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毎朝思うこと。この音楽に合わせて歌い始めたら、踊り始めたら、私の人生が変わるかもしれない。眩い光が差してきて、満員電車は人がみんな降りて、気付いたら内房線とかに乗っていて、海なんか眺めながら、微睡んでいるかもしれない。満員電車とはさながら生活で、乗りたくもないのに駆け込み乗車なんてしてしまう。乗ってしまったらもう途中で降りるなんてことはしなくて、漠然とした息苦しさに目を向けないために、それぞれの目的地に向かっていくひとをぼんやりと眺めたりする。

人と話すことがとてもたいせつなのは、諦めがつくから。感情は到底言葉にしつくせなくて、駐車場で寝そべっているあの猫にとりあえずなれたら、なんて想像してしまう。日曜の夜にだらだらと飲みながら友人とそんな話をしていても、やっぱり満員電車に乗らないことはできなくて、猫になることもできないんだと、落胆する。でもどこか心地よい。生活するとはそういうものだから、みんなそうだから、という納得の仕方は実に人間らしい。感情であっても言葉にできないものは人知を超えていて、メカニズムを解明しようなんて、無意味で、余計に苦しくなるだけだと本能的に恐れているから。理由はともあれそういうものだ、という考えは、諦めでもあり救いでもある。


仕事に行きたくありません。

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 恋人と別れた。否、正確にはまだ他人ではない。次の生理まで、それが私たちの寿命。診療費をもらって、出血を見届けたら、何もなかったかのように日常に戻っていく。
 何事にも制約されたくないと彼は言う。元恋人が忘れられないと彼が言う。私より大事な人がいると彼が言う。私に愛情はないと彼は言う。そんな言葉に、私は声を殺して泣くことしかできなかった。泣き終わると、彼はもういなくなっていた。

 ふと我に帰ると、自分が何を思って、何の為に泣いていたのか分からなくなる。すぐにでも下らないコメディで大笑いできそうな気もした。
 裏切られたこと?私の好意が届かなかったこと?彼が私の思っていたような人でなかったこと?そんな彼という人間を見極められなかったこと?
 もちろん全部だ。でも、私を1番苦しめるのは、きっと、自分の寂しさを、自覚してしまうこと。どこかでわかっていたのに、それでも、寂しさを紛らせてくれる人に、抗えない。
 男運ないんです〜
 私がヘラヘラしながらそんな言葉で逃げるのは、いい人と付き合えないのは、自分の薄っぺらさを隠したいから。私の大切な人たちをがっかりさせたくないから。どんなに歪か、恥ずかしくて情けなくて、身動きがとれない。歪な人だけが、歪さを嗅ぎ分けられる、そんなこともあるのかもしれない。

 同じようなことを繰り返して、強くなってきたつもりでいた。それが真だとして、私はもっと強くなって、それがどうなるっていうんだろう。

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 見たことのあるコントを繰り返し繰り返し見る。それは思考を過去へ内側へ閉じ込め、未来へ外側へ向けないためだけなのかもしれない。
 昔から、新しいもの、人が苦手だった。温い馴れ合いの中から抜け出すのが苦手だった。世が世なら真っ先に淘汰されるタイプ。未来なんか来ないほうがいい、時間なんか止まればいい、本当はずっとそう思ってきた。
 彼の恋人になって1か月と数日が経ったらしい。それを、私はもう後悔している。何故踏み出してしまったのだろう、と。この数年、恋人がいれば、恋人ができたら、あの人と付き合えたら、取り留めのない想像を楽しんできた。でも誰かと向き合うこと、大切にすること、こんなに難しかったっけ。
 それとも、私は私が世界の中心に居続けたいだけなのだろうか。好きな人は世界の真ん中できらきらしていて、私はなんて薄汚い一角にいるんだろう、手を伸ばしてもかすりもしない。私が恋人たちに抱き続けてきたイメージ。自分が何者でもないこと、それを突きつけてくる恋人たちは、愛を与えながら傷つける、憎むべき相手だった。数年ぶりに、それを、思い出してしまった。
 5月の最後の日、うだるような暑さの中で、人混みに紛れていく彼に背を向けると、波のように迫ってくる寂しさと、1人の世界に戻った安心感に、めまいがした。私はいつからこんなに弱く、小さくなってしまったんだろう。仕事も、家族も、友人も、恋人も、みんな私には十分すぎるくらい十分なはずなのに、満たされない。理想と現実の距離がどんどん離れ、そのどちらにも私は入れない。
 扇風機からの無機質な風が全身を通りすぎ、再び夜へ溶け込んでいく。角度に苦心して身体に風を当てるのは、私の居場所が今ここにあること、それを再確認できるからかもしれない。