この世界にたった1つのカラダ
カラダは本当に尊いものです。
僕ら人間はカラダがないと何もできません。
人と話すことも
ご飯を食べることも
仕事することも
遊ぶことも
恋愛も
喜びも
悲しみも
感動も
僕らは自分のカラダがあるからこそ、沢山の体験や沢山の感情を感じることができます。
そしてこの世に生まれてから、あの世(あの世があるとか無いとか話は一旦おいといて)に行くまでの期間は、一生自分のカラダと一緒です。
このカラダが嫌だ!
こんなの自分じゃない!
あの人みたいになりたい!
と思っても、他の誰かのカラダと交換はできません(テクノロジーが急速に発展しているのでこの先の未来はわからないですが)
僕は普段、カラダを診させていただく仕事に携わってますが、以前から感じていることがあります。
それは
カラダは二の次という生き方をしている方が本当に多い
ということです。
仕事
家事
子育て
人間関係
やるべきこと、やらなきゃいけないことが沢山あって
自分のカラダに目を向ける時間も気力もなくて
寝たら少し楽になるから、まだ大丈夫と信じこんで
でもその間ずっとカラダは悲鳴をあげているのに
カラダからの声にも気がつかなくて
いよいよカラダが限界を超えた時に、激痛や病気となって、カラダからの悲痛な叫び声になってやっと
あ、これはマズイかも
とカラダにやっと目を向けられる
そんな生き方をしてる方が本当に多いです。
ただ、僕はそれが悪いとかそういう話をしたいのではなくて
あなたのカラダは本当は尊くて本当にすごいものなんだよ
って事を伝えたいんです
なぜなら、そう言ってる僕自身も
少年時代は風邪もひいて熱もよく出して
スポーツをしてもケガばかりして
という感じに決して丈夫じゃないカラダなのに、大人になったらカラダの声を無視して
仕事をしたり
人付き合いをしたり
何事も我慢したり
言いたいことも言わなかったり
やりたいことも後回しにしたり
という事を続けていたら、全身ゆがんでまっすぐ立てなくなりました。
むしろ、自分はまっすぐ立っているつもりなのに、鏡をみたらめちゃくちゃ曲がって立ってる自分の姿がありました。
更によくみたら、カラダだけじゃなくて、顔もゆがんでいました。
その時鏡の前に映っていた自分の姿は、今でも忘れられません。
本当に屍のような姿や表情をしていました。
そりゃ患者さんも
先生大丈夫?
って心配しますよね
あ、これ本当に言われたんです。
先生大丈夫?
顔色悪いですよ?
って
本来ならば僕が
大丈夫ですよ
と言う立場なのに、逆に患者さんに心配されてしまったんです。
その時僕は、整体師なのに自分のカラダさえも整えられない情けなさと、そこまでひどくならないと気がつけなかったくらい自分のカラダに無頓着だった事に悲しくなりました。
そこから僕は自分のカラダを大切にするようにしました。
疲れたら休む
美味しいモノを食べる(カラダに優しくて美味しいモノって意味です)
人付き合いを無理にしない
本当にやりたくないことはしない
嫌なことは嫌と言う
感情を抑えつけない
やりたいと思ったことは後回しにしない
そんな風に、まるで子供のような事を繰り返しやっていく事で、僕のカラダは少しずつ、でも着実に元気になっていきました。
もちろん今でも疲れてしまう時はあります。
でも、どうやったら自分のカラダを回復させられるか?
がわかっているので、自分のカラダを無視してまで何かをやり続けたり我慢したりすることはしません。
そうやって、自分のカラダを大切にしてきたら、色んな気づきや学びがありました。
本当にたくさんありました。
そしてそれは今も続いてます。
そんな僕が、自分のカラダを通して得てきた体験や、整体の現場で延べ20000人以上の方のカラダを診させていただいてきて感じた事などこのブログで書いていきます。
このブログを読んでくださった方に、本当に少しでもいいので、自分のカラダに対して希望を持ってくださったら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。