劇場から出たら「倫理観・・・」と呟く人が絶えなかった『メイドインアビス』
絶賛公開中の『メイドインアビス-深き魂の黎明-』を見てきた。
何を言ってもネタバレになってしまうので、多くは語れけど思ったことをまとめます・・・
探窟家を目指す主人公リコとロボットのレグは、己の目的を果たすため、人類最後の秘境と呼ばれる大穴アビスの深層を目指す。アビスの世界観は『風の谷のナウシカ』と似ており、「王蟲」みたいな未知の生物がゴロゴロ出てくる。大穴アビスは八層からなる縦穴で、下に行けば行くほど街に戻ることは困難になる。なぜなら、下底部から上へ上がるにあたって「アビスの呪い」という上昇負荷がかかってしまう(これがやばい)。各層によって負荷の質は異なり、頭痛や吐き気、幻覚、穴という穴からの出血、平衡感覚の喪失などなど(本当にやばい)。冒険に出る際に代償はつきものであるが、探窟家たちはまだ見ぬ深層(真相)を夢見てアビスに立ち向かっていく。
劇場版では、リコとレグ、そして深層四層で仲間になったナナチと共にアビスの深層五層に向かう場面が描かれる。海賊王を目指したり、玉集めて願い叶えてもらったりする冒険譚と比べて、PVを見てもらったらわかるけど、これ本当に冒険?って三度見くらいする。それくらい五層の冒険は精神的にエグられる。エグられるとわかっていながら見てしまうのはなぜか。
一つ目に、隠の部分の描き方が細かいからこそ、ふとした瞬間に出てくる陽のシーンがとてつもなく心を乱すから。基本的に全編を通して暗いですし、初頭効果のせいもあり暗く重たい気持ちを抱きながら映画を見続ける事になる。隠にとっても引きずられる・・・。そんな精神状態の中で、光に向かって階段を登るシーンや、仲睦まじく冒険について語るシーンなどが絶妙なタイミングでぶっ込まれることで、「いや・・・今じゃないだろ・・・」という気持ちなる。陽である筈なのに絶望のみが残る虚無感。明るいシーンに心から喜べないこの矛盾感がクセになってしまうのかもしれない。
二つ目に、どうにもならない理不尽さすらも凌駕する好奇心にドギマギするから。正直、こどもに背負わせるには理不尽すぎることがたくさん起こる(五層に限らず)。そもそも、「アビスの呪い」によって深層まで行けば行くほど戻ることは難しい。難しいというか、死ぬよな。そんな状況下でも、リコは真相を知るために立ち向かっていく。血が出ようが、幻覚が見えようが進む。ここで重要なのは、己の好奇心のためには犠牲は厭わないメンタルである。強靭な精神力とかでは片付けられない・・・。すげえな・・・まじで・・・魂輝いてんな・・・ってなる(劇場版でチェック!)。その輝きは、多分、何があってもただひたすら「知りたい」っていう好奇心が由来だと思う。共感できるかどうかは人によると思うけど、私は少なからずドギマギしちゃう。リコの好奇心がどう影響するのか気になってしまうからこそこの作品に惹かれてしまうのではないだろうか。
人によって『メイドインアビス-深き魂の黎明-』に惹かれてしまう理由は異なると思うけど、初見で私が思ったのはこの二つだった。
映画見終わって、ほとんどのお客さんが「倫理観どこいった・・・」って言ってる人が多かった。まあ確かにやばいんだけど、メイドインアビスに倫理観説き始めたらキリがないと思う。私の中では、倫理観に疑問を抱くよりも、極限状態の中で楽しさを見い出すことができるリコ凄いなという思いの方が強かった。こんなにも悲惨な仕打ちを受けたとしても、街にいる時より魂輝いてるリコが凄い。魂の輝きが見たいおじさんになってしまう・・・。
「闇が広がる」を語るつもりが、古川雄大について語ってた
「闇が広がる」、ご存知でしょうか?
今や多方面で披露されている「闇が広がる」。
私が知ったきっかけはもちろん『エリザベート』からなのですが、ボカロがカバーしてたり、つい最近城田優がCDで出してたりとオタクなら聞いたことある〜のではないでしょうか。
私にとって「闇が広がる」ってとても思い出深い曲なのですが、
今年、より深い思い出を植えつけられたので語っていこうと思います。
私がこれからお話したい「闇が広がる」は、ミュージカル『エリザベート』の一つのナンバーです。
宝塚でも帝国劇場でも上演されている演目ですが、私は昔から東宝版しかリアルで観たことがなく・・・
ともあれ来年2020年には帝劇版エリザベートは20周年だとか。すごい!!!歴史長い!!!
そもそも『エリザベート』とはなんぞや。
公式サイトのあらすじ曰く、「自由を愛し、類なき美貌を誇ったハプスブルク帝国最後の皇后エリザベートと彼女を愛した黄泉の帝王”トート=死”。トートはエリザベートが少女の頃から彼女の愛を求め続け、彼女もいつしかトートの愛を意識するようになる。しかし、その禁じられた愛を受け入れることは、自らの死を意味した。滅亡の帳がおりる帝国と共にエリザベートに”運命の日"が訪れるー。」。
この文言で気になった人は来年の公演を観に行こう!
この文言でわからなかった人は、「めちゃくちゃ美女なエリザベート皇后を愛してやまないトート閣下(ストーカー)がエリザベートを巡ってハプスブルク帝国滅亡まで追い込んでやろうぜ!!!」って話だと思ってくれればいいと思う。
(完全に主観が入ってます)
上記を背景に話を進めますが、公演中にエリザベートの息子ルドルフ(つまりオーストリア帝国の皇太子)が父の統治方針に疑問を抱き、匿名で新聞に皇帝の批判記事を投稿します。それが父にバレてしまい、父と決別するルドルフは頼れる存在がいなくなるのですが・・・
そんな状況にトート閣下が現れるんですね!!!
まさに、悪魔の囁き。いや、悪魔ではなく「死」なのですが。
そのような状況を描いた曲が「闇が広がる」です。
これでやっと本題に入れます。
私が『エリザベート』観劇に通い始めたのは、2010年から。
トート閣下が山口祐一郎さん、ルドルフが浦井健治さんだった回に観に行きました。
当時の私は中学3年生。「死」が擬人化してることを理解してなかった私は、「なんで死が愛してんの?(ハナホジ)」くらいの感覚で観ていて、母親に殴られた記憶があります。
ちゃんと話を理解した上で観ることができたのは、2012年版。
この時もトート閣下は山口祐一郎さん(母がファンだった)、ルドルフは古川雄大さんでした。
当時観ていた私は、エリザベートって母親として結構やばくない?
流石にそれは育児放棄だよ今の時代では・・・
という感じに否定的に観ていたので、ルドルフかわいそう・・・頑張れ・・・強く生きて・・・と思っていたので、他のキャラよりも人一倍ルドルフに感情移入していました。
そのため、「闇が広がる」が始まった瞬間、
ついにルドルフに視点が置かれた!!!!!!!!
と興奮するのですが、歌詞を聞けば聞くほど、
あれ???これ全然、歓喜ではなく、むしろ嘆きでは???
まじで「この世の終わりが近い」のでは???
と頭を抱えます。
そんな儚くも素晴らしいルドルフの葛藤を描いた「闇が広がる」。
歌詞にも惹かれたのですが、なんかもうそこはかとなく輝いてる(顔面が?もはやわからん)人が綺麗にダンスを踊っていて、いや、まあ綺麗なんだけど、ゾッとするなと感じました。
そう、古川雄大のルドルフは私に
「美しさの中に恐怖あり」という概念を植えつけた張本人です。
(また一つ感性が広がったよ!ありがとな!)
まじで一人だけ青白く(最早、トート閣下よりも白いのでは?)、まだ生きてるよね???まだキスしてないもんね???あっ、生きてるわ。と再確認しなければならないほどこの世のものとは思えないルドルフを演じる古川雄大。
そこからはルドルフ(古川雄大)から目が離せませんでした・・・
これが私の2012年『エリザベート』の想い出。
2012年以降もルドルフを続投する古川雄大。
もちろん観に生きましたし、回を重ねるにつれてルドルフとしての自我が強くなっていく印象。
だからこそ「闇が広がる」におけるコントラストがより深く描かれていて、現状に戸惑い迷う様が強烈に突き刺さりました。
はぁ、凄い。いつもありがとう。
でもこの役、(年齢的に)いつまで続けられるんだ?
という疑問を浮かんでいました。エリザベートのことママって呼ぶしね。
そんな中、みなさんご存知の通り、なんと今年(2019年)から
古川雄大トート閣下デビュー!!!
(正直、期待してた)
つまり、悪魔の囁きに耳を傾ける側ではなく、悪魔のように囁く側を演じることになったのです。
完全に私の色眼鏡で語りますが、古川トートは基本的に人間を「自分の駒」として扱っている感じがしました。
高みの見物、じわじわと外堀を埋めていく感じのトートで今までになかった解釈だなと思いました。
いや、本音をいうと、めちゃくちゃ興奮した。まじで。
自分の目的の為ならば人間なんてどうでもいいと思っているので、ルドルフに接する時も敢えて優しく語りかけます。チョー怖い
「闇が広がる」の時なんてまさにそうで、いやらしくないけれど蛇のようにズルズルと懐に入っていく感じ。こわ
でもなんだか綺麗だな・・・この世のものとは思えない美しさがそこにはあった・・・
そして私は思うのです。
「美しさの中に恐怖あり」も間違ってはいなかったが、
「恐怖とは一種の美的感覚である」と。
おそらく、「美しさの中に恐怖あり」という概念があったために、先入観として恐怖は美とカウントできると思っているからこその感覚です。
ゾッとしている状態こそ、美を感じている状態である。
「闇が広がる」における古川雄大のルドルフとトートを観たことで、「美」と「恐怖」に関する考え方がガラッと変わりました。
きっと今なら、三島の『金閣寺』を読んでも違った見方をすることができる気がする。
ちなみに映画『ジョーカー』の最後のシーンを観て、綺麗だと思ったのも「闇が広がる」で植えつけられた概念からきているものだと思っています。
こんなにも私の感性を豊かにしてくれた古川雄大まじでありがとう。脱帽。
なんだかんだ応援し続けています。
来年も『エリザベート』観に行くぞ〜!気になった人は是非観に行ってみてください!
そういえばハプスブルク展もやってるみたいですね。
近々行きたいです。
コレサワのたばこ聞いてたら濵田くんに振られた気持ちになった話
突然だけど、コレサワの「たばこ」って歌知ってる?
先日、友人にすすめられて、KEYTALKとかオーラルの曲をYoutubeでひたすら聞きまくってたの。そしたら、関連動画でなんだか可愛い絵のPVがあるじゃんって興味本位でポチっと押しちゃって
お分かりの通りそれが私と「たばこ」の出会いでした。
なかなか歌詞が始まんないな〜〜〜〜歌い出しいつ?とか思ってたのも束の間、
完全に世界観に引き込まれたよね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜( ; ; )
バンドマンを好きになったことがある人なら一回は経験してるんじゃないの?わかりみ〜〜〜〜〜〜が深い歌詞だし、それとマッチする絵がなんともいえないんです。
こんな感想よりもまずは聞いた方が早いので どうぞ
曲の終盤に連れて、頬に生あったかい水が垂れてきて、なんで泣いてるんだろめそめそって考えてたら、私この時、
濵田崇裕に振られたらこんな気持ちなんだろうなって考えてたんだよね
まあちょっとでいいから話を聞いてくれ
”マイペースでよく寝坊する君のことを想って 5分早めた家の時計”
マイペースな濵田先輩が1限に遅刻しないように、家の時計をちょっとだけ早めたよね
”タバコの嫌いな僕を気遣ってベランダで吸ってたっけな”
「タバコ、身体に悪いからやめなよ」って言っても、ヘラヘラしながら結局吸ってたよね
でもね
”もうそこに君はいない”
もうそこに濵田先輩はいないんだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜( ; ; )
あんまり嫉妬しない濵田先輩にもやもやして、当てつけのように友達の望とか幼馴染の淳太君とかとサシメシに行ってたけど、全然気にしないんだよね〜〜〜〜!
天邪鬼だから本音も言えずに空回りすることばっかりだったんだよ〜〜〜!!!
だから、抑えてたものが爆発して、"『もっとちゃんと僕をみててよ、もっとちゃんと』って”
言っちゃったよね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
重い女嫌いそうな濵田先輩にはしんどいんだろうな〜〜〜
”僕のことは たぶん君がよく知ってる”
”そのとき想った僕は君のこと どれくらい分かってたんだろ”
”一番最初に浮かんできたのは 君の好きなタバコの名前"
ぐるぐる考えてたら、待って、自分のことばっかり考えてた・・・?って思いついて
濵田先輩のこと考えたたら、すぐ浮かぶのは、いっつも吸ってた重たいセッター( ; ; )
”君が置いていった タバコ”
ふと目の前にあるローデスクに先輩が置いていったセッターがあって、ご飯食べた後、エッチした後、イライラしてる時にも吸ってたな〜
先輩 、タバコのフィルターの方をトントン叩いてから吸ってたな〜とか
セッターの箱をコロコロ転がしながら色々思い出してさ〜
本当は、タバコ嫌いじゃないのに、タバコ吸ってる先輩がかっこよくて誰にも見せたくないから、「タバコやめてよ」って言ってたっけな〜〜
”僕の大嫌いなものなのにどうして"
あんなに嫌ってたのにさ、一本取り出して、先輩がやってたようにトントンして、
”火をつけてしまった”
つけちゃうよね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?!?!?
吸ったら最初はまっっっずって思うんだけど、あ〜〜〜この匂いなんだよなって
抱きしめた時にかすかに香ったタバコの匂いとか思い出してまじでしんどい
”少し苦い君の匂いに泣けた”
泣いた
全濵田の女が泣いた むせび泣いた
完全に濵田くんに振られた もう何もしたくない
▶高校から仲のいい望に連絡する
▶近所のお兄ちゃんで幼馴染の淳太くんに連絡する
▶大学のサークルで一緒の神山くんに連絡する
次回、飲み会で失敗をする