映画『ラストレター』雑記
こうやってブログ書くのも久しぶりだなあ。せっかく開設したのに放置プレイでしたね。
また楽しかったこととか、観た作品の感想とか。自分用にまとめていけたらいいな。
映画「ラストレター」見てきました。ので、その感想。というか雑記。これから映画見るよって人は見ないでね。
きっとわたしの古参フォロワーならわかること、知り合ったばかりの人、知らない人だとわからない話とかもぽろぽろしちゃうかもしれないけど説明する気持ちにはなれないのでその辺もスルーしてもらえるといいな。
みれてよかったって気持ちがまず大きかった。
フォロワーと歩いた白石の街並みや仙台の風景、見慣れた青い市バス。それがまず嬉しくて心が躍りました。場所は友達と歩いた白石の川縁なのにバス停は亘理町になったりしてたね。気づいた時嬉しかった笑
物語を通してだと見ててやっぱり楽しいって気持ちより苦しい気持ちが強くて、気がついたら膝の上のコートがしわくちゃになるぐらい握りしめてたりもして。
もうこの世にはいない人に手紙を何通も書いていた人自分は、あれから彼に手紙何度も書こうとして書けない自分は何かを思わずにはいられなかった。
わたしの質問にボルゾイ飼いたいって言ってたなあ。質問企画楽しかった。いっぱい答えてくれた幸広くんがだいすきだと強く感じた、20歳の成人の日の思い出です。
裕里が鏡史郎へ「あなたがお姉ちゃんと結婚してくれれば」ってセリフ。未咲の選択に多くの人がなんでって思ったと思う。自分だったら絶対乙坂と結婚するって、一緒に見た友達もそう言ってたしわたしもそう思ったし。
でも他人のことを、過去のことをいくらたらればしても、結局はその時の本人の選択次第なんだよなってことがありありと感じられて苦しかった。現に今お世話になった人との別れを控えてる身としては…そんな人との思い出の地でもある白石が舞台の話だなんてどんな偶然だよと笑うしかないです。笑
周りがどうこう言っても本人の人生は本人だけのものだから、だから生きるのってうまくいかないことだらけだし本当に難しいんだよね。本人の選択を側から見たら肯定することもできない時だってある。結果としてこうしてたらもっと幸せで安全な生活ができたのにとか、色々思うことあるし、逆に自分は周りにそう思われてるのかもしれないし。だけどみんな自分で選択して生きてるんだよなあ…。
未咲が死んだと知る前に、未咲以外の話が書けない、いつまでも未咲にこだわってしまう鏡史郎。未咲との別れが納得いくものじゃなかったんだろうな。納得できない別れって、ずっとずっと引きずっちゃうし、自分の日常にその人の面影を追い求めちゃうし、理解できても受け入れられないことってたくさんある。今でも些細なことで幸広くんのこと思い出しちゃうし、鏡史郎が何を書いても未咲の話になってしまうのがなんかわかるのが悔しかった。
ミサキの名前が美咲でも実咲でもなく「未咲」なのが印象的だったな
「結局お前はあいつになんも影響与えてないんだ」ってところのセリフ。めちゃくちゃ苦しかったね。
前にも書いたかもしれないけど、幸広くんが亡くなって俳優仲間が「自分が改めて毎日板の上に立てることのありがたさに気づきました。」みたいなこと言ってんの、まじでめちゃくちゃめちゃくちゃ腹立って。そんな当たり前なことプロなんだから幸広くんの死をきっかけに気づかないでよって本当に頭にきてて。だいぶ経って落ち着いた今となっては、彼の死が何かの物事のきっかけになってるのが悔しかったんだろうなと思う。けどそれは悔しいかなわたしも同じことをしていて、彼の死をきっかけにたくさんのことに気づけたし得たものもあって。なんならきっと今わたしが心の拠り所にしてるものは彼の死がなかったら今の状態にはなってなかったかも知れなくて。それに初めて気づいた時、悔しくて悔しくて寂しくて、ただただ自分も11月に腹を立てた人たちと同じで、それがショックで涙が止まらなくて。それこそ仙台駅で泣いちゃったりもしたから、「あいつと結婚してたら小説書けてねえだろ」みたいなこと言われた乙坂が苦しくて仕方がなかった。自分にとってつらくて苦しい大きな出来事から、自分が恩恵を受けてるという点にすごく自己投影してしまった。
人は相互的な繋がりで成り立ってるから、多かれ少なかれ自分の知人とは互いに影響しあって生きてるとは思うけど、人生を変える影響ってなんだろうな
裕里の「亡くなった人は残された人の中で生きる」みたいなセリフ、はっきりとは覚えてないんだけど、笑 なんかいろんな場所でいろんな人が、年末でみんなでプギャーしながら同じようなこと聞いたりもしたなとか、そのぐらい別れを経験した人ってこの話をするけれど、本当にそう思えるだけでなんかすごい背中を押される感じで気持ちが軽くなるからすごいよなって思う。
わたしは妹なこともあって(?)裕里に共感して作中気持ちがギュッとしたり乙坂先輩きゃーーーーーってなったりしてたんだけど、(?)お義母さんのターンが一番めろめろしました。大好きな先生とのやりとり、見てるだけできゅんきゅんして別冊マーガレットだった。(?)全国のおじさん夢女の共感の嵐だよ(?)
未咲の遺影とあゆみの顔が重なるカットまじで、まじでさりげないけど計算され尽くしててめちゃくちゃ鳥肌立った。
最初は泉行きのバスに乗った裕里を乙坂が見送ったけど、その次は白石行き(って思ったけど距離的に駅方面か、、?青いバスから白石では赤いバスに変わってた気がするし)のバスに乗った乙坂を裕里が見送ってるの、こういう演出だいすきーー!!!って感じで大好きでした。(?)もっといろいろあったからこれはまた見ながら見つけていくのが楽しいやつだなあ。人が作る作品ってこういうのがあるから楽しい。
後味が良い作品とは言えないけど、だけどみんながもう一度人生を歩み始めて再スタートしてて、ハッピーエンドなのかな。物語として。
人生ってみんなそんなもんかって、こんなつらい思いしない人生なんてないのかもとかちょっと気持ちが楽になった部分もあって。やっぱり見れてよかったなあ。
現にこうやって、る変ではなにも感想書けなかったしまとめられなかったわたしが、る変だったからってのもあるけど、こうして自分の気持ち言葉にまとめる気持ちになれたのは、そんな作品に出会えたのはありがたいな。ほんとに。
見れてよかった。
ファンレターの下書き、一番最後に送ったのなんだっけって思って調べたら、
「わたしの好きな俳優が滝口幸広さんで本当によかった」
「滝口さんのおかげで自分にとって身になるものにたくさん出会えてる。ありがとう」
って、亡くなった後からずっとずっと考えてることが書いてあって、彼に対する気持ちは生前もあれからもなんも変わらないんだなぁとか思ってちょっと穏やかな気持ちになれた。
ぶらり途中下車納める年フェアの旅でどうでしょう - 最終日
2018年内に書くって言ったのだ〜れだ!アタシ〜〜〜〜!!ゆく年くる年来てないのでまだまだ年内です。セーフセーフ。
ということで、(どういう?)、11月25日。水沢駅より仙台へ向かいます。めちゃくちゃ寒かった…でも11月の末の東北って考えたらまだ今年は暖かいんですよね!
ありがとう 芳醇な蝦夷の大地……
水沢駅から電車に乗って、その次仙台行きのバスに乗り込みます。バスが仙台行きをアナウンスするたびに「兄さん聞いた?」ってうるさいオタク…休日だからバスも満席でしたけど、席の前後が広かったから荷物もちでも大丈夫でした。
仙台駅についたら荷物をコインロッカーにしまおうとしたんですけどま〜〜〜〜休日の仙台すごいこと!去年えむます見にきたフォロワーと遊んだ時もロッカー難民になりかけてたけどまあ今回もなかなか苦戦しましたな……到着が10時ごろだったのでしょうがない。でもなんとか見つかってよかった。
いざ仙台。まずは瑞鳳殿。るーぷる仙台バス停留所へ向かいます。まあここも人の凄いこと…笑 可愛いレトロなバスにすし詰め状態な中、幸運なことに最前の席が取れて何回目かのヤッタァ♪ヤッタァ♪(忠勝様)してました。だけどまあ通路ぎゅうぎゅうだから降りるの大変だろな…と思ってたら、瑞鳳殿に着くときに通路に立ってたおじさんが察して道を開けてくれたの沁みた。優しい〜ありがとうございます……
瑞鳳殿に到着してまず思ったのが「坂」でした。でも昨日は山登りまくったし?金色堂まで登ったし?ここ信之くん(93)もいけたんしょ?とイキリだすオタク。やっぱり神社仏閣巡りは体力のあるうちにたくさん行っておこうとおもいました。
る年版るーちゃんと共に。
道中687236回は「93歳の信之くんから登ったのか!?1人で!?」「(杖を貸し出ししてるのを見て)えっわたしも杖欲しい絶対信之くん杖使ったでしょ!?元気すぎか!?」て話をしました。暖冬のため、紅葉の時期がずれ込んだのかちらほら秋色が茂って綺麗でした。感動した〜…。
坂を登りきった私たちを出迎えていたのは荘厳な門。
なんかもうすでに凄いや…でも俺たちの政宗様はこんなもんじゃ終わらない。まだまだこれから。
御霊屋へ向かう階段。重長くんの石燈籠が。
個人的に名前に親しみのある御二方も。
見知った家臣の名前にはぁ〜〜〜〜と感嘆してしまう。
到着。なんかもう奥にすごいのが見える……なんかすごい……すげえ………すげえわ………。(語彙が死ぬ)
めちゃ天気が良かった。さすが私の愛してる仙台藩すぎてますます愛してしまった。今回本当に天気に恵まれてて幸せです。
いよいよ本堂(?)とご対面
対面一言目の感想が、しまじ「好きそう」よしを「わかる」だったぐらい、めちゃくちゃわかる〜!って感じでした。
重長 (べらべらとうるさく)しっかしこの寺、すごくないっすか。めちゃくちゃ恰好いいでしょ。お墓なんだからちゃんとしろとか、ワビサビだとかいう意見もあったんですけど、やっぱ政宗様は派手が一番だと思うんすよね。伊達男とか言われてますし、政宗様と会ったことない人も驚かせるってゆーか、度肝抜かせたいってゆーか、すげー奴がいたんだなって、バンっと打ち出してこうってそういう考えがあるんです。信之さん、どうっすか、ここよくないっすか?瑞鳳寺
うん……めちゃくちゃいいよ重長くん……めっちゃわかるよ、めっちゃ伊達な方だったのが伝わるよ!!史実がどうなのかはわからないけど、こんなに政宗様らしい御霊廟が出来るなんて、たいそう家臣に、そして領民に愛された方なんだなとしみじみしました。仙台の人政宗様本当に大好きだよね。駅近くのパルコだったかその辺のビルの10周年お祝いロゴも政宗様の陣羽織モチーフでにこにこしてしまった。わたしも好きです。
リーディングすな。
家紋があしらわれてるのに萌えてしまうオタク。
松島で見た臥竜梅がこちらにもあって嬉しかった〜!政宗様が朝鮮から持ち帰ったとされる臥竜梅。幹が真っ直ぐ上には延びず横ばいになる様子が、龍が臥せているように見えるからこのような名前がついたとのことですが。火坂雅志先生の『臥竜の天』ですとこの梅を見た政宗様が「まるで天下を取る機会を這い蹲って狙っている自分のようだ」と気に入って日本へ持ち帰るんですよね。もうめちゃくちゃ解釈が最高なんですよね……。これは妄想だけどる年の政宗様も臥竜梅好きだと思う。
春に花見をし
夏に川で涼み、紅葉を愛で、火鉢にあたり酒を飲む。争いに血を流すことも、大切な者を失う心配もない。
そんな世の中を作れるのなら、どれだけ恥をかこうが、後ろ指をさされようが構わない。泥水をすすってでも
この世にしがみつき、みっともないと笑われながら生きていきたい
絶対好きじゃ〜〜〜ん……民のためなら、天下取りの為なら、どんなまわり道でもしんどくてもやって見せちゃうのが政宗様だよ……そんな政宗様好きです…仙台藩、かっこいい……
信之くんじゃないけれどまた来年もここへ来たいな…御開帳狙ってきたい……
瑞鳳殿隣の資料館にも行ってきました。政宗様の血液型やDNA検査結果とか乗ってて面白かった。間違いなく輝宗と義姫の子だとのこと。あと身長があんまり高くなかったこととか。頭蓋骨の模型とかもあって面白かった…。あと政宗様のお嫁さんである愛姫が頼んで実寸大の政宗様の人形を作らせたとあって「政宗くん人形じゃん!?」って沸きました。奥さんお買い求めの商品、九度山にありますよ。
その後は再びるーぷる仙台に乗って仙台市立博物館へ。一日乗車券やすくて便利です。おすすめ。
バスを待っている間、なんか見慣れた文字があってここは九度山かと思いました。このままいくと真田紐を内職しそうなところでバスにすし詰めになりました。俺たちが柿の葉寿司だ(?)
てことでついた。前に一回来たことあったんですけど、その時とちょこちょこ内容変わってました。前来たときは成実と小十郎の肖像画があってハワワ・・・・・かもねや・・・・・・って1人でそわそわしていたのですが、今回はお休みのご様子。
この博物館の好きなところは黒背景の大きな年表です。見やすいし阿弖流為のこととかも書いてて沸いちゃう…館内写真SNS禁止なのでラインで共有してなかったらデータ飛んだんですけどね(悲しみ)。政宗様の兜とか、青葉城の模型図とか。歴代当主とその嫁のなんかうんぬんみたいなのがあって武将夫婦大好きオタクたち「サイコーじゃん〜!?」って暴れてしまいました。手紙や和歌をしまじが読めるところ読めててかっこよかったからわたしも古文書読めるようになりたいなと思いました(?)
その次は青葉城。こちらもるーぷるで向かいます。
バス停近くの小十郎の屋敷跡。
とりあえずお腹減ったから城跡はひとまずスルーして護国神社横のご飯どころへ向かいます
すると なんか 視界の先に超見慣れた服装の方がいらっしゃって、仙台藩サをしているといつもお目にかかっていた方がいらっしゃって、眩しいサムライブルーがお客様と話してらしてて、、
とっさにカバディみたいなポーズしちゃいますよね、、、
よしを「えっ待って待ってまってまってまってまぅてしげざねさんいるまってむり死ぬ待って」しまじ「え!本当だ!あれ成実さんなの!?話しかけてきなよ!?wwww」よしを「無理無理無理無理wwww死んじゃうwwwww初めて見たwwww無理死ぬwwwwwww」
よりによってる年で一番拗らせてしまった伊達成実殿を演じる伊達武将隊の伊達成実殿との初めてのご対面(?)。完全に腰が引けました…そうこうしているうちに先にお話ししていたお客様と話が終わったのか、わたしたちに「こんにちは」と話しかけてくださった成実殿。接触イベントという言葉が脳裏によぎりました。
わたしら「あの〜すいません…写真お願いしたいんですけど」成実殿「おお!もちろん!」わたしら「これと一緒に写真撮ってくれますか……?」
夢のW成実。水色がお二人ともきれい。ここから断片的に覚えてること書いていきます。接触レポです!(?)
訝しげに写真を見つめる成実殿(そりゃそうだ)「これはじゃにーずか何か…?」わたしら「ジュノンボーイです」成実殿「じゅのんぼーい」しまじ「昔仮面ライダーに出てました」成実殿「あ〜わしなんか見たことあるかも」よしを「アクセルです!仮面ライダーWの、照井竜…」成実殿「ああー!警察の!!」
仮面ライダーってすごいとしみじみしました。みねくんすごいなぁ。「この写真は一体?」という流れで、成実殿にる年祭の布教をし始めるオタク。わたしら「東京で政宗と重長が主役の舞台があって」成実殿「江戸でな」という地名訂正が可愛かった笑。成実殿が凄くる年祭に興味津々で、「題材にしてくれるのありがたい」とおっしゃっていて、るのオタク嬉しすぎて憤死……。最終的にDVD収録時間いっぱいあって1万ちょっとで買えるので是非買ってください!!という話しにもなりました。ぜひ購入して欲しいな〜…伊達武将隊プレ禁止らしいから、プレできたら絶対プレボにDVD突っ込んでたよねって話をするオタク…笑
成実殿「姫達はずんだ餅はもう食べたか?」しまじ「去年明治座で食べたな……(辻ちゃんの座長弁当)」わたし(姫とか夢小説か?(?))
(白石に行ってきたという話の流れ?で)成実殿「わしの領地の亘理には行ったことは?」しまじ「わたしはないですけどこっちが結構いってて」わたし「あああ(照)(照)(照)」成実殿「本当か!大雄寺には行ったか?」わたし「めちゃくちゃめちゃくちゃ行きたいんですけど時間が無くて(照)こんどいきます(照)」成実殿「そうか〜、亘理には城がなくてなあ」キモオタクわい氏「ァ(亘理要害ですもんね〜)」
成実殿「それにしても、アプリとかの画面見せて『これ成実なんですよ〜』って教えてくれる殿や姫はおるけど」わたしら「ああ〜」成実殿「まあたまに『なるみ』と読まれることもあるがの笑」わたしら「あーー笑」成実殿「それでもこう、生の写真を持ってこられたのは初めてじゃ」わたしら「フヒヒ」
そんなこんなお話ししながら背中に香車の印が見えてオタクはかれこれ6186回は死にました。本物でした……。これからお昼というわたし達は成実殿と別れご飯へ向かいます。どこで食べよう〜って迷ってたらお蕎麦の温かい香りとともに、小十郎(景綱)殿が……アワワ……。わたしらと目があったらこちらもこんにちはと話しかけてくれてアワワ……顔がきれい……。小十郎殿は実際会う前に仙台在住の友達とさんざんお顔がきれいだよねって話をしていたのでドドドド緊張しました……。
お蕎麦を食べる前に写真を撮ってくださった小十郎殿。なに蕎麦ですか?と聞いたら「肉そばじゃ」と言ってました。かわいい。他の武将には会ったか?と聞かれ、成実殿とお話ししましたって言ってたら他に茂庭と息子の重綱が今日は城にいるって教えてくれましていっぱいいる・・・・ヒエ・・・・・・・・としました。 お蕎麦が冷めるといけないので早々と(当社比)景綱殿との接触は切り上げたのですが、最後に「ご飯おすすめとかありますか?」って聞いたら「……そばとか」って最初出てきたお店を指差しして可愛かった。のでそこでご飯をいただくことに。
お蕎麦おいしかった!お蕎麦が来るまで予期せぬ接触イベントに大興奮なオタク2人、すぐツイッターを開いて接触レポツイートしました。
偶然出会えた武将隊の方々にる年を布教した回wwww成実殿がなんか見たことある、ジャニーズ?っておっしゃってたから仮面ライダーアクセルでジュノンボーイて教えたら「ああ!警察の!」って言ってくれて沸いた(?)#ぶらり途中下車納める年フェアの旅でどうでしょう pic.twitter.com/H3MEwLwuMG
— よしを (@Ha_toshite_Good) 2018年11月25日
その後いよいよ城跡へ向かいます。あの有名な伊達政宗像。
写真を撮ってたら伊達武将隊の茂庭綱元さんが「逆光になるから正面から撮った方が良い」と話しかけてくださいました。でもオタクだからここからで良かった奴(?)この日の光が差し込む感じがめちゃくちゃ仙台藩じゃ〜ん!?いやうまく撮れねえ〜!?って言ってたので、茂庭さんのそりゃごもっともな指摘にたじたじしてたら、わたし達が手に持つ顔の美しいW座長ブロマイドに気づいた茂庭さんが「それは……?」と聞いてくださいました。これは東京でやった舞台なんですけど〜とまたもやる年の布教を始める私たち。手元の辻本政宗様の写真を見て「これは政宗様か?」と聞いてきてめちゃくちゃ家臣で可愛かった……。政宗様だよ……。仙台藩4人の写真を並べたわたしたち「これが小十郎で〜、成実で〜、あとこれは重長で、政宗」茂庭さん「呼び捨て?」わたしたち「はぎゃあ!!!wwww」って沸いてたら訝しげな表情を浮かべられていた(?)わたしたちはベリー先輩の「よびすてー」小十郎の「呼び捨てにするな」を思い出して沸いてました。敬称に厳しい仙台藩萌え…(?)「わしはいないのか?」「いないですね〜…」「やっぱりな」と言いつつ寂しそうだったから次るひまに仙台藩が出るときは茂庭さんも出て欲しいな(?)
「わしは政宗様が戦や会合に行ってる時留守を守ったり政治のお手伝いをしてたりしてたからな…」と茂庭さんが何したのか教えてくれたり、家の中でどういうポジションなんですか??(?)と聞いたら景綱とは血が繋がらない義理の兄弟(景綱の異父兄弟の姉喜多と異母兄弟)というお話を詳しく教えてくださいました。瓦版もくれた!そういえば茂庭さんの写真撮るの忘れてた……無念…また今度リベンジしよ♪♪(また会う気満々)
あとなんか話の流れで大河の真田丸の話になって、茂庭殿が「景綱はもう病床だったのに真田丸と元気だった。たしか糖尿病だったか……」というお話を聞いて生活習慣気をつけようと思いました(?)
茂庭殿「姫達はどこから?」わたし「山形ですー」茂庭殿「おお!出羽か。最上とも色々あったが近所だからの〜。付き合いは長いぞ。姫は?」しまじ「○○です」茂庭殿「□□(○○の昔の名前)か……(敵意)」でめちゃくちゃ不穏で笑いました。ばちばちに戦ったもんね…。でもその後に「昔は争っておったが、今は平和にやってるからな。(□□の武将隊と)お互いに祭りに顔を出し合ったりしててな」とお話ししててめちゃくちゃほっこりしました。
しまじが瓦版を見ながら「鬼庭…?茂庭…?」となっててわたしが「あ!それ名前変えたんだよ 庭に鬼がいるのは不吉とかなんとか」と説明したら茂庭殿に「詳しいな?」と言われて照れました…新米仙台藩の女です……(?)その後もっと詳しく名前を変えた時の情勢とか教えてくださいました。
今日はもう演舞終わっちゃったけどまた来たとき是非見てってと優しい言葉をお声がけいただきました。絶対見たいよ〜。
茂庭さんと別れて「えー!重長君とも写真撮りたい!!制覇したい!」と言い出したオタク。城跡をちょろちょろ歩いてたり、城跡にて他の姫達とお話ししている成実殿を見て「ねえ花壇の手入れしてる」「ガチじゃん、現実じゃん(?)」「ね、モテるもんな〜〜(?)」「仙台藩の日常風景だもんね(?)いつも見てるわ(?)」というベリー先輩を忘れられない女達でした。ベリーさんまた見たいな〜〜〜〜!!!!!!!!!!!(大声)
そんなこんなで時間を潰していたら遠くから背の高い白い着物が見えてあああ〜〜!!いた〜〜〜!!重綱殿〜〜!!じりじりと間を詰めて話しかけるタイミングを見計らっていました。
重綱殿「こんにちは!」わたしたち「こんにちはー!あの、写真いいですか…?」重綱殿「もちろん!」わたしたち「これと写真撮って欲しいんですけど(重長くん)」重綱殿「これと?これは一体…」わたしたち「(る年の説明)で、これが重長君です」重綱殿「おお!!じゃあ同じポーズするか」
わたしたち(ノリがいい…………)重綱殿「他の写真もあるのか?もう一枚撮りたい」わたしたち(ノリがいい!?!!!)と爆湧きしながら重長君の写真を見せ、採用されたのがこちら。
表情までキメてるのめちゃくちゃ可愛くないですか??沸いた・・・重綱殿めっちゃ元気だった・・・。
写真を撮り終えてさあ会話が始まるぞ(?)というところで「あ!姫達に日光が…」と日差しを気にしてくださった重綱殿。「UVが当たってしまう、日陰へ行こう」と日陰に誘導してくれたら日陰が肌寒くて「日向の方がいいか!?!」とワタワタしててめちゃくちゃ萌えました。かわいいね……
る年の話をしました。武将隊みんなに布教してた笑 物語がバサラよりは史実よりだけど史実を結構変えてて、、という話をしたら「じゃあ無双ぐらいか」とおっしゃっててめちゃくちゃ笑いました。るひまは無双(?)重長君が根津甚八として九度山に潜入って話ししたらめちゃくちゃ驚かれてて可愛かった。
話がだいたい真田丸を伊達視点で大坂夏の陣までやってって感じという旨のお話をしたら「では阿梅を助けるところとか!?!?」と食いつかれてて愛妻家〜〜〜!!!!?!!?かわいいい〜〜〜〜!?!!?!?戦国夫婦のオタクだからめちゃくちゃ萌えてしまった……る年の政宗様に隅に置けないななんて言われてた重長くんを思い浮かべながら「あーー登場はしてないんですよね…名前だけで重長君がお嫁さんにもらいましたーっていう感じで…」って言ったら「そうか…」と悔しそうな顔をしていました。大河の真田丸でも描写がカットされていたようで、見たかったんだろうな〜〜とめちゃくちゃ萌えました。る年の重長君その後ちょくちょく奥さんの話ししてるよって九度山に連れて行ったりしてあげてたよって教えてあげればよかった(?)
大河つながりでこちらでも「本当はあの時父上は糖尿病で動けなかったのに…活躍を取られた…」とおっしゃってて割と真田丸に塩で笑いました(?)見てないからわからんけど伊達的には腑に落ちなかったのかな?(?)その点る年は小十郎ちゃんとお休みしてるしどうですか!?(?)
先程茂庭殿に呼び捨てを注意されたって話を重綱殿にしたら城内では呼び方に気をつけなきゃいけないと言われました。るとしの重長くんきいた??(?)
る年の亡霊だから思わず重長くん呼びしてしまうんですけど、それが気になった重綱殿。史実としては重綱→重長に改名してて、その改名が徳川三代将軍とかの頃だから時期的に…??だったらしく。まあ無双なるひまなので、ということでご納得笑。ちなみに重綱殿の前に他の方が武将隊で重長殿を務めてらっしゃって、重長殿は天に召されて(引退)から現在活動されている重綱殿がご降臨されたとか。オタク比喩ではなく本当にこのように仰られていました。霊が舞い降りているという設定なのかな??
旅行のプランを聞かれて1日目に白石城に行った話をしたら「おお!じゃああれは見たか!石垣の、岩を落とす…」「あ!見ました!!」「あそこな〜あの城を攻めいる時にあそこから岩落とされてな…」とお話ししてくださってそうか元々仙台藩のお城じゃなかったもんな……としみじみ。SENGOKU時代は逃げたり攻めたりその繰り返し。白石城攻めの時に重綱殿は初陣だったらしく、重綱殿「父上から夜集合と言われたが、早く戦がしたく居ても立っても居られなくて、もう朝からわしは家臣二人を連れて城を攻めて、その時に石垣を登って戦ってそこが突破口となって勝利したのじゃ」わたしら「すごーい!」「その時連れた家臣二人は死んだが……」「アッハッハ(る年の重長君もやりそう……)」
傑山寺に行った話はしたっけ…?忘れちゃった…2ヶ月も前だもんね…
お話ししてる途中で常連の子供達が話したそうに重綱殿のことを見てて、かわいい……と思って見てたら重綱殿が「お姉さん達に挨拶せんか〜笑」と話しかけててめちゃくちゃニコニコしてしまった。すごい懐かれてて可愛かった。あの子らは結構演舞を見にきてくれてる、特撮ヒーローショーみたいな感覚でかっこいいって言ってくれてるんだけど、まあそろそろ小学校あがる頃だから…そのぐらいになるとヒーロー離れする年になるからな、会ってもちょっとそっけなくなってたり…と少し寂しげに話してた重綱殿がめちゃくちゃかっこよかったです。
その流れでかなんでか忘れたんですけど、重綱殿とは特撮の話になりました。わたしが高校の時はリアタイで見れてたけど大学入ってからバイトで見れなくなった話とかした気がする(?)その時にしまじ「あ!!!今の仮面ライダー出てる人いますよ!!!」重綱殿「えっどれどれ!」しまじ「ほらこの人!!この舞台だと小十郎だからお父さん!」重綱殿「うわーーー!!?!!タイムジャッカー!?!!!父上がタイムジャッカー!?!!!!」
可愛い………… 成実がアクセルって話もしてうわーーー?!ホントだ!?となってましたがお父様がタイムジャッカーなのが今日イチの驚きだったらしく本当に可愛かったです。重綱殿自ら写真撮る!と仰った上3枚。可愛いね。親子だね。
親子といえば。重綱殿「姫達は今日他の武将には会ったか?」わたしら「会いました会いました!」重綱殿「おおー」わたしら「さっきお父さん肉そば食べてました」重綱殿「あいついっつも肉そば食ってんだよな」わたしら(カワイイ・・・・・)重綱殿「そんなんだから糖尿に……」わたしら(可愛い・・・・・・・・)
最後に写真を撮ろうと誘ってくださって、お気持ちはありがたいけど自分の写真をカメラロールに残したくないオタク×2がその旨を伝えると「じゃあ顔を隠して撮ろう」と卒なく瓦版を渡してくださり、気遣いが沁みた(?)
モザイクの意味ある?(?)念のため消します(?)ただただ重綱殿がかっこいい写真が撮れました。
あと先日政宗様が白装束で参陣ということで大変バズってたイベント武将博の告知もしてくれました。重綱殿「このイケ武将グランプリでな、昨年わしが優勝したんじゃ」しまじ「顔がいいですもんね!?」褒め言葉がどストレートでめちゃ笑った。今年は生花のイケ武将で茂庭さんが優勝したそう。おめでとうございます🎉笑
なんだかんだ話しているうちに、新幹線の時間になったので重綱殿とお別れしました。本当に楽しかったありがとうございます。いつか伊達武政宗様とる年政宗様の写真撮りたいな〜!?(?)
そんなこんなで、楽しかった ぶらり途中下車納める年フェアの旅でどうでしょう も終わりが近づいていきます。青葉城への急な坂道をハイテンポで下るわたしたち。本当に急ですので行きはぜひバスでの登城をお勧めします。地下鉄の国際センター駅まで行って、そこから仙台駅へ。やっぱ仙台地下鉄が便利ですね。線もこんがらかってないから田舎者大助かりです。東西か南北しかないのありがたい(?)
仙台駅でお土産を買って、ずんだシェイクも買いました。まどいせん。
美味しかった!明治座で凍えながらシェイクをすすった2017年末を思い出しました。いよいよ新幹線の時間も近づいて、別れ際に涙こぼれ落ちる…とりんごメンズが始まりそうでしたがまあその1ヶ月後明治座で会いました。いつも癒着ありがとう。
この旅行を通して、もっともっと東北という地とるひまの祭シリーズが好きになりました。る年観劇後に思わず「東北出身で良かった」と言ってしまうぐらい、東北の人々の生き様ってかっこいいなって思いました。まだまだ見たりないなと思うので、また旅行したいな〜!りんごメンズの食べ物制覇したい!
天気予報をお伝えします。
本日は晴天なり。本日は晴天なり。
これにて納め・る。
後日こちらのツイートの重綱殿がめちゃくちゃ「俺を連れてけ政宗ェ〜〜!!」すぎて沸きました。
ぶらり途中下車納める年フェアの旅でどうでしょう - 2日目 続
早いもので12月中旬。いや早いよ。
前回の更新からもうすでに2週間以上日経過してて笑いました。まだ12月3日とかそんな時期の気分なんですけどね。
携帯壊れたりなんだりでなかなかブログ書く時間がなくて、、年内にはちゃんと納め・るのを目標にがんばります。
それでは2日目後半戦。
前半はざっくりと平泉、母礼の屋敷跡、出羽神社に行きました。
その後向かうは巣伏の戦い跡地。
物見やぐら的ななにかが残されていました。登ってみると「募金お願いします」って感じの紙が貼ってあったんだけど、いかんせん募金する箱がなかった、、蝦夷の歴史のためならって気持ちが出てきてしまう軽率なオタク
実はここにくるまでがなかなか難しかった思い出。
物見やぐらは見えてるけど、道路の流れの関係でうまくたどり着けない、、、という、、、。
近くにあったちょっと止まって電話する人用の駐車場に助けられました。
見晴らしはこんな感じ
次は埋蔵文化財調査センターへ向かいます
朝平泉に向かう道をいきなり間違えた時に見かけていたので今度は無事にたどり着けました、確か(?)
館内撮影はOKでしたがSNS掲載は許可証がいるとのこと
センターに身バレするのが恥ずかしかったので(?)許可証は申請しませんでした(?)
ちょうど到着時間が「エミシの世界」というムービー上映時間だったので、係員さんに案内に従い最前ドセン上映会です(?)
ムービー中の阿弖流為と母礼の背丈が解釈通りで沸いたり、阿弖流為が蝦夷を守るために降伏したのに田村麻呂が高笑いしててめちゃくちゃ解釈違いでエ?ってなったり
なかなか見ごたえのある映像でした。田村麻呂にだけ一瞬モヤってしまいましたが、そりゃ詳しい事情を知らない蝦夷にとっては田村麻呂は憎みたくなる存在だったかも知れない、この地の人にはこういうイメージの征夷大将軍だったのかなって……
展示では蝦夷が稲作をしていた痕跡が説明されていて、おにぎり食えるじゃん〜!!って安心しました(?)ネットで調べると結構蝦夷は稲作をしていないって説明しているサイトもあって、どっちなんだろうってずっと気になっていたのでスッキリ 一説では田村麻呂が稲作を普及したともいいますが…
その近くに蝦夷の年表がありました。伊佐西古や母礼の名前があって流石蝦夷の愛した土地すぎて沸いた〜〜〜〜!!!!
他にも色々展示ありました。HP参考にしてみてください。常設展示|奥州市埋蔵文化財調査センターのホームページ(公式)
しまじとやり込んだ(?)クイズゲーム機が小・中学生対象ってことを今知って笑いました。結構難しかったぞ!
あと当時の食事をお姉さんが作ってるビデオもありました。牛乳3リットルをひたすら煮詰めたりとか、絶対牛乳の味するじゃん・・・って言いながら見てた
入り口出口付近にちょっとしたコラムが書かれています。
「蝦夷」とは元々朝廷が東北に住む異文化の人間を差別するための言葉だったけれども、今を生きて彼らを敬い尊敬する人間も研究者も、彼らのことを「蝦夷」と呼ばずには語ることができないというパラドックスのこととか。
胆沢城が築かれた時に、この地の人はなにを思い城を見つめたのか、とか。
めちゃくちゃわかる……って思いながらしみじみしてしまいました。
一階の展示コーナーでは色々な調査などから考察できることがパネル展示されていて面白かった!
母礼は本当に名前は母礼なのか、とか、阿弖流為と母礼が捕らえられた時、田村麻呂は彼らを「二虜」ではなく「二人」と記していることから、田村麻呂は最初阿弖流為と母礼を東北開拓のリーダーにしたかったんじゃないか、とか、、
「二人」って表記している時点で田村麻呂は彼らのことを人間と尊重してくれていたのが伝わってもうもうもうたまらないようなやるせないような、田村ラブ麻呂が止まりませんがな〜!?田村ラブ麻呂田村だよ〜〜〜!!!!
埋蔵文化財調査センターを後にして、さあ胆沢城跡に向かうぞ!!って車を出そうとしたら目の前に胆沢城跡があって爆笑しながら駐車場に戻りました。
この胆沢城跡の広いこと広いこと。今なにやら工事中で、看板や説明などが新しくなっていました。
南大路から門までのところをみてまわりました。その奥は工事中で入れなかったけど、解説があってすごくすごく気になる……!
来年の3月末まで工事してるそうです。どうやらVRも設置するみたい!奥州市都市整備部都市計画課ナイス ほんと 愛した kiss
仙台城も2月3月にVR設置する予定らしいのでみんな胆沢城も青葉城もいこう〜〜!VR、お手軽に当時の景色が見られるから本当科学の発展愛してる
というか大路と門だけでも広くて小学生だからはしゃいでしまったんですけど、これどこまで再現するんですかね?というか、昔はこんなに土地を広々と使っていたんだ………っていう………
暗くなってきたので、急いで次の目的地に向かおうと車を走らせます。もうこうなったら馬で駆けたい(?)
次の目的地はこちら
交差点のすぐ横っちょにあったのでなかなかたどり着くのが難しかった(?)
ちょっとした公園のこちら、一体なにがあるかと言いますと
こいつ
誰だよて思いますよね へへ
そんなこんなで、アテルイ像でした。
片目だけ光るアテルイ。道路沿いなので地元の人に何してんだって思われそうだなって話してました。
このアテルイ像の斜め向かいには大きなパネルアートがあります。
どうやら北上川での戦いの絵らしいです。火怨って小説をこの前読破したんですけど、北上川の戦いはまじでアドレナリンドバドバでます。本当劇場版名探偵コナンのクライマックスで劇場版テーマ曲が流れるシーンレベルでアドレナリンドバドバ。本当に楽しい……みんな読んで………
火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4062735288/ref=cm_sw_r_cp_api_AgFfCb0R4PCXJ
写真から伝わらかと思いますが、11月下旬は暗くなるのが早くってびっくり!夏だったらもっといろんなところ行けるのかな〜〜
というか!岩手きてびっくりしたのが車の治安が悪くて(?)赤信号なのに平気で右折左折キメてくる車が結構いてビビりました、、、笑 あと母礼の屋敷跡近くにぜったい80キロ出してるって車もいたし、、、笑 速度はわたしの近くでも結構飛ばす人いますけど、右折左折のはびっくりしたし、周りの車は慣れてる感じだったからそういう土地柄なのかな〜って
このあとはガストに行ってご飯食べながらツイッターしました。笑
互いにツイッター大好き人間だから「今日全然ツイッターしてなくない?ツイッターしよ」って言ってツイッターし始めてて良かった(?)
ご飯食べたらレンタカーを返して、コンビニに寄って、ポテチ買って、旅館戻って
道中綺麗な十六夜で そりゃ満月の次の日もだいたいぱっと見満月だよね じゃあ政宗様って輝宗のこと思い出して落ち込む日が何日か続くってこと?見分けつかなくね?ってエモさのかけらも無い会話をしたり
旅館で寝る準備したら持ってきてたパソコンで納祭を見ながらポテチを食べました。最高だった……途中疲れてたのか寝落ちしかけたんですけど、母礼のstoryでめそめそめそめそ泣いた記憶はある笑 胆沢の地で納祭を見るの本当に沁みる・・・
そんなこんなで胆沢旅行はここでおわり。2日目濃かったな〜!!笑 次は仙台にて納めます。年内に更新頑張ります。
ぶらり途中下車納める年フェアの旅でどうでしょう - 2日目
2日目、平泉・胆沢編。
まずは6時台に起床。顔を作って、朝ごはんをいただきます。
今回泊まった旅館にはねこちゃんがいました。この子もめちゃくちゃ人懐っこい!あまりの可愛さにしまじが朝から半分溶けてました。
準備ができたら、レンタカーを借りに行きます。
わたしはこの時知りませんでした、オタクと乗る車が楽しすぎる事実……。
ガンガンるひまの音楽流せます。耳馴染みのいい曲最高最高最高最高!!!!!!!!
なんてはしゃいでいたら、なんと再び「いきなり間違えた〜〜〜!!!!」設定する目的地をわたしが思い切り間違えてました。ごめんね。2日連続で九度山に向かう重長くん状態です。ベリー先輩わたしたちもお守りしてください。BGMに流れる僕が僕であるためにが沁みる。
気を取り直して平泉へ向かいます。道中つわものディストラクションかかるとやっぱり盛り上がる。俳優さんたちがこの曲盛り上がるよねって言ってくれるの嬉しいよねって話でも盛り上がる。
9時前になんとか平泉到着です。目的は中尊寺。朝早かったのでこの時駐車場はそれなりに空いてましたが、帰り10時11時ごろには満車になっていました。三連休おそるべし。ぜひこちらを読んでる方が中尊寺へ行かれる予定がございましたら、早朝が吉とお伝えしておきます。
中尊寺の前に、近くに弁慶くんのお墓があるとのことで行こう!と探しました。が、これがなかなか見つからない。付近をうろうろしていると、
芭蕉やん(沸)
御ピやん(沸)
推しが大渋滞の土地平泉。
にしても弁慶くんのお墓が見つからない、と思ってたら案の定真反対の方向行ってました。地図が見れない天才だと思う。
無事にショートコント。
それでは中尊寺、向かっちゃいますか?\いいですねえ〜/
めっちゃ坂ですやん。
途中本当に登りがきつくてヒイヒイいいました。神社仏閣が山に建てられがちなことを思い知る旅。元気なうちにまわれるところまわろうと心に誓う。
中尊寺へ至る道の左側、弁慶堂がございます。
お堂の中には義経くんを守る弁慶くん。
中尊寺に到着した頃、青空が見えてきました。多少雨というか霙というか、なにやらぱらついていたけれど気にしない。
お参りして、御朱印貰って、たしかおみくじも引きました。二人して小吉、、慎ましく生きよう、、。
金色堂に行く前に讃衡蔵に。もうめちゃくちゃ巨万の富でした。巨万のォ〜〜〜っ富!!!(チャーン)(忠勝さま)
どでかい仏様に、綺麗な仏様、お腕がたくさんな仏様、、、仏様がいっぱいでありがたすぎてお賽銭チャリンチャリンチャリン……
この中の年表が(たしか)田村麻呂奥州征伐から始まってて、胸がギュッてなりました。たしかに蝦夷が討伐されてからが政治的には奥州のスタートだよなって、、、、。苦しい、、、、。
年表では田村麻呂さまから始まり、奥州藤原氏、義経公、頼朝さま、伊達家と追っていてるひまオタク的にはちゃめちゃ楽しかった!
中には金色堂のミニマム版みたいなの(語彙貧ピークでごめんなさい)もあって、金色堂を見る前の予習もできました(?)
そしていよいよ金色堂。もう本当に、本当に圧巻でした……。
めちゃくちゃ巨万の富だった……5千両出すわ……って言いながら見てました。
金色堂を解説してくれるナレーションが流れているのですが、秀衡と泰衡親子の遺骨が同じところに眠っているというお話で目の周りがベチャベチャに濡れました。
こちらは金色堂が中に入っていたという覆堂。
中央の柱の、るフェアな名前にただでさえ涙腺ゆるゆるだったのにもうズビズビズバズバの域です。しんどいな、切ないな……。
今さらっと調べてびっくりしたんですけど、夏草や〜、の歌の前に芭蕉は蝦夷について触れているんですね…。
泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。
泰衡たちの屋敷跡は、衣が関を隔てたところにあり、南部地方からの出入り口を固めて蝦夷の侵入を防いだと見られる。
触れてるっていうか、ほんとにさらっとだけど
阿弖流為たちが戦ってからだいぶ経つように思うんだけど、蝦夷ってまだいたのかな、、、
奥州の地で生きて戦い、散っていった人たちを思うと本当に泣きたくなる……。
ちょっとしんみりしながらも中尊寺を後にします。
帰り道に食べた弁慶餅。
甘い系かと思ったら結構しょっぱい路線で美味しかった。
山を降りたら、先ほど迷っているうちに見つけた平泉文化史館に立ち寄ります。
三連休なのにガランとしてて、ゆっくり見ることができました。
人形で時代を辿る様式に、松島の伊達政宗歴史館を思いだします。政子に沸くわたしたち。
二階には当時の中尊寺の模型図などなどがありました。
文化史館を後にしてお土産を買ったら次の目的地へ向かいます。
巨万の富なお土産を買っていたしまじ氏。
お昼ご飯は阿弖流為の好きなおにぎりを。
キョウハジのみなさんの歌声とともに、奥州の地をうろうろします。沁みる。
ついたーー!!
母礼屋敷跡です!!
周りにいよいよなにもなくて、本当につけるか不安でしたが無事見つけれて良かった!!
最寄りのバス停の名前に「母生」とあって、母礼から土地の名前をもらっているそうでした。よく土地から苗字だったり名前だったりをもらう話は珍しくないですけど、土地についちゃうってすごいですよね。母礼はこの地の人にとってそれだけ大きな人だったんだなって思います。それと同時に、それだけ大切な存在だった阿弖流為と母礼が処刑された時のこの地の人のことを思うと痛ましくて……そりゃ土地に名前つくわ!?!?!?(怒)(?)
ちゃんと屋敷跡ってわかりやすく区画されてたのが印象的でした。
本当に人もなかなか通らないような土地でしたが、ちゃんと草刈りされてて保存されてるなって……小十郎の屋敷跡とか草生え放題だもんね……(小声)
そういえば母礼さんのお家に眼鏡を忘れてきてしまったので、今度母礼さんと遊ぶ予定のある方眼鏡見つけたらツイッター@info_zzz_link までよろしくお願いします。
なんで?って思うよね わかる わたしもなんで?って思ってる………まあ数年前に買った千円の激安伊達眼鏡なのでいいんですが………でも伊達………伊達の眼鏡………………エーンエンエン………………(伊達の眼鏡ではない)
妻帯者持ちの好きな男の車に口紅とか腕時計とかわざと忘れる愛人みたいなことを胆沢の地でまさかやるとは思いませんでした(漫画の見過ぎ)
さよならMore&Megane……
まあ伊達眼鏡なのでなくても生きていけますし、ちゃっちゃと切り替えて次に行きます。
次の目的地は羽黒山出羽神社。とその前に。
しまじが急に「アテルイって書いてあった!!!」と車を走らせたので立ち寄った謎の石碑。裏の説明みても???って感じでした。名前にあやかったなんらかの計画、、?
にしてもしまじ氏の納祭レーダー侮れない。3年間時が止まってる人間はひと味違いますね。
そうして到着出羽神社入口。見えますかね?めちゃくちゃ坂急なんですよここ……。
「えっこれ徒歩で登るのはしぬ」と死を悟るわたし。「フォロワーさんが馬力が云々って言ってたから車で登れるのかな……でも上に停めれるところなんてある……?」と不安げなしまじ。ここから歩くにしても駐車する場所がないし………と顔を曇らせるわたしたちの目の前を、ある一台の白い軽トラがブンブン!ブォン!と山道へ駆け上がっていきます。
「車で行けるんだーーーー!?!!?!?」
ありがとう軽トラ。軽トラがいなかったら今頃わたしたちのふくらはぎは限界に達していたかもしれない。
とりあえず車が通った痕跡を辿っていこうと登っていきます。それでもめちゃくちゃ普通に山の中でした。本当に運転お疲れ様……!トヨ●レンタリースの人もこんな山道いってるなんて想像してないだろって話してるとある看板が。
戦ってる😭😭😭😭😭😭はぁ〜〜〜〜〜本当にここで蝦夷が戦ってたんだ……ってしみじみしました。そういえば納祭で母礼が言ってた「あの山の向こうにはわたしたちの集落が云々!」ってどの山なんだろう……。
そしてとうとうつきました出羽神社。
阿弖流為・母礼顕彰の地です。
以前しまじに、ここには阿弖流為と母礼が処刑された枚方の土が持ってこられてると聞いて「甲子園?」なんてアホなコメント残してしまいましたが……
慰霊碑が胆沢の地を高いところから見守ってくれているのを見るとたまらなくなってしまいました。1000年以上も長い間この土地を見守ってくれた先人たち。彼らが思い描いた平和な未来をわたしたちは歩めているのかな。
とりあえずわたしは海野が入れた水を望月が沸かして伊佐が蝦夷の無念が詰まった枚方の土を入れたお茶をアホコメント反省の証に飲もうと思います……
物見やぐら。
この旅行で撮れた中でもお気に入りの写真。
枚方で処刑され、お墓もあちらにあるけれど、阿弖流為と母礼が守った土地はここなんだなあって感慨深くなりました。紅葉と慰霊碑の黒のコントラストが綺麗。
まだまだ旅行は続きます。
2日目長くなりそうなので前半戦はここまで。
今回の記事書きながら、東北を思ってメソメソしてしまうぐらいいい経験をしてるなあって思います。
ぶらり途中下車納める年フェアの旅でどうでしょう - 1日目
11月も終わりにさしかかり、街も人も年末の明治座に向けて浮かれ出す季節になってきましたね。
その一方で、年末が来るたびに「えっまだ納められてないのに2018年が終わるの…?」「もう明治座に仙台藩はいないのに仙台藩にあいたすぎて無理…」とのたまう方も多いことかと思います(出典:自分ら)
そしてるフェア、納祭、る年となにかと東北にゆかりのある祭シリーズを観て、いつか彼らが愛した土地に行きたいという気持ちも高まる一方……ならもう行っちゃいますか?\いいですね〜/
そんなこんなで、永遠に2015年に留まり続けるオタクしまじ氏と一緒に過去の祭シリーズを懐古する、その名も 『#ぶらり途中下車納める年フェアの旅でどうでしょう』、開催です!(2人して語彙が無いので川柳は読みません)
11月23日明朝、
仙台駅でしまじ氏と待ち合わせ。
まず真っ先に、ご飯を食べるよりも先に向かった先はこちら。
兄さん…聞いた…?仙台だって…。みんなも、連れて来たよ!!!!!!!!!!!! pic.twitter.com/g9DZX0wnxE
— しまじ (@_beneooi) 2018年11月22日
平和な世界……。このためにブロマイド持参してくれたしまじ氏ありがとう。
このあとも仙台と聞くたびに「兄さん聞いた?」「仙台だって…」という会話が何度か交わされました
このあと多賀城跡近くの東北歴史博物館へ向かう予定でしたが、電車を間違えて白石へ向かってしまいました。(???「いきなり間違えた〜〜〜!!!!」)
てことで急遽、白石をめぐってから博物館へ向かうことに
白石駅までの道のり、しまじ氏にオススメしてもらった阿弖流為の小説『火怨』にでてきた地名の駅にそわそわしてたら50分なんてあっという間でした!
まず向かったのは白石城。
白石城へ向かう際の道が可愛かったのでみて〜!
しゃれがきいてるのめちゃ愛おしくなってしまう、、
そして白石城に到着。
城経験何気にこれが初めてかも!!中から矢を放ったり石を落とすところ見るの楽しかった!階段めちゃくちゃ急でびっくりした、、笑
中には甲冑体験コーナーもありました。
白石は重長くんのお嫁さんの阿梅ちゃんのこともあって幸村も結構PRされてました!見かけたバスもバサラの小十郎と幸村だったし、、、
この城の廻縁(ベランダのようなところ)と甲冑コーナーで意外や意外にモテモテだったのはる年るーちゃんキーホルダー笑
いろんな人に「これなんですか?」ってきかれたので「去年政宗と重長が主人公の舞台が東京であって〜」ってる年祭の宣伝をしてました(?)
せっかくなので甲冑着たんですけど自分らの顔のでかさにびっくりしたので門外不出の写真が生まれました…しまじが政宗るーちゃん、わたしが重長るーちゃんポーズです。こんなオタクを受け入れてくれた着付けの方々ありがとう!(?)
重長くんと阿梅ちゃんに絡めた謎解きイベントみたいなの開催されてたり、地元の高校生が地域の特産品を売り出してたり、白石の方々の郷土愛を感じてすごくすごくほっこりしました。
白石城近くのミュージアムと隣接しているお土産やさんでこちらを購入。
し、し、成実さま、、、、、、、♡(伊達成実のオンナ)
しまじに「即購入笑」って言われたけど、この日の夕方に彼女も即決芸人と成り果てたことはまだこの時は知る由もなかった、、、(伏線)
兜見てあ〜〜!!ってなったけど、ごん殿は黄金百足のごんだからこれはごん殿じゃないのかな(?)
その次に向かったのは武家屋敷です。
白石城から歩いて10分くらい?でした。
もう雰囲気が武家〜!(頭悪い)
縁側で日向ぼっこしたい〜!って言ったり
ここで本読んでたんだ〜!って沸いたり
ご飯食べる〜〜!って騒いだり
片倉家家臣であった小関さんのお宅にお邪魔しました。当時の人たちこんな感じの生活なんだ〜て考えるだけで幸せになれちゃうね
お昼にはうーめんをいただきました。白石の名物らしいです。
そうめんみたいにさらっと食べれました!
白石城で高校生がうーめんについてのアンケート取ってたんだけど、なんか体に良い的なことが書いてました(?)うろ覚えでごめんね高校生、、祝日なのに課外活動に励んでて偉い
ご飯の後は、片倉家が祀られている傑山寺へ。
辿り着けるか不安なまま、細くぐねぐねとした道を進む中、「辻本さんや安西くんもこの道歩いたのかな…」「タクシーじゃね?」「うわ〜お金持ちだ」「るーちゃんが出すでしょ」「えっそのお金って私たちの課金じゃない?!」「えっ興奮してきた」なんてアホ丸出しオタク話してるうちにお寺が見えてきました。
こちらは清林寺。幸村遺児の名前に、以前読んだ本を思い出してあ〜〜〜となる回。
歴史としては幸村が重長に娘を託した…って形の解釈が主流ですけど、る年の重長くんが幸村と十勇士と仙台に行きたいって願った結果、血を継ぐ子どもを仙台に連れていくっていう発想の転換がめちゃくちゃるひまだな〜って愛おしくなりますね(?)
傑山寺にはもう少し奥に進みます。
あ!ついた!と安心した心に付け入るは
謎の猫。後のしまじ命名時間泥棒猫。もう人懐っこくてびっくりしました。しまじが顎撫でた瞬間腹を出してぐねぐね甘えるもんだから可愛くてメロメロですわもう、、、
猫とバイバイしてお参りへ。
この時すごい天気が良くて、めちゃくちゃ仙台藩で湧きました。「本日は晴天なり!」って声が聞こえるかのようです
本堂をお参りした後は、片倉家代々のお墓、
そして初代小十郎のお墓へ向かいます。
「階段は流石にタクシーじゃないよね!?てことはここ歩いたの!?」
「絶対歩いてる……待って四次元的に同じ空間を今歩いてない!?(?)」
オタクの虚言はとどまることを知らない
階段を登っていくと二手に分かれます。向かって右手が小十郎のお墓に通じる道でした。最初に左に向かってしまったわたしたち、クラピカの理論を信じるべきだった…。(HUNTER×HUNTER未読)
【る年祭】本日は稽古はお休みでしたが、両座長は演出の板垣さんとともに仙台へ。松島は瑞巌寺で政宗公に、白石の傑山寺で重長公に演じさせていただくご挨拶を。写真撮影は板垣さんです。雪舞う中の座長たち。#辻本座長 #安西座長 pic.twitter.com/5teB7ltwdG
— る・ひまわり (@le_himawari) 2017年12月17日
座長お二人が訪れていた一本杉。
る年祭、仙台藩、とても素敵な作品だったとご報告。
さて駅戻るか〜と歩き出すと、傑山寺から駅までの道のり20分のところ次の電車まであと15分。やばいやばい。猫と戯れすぎたと早足で駅まで駆け下ります。
行きは登りだけど帰りは下りだったのが幸いで、なんとか電車に間に合いました。ほぼほぼ間に合ってないけど。駆け込んでくる人がいると待ってくれるのローカル線優しいなあって思いながら、地元の電車も友達とホーム間違ってたとき待ってくれたことも思いだした。遅延させてごめんなさい。
切れた息を整えながら仙台駅へ。到着したら乗り換えて、当初はじめに行く予定だった国府多賀城駅に出発です。
ちなみに多賀城駅近くのツタヤ図書館、すっごく綺麗でおすすめです。なんで多賀城駅と国府多賀城駅があるんだろう(?)
駅から徒歩1分でつける東北歴史博物館。
名前の通り、東北を中心に歴史をなぞるような展示です。
蝦夷と朝廷の戦いについてのムービーが上映されていたんですけど、その名も『多賀城炎上』
推しが良い意味の炎上俳優だからめちゃくちゃニヤニヤした思い出です。話は逸れるけどこの次の日バスツアーで座長狙ってる的なことを言ってたって小耳に挟んではちゃめちゃに嬉しい!!!!
蝦夷のことも、奥州藤原氏のことも、伊達家のことも展示してあって、はちゃめちゃに る でした。楽しかった!
田村麻呂の刀の複製が黒くてまっすぐだったんだけど、この次の日納祭みたら本当に田村麻呂の刀って黒くてまっすぐだった…!衣装さん凄いなって改めて感心しました。
政宗の書状が親しい家臣にはフランクだったり、親子で似てるところがあったりで等身大の人間らしくてすごく萌えた(?)
ミュージアムショップに足を踏み入れたら可愛い勾玉のアクセサリーが並んでました。古代っぽくて可愛いな〜ってよく見ると、
母礼
more
えっ母礼!?!?!?!?!?!???!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?
色々な色がある中、すぐさま赤い勾玉を探していたしまじが面白かった。効能とかも買ってから気づくぐらいに即購入芸キメてました。阿弖流為関連のグッズやお土産はそこそこあるんですけど、母礼のは見たことなかったから本当によかったね……!(母礼のグッズではないけど)(?)
母礼のファンの皆さんはぜひ東北歴史博物館に行きましょう!(?)
博物館を後にして、電車まで時間があるので近くの多賀城廃寺跡にいきました。
ちょっとひらけた公園みたいになってて、田舎育ちの2人して「なんか地元にこういうところある…」ってのたまっていましたが、跡に登ったら格の違いを見せつけられましたよね……。
城の一角の寺なのにまあ広い、広いし高いし見晴らしがいい…。
その近くに神社もあって、なんの神社だろうとよく見たら桓武天皇関連の神社で。やったー!やったー!(忠勝)
ここをはじめとするいろんな神社で今年の年末も楽しめるようお祈りしました。
多賀城廃寺跡をあとにして、駅へ戻ります。この時すっごい冷え込んでたし、冷え込みすぎて携帯の充電が死ぬほど寒かったです。隣でツイッターをしてるしまじが羨ましくてわたしもツイッターしたい〜!ってなかなか電源が入らない4年目のiPhone6を必死に温める回。最初に多賀城方面に来る予定だったけど徒歩時間が長い白石でこの寒さを考えるとやっぱり日中白石に行っててよかったなって思いました。正解なんてないんです。
この日は満月。国府多賀城駅から見えた月がでっかいでっかい。満月祭が盛り上がってるに違いない。そして政宗様は病み期だろうと。
14分ほどでついた仙台駅をでたらアーケード街にて晩御飯をいただきます。
やっぱり仙台だし、ここは…
オーストラリア産の牛タンっしょ!!!!!!
しまじが牛タン定食、わたしは普通の定食は食べたことあったので丼をいただきました。
美味しかった〜!無事、ショックを受けて大人になりました。
店員さんのノリに、クリエイターズKの時のみねくんを思い出してにやける。ごちそうさまでした。
荷物を回収して、宿泊場所がある岩手県の奥州市水沢に向かいます。胆沢です。つまり、蝦夷たちのふるさと〜!!!サイコーー!!!!!
一ノ関までバスでむかい、そこから電車で向かいます。一ノ関駅で青森りんごジュースと夜食のヨーグルトを買いました。
バスから見えた月が綺麗だったんだけど、写真だとうまく撮れないね。道中伊治を通ったので「さまこ〜〜!!」って湧きました。にしても多賀城から伊治、伊治から胆沢まででもなかなかの距離。よう馬で移動するなと感心しました。母礼は電車通勤らしいけど。
なんやかんやで旅館に到着。すぐさまお風呂に入って、お風呂上がりの一杯を母礼の音頭でいただきます。
\かんぱーい!!/
胆沢の地で、蝦夷と集まって青森りんごジュースを飲む、これいいじゃないっすか。悦です。
恋話をはじめる蝦夷たちを優しい眼差しで見守る私たち(誰ポジだよ)
いつも舞台やイベントで遠征するときは興奮しすぎて深く寝付けないし夜更かししてたけど、この日は疲れてたのか日付をまたぐ前に眠りにつきました。まああれだけ白石でガンダキメたら疲れちゃうのも無理はない。なんと2万歩以上歩いていたそうな。
これにてまずは1日目終了。
2日目は平泉・胆沢編です。こちらもすごく楽しかったからたくさん書きたいな。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
るひまのおかげで出会えた書籍たち
せっかく開設したブログを、舞台感想だけに使うのもなんだか寂しい気がしたので、わたしが今まで読んだ本の感想をポチポチ書いていきたいと思います。
タイトルにある通り、本のジャンルはるひまで取り扱った歴史関連です
というのも、わたしは高校生くらいまで歴史小説とかよくわかんないし手に取っても興味が出ないし、みたいな 本当に日本史と縁の遠い人間でした。
そんなわたしに日本史の面白さを教えてくれたのは紛れもなく戦国鍋とるひまなんですよね
鍋るひまきっかけに、もっとこの時代が知りたい!彼らの物語にひたりたい!と本を手に取るようになったんですが
そんな日本史初心者でも楽しめた本を備忘録的にざっくり紹介したいです。
紹介するくせにネタバレとかしてたらごめんなさい!史実の話はネタバレじゃなくていいですよね?!(?)なるべく気をつけます、、
あと諸注意として、、わたしは史実を色々な作家さんがそれぞれの解釈で描くことで生まれる解釈の相違点を楽しめるタイプなのですが、そうじゃない方は不快になってしまうかもしれないのであまりオススメはしません、、
るひまも神だし小説も神だよ〜〜!!!みんな違ってみんな良きスタンスです、八百万が神(?)
①吉川永青『龍の右目ー伊達成実伝』
https://www.amazon.co.jp/dp/4758413150/ref=cm_sw_r_cp_api_zBmWBbCH3D9FT
これは何度もツイッターでもうるさくするぐらい大好き!!
もう御察しの通り、時代としてはる年祭の、伊達成実が主人公のお話です。ベリーさんが好きな人読んでほしい、、、全人類好きだから全人類読んで、、、(?)
まずまあ冒頭の政宗と成実の幼少期が可愛すぎる。引きが神。
吉川先生の描く仙台藩はる年とはまた違った人間くささがあって本当に大好きです
る年だと対等でライバルで従兄弟で友であり家臣な政宗と成実ですけど、
この作品ではる年では描かれなかった成実の右手のことも踏まえた結果、政宗に対してめっちゃ忠義な成実が健気で愛おしいです、、
あと吉川先生がインタビューで語ってらした「政宗は成実に○○でいてほしかった」的なことも本当胸熱神解釈なので・・・・読んでください・・・・・・・
成実が出奔から帰って来た時の政宗さまがめっちゃイケてて伊達男すぎて惚れるので覚悟はいいかそこの政宗さまの女〜〜!?!?って感じです(?)
奥さん絡みのシーンで成実が花の話ししてて若干キョドるるひまオタ
②近衛龍春『伊達成実』
https://www.amazon.co.jp/dp/B075D51S3G/ref=cm_sw_r_cp_api_UVmWBbRMQGKQG
また成実かよって思った方ごめんなさい、しばらく仙台藩が続きます(予告)
この成実は「武の成実」が似合うぐらい強い男性として描かれているんですけど、そんな彼の可愛い一面もたくさん散りばめられててとっても楽しかったです
恋愛ものも大好きなわたしは奥さんとの馴れ初めにきゅーーーーん(けけこ)
そして子煩悩な成実にきゅーーーーーーーーーん(けけこ)
龍の右目に比べて結構政宗と成実が対等感あってそれもまた良きです
たまに殿呼びが外れて呼び捨てになっちゃうの「呼びすてー」って声が聞こえてニコニコしちゃう
あと成実が小十郎に結構ジェラってるのも人間味あっていいですねぇ〜〜!!(?)
ちなみにもうすでに絶版しているのでわたしは図書館で借りて読みました
③重野なおき『政宗さまと景綱くん』
https://www.amazon.co.jp/dp/4845847205/ref=cm_sw_r_cp_api_BHSWBbT6Y8M6B
『信長の忍び』で有名な重野先生の漫画です
重野先生の作品はキャラクター立ちがはっきりしてて可愛らしくケラケラと笑えるのに真面目なシーンではきっちりシメる、そんなメリハリがとても素敵で、、、
この文書いてて祭シリーズ好きなオタクは絶対好きだなって思いました
義姫と政宗の関係とか本当それ〜〜!!って言いながら読み進めちゃうぐらい、本当それってかんじです(語彙)
小十郎が重長くんを殺そうとするくだりの政宗さまのツッコミが個人的に本当に大好き
女の人もたくさん出てくるので武将たちとのかわいい一面も楽しめて本当に最高です・・・
重野先生の黒田官兵衛もオススメです!秀吉軍がめちゃくちゃかわいいし好き〜〜!!
真田魂も読んでみたいなって思ってる
④堀米薫『仙台真田氏物語: 幸村の遺志を守った娘、阿梅』
https://www.amazon.co.jp/dp/4774325244/ref=cm_sw_r_cp_api_x3SWBb7H97XWX
重長くんが娶った幸村さんの娘さんのお話です。
児童書なだけ読みやすいしわかりやすく、それでいて思わずる年に思いを馳せちゃいそうなぐらいグッとくる作品
読みながら、る年の後も、重長くんが見つけた理想を叶えるための戦いは続いてたんだろうなあって感慨深くなってしまいました
作中片倉重綱が美男だったエピソードの話が出てきたときに、あんざいくんはちゃめちゃお綺麗ですもんね!?みたいな気持ちになるオタク
キーワードは「赤いつつじ」
⑤火坂雅志『臥竜の天』
https://www.amazon.co.jp/dp/4396335873/ref=cm_sw_r_cp_api_3QSWBbK9J9EEY
仙台藩関連ラストはこちら。
ずっと数年ぐらい火坂先生の石田三成の小説読みたいと思っててもなかなか出会えておらず、そんな中たまたま出会ったのが臥竜の天でした。
戦や有名なエピソード以外の政宗の日常的な様子も子細に書かれてて読み応えがあります
歴史事項もわかりやすいし、いろいろな書物からもってきて言葉を引用なさってるので当時の武将らの言葉が伝わってくるような感じがして楽しいです
あと政宗様と愛姫をはじめとする女たちの恋愛模様がほんともう恋愛脳みそばあさんにはたまんね〜〜〜!!!!(大の字)
わたしはベリーさんが好きなので思わず成実にも注目しちゃうんですけど、出奔する成実も愛おしくて頭爆発したし、出奔から帰還する成実がまじで世界で一番イケ武将だしその時の小十郎もおかわすぎて仙台藩DD死ぬ(死んだ)
⑤諸田玲子『灼恋』
https://www.amazon.co.jp/dp/B01KNWXGP0/ref=cm_sw_r_cp_api_UdTWBbVSF2S47
時は変わって元禄時代、柳沢吉保の側室染子の物語
染子と柳沢と綱吉の複雑な三角関係に圧倒されました
こういう、どろっどろな話が、わたしは、大の大の大好きです!(大声)
三人以外にも色々な思いを抱えた人物が複雑に絡み合っていくのでもう一度読んだら止まりせんでした、、
まっすぐ生きようとした主人公が翻弄されていくのが本当、、、たまんねえ、、、、(?)
戦国大名の恋愛模様よりも大奥のが凄いドロドロ感ありません?(?)将軍って大変だな…(?)
とりあえず今日はこの記憶が新しいこの6つ
ほぼほぼ仙台藩で笑ってます、だって好きなんだもん…(照)(?)
高校生くらいの時も色々読んでみてたんですけどね〜それこそかみばなからの古事記とか…(?)
その頃は他には赤穂浪士系を読んでいたし、なんなら仲良いフォロワーだいたい同じ本読んでたね、懐かしい、、そこのフォロワ〜〜〜!?見てる〜〜〜〜〜〜!?!(?)
読書録にも使えるし、また今度面白い小説読めたらまとめたいな
ネタバれありで感想書くのも良いかもしれない
文字打ってたら指先が冷えてきたのでここらで終わります
目を通してくれた方が素敵な物語に出会えたら幸いです
る年祭②・政宗と重長
る年祭ロスが続く1月、皆様いかがお過ごしでしょうか。
先日、政宗に関する自分なりの解釈をまとめたのですが、
(る年祭・伊達政宗について - info_blog_link)
る年祭を見納めてから2週間がたとうとしている日曜日、突然新しい解釈、というより仮説に近いものを思いついたので、再びちょぴっと纏めてみようかなと思います。
その名も、「重長は政宗の理想仮説」笑
前回記事を参照してほしいのですが、わたしは政宗の理想は社会福祉に近いものがあると思っていて、ただ人が死ぬのがいやなのではなく、生まれを理由に人生の選択が失われない世の中にしたいのだと考えています。
重長が幼い時に、政宗に子供がいないからと小十郎が重長を手に掛けようとした理由で「あいつが生きたいって願ったから」生かしたって政宗は言いますけど、あのセリフがどうにもしっくりこなくて、幼い重長がそんなこと言うんかなって正直思ってたんですね…笑
でもよくよく考えてみたら、「伊達」に仕える「片倉」の息子が、「伊達」に子息がいないからという理由で殺されるっていうのは、まさに「生まれ」を理由にして「生きる」って選択肢が失われてることで。自分が原因で自分の理想に反することが行われるのはそりゃ嫌だろうな…という。言い方を変えれば、政宗は重長に「生きる」て選択肢を与えることになるとも思います。
そして劇中で政宗は重長を真田の元に送り込んで「根津甚八」として(名付けたのは幸村ですが)生活をさせます。今まで仙台で暮らしていた重長にとっては新鮮な体験で、そこからの展開は自分が「片倉重長」か「根津甚八」か迷いに迷うぐらい自我を揺るがすもので。
正直九度山の生活の中で、「重長」が完全に「甚八」になってしまうかもしれなかた。劇中に出てきた「ミイラとりがミイラ」になってもしょうがないと思う。でもこれってある意味仙台藩の外では、こういう生き方もあるんだっていう選択肢を増やす経験にもなりえるな~って思うんですよ。
ここまで見ると、重長って政宗が描く、生まれで人生を決められることがない、ちゃんと自分で考えて決めた理想の人生を歩んでいて、その理想って重長が考えに考え抜いて最終的に「政宗とも幸村とも仙台で生きたい」って理想を決めた時点で達成されているな~って思いました。だから「重長は政宗の理想仮説」です笑
ただ一つ疑問なのがこの仮説で行くと幸村の元へ重長を連れ戻しに来たのが説明できないな~っていう…いったん離れた仙台の地へ帰って考えろということでしょうか…2週間たって記憶もおぼろげになってきて悲しいです…。多分近々るーちゃん様がまとめてくれると思うので参考にします(?)
書いてて思ったのが政宗さまの人を慮る姿勢ってすっごい丁寧だなって思いました。一人の男の人生のために、こんなに丁寧に環境整えてくれるなんて…正直現代でも家や親に振り回されてる子どもたち、いっぱいいるのに。もう凄い。かっこいい…。これから子ども達が生きていく社会を作るのに本当大人ががんばっていかなきゃなって思いました…(?)
人を慮る中で、人が死ぬことを選択肢の一つだと捉えた生き方もかっこよくて、すごい好きです。信之が幸村を殺しに来たのに気付いていた政宗、きっと幸村が死ぬことを受け入れているってわかってたから止めなかったんだろうなっていう…。どのように生きるかもどのように死ぬかも選択なんですね、っていう。
これもう政宗の気持ちになって考えると堪らなくなるんですけど、自分が丁寧に丁寧に育てた部下が、自分のもと以外で働くことも人生とわかっている中で自分と歩む道を選んだの、すっっっっごい嬉しいし、感無量じゃないですか…。本当に重長君、政宗さまと生きるって決めてくれてありがとう…(誰)
祭シリーズ、やっぱり思うことや考えることたくさんあって楽しい。こうして劇中に語られた過去のエピソードも何か理由があって語られているんだと思うのでもっと考えたい…脳みそあと10個は欲しい…!
1か月遅れのサンタさん、脳みそ10個、よろしくお願いします(?)