新卒の就活なんて運だから失敗しても大丈夫
当時の状況と今
妥協の結果
逃げる為にしていたこと
今は働くことが楽しい
まとめ
「調子に乗ってる」で良いじゃないか。言わせておこう。
無能な上司から逃げ出そう!
年上=敬意が集まると思っている
指示系統と人徳は別もの
それでもついてくるのはバカだけ
その環境に慣れてしまう恐ろしさ
「アルファ碁」は「スカイネット」になるのか?
囲碁の世界でもどうやら人間の能力をAIが越えつつあるようだ。
なんだか無自覚に「人間がんばれ!」「AIに負けるな!」とか考えてしまう。
上の記事でも理世ドルがあと3戦全勝して勝ち越してほしいと期待されている。
・・・なんだろう。少し違和感がある。
AIと人間の代理戦争みたいな扱いされてないか?
いや、勝てなくてあたりまえじゃないのか。
そもそも人間の能力を超えてから、そのAIってようやく「使えるもの」になるんじゃないのだろうか。
人より速度の出ない車に利用価値があるか?
暗算をミスする電卓に利用価値があるのか?
無いよね。だったら人間がやったほうがいい。
それなのに、なぜだろう。(僕を含めて)AIに人間が勝ってほしいと感じてしまうのは。
これ、もしかすると「人間が機械に代替されてしまうことへの恐怖」なのかもな・・と思っている。
機械が自分達よりも優秀になることへの恐怖。
それによって人間の仕事が無くなってしまうのではないか・・・という恐怖。
でも、その変化は抵抗してもきっと仕方がない。・・というか不可能だろう。
自動車が普及すれば人力車はいらないし、電卓が普及すればそろばんもいらず、暗算をする必要もない。
これまでも人の能力をどんどん機械に代替していって社会は便利になっていっている。
AIの進歩についてのニュースを見るたびに、自分が今全力で取り組んでいる仕事「営業」は果たしてこれからも機械に代替されずにいられるのだろうか・・・と考える。
世の中には「営業不要論」というものもある。
じゃあ、AIにはできないことってなんだろう?
営業の仕事にAIに取って代わろうとするとき、僕は何を生業にすればいいんだろうか?
最近はそんなことばかり考えている。
いやーそれにしてもすごいなー。
どんどん人間が勝てる領域って少なくなっていっている気がする。
映画「マトリックス」のように人間が機械に栽培されたり、「ターミネーター」のように機械と人間の戦争が起こる日も遠くはないのかも知れない。
「意識高い系王国」を作ろう
「沖縄」という日本の「発展途上国」
営業マンの生き残る道としてのブログ
お金が欲しい。
でも、人よりも優れたスキルがなければ多くの場合は労働市場では安く買い叩かれる。
機能が同じなら安い方を買う。当たり前のことだ。
さて、自分を省みたときにじゃあ何が優れたスキルなのか、もしくは優れたスキルに育つ可能性があるのか。
今から研究者になれるのか?プログラマになれるのか?芸術家になれるのか?
おそらくどれも難しい。
何故なら、これまでの人生経験のなかで上記のスキルを全くといっていいほど磨いて来なかったからだ。
可能であれば、これまでの経験をベースにしてその延長線上にあるスキルを伸ばしていきたい。
では、これまで何をしてきたのか。
5年に渡りベタな営業をしてきた。
その前はあるイベントの実行委員長をしていた。
これらを通して共通して使用し磨いてきた能力は…と考えたときにそれは「言葉」では無いか…?と思い至った。
営業では言葉巧み(?)にお客さまの心を掴み、委員長だったときには言葉を使って理念を伝え、多くの人に協力を得ることができた。
では、その「言葉」を磨く為にはどうするのか?
何事も学習とはインプットとアウトプットの繰り返しだ。
インプットは読書や会話、テレビなどから身に付けるとして、アウトプットはどうするのか?
会話は勿論有効だろう、他には…と考えたときに思いついたのがブログだ。
このブログは、私の「言葉」のアウトプットを練習帳だ。
特定の誰かに向けるわけでも無く、ただただ街頭で演説をするように、自由に考えたことや感じたことを書いていこう。