うどん二郎のブログ

95年生/横浜/写真

見るときについて

眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。

ーー寺田寅彦『柿の種』

写真を見るとき、たいてい目の前にその写真に写された風景はない。だから「窓」として写真を捉えるにせよ「鏡」として捉えるにせよ、写真の画面は目の前の風景と地続きではない。ただ、映画などほかのメディアとはことなって、目を閉じてしまえばその異世界体験は終わってしまう。そのことの不思議をひとは眠るときにもしばしば感じるだろう。目は閉じて意識が遠のいているのに、ありし日の記憶の断片で構成された夢をみたりするからだ。ただひとつ、写真はほんらい、見たくないときは見ずにすませられるものである。

ではこんな夢想もしてみたくなる。写真が世界の断片だとして、それらを全部集めたら世界がまるごと「見える」のか?  と、ここまで大袈裟でなくとも、ある写真家が撮った写真と別の写真家が撮った写真はどう通じ合うのか、それらを総体として見ることで鑑賞はどう変わるのか。

上のような発想に至ったのは、鑑賞について考えているとき「間テクスト性」という文学の用語が頭をよぎったからだ。

(批評の文脈においては、構造主義の影響を受け、歴史的に異なる時代に属する文章であっても、それらは共時的に存在しているとみなす、その意味でーー引用者補足)作品ではなく、「織る」を語源とする「テクスト(テクスト性)」という語が用いられるようになり、批評の役割は、それぞれの(作品ではなく)文章があたかも織物(テキスタイル)のように相互に関係し合う様相、つまり「インターテクスト」性を記述することとなった。

(大橋洋一編『現代批評理論のすべて』「テクスト、インターテクスト、サブテクスト」、現代書館)

あるテクストを読むとき、そこには過去の無数のテクストが織り込まれてあるようにして相互に関係しあっているのではないか。間テクスト性とは、そのような読解の態度である。じっさい無から文を生成する者はいない。AIですら何かしらの読書体験(情報摂取体験)を経てから書き始める。

このような立場に立ったとき、写真の場合はどうかと考える。断片である写真の「外」には現実の風景がひろがっている。時間も流れている。ひとつの参照点としてソンタグの言葉を借りよう。

一枚の写真は断片にすぎず、時間が経つにつれてそれをつなぐ綱は離れる。それはゆるやかで抽象的な過去性へと漂い流れて、どのような読みも(他の写真との組み合わせも)自由になる。(『写真論』p.93、1979年、晶文社)

文中の「それ」にはおそらく「自分」とか「記憶」といった言葉が代入されるだろう。総体として、現実の風景がなにか知覚し得ないほど巨大なものとしてあって、それの断片の切り貼りが写真をめぐる営みなのではないか。ソンタグの言う「抽象」とはほんとうは写真というジャンルにはそぐわない言葉だ。なぜなら写真は、具体的なものや光しか写せないからだが、時間が流れることによって、そこに写っていたものが誰のものなのかどこのものなのかわからなくなり、結果、「自由」になる。

写真に間テクスト性がありうるとすれば、それはフチの「外」の世界がつながっているという予想があるからだ。広大な世界を区切ってみればそれは断片としての写真となり、組み合わせてみれば総体としての世界となる。もちろんこれは思いつきの理念形にすぎないのだが、こうして写真に間テクスト性を導入することで、一枚の写真が、卓抜した写真家によって、単独で「創造」されるという見方を回避できるのではないかと思い至った。

逆にいえば、ごく単純に、写真を規定しているものとはフチである。写真家・大山顕は写真の原理を鋭く考え抜いた『新写真論』(2020年、ゲンロン叢書)で「フチのないものにサイズはない。(…)まず注目したいのは、人間の視界にはフチがないということだ」(p.94-95)と、人間の視界と写真のフレームについての相違を端的に述べている。

しかしそもそもなぜ絵画や映画、写真などの視覚芸術にはフチがあるのだろう。遠近法が発明されてからというもの、基本的にイメージとは四角い枠のことである。大山はつぎのように述べる。

要するに、動かず固定された片目で見た遠近法は、フチを設定しないと「不自然」に見えてしまうのだ。フチがないにもかかわらず肉眼の視界が「不自然」にならないのは、眼球、頭部、身体が絶えず動いているからだ。(p.96-97)

イメージが「不自然」になるかどうかは、鑑賞者側の動きに要因があったようだ。それに、肉眼の視界は動いているものをとらえ続ける。ソンタグは前掲書で「写真は時間の明解な薄片であって流れではないから、動く映像よりは記憶に留められるといえよう」(p.28)とも述べていた。

もうすこし大山の議論を引き受けよう。今度は支持体についての話である。

そもそも、写真に触るようになったこと自体が衝撃的である。フィルム時代の写真は基本的にプリントしなければ見ることができず、そのプリントは決して触ってはいけないものだった。(…)しかし、今や写真は触れるものである。(前掲書p.204)

多くのひとがスマートフォンで写真を見る時代になった。もはやプリントされた写真を手に取ることもないだろう。そもそも、その表面は不可触な場所であった。そんな畏れ多い「表面」を、ひとはいま撫でまわしつまみ倒している。触ることと見ること。大山は本書の中で、「〈顔〉的知覚」(西兼志)という概念を紹介している。

〈顔〉的知覚とは、触れるものがそのままで触れられるものである触覚的なものである。別言すれば、視覚において触覚性を再現するのが〈顔〉的知覚なのだ。

(西兼志『〈顔〉のメディア論』p.19、2016年、法政大学出版局)

大山は「「触れる」と「触れられる」が同時に起こるのが触覚の特徴である。(…)しかし乳児が母親の顔を見るときの視覚は「見る」と「見られる」が区別しがたく、いわば触覚的だというのだ」(p.207)と西の議論の補足をしているのだが、乳児にとって、授乳をされるときの知覚は言ってみれば視覚-触覚相互的な感覚なのであろう。このような見る-触るの相互的な感覚に近いのが、スマートフォンの液晶画面なのだという指摘だ。ひとはスマホで写真を見るとき、すでに写真に触っている。

このような写真の形式への注意は内容をも変化させる、というのが本記事のつぎの論点なのだが、収拾がつかなくならないようにあくまで軽く触れるにとどめておく。

メディア論学者・石田英敬と思想家・東浩紀の共著『新記号論』(2019年、ゲンロン叢書)で石田は対談の補論として長い考察を書いている。石田による補論「4つの追伸 ハイパーコントロール社会について 文字学、資本主義、権力、そして自由」ではメディアの進化と人間の関わりあいについて多種多様にふれたあと、映像系メディアについてこう述べている。

じっさい写真や映画を見ればわかるように、ぼくたちが技術的無意識と呼んだ認知的ギャップを人間は文化的に「文法化」することで、新しい記号表現を生みだしてきた。新しいテクノロジー環境で、ある意味自分たちの無意識を乗りこなしてきたのである。(p.414)

たとえば、写真の静止性は肉眼には備わっていない。人間には見えない一瞬の像をカメラは固定化する。スポーツなどの連続写真は人間の肉眼ではとらえそこなった流れを逆手にとってぼくたちに見せているわけだが、これが「技術的無意識」である。「写真は見えない瞬間を撮ってしまうわけだが、そのことで、バルトがかれの現象学的写真論(『明るい部屋』ーー引用者補足)で語ったように、〈それ・は・あった〉という新しい時間性のカテゴリを生みだした」(同書p.414)。

石田はテクノロジーの偶発性に期待しているようである。

メディア表現には、脳と神経のプロセス、技術的無意識とのゲーム、偶発的な創発の契機、技術の効果を再認して文法化する意識的な捉え返しの作業という、複雑で文化的な練り上げのプロセスが関与している。意識を逃れている偶発的要素を取り込んで、新たな「期待の地平」が生みだされる。そこに「カメラを持ったひと」の「自由」が成立するのだ。(同書p.415)

と、「期待の地平」というフレーズが出てきた。石田が言っているのは技術を逆手に取った新しい表現のことだろうが、別のところで、文学研究者・石原千秋も写真をめぐって「期待の地平」について語っている。まずはこの語の意味するところを押さえておく。

小説を読むとき、読者はさまざまな期待を持ち、予測を立てながら読んでいく。小説がそれらとどう関わるかということである。「期待の地平」(ヤウスーー引用者)通りに終わったとすれば、その小説は読者に新しい何かをもたらさなかったことになる。一方、「期待の地平」が裏切られたとするなら、その小説は読者に新しい何かをもたらしたことになる。

(石原千秋『読者はどこにいるのか』p.93、2009年、河出ブックス)

「期待の地平」とはごくかんたんに、読者が想定する読後感のことだ。期待値といってもいいかもしれない。おそらく音楽でも映画でも演劇でも適用可能な概念だろう。つぎにユージン・スミス水俣病患者の写真の構図について石原は例を挙げる。

アメリカの比較文学研究者ロバート・スコールズは、「期待の地平」が残酷なまでに機能する例を挙げている。日本で起きた公害、水俣病を撮り続けた写真家ユージン・スミスに「入浴中のトモコ」という写真がある。限りない愛の表情を顔にたたえた母親が、水俣病患者の「トモコ」を浴槽に横たえながら抱きかかえて入浴させている写真である。水俣病を世界に知らしめた写真の中の一枚である。スコールズは、この一枚の写真についてこう言っている。


この場合においてスミスは、自分が何を求めているのかをあらかじめ知っていたのだと私は考える。彼は我々の文化史全体の中でイメージと概念が最も根強く、精緻に結合しているものーー図像法とコード、ピエターーを知っていたのだ。処刑された我が子の傷ついた身体を腕に抱く悲しみの聖母マリアのイメージ。彼が「写真の自己構築」と感じたものは、実は母と子の身体が、このすでにコード化されたイコンに近づいていくプロセスだったのである(『読みのプロトコル』高井宏子ほか訳、岩波書店、1991)(p.94)

写真には絵画という先達がいる。膨大なイメージ、それも人々に深く共有されたものであれば構図ひとつでメッセージを伝えることができる。引用が多くなってしまうが、最初のソンタグの『写真論』では写真に固有の語彙が少ないことをつぎのようにまとめている。

写真が一般に評価されるときの言葉はきわめて貧弱である。構図、明るい部分など、絵画の語彙に寄生していることもある。写真がうまいとかおもしろい、力がある、複雑だ、単純だ、あるいはーー好んでいわれるーーうそのように単純だといって誉められるときのように、およそ漠然とした類いの判断からなることの方が多い。

言葉が貧しい理由は偶然ではない。つまり、写真批評の豊かな伝統がないということである。それは写真を芸術と見るとき、いつも写真自体に備わっているなにかである。写真は(少なくとも伝統的に考えられた)絵画とはまったくちがった想像力の過程と、趣味への訴えを提案する。(前掲書p.171)

「期待の地平」とはそのジャンルの鑑賞者が培ってきた語彙のことでもある。スミスはキリスト教圏の視点からある伝統的な構図を繰り出し、絵画の語彙を鑑賞者に喚起させた。しかしソンタグによれば、おそらくそれは写真にとっては「貧しい」ことなのだろう。

ここで結論に明確なかたちを与えることはできないのだが、写真を見るときの語彙が、絵画だけに頼ってしまっていては『写真論』が日本語訳された79年の時点から何も進歩がないと言われても、反論ができない。最低限慎みたいのは、美しい画面を見たとき、「絵画みたい」と漏らしてしまうことだ。それでは絵画のような写真を志向する「ピクトリアリズム」の流行った150年前に逆戻りではないか。

では、写真を見て驚くとはどのようなことか。ひとつには、バルトの言葉に戻ってしまうが、「それ」が「あった」ということであろう。おそらくそれを突き詰めるにせよ、逆手に取るにせよ、すぐれた写真とは存在の〈顔〉を時間からはぎ取ったものである。こう感覚的にしか断言できないが、この予測が大きくは外れていないことに期待をこめて、「見る」ときの思考のスケッチを終えよう。

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動物たち

N夫人ふわりと夏の脚を組む

坪内稔典『ぽぽのあたり』

こんな官能的な瞬間もついに訪れない初夏だった。代わりに何をやっていたかというと近所の動物たちを撮っていた。まとまった文章を用意しようかとも思ったが、あまり筆が乗らず資料を集めるだけに終わってしまった。動物たちは人間より動くのが速い。またどこに動こうとするかも読みづらい。気づけば時間が経っている。いつかは親しいひとの写真も撮りたいと思う。

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横浜海上いらっしゃいませ

横濱や無人のぶらんこを愛す

永島靖子『眞畫』

23年の終わりから24年春まで。横浜で気ままに遊んで、その地で撮った写真を並べる。大黒PA金沢八景磯子・海の見える公園、本牧シネマ・ジャック&ベティ(黄金町)、江田、家の近所……。澄んだ空気にはしゃいだ気持ちが写る。初夏はどんな光が差すのだろう。f:id:udonjiro:20240420191214j:image
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テニスーー小さな賭けと確実さについて

高い天空には小さな球体が宙に浮き、そこは黄金の鞭で快音響く一撃を加えようという特別な目的で彼女が作り上げた、力と美にあふれる小宇宙なのだ。

ーーナボコフ『ロリータ』

スコットランド出身の元世界トップテニスプレーヤー・アンディ・マレー(シングルス46勝)はあるときインタビューで「みんな完璧なテニスを心掛けているけど、それは絶対に起こりえないことだし、それを受け入れないといけない」と語っている。もしくは逆に、同じく元世界トップのロジャー・フェデラーは22年9月の引退後、知人の息子にフォアハンドを教えるときに打った見本のストロークについて「私の打球はどれも完璧でした。私はただ「うわあ、今でもできるなんて」と思いました」と感嘆していた(『GQ』24年3月ウェブ版)。

ここにひとつ完璧さをめぐる逆説がある。ゲームで完璧に打とうとして放ったストロークはネットかアウトの可能性を含んでいてつねにミスと隣合わせで、おおむね期待にそぐわない軌道を描くが、試合から遠ざかった元チャンピオンが見本のために打った球は、引退後にもかかわらず完璧なものになってしまった。ひとつのショットがポイントになるかどうかは事後的にしか分からない。だとしたら完璧さとは、まるで賭けではないか。

このような感慨はスポーツをするひと、見るひとなら誰しも抱くと思う。じっさい、結果が分かっている試合などないからだ。確実な試合、100%入るストロークというものがありえないという前提によってテニスという競技は成り立っている。だからみな完璧なテニスを求めるが、マレーはそもそもそれが叶わないことを認めようと言う。

彼らの言葉には重みがある。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズはインタビュー『アベセデール』の「T」の項目「テニス」で「チャンピオンとはスタイルの偉大な創造者」であると言っている。ぼくたちはフォームを最初に習うとき、じつはそれはその時代の「流行っている」フォームを習うのだ。そしてそのフォームとは、チャンピオンたちが発明してきたものである。「どんな単純なフォームであれ、それはチャンピオンが発明したものだ」。

スタイルは変化する。ラケットもストリングも変化し、進化する。けれど、コートはほぼ変わらないし、ボールも公式球はずっと同じだ。だから確実なことは、打った球が重力と風の影響を受けるということ。打球点によって入る角度は物理的に決まっていること。物理法則と時間軸は曲げられないので、それだけはあらゆる人が同じ条件にさらされている。テニスに確実さがひとつあるとすれば、この物理法則だろう。つまりボールが入るかどうかは事前にはわからないが、入らない軌道は存在するということ。

流行のフォームはそれに加えて相手のミスを誘うようにスピンをかけるように変化してきた。ドゥルーズはそれを「労働者階級のフォーム」と呼んでもいるのだが、これは道具の進化とも相即している。ラケットはより軽く、より飛ぶように、ストリングはよりスピンがかかるように変化してきた。プレーヤーの負担が軽く、かつ相手が打ちづらい(高い打点でとらなければならない)ボールを放てるように改良されてきたのだ。

スポーツのフォームについて、美学者の中井正一は「よきスポーツマンの実存は、摑得したフォームの気分を常に反覆的に繰返して味わうことによってそれを熟せしめながら、しかもそれを脱落してより先に躍進せんとするところの、いよいよ不断の瞬間の持続である」(「スポーツ気分の構造」『中井正一評論集』岩波文庫、初出1933年)と述べている。すこしややこしい言い方だが、これは練習で自分のフォームを見出そうとする選手の心情のスケッチではないか。先に述べたフォームが「チャンピオンによる発明」だとしたらぼくら一般プレーヤーの多くは「追随者」(ドゥルーズ)であるほかないのだが、しかしスポーツとは創造的なものでもある。身体のつくりが一人ひとり違うように、ときに選手は独特のフォームを編み出してしまうものだ。

ところでテニス雑誌というものがある。選手のフォームが連続写真で掲載してあるのだが、YouTubeが発達したいま、スローモーションよりも「遅い」、というか止まってる写真だからこそ身体の動きを参考にしやすいのではないか。現実の選手の動きは肉眼で捉えるには速すぎるし、大きくプリントされてあると指先の向きまで分かるので意外な発見もある。

それからツアー選手の試合観戦をするときに驚くのは打球音だろう。視覚的にはなんてことないフォームでも、当たりの厚さを音で感じることができる。音は自分のプレーと上級者のプレーの隔たりを感じることのできるひとつの要素だろう。

週末にテニスをする。趣味としてしか響かないこの営みに生産的な側面を見出すこと。コートの上での振る舞いが創造の歴史に連なっていることに思いをはせれば、なんだか楽しくなってくる。

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ゆっくりした時間

ひとつの時間の中にあって幾億も重なる昼と夜

ーー小沢健二「ブルーの構図のブルース」

朝、行きのくだりの坂道から思う些事を帰りの電車で思い出して書き留めるまで、半日以上の時間が流れているはずなのだが、あたかもその半日以上の時間は身体から切り離されてしまったかのように意識から抜け落ちている。ゆっくりした時間がなければ考えごとは進まない。ごはんを食べてお風呂に入って歯を磨いて、あとはもう寝るだけというタイミングがよく考えがはかどるのだけれど、あるとき「集中している状態というのは忙しなくしているときではなくて、ぼーっとしているときなんだ」と説くひとがいて、こうして夜更けにまとまった「文」のかたちで想念をしたためるとき、そのことを強く実感する。気持ちが落ち着いていたり、ほかのことに邪魔されなかったりすることがどれほど貴重なことか、むかしはあまり考えなかった。仕事や家事、世の速い動きに合わせて流れるように思考していくこともあるが、好き勝手読んで、見て、思索を凝らしてそれを書き残すには、急がないで時間をかけることが必要だ、と思う。

べつにライフハック的な指南をするつもりはないのだが、その際、案外手書きのメモが役に立つ。あまりメモを手書きで残すことはしなかったのだが、アナログな回路を使うことで日常に「傷」をつけられるというか、用紙の場所を取る分目につきやすい。ペンで書いた文字もディスプレイに表示されるそれよりゴツゴツしていて、というかスマホやパソコンの画面に並んでいるそれはつるつるとしすぎていて頭に入りづらく、比較すると時間と手間はかかるが手書きの汚い字で書いた内容のほうが忘れにくい。反動的に思えるが、いまはこれがしっくりくる。

考えを整理する方法はほかにもある。最近読んだ本で村井俊哉『はじめての精神医学』(注1)がある。「精神医学」という専門分野の全体像を、比較的若い読者に向けて伝えるという本なのだが、内容はさておき、著者が精神医学について考えるときの考え方が役に立つ。いってみれば「消去法」だ。「「こころの病気」に似てはいるが「こころの病気」ではないものを列挙して、そこから「こころの病気」とは何か、を理解しようという方法」(p.158)である。現代思想では「否定神学的」と呼ばれるような方法だ。ここから日常の「ちょっと残念な行動」(遅刻、夜更かし、変なこだわり等)と「病気」のあいだに線を引いていく。あるいは、病気とは「患者の数だけ病気の種類がある」ものではないかという考え方(相対主義)に、「分類は分けすぎると役に立たなくなるのです」(p.25)ときっぱり距離をとる。こうして自分の専門分野をある種割り切ることで治療の成功率を上げることができるようになる。長年その分野にいると見えてくるような限界も、この本で書かれてあるように社会とつながっていて(DSMの版によって削除されたり追加されたりする病気)、そのことに意識的でいられると初学者もしくは専門外のひとにも話が通じやすい。「消去法」という考え方も応用が効く(人付き合い、買い物、料理、自分の専門分野)。

10年以上前の記憶。小田急相模大野駅改札を出て右。ペデストリアンデッキを突っ切ってエスカレーターを降り、コリドー通りの大きな一本道を通ると今はもうない伊勢丹の一階を抜けることになる。さらに奥へ行くと「グリーンホール」があり、中央公園があり、学舎があった。知識を身につけるにはゆっくりした時間が必要だった。ぼくは英語が好きだったのだが、単語も文法も試行錯誤して書いて解いて覚えることになる。そのときやはり細切れの時間ではダメで、休憩も含めてたっぷり時間をとらなければならなかった。もしくは、テニス。スポーツの技術の習得も一朝一夕にはいかない。とくに高校生くらいになるとそれまでやってきた別のスポーツ特有のクセみたいなものも染みていて、新たにやるスポーツの「型」を習得するまでに時間がかかる。高度な動き、技術を身につけて試合に勝とうとするならなおさらだ……といったように、この街には、いま思えば至らないながらも、心身を鍛えた記憶が詰まっている。

ぼくがぼくの学業をやり終えたとき、好奇心にもとづいて続いてきた時間からは変わって、生計を立てるためにごくふつうに仕事を始めた。市場においてなんら高度なスキルを持ち合わせてはいない者なのだが、事務的な業務に携わるにあたって、阿部公彦『事務に踊る人々』(注2)は、これまですこし触れてきた語学やスポーツの「型」と関連して、いまの仕事にユニークな視点を与えてくれた。本書は事務がいかに成り立ってきたか、いかに規範的に振る舞うか、そしてその規範の背後には人間らしい要素があるのか、ということを文学の言葉と絡めて示している。この本で強調されるのはまず「形式」だ。届け出や申告、依頼からレポートや論文まで、必ずフォーマットが決まっている。用件記入の方法や議論展開にもルールがある。それはなぜか。生きた現実が「動くもの」であり、「シンボルのながれ」(梅棹忠夫)に変換して、静止させて統御したいからだ。統御しなければ整理できず、整理できなければ知覚できない。それから次に強調されるのは「注意」である。形の細部に差し向けられる目線のことであるが、あくまで批評とはことなって、事務においてはいかに規範に従うかに大きなエネルギーが割かれる。同書ではそこから現代の注意の規範と「発達障害」へと話題が移っていくのだが、深追いはしない。興味深いひとつの「事務エピソード」を挙げるにとどめておこう。ベン・カフカ『鬼のような書類』で紹介されているフランス革命時の話だ(引用は『事務に踊る人々』から)。

1749年のことだった。フランス革命はすでに恐怖政治の段階に至っている。コメディ・フランセーズの俳優の何人かもギロチンに送られることになった。公開処刑である。処刑を見物しようと群衆も集まった。

ところがいつまでたっても処刑されるはずの俳優たちが現れない。どうやら裁判が延期されたらしい。原因は事務文書のトラブルだという。後に語り伝えられたところによると、公安委員会のシャルル=イポリット・ラブシェールという事務職員が訴追状を盗み、水に浸して原形をとどめなくしてから川に投げ込んだという。大量の処刑リストに心を痛め、事務書類の破棄という形で抵抗を示したらしい。おかげで処刑のための手続きは停滞し、処刑そのものも行われなかった。(p.13-14)

戦争の時代、暴力の時代にソフトの力を信じる。本書の最後はバートルビー論になっている。そこでは「潜勢力」という言葉が出てくるのだが、ある意味これに近いことを日々考えている。つまり、ものごととして現れる前の状態、そのかたちをなす前の力。仕事の前後のゆっくりした時間とは、無意識に刻まれた「傷」を点検する時間なのかもしれない。

(注1)ちくまプリマー新書、2021年。著者の村井俊哉(むらい・としや)は1966年生まれ。京大大学院医学研究科修了。医学博士。現在、同大大学院医学研究科教授。『精神医学の概念デバイス』(創元社)など。

(注2)講談社、2023年。著者の阿部公彦(あべ・まさひこ)は1966年生まれ。東大文学部教授。英米文学研究。『文学を〈凝視する〉』でサントリー学芸賞受賞。

「光・顔・時間」紹介

仏哲学者・小林康夫の短いながらも鋭い写真論「光・顔・時間ーー写真は截断する」(『身体と空間』)を紹介する(注1)。

この7ページほどのテクストはある作家や作品を具体的に取り上げた批評というより、写真の存在論とでもいうべきものである。「あるいは写真とは、本質的に不幸なものなのではないか」。はじめにそう問いを投げかけてから小林は論を進めていくのだが、しかしすべての「楽しい写真」を否定しようとしているのではなかった。その楽しさは、「それ[写真ーー引用者]が指示している過去の出来事」によって喚起されているだけで、そもそも写真自体については誰も語っていないのではないか。つまり、「写真は孤独なのである」。

ではなぜそういえるのか。かりに、写された出来事についての記憶を語れる人がいなくなった場合を想定してみればよい。とたんにその写真は「外」に放り出されてしまったかのようによそよそしいものとなる。記憶の外に追放された写真。その時点で、写真があるということは「なんと戦慄的なことだろう」と小林は驚く。これほど時間から引きこもっているものが、この世界に溢れているからだ。

同時に、かつて写真にはじめて接した人々がそれを不吉なものだとみなしたことを、ある種本質的なことなのではないかと付け加える。「魂を抜き取られてしまう」という素朴な表現で、人々は、人間が時間との新しい関係を生きねばならなくなったと伝える。「生きるということは、時間に沿った運動である」。ところが写真は、その流れからつねに取り残されてしまう。それはむしろ時間を「截断」してしまうのである。

小林は写真のこの「秘密」を、シャッターが構造上もまさに「截断する刃」であるという比喩とともに銘記する。「わたしたちは時間を截断するようにして事物を見ることはできない」。だから写真は、絵画とも映画とも袂を分かつ。「非=人間的」ともいえる写真の眼差しを、人間の眼差しに置き直して、それを対象の再=現前としてみるべきではないのだろう。時間の流れから断ち切られたその切断面はみずみずしい光に満ちている。写真を見るということは、「この溢れる光を見ることだ」。

それからベンヤミンを持ち出して、逆にこれが写真のアウラなのだと断じる。ベンヤミンは複製技術におけるアウラ消滅を論じた(「複製技術時代の芸術作品」)。たとえばある夏の日の午後、「山なみ」や「木の枝」に沿って目線が移動し、その運動のなかで幸福のアウラが呼吸されるいっぽう、小林は、写真には不幸のアウラとでもいうべきものがある、と。それは「ガラスの破片のように鋭い光」である。眼差しはもはや、対象との距離をはかって、それに沿ってゆっくりと時間を呼吸することを許されてはいない。写真に写る光はむき出しのまま、以後、けっして取り戻されることがない。写真のアウラは残酷なのだ。

小林のこの一見抽象的な写真論において、具体例として一枚だけ写真が挙げられている。それがニコラス・ニクソンが撮った「ブラウン姉妹 1975年」で、若い四姉妹が横並びに写されているのだが、これが「光」と「時間」に続く三つ目の主題「顔」にかかわってくる。取るに足らない写真なのだけれど、さらにわたしたちは、この四姉妹のことを何も知らない。しかし「そこで女たちの顔は、むき出しになっている」。たしかに、ライティングによって顔がはっきり見えるように写されてある。

それだけではない。〈顔〉とは、生の断面であり、写真には、その「残酷な実質」が、光の粒子として定着されているのだ。さらにもう一歩踏み込んで小林は、「それこそが、すぐれた写真がすべて限りなく〈顔〉に近づいていく理由であるだろう」と述べる。というのも、そこで「人間の顔」と「写真」の特徴が、ぴったりと重なるように二重写しになっているからだ。どちらにおいても、「むき出しの断面」が、わたしたちの眼差しをずたずたに切り裂こうとしてやまない。

ここまで記してきたことは、大げさだろうか。実際小林は写真内部におけるジャンルというものをあまり考慮していないようだし、収録されてある本が出たのも95年で、デジタルカメラが普及しているとはいえない時期だった。写真史のさまざまな潮流をいったん傍に置くような態度には、良い意味でも悪い意味でも純粋さを感じる。

けれど、原理に立ち戻って、写真というメディアのそもそもの性質に着目する視点は持っておくべきだろう。小林はその論点から切り込み、この世界に写真があるという忘れがちな、それでいて「戦慄的な」事実を思い起こさせてくれる。三題噺として書かれたこのテクストの三つの主題に、「截断」という串が入ることによってぎゅっとまとまったものになる。

ここまで性急に走り読みしていったけれど、応用が効くテクストだと思う。唐突に始めた紹介だったが、議論の骨子の説明と補足だけして、終わりもここで唐突にしておこう。

 

*注

(注1)小林康夫:1950年、東京都生まれ。74年に東大教養学部フランス科卒。76年同大学院人文科学研究科比較文学比較文化博士課程修了。78年パリ第10大学留学、81年博士号取得。東大教養学部で用いられた船曳建夫との編著『知の技法』が有名。『身体と空間』は1995年、筑摩書房刊。

待ち合わせ5分前に、だいたい

「行きましょ」なんつって腕を組んで

ーー小沢健二「東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー」

ただし恋に限った話ではない。たがいに腕を組まない関係だってある。でも、待ち合わせのドキドキ感はひとの行動パターンを変える。ふだん自分ひとりの行動に慣れきってしまっているからかもしれないけれど、ひとと、あらたまってお出かけするとなると、ちゃんとしなきゃと思うタイプである。だからその結果、表題のとおり5分前にだいたい待ち合わせ場所にいるのだが、まずちょっとそのまえに一服させていただくことが多い。郊外のターミナル駅なら近くに喫煙所があるし、駅ビルが入っていれば飲食フロアに喫煙ルームがある。紙煙草だからそのへんはごまかせなく、健康なひとたちに配慮して律儀に煙を収束させる必要があるのだ。前日に「喫煙所マップ」というアプリでその日の集合場所の喫煙所情報を調べるときもあるし、べつに吸うつもりがなくてもたまたま近くに喫煙所があると「ではちょっと……」と抜け出すようにひとりでくつろぐときもある。そのとき煙をくゆらせぼんやり思うのだ。人生最高の日になるかもしんない。

……というのは若干言いすぎだけど、ぼくがそのひとに何を言えるか、どんな服を着てくるのか、一緒に何を食べられるか、期待は募る。デートでなくてもかまわない。10年ぶりに会う友人だったら昔と今の変化に注目したい、という話だ。友愛の感情は到着の時間を計算するときに高まる。気軽に気持ちを打ち明けられるひとと仕事の帰りに飲むとか、地元で軽く集まるということがあまりなく、日々孤独に帰宅しているから勝手にひとりで盛り上がってるだけかもしれないが、三十路手前(なんて大人な響きだろう、「かっこつけてピアノなんて聴いてみたり」しようかしら)の岐路に立たされているいまこの瞬間、親密にやりとりできる時間というのは満足なものだ。

いっとき、車に乗ることが多かった。車は正直時間が読めない。駅の改札前で待ち合わせるときと比べて合流に手間取る。陽光が柔らかく差す午前中の国道246号を上ろうとすると、ところどころ100m程度の渋滞にはまる。多摩川を越えるとどの車もいよいよかという気分を発し始めて、どこかで曲がろうとするからしきりにブレーキランプがチカチカしだす。交差点ではかたまりになっている歩行者をゆっくりと見送ってからでないと左折できないから後続の車両はさらにのろのろとするのだが、23区内の駅周辺の道路はどこも通行しにくく、土地勘がないのも相まって心配になりながらひとを探すはめになる。一時的に車を停められる場所をようやく見つけると、車の名前と特徴を告げ、探してもらう。目的地が決まっていたらあとは楽チンだ。音楽が好きなひとだったら流しながらあれこれ意見を述べることができる。プレイリストにしておけば途中でスマホを不必要に触ることもない。おまかせの気分のときはTOKYO FMでよいはずだ。

思い出すこともある。芝生のある公園に着いたとき、小ぶりなトートバッグからサッとレジャーシートを広げてみせてくれたひとがいた。ぼくはあのときの手ぎわの良さに感謝と感動をおぼえたのだった。あるいは、べつのひとが駅のレンタルモバイルバッテリーを歩きざまに逆さまに返却したとき。忙しそうな様子とその勢いから都会人だと思った。「なかなか手が出せない値段の指輪が気になってる」と言っていたひともいた。つぎに会ったとき実物をはめておられ、「通勤電車の吊り革につかまってるからすこし傷もついてるんだけど」と見せてもらったがその指輪自体の高貴さもあってすごく印象に残っている。

なんだか、こんな断片に生かされている気がする。待ち合わせの段階ではこんなに最高にかっこいい瞬間に出くわすと思っていなかったからだ。

ぼくは別れ際、とくに乗り物を見送るときが苦手で、だらだらくっちゃべりながらその日言い残したことはないかなとか考えてだいたい思いつかないのだけど、いつかさっぱりと「じゃ!」なんて言って相手がタクシーで去るときでさえここが愛の最高の瞬間だと感じるときが来るのだろうか。それとも歳をとるにつれていっそうさびしくなっていくのか?

と、つい待ち合わせの話から飛躍してしまった。夏は暑かったからまともなお出かけができなかった。カフェでじっくり話し込むのもいいが、秋にそのへんを歩きながら軽い話をするのもいい。意図的に地名と日付を伏せたが、知らない土地に時間を決めてカメラを持って繰り出すのもひとつの手だろう。下調べをして出かけるのは面白い。まじめに働いて蓄えて、一回くらいはめかしこんで派手な場所に行くのもいいかもしれない。最近「大人になってからじゃないとできないことって意外と少ないかもしれない」と思ったが、だとしたらそれはたぶん資金の問題で、いまから大富豪になるのは難しいにしても月に一回遊びに行けるくらいの稼ぎの仕事はしようかな。f:id:udonjiro:20231105003850j:image