痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

まほろば

入社から二週間、すでに辞めたい。

 

明確な理由はない。

研修の成績も悪くない。

入社式で新入社員代表挨拶を読んで、それからずっとリーダー的な役割を任されてると思う。

そして任されたものはちゃんとこなしてると思う。

同期ともそこそこうまくやってると思う。

特別気の合う人もいないけど、悪い人はいない。

とげとげしい人もいない。

みんな優しい。

研修自体もキツくない。

ブラックとかじゃ全然ないと思う。

新入社員のくせにがっつりネイルもしてるけど見逃してもらってるし。

 

誰も悪くないのに生きるのが辛いのは私が悪いんだと思う。

 

入社式で言われたこと、「今日、さまざまな決意をしたと思いますが、その気持ちを忘れないよう、今日だけは日記をつけてください」みたいな。

そういう言葉がまったく響かない私は社会人失格なんだろうな、と一瞬思って、そういう負い目とコンプレックスをこれからもずっと感じながら社会人をやっていくんだろうな、と息がしづらくなった。

 

大学の同期も、「なんだかんだ楽しくやってるわ」とのこと。

不幸の戦犯がほしい。

会社とか社会とか同期とか上司とか。

誰も悪くない、みんないい人。

ごめんなさい、と思う。

誰も悪くないのに誰のことも好きになれなくてごめんなさい。

みんな優しいのにつらいぶってごめんなさい。

誰かのことを強烈に好きだったり、あるいは強烈に嫌いだったりしたい。

 

置いていかないで、まほろば。

 

 

7割と今日

パリでスマホをスられたり、帰国して大学を卒業したりしてるうちに、春。

 

卒業旅行は、通称「パリiPhoneスられ事件」のおかげで一気に「いろいろあったな~」感が出たように思う。

古着を買いたくて治安の悪い街に行ったらものの5秒でiPhoneをスられた、ほんとにそれだけなんだけど。

さすがプロだな、スリで食ってるだけある、全然気づかなかった。

知らないおじさんが「今なんか取られてたよ!」と教えてくれて、え~ホント~?(笑)とか言ってたら、ホントに本当だった。

そのおじさんはすごく善良なおじさんで、一緒にセキュリティや警察署に行ってくれた。

聞けば、プライベートセキュリティらしい。

プライベートセキュリティって何。

私はWhat should I do?とか言いながらメソメソ泣いているだけだったので、海外で困難を乗り越えて大胆な心を身につけた、みたいなことは全然なかった。

プライベートセキュリティおじさんが「君はラッキーだよ、命が無事なんだから。携帯はまた買えばオッケー」というようなことを言って、タバコをくれた。

そういえば、泣きながらタバコを吸ったのは初めてだった。

おじさんは「どこから来たの?東京?僕はモンガーが好きなんだ」と言っていて、モンガーってなに?北海道あたりの地名か?ニッチだな...と思っていたら「マンガ」のことだった。

蚤の市でブローチを売っていた女の子も「僕のヒーローアカデミアが好き」と言っていたけれど、発音が良すぎて3回聞き返しても「ヒーローアカデミア」が聞き取れなかったことを思い出した。

結局、帰国してから保険も下りて新しいスマホも手に入った。

別にパリを嫌いになることもなくて、今年中にまた行けるといいなと考えている。 

でも、おじさんにあまりちゃんとお礼ができなかったことは未だに後悔していて(その時は人間不信がピークだったのでおじさんのこともギリギリまで警戒していた節がある)、「おじさん...どうもありがとう...命があればオッケーですね...」と毎日心のなかで唱えている。

 

そんな感じで、いいことと悪いことがバランスを取っていて、モノも人も傷つかずに生きていくことはできないなあと当たり前のことを思う。

世界中どこに行っても、やっぱり他者はかなりうんざりで、たまにサイコーなので困った。

もっとこう、99%うんざりだったら「クソ世界ファックだぜ!20代で死んでやる!」みたいな気持ちで生きられたのかも。

かなりうんざりのくせにたまに超サイコーなので手放しにポジティブにはなれないし、かといって無条件に憎しみきれない。

60歳までは生きたいな、なんて思う、中途半端な人間になってしまった。

 

何も変わらないことに少し安心して、春。

同一性の外に飛び出さざるを得ないような、そんな他者に出会いたい気持ちと、前世の双子みたいな人にしか会いたくない気持ち。

振りきれたいから早く夏が来てほしい。

 

移動祝祭日

パリでは一昨日くらいまで雪なんか降ってたけど、急速に春めいてきました。

外をぼんやり散歩できる気温になってうれしい。

あと、東京はほぼ春、と聞いて、帰国するのがかなり楽しみ。

 

 

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チュイルリー庭園の池の水が溶けてきて、泳いでるカモと歩いてるカモが同時に見られる。

 

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夜のセーヌ川をぼんやり眺めていたら、悲しくないのに泣けてきてしまって仕方なかった。

今ここしかない、と思った。

今ここにいる私がすべてで、それ以外は何もいらないのに。

今私がまなざすものだけが世界のすべてなのに、それじゃいけないんだろうか。

東京に戻ったら、きっとそこが私の窓になってしまう。

いいことも悪いこともありながら決して打ち切られず、反復していくだろう。

週5日、もしくはそれ以上、満員電車に乗って、他人にナメられたりナメたりしながら。

「つねに機嫌がいい人が仕事ができる人だよね」みたいな正論を抑止力にしながら。

本当はメタリックブルーのアイラインをひきたいのよね、とか思いながら茶色のアイシャドウをぼかすだろう。

それでもその窓から見える景色を私の「今ここ」にしていかなければならない。

セーヌ川に魂を置いていくことはできない。

何が起こっても何も起こらなくても、自分の窓が一番劇的だと思いたい。

今日この日のセーヌ川を何度も思い出して帰りたいと思うような生き方はしたくない。

そんなのマジでただのおフランスかぶれだし。

 

たまには、思い出して泣いてしまうかもしれないけれど。

 

 

 

全然関係ないけれど、嘘喰い最終巻、めちゃくちゃ良かったですね。

 

 

 

アイコニック

一週間ほど前から、パリに来ています。

あと一ヶ月くらいはいる予定。

 

思ったことを4つくらいざざざっと書きます。

 

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エッフェル塔がレースの刺繍みたいで良い。

エッフェル塔はパリのアイコンとしてかなり陳腐だと思っていたけれど、ロラン・バルトの「エッフェル塔」を読んで、その陳腐さがエッフェル塔の本質なのだと思い直した。

語るところがなく、担う機能がなく、ただアイコンとしてそびえ立つ、それだけを本質とするランドマークって他の都市にもあるのかな。

 

 

フランス語の授業では500回くらいrの発音を直されて、こんな音は日本人の口の形に馴染まんのじゃと思ったけれど、こっちに来てみたら意外と通じる。

未だに馴染まないまま口に出している「トゥ」とか「モワ」とかいう音がちゃんと意味をもって通じてるってことが不思議。

 

 

私は小心者だし、英語もイマイチだし、そもそも家が大好きだし、あんまり旅向きの人間じゃないと思うのだけれど、ひとつ、これだけは良かったと思うのは、好き嫌いがほとんどないこと。

読めないメニューから適当に注文する博打を打てる。

何が出てきても大抵おいしく食べられる。

食に限らず、こだわりがないことは旅においては美徳だと思う。

日本を発つ前に、梅木達郎の「放浪文学論」を読んだ。

異邦人として他者に出会うこととはどういうことか、歓待する-される関係は何によって成り立つのかを考えることになる。

これから旅に出る知り合いがいたらおすすめしたいなー。いないけど。

他者、自分と異なることを本義とする存在に出会うことによって、自分もまた異なる存在として変質させられていく。

他者との遭遇は、それによって自分もまた異なる存在として、こだわりの外に引きずり出されること。

異邦人として迎え入れられようとする者は少なくともその用意がなければならない。

こだわりを捨てること、所属に固執しないこと、同一性の外に出ること、これが歓待を受けるルール。

かなり納得したんだけれど、結局私はこだわりを捨て切ることはできなかった。

やっぱり読むだけじゃ難しいね。

これじゃなきゃだめ!ってものはコンタクトと口紅くらいしかないからもっと身軽になれると思ったけれど、スーツケースは20キロになっちゃって、意外と物に固執してるんだなと気づく。

リュックサックひとつでどこにでも行けるくらい身軽になれたらよかったけれど、やっぱりあれもこれも。

飲食店でおしぼりが出てこないなんて生理的に無理だからウエットティッシュは絶対いるし、風邪を引きやすいから常備薬とカイロとヒートテックも山ほど必要。

あれもこれも本当はいらなかったね、といつか思えるのだろうか。

 

 

一番好きな絵、ルノワールの「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットの舞踏会」を朝イチの誰もいない部屋で観て、やっぱり泣いてしまった。

生で観るのは4回目なんだけど、やっぱり「今ここ」の身体感覚に訴求する力が強い絵だなあと思う。

生活の真綿のような苦しみも、鉛のような喜びも全部認めてひっくるめて、それでも私の窓から見えるこの景色が一番美しいと言いたい。

「今ここ」が私にとっての世界の全てで、それより大切なものはないと言い切る勇気が欲しい。

何が起こっても、何も起こらなくても、自分の生活を他の何よりドラマティックにまなざしていたい。

生きることはたしかに無限の反復で、それ以下でも以上でもないけれど、それを認めてもなお気が狂わずに暮らしを愛することのできる知恵が欲しい。

まなざしと思想だけを唯一のこだわりにして他には何も持たずに生きていけたらいいのに、それができないところが暮らしの難しさだね。

かっこつけても所帯染みなきゃ生きてはいけない、物を持たなきゃ立ち行かない。

結局どこに行っても暮らしのことばかり考えている。

 

 

 

 

あり余る裕福な

 

生活がすべてで、生活が趣味。

そのわりにはていねいな暮らしなどほど遠く、お気に入りのパジャマも皿洗いの泡でびちょびちょ、そんな生活。

ありもので作った茶色いパスタに「意外といけるじゃん、天才」と思う日々。

生活はすべてに優先すると誰かに肯定してほしい。

淡々と進む生活がもっともドラマチックだと言ってほしい。

 

皿洗いをしてある間に袖がずり落ちて、「ああー…」と思っている間に濡れていく。

誰も雪かきしないから、うちのマンションの前だけいつまで経っても歩きにくい。

お風呂で爪がぐにゅってなる感じとか、掃除機で服とか吸っちゃってズボボッてなる感じとか、何度でも新鮮に嫌だなあ。

 

音楽とか芸術とかファッションとか仕事とか、ぜんぶ生活をなるべく機嫌よくやり過ごすための知恵なのに、それを口に出すのは息苦しい雰囲気。

 

楽に生きることって、ひとつずつ呪いを解いていくことかもしれないと思う。

髪を乾かすのを忘れて、翌朝パサパサ無造作ヘアーで出勤したら「パーマかけたの?今日いい感じだね」と言われて、ひとつ呪いが解けた。

ひとたびお風呂に入ったら、化粧水をつけて乳液をつけてストレッチして髪を乾かしてオイルをつけるところまでがセットだった。

だからお風呂は面倒で、でも入らないで寝ると翌朝もっと面倒だった。

ひとつ呪いは解けて、今日から私は髪を乾かさないで寝ることができる。

 

呪いを解くように暮らしたい、と思う。

もう、なんでもありだよ。

同性愛とかセフレとかtinderとかなんでもいいよ。

男女の友情の有無とかナンセンス。

人ひとりが、あるいはふたりが、なるべく泣かないで生きていけるなら別に、いいよ。

みんな、機嫌よく生きたいだけ、泣かないで暮らしたいだけ。

 

何も持っていない人にも、生活だけは残り続ける。

生活は、身体性と同じくらい固有で、残酷。

身に余る趣味。

 

人生のこと、「徳積みゲーム」以上のものに思える日がいつか来るのだろうか。

 

くれます

 

年末感がない。

29日に海外から帰ってきてそのまま法事に出て、時差ボケでぽわぽわしている間にもう大晦日。

することがなさすぎて意味もなくビールを開ける。

 

 

一年前のブログを振り返ると、2017年の目標は、

PS4を手に入れる

②行きつけのお店を作る

だったらしい。

成果はといえば、どっちも手に入れたけど、秒で飽きた。

手に入るとそんなにいらなかったことに気づく。

そう思うと、今年は「買ってよかった!」「これを手に入れて少し人生が変わった!」って物がなかったなあ。

毎年、ひとつくらいは象徴的な買い物があるはずなんだけど。

 

特に感想のない一年でした。

環境の変化は結構あったし、毎月旅行にも行った。

それでも、淡々と消化していった感じがする。

体調もほとんど崩さなかったし、嫌なこともなかった、みんな優しかったけど、それだけ。

一年前のブログには「今年はマジで体調崩しまくりでいいこともなくてつらかった、シクシク」みたいなことが書いてあった。

今年は、来年思い出すような感情もなかったな。

心があんまり動かなかった。

 

来年、うまく生きていける自信がちっともない。

就職先の懇親会に参加して、全然美味しくないレストランでイキった3年目社員の仕事論を聞きながら「来年からここでうまくやっていけるんだろうか」と不安になってしまった。

やるしかない、という覚悟が私には欠けているのかもしれない。

嫌な人はひとりもいない。

なのに嫌なのは私が悪い。

誰のことも嫌いじゃないんです、本当は。

良いお年を。

 

 

**のかけらの指輪を

 

子供の頃お世話になった人が、先日亡くなった。

 

うちは母子家庭だったから、母が夜勤の時は母の知人の家をローテーションで預けられていた。

それも小学校低学年くらいまでの話で、あまり記憶にはない。

好きな人、そんなに好きじゃない人、くらいの印象は子供心に抱いていた。

 

亡くなったのは、「好きな人」だった。

母より懐いてた、と聞かされるけどあんまり覚えてない。

お見舞いに行くと、「今日はお母さん仕事?ひとりで寂しくない?」と言われて、もう23歳だから大丈夫だよお、と笑った。

いまだに子供のままのイメージらしい。

 

見知った人が亡くなるたびに、エピソードでしか他者を語れない自分に気づく。

「優しい人だった」とか「誰とでも仲良く」とかそういう言葉は言えば言うほど遠く離れていくような、エピソードの中でしかその人は生きていないような、そんな気がしてしまう。

 

 

その人に関しては、たらこのエピソードばかり覚えている。

私は偏食で食わず嫌いの多い子供だった。

見たことない食べ物はよくわからないから食べない、あれも食べないこれも食べない、ご飯の時間は楽しくない、そんな子供だった。

数少ない好物にたらこがあったけれど、これも皮が気持ち悪いから中身だけちょっと食べてごちそうさま、って感じだった。

いろんなところに預けられてたけれど、たらこの皮をむいて出してくれたのはその人だけだった。

祖父母の家でも「わがまま言わずに全部食べなさい」だったし、そりゃそうだよな、王様じゃないんだし、と思っていた。

だから子供心に「こんなことまでしてもらえるなんて王様みたいな待遇だ」と秘かに感じたのだ。

 

今でも明太子の皮は少し気持ち悪い。

噛みきれないし、血管とか見えてるし。

でももう大人だし、もったいないし、わがまま言わずに食べなきゃ。

いや、全然食べるけど。

大人だから全然食べるけど、いつでもちょっとだけ、私にたらこの皮をむいてくれたあの人のことを思い出す。

もうたらこの皮をむいてくれる人はいないんだな、と思う。

私がなんでも美味しく食べられる大人になって、その分だけ時が流れたからあの人も亡くなった。

当たり前のこと、時は誰にも平等に。

そのことにちょっとだけ、噛みきれない思いをする。

 

おやすみなさい。