ume_boshiの          ブログ

人生の半ば、ふとした迷いから転職をしてしまった元看護師のぼやきです。

エイプリルフールなんだけど・・・ね。

冗談を言う気にもなれない4月の始まりになりました。

今日は、仲の良かった優しい優しい看護師さんのお通夜なんです。

良い人でした。

ものすごく活発で運動神経も良くてね。

本当は、彼をオペ室へ呼ぶべきだったのかも知れません。

Tさんなら、立派に上手く切り盛りしていってくれたように思います。

私の選択がベストで無かったのは事実なんでしょうね。

あの辺りから、色んなことが上手くいかなかったような気がします。

お馬鹿さんですね。

もうすぐゴールテープを切る頃になって、そんなこと考えても。

何かしら、大きな大きな分岐点だったのかも知れません。

Tさんが来てくれていたら、私は辞めずにいられたかも知れない。

二人の中から選ぶような雰囲気だったけれど

Tさんという3人目のベストチョイスがあったんでしたね。

そうしていたら、何か大きく全てが変わっていたような気がします。

 

人生は、小さな選択の連続とはいうけれど

あれは大きな大きな私のミスだったのかも知れない。

Tさんは器用で頭のいい人だったから、Ope室の仕事は適役だっただろうし

・・・

いや、今更何を考えても遅すぎますね。

今日は、彼のお通夜に行ってきます。

早すぎるよ。

どうしてるのかなって思ってましたが

まさか、そんなに体調が良くなかったとは知らなくて・・・

私自身もあと2年余り走り抜けられるのか自信が無いのだけれど。

頑張ってみるよ。

仲の良かった人達と、ご苦労さん会みたいなことをやりたかったのだけど

残念です。来て欲しかったから・・・。

とにかく、手を合わせに行かせてもらいます。

何も出来ない私で申し訳なかったです。

 

 

 

けふはとても忙しかったデスバイ・・・・I am so busy.....

無理にガス配送しなくても良かったんですけどね。

なんかしておきたくて、予定17-12のところ14-9だけ済ませて

明日やれば良いやん・・・と、灯油配達して、給油もやって

昼飯かきこんでから、ビルトインコンロ取付で・・・

実はこれが嫌だったというか、あんまり気が進まなくてね。

何でかわかんないですけど、関わりたくないお宅ってあるんですよ(^^ゞ

・・・で、比較的スムーズに工事を終えることが出来ましたけど。

良かったね。

こうして、こんな感じで。

ぼちぼちで良いから、日々を過ごしながら前へ進んでいくと

ゴールにたどり着けるのかな。

ずーっと仕事仕事って思い続けてきたから

それが無くなっちゃうと、大丈夫なんかね、私。

帰る心配をしないで、旅をしてみたいんですよ。

子供達も立派に大きくなってくれたし・・・・

嫁さんとチワワ一匹と一緒に、あちこち行きたいんです。

 

でも、某美容室の先生からチクって言われました。

「終わるときのこと考えてたらダメよ」って

「その時を走り抜けた先のことを見ていなとと」言って・・・

深い話なのかも知れない。

浅はかな私です。 

あと2年と4ヶ月ほどかな・・・・

色々ドタバタしながら、なんとかここまで来た気がするけど

ひと区切りと思っている、65才の誕生日まで2年ちょいになりました。

まだまだ先というのか、もうちょっとなんだと考えるべきなのか。

やらなければならないことが、あれこれあるので

そんなに安穏とはしていられないのだけどね。

仕事の方では、県の立ち入り調査とか (無い方が良いんだけど)

バルクタンクの交換を2026年までにする必要があるんだけど

あれは、卸がやることで話合いがついているから、こちらは

日程調整をするくらいの話。

父の件とか・・・これは全く判らないか。

あと、毎年繰り返しているルーティーンの業務を粛々とこなしていくだけのこと。

特に書類・台帳関係は、きちんと引き渡しできるようにしておかないと。

会社の業務ををスムーズに引き継ぎするのは、そこそこ大変かも知れない。

 

大事無く、ガス事業を閉じられると良いんだけど、どうだろうか。

物事をはじめることより、綺麗に終わらせることの方が難しいらしいから

上手くやれると良いんですけどね。

 

笑う門には・・・なのか。              仏頂面にハチが・・・なのか。

どちらがそうなのかは判らないけれど、ちょっとした気持ちの持ち様で

前向きになったり塞ぎ込んだりしがちなのは事実。

自分のメンタルが弱いんだろうね。

こんなので、psyで学生の臨床指導担当してたなんて

恥ずかしくて言えやしないよ(^^ゞ

 

おっさんしっかりしろよ、いい年なんだからさって

自分に言いたくなるよ。

でも、こんな自分なのは事実なんでどうしようも無い。

トップガンマーヴェリックでトムクルーズ

その顔は嫌だと他から言われて

「この顔しか無い」って台詞を2度言ってたけど

ま、それは、そうなんだよね。

今まで、こうやって生きてきたんだよ、そしてこれからも・・・

拓郎さんの唄に、「今日までそして明日から」ってのがあったじゃ無い。

中学生の頃だったかな・・・

私は今日まで生きてきました・・・って・・・

今頃になって、「ホントにそうなんだよな」って・・・思います。

 

もう一つ思うことは、良い時代を生きてこれたんだなって、

凄い人たちのいる時代を生きてこれたんだなって、ありがたく感じます。

色んな人達に色んな唄に助けられて生きてこれました。

この先、どこまで行けるか判りませんけど、精一杯生きていかなきゃなって

そんなこと思います。

小さいことを気にして、くよくよしない・・・

人生という道の、ほんの小さな小石を気にせずに歩いて行くべし。

もっともっと大きな難関を、いくつも超えてきた自分じゃ無いか。

な。

 

なんだか、色んなことがスムーズにいかない気がして・・・。

一つ一つは、ほんの些細な、ほっといても大したことでは無いと思える内容なんだけど

なんだか、前に進むのが重い・・・そんな気がする。

今までがスムーズすぎたのか。

あと3年弱でガス屋を締めて、一般の家庭に戻ろうと思う。

ただ、そこまで上手くこぎ着けられるんだろうかと

最近、そんなことを思う。

会社閉じたら、嫁さんとワンコを連れてあちこち旅をしたい。

何にも縛られずに自由に旅をしてみたい。

特に帰る日の予定もなんも考えずに、気楽な旅をしてみたい。

そんな日が、ほんとに来るんだろうか。

 

なんか、不安な感じがつきまとう。

デパス飲んで誤魔化してはいるけれど。

このトンネル、抜けられるんだろうかな・・・・

 

ふと、気がつけば月末の空白期間かな・・・

ガス配送やら、灯油配達やら、検針・請求書配達やらと

駆け回っていたら、月末が来ていた。

請求書を配れば、しばしの空白というか、休める時間がとれる。

Kさんの所へ行ってみたら、母上が日赤からO病院へ転院になったんだとか。

痴呆症状が強くなっていて、もう自宅へ戻ってくることはないんだろうと話していた。

Kさんは、自分で介護を続けていたから、親の自宅の清掃をどうしようかと

頭を悩ませていた。清掃せずに、そのまま改装してしまう方法もあるから

どうしようかと・・・。

でも、今まで色々世話を焼いていたから、母上の面倒を見ていた時間が空いて

気抜けしてしまったのか、「この先どうしようかね」なんて

柄にも無いようなことを呟いていた。

体調が余り良くない感じで、仕事の方もやる気が出ない状態らしい。

口では色々言っていたが、やはり彼は真面目で良い奴なんだなと思う。

ただ、彼の母親や私の父のことを考えた時、

人は、余り長生きすると幸せで無くなる可能性が高いようだ。

幼稚になっていくというのか。子供達に迷惑をかけてしまうというのか。

父親として、尊厳を保ったままで逝きたいと願うばかり。

ただ、嫁さんより長生きしてしまったらどうしようね・・・。

先に逝った方が・・・

嫁さんは、一人でもちゃんとやっていけると思うから。

私は、一人になったら、きっとダメだわ(×_×)

 

「草枕」の一節と、うまく書けなかった小論文の記憶

智に働けば角が立

情に棹させば流される

意地を通せば窮屈だ

とかくに、人の世は住みにくい


【解説】
草枕』冒頭に出てくる名句。人づきあいの難しさを説いたもの。世間の人とつきあうときには、頭のいいところが見えすぎると嫌われる。あまりにも情が深いとそれに流されてしまう。また自分の意見を強く押し出すと、衝突することも多く世間を狭くする。人づきあいというのは、智と情と意地のバランスを上手にとらなければならず、なかなか困難なことだ、というのである。

 

一つだけ受けた大学の小論文の出題の文章だった。

そのことは、しっかりと今でも記憶に刻まれています。

どんな小論文を書いたかは、全く憶えてないけど・・・

今思えば、そんなに難解な文章では無かったんだけれど

夏目漱石の「草枕」をきちんと読んだことも無い上に

ご丁寧に、買った小論文の書き方という本に、このタイトルの例題があったのに

眺めただけで読まなかったというお馬鹿だった。

でも、あの本に例題があったのに、ということだけは思い出していた。

そのことばかり考えていて、「しまった」という後悔の念ばかりで

この文章をきちんと考えていない馬鹿な自分だった。

今思えば、そんな難解な文言でも無かったと思う。

そんな、しょうも無い事でうろたえるあの頃の自分だった。

今もそんなに変わってないのかも知れないが。

 

ただ、不合格だったことで、自分の進路が変わったんだが

結果として、そんなに大きな事では無く、進み方が変わったというか

ゆっくりと自分に合った資格の取り方をすることになったのではないかとと思う。

良い人たちと知り合えたし、色々な人生経験が出来たと思うし

良かったこともそうで無いことも含めて、結果として看護師という資格を取って

臨床経験を積むことが出来たのだし、私のようなお馬鹿さんにとっては

人生を上手く生きてこれた方では無かったかと思うんです。

出会った人に恵まれていたと思うから。

思えば、最初の躓きで大きく歩む道が変わったようにも思うけれど

そのことが、この一節を忘れられなくしているのかも知れない。

これも、一つも思い出なんだろうな。