猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

『すぐ動ける人の週1ノート術』大平信孝

4月はスピード勝負。

ところが、新しい場所やモノ、情報についていくのにやっとで、いつもより余計に判断の速さが鈍っています。

そんなときには、「仮決め」「仮行動」として、「とりあえず、やってみる」としてもいいかもしれません。

 

今の時代は、「先が見えないのに自己責任で決めていかないといけない」という特性があります。

これが、私たちを不安にさせ、ブレーキを踏ませます。

 

そこで、週1回ノートに向き合って、自分時間を作って。

そして、不安を掻き出し、対応策を仮決めし、仮行動してみませんか?

先が見えなくても、やる気が出なくても 「すぐ動ける人」の週1ノート術。

あなたにとって、ひとつでも、やってみようかな?と思えることがあったら、とても嬉しいです♪

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不安から抜け出すには、まず「一歩踏み出すだけ」でいい

・失敗してはいけない

・一度でうまくいかなければいけない

・やるからには完璧に

・しっかり準備してから、挑戦しなければいけない

こういった思い込みがある人は、足が止まっている場合が多い、と著者は言います。

特に「こうすればうまくいく」という正解がない状態では、どこを目指せばよいのか、わからなくなります。

 

でも、いきなり大逆転を狙わなくても大丈夫です。

「まずは一歩踏み出すだけ」でいいのです。

 

「本当にやりたい」にたどり着く最短の方法

変わりたいのに変われない頃の著者は、意識はしていなかったものの「一発逆転」を狙っていました。

浪人して補欠合格した大学では、授業についていけず、就職活動も失敗。

職を転々としていたので、スキルも経験も身につかず、人脈も広がりませんでした。

しかし、「大きなことをしなければならない」と一発逆転を狙うほど、思考も行動も硬直化していきました。

イデアが思いついても、「こんなことでは逆転できないから無駄」と諦めていたのです。

 

しかし、そうした状態から抜け出すために、そんな大きなことをする必要はなかったのです。

「今はやっていないけれど、自分にとって大切なこと」を仮決めして、仮行動する。

それを毎日繰り返していけばいいし、しっくりこなかったら、別の行動をまた仮決めして仮行動する、、、、。

それだけで、不安から抜け出して、変わることができたのでした。

 

不安は、なくならないということを知る

不安は、私たちのもともと持っていた防衛本能。

不安というのは2種類あります。

著者が作った言葉ですが、過去の過ちはの不安〔持ち越し苦労〕とまだ起きていないことや未来への不安〔取り越し苦労〕がありめす。

 

今の時代特有の不安の正体を知る

今の時代特有の不安は、大きく2つあります。

ひとつは、「先が見えないのに自己責任で決めていかないといけない」不安です。

社会の変化により、いい学校やいい企業に入っても「こうすれば安泰」とは言えません。

正解は見えない、目まぐるしく変化する。

そんな中で、自分の行動と決断に責任を取らなければならない。

上の人の命令に従っていたって、その人が間違っているかもしれません。

 

そして、もうひとつの不安が、「生活していかなくちゃいけない」不安です。

本来、その不安は人生のターニングポイントとなる原動力になります。

でも、現代はその不安があまりに大きすぎて、生活、仕事、人生、といったすべてのことに対して、萎縮してしまい、思考停止してしまっている人が多いのだそう。

ワタシもそうです!

 

では、そうした不安への対処方法。

 

不安は否定しないで認める

「焦っている、不安、心配、怖い」といった危険信号の点滅は、無視している方が危険です。

自分が感じている不安や焦り、恐怖、ショックなどを

「今は不安なんだね」

「今は不安に押しつぶされそうなんだね」

「今は未来に希望を見出せないくらいショックなんだね」

そう受け止めてください。

不安は「なくそう、とすることはできませんが、、「不安の度合いをコントロールする」ことはできます。

 

「仮決め」を1週間単位でやってみる

仮決めのコツは、文字通り「仮に決める」こと。

 

「今から1週間限定」で決めることから始める

例えば転職を考えているなら、今から1週間だけ「転職する」と仮決めしてみましょう。

 

また、ノートに困ったことと、解決策を書き出すことも有効です。

どの大きさでも良いので、ノートを1冊用意します。

見開き2ページでこれは使っていきます。

左側には、問題なこと、困っていることなどを箇条書きで書いていきます。

そして右側に、その解決策を書いていきます。

 

 

今週、「仮決め」をしてみたのですが、軽い気持ちで始めることで、早めにスタートを決められて、案件がよく進みました。

 

今週もお疲れ様でした。

週末はよく休んでくださいね。

では、また。

 

 

 

 

 

『精神科医が教える 毎日を楽しめる人の考え方』樺沢紫苑

日本は、世界でももっとも労働時間が長い国、というのは聞いたことがあると思います。

自分を幸せだと思っている割合も低い。

そして、睡眠時間も世界と比べて短い。

睡眠時間を削っていることにより、実は生産性も低いことが分かっています。

そうした暮らしの中で、私たちがもっと毎日を楽しめる方法がある、と著者はいいます。

それは、「遊び」と「休息」を大切にすることです。

しかも、「遊び」は没頭するくらいの「遊び」。

それにより、脳は活性化し、生産性や創造性も豊かになります。

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一流の仕事人ほど、一流の仕事をもっていることが多くあります。

それは、人に教えられるほどのレベルまで「遊び」や「趣味」を極めているのです。

余暇においての「極上の時間」への熱中が、本業へのモチベーションになります。

「何かに夢中になり、無邪気に楽しめる人が成功する」ということです。

「楽しい」という経験がドーパミンの回路を活性化

これらの話は、よく自己啓発本で見られるわけですが、どうして「プライベートを楽しんでいる人は、仕事もうまくいくのか」ということは、脳科学的にも証明できます。

答えはシンプルで、「楽しいとドーパミンが出る」からです。

ドーパミンは幸福物質と飛ばれ、「楽しい」「ワクワクする」「うれしい」といった幸せでポジティブな感情が分泌されると感じられます。

具体的には、目標を達成したとき、仕事、スポーツ、趣味で「結果」を出したとき、プロジェクトが成功したときに出るわけです。

何も大きな目標でなくても、「TO DOリストをひとつこなした」ときにも出ます。

あるいは、おいしいものを食べたり、おいしいお酒を飲んでも、ドーパミンは分泌されます。

 

ドーパミンが分泌されると脳が活性化します。

集中力や記憶力がアップします。

学習効果も高まります。

モチベーションが上がり、ポジティブな感情がわきあがり、物事に前向きに取り組めるようになります。

 

つまり、ドーパミンはあなたをスーパーマンにする魔法です。

ドーパミンは「楽しむ」だけで分泌されるわけですから、「楽しむ」だけでスーパーマンになって、圧倒的なパフォーマンスを発揮する力を手に入れましょう。

創造性を鍛えるには「遊び」しかない

デザインや開発など、奇抜なアイデアが必要な仕事をしている人は別として、仕事はインプット仕事が多いものです。

インプット仕事中心で働いているあなたが、一生懸命結果を出すのは、良いことではあるのですが、あなたの創造性を鍛えることにはなりません。

どうしても、かたい提案が多くなるのはそのせいです。

インプット仕事を繰り返すことで、あなた自身が「ロボット脳」「奴隷脳」を創り出してしまうのです。

 

そこでアフター5に仕事が終わってから、「遊び」の中で創造性のトレーニングが必要なのです。

先に「楽しむ」と病気は治る

「遊び」はメンタル疾患の予防になります。

「遊び」はメンタル疾患の治療にもなります。

うつ病で来院中の患者さんがいました。

「具合が悪くて外に出られません」

と1日中家で過ごしていました。

著者は、昔その患者さんが好きだったというカラオケを勧めてみましたが、

「治ったらカラオケに行きます」

と即答しました。

それから2週間後、いつも沈鬱な表情だった患者さんの表情が変わっていました。

たまたま友達に誘われてカラオケに行ってみたというのです。

行ってみたら楽しくて、5曲も歌った、という患者さん。

慢性化していたうつ症状が、急速に良くなり、ふつうの外出もできるようになりました。

カラオケに行くことで、病気がよくなったのです。

幸せになる

今日1日を楽しめる人が、幸福な人である

あなたが幸せになる方法は簡単です。

「今日1日、楽しかった」

と思える1日を過ごせばいいのです。

とはいえ、仕事が忙しい、仕事がつらい、たいへん。

だとすると、仕事以外の部分、アフター5に「楽しい」や「幸せ」を創り出していくしかありません。

 

仕事での充実や成功、職場での承認なども、「楽しかった」の1コマにはなれますが、仕事をしていて「楽しい!」の人は少数派なはず。

つまり10人に1人しかいないのです。

 

著者の座右の銘は「今を生きる」です。

今を楽しく生きることで、幸せな人生を歩むことができます。

 

遊びを大切にすることで、心と身体の健康が保たれます。

メンタル疾患になる人は、往々にして遊びが下手であることを著者はたくさんの患者さんとのかかわりで知っていました。

ついでに言うなら、メンタルの患者さんはリラックスも下手だったりするそうです。

 

遊び上手、休息上手な人は、心と身体の不調につながりにくくなるわけです。

 

ストレスを抱える患者さんをたくさんみてきた著者は、

「ストレスを取り除くのは、結局のところ難しい」

とも言います。

原因を取り除くこと以外の対処方法を身につけることが必要なのです。

アフター5に映画を観る、自分の趣味に没頭する、おいしいご飯を食べる、誰かとデートする、家族とのコミュニケーションで癒される。

それでよいのではないですか?と著者は思うのです。

ストレスの原因は取り除けないもの。

仕事は、仕事、と割り切り、プライベートをエンジョイすることの方が、あなたの幸せに直結するのです。

 

 

『80歳の壁』和田秀樹

人生100年時代、と聞くと、「ずいぶん長く生きられるんだな」と楽しみな部分と、「もっと節制しなければ」と思ってしまう部分があります。

そんな中で、臨床で終末期の精神医療に長く携わってきた著者が、「世界一長生き」と言われる日本人の死の手前の時期をたくさん看取るなかで、気づいたことがほかの書籍とはまったく違う視点で書かれているのが本書です。

 

やりたいことを、やろう。

健康のためとか言って、がまんするのは、ちょっと違うかもしれない。

そんな視点を得ることができました。

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男性は9年間、女性は12年間。

この数字は、病気や認知症で寝たきりになったり、誰かに介助されながら生きる平均期間を表したものです。

誰でも自由に、自立して生活をしたい、と思っています。

しかし、これが世界一長寿の国日本の現状だそうです。

 

心身ともに自立して健康でいられる年齢を「健康寿命」と言います。

男性は72.68歳。女性は75.38歳。(令和元年調べ)

 

平均寿命は、男性が81.64歳。女性が84.74歳。

これは、何歳まで生きるか、という平均寿命です。

ずばり何歳で死ぬか、ということです。

 

100歳を超える人が8万6000人いる現在ですが、介助を受けてベッドで過ごす100歳もいれば、元気で動ける100歳もいます。

あるいは、ぼけてしまい、自分がだれかわからない、ということも考えられます。

著者は本書を書いている当時61歳の医師。

高齢者専門の精神科医として35年間、臨床現場で過ごしてきました。

 

当然ですgあ、人はそれぞれ年齢も体型も違います。

性格や考え方も違う。

死活環境や家族構成も違う。

仕事も、かかった病気も違う。

つまり、一人一人は全く違う人生を歩む、まったくの別人です。

しかし、すべての人に共通するのは、全員がやがて死んでいく、と言うことです。

ですが、死に至るには2つの道があるそうです。

一つは、幸せな道。

最期に「いい人生だった。ありがとう」と満足しながら死んでいける道です。

もう一つは、不満足な道です。

「ああ、あのときに」とか、「なんでこんなことに」と後悔しながら死んでいく道です。

 

老いを受け入れ、できることを大事にする

80歳からの人生は、70代とはまるで違ってきます。

昨日までできていたことが今日はできない、という事態に何度も遭遇します。

体の不調も多くなります。

ガン、脳梗塞心筋梗塞、肺炎など、命にかかわる病気も発症しやすくなります。

認知症かな」と自信を無くすこともあるでしょう。

配偶者や身近な人の死を経験し、孤独や絶望を感じることもあるかもしれません。

 

本書では、この老いを受け入れ、できることを大事にすることが繰り返し述べられています。

「幸せ」とは本人の主観によるものです。

つまり、自分がどう考えるかによって決まってくるのです

たとえば自分の老いを嘆き、「あれができなくなった」「これができなくなった」「これしか残っていない」と、「ないない」を数えながら生きる人がいます。

かたや、自分の老いを受け入れつつ、「まだこれはできる」「あれも残っている」と「あるある」を大切にしながら生きる人がいます。

どちらの人が幸せなのでしょうか?

 

答えは本人にしかわかりません。

しかし著者の臨床経験では、「あるある」で生きる人の方が幸せそうに見えました。

家族や周囲の人とも、楽しそうにしている人が多かったのです。

80歳を過ぎたらガンがある。それに気づかない人も多い

著者が長年勤めていた浴風会病院は高齢者専門の病院で、毎年100人程度のご遺体を解剖させてもらっていました。

すると、本人が自覚していないにもかかわらず、体の中に大きな病巣があり、それ以外の病気が原因で亡くなっていた、という例が少なくないそうです。

つまり、最後まで気づかない病気もある、ということです。

 

ガンもその1つです。

85歳を過ぎた方のご遺体を解剖すると、ほとんどの人にガンが見つかるそうです。

高齢者になれば、誰の体にもガンはある、ということです。

世間の常識では、「ガンは死に至る病で、早期発見・早期治療をすべき」とされています。

でも、それだけとは限らない、生活に支障のないガンもあるのだと教えられているのです。

特に年を取るとガンの進行が遅くなるため、放っておいても大丈夫なケースは意外と多くあるのだとか。

この事実は、かなり安心材料なのではないでしょうか?

 

ここから著者が導き出している選択は何か?

それは、80歳を過ぎたら我慢をしない、という生き方です。

 

「ガンにならないために」と食べたいものを我慢したり、好きなお酒やたばこを控えたりする傾向がありますが、高齢者はすでにガンを持っていることが多い。

だったら、ガンにならないための我慢は意味がなくなります。

好きなものを食べたり飲んだりしながら生き延びる方が、むしろストレスがなくていい、楽しく生きられるのではないか、というのが著者が本書で述べていることです。

 

実はエビデンスがある話として、我慢を強いられているストレスフルな生活よりも、好きなことをして気楽に生きる生活の方が免疫力が高まることが分かっています。

これががんの進行を遅くすることもわかっています。

認知症は必ずやってくる。ならば、いまのうちにしたいことをする

人が認知症になる理由は、シンプルに年を取るからです。

ただし、高齢になってから発症する認知症の多くは、とてもゆっくりと進行する病気。

実は発祥の20年前から少しずつ進行しているのです。

ほとんどの人は気づきません。

そして、発症後も進行は続き、止めることはできません。

ご遺体の解剖をしていて、わかったことがありました。

ガンと同じように、85歳をすぎた人のほぼ全員の脳に、異変が見られたのです。

アルツハイマー型の変性のような病変えす。

つまり、認知症は病気というより「老化現象」に近いものであり、年を取ると誰にでも起こる症状、というわけです。

筋力が衰えて運動ができなくなったり、肌にシワができたり、白髪になったりするのと同じことなのです。

 

そうした事実から導かれる正解は、やはりこれしかありません。

いまのうちに、どんどん好きなことをして、楽しく生きること。

代り映えのしないつまらない生活をしていると、脳の働きは鈍くなります。

また、ストレスの多い生活によっても脳はダメージを受けます。

反対に、新しいことや好きなことをすると、脳は刺激を受け、活性化します。

これによって、認知症を遅らせることはほぼ可能だと考えられます。

 

「人生100年時代」という言葉が80歳の壁を高くしている

80歳といえば、かつては「人生のゴール」という印象でした。

それが昨今「人生100年」と言われ、いきなりゴールが20年も先になってしまった。

長寿になったのは良いのですが、高齢者が「長生きしなければならない」という呪縛にかかってしまっていることを著者は危ぶんでいます。

たとえば、

・本当は食べたいのに、健康に悪いからと、我慢してしまう

・動くのが辛いのに、無理して運動する

・好きなたばこや酒を、健康に悪いからと控える

・やりたいことがあるのに、「もう年だから」と我慢する

・効いている実感がないのに、「長生きのため」と薬を飲み続ける

 

いずれも80歳を超えた高齢者なら、しなくていい我慢や無理です。

もっと言えば、本当はしてはいけない我慢や無理なのです。

たしかに60代くらいまでなら、それは効果のあることでした。

しかし高齢者になってまで我慢する必要はないのです。

節制、運動、心配、気遣い・・・

快くできるなら別ですが、我慢や無理をしながらでは、間違いなく心と体に負担になり、積み重なると寿命を確実に縮めます。

ここまで頑張ってきたのですから、高齢者はもっと自分を喜ばせていいのです。

本書を読んで、ちょっと、いやかなり元気がでました。

年齢を重ねることが怖くなくなる1冊です。

 

今週もお疲れさまでした。

ゆっくり休んでくださいね。

では、また。

 

『最後はなぜかうまくいくイタリア人』宮嶋勲

イタリアのワインと職について日本と橋渡しをする仕事に就いている著者が、イタリアj人の時間概念と瞬発力について語る本書。

著者の身近な人たちは、”イタリア人に痛い目に遭わされた人”ほど、本書を読んで、強く共感するそうです。

そんなありがたい周囲言葉に、著者は「イタリア人に対して無性に腹立たしかったり、イライラした気持ちを言語化して客観的に見られるようになったのでは?」と推測しています(笑)。

ちなみにフランス人は全く違う感性を持っていますし、ゲルマン系ももちろんです。

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目の前のことを仕事だろうとプライベートだろうと、おおいに楽しむのがイタリア流だそうです。

時間にもちょっとルーズで、遅れることもしばしば・・・いや毎日のようで?

でも、お互いそうなので、お互いに慣れっこ。

だからこそ、最後の最後の帳尻合わせの瞬間になると、火事場の馬鹿力を出す馬力も持っている。

なぜなら、四六時中「時間が押す」ことばかりだからだそうです。

そして、最後にはうまくいってしまう。

 

人生を日々謳歌しているイタリア人の生き方を本書は楽しく軽快に紹介しています。

ちょっとうらやましいそんな考え方。

わたしも少し取り入れてみたいと思いました。

 

日本とイタリアを年中往復している著者。

そうした暮らしが始まったのは大学生のころでした。

イタリア語も少し話せるようになった著者は、日本のCM撮影に来たクルーたちと現地スタッフの通訳のバイトをしました。

CMに出演するタレントのスケジュールの関係で、撮影日は1日しかない。

ところが、当日のその瞬間になって、必要な現場の機材に足りないものがあることが判明しました。

イタリア人の責任者は、「ボローニャから持ってくるしかないから、あと2時間はかかる」という返事。

当時まだ駆け出しだった著者はそのまま日本のクルーに通訳しました。

当然日本側は怒ります。

「事前に必要なものはファックスしたはず!」

 

それをまた、イタリア語に訳して伝えると、

「ないものはないんだから、仕方ないよ。

そんなにカリカリせずに待ちなさい」。

 

それをまた、そのまま訳すと日本人クルーは怒りを募らせます。

それを往復していると、

「いま手配している機材が到着するまでどうしようもない。

いちいちうるさい」

と逆切れ状態になり、雰囲気は険悪になる一方でした。

 

見かねたイタリア側のプロデューサーが、著者を隅に呼んで話してくれました。

イサオ、よく聞け。

確かにローマで打ち合わせたことは守れなかった。私たちのミスだ。

しかし、いまこころ論じても何も生まない。

この仕事は必ずやり終える。

いままでの撮影だって、終えられなかったことはないんだ。

送れたくらいでイライラしないで、いい絵が撮れるようにリラックスするよう日本側に伝えてくれ。

絶対いい絵が撮れるようにするから」と。

 

このイタリアのプロデューサーが教えてくれたことは3つ。

不測の事態が起こることの方が普通で、慌てる必要はまったくなく、腹を立てる方がおかしいという哲学?。

第2に、そのようなことがイタリア全体で常態化している限り、不測の事態に慌てることは愚の骨頂であり、どっしりと構えて解決策を見出すこと。イライラしてもむしろ事態は悪化する。不測の事態を乗り越えた時により良い仕事を準備できることこそが、重要なのだ。

そして第3に、どんな不測の事態が起こっても、イタリア人は諦めずに、ほとんどの場合は最後になんとかする破格の能力がある、ということ。

 

すべてが緻密に準備され、計画通りに物事が進む日本とは、ずいぶん異なる仕事のやり方でしたが、まさに「最後はなんとかなるイタリア流仕事術」の最初の先例になりました。

 

「食べる、歌う、愛する」に象徴されるように、イタリア人は怠け者で働かず、女性を追いかけて、歌を歌って気楽に暮らしているように思われがちです。

でも一方で、イタリアはEUの中核を担う経済大国であり、ファッション、デザイン、車、農業、食品の分野で世界をリードしています。

そんな考え方をしていても、結局結果を残すことができる。

わたしたちは、日々細かいところまでこだわって準備をしたりします。

ちょっとしてミスにも自己嫌悪して、必死になりがち。

でも、もっとおおらかに構えたとしても、結果を得られるのではないでしょうか。

 

仕事とプライベートは、あえて分けないようにする

公私混同はいけない、というのは多くの国での考え方です。

多くの国では、オフの時間には、仕事が割り込んでくることを極端に嫌います。

ちょっとくらい、という甘えが許されません。

 

ところがイタリアでは、公私の区別があいまいなのだそうです。

公共窓口では、受付の人が携帯電話で家族か友人と無駄話をしていてサービスが停止して、長い列を作って並んでいる人が待たされたりしています。

店員がおしゃべりに夢中で、客が呼んでも気づかないことがしょっちゅう。

思い立ったらおしゃべりタイムがスタートするし、待たされている側も別に怒りだしたりしないのです。

しかし、待たされているお客たちは怒りだしたりもせず、ちゃんと並んで待っているのだとか。

 

さらにはプライベートに仕事が入り込むことにも寛容です。

家族経営の中小企業が多いこともあり、家族の食卓がいつの間にか営業会議になって、仕事の話で大いに盛り上げり、そこですばらしいアイデアが出てくることもよくあるのです。

 

また、時間の概念に著しくかけているので、自らの労働時間に関しても、権利意識が低い。

残業にも寛容で、すこしぐらい時間がずれ込んでも気にしないそうです。

12時のアポが13時にずれ込んで、昼ご飯時間にかかってしまうことも多いイタリア。

レストランが閉店時間を過ぎてしまうこともしばしばですが、レストランはたいていの場合待ってくれるそうです。

対照的なのがフランス。

アポがあろうがなかろうが、時間になったらシャッターを閉めるという考えの人が多い。

このシャッターを閉めてしまう人は特にオーナーでなく従業員に多いそうです。

もちろん遅れた方が悪いに決まっているのですが。

 

この考え方の違いは、何なのでしょうか?

著者は、銀行の窓口業務をしている人と、駄菓子屋の店先に座っているおばあさんを例に出しています。

 

銀行の窓口にいる人は、そこに「私の時間」は入り込む余地がありません。

業務時間は絶対に私用電話なんかしないし、おしゃべりもしない。

でも、終わりの時間にはきっちり終わりです。

 

駄菓子屋の店番をしているおばあちゃんも、駄菓子やメンコを売る任務を遂行しています。

ですが、同時におばあちゃんの「私の時間」であり、生きる場所でもあります。

知り合いが訪ねてくればおしゃべりもするし、子供たちと遊んだり、説教したりもする。

そのついでに駄菓子を売っているのです。

 

この違いが、イタリア人とそのほかの国の考え方の違い。

一瞬一瞬を生きながら、そのなかで仕事があり、プライベートがある。

公私混同や時間にルーズは困りますが、そういうスタンスって、わたしは自分の中にもう少しあってもいいかな、と思います。

仕事はお金を手に入れるためのもの、と割り切るのではなく、人生の楽しい時間としてカウントできるなら、1日のうちの8時間も、もっと楽しめそうです。

こことのころ、ちょっとした失敗にもびくびくする自分がいたのですが、もうすこしだけ気軽に生きてみよう、と思える1冊でした。

 

本書の後半は、けっこう「イタリア人のこまったところ」も羅列されていて、面白いです。

今週もお疲れさまでした。

ゆっくり休んでくださいね。

では、また。

 

『5キロ痩せたら100万円 「健康」は最高の節約』萩原博子

ある日著者は椅子から立ち上がろうとして、激痛が腰に走り、悲鳴を上げました。

大きなハンマーで殴りつけられたような痛みが、腰から足のつま先まで、強力な電力が流れたようになり、しばらく立ち上がれませんでした。

 

痛む足を引きずって医者に行くと、「よくいる患者だ」と医者は言わんばかりの視線。

「症状から見て、坐骨神経痛のようだね」

と、同乗のかけらもない口ぶりで告げられました。

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「まだ初期の段階ですね。

同じ姿勢で長時間のデスクワークなどが原因で、腰痛に至るのは珍しくない。

しかも萩原さんの場合『太りすぎ』も原因のひとつだと思います。

もう少し痩せないと、腰だけでなく、そのうち体のいたるところが痛んできますよ」

 

それまで1日8時間くらいパソコンに向かって原稿を書いているのは、ざらでした。

締め切りが迫れば、10時間から12時間、パソコンの前に座りっぱなし。

運動は早朝の犬との散歩だけで、仕事の合間にストレッチなどすればよいのですが、それも面倒なのでやらない。

そんな生活を68歳まで続けていたのですから、体が悲鳴をあげたのです。

おやつという名の「魔物」

原稿などを書いていると、頭が増らなくなり、行き詰ったりします。

そういうとき著者がついなんとなく、気分転換に「おやつ」を食べてしまう。

「頭の回転をスムーズにするには、甘いものが欠かせない」と言い訳をしながら。

さらに、原稿が1本仕上がると、”頑張ったご褒美”ということで、またまた甘いものを口にする。

5キロ痩せれば、寿命が1年延びる!?

このままだと大変なことになると脅かされたのち、医者にこんなことも言われました。

 

「萩原さんの場合、10キロくらいは体重を減らした方がいいですが、いきなり10キロというのは体にも影響が大きいので、とりあえず、5キロ痩せましょう。

5キロ痩せれば、それだけで寿命が1年延びますよ」

本当かどうか調べてみると、2016年7月にイギリスの研究者チームが45年にわたり世界32か国で実施された239の調査をもとに、1060万人以上のデータを分析した、ランセット・メディカル・ジャーナル誌に掲載された記事を見つけました。

これによると、米国では平均寿命よりも早死にする人の5人に1人は太りすぎで、欧州ではこの割合が7人に1人だそうです。

イギリスのケンブリッジ大学のエマニュエル・アンジェラントニオ氏は

「平均的に、体重肩の人の寿命は平均寿命よりも1年ほど短く、やや肥満の人は3年短い」

と言っていて、著者にも当てはまりそうです。

 

年金受給率を考え、国民年金の受給を70歳からにしている著者。

国民年金は、もらうのを1か月先延ばしにすることで受給額が0.7%ずつ増額され、70歳からもらうと、65歳からもらえる年金が月額6万円の場合、これを70歳まで繰り下げれば、月額8万5200円になります。

しかし年金の受給は、死んだらそこで終わり。

 

ですから、もし70歳で年金をもらいはじめて、寿命が1年延びたら、もらえる年金は100万円増えることになります。

つまり、著者の場合「5キロ痩せたら100万円」。

こう考えたら、痩せるモチベーションがぐんと上がりました。

 

さらにさまざまな文献を調べているうちに、痩せると寿命だけでなく、著者のように太りすぎの人間にはそれ以上のメリットがいっぱいあることが分かってきました。

太っている人は、やっぱり医療費がかかる

あなたに質問です。

太っている人と、太っていない人、体型によって年間にかかる医療費はどれくらい変わるのでしょうか?

2010年8月に、厚生労働省がメタボと判定された人と、そうでない人を比べて、どれくらい医療費がかかるかという比較を発表しました。

 

この調査では、内臓脂肪型肥満の腹囲基準(男性85センチ以上、女性90センチ以上)に加え、脂質異常、高血圧、高血糖のうち2つ以上が重なった人を「メタボリックシンドローム」としています。

結果は予想通りで、メタボの該当者はもちろん、「メタボ予備軍」である人も、年間に支払う医療費がメタボでない人より高くなっています。

男女問わず年齢が上がるにつれ増していきますが、男性は、どの年代でも8万~10万弱、支払う医療費に差が出ています。

メタボの人とそうでない人の医療費の差が最も大きいのは男性だと40歳~44歳で、なんと9万8090円。

 

女性の場合は、40歳~55歳の医療費の差がかなり大きくなってきます。

40歳~44歳で年間17万5060円、45歳~49歳で年間18万130円、50歳~55歳で年間16万7830円と、この年代は男性の約2倍です。

 

ちなみに、これは医療報酬明細書(レセプト)の計算。

人によって負担額は1~3割なので、男性ならメタボと非メタボで、支払額は年間支払額2~3万、女性なら3~5万円の違いということです。

メタボより怖い「糖尿病」

メタボを放置して発症しがちなのは、「糖尿病」です。

糖尿病は、本人負担が3割ケースだと、年間医療費は7万4100円が平均です。

そして糖尿病が本当に怖いのは、この病気が様々な合併症を併発し、そのたびに医療費が増えていくことです。

糖尿病の3大合併症は、神経障害、網膜症、腎症です。

神経障害は、主に末梢神経と呼ばれている足の指など、体の末端に張り巡らされた神経で起きる障害。

足の裏がピリピリしたり、本来なら感じるはずの足の傷の痛みを感じなかったり、立ち上がったときにふらついたり、自律神経の乱れから便秘になったりする症状が起きます。

神経障害から血流障害がひどくなると、足が壊疽して切断しなければならないケースも出てくるようです。

 

網膜症は、視力が低下したり、白内障緑内障、角膜の炎症を引き起こす可能性があります。

ひどいケースでは、眼底出血や網膜剥離が起こり、失明することも。

 

こうした状況が5~10年続くと、腎症を発症します。

これは「肝臓の障害」です。

むくみや倦怠感、尿量の低下などが起こり、症状がさらに悪化すると人工透析が必要になる可能性があります。

さらに動脈硬化による脳梗塞や虚血性心疾患などを併発する可能性があります。

 

もちろん、メタボから発症しやすい病気は、糖尿病だけではありません。

纐纈津祥、脂質異常なども発症し、脳卒中心筋梗塞などといった病気も併発し、さらに多額の医療費がかかる可能性があります。

 

このような病気で、さまざまな薬をもらい続けていくことになると、40歳でメタボの人は、その後の約50年で、薬の自己負担額だけでも100万円~200万円かかると言われています(2017年9月時点の試算)。

家計にも大きなダメージを与えるのです。

節約の第一歩はご飯をたくことから

収入がそれほど高くない人が、健康的な食事を摂るためには、意識改革が必要です。

まず、食費にいくらかかっているか計算してみましょう。

たとえば、コンビニ弁当を買ったら飲み物も欲しくなりますから、1食500円。

仮に3食コンビニ弁当だと、1日1500円で、1か月で4万5000円、4人家族だと1か月18万円もかかることになります。

毎日スナック菓子を買うと1年で5万4000円

著者自身もそうでしたが、つい手軽にできるストレス解消方法として、スナック菓子に手が伸びてしまう、と言う人も少なくないのではないでしょうか?

スナック菓子も値上がりしましたね。

コンビニだと1袋150円くらいの出費。

ほかの家族もスナック菓子を食べるとしたら、さらに出費は多くなります。

もしこれを手作りのおにぎりに換えたらどうでしょう?

年間5万4000円の貯金ができるのです。

 

著者は、ストレス解消にスナック菓子をバンバン食べていて、その積み重ねでメタボ体質になりました。

深く反省し、今はスナック菓子との縁を切りました。

メタボ改善特効薬

とにかく「歩く」

お金持ちは、早く歩く

2016年11月にドコモ・ヘルスケアが発表した興味深いデータがあります。

年収1000万円以上の人は、平均年収の人よりも1・16倍速く歩くというのです。

同社ではさらに、早歩きの人は、ゆっくり歩いている人よりも体が引き締まっているというデータを出しています。

早歩きや走ることを苦にしない人の方が、アクティブに行動できているという結果を得ています。

続々登場「歩くアプリ」を活用する

わざわざウォーキングをするのが面倒だという人は、「歩けばポイントが貯まる」アプリがあります。

イオンで使える「リノボディ」

「スマート WAON」と連携すると、歩いただけでワオンポイントがもらえるのがリノボディ。

1日8000歩をクリアすると、ワオンポイントが1ポイント。

ワオンポイントは1ポイント=1円の電子マネーワオンとして、イオングループの買い物で使えますし、ほかのポイントへの交換もできます。

健康データを見やすいグラフにしてくれもします。

ドコモユーザーでなくてもポイントが貯まる「dヘルスケア」

毎日の歩数を記録し、目標を達成したら、抽選でdポイントがもらえる健康アプリです。

無料版と有料版(月額330円、App storeで480円)があり、有料版は目標歩数を達成すると、ハズレなしのルーレットを回せて、それに応じたポイントが貯まるので、遊び感覚で楽しめます。

『どうせ死ぬんだから』で、多少のぽっちゃりは大丈夫だと思ってはいますが、本物のメタボは本気で怖いです。

私も少ない年金をもらうので、すぐ死んだらもったいない。

歩くアプリは、ピクミンなどのゲームでもあるのだとか。

 

とりあえず、今dヘルスケアの有料版に入り、雑穀米を炊きました。

dヘルスケアが「今週のミッションは30000万歩」だとか。

やってみますね~♪

 

それから、スナック菓子がここのところ悪習慣になっていました。

悪い習慣がつくのって、あっという間です!

5万あれば、新しい服が相当購入できますもん。

コンビニの近くを歩くときは、反対側の道路を歩きます!

(吸い寄せられる日もあるかもしれませんが、それは仕方ない)

 

今週もお疲れさまでした。

ゆっくり休んでください。

では、また。

 

『どうせ死ぬんだから~好きなことだけやって寿命を使いきる』和田秀樹

精神科医であり、現在高齢者専門の総合病院である浴風会病院の精神科を経て、現在ルネクリニック東京医院長である著者。

たくさんの高齢者の終末医療に長年携わるなかで、たくさんのお年寄りたちの終わりの時間に寄り添う中で、人生の終わりの実際について臨床的に語っています。

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著者自身もがんの、しかももっとも予後の悪いがんの1つである膵臓がんの可能性を指摘されました。

このとき、2年後の死を覚悟しました。

そして下手な治療をすると残りの人生がぼろぼろになると考えて、著者は治療を受けずに残りの人生を生きることを決意しました。

手術がうまくいっても体力はかなり落ちるようだし、化学療法ではずっと寝て暮らすことになり、楽しく話したり、好きなところに動いたり、おいしいものを食べたりできなくなると考えたからです。

 

人と話すことも、移動することも、食べることも、基本的人権です。

それをコロナ自粛であれ、がんの治療であれ、簡単に捨てていいのでしょうか?

会話もできず、旅行の自由も奪われ、好きなものも食べられないなら、まるで刑務所ではないでしょうか?

著者はコロナがもっと怖がられていた時期から、開いている店を見つけては美食を続け、海外旅行は無理でも国内旅行はいままで取れない宿がとれたりして、国内旅行を相当しました。

 

ある程度の年齢になると、生活や生き方が内向きになりがちです。

しかし、ここで魔法の言葉を口にしてください。

「どうせ死ぬんだから」

すると、やりたいことをやらなきゃ損かなと思えてくるかもしれません。

 

むしろ年を取って残り少ない人生になったのだから、好きなことをなるべく我慢しないで人生を楽しんでいただきたい、というのが著者の願いです。

 

著者は209年、のどが異常に乾いて10分おきに水をのまないといられなくなり、夜中に何度もトイレに立つ日が続き、1か月で体重が5キロも減ってしまいました。

バイト先の医院長が心配して採決をしてくれたところ、血糖値が660㎎/㎗もありました。

重症の糖尿病です。

たまにしか血液検査を受けない著者ですが、そんなに血糖値が高かったことはありません。

すい臓がんの可能性が高いと言われ、検査を受けることになりました。

もうインスリンの分泌がかなり低下して、糖尿病が悪化しているような膵臓がんなら、末期といってもいい。

「ああ、私はもう死ぬのか。これまでか」

このとき、著者はまだ58歳。

血圧が高いとか、慢性の心不全になりかねないとか言われていたので、長生きできないとは思っていましたが、それでも自分にとって「死」は遠いものでした。

はっきりと自分の「死」を覚悟したのは、そのときが初めてでした。

 

どうせ死ぬんだから好きなことをやり尽くそう

当時「がん放置療法」の近藤誠先生と本を作るために何回か対談をしていたこともあり、がんが見つかっても、治療を受けないことに決めました。

手術や抗がん剤、化学療法を受けたりしたら、体力がひどく落ちて、やりたいことができなくなる。

そのころ抱えていた仕事もたくさんあったし、まだまだ書きたい本もありました。

膵臓癌と言っても最初の1年くらいはそれほど症状も出ないだろうから、とりあえず治療はなにもしないで、好きな仕事を思いっきりしよう、金を借りるだけ借りて撮りたい映画を撮ろう、というふうに思いました。

そして、延命のためにがんと闘うのえはなく、がんは放置して、残された時間を充実させようという選択をしました。

「どうせ死ぬんだから、自分の好きなことをやり尽くそう」と開き直ることができたのです。

 

結果的に、いくつか受けた検査で、がんは見つかりませんでした。

みつけられなかっただけなのかもしれませんが。

ただ、そのとき考えたことは、62歳の今も著者の人生観の中に息づいています。

今日という日の花をつもう

その話を近藤先生にしたところ、ヨーロッパの格言通りの考え方だと指摘されました。

古代ローマ時代から伝わる「メメント・モリ」は、死を意識しろと言う言葉だけれど、その対句として「カルペ・ディエム」というのがある。

それは、「今日と言う日の花を摘め」というのがある。

要するに、「死は必ず来るから、それはしかたないものだと覚悟して、いまという時を大切に、楽しくいきなさい」と言っているのだ、と。

日本人は死ぬことを恐れすぎ

コロナが流行したときにわかったことは、日本人は死ぬことを極度に恐れすぎているということです。

「そもそも人間は死ぬものなんだ」という当然のことを忘れている気がしました。

テレビにあおられて、死なないで済むならと、生きたいところへも行かず、レストランで好きなものを食べたり、会いたい人と会って話をするという基本的人権を放棄した人が大量に現れました。

データを観れば、日本のコロナによる致死率は約0.2%。

死亡者の総数は6万1281人(2020年1月以降~2023年1月12日現在)で、その80%以上が70代からです。

もっと詳しく言えば、コロナで亡くなった人の多くは高齢者のなかでもとくに弱い高齢者、つまり免疫力がかなり落ちた基礎疾患のある90歳以上や要介護5の人が多く、元気な人や若い人はほとんどなくなっていません。

コロナに限らず、高齢者の方が重症化のリスクはあるもの。

たとえば毎年インフルエンザ関連で1万人ぐらいが亡くなり、風邪をこじらせて亡くなる人も2万人います。

風呂場で亡くなる人は1万9000人いるわけです。

しかしそのほとんどが高齢者です。

つまり、年を取るのは、死ぬ確率が高くなることなのです。

死にたくないと思うほど「人生の幸福度」は下がる

膵臓がんの疑いにより死を覚悟して以来、「どうせ死ぬんだから、ジタバタしてもしょうがない。旅行を控えたり、外食を我慢したりするのはやめよう」と決めて、思った通りに行動しました。

たとえば80歳の人が、コロナが怖いからと行きたい旅行にもいかないで、そのまま亡くなることもありえるでしょう。

それで死ぬときに本当に後悔しないのだろうかと著者は思います。

コロナにかからなくても、高齢者が外出もしないで閉じこもり、会話もせず、不安をあおるテレビ番組ばかりみていたら、筋肉も脳もあっという間に衰えてしまいます。

若いうちなら回復も見込めますが、高齢者の場合、引きこもり生活が長引くと、足腰や認知機能にダメージを与えて、結果的に「フレイル」と呼ばれる心身の虚弱状態を招きます。

フレイル状態になると、身体的・精神的な活力が低下し、病気にかかりやすく、ストレス状況に弱くなるとされています。

感染が落ち着いたからといって、旅行や外食を楽しんでくださいと言われても、それがすぐにできるほど回復できる状態ではないのです。

 

高齢者を守るという理由をかかげて、「コロナ死者を1人も出さない」という無理筋な政策をおしすすめた結果、若い世代からは「高齢者は社会のお荷物」という風潮が助長されました。

自粛などしたくない高齢者も、家に引きこもらざるをえなかった。

そして3年近くも自粛を強いられて、要介護状態に陥っていくのですから、高齢者こそコロナ政策の被害者と言えます。

著者は残りの人生を楽しむヒントになればと、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)や『80歳の壁』(幻冬舎新書)など、高齢者に向けた一連の本を出してきました。

それらが多くの読者に受け入れられたのは、多少早く死んでもいいから好きに生きたいと望む人々の鬱憤が溜まっていたという要因もあるように思えてならないのです。

 

人間なんて、いつ死ぬかわかりません。

歳をとるほど、死ぬ確率は高くなる。

だから、ある年齢になったら自分を死を覚悟せざるを得ないのです。

つらいことですが、しょうがない。

いつ死ぬかわからないと思えば、生きているいまを楽しまないと損だと思うのは、著者だけではないはず。

もし、老後もケチケチ節約していて貯金が思いのほかたまっていたら、一度は運転してみたかったポルシェを買おうとか、元気なうちに夫婦で世界一周旅行に行こうとか思うでしょう。

「どうせ死ぬんだから」と思えば、好きなことができるものです。

さらに「もう死んでもいいや」と思うことができれば、人間かなり思い切ったことができます。

逆に、死にたくないと思えば思うほど、人生の充実度、幸福度が下がってしまうものです。

「死」を思うことを、以前はもっと意識していたのですが、最近忘れがちでした。

コロナ禍でも、「人にうつしては大変だ」と、一生懸命自粛してしまいました。

でも、「人に迷惑をかけることを怖がりすぎていないか?」と本書では警鐘を鳴らしています。

どうやったって、人生の最後はやってきます。

日本人のはがんで亡くなる人が多いのですが、その最後の瞬間はテレビで誇張されているような苦痛いっぱいのものではなく、思いのほか痛みもなくおだやかなものだと書いています。

そう言われれば、私の親族も皆がんがありましたが、終わりはとても静かでした。

苦痛を和らげる薬をきちんと使えばよい、というのはその通りです。

そうした痛みのない自然な最後を迎えるためには、延命治療で断るべきポイントがあるそうです。

よかったら本書を手に取ってみてください。

 

今週もお疲れさまでした。

では、また。

『自分ほめ~みるみる幸運体質になる!』有川真由美

新天地でスタートするとき、いつも「周りに認められていない立場ってつらいな」と思います。

ワタシは若い時は、特に「何をやっても何ゆえかネガティブな評価をもらいがち」だったので、落ち込むこともしばしばありました。

だから、恋人はいつも「ワタシを好きになってくれる人」。

でも、相手との相性よりも「自己肯定感を守ってくれる人」を選択することは、非常に後ろ向きなあり方でした。

いま、恋愛や若さゆえのバッシングから逃れた年齢になり、肩の荷が下りて自由になりました。

しかしその分、「自分の自己肯定感やご機嫌は自分で上げる」必要があることが、しみじみわかるようになりました。

同世代の中には、50代にしていまだに「周りからちやほやされたい」と思ったり、「自分のご機嫌をとってもらいたい」なんて迷惑極まりない幻想をお持ちの同僚もいます。

「これは、絶対気をつけなくちゃいけないわね」と日々心に警鐘を鳴らしながらも、「まぁ、気持ちはわかるけれどね」と思ったり。

同じような年齢の男性たちが、お金を払って女の子に話を聞いてもらったりするお店などに行くのも、「誰にも認めてもらえなくて、さぞかし寂しいんだろうな」と想像がつきます。

 

誰かにほめられたい。

認めてもらいたい。

でも、なぜそんなに自己承認を渇望するのか?

多分「自分が自分を認めていないから」でしょう。

それならば、認めてあげたらいいんじゃないかしら?

そう思って、スマホの日記アプリをダウンロードして、「自分ほめ」を帰りの電車内で書くことにしました。

これがなかなか快適。

でも、どうしてもワンパターンになりがちで飽きてしまって中断しました。

 

そこで、「自分ほめ」のプロの本。

「自分ほめ」は、「〇〇をやって、えらい」「〇〇の仕事を終らせた。よくがんばった」ばかりよりも、さらにバリエーションをつけることができます。

 

今回のもくじは、

1.「自分ほめ」の7つの効果

2.人生を「自分ほめ」で変える

3.「自分ほめ」のコツ

4.日常での「自分ほめ」

5.自分の魅力を最大限に生かす「自分ほめ」

6.イライラ・モヤモヤを癒す「自分ほめ」

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1.「自分ほめ」の7つの効果

自分ほめは自分自身に「いいね!」を出していくことです。

ほんとうの自信とは、ありのままの自分を認めること。

そして、その自分の小さな期待に1つひとつ答えることによって作られる、と著者は言います。

それは100%自分の力であり、自分を1番幸せにする選択です。

試しに1週間、「自分ほめ」を実行してみることを著者はおすすめしています。

 

これまで自分をムダに責めていたことがわかって、ものすごく気がラクになるそうです。

人生が楽しく思えて、ウキウキした気持ちになるかもしれません。

顔つきが明るくなり、目に力が出てくるはずです。

自分を認めることは、本当の自信を持つ唯一の方法なのです。

 

「自分ほめ」には、ほかにもこんな効果があります。

1.”幸運体質”になる

2.他人の評価に振り回されず、自分が満足できる生き方ができる

3.自分を信じられるので、パフォーマンスの質が上がる

4.イライラ、クヨクヨの感情に振り回されなくなる

5.自分を好きになり、さらに魅力が上がる

6.人に対するストレスが減り、人間関係が良好になる

7.つらい出来事や、後悔を人生の糧にできる

 

ここで言う「ほめる」とは、上から目線でジャッジsることではありません。

自分の中の”愛”を育てるトレーニングです。

自分に感謝すること、誇りに思うこと、励ますこと、癒すこと、労うこと・・・そんな愛のある言葉をまとめて「ほめる」なのです。

 

人の未来は、自分が今、考えていることに大きく左右されます。

現代はまわりに振り回されやすい時代であり、かつ先が不透明。

だからこそ、自分への最高のプレゼントを日々自分にあげてみませんか?

2.人生を「自分ほめ」で変える

「ほめて育てる」は自分自身に対してこそ効果絶大

あなたは人生の中で、どんなことでほめられたことがありますか?

性格や外見、試験でいい点をとったこと、仕事を頑張ったこと、親切をしたこと、おもしろかったこと、賢明だったこと・・・なんでもかまいません。

ほめられたとき、どんな気分でしたか?

 

おそらく、うれしく、誇らしい気持ちになって、やる気がわいたでしょう。

周囲から期待されるほど、成果を出す心理を「ピグマリオン効果」といいます。

「あなたはやればできる!」と言われて育った子供は、自分はできる子だと信じ込み、「あなたはダメな子」と言われて育てば、ダメな子として振る舞うようになります。

褒めて育てる「ピグマリオン効果」は、自分ほめにこそ有効です。

大人になると、ほめられることは減ります。

他人からの評価を無意識のうちにとても期待してしまうことがワタシはあります。

「ほめられないと不安」

「報酬がないと、やる気がわかない」

「叱られると、落ち込みを引きずる」

などの気持ちがわいてしまうと、主体的に動けなくなります。

 

そこで自分をほめ続けることで、「そうだ、私はそんなほめられる人間なのだ」と思い込んで振る舞えるようになります。

あなたが迷い、つまずきながらも進んできたこと、幸せだったこと、つらかったことなど、ずっと見てきたのはあなた自身。

一部しか見ていない他人からの評価より、もっとうれしく、説得力がある”ほめ”なのです。

「ダメな人」の呪い

ここまで読んでみて、「自分は自分を責めることが多くてダメだな」なんて気持ちになっていないですか?

実は責める必要はありません。

私たち人間は1日6万回の思考を巡らせていて、その多くはネガティブなことだと言います。

何万年もの間、人類が生き抜いていくためには、うれしいこと、楽しいことより、

「ちょっと待って。これってヤバくない?」

という問題に気をとめることが重要でした。

そのため、ネガティブな点に目が行くクセは当たり前。

でも、その点ばかりに目を向け、自分を責め続けると、「自分はダメな人なんですよ~」という呪いを自分自身にかけ、自信を自分で失い、ストレスで縮こまってしまうのです。

 

他人にほめられるより、自分ほめが圧倒的に効果がある理由

私たちの行動の9割以上は、私たちが知らずに思い込んでいる”潜在意識”によって作られます。

海面に浮かぶ氷山のように、私たちが「考えている」と思っている”顕在意識”は、行動の1割しか決めていません。

 

9割を占める潜在意識にとって、「ほめ言葉」は最高に価値ある情報です。

「いいね」「よくがんばったね」「やればできる」というプラスの言葉を自分にインプットするほど、セルフイメージは高まり、自分の目標に向かって、まるでナビゲーションするように進んでいきます。

 

他人からほめられることは、とてもうれしいこと。

女性は、恋人や夫から「きれいだよ」「かわいいね」とほめられて自身を持ったり、さらに磨きがかかったりすることがあります。

しかし、それより効果があるのが自分ほめです。

効果がある理由は、

①いつでも、どこでも、どの状況でもほめられる

②圧倒的な回数で褒められるので、潜在意識に強くインプットできる

③自分の認めてほしいポイントを知って褒められる

④自分のすべてを知っているので、「ほめ」に説得力がある

⑤ほめられる行動、自分を好きになる行動をとろうとする

 

”もう一人の自分”になって自分のことをちゃんと見ること、ほめることを意識していると、自然に「こういう自分でありたい」「こんな自分はイヤだ」と、自分の期待に応える行動をとるようになります。

ほめられる相手が他人なら、相手の目をごまかせても、自分にウソはつけません。

自分で自分を認めることは、だれにほめられるよりも自分を安心させ、よろこばせて、自尊心を高めてくれることなのです。

3.「自分ほめ」のコツ

まず「あたりまえ」にしていることをほめましょう

たとえば、「自分はほめることは何もない」と思っているなら、「朝、ちゃんと起きられた私はえらい!」から。

 

ほかにも、

「健康のことを考えて、朝ご飯を食べた私は素晴らしい」

「定時に会社についた私はえらい」

「同僚に笑顔であいさつできた私は、なんて素敵」

・・・・

そんな風に、心でつぶやくように、日々がんばっている自分をほめましょう。

はじめは、「そんなことで・・・」と思うかもしれませんが、そんなことだからこそ、ほめれれたことがうれしく、救われるものです。

「えらい」「すごい」「すばらしい」と、カンタンなほめ言葉だけでも十分です。

すると、「あたりまえ」は決してあたりまえではないことに気づくはずです。

「いいな」と思ったら、いつでも、どこでも、すぐほめる

日常生活では、1日にひとつかふたつ、いえ何十個と「よかった」ともうことがあるはず。

たとえば

「エレベーターを使わず3階まで上がった」

「すぐ食事の後片付けをした」

「ヘアスタイルがいつもよりきまった」

「ノートを最後まで使い切った」

「荷物を持ってあげた」

などの些細なことでよいのです。

「よかった」と感じた後に、そこに意識的に「私はえらい」をつけ足してみましょう。

「エレベーターを使わず3階まで上がった!よくやった!私もなかなかよくやるではないの!」とほめると、さらに気分がよくなってくるはず。

「自分ほめ」にほめすぎはありません。

「失敗した!」というときも、すぐにほめる

失敗や失言、判断ミスなど「またやってしまった!」と、どう考えてもほめられることが「ない」と思うかもしれません。

「ダメじゃないの」「いつもそうなんだから!」と自分を叱ったりなじったりしてしまうこともあるでしょう。

自分にダメ出しをするのは、自分に期待しているからです。

自分を「どうしようもないくず人間」と思っていれば、どんな暴言やミスも平気でいられるからです。

 

「ひどいことを言ってしまった」は、

「・・・ということに気づけた私はえらい!」

「次は優しい言葉をかけようとしている私はもっとえらい!」へ。

自分を責めるだけでも、正当化するだけでも、前に進めません。

「よく気づけたね」

「次は大丈夫だよ」

とほめなおしてあげましょう。

 

ほかにも、

・他人との比較をしないでほめる

・”結果”より”プロセス”をほめる

・些細な変化を見つけてほめる

・自分への「ありがとう」は最高のほめ言葉

・人にほめられたら、一緒に自分をほめる

・1歩でも進んだら、大いにほめる

・マイナスのことをプラス言葉に変換してほめる

・迷ったら「そうなりたい自分」を先取りしてほめる

などがあります。

4.日常での「自分ほめ」

さらに具体的に、どんな言葉が日常で自分にかけてあげることができるでしょう?

本書では、1つずつの言葉に具体的に説明がついていますが、ここでは一部を言葉で紹介します。

ぜひ使えるシーンがあったら自分に言ってあげてください。

・「ちゃんと7時に起きた。私はえらい!」

・「ご飯がおいしいって、最高じゃない?ありがとう、私」

・「季節、自然を感じられる私は、感受性が豊か」

・「笑顔でにっこり挨拶。私はなんて、さわやかなんだろう」

・「〇〇に夢中になっている私は、かっこいい」

・「よし、1つ終わった。ばっちり!」

・「面倒なこと、気が向かないことも丁寧にやろうとする私。感心、感心」

・「間違いに気づいた私は、またひとつ賢くなった!」

・「小さな約束もちゃんと守れた。それが信用になる」

・「たとえ目立たなくても、縁の下の力持ちになれる私は素晴らしい」

・「30分で〇〇ができた。やるじゃないの」

・「いいモノを選んだ。アンテナが冴えてるね」

・「ちょうどよかった。私、ついてる!」

・「新しいものに挑戦する私は、どんどん進化している!」

・「よく投げ出さなかったね。やり遂げた私は底力がある!」

5.自分の魅力を最大限に生かす「自分ほめ」

ほかの人にほめられると、とてもうれしいけれど、そうほめてはもらえるチャンスがないのが、「自分の良さ」や「自分の魅力」。

だから人は、外見や分かりやすいスキル磨きに終始して、ほかの人にほめられようとするのかもしれません。

しかし、自分の魅力は”身につけること”、ではなく”気づくこと”。

自分の魅力を認識している人は、自然体で生きていて、自信があるようにみえます。

自分のよさを人のために活かそうとしています。

 

他人から褒められて嬉しいのは、

①持ち物

②見た目

③行動、経験

④内面や習慣

⑤価値観や生き方

で、①→⑤と数字が大きくなるほど、その人の本質に近づき、うれしくなるものです。

自分ほめでも、この順番を意識してみましょう。

では、実践的にはこんな言葉があります。

 

・「〇〇という名前で得している」

・「なかなか素敵な顔じゃないの。笑顔はもっと素敵」

・「私のからだ、ありがとう。生きようとする力は立派です」

・「おおらかに笑って済ませる性格って、素敵」

・「〇〇について、よく知っているね。探求心が素晴らしい」

・「10年前より魅力的。〇〇歳になっているとき、どんな自分か楽しみ」

・「あのときはがんばった。つくづくよくやったと思う」

・「あのどん底を通り抜けたから、大丈夫」

・「バカなこともしたけど、あれはあれでよかった。これまで何とかいきてこれた」

6.イライラ・モヤモヤを癒す「自分ほめ」

日々のちょっとしたイライラやモヤモヤ。

こんな言葉で自分を癒してあげるのは、とても効果がありそうです。

・「まぁ、あるかもね。しょうがない・・と、現実を認める私は賢明!」

・「これだけできれば、じゅうぶんじゃない?」

・「志は高く、目標は低く。1歩1歩進んでいる」

・「時には孤独も必要。ちゃんと自分と向き合える」

・「とりあえず、〇〇できればいい。普通にやれば、何とかなる」

・「罪悪感があるのは、やさしいから。でも、そろそろ手放さない?」

今週もおつかれさまでした。

少しでも、あなた自分をいやせますように。

では、また。