きらきらEvery(仮)

書き留めたいことを書く

少年ハリウッド感想2022 第26話「HOLLY STAGE FOR YOU」

 長めに取られたOVERTUREの時間は、私たちをハリウッド東京に迎え入れるための魔法だ。

 この回は特に、音響にも最新の注意が払われているように感じる。マイクを通して響く声や、それに応えるファンの声援、衣擦れの音。恒例の自己紹介は、もちろん一話とは比べるでもない。特筆すべきは、キラの自己紹介だろう。今までキラキラのエフェクトを描写するのが、この作品にしては違和感のある演出だと思っていたけれど、そのエフェクトが初めて外された今回こそ、本物のキラキラが見えた。

 現実のライブでは恒例の、衣装替えのためのつなぎMCも描写される。次に歌う曲のフリをレクチャーするMCだなんて、少年ハリウッド以外ではなかなか見ることはできないだろう。赤箱組の次は年長組によるデュオ。その後の衣装替えも赤箱組のMCでつなぎ、5人揃ってさあラストの曲、というところで、メンバーも知らないサプライズが私たちを待っていた。

 それは、シャチョウから贈られたクリスマスプレゼントであり、彼らが今までに描いてきた軌跡の記録。

 「初めまして」から生まれた彼らは、何度も「ありがとうございました」と繰り返し、そのたびに生を受ける。

 シャチョウは私達の心を見透かすように「恐れてはいけない」と告げる。終わることを恐れてはいけない。彼らのステージは続いていく。少年ハリウッドと、私たちファンはこれから始まっていくのだから。

 

 初回から丁寧に描写された世界は、私に「少年ハリウッドは存在している」という魔法をかけてくれた。もちろん、彼らが本当の肉体を持って、同じ世界にいるわけじゃないということはわかっている。けれど。少しのきっかけがあれば、何かの折りに触れては、彼らとの世界が繋がるのだと、そう信じられる気持ちを持てるようになったのは、監督を始めとして、この作品に関わったすべての人の愛ゆえだろう。

 願わくば、この輝きが、まだ見ぬ誰かにも届きますように。

 

 

 

この『少年ハリウッド感想2022』は、2016年10月30日発行の同人誌『少年ハリウッド26話感想本 “ THANK YOU FOR  YOUR BLESSINGS!! “ 』に加筆・修正の上、再掲したものです。これまで26日間のお付きいありがとうございました。

 少年ハリウッドという作品は、何度見てもその都度あたらしい気づきや思いを得られるので、また性懲りもなく同じように感想を書き連ねることもあると思います。その際はどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

少年ハリウッド感想2022 第25話「瞳を閉じる日が来ても」

 ステージの上で折り重なるように眠る5人。その瞳を開かせたのは、去ったと聞かされていたシャチョウだった。そこにシーマやテッシーも現れる。ステージを降りるように告げるシーマの命令も、彼らをおいて出ていったシャチョウの言うことも聞かないと宣言し、クリスマスライブまではこの場を守り抜くと決める。

 そのクリスマスライブに向け、どうすればいいのか話し合う彼らが見つけたのは「最高のいつも通り」。

 クリスマスライブを終えてしまえば、新生少年ハリウッドだけではなく、ハリウッド東京も建て替えのため取り壊されてしまう。限られた時間を惜しむように、客席で朝食を取る五5人。いつものマッキーの思いつきで一人ひとりモノマネを披露する羽目になる。順に与えられたお題でモノマネを披露していくメンバーたち。

 最後になったカケルに与えられたお題は「少年ハリウッドのモノマネ」だった。

 少年ハリウッドのモノマネをするカケルに紹介され、5人はステージにあがる。ステージに上った5人もまた、少年ハリウッドのモノマネをして、無人の客席に礼をした。

 最初は何者でもなかった。役の力を借りて、初めて舞台に上がった。そして1年前のクリスマス、彼らはアイドルとしてようやくステージに立った。

 そして、最後の瞬間まで「少年ハリウッドになり続けよう」と決めた。

 それを陰から見ていたシャチョウとシーマ。シーマはシャチョウのことを「シャチョウ」と呼び、「みんな随分『少年ハリウッド』らしくなったね」と微笑んだ。

 新生少年ハリウッドが、自分たちの力で「少年ハリウッド」になった。シャチョウは5人を信じていたに違いない。彼らなら、本物の少年ハリウッドになれると。

 「私の人生は少年ハリウッドのためにある。そして少年ハリウッドは私の人生のためにある。たった一瞬でいい、誰かを、そんな気持ちにさせることが出来る存在。それが本物のアイドルです。誰かの、何かのために存在するエゴイスティックな気持ちってね、極めれば世界のすべてを愛すってところまで辿り着くんですよ」

 大げさな言い方だけれども、今の私にはこのシャチョウの言葉が痛いほどわかる。シャチョウのように人生を賭しているわけではないけれど、たしかに、少年ハリウッドは私のためにあると思える。世界の何を見ても、愛するものの中に少年ハリウッドの姿を見つけてしまう。そんなかけがえのない作品と出会えたことに、本当に感謝している。何度ありがとうと思っても足りないほどに。

 

 そして、彼らのライブの幕が上がる。

 

 

少年ハリウッド感想2022 第24話「まわりっぱなしの、この世界で」

 前回の不和を引きずりながらも撮影は続く。そんな彼らの前に投入されたのは、キャッスルリゾートのマスコットキャラクター・シロートくんだった。

 「いいかげんにしろ、この腐れアイドルども!!」

 およそテーマパークのマスコットらしくない奇天烈な言動に乗せられ、音声は入らないのをいい事に、メンバーはやけくそ気味に、笑顔で心情を吐露しあっていく。

 その言葉だけで捉えれば喧嘩そのものだが、笑顔と、コーヒーカップを回しながらというシチュエーションのシュールさが重さを感じさせない。何より、今まで各々が腹の底に貯めていたモヤモヤを発散する姿は、見ていて爽快ですらあった。

 相手に対する不満や、これからに対する不安を吐き出した後に見つけたのは、これまで見えていなかった自分たたちの望みだ。「ハリウッド東京に帰りたい!」「歌いたい!」「俺達は少年ハリウッドだ!」

 雨降って地固まるとまではいかなくとも、険悪なムードからは脱した翌日。いつものようにハリウッド東京に来たメンバーに告げられたのは、シャチョウに代わってシーマが社長になったという驚きの事実だった。

 そして数日。シャチョウは劇場に現れないまま、キャッスルリゾートのCM放送日を迎えた。「何か、俺ら楽しそうだったな」「本当は全然楽しくなかったのに……」カケルが、自身の持たない言葉で描かれたいつかの記事のように、TVの中で笑う彼らも、その時に持っていなかったものが、フィルムには映っていた。

 クリスマスライブというリミットを与えられた少年ハリウッドは、その居場所を守るための強硬手段に出た。大人を締め出し、ステージにあがる五人。突然の停電に見舞われ、ペンライトを一本ずつ客席に灯していく光景は、まるでクリスマス・イブのキャンドルサービスのようだった。光だけが見つめる中、彼らはその歌声をハリウッド東京に捧げた。

少年ハリウッド感想2022 第23話「正しさと正しさの狭間で」

 初代少年ハリウッドの中で、誰よりも解散に否定的だったシーマ。そのシーマが再び、ハリウッド東京に現れる。シャチョウに「ハリウッド東京をちょうだい」と、告げるために。

 まるで悪役のように登場するシーマだけれども、彼の言うことも客観的な正当性がある。彼ら五人を「少年ハリウッド」というグループ名を与えたのにはシャチョウのロマンチシズムが多分に反映しているからだろうし、あの日永遠にするために幕を引いたはずの世界が、自分のあずかり知らぬところで生まれなおしていたとしたら。

 もちろん、シーマも現実的か否かと言えばそうでもなく、経営プランを語ると同じ口で、初代メンバーをもう一度ハリウッド東京に集めて…と言うくだりでは、テッシーに「そんな絵空事」と眉を顰められてしまう。

 やり方は違うとしても、シャチョウとシーマの2人が「少年ハリウッド」を特別に、深く強く想っているのは確かだ。新生メンバー5人も、だからこそ戸惑う。

 そんな中、「シーマの力添え」でキャッスルリゾートのクリスマスイメージキャラクターに選ばれた少年ハリウッドは、CM撮影の日を迎えた。誰もが見通しの悪い先行きに表情を曇らせる中、早朝の寒々とした空気にキラの明るい声だけが響く。それに対して、いつもになく声を荒げたのはトミーだった。

 人と争うことが嫌いで、誰かと誰かが争うことも苦手で、いつもメンバー内で諍いがあれば、それを止めに入ってくれたトミー。そんな彼が誰かと対立してまでも自己主張をするのはおそらく初めてで、だからこそ見ているこちらの胸も痛んだ。それに対し、「仕事」としてのプライドと礼節を語るキラも正しい。

 その裏で、シャチョウはシーマと握手を交わし、ハリウッド東京を去る姿が描写された。この時、シャチョウが一体どういう気持で、どういう意図があってこんな行動を取ったのかは今もまだわからないのだけど、今後の展開はシャチョウの思い描いたとおりだったのだろうか。それとも彼らの力を、そしてシーマを信じての賭けのようなものだっただろうか。

少年ハリウッド感想2022 第22話「ファンシーメルシーブラックコーヒー」

 少年ハリウッドならいつかやりかねないと思っていた恋愛が絡んだエピソード。まさかそれがキラのものだとは思わなかったけれど。

 家の冷蔵庫が壊れてしまい、普段は母親が作ってくれるお弁当を食べているキラが、登校途中に足を止めたサンドイッチ屋。劇場への送り迎えも母がやっているキラにとって、自分でこんなお店に入るのは、おそらくほとんど初めてのことだろう。

 キラが足を止めたきっかけでもある店員のお姉さんにすすめられ、苦手な「青葉」が入っているチーズチキンカツサンドを購入するキラ。食べ盛りの男の子がチーズチキンカツひとつで足りるのだろうかとちょっと心配してしまった。あと、クラスでちょっと浮いてるんじゃないかと心配していたけど、気軽に話しかけてくれるクラスメイトもいて安心した。

 連日サンドイッチを大量に買ってくるキラの様子に、ひとりだけピンとくるマッキー。やはり最年長なだけあって、5人の中では恋愛経験値も高そうだ。カケルを誘ってキラの尾行を決行する2人は、キラと女性を文字通り草葉の陰から見守る。

 16話の「本物の握手」で登場した名も無きファンもそうだけれど、この話でキラが初めて恋をする相手も、とても素敵な年上の女性だった。こんな素敵な人と出会えたのは、彼らにとって本当に幸運なことだったと思う。

 誰よりもプロ意識の高いキラが、劇場入りの時間を破ってしまうほど、恋は人を衝動的にさせる。あえなく、初めての恋を散らせてしまったキラだったけれど、いつか「佐伯希星」と過ごした時間を特別なものにする、と約束する。このシーンも、16話の「本物の握手」に通じている。

 今はまだ、彼女も、他の沢山の人達も、彼の名前を知らない。だから、こんな少しだけ特別な、だけどいつか遠い想い出になってしまうかもしれないこの日を、「佐伯希星」と過ごした「特別」な日に変えられるように。

 「いつかどこかで、僕を見つけてください。僕、あなたが必ずこの日のこと、旦那さんに自慢したくなる存在になります。僕、『佐伯希星』と言います」

少年ハリウッド感想2022 第21話「神は自らの言葉で語るのか」

 前回と対になるようなエピソード。誰よりも望んでいなかったセンターの座を得てしまったカケル。自分の意思とは関係なく、周囲は彼のことを「新センター」というフィルターを通し、各々の想像を押し付ける。自分の意図しない「自分」が作られていく心地悪さ。雑誌に掲載された単独インタビューに記された言葉も、自分のものではなかった。けれど、その「自分のものではない」言葉を読んで喜ぶ人もいる。

 ギャップに息苦しさを感じるカケルにシャチョウがかけた言葉は、この作品の(もしくはこの夜に存在するすべてのアイドルという存在の)根底にある重要なアイドル観だ。

 「アイドルってね、有るものも無いものも、すべてを求められてしまう存在なんですよ。恋人になって欲しい、家族になって欲しい、慰めて欲しい、元気にして欲しい、カッコ良くあって欲しい、可愛くあって欲しい、素を見せて欲しい、見せないで欲しい、側にいて欲しい、遠い存在であって欲しい」

 ファンはいつだってエゴイスティックだ。16話で「本物の握手」を教えてくれたファンもいれば、もっと近づいて、毎日触れていたいと思うファンだっている。そんな矛盾だらけの感情を向けられるアイドルを、祭壇に捧げられた生贄のようなもの、と表現してしまう少年ハリウッドという作品の奥深さ。

 カケルのものではない言葉で紡がれた記事を、楽しそうに読んでいた他のメンバーたち。だけど本当はカケルがセンターという立場に戸惑っていることを、みんな気づいていたのだろう。カケルには内緒で、MCにアドリブを入れて、文字通り、「ハードルを超える」ことを促す。少年ハリウッドでは度々、文字通りの行動をとることで、精神的な壁を乗り越えるエピソードが見られる。

 一見飛び越えられそうには見えなかった高さのハードル。駆け出したカケルの踏切に合わせ、メンバーは腰を落として、カケルにハードルを飛び越えさせた。その後のハイタッチは、前話でマッキーとカケルが交わしたものと重なって、小気味良い音を響かせた。

少年ハリウッド感想2022 第20話「僕達の延命」

 「友達でもなかった見ず知らずの奴らと、ある日突然、歌って踊るようになった時、毎日覚えていた違和感は、もう、どこへ行ってしまったんだろう。『普通じゃない』この状況が、僕には『普通』になった」

 そんなモノローグから始まる20話。ファンの前でアイドルとしての姿を堂々と見せ、歓声を受ける。このカケルの言葉も、彼がアイドルであることをその身に自然に宿すようになったという印象を受ける。けれど、舞台袖からその姿を覗くシャチョウの表情には翳りが見えた。

 そのシャチョウが少年ハリウッドに伝えたのは、センターの交代。普段から主張の激しいキラはもちろん、目立ちたがりのシュンや、人と争うことを嫌うトミーも、雰囲気の中で前向きになっていく。そんな中、一人いつもにまして寡黙なカケルに、現センターのマッキーは「気にするな」と声をかけた。

 センターに選ばれたのはカケルだった。

 少年ハリウッドのキャラクターデザインは、細微な表情を描くためにも必要なものだ。その本領がまさに発揮されるのがこの回だろう。

 センターがカケルに決まり、「頑張れよ」と声をかけるものの、シャチョウにその心中をさらけ出され、自分でも直視していなかった感情と向きあうマッキー。そして、息の詰まるような空気の中、目を伏せる者視線を逸らす者、見つめる者。

 「彼らは今、一生に一度しか歌えない歌を歌っています。本当は毎日がそうなのに、人はすぐそれを忘れてしまう」

 冒頭のカケルのモノローグに答えるように、シャチョウは舞台袖でそう言った。先代シャチョウの突然の逝去で、その短い活動期間を終えた初代・少年ハリウッド。そんな過去を持つシャチョウだからこそ、誰よりも強く「今」の価値を知っているのだろう。そして、カケルにとって「普通」になった日々を「特別」に感じ続けることの難しさも。

 アイドルに「永遠」を願う想いと、「一瞬の特別」を願う想いは、相反しているようで、実は同じ性質なのではないだろうか。

 失うことが確定したセンターの位置から客席を臨むマッキー。その瞳に映る風景は、なによりもかけがえ無く、「特別」なものだったはずだ。