拭い難きもの、汝の名は正義

負けた。
id:ululunさん言うところの「負け」

いかんせん心がざわついて収まりが悪い。しょうがないので、今更ながらまとまらないことを書く。


はてな界隈限定でこの一週間盛り上がっていたというか、阿鼻叫喚の地獄になっていたというか、なんか色んな人たちが「お前は間違ってる」とか「お前のことが嫌いだ」とかお互いに言ったり言われたりしていた件。
なるほどこれが「表現の自由」というものかー、と感心しながらコンテンツを見て回ってたら「あれ、俺disられてる!?」そう、気付けば見たものをブクマしてただけのはずが、糖尿病だの気が知れないだのときっちり罵倒されてるじゃないか。

一応、立場の表明というか。

私が大元の既に削除されてしまった記事「ある個人史の終焉」(一応全文転載されたブクマページにリンク)につけたブクマコメ

udy life, 時々読み直したい おめでとうございます。無事のご出産を。

あれ、祝ってるけど別に感動したとか名文とかは言ってなかった。ま、感動はしたのです。

んで、それに反応して書かれたhashigotanさんの文章
heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ

これにつけたブクマコメント

udy あなたの言葉は誰も傷つけていないとでも?あるいは幸せな他人なら傷つけても構わないとでも?表現の自由は万人に開かれているけども、耳を傾けてもらうことを求めるならもう少し賢く振る舞うべし。

ブクマしたのは10user目。結果的に見るならば、私は彼女に対して最初に石を投げた人間の一人であると言えると思う。
ちなみにこの時点で私はhashigotanという人がどういうバックグラウンドを持っている方なのかは知らない。以前にどこかで多分別の文章を読んだな、という記憶が出てきたのはもう少しあとの話。
それと、このコメントの締めにある「もう少し賢く振る舞うべし」という台詞は我ながら説教くさくて大嫌いだが、替えが見つからなかったので自らの表現力の限界を恥じながら放置。


さて。
私が今から書くことは基本的に私に関わること。私はidiotapeさんにしてもhashigotanさんにしてもその文章を読み手として好むものではあるけど、一方で共感したりとか人として好きになったりとかは特にない。ていうか、文章を読んでどんな人かなんてわからない。
だから触れるのは今回のエントリの周辺のこと。

まず、私の今回の諸事(特にheartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ以降)についての認識は「異界の門が開いた」ということ。

異界というのは地上世界と違うルールで成り立ったところ。

そのルールは「http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/58d690dcf02e90a53f5a15310a81f6c2 此のurlにリンクせし者、以後正義の名の許に行う一切の言説を禁ず」であろうと。

なんでそんなルールが出来たかってそりゃhashigotanさんのエントリが、普通なら自重で潰れて然るべきレベルのあんまりな歪さであったことが理由としか思えない。

それが別に潰れず、賛否両論盛り上がっておりますよという、一種のアジェンダとして承認されたかのような状況が発生した時点でこの異界が出現したんだろうな、と。

だって「他人が不快になるような文章を書くな」という論旨の、他人が不愉快になるような文章を書いたんだから。

ロジックとしては無理筋という他なく。

この論理が一般的になったら社会は成り立たない。悲惨な過去を持った人はそういうこと言ってもOK、なんてそんなわきゃない。

その辺は一読してみればわかる通りなのでくどくど言わない。


今回観測された事象は、hashigotanさんという規格外のパーソナリティと、それに基づく完全に論理破綻した、しかし異常に高密度の感情が集積されたエントリが、これまた非常に高い磁力を持ったエントリであった「ある個人史の終焉」に衝突したことによって引き起こされたのであろう。

「なんで」とか「ホントにそんなこと起こってるの?」とか聞かないで。

そう考えないと説明できないから、としかいいようがない。

例えばid:kurokuragawaさんの「あるブログの終焉」とそのブクマコメント


えーとですね、端的にいうと今回の話というのは、とある人が「自分はパパになります」ということを書きまして、ブログにアップしましたら大評判と相成ったのだけど、「不幸せな人が傷つくから幸せ語るのやめれ!」とクレームついてブログ撤収しましたと。

それで撤収した人に対して、この方は「「誠実」な「いい人」の俗物がネットから消えて私はせいせいしている」と仰る。で、そのページについたブクマを見れば

「同意。あのくどい文章も気持ち悪かったし、対応も気持ち悪かった。」

「なんというかな。俺は終始一貫、玄倉川の人が好きすぎると思った。わりと全人格的に、信用してます。」

「もしあの人のあの一連の対応が意識してやっているなら凄く嫌な人間。天然なら絶対に近づきたくない人間だな。」

「はしごたんにdisられて以後の動きとエントリ内容が本気でキモかったので諸手を挙げて同感」

(極めて恣意的に私が目についたコメントを取り上げてるので、実際は賛否両論な感じ。)


率直に感想を述べるなら、それイジメ。hashigotanさんの記事に投げられた「非道いコメント」が落ちこぼれの子へのイジメだとしたら、こっちは優等生の子へのイジメ。

どちらも、その内輪の空気を共有できない人間から見たら、上下の別なく不快。

「あいついなくなってせいせいしたわ」「同感っす!あいつ気持ち悪かったですよねw」ってどこの学園マンガのやられ役だ。

感想終了。


さて私の上の感想はどこから出てきたんだろう、と振り返ってみる。

つまり、誰の責任かと。

普通に考えればkurokuragawaさんであろう。こいつが俺を不快にさせるようなエントリを書きやがったのだふざけやがって。

他人が不快になるような文章を書くんじゃねえよ!











・・・あ、あれ?最近こんな主張が載ってる文章読んだ覚えがあるぞ。つーか、俺「あなたの言葉は誰も傷つけていないとでも?」とか言ってその文章をdisった筈。

よくよく読んでみれば、彼の文章には人物やら文章の好き嫌いが綴ってあるにすぎない。

ブクマコメントについても同様。彼らは実際idiotapeさんの文章なり行動なりに気持ち悪さを感じていたのだろう。

それを表明する権利は、あるのかないのかと言われればあるとしかいえない。

少なくとも私は、自分がそれを感じた時に(例えば今回kurokuragawaさんのエントリとブクマを読んだ時のように)表明する権利を担保したいと願う故に。



そんなわけで、私はこの状況に対して不快感を表明するのだけど、状況を構成する諸々の方々に求めることはなにもない。

(余談だけどkurokuragawaさんのエントリに関しては、idiotapeさんの文章とそれを評価するブクマコメント欄の状況に対する不快感が、状況を構成する要素にすぎない各ブックマーカーに対する「糖尿病気味」といった罵倒とつながってることでいらぬ誤解を呼んでいるようには見えた)



それから、私に対して(というか、私を含むhashigotanの記事に批判のコメントを書いた人に対する)ブクマコメがあったのでそれに返事はすべきかとも思う。

Masao_hate 人生, 心理, これはひどい はしごたんが持つ「恨み」は人間として当たり前の感情。まず、前提はそこからだと思う。ここのブコメはあまりにも酷すぎる。今回のはしごたんへの仕打ちは二次被害級。批判者は全員猛省せよ

そしてMasao_hateさんがこれに関連して書かれた記事がこちら「僕たちは、犯罪被害者の方たちの思いやりに対し、感謝するべきなのではないだろうか

まず確認したいこととしては「批判者は全員猛省せよ」と命令形で書かれていること。

他人に対して何らかの行動を要求する場合、そこには正義が必要となる。

少なくとも私には、上記のコメントを読んで「正義の側にある私が悪の側にあるお前たちに正しい道を指し示す」というニュアンスしか読み取れなかった。

あと、コメント欄を見てる限り、批判する人にも当然ながら色々いる。hashigotanのような人の存在に嫌悪感を示す人、その表現が八つ当たりに近い形で他者にぶつけられていることを批判する人、その文章のあまりに自己中心的なダブルスタンダードを受け入れられない人、それぞれだなと読んでいって思った。

ひょっとして、その中にはideotapeさんのことが好きで、彼が攻撃されることが自分が攻撃を受けたかのように感じる人もいたのかもしれない。いなかったのかもしれない。それはわからぬことだけど。

でもそれを想像することは悪いことじゃないんじゃない?

同じように人を傷つけるような言葉を吐いてる人を見て、片方の気持ちは慮ってもう片方は切り捨てるの?



切り捨てるよね。

少なくとも私は、両方の気持ちを思いやって、共感して、そんなことをいちいちやってる余裕はない心の貧しい人間ですよ。

人が誰かを愛したり、大切にしたりするということは、他の誰かを愛さなかったり、大切にしなかったりすることを伴うことと思う。

まして今回の場合、hashigotanさんはご自分のバックボーンについてこれまで書いてこられているから感情移入とか同情とかしやすいだろうし、一方ブックマーカーというのは数を頼んでいるように見えて、かつ「自殺すれば?」みたいなコメントもあるから、いちいちそんな人たちのことなど考えたくない部分もあろうし。

偏り上等。

ただ、それは自分以外の誰かに強制すべきでないよ。「べき」って凄く嫌いな言葉だけど。

自分以外の誰かが誰に共感するかを決めることはできないし、「誰それに共感すべきではない」なんてナンセンスだということはわかるはずなのだから(これはhashigotanさんを批判した人にも、その批判者たちを批判した人にも、私自身にも向けていることば)。

それから、上記のMasao_hateさんの記事はとても優しい文章だったので、今回の件についての予備知識なしで1年後くらいに読んだら多分同意はしないけど泣いたんじゃないかと思ってる。

ただ、命令形のブクマコメントから飛んでいった私には正義感に溺れているようにしか見えなくて、なんだか損をした気分になった。




最後に、hashigotanさんの記事につけた私のブクマコメントについて。

udy あなたの言葉は誰も傷つけていないとでも?あるいは幸せな他人なら傷つけても構わないとでも?表現の自由は万人に開かれているけども、耳を傾けてもらうことを求めるならもう少し賢く振る舞うべし。

そもそもこれを書いた時のことを思い出すに脊髄反射以外のなにものでもなかったわけだけれど、引っ掛かったのは「傷つけられた!」って叫びながら人を傷つけるような記事を書いていたことと、「反省出来たら二度とネットで子供を作る喜びを語るな」というような人の表現を萎縮させてしまいそうな主張が掲げられていたこと。

なので、実はこのコメントを書いてて「無断リンク禁止の人に突っ込みを入れてるブックマーカーはこんな感じなのかな」とか思ってた。

そう、hashigotanさんのバックボーンを知らなかったこの時点での私にとって、彼女の記事は無断リンク禁止のもう2段階くらいヒドい代物っていうくらいの認識しかなかった。あの記事を読んだだけでその切迫性を理解した方もいらっしゃったようなので、そこは私の感受性の鈍さを恥じるのみなのだけど。

しかしですよ、それからの一週間を見るにどうであったろうか。

hashigotanさんの記事は、少なくとも短期的には多くの人々の魂を(善くも悪くも)揺さぶり、数々の記事が書かれた。あの記事がなければ決して浮かび上がることがなかったであろう無数の想いが、今www上に漂っている。

私はコメントを修正するつもりはない。当初の気持ちから変化があったとはいえ、なおあのコメントは私の今の気持ちを表していると思うから。それに結局idiotapeさんのブログは撤収されてしまったし、萎縮効果が全くなかったわけでないのだから。

それでも、ネットの海を漂う読み手の一人としては、これだけの人々の想いを引き出す触媒となったあの記事を書かれたことに対して感謝の念を持つのです。

はてな村役場が見つかりませんでした(><)

udy2007-10-12

はてなを知ってから2年以上経って、今更はてなダイアリーを開設してみた。

俺もついにはてな市民か・・・としみじみ思ってたら、どうやら私ははてな市民ではないらしい。


市民権を取得する方法については特に書かれていなかった。
困った。

せっかく引っ越してきたというのに、これでは住民票の移転もできやしない。
途方に暮れた私の脳裏にうっすらと浮かび上がる単語がひとつ。

は て な 村

そうだ、そういえば「はてな村」という単語を今日ここに来る途中しばしば耳にした気がする。
というか、「はてな市民」という言葉はあっても「はてな市」というのはどうも聞いたことがない。

そうだそうだ、私は転居先を勘違いしていたのだ。

ここは「はてな村」に違いない!

まったく私には生活力というか、こういう実務的なところが欠けている。
いうたれば村で市役所を探していたわけで、誰かに見られていたら危うく笑い者になるところだった。

村である以上、探すべきは「村役場」に決まっているではないか!!

















そんなわけで村役場を探しはじめて早一日。
HTMLの草むらを分け入って、キーボードを操る指が棒になるまで探し続けたものの、村役場らしき建物はいっこうに見つかる気配がない。

というか、そもそもどこからどこまでが「はてな村」なのか、さっぱり判然としない。

はてなムラは何処にある←疑問
うちもはてな村じゃないんですよ←否定
はてな村は俺の睾丸の中にある←下品

はたして私が今いる場所ははてな村なのだろうか・・・

混乱した私は途方に暮れたまま、しばらくその場に立ち尽くした。

もはや朦朧とした意識の端に、ようやく手掛かりらしきものを見つけながら・・・私のまぶたはゆっくりと閉じていった。

じゃあここがはてな村の中心です。






こうして、私は今はてな村の中心から半径1クリックのところに住んでいます。
結局、村役場は見つからなかったので移転届けは出せず、村民にはなれなかったけど、振り返ってみればそれでよかったような気もしてきました。

しばらくは、一人でゆっくりしようと思います。

未だ見ぬはてな村の繁栄と平和を祈りながら。