行目から3行目へは dp が小さいので微分に直して、3行目から4行目へは(9)を使って微分を計算した。最後の式で負号が付いたので、時計回りに電流密度があるということだ。これはさっきの考察に合っている。(8) を使ってdp を消去すれば

 

     jp(r) = - ( 4np0 mp vp2 / B )×( r / a2 )      ・・・(11)

 

が得られる。最初、(3) で電流密度がプラズマ内では r に比例すると仮定して導入したが、(11) のように、結果的に電流密度は r に比例して得られたので、(3) と (9) の仮定は無矛盾だというわけだ。

 

 得られた電流密度 (11)には陽子の速さ vp が現れている。プラズマ中の陽子の速さは全て同じではないが、これを平均の速さと考えておこう。そうすると、第 10 回でも記したように、粒子の運動エネルギーの平均が絶対温度 T に比例していたので

 

     ( 1 / 2 ) mp vp2 = ( 3 / 2 ) kB T     ・・・(12)

 

である。ここで、kB =1 .38×10-23 J/K はボルツマン定数と呼ばれる定数だ。同じく第 10 回で記したように、理想気体では、圧力 P、体積 V、粒子数 N の間に

 

     PV = N kB T      ・・・(13)

 

の関係があった。今の場合は陽子ガスなので、添え字を p と付けて

 

     Pp = ( Np / V ) kB T = np kB T      ・・・(14)

 

となる。粒子数密度 np は単位体積当たりの粒子数なので、np = ( Np / V )。こうして、電流密度 (11) から vp を消去すると

 

     jp(r) = -( 8np0 / B ) ( 1 / 2 ) m vp2 ( r / a2 )

       = -( 12 / B ) np0 kB T ( r / a2 )

       = -( 12 Pp0 / ( B a2 )) r

       ≒ -( 12 Pp0 / ( B0 a2 )) r        ・・・(15)

 

となる。ここで、Pp0 はプラズマの中心 r = 0 のところでの圧力に相当している。また、最後の式では、磁場 B を、B0 で近似した。式 (4) で γ が小さければこの近似は妥当だ。

 

 さて、プラズマは陽子の他に電子も存在している。電子の場合は電荷が負なので、磁場によるローレンツ力のもとで反時計回りの円軌道を描き運動する。さっきの図の右側の場合だ。こうすると、磁場の中心から距離 r + dp の点を中心とした電子の円運動と、r-dp を中心とした電子の円運動に起因して、半径 r のところで流れる電流密度を考えることができる。r-dp を円運動の中心とした所の電子の運動では半径 r のところでは反時計回り方向の運動になっている。一方、r + dp を中心に円運動している電子は、半径 r の所では時計回り方向の運動となっている。しかし、r-dp を中心として円運動する電子の密度の方が、r + dp のそれよりも式 (9) と同じく大きい。ところが、電子の電荷は陽子と違って負なので、電子の運動方向と電流密度の方向は反対になる。こうして、密度に電荷と速度を掛けて得られる電流密度は、r-dp を中心とした円運動する電子の個数の方が多いので、電子の流れは時計回り方向が大きいが、負の電荷をかけるので、結局、半径 r のところでは時計回り方向の電流密度が得られる。電子の寄与は(10)式で、陽子 p を電子 e に読み替えて、

 

     je(r) = -ne(r+de) (-e) ve  + ne(r-de) (-e) ve

       = ( ne(r+de)-ne(r-de) ) / ( 2de ) ×2 e ve de

       = ( dne / dr )×2 e ve de

       = -( ne0 r / a2 ) ×4 e ve de           ・・・(16)

 

となり、陽子の寄与 (10) と、添え字を除き同じになる。円運動の半径 de は(8)で陽子を電子に置き換えたもので

 

     de = ( me ve / e B )      ・・・(17)

 

だ。こうなると、電流密度の方向は陽子と同じで、陽子のときの議論をそのままなぞり、(15)と同じく、電子の電流密度への寄与は

 

     jp(r) ≒ -( 12 Pe0 / B0 a2 ) r        ・・・(18)

 

が得られる。こうして、半径 r のところで時計回りに流れる電流密度 jφ(r)  は、陽子と電子の寄与を足して、真空の透磁率 μ0 をかけて

 

      μ0 jφ(r) = μ0 (  jp(r) + je(r) )

         = -( 12 μ0 / ( B0 a2 ))×( Pp0 + Pe0 )r 

         = -( 12 μ0 / ( B0 a2 )) P0 r       ・・・(19)

 

となる。ここで、プラズマの圧力 P0 は陽子と電子の寄与の和、P0 = Pp0 + Pe0 を導入した。また、磁場の応力

 

     Pm0 = ( B02 / 2μ0 )       ・・・(20)

 

を導入しておこう。これは磁力線(磁力管)同士が反発する一種の圧力で、磁気圧と呼んでおこう。こうすると、(12)は簡潔に

 

     μ0 jφ(r) = -( 6 P0 / Pm0 ) B0 ( r / a2 )    ・・・(21)

 

と書けてしまう。こうして、(3) と見比べて、γ= ( 6P0 / Pm0 ) とおけば、最初の仮定(3) に戻り、話が閉じた。無矛盾だ。ただし、詳しい計算ではここの右辺の因子 6 が 1になるようだ。(15)、(18)、(19)、(21) の各右辺、ともに 6 で割ったものが答えのようだ。定性的な理解なので、6 の因子のずれは忘れておこう。また、プラズマの圧力 P0 が、磁気圧  Pm0 より十分小さければ γ が小さく、B ( = Bz(r) ) を B0 とした近似が成り立つことになる。

 

 ここまで準備しておいて、再び (9) と (14) に戻ろう。そうすると、Pp0 = Pp(r=0) = np0 kB T 等に注意して

 

     Pp = np kB T = np0 ( 1-( r2 / a2 ) ) kB T

      = Pp0 ( 1-( r2 / a2 ) )

     Pe = Pe0 ( 1-( r2 / a2 ) )            ・・・(22)

 

となるので、両者を足すと、プラズマの圧力の r 依存性は

 

     P = Pp + Pe = ( Pp0 + Pe0 ) ( 1-( r2 / a2 ) )    

      = P0 ( 1-( r2 / a2 ) )            ・・・(23)

 

となる。一方、磁気圧の方は、やっぱり γ を小さいとしてべきを展開して、(4) から

 

     Pm = ( Bz(r)2 / 2μ0 )

       = ( B02 / 2μ0 ) (1-( γ / 2 )( 1-( r2 / a2 ) )2

       ≒ Pm0 (1-γ( 1-( r2 / a2 ) )        ・・・(24)

 

となる。もう一度 γ= ( 6P0 / Pm0 ) を思い出してプラズマの圧力 P から P0 を消去すると

 

     P = ( γ/ 6 ) Pm0 ( 1-( r2 / a2 ) )       ・・・(25)

 

となるので、(24) と (25) をうまく足すと

 

     Pm + 6P = Pm0 (1-γ( 1-( r2 / a2 ) ) +γ Pm0 ( 1-( r2 / a2 ) ) 

         = Pm0 = ( 一定 )  ( = B02 / ( 2μ0 ) )

 

と、一定になる (正しくは、Pm + 6P = ( 一定 ) のようだ )。

 

 ようやくたどり着いた。プラズマ中に磁場があったとすると、磁場が強ければ磁気圧 P( = Bz(r)2 / 2μ0 ) が大きくなるので、上の式からプラズマの圧力 P が小さくなることがわかる。そうすると、(22)、(23) から P = Pp + Pe = ( np + ne ) kB T なので、P が小さくなるということは、プラズマの温度 T が低くなるということだ。

 

 太陽は陽子と電子のプラズマで、かつ磁場がある。太陽磁場は下図の左側のようであったとしても、太陽は極の方より赤道で自転速度が速いので、磁場は赤道付近では巻き付いていき、下中図のようになる。さらに巻き付いて、時々磁場が太陽表面に出る。下右図の状況で、磁力線が折れているのは太陽の外に出ていることを表現した積もり。磁場が太陽表面に浮き出たところが黒点になるので、黒点は必ず2つセットで現れる。図ではセットを2つ書いてしまった。やがて、異なる磁力線から太陽表面に飛び出したNと S と書いた磁力線が組み代わって、下図左の状況に戻る。

 

   



 

 磁場が浮き出した太陽黒点では、周りより強い磁場が存在しており、黒点から磁力線が出ている。ということは、黒点では大きな磁気圧 Pm があるということで、そこではプラズマの圧力 P は周りより小さくなる ( Pm + 6P = 一定 ) ので、PV = N kB T の関係から黒点での温度 T は周りより低くなっているはずだ。周りより温度が低いので、暗く見える。それで黒く見えるというわけだ。

 

 長い旅だった。