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正直あんまり書きたいこと無いんだけど、日記を書かなければいけない気がしたから筆を取った。入院について書こうと思う。

 

病棟の生活は思ったより安定している。というより、前の急性期が監獄すぎたのだ。携帯も使えるし、本は持ってこれるし、16時までなら外に散歩に行ける。有難い。

今がホテル暮らしだと言われると非常に腹が立つが、設備として否定はできない。そんなに優雅な暮らしはしていないつもりでも、他者から見れば贅沢なのだろうか?私は入院に何の魅力も感じないから、夕方に散歩へ出かけられない今の環境が嫌いである。初夏の始まりはいつも、しっとりとした夜風を含んで、牛糞と青々とした草木の匂いがした。あの時間が何よりも好きだった。今は分からない。夜は虫が入ってくるので窓を開けていられないのだ。

 

ご飯については、当たり前だけど三食でている。元々朝昼食べずに夜の一食に詰め込んでいたせいで、朝が食べられない。無理して食べると吐いてしまう。けれど、昼は食べられるようになった。

ちなみに、明日は肉豆腐だ。ラッキー、嬉しい。ご飯を食べる(咀嚼や嚥下などの)行為は煩わしいが、ご飯自体は大好きだ。

 

およそ三週間という所で、カウンセリングを受けることになった。かなり長い期間をかけて行うらしく、もうすぐ退院では無いのか?と私は不安になっている。1ヶ月だというから私は入院したのであって、伸びるのならこんな場所一秒たりとも居られない。けど、明日から心理検査漬けである。現在風邪をひいていて喉が痛いので検査が無事に終わるか心配だ。朝はとんでもない量の血の塊の痰が出た。ストレス?

 

雨が続いているので、竹が部屋に迫ってきている。部屋にタケノコ生えたらどうしようと思いながら、つまらない冗談に自分で笑っている。うん、元気な気がする。大丈夫、帰れるよ。

 

先生の診察は木曜日。上手く相談できるか分からないけど聞いてみようと思う

夢の中、ななちゃん

夢を見た。小学校の友達が出てくる夢だった。名前は「ななちゃん」。絵が上手くて、私を大好きでいてくれて、ホラーが好きな女の子だった。

夢の中で私は、ななちゃんをお姫様抱っこしながら廊下を歩いてにこやかにお話をしていた。移動して暑くなったから、コンピューター室で着替えをした。ななちゃんはずっとその間、私をじっと真顔で見つめていた。

 

中学から引っ越した私は、小学校以降ななちゃんには会っていない。中学1年生の時「学校どう?部活とか頑張ってるのかな」という絵葉書の年賀状が転送されてきた。返事はしなかった。それっきりだ。

 

夢を見て、ゆっくりと考えた。ななちゃんの家には数え切れないほど招いてもらっている。私が鍵っ子だったことと、ななちゃんの友達が私だけだったことが大きい。二人きりの世界は楽しかった。怖くないからとホラー映画を見させられて、ヤダヤダと言いながら指の隙間から見る時間、イラストを見せてもらう時間。全て覚えてる。

 

はずなのに。ゴールデンレトリバーを飼っていたのはななちゃんだっけ?お母さんってどんな人だっけ?家って、リビングって何階なんだっけ?小さなほころびが、私を砕いてくる。忘れている、私は少しずつ。幸せだった頃の記憶を取りこぼしている。そう気付いた時、ゾッとした。

 

ねえななちゃん。夢の中で見てないで教えて。あの時、ななちゃんに私はどう映っていたの。今どのくらい覚えてる?小学校の中で1人だけ、なんにも言わずに別の中学言ったこと恨んでる?ななちゃん、私は、私はね、もう思い出せないよ。ななちゃん。大人になるって悲しくて痛いね。ねえななちゃん、笑って。夢の中でいいから。

5月8日

好きな人や、親しい人がみんな最初から夢だったなら良かったのにと思う。それなら、眠ればいつでも会える。それがいつか覚めてしまうものだとしても会えなくなってしまうよりずっとずっと良い。また眠れさえすればいつでも会えるのだから。記憶の中に居るだけでは酷く寂しい。いつか忘れてしまうのではないかと、自分が恐ろしくなる。虚構だとしても話して、触れて、一生覚えていたい。

大人になる度に、会えなくなる人ばかりが増える。学校の惰性で会えていた時間が、今はやけに愛おしく感じる。移動教室の廊下ですれ違う時、彼女が私に気付かないまま友達と話しながら過ぎていくのを見送っていた。黒髪。真っ白い廊下と壁。夢? 好きな人々がどこにも逃げないから、学校の規定が好きだった。学校は夢の鳥籠だったのかもしれない。悪夢を見せられたのも学校だけど、仕方ないと思える。

 

 

先日海に行った時、やけに視線が気になった。カップルに思い切り指を差されたこともあった。私の格好か、はたまた服のまま海にばしゃばしゃと入っていくのがおかしかったのか。

なんだか、今年に入ってからやけに人が増えた気がする。昔はもっと、ゆったり釣りをする人や近しい人と散歩をしたり穏やかに海を眺めたりする人たちばかりで、それぞれが他人など関係ないような、でも海とは偉大でありそれらを通じあってその場の全ての人が知り合いであるかのような、そんな感じだったのに。純粋に母数も増しているが、変に人を見る人が増えた。BBQ場が増えたからだろうか?よく分からないけれど、彼らの人を見る瞳は恐ろしい。あんなに海が綺麗なのに、人に注目が行く思考が怖い、なんて。自分で言うのもおかしな話だ。

 

友達が今年から一人暮らしを始めた。その寮の近く、と言っても5キロほど歩くのだけど、川へ行ってみたら、暗くて何も見えないし草木が生い茂って川自体には入れなかった。友達が「私たち海に行きすぎたね」って笑うから、何だか切なくなってしまった。夏、憂鬱な時、LINE一本で小さな浜に歩いていけた過去が懐かしい。波に足を浸して、セミに怯えながら真っ暗な水道で足を洗う。水をたっぷり吸ってきゅうきゅうなるサンダルで駅まで歩きながら、帰りにアイスとうどんを食べたあの日から、私はずっと囚われている。過去に、夏に、苦しみに。

 

友達って難しい。どこまで踏み込んでいいのか、好きになっていいのか、身を委ねていいのか、信じていいのか分からない。所詮は他人だなんて、じゃあ夫婦はどうして支え合うだなんて言うの。恋人って崇高なの?分からないから、みんな嫌いでいいと思ってしまう。私のことを嫌ってしまえ、私も全員嫌いだ、と。でも、本当は、そんなことない、そんなことないんだよ。

 

全部夢で居て。お願いだから。

願う夜はいつも風が強くて、折れてしまいそうだ。

4月17日

一気に沈んだ分、ゆっくりと正気を取り戻している。頭がぼんやりとして体もだるいけれど、無性に不安になることが無い。意識があるのかないのか、今日何していたか聞かれても覚えていなかったりする。

 

13~16時ぐらいまで色々移り変わりつつやっている刑事ドラマや謎の海外ドラマ(映画?)をぼんやりと眺める午後が好き。昔は体が強くなくて休む日が多く、そういう日は必ずただただ横になりながらぼうっとテレビを眺めていた。その影響もあるのかもしれない。今は別に何が悪いというわけでもなく、横になっている。どこかではウグイスが鳴いていて、暖かな風がカーテンを揺らして、風が鼻腔から私に春を届けてくれる。こういう午後はなんだか白昼夢に似ている。夢だから、何をしていたか答えられないのかもしれない。

 

穏やかに過ごす度に、私が穏やかに過ごしていいのだろうかという疑問もふと頭をよぎる。自分を不幸にしているのは紛れもない自分自身だが、呪いをかけたのは私の場合他者である。全てが終わった今、呪いを解くのも自由、苦しむのも自由だけど、突然かけられた呪いの中で自由にされたところで、どうしたらいいのだろうと迷ってしまう。今更元の自分には戻れない、けれど自分を責めてはいけない。考えれば考えるほど泥濘にはまって息が出来ない。今日が青空で良かった、そう思う。

 

あめが大きくなってきた。無条件に愛せる、愛しても誰からも非難されない対象がいるのは有り難い。ゲームや映画、小説やイラストや音楽などもそう言った意味合いが強いように感じる。いつでも自分勝手に一方的に愛せる。残念ながら人はそうはいかない。私は父に会う度に迷惑をかけない娘のように振る舞おうとして疲れてしまう。友達に嫌われてしまったのではないかと度々不安になってしまう。人付き合いは難しく、だから恋ができない。人を愛す崇高さが分からない。もっと一方的に色んなものを愛せたらいいのにと思う。恋じゃなくていい、もっと海を見つめるような気持ちで。届かない地平線に手を伸ばすような感覚で。

 

 

桜が散って、暖かくなり始め、夏が近付いている。夏はいつも調子が悪いので不安であるが、私が少し調子が良くなれば農業の手伝いにいけるらしい。祖父が小さな畑をやっていたこともあり、少し興味がある。死にたいと思うことが無くなることはないとは思うけれど、眼前に出てくるような状態が、頭の片隅程度に移動してくれたらいいなと思う。今は。また沈んだらせぱつまって死にたくなってしまうのだろうから、今は午後をなだらかに過ごしたい。欲を言えば、海沿いで。

疲れた

 

三年越しに遊びに行く予定だった子をドタキャンしてしまった。体が動かない、目眩、嘔吐、腹痛etc。泣きながら文章を打ったけど、彼女には伝わらない。伝わら無くていい。ただただ申し訳なかった。こういう時、どうやって謝ったらいいのか分からない。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。行けない可能性が五分五分の今の自分では遊びの約束なんて、本当はしない方がいいのだろうとずっと思ってるけど、もしかしたらふっと死ぬかも?と思うと会える時に会いたいと思ってしまう。我儘。私の我儘に付き合わせるのを辞めるべきかもしれない。ごめんなさい。

 

毎日毎日、自分を傷つけるのを何とか必死に抑えている。体が商売なこともあるし、何より治らないといけないからだ。正確には治った振りを、しないといけないから。傷を見られて心配なんてもっての外で、人に迷惑をかけられない。ずっと良くなった振りをしながら、誰もいなくなった麗らかなはずの午後にひたすら泣いている。誰かに助けて欲しいと思いながらも、誰にも触れて欲しくないという矛盾をずっと抱えている。そのせいで、私が忘れてしまえば過去はまっさらだ。その方がいいとは思うけど、時折過去の私になんにもないことを思い出しては寂しくて悲しくなる。

私はいつまで鬱なのだろう。実は元気なんじゃないだろうか。甘えているだけで、働けるんじゃないだろうかとぐるぐる悩んでは自殺企図と動かない体に悩まされている。

けれど、いい事もあって最近昼食が概ね毎日食べられるようになった。あめがいるから、必然と餌をあげるために起きなくてはいけなくて、どうにか這い上がると意外と食事が取れる。先生も「いいですね」と言って褒めてくれていた。食事は大事らしい。

今は実家で暮らさせて貰っている。ご飯も用意してもらっている。ただ、この暮らしがいつまで続くだろうかと思う。母は気が変わるのが早く、今は私を可哀想だと言ってくれるが、いつ邪魔者に変化するかが怖い。寛解した時、あの時こうしてあげたのに!と言われるのが怖い。症状を馬鹿にされるのが怖い。昔、苦しい時に手紙を書いて母に渡した時「こっちの方が死にたいわ」と冷たくあしらわれ、笑われた声が忘れられない。大きな恩と足を引っ張る恨みで頭がおかしくなりそうな時がある。誰も信用出来ない。今は何も切迫することなどないのに不安と焦燥感があるが、誰にも相談できない。

 

死にたい。マンションに侵入出来ればと試すのが辞められない。首紐は無いから最近はしていない。ごめんなさい。皆が早く死ねばいいのにとは言わずとも、いつまで病んでるんだとか大袈裟だとか面倒臭いとか、私が居なくなれば解決するような心情を持っているような気がしてならない。ごめんなさい。私は、私を可哀想に見せている私が一番嫌い。死にたい。

 

これからどうするの?と聞かれる。私にアドバイスする人はみんな学校を出ている。母が、学校を出ていない人を馬鹿にしていた過去があるのを忘れていない。私はどうすれば、というより今どこにいるのだろう。社会の、どう言う立ち位置なのか。障害者?元気なのに?

午後に泣いてしまうので何か作業をとデイサービスの申し込みをした。来週まずは見学らしい。作業療法士の◯◯です。という自己紹介にどろどろと心臓が真っ黒に熔けた。私はなりたかったんだと思う、多分。大卒ももちろん欲しかったし、職を失わない資格も欲しかった。あの資格はどこに住んでも大丈夫な自由になれる資格だ。そして人を助けても良い資格だ。私はそれを放棄した、大馬鹿者だ。親不孝だ。これ以上、これ以上もう何かしでかす前に命を経ってしまいたい。大学は大変だったけど、通っている間は何かをしているという地に足が着いている感覚があって、それが私の唯一の柱だった。今は無い。立てない。

 

私が社会に出れる時一体何歳で、どんな立ち位置だろうと思う。先のことを考えているはずなのに、不安ばかりで終わってしまう。そうなると、死んでしまえば楽だなぁなんて甘えも出てくる。この先一生苦しむなら、小一時間苦しむ死の方がいい。そう思う。毎日、毎日、毎日。それに疲れてしまった。

 

稚拙な頭をかち割りたい。疲れたね。カーテンが揺れるのを見ているだけ

3月4日

卒業旅行の写真をよく見かけるようになった。それを見て春が近づいていると感じる。春は怖い。けれど、夏も怖い。秋なんて殆ど無いし、冬は嫌い。我儘の四季が回る。始まりも終わりも怖い春。一生無為でいたい。

 

部屋にいると死ななければならないと思うけれど、えいと思って外に出てみると幸せそうに散歩している犬と飼い主や、小さな子供と遊ぶ父親、帰宅途中の賑やかな学生がいて、な〜んだと思う。私は自分の生活に密接に向き合い過ぎている節がある気がする。本当はもっと軽くていい。柔らかな葉が揺れるような日々を送ることを自分で許してあげてもいい。多分。

 

日記が書けなくて、これも1週間ほどかけてちまちまと書いている。思考が上手くまとまらない。風邪をひいているからなのか、花粉のせいなのか。よく分からない。

先日友達が家に来てくれたが、この回らない頭で会話をしたと思うと酷く恐ろしく感じた。余計なことを言っていないことを願う。

 

猫や、恋人や、優しい家族など密接な関係にある人がいるのに死にたい人のことを、さては贅沢者では?と思っていたけれど、私もそっち側になってしまったことが悲しかった。死にたさは消えない。だって、当の本人である私が居なくなっていないから。贅沢者という要らない泊がついただけで、私は何も変わっていない。難しくて、寂しい。苦しい。

時折、ふわりと現世から足を離してしまいそうになるのを猫のご飯やトイレや遊びの時間に使って誤魔化している。地に足をつけることは中々難しい。他者のために生きることも難しい。これらはやはり申し訳ないけど、傲慢だ。私はまた私が許せなくなってしまった。

 

雨が降っていると落ち着く。理由に外に出なくていい口実が出来るからだというのに、私は傘を差して散歩に行く。とんだ矛盾である。でも、誰も歩いていない道を歩くのは嬉しい。世界が一人であれば、私は自分を傷つけることによって自分を守らなくてもいい、可哀想な振りをしなくてもいいと、そう思える。

 

 

はやく楽になりたい。海を見て暮らしたい。日記に書きたいことなんてない。文章が上手く書けない。

2月27日

私はずっと、自分の家族のことを家族と思えずに過ごしてきた。正欲という本の中に「地球に留学しに来ているような感じ」というような趣旨の文章があったけどまさにそういうような形で、どちらかと言えばホストファミリーのような感覚に近いような気がする。誰も信用出来ない、頼れない、甘えられない。そんな中で生きてきた。

 

そんな私にもようやく、本当の家族が出来た。ずっと飼いたい猫をようやくお迎えしたのだ。猫に関する権限は全て私、世話も全て私だ。その分責任は重たいけれど、みんなに「この子のお母さんなんだから」と言われると何故か幽霊のようだった足が急に輪郭を表して地についたような気がした。ずっと死と生の淵をさまよっていたけれど、この子を抱いた時に急に雲の切れ目からキラキラと光が差した感覚があった。生きなければいけない、と本当に、初めて思った。

 

この子の名前は「あめ」。猫を飼ったらずっとこの名前にしようと決めていたけれど、まさかお迎えの日も「雨」で「飴」色の子をお迎えするとは思ってもいなかった。これもきっと縁なのだと思う。

 

私は私を大切に出来ないが、あめを通して自分の事を大切にして欲しいとも言われた。

実現出来るかどうかは分からないけれど、この温かい気持ちのままずっと過ごせたらいいと思う。

時点は何も好転していないけれど、私にも私だけの家族がいると思うと今までひんやりと固かった心が柔らかく解けていくような気がする。もう痛みを持つほどの冷たさでなくなった時、私は本当の意味で私を大切にできるのだろう。私だけの家族もいる。

あめと二人、慎ましやかに幸せになれたら良いと願う。今日は、その意思表示の日記。

よろしくね、あめ